ここでは、芹沢文学を愛する皆様による作品の読後感、芹沢文学との出会い、芹沢氏に関する思い出など、皆様と芹沢文学の触れ合いをお寄せ頂いています。芹沢文学はこころの文学。皆様方一人一人のこころの交流の場となれば幸いです(投稿は新着順です)。原稿募集中です。投稿フォームより、芹沢氏、芹沢文学との思い出をお送りください。
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[50] 何かが惹きつける―― 2004.3.15
2月に自分のHPに、「私も重ねる春がもうすぐ60回にもなろうとしていますが、春を幾つ重ねても、成長しない自分は、いつまで経っても修行の身のような気がします。春の喜びとは別に、いくつ春を重ねても進歩がないというのも辛いものですね。
「朝生まれ、夜にはもう死ぬのだと一日を生涯として生き、一期一会をいつも大切にしていた」芹沢光治良のようになりたいものです。
彼のふるさと沼津我入道海岸の駿河湾を望む砂浜の「風に鳴る碑」を思い出しました。
「幼かりし日 われ 父母にわかれ 貧しく この浜辺に立ちて
海の音 風の声をききて はるかなる とつくにを想えり」
――と書きました。
今月になり、この10日間ほどで文庫本「人間の運命」7冊 第14巻「再会」まで全部読み直しました。そして文庫で発売されたばかりの「神の微笑」も連続して読み終わりました。これだけ集中して読んだのも久しぶりです。
今、私は60歳近くになって、前回読んだ若い頃の感性と今では大きく異なっていることに気が付きました。
今までは神とは宗教とは? 森次郎の生き方ばかりに注目していたのに、今回の再読では年だろうか、彼の周りの5人の男の生き方と自分を比較しているのに気が付きました。
岳東の父、田部氏、名古屋の有田氏、大阪の大塚氏、海軍の黒井氏
時代背景は別として、男として、父としての人間の生き方としての5人が、自分にとってどうなんだろうとばかり考えておりました。
今週の21日 あの砂浜に立ってみようと思っています。
(千葉県千葉市 駿河の生まれ様)
[49] まだ生きてる人 2004.3.12
どうしようもなく、鬱な気分で、街を歩き回り、本屋に入って、「何か気分が晴れるような本を教えてください」と思ったところ、『神の微笑』という本を手にしました。
難しそうな本だし、昔の人(失礼!)っぽい人が書いた本なので、最初はためらっていたのですが、買って、読み始めると、一気に読んでしまい、読み終わるとはらはらと涙がこぼれました。でもそれはあたたかい涙。なにか大きくて近いものに触れた感じでした。
『芹沢光治良』という人のことはまったく知りませんでした。でも世間じゃすごく有名な人なんだろうな。もう死んじゃってる人なんですね。でもまだ生きてるんだなあと思いました。書いててくれてありがとうございました。
これからも、読んでいこうと思います。検索してこのHPを見つけました。良いガイドをありがとうございます。
(くに様)
[48] 『神の微笑』文庫化によせて 2004.1.31
芹沢光治良文学読書会の稲生恵道です。『神の微笑』文庫化によせて、ささやかながら読者の声をあつめさせていただきました。こちらにてご覧ください。
また、昨秋とりあげられたアエラ誌の記事<芹沢光治良を知っていますか ――「良心」の文学>も掲載いたしました。見逃したという方があれば、ぜひどうぞ。
(大阪府大阪市 稲生恵道様)
[47] 思い出 2003.12.20
あれは確か10年程前の春だったかと記憶しています。
中野の文学会に参加させていただいた際に、最後に芹沢先生が一人々々に作品の感想を聞きたいとおっしゃり、私も心に汗をかきながら人間の運命の感想を懸命にお話したことを懐かしく思い出します。
その後先生は他界され10年の年月が過ぎましたが、先生の伝えたかった事は今でも良心的な方たちのおかげで灯火は消えることなく、たんぽぽの綿毛のように色々な所に広がっているようです。一時期、文庫本も絶版となり芹沢文学がこの世から消えてしまうのではないかと寂しく思っておりましたが、皆さんの活動を拝見し大変うれしく思います。
私たち個人々々は弱いつながりしか無いのかもしれませんが、たんぽぽの綿毛のように静かにゆっくりと広がって行くことを先生も喜ばれるのではないかと思います。
先生の願った人間としての生き方に少しでも近づければと思いながら、私自身も再度「人間の運命」を読んでいる最中です。
(東京都江戸川区 河西様)
[46] 人間の運命 2003.8.8
二ヶ月前に「人間の運命」を購入しました。現在読んでいる最中です。
(東京都小平市 田尻 元様)
[45] 函館市のもっくん様へのご参考資料 2003.8.2
東京の芹沢光治良文学愛好会では、現在、「芹沢光治良 書誌」の発刊の準備をしております。もっくん様のお探しの作品を下記の範囲で資料を探してみました。
・昭和5年~昭和20年の作品
・「婦人の友」「婦人公論」で探してみました。
ご参考にしてください。
①1932(昭和7年)・「牛乳を飲ませてくれたマダム」婦人公論7月号 203
②1934(昭和9年)・「教授夫人の手紙」婦人の友 S9 4/1
・「みずき」婦人公論7月号(恋はピーチパラソルの蔭に咲く)
③1937(昭和12年)・「青春はなかった」婦人公論12月
④1939(昭和14年)・「生きる日の限り」婦人公論5月
・「美しき秩序」婦人公論 S14 10/12~S15 7月
⑤1941(昭和16年)・「早春に遠き人を想ふ」婦人公論3月号
・「女教師」婦人公論6月号
⑥1942(昭和17年) ・「巴里に死す」婦人公論10月~12月連載
現在、作品の所在場所は調査中です。該当する作品がもし見つかりましたらコピーでもお送りできればと思います。(気長に待っていてください)
(もっくん様の70年程の思いを載せた作品を私も読んでみたくなりました。)
(神奈川県横浜市 池田三省様)
[44] 問い合わせ、というか。 2003.7.31
私の師事した人物一人の宿題として、70年ほども前の事象の確認がありました。それが、芹沢光治良氏が、婦人雑誌(婦人の友?婦人公論?)に戦前書いた小説で、画家の話で、白い壁画??なる終わり方をした作品を、再度読みたいというものでありました。このことを言われたのも10年ほど前、今は確認する術もないのですが、何か手立てはないものかと考えております。あまりに漠然とした内容なのですが、何か手がかりが得られれば、と思ってこれを書くことにしました。そんな、70年程も心に残る小説を、是非読んでみたいのです。
(北海道函館市 もっくん様)
[43] 「人間の運命」の魅力について(講演録) 2003.7.24
池田様、聴講メモ、誠にありがとうございました。
私が東京に、いや、関東地方に住んでいたな ら、きっとすっ飛んでいったろうと思います。しかし、現実はなかなか厳しかった…… とても残念でした。
でも、池田様のおかげで、講演録に接することができました。
私の感想をひと言で申し上げるなら、心ある読者がかんじていることが、高い視点から格調たかくまとめられており感激した、ということです。
芹沢文学のファンならご一読の価値あり、と私はかってに思っておりますが、みなさま、芹沢光治良記念室(中央大学文学部 文学科国文学専攻 渡部芳紀研究室)で講演録をご覧になれますヨ。
(大阪府大阪市 稲生恵道様)
[42] 野乃宮紀子氏「人間の運命の魅力について」聴講メモ 2003.7.17
先日(7/12)にサロン「マグノリア」において、「解釈と鑑賞」に執筆されている「野乃宮紀子」様の、「人間の運命の魅力」についての講演内容と感想を報告させていただきます。
(神奈川県横浜市 池田三省様)
[41] Re:「芹沢光治良氏のこと」 2003.6.22
遠藤周作氏のこの小品は珠玉の文ですね。
冬のパリで、中年のフランス女性から問い掛けられる……
「日本人ですか……。私はムッシュー・セリザワの『サムライの後裔』を読んで非常に感動したのだが、他に彼の小説で仏訳か英訳の出ているのを御存知ありませんか」
遠藤氏は言う「これが作者の御住所です。おそらくあなたが手紙を出されたら、必ず御返事を下さるでしょう」
その婦人はとても嬉しそうに礼を言って去って行った。私も我がことのように嬉しかった。
遠藤氏は先生の最初の作品集「芹沢光治良自選作品集」(宝文館S32年刊)全6巻の解説をなされています。あとがきで先生は次のように書かれています。
「最後に、私の最も信頼をよせ、将来を期待する批評家で同時に作家である若い遠藤周作君が、この選集の解説の労を引受けて下さったことは、それだけでも、この選集を出す意義があったと、私は喜んで感謝している。遠藤君は信仰や病気や留学地などいろいろの点で、共通なところがあり、私の作品の長所や欠点を恐らく一番知ってくれるだろうから、近親感をいだくとともにそれ故に又或る種の畏れをいだいている。
1957年 春 芹沢光治良」
(愛知県豊橋市 後藤一男様)