ここでは、芹沢文学を愛する皆様による作品の読後感、芹沢文学との出会い、芹沢氏に関する思い出など、皆様と芹沢文学の触れ合いをお寄せ頂いています。芹沢文学はこころの文学。皆様方一人一人のこころの交流の場となれば幸いです(投稿は新着順です)。原稿募集中です。投稿フォームより、芹沢氏、芹沢文学との思い出をお送りください。
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[10] 芹沢光治良との出逢い 2001.6.19
芹沢光治良との出逢いは、大学生の時に遡ります。「軽井沢高原文庫」で、「芹沢光治良」展が開催されていました。そこでアルバイトしている僕は、芹沢光治良を初めて知りました。最初に読んだ本が「巴里に死す」。簡潔な文体を用いる日本の作家がいることに驚きました。それから、殆どの作品を読みました。古本屋さんを捜す日々(楽しかったな)。いつか芹沢光治良文学館に行きます(絶対に)。
追伸 以前、「軽井沢高原文庫」で芹沢光治良の娘さんを見かける機会があったのですが、ボクは結局、どなたか分かりませんでした(残念)。
(東京都千代田区 MONSIEUR様)
[9] 初めまして 2001.6.4
小生73才になりますが、芹沢先生の御本を若い頃(東京の親戚宅に下宿しての学生時代)胸郭整形をした従兄の書棚で目にした時は、『ブルジョア』とか『巴里に死す』などのタイトルに誤った先入観で、読まず仕舞になりました。数年前、倅から勧められて『神の微笑』を一読、深い感銘と共感を覚え、続いて『人間の運命』、たまたま始まった文学館シリーズに読み進み、今では何度も読み返す一番の座右文学書となりました。
我入道の文学館へも伺い、軽井沢高原文庫での展示、さらには往時の侭の星野山荘も外から拝見出来ました。幸い健康と家族には恵まれていますが人生の黄昏を迎えつつある今、先生の御作は私にとってまさに心の友とも支えともなっています、先の見えている我が身は兎も角、子や孫等にどんな将来が待っているのか、先生の詠まれた「幼児の遊ぶを見れば悲しかり いかなる世をば汝は生きるらん」がこの頃の感慨です、光明の差す日もあらんことをと切に思いつつ....。
(愛知県名古屋市 伏原幹一郎様)
[8] bonjour 2001.5.24
je suis tres contente d'avoir decouvert votre site en France. bonne continuation.
(Paris Nozawa Naoko様)
[7] 教祖さまについて 2001.5.8
はじめまして。とても清清しい文章で芹沢先生の『教祖さま』を要約されていて感服しました。私はあの本を最後まで読みきることができなかった。芹沢先生の文体もどうも他の著作とは少しトーンが違う。ハードボイルドタッチといったらお叱りを受けそうだが、そんな感じがしてしまった。読み易いわけです。描写が淡々と続き場面がありありと眼前に迫ってくる。天の将軍のあたりで私はハッキリいって映画を観てるというか凄まじい臨場感に懼れ慄きました。芹沢光治良という作家の存在は稀有としか言いようがない。夏目漱石とは又違った意味で有難い作家なのですね。漱石の倒れたところから志賀直哉と長谷川伸が歩き始め、あそこまで到達しました。しかし漱石を超えてはいないのです。唯一私は漱石と同様に日本の人々に如何に日本語をして感情教育をすべきかを文学の存在理由として明確に据えて作品を完成させえたのは芹沢先生なのでしょうと勝手に思い込んでおります。妄言多謝。
(東京都江東区 山辺英春様)
[6] 神の慈愛 2001.2.11
年金暮しに入りもっぱら図書館本とリサイクル本に集中して讀んでいます。その甲斐あってリサイクルブック店の100円本の中に本書を見つけたのです。新潮社版のしっかりした函ケース入り平成5年の18刷、何の汚れもなく提供されたのはまさに神さまの為せる技か。正直に云って芹沢さんのご本はこれが初めてです。今まではやや縁遠き著作と敬遠していました。価値ある本はどこに並んでいても惹かれる人は必ずいるものです。
(愛知県知多郡美浜町 中村和雄様)
[5] アランと 秋の村道を…… 2000.10.2
稲の刈り入れがすっかり終わり、畦道には、彼岸花が少し色あせて咲いています。今日は何時もより遠くまで散歩に出ました。光治良さん(管理人さん)も散歩がお好きなようですね。そちらの秋は、神宮あるいは御苑などで楽しまれているのでしょうか?
さて、何時も一人で散歩している私ですが、本当は沈んだり、時にはちょっと浮かれたりしている、もう一人の自分と二人で、歩き回っているんですね。日記をつける時もそうです……。
芹沢氏の「神の計画」8~11頁に、一高生だった氏が二年の時、フランス語の石川教授から頂いた、アランの著作についての話が書かれていますね。私はアランという人の本を、読んだことは有りませんが、その一部を芹沢氏はこんなふうに要約しています。
― ― ―人間は決して孤独ではない。どんな人でも謙虚に反省すれば、
自己の分身とも言うべき者と、ともに生存していることが、確認できる。
……それ故、こちらからも言葉をかければ、やがて対話ができるようになる。
…師とも心友ともなって永久に、わが人生を豊かに幸福にしてくれる。
孤独な一高生だった氏にとって、このアランの言葉は嬉しい発見だったと書かれています。
秋のせいではなく、何か心淋しいこの頃なのですが、今日の散歩は、芹沢氏に教えて貰ったこのアランの考え方を、あれこれと反省しながら、村はずれまで歩き、日暮れて帰ってきました。
(どうせん様)
[4] 光治良さんの結婚観について思ったこと 2000.9.1
あの時代に女性を尊重して、人間として対等に期待し、接していた光治良さんにまず感動しました。いまでも職場やいろんなところで女性を低く扱うことが多々あるものですが。
光治良さんはしかし、特に女性の立場にたってとかいうことではなく、ただ人間として女性をみて、意見をのべておられるだけだと私は思います。幼い頃から婚家になじめるように自己をなくして生きるよう教育され、そして自己のない生き方をしている(今日では大分変わっていますが)。仕事をするにもこしかけで、趣味も「ならいごと」レベルにとどまっている。そうして夫や子供の世話で終わる一生でなく、自分の好きなことを、おけいこごとではなく、専門家レベルに到達するくらいうちこめとおっしゃっています。光治良さんがそこらのフェミニストと違うところは、なにがかんでも経済的自立が一番、というのではなく、自分の「好きなこと」をすることがポイントという所です。自分が好きかどうかというのが大切なのです。
男性に関しても同じではないでしょうか。妻子を養うため、定年まで仕事一筋で人生を終ってしまうのではなく、お金になるかどうかではなく、自分の好きかどうかでえらんだ趣味を持ち、楽しんで生きよとおっしゃっていないでしょうか。趣味が高じてプロになれたら、それはよりいっそうすばらしいと。
女性も男性も、自分の好きな仕事で食べていけたら、それはすばらしいことです。そうもいかないときは、せめて好きなことを楽しむことが生きる喜びではないでしょうか。
天才ジャックが、光治良さんにいったことと同じではないでしょうか。自分の好きなことには、自分は才能を持っている。自分の好きなことをするのが、神の意志だと。
(大阪府東大阪市 稗沢美津子様)
[3] みなさんはじめまして 2000.8.22
はじめまして、カブトムシと言う名でお願いします。
私と芹沢文学との出会いは『神の微笑』が出版された時ですから、まだ14年ほどしかたってませんが、ぜひ皆様の仲間に入れて下さい。そもそもきっかけは、知人に「従弟に変わった男がいる」というので、連れて行かれたところが、川口の伊藤青年の家でした。赤衣を着た逞しい青年に会った瞬間、私の宗教観は変わりました。それ以来湯河原に引っ越されるまで、毎月のように伺い、親様のお話を聞き、そのあと神様の話や、仏教の話などを素の伊藤青年からやさしく教わったものです。
その時に芹沢先生の事を恥ずかしながら31才で知ったわけです。それ以来、新刊が出版される度に2~3册づつ買い、本屋、古本屋を尋ね歩き『人間の運命』や『巴里に死す』『教祖様』などの過去の作品を買い求めました。沼津の文学館で、本屋さんでは探せなかった『愛と知と悲しみと』などを見つけた時は、感激し全部宅急便で送ってもらいました。そんな中で我が家の唯一のお宝は、芹沢先生のサインと落款入り限定113部の『巴里に死す』です。あまりに有り難いため、まだ1ページも開いてません。子供に残せる家宝ができて幸せです。子供といえば6歳の長男の名は『光治良』です。まわりから、名前負けせんようにちゃんと育てろよとプレッシャーを受けながらの子育ても楽しいものです。読書はしばらく離れてましたが、またいろいろと読み返そうと思っています。そんな訳で、みなさんよろしくお願いします。
(東京都練馬区 カブトムシ様)
[2] 芹沢先生は日本の宝です 2000.5.10
私は神シリーズ、ブルジョワ、巴里に死す、人間の運命を読みました。何よりもまず一番驚いたのは光治良さんの人間性です。感動や尊敬を通り越してビックリです。ブチ切れて暴れてもいいくらいの苦労を次々されているのに、グレもせず、ひねくれもせず、高潔で、謙虚でおられる。そして、気の短い私にはとーてー信じられない忍耐力。初恋の人が去った時、「たった三年離れただけで」とおっしゃってましたが、一月待つのもやっとな私には気の遠くなるよーな話で目が点になり、自分を省みて途方に暮れました。光治良さんはその上「結婚30年してやっと妻が理想に近づいた」とおっしゃってましたが、30年て!どっひゃー!!!状態です。あの時代に女性を一個の人格として認め、人を見下したり見上げたりすることなく生き抜かれた。こんな方が日本にも存在された!と分かった事が何よりも私の感想第1番です。
(大阪府東大阪市 稗沢美津子様)
[1] 懐かしい写真 2000.5.8
『天の調べ』で初めてお会いした先生。それなのにいつも傍にいて見守ってくれていた身近な人のように懐かしい。そして、もう天に還られていることが自分でも不思議なくらい淋しい。1995年の秋、届いたばかりの『天の調べ』を開いて、執筆中の先生の写真に出会った時の私の心境でした。
(東京都文京区 miyuki様)