『カンマを伴う分詞句について』(野島明 著)
第六章 開かれた世界へ

第1節 異邦人の孤立


〔注6−9〕

   分詞句の暗黙の主辞が母節全体であるような分詞句は極めてありふれており、かなりの頻度で出現すると既に[6−5]で述べておいた。以下はPEGからの文例(このような形態の表現「〜が…して、××名が負傷(死亡)した」はほぼ定型表現である。嘆かわしいことに、新聞からいくらでも引用できる)。

@He fired, wounding one of the bandits. (PEG, 276)
〈彼は発砲し、強盗団の一人が負傷した。〉(下線と丸数字番号は引用者)
   PEUの場合と同じように、この文例も、平凡な分詞句の文例(She went out, slamming the door.)と並べて置かれている。しかし、"wounding one of the bandits"の暗黙の主辞は"He"であるとさほど単純に断じようという気にはなれない。それというのもこのような場合、「負傷」の原因となったのは「彼」というより「彼が行った何らかの行為」であるという判断を捨て難いからである。銃砲規制反対論者の論法、銃が人を傷つけるのではない、銃を使う人間が人を傷つけるのだ、をさらに一段階展開して次のように言うこともできる。人が人を傷つけるのではない、人を標的にして銃を発射する行為が人を傷つけるのである。じっと動かない航空機(あるいは爆弾)が人を殺すことがないのと同様、じっと動かない人間が人を殺すこともない。航空機(あるいは爆弾)が人を殺すのは墜落(爆発)の結果としてであり、人間が人を殺すのは何らかの行為の結果としてである。CGELは「動作主主辞[agentive subject]を用いて述べられた状況は、含意されている動作[implied action]の結果であることもある。」(10.21, Note[d])と述べ、"She blew a fuse ['She did something which caused a fuse to blow.']"(ibid)という例を挙げている。

   例えば"He wounded one of the bandits."の場合、動詞辞"wounded"の主辞を"He"以外に見出すことは出来そうもないけれども、文例@については"wounded"の暗黙の主辞を「発砲した彼」に見出すという判断を捨てさることは難しい。

   以下の例の場合にも、ほぼ同様なことを指摘できる。Curmeは次のような「結果の分詞節[participial clause]」を含む文例を挙げている。

AHe mistook me for a friend, causing me some embarrassment.
〈彼は私を友人と勘違いし、私を困惑させた。〉(CURME, Parts of Speech, 15−2-g) (下線は引用者)
   文例Aは別の箇所では「so-that節」に置き換えられている。
内容面で相当の独立性を有する純粋結果の完全なso-that節[a full so-that clause]はしばしば分詞節[participial clause]に縮約可能である。
'He mistook me for a friend, so that he caused me some embarrassment ' (or causing me some embarrassment, or with a formal expression of the idea of result: thus causing me some embarrassment).
(CURME, Syntax, 28-5-d)(下線は引用者)
   文例Aの場合には文例@の場合にも増して、"causing"の暗黙の主辞は「私を友人と勘違いした彼」(母節全体によって「特定」を実現された主辞)(第一章第4節及び[1−39]参照)であり、更には「彼が私を友人と勘違いしたこと」(母節全体)であるという判断へと傾く。

   「thus+-ing分詞」についてはThe King's Englishに次のような記述と文例がある。

しかしながら、thusという語は、ある種の義務免除力[a kind of dispensing power]を有し、その語に伴う分詞をあらゆる義務から解き放つと見なされることがよくある。したがって、
The Prince was, by the special command of his Majesty the Emperor, made the guardian of H.I.H. the Crown Prince, thus necessitating the Prince's constant presence in the capital of Japan. ----Times.
〈…かくして皇太子が日本の首都に常駐することを不可欠にした。〉
A very wealthy man can never be sure even of friendship, -- while the highest, strongest and noblest kind of love is nearly always denied to him, in this way carrying out the fulfilment of those strange but true words : --'How hardly shall he that is a rich man enter the Kingdom of Heaven!'--- CORELLI.
〈…こうして「富めるものの天国に入るはいかに難きか」という思いがけぬものながら真実の言葉を実現する。〉
(Fowler, The King's English, pp.122--123)(下線は引用者)
   Fowlerの記述の趣旨に沿って考えれば、"necessitating"と"carrying out"は、通常の分詞句とは異なり、特定の暗黙の主辞と結びつかねばならないという義務からいわば解放されているということになる。ただ、"necessitating"と"carrying out"の暗黙の主辞はいずれも母節全体であると判断が適切であろうと考える。

   次のような文例では、暗黙の主辞は一応母節の主辞であると考えるにせよ、どちらかといえば、母節全体によって「特定」を実現されている主辞"A bomb"であると考えられるし、更には、暗黙の主辞は母節全体であるという判断も捨てがたいのである(いずれの判断が正しいのか思い悩むには及ばない。暗黙の主辞が母節内に見出されることを確認するだけで十分である。こうした点については特に第五章第3節参照)。

BA bomb exploded in a hotel, killing six people and wounding another five. (Collins Cobuild English Dictionary, 1995)
〈爆弾がホテル内で爆発、六名が死亡、他五名が負傷した。〉(番号と下線は引用者)
   以下は、じっと動かない爆弾が人を殺すのではないことを示す例。
CA Marine jet dropped a 500-pound bomb that killed a civilian on the Puerto Rican island of Vieques.
〈海兵隊のジェット機が投下した500ポンド爆弾によって、プエルトリコのビエケス島の市民一人が死亡した。〉
(Pentagon trying to explain deadly Kuwait bombing By Andrea Stone and Dave Moniz, USA TODAY, USA Today.com, 03/13/2001 - Updated 08:44 AM ET)
   一人の市民の命を奪ったのはただの「500ポンド爆弾」ではなく「ジェット機から投下された500ポンド爆弾」であった。文例Cは"A Marine jet dropped a 500-pound bomb, killing a civilian on the Puerto Rican island of Vieques."と書かれる場合の方が多いはずだ。このとき、分詞句の暗黙の主辞は「500ポンド爆弾を投下した海兵隊のジェット機」あるいは「海兵隊のジェット機が500ポンド爆弾を投下したこと」という母節全体である。    S+V+…, wounding/killing ….「〜が…して、××名が負傷(死亡)した」のような場合、-ing句の暗黙の主辞は、母節の主辞を一端にし、母節全体を他端とするような「傾向尺度」([6−6]参照)上にあり、その位置は個々の事例ごとに様々であるように感じられる。次の例は、分詞の暗黙の主辞は母節全体であるとしか判断しようのない例である。
DChurch in Pakistan Is Attacked, Killing Five and Wounding 40
〈パキスタンで教会が襲撃され、5名死亡、40名負傷〉
(注)この記事によれば、イスラマバードにある日曜礼拝をする人々で埋まったプロテスタント教会内部に手榴弾が投げ入れられた。
(注)この記事の見出し。
(Church in Pakistan Is Attacked, Killing Five and Wounding 40 By RAYMOND BONNER, The New York Times ON THE WEB, March 17, 2002)
   分詞句とその暗黙の主辞の関係に向けられている注意は必ずしも細心であるとは見なせない例を挙げてみる。Kruisinga & Eradesは「35 Unrelated Free Adjuncts[関係づけられていない自由付加詞]」の一節で次のような例を挙げている(「自由付加詞」については[1−1], [6−39], [7−29]参照)。
21. The boy always reckoned that, walking one's quickest, it took half an hour from the door of The Bending Mule to Scaw House, where his father lived. Walpole, Fortitude I, ch.2.
22. aie, aue, oie are, strictly speaking, triphthongs, which in slow speech are disyllabic. Sweet, Sounds of Engl. p.11.
23. Speaking of cards, he bore a remarkable facial resemblance to the Knave of Spades. Graves, Antigua ch. 5, p. 59.
24. To be brief : she leased a basement in a street off the Edgware Road and engaged four girls to learn the trade. . . . ib. ch. 6, p. 86 f.
25. To do the man justice, he brought us each a thick hunch of bread and a basin of milk. Sweet, Sp. Engl., p. 63.
(KRUISINGA & ERADES, An English Grammar, 35)
(文例番号は原文通り。下線は引用者)
(22の”aie, aue, oie ”中の“e”は“e”を百八十度回転させた発音記号。表記できないため“e”で代用する)
   こうした「関係づけられていない自由付加詞」の暗黙の主辞については次のように述べられている。
行為の主体は話者もしくは筆者自身[the speaker or writer himself]であることを、読み手は容易に見て取れるはずだ。(ibid)
   しかしながら、(21)の"walking one's quickest"の暗黙の主辞は、その他の例の場合とは異なり、「話者もしくは筆者自身」(21では話者=筆者である)であることを私は用意には見て取れない。Kruisinga & Erades(彼等の母語はオランダ語)は従位節の部分を実質的に"The boy"の思念(いわば一人称の発話)に等しいと受感しているように見える。ヨーロッパ諸語の一つを母語とする人間にはある程度自然な受感であろうという気もする。

   例えばオランダ語を母語とする英語学習者に対してなら、日本語を母語とする英語学習者に対してはくどいほど念を押さねばならないようなことを殆ど触れずに済むことも多々あるのである。Kruisinga & Eradesは、"I'm afraid our friends aren't too pleased by the meeting."(ibid, 104-5)という文について、「I'm afraidという語句はむしろ後続する部分の意味を修飾する働きをしており、その結果、それらの語句は機能上は[in function]法性の副詞[adverb of modality]ないしは文修飾副詞[sentence-modifying adverb]に似ている。」(ibid)と記述し、更に、「オランダ人読者は気づくであろうが、I'm afraidのような節はIk ben bang(I'm afraidの逐語訳である…引用者)やその類の表現で翻訳されるべきではなく、付加的節あるいは挿入句的節として、geloof ikのような言い回しによって翻訳されるべきなのである。」(ibid)と述べるとき、"I'm afraid"をどのようなオランダ語に置き換えようと、オランダ人英語学習者にとって"I'm afraid"が主節であり、"our friends aren't too pleased by the meeting"が従位節であることは自明であり、あえて触れずとも誤解は生じようもないと確信している。

  "I'm afraid"を例えば「思うに」と和訳した場合、日本語を母語とする英語学習者に対しては、"I'm afraid"が主節であることをくれぐれも念を押す必要があるのとは大違いである。文構造については「多くの複文[compound sentences]形式の一般的構造は英語とオランダ語ではほぼ同じである」(ibid,142-1)(Kruisinga & Erades の場合、"I'm afraid our friends aren't…."のような文はcompound sentencesの一つである)と語られ、"law ecclesiastical"と"ecclesiastical law"について、脚注の中で「オランダ語でも同じように"kerkrecht"と"kerkelijk recht"を区別する[In Dutch we similarly distinguish kerkrecht from kerkelijk recht.]」(ibid, 170-11)とまで語られるとしたら、彼我の差は埋めようのないほど大きいのである。

  要するに、日本語を母語とする私にとって、分詞句の暗黙の主辞、また分詞句とその暗黙の主辞との関係(及びその在り方)などといった点は、彼らと比べ、格段に細心の注意を求められる事項である。

(〔注6−9〕 了)

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