デビューから10年目までの作品です。自分のスタイルを確立するために様々な様式にチャレンジしている姿勢が伺えます。(掲載作品数:129)

タイトル 初出日 初 出 初刊日 初 刊 本 入手可能本
備 考 / 書 評
ブルジョア 1930/4 改造 1930/7/3 『ブルジョア』改造社 『芹沢光治良文学館9』新潮社
 デビュー作。結核都市コーを舞台に、肺病の夫と看病する妻の心身の苦悩を描いた。処女作にして、作者らしい洞察力で人物が細やかに描かれており、以後と異なるのはドラマティックな作風だろうか。
 実際のコーは観光地で「結核患者お断り」という札がどこにも貼ってあったことから、それを揶揄するように結核都市にした。作者は仏留学から帰国後、養父の別荘に落ち着いていた時に雑誌『改造』の懸賞小説募集の記事を見て、当時死病と言われた結核から生きて生還することができたのだから、好きなことをしようと、我が身を試すつもりで、1週間で書き上げて応募した作品。見事当選した懸賞で軽井沢に別荘を建て、毎年夏になるとそこで療養し、長寿の基礎となる身体を作ったことを考えると、この一連の流れが天の計らいのように感心させられる。
我入道 1930/9 改造 1933/7/7 『明日を逐うて』改造社 『ふるさと文学館第26巻静岡』ぎょうせい
 発動機船の導入をきっかけに貧しい漁村に革命が起こった様子を描いている。我入道とは、作者の生まれ故郷であるが、若い日、相談に乗った若い漁師達との交流から生まれた作品だと思われる。昔仮名使いの文章は、現代人には読みづらかったが、この作品をきっかけに朝日新聞社の部長の目に留まり、夕刊連載が始まったのだから、当時読めばまた違った感があるのだろう。
文学を志す若い人々へ 1931/3/23 帝国大学新聞 1942/12/30 『文学と人生』全国書房 『芹沢光治良文学館11』新潮社
 文学を人生と捉えて志す若者3人との書簡集であり、興味深い。作者の手紙は文学を越えて、人生そのものに対する姿勢を訴えかけるようにひびく。その中に「病むまでは自然に興味もなかった」という記述があるが、大自然を友のように暮らした作者でも若い頃はそうだったのかと意外な感がある。
明日を逐うて 1931/4/16 朝日新聞 1933/7/7 『明日を逐うて』改造社 『芹沢光治良文学館9』新潮社
 1931/6/13まで夕刊に連載。セーヌ川を挟んで左岸と右岸で貧富の差がはっきりと区切られたパリ。フランの暴落、吹き荒れる共産主義の嵐の中、左岸に住む日本人画家夫婦は、明日を逐う時代にのみ込まれていく。
 『ブルジョア』は、短いセンテンスでカメラのシャッターを切るような文章で、当時その新鮮さが一部に高い評価を受けたが、本作は連載小説ということで、その特徴が強く出ているようだ。この作品により講義をしていた中央大学を追われ、本格的な作家活動に入るきっかけとなった。
ケッセルと私※ 1931/5 新化学的
アパートの英雄※ 1931/6 新潮 1934/4/18 『物體ないご時世』改造社
1931/8 改造 1933/7/7 『明日を逐うて』改造社
 『ブルジョア』と同じ短い文体が、ファシズムを強調するのに役立っているようだ。ファシズムの黒い恐怖は凄まじいが、この後、ファシズムについて書いていない所を見ると、日本も10年後には同じ恐怖に包まれるとは想像もしなかったのではないだろうか。
 イタリアに投獄された許嫁を追ってきたパリ女は、街一面を覆った黒服の男達に圧倒される。街頭には女も子供の姿も笑顔もない。女はムッソリーニの暗殺を企てるが――
風※ 1931/8 改造 1933/7/7 『明日を逐うて』改造社
一時咲きの花※ 1931/9 若草
誤解? 1931/11/1 セルパン 1934/4/18 『物體ないご時世』改造社
 医者の真野はパリで結核の研究をしていたが、ある靴屋の老人に興味を持ったことから、イボンヌという娘と知り合う。その後、イボンヌは結核になって、真野は彼女を療養所に送ろうと決めるが――。
 この小説のテーマは巻末にあるとおり、「一人を一時的に救っても何にもならない」ということだが、若い男女にはそうした間違いがよくあるものだという戒めだろうか。
物體ないご時世※ 1931/11 『勿体ない御時世ですよ』婦人サロン 1934/4/18 『物體ないご時世』改造社
赤坊をつれて※ 1931/11 『子を連れて』近代生活 1934/4/18 『物體ないご時世』改造社
聖母像※ 1932/2 新潮 1934/4/18 『物體ないご時世』改造社
『明日を逐うて』の続編。
ぬかるみ※ 1932/3 文藝春秋 1934/4/18 『物體ないご時世』改造社
『明日を逐うて』の続編。
「ブルジョア」の出来るまで※ 1932/3 近代生活 1933/7/7 『明日を逐うて』改造社
時を歩む子等 1932/3/31 都新聞 1933/2/20 『時を歩む子等』春陽堂
 6/16まで連載。7年ぶりにフランスから帰国した平井は、時代遅れな日本に絶望していたが、そこにパリ女にも引けを取らない洋装の女を見い出す。その女マユミは偶然にも、親友杉の幼馴染みだったことから縁ができて――。
 面白いのは作者を分断したような平井と杉である。帰朝した平井は小説家を目指し、杉は貧乏故に農商務省で日本を裨益する人物になろうとする。もう一人の主人公マユミは平井を選ぶのだが、それはある意味作者の選択のようでもある。
信者※ 1932/4 『鴉片』改造 1933/7/7 『明日を逐うて』改造社
聖処女像
(聖女像)
1932/5 令女界 1939/1/13 『青空日誌』春陽堂
 主人公の画家は、個展に出品する作品を描くために、スペインのトレードに出かける。そこでは町中の未婚の男女が毎日決められた時間を公園で過ごして、その中から生涯の伴侶を決めるという珍しい光景が繰り広げられて――。
 作者は、この様子を離婚を禁じた旧教の知恵と書いているが、アメリカでは4組に1組が離婚するという現在では、より意味を深くする感がある。日本でも離婚は増える一方だが、結婚とはそんな簡単なものに成り下がってしまっただろうか。現代の若い男女は相手をよく知らずに交際してはすぐに別れるという繰り返しだが、この当時のスペインの若者たちのように、相手と心ゆくまで議論を重ねて、お互いを知り合って後、結婚相手を決めるような賢明な教育はできないものだろうか。
バルザック・人と芸術 1932/7 改造 1941/12/11 『随筆 収穫』東峰書房 『芹沢光治良文学館11』新潮社
 初めての随筆集『収穫』に収録された随筆。尊敬する近代文学の祖・バルザックについて書いた。
 この書評を書くには、バルザックを読むことが必要だが、なにしろ大伽藍で取りかかれていない。
昼寝している夫 1932/8 日本国民 1933/7/7 『明日を逐うて』改造社 『芹沢光治良文学館9』新潮社
 病み上がりの身体と格闘する主人公杉と、その苦悩を共にする妻ヨシ子の物語。身体と愛情とを計りに乗せるような夫婦生活の苦悩が描かれている。
 作品の最初の方に残る短いセンテンスも、後半になるとすっかり影をひそめ、文体は徐々にではあるが洗練されてきている。文章に著者らしさを感じさせる初期の秀作。
椅子を探す 1932/12 改造 1933/7/7 『明日を逐うて』改造社 『芹沢光治良文学館9』新潮社
 『昼寝している夫』の続編。肉体の愛に満たされた妻ヨシ子は、新たに物質面での不満を強くする。タイトルの椅子とは、ヨシ子にとっては社会的・経済的安定であり、杉にとっては小説である。2人はその椅子を探して、自らに革命を起こしていく。
 作品の最後で披露されているキュールでの心象風景は、作者がスイスの療養所で実際に経験したものであろう。
東と西※ 1933/3 経済往来 1933/7/7 『明日を逐うて』改造社
橋の手前 1933/4 改造 1933/7/7 『明日を逐うて』改造社 『芹沢光治良文学館9』新潮社
『昼寝している夫』『椅子を探す』と共に初期の三部作と呼ばれる。ファシズムの嵐が吹き荒れる前夜だろうか。共産党の弾圧が始まり、党員の潜水活動が進む中、その活動に加われない性格の弱い者を『橋の手前』と揶揄する流行言葉に使われた作品。
 精神的には共産主義に近い主人公杉野だが、自分の健康状態を自覚して、筆によって、この嵐の時代の記録を残すことが、自分に課せられた使命であると耐え忍ぶ。
 この作品を含め初期の秀作には、女性の切なさを題材にしたものが多い。作家としての作者は、男性よりも女性に関心が高かったのではないだろうか。
風が吹く※ 1933/4 黄道
痩馬※ 1933/5 経済往来 1934/4/18 『物體ないご時世』改造社
鎧※ 1933/8 新潮 1934/4/18 『物體ないご時世』改造社
朝顔※ 1933/9 令女会
巴里よ・さよなら 1933/11/1 現代
 メーデーに3年ぶりにパリから帰国する武内教授は、帰国のためのトランクを買って部屋に戻った。部屋には愛人のマルトが待っていたが、武内の愛を疑っていなかったマルトは武内に妻子があると知って激怒する。
 本作では部屋の窓の向こうにいる植木屋がアクセントになっている。植木屋が沢山の窓の中の出来事を見知っていて、人生の達人のような位置で描かれているのがおもしろい。
フランスで文壇に出るには 1933/11 文芸 1943/4/30 『文芸手帖』同文社 『芹沢光治良文学館11』新潮社
 作者はこのテーマに無知であったため、B先生(アンドレ・ベレソール)とジャック・ルクリュに聞いた話をまとめている。
 フランスで文壇に出るには、金があるか、名門の出であるか、よい関係を持つか、の3つのどれかを備えていなければならない。作者はルクリュの元で出会った中国人チャンチャンの例を出して、それを説明している。
虫のついた大黒柱 1934/1/1 文芸 1934/4/18 『物體ないご時世』改造社
 「また旦那が浮気を」妾のおつねが夫人に難題を持ちかける。それを端で聞かされた息子は母の不甲斐なさに苛立って――
 この作品には、作者の得意とするバルザック風な人物書き分けがよくできていて、主人公が秋子からおつね、おつねから恒夫へと変わる様が面白い。また作者の実生活の義母に対する愛情も垣間見えて、息子の恒夫には作者自身の感情が隠れて見えるが、如何であろうか。
伯父さんの書斎で見たジード 1934/1 『伯父さんの書斎で最初見たジード』文芸 1941/12/11 『随筆 収穫』東峰書房 『芹沢光治良文学館11』新潮社
 伯父さんとはアンドレ・ジードの伯父シャルル・ジードのことであるが、作者は経済学者であるシャルルの方に先に知り合った。シャルルは当時、作者の師シミアン氏と両輪を成す経済学者で、親しくしたが、結核に倒れ、作家になろうと決めたとき、シャルルの書斎で甥のジードに初対面できたわけだが、ジードの「背徳者」に深い感銘を受けていた作者は、緊張で言葉もうまく出なかったらしい。
大空に翔けん※ 1934/1 作品社 1938/10/19 『大空に翔けん』作品社
物欲※ 1934/1 行動 1934/4/18 『物體ないご時世』改造社
デコブラ会見記 1934/2 文芸 1943/4/30 『文芸手帖』同文社 『芹沢光治良文学館11』新潮社
 欧州一の流行作家であったデコブラとの会見記。
 芹沢氏の興味は通俗小説にはなく、本格的な小説を書く気はないのかと問いかける。デコブラは、まだ見たい土地、人々がいるから旅行をして、晩年にそれを書くつもりだと答えたが、常にそれを書いている芹沢氏は満足しなかったようだ。
ケッセルの思い出※ 1934/2/10 文藝評論
老父二人 1934/4/1 新潮
 小説家杉は養父の建ててくれた洋館で落ち着かない日々を過ごしている。養父は議会の為に屡々上京して宿にするが、そこへ実父が初めて訪ねてきて養父と対峙する。
 老父とは杉の実父と妻の実父のことだが、年寄り二人を「身勝手」という位置に置いて、その身勝手さに眉間に皺寄せることなく「おかしさ」で締めくくる辺りに本作の真意があるようだ。
モン・ブランへ※ 1934/4 『物體ないご時世』改造社
借りピアノ※ 1934/4 『物體ないご時世』改造社
蝕枝※ 1934/4 『物體ないご時世』改造社
異邦人 1934/4 行動 1940/11/20 『沈黙の薔薇』萬里閣
 ロシア人のルネを女中に伴って南仏に避暑に出かけた吉野夫妻は、イタリア人と共産主義を嫌う村人達に監視されるような羽目に落ちた。その上ルネはオムレツしかつくれないで辟易したが、そこに旧知のドイツ人のベニシ夫人が加わって――。
 この頃の欧州を書いた作品は、初期のような仏文体の香りは消えて自然である。それにしても同時期に書かれた日本が背景のものと比べて、作者の肩の力が抜けている具合と言い、作品全体が明るくて、その違いは当時の日本と欧州との差であろうか。
松柏苑 1934/5 改造 1937/9/20 『盛果』竹村書房
 松柏苑の次男春次は、長男の幸一夫婦が帰ってきて、家を掻き回されるのに恐れを抱く。そしてその不安通りに、幸一は名園と称された庭の盆栽を売って、家の建て直しを図ろうとする。
 この作品には善人が出てこない。『鈴の音』もそうだが、庭を題材にすると、作者はどうもシニカルになるらしい。こういった反面教師的な作品は、この作者には似合わない気がするが、他の読者はどう思われているであろうか。
ボアロー街の製本屋 1934/7 書物評論 1943/4/30 『文芸手帖』同文社 『芹沢光治良文学館11』新潮社
 当時、フランスの本は仮綴りで、自分で表紙を装丁したらしい。その為の専門の製本屋があって、作者もそれを楽しんだ。製本屋は日本には無かったから、染物屋に例えているが、現代にはそのどちらの習慣も残っていない。少し寂しいような気もする。
自己を語る 1934/10 文芸 1943/4/30 『文芸手帖』同文社 『芹沢光治良文学館11』新潮社
 作者が書いた初めての自伝であろうか。
 生まれてから、作家になるまでの道のりを簡単に振り返っているが、伊藤公の国葬の日に岩崎先生がした訓話が無かったら作家にはならなかっただろうと、二晩眠れなかった興奮を伝えている。
塩壺 1934/11 改造 1937/9/20 『盛果』竹村書房 『芹沢光治良文学館9』新潮社
 ふとしたきっかけで労働に意欲を無くした弁護士が、深閑とした森の中の薄暗い温泉で、強靱な肉体と精神を持った男に出逢い、惹かれていく。
 ふたりの友人の杉という小説家が、病気に負けずにもう一仕事しなければ決心する場面があるが、当時の作者の心情であろう。
グレシャムの法則 1934/12/1 行動 1937/9/20 『盛果』竹村書房 『芹沢光治良文学館9』新潮社
 「悪貨は良貨を駆逐する」という法則を二人の医者になぞらえて表現した作品。当時バルザックの翻訳をしていた作者が、その手法を真似て書いた。実際書き上げてみるとバルザックとは程遠いものになったと後に述べている。
 脳の研究を本業とする医師深水は、格好も仕草も地味で、投薬も必要以上に行わず、口数も少ないが、腕の悪い山田医師は、全くその逆で何事にも派手で、商売上手である。ビジネスならば、それも非難されないが、人の生命を預かる医療業界では意味が違ってくる。しかし、見る目のない患者たちは、他の商売と同じように悪貨の医師を選んでしまうのだが、この事は、生命を大事にしない日本人に対する、作者からの忠告であるようにも受け取れる。
或る街の性格 1935/1/1 新潮 1940/11/20 『沈黙の薔薇』萬里閣
 全くただ街(中野だろうか)の様子を描いただけで、時代の異なる今では決して面白い作品ではない。ただ電気ブランという名前が出てくるが、このお酒を置いてある店を今でも1軒だけ知っている。浅草の「神谷バー」だ。こちらは有名なので、昭和の雰囲気を味わいに行ってみると面白いかも知れない。
小役人の服
(洋服)
1935/2 文芸 1937/9/20 『盛果』竹村書房
 50を過ぎた横山は、今度の省庁統廃合で暇を出されるのではないかと畏れていた。そんな折り、課長から背広を作るように勧められ、勤続のお墨付きではないかと期待したが――。
 小役人の服に旧世代の嘆きを映した小品。背景は作者が事務官をしていた経験の名残だが、内容は自分より上の世代への仄かな愛情を感じさせる。『魚眼』では『洋服』と改題されている。
風跡 1935/6/1 中央公論 1937/9/20 『盛果』竹村書房
 杉野の弟民三が思想問題で拘留された。しかし、それによって杉が見たものは、変わってしまった旧友と、落ち着いた妻の態度だった――『橋の手前』の続編。
 思想の暴風が過ぎた跡が杉野のこころに落としたのは、喜ばしい変化であったか、それとも冷たい心残りであったのだろうか。
選手 1935/6/1 行動
 役所で高官となった金井の元に、かつての同僚の美しい妻が現れて、夫を侮辱してくれと依頼する。夫は留学から帰国して、仕事もせずに本ばかり読んでいる毎日で――。
 夫のモデルは作者自身だが、廃人の如き待遇の作家である自虐も込めて、出世を追うだけで精神活動のない男と対比させ、2種類の人間のどちらを良しとするのか、世間に問うたのかもしれない。
女鏡 1935/9 改造 1937/9/20 『盛果』竹村書房
 学生寮の寮母をしていた叔母が倒れ、代理としてやって来た幸子は、寮を閉鎖しようと考えていたが、若い学生達のこころの悩みを知って、暫く続けてみようと考えた。
 大学生とマドンナを描いた小説らしい小説だが、こんな試みも初期にしか見られない。
春箋 1935/9/21 都新聞 1936/7/5 『春箋』明光社 『芹沢光治良文学館8』新潮社
 1936/3/19まで179回連載。初の長編小説。新聞連載で毎日必ず書いたが、今日は勝った、負けたと闘いのように楽しみながら書いた。様々なタイプの女性の恋愛模様を当時の女性の生き難い社会情勢の中で描いている。
 親に見合いさせられた美枝は、恋人毛利を追って名古屋から上京。毛利の友人金子の従姉妹の照子の庇護の元に生活を始める。だが毛利の心は既に美枝を離れて――
 本作を読んだ方は、美枝の感情的なことと、思慮の足りないことを笑うだろうが、婚約者の秋見もまた美枝と変わりなく愚かなことに気づくだろうか。理知的で冷静に見えて、美枝の本質を見ず、美枝を救えると自惚れるところは恋は盲目である。
はたちの感傷 1935 労働雑誌 1940/11/20 『沈黙の薔薇』萬里閣
 養母に恋をした青年の感傷を描いている。若さを表現しようとしたのか、文体を全て現在進行形で書くことを試しているが、この後、同じ作風を使っていないことから、自分には合わないと感じたのだろう。
童心 1935? 1943/4/30 『文芸手帖』同文社 『芹沢光治良文学館11』新潮社
 8歳になった長女が、尼さんに甘えたいばかりに、「忘れました」と書いた答案を出して、作者は結核で子供を他人の手に預けた記憶が、苦く思い出される。
 5月4日に生まれたために、「柏餅」とあだ名されたのが嫌で、子ども心を苦しめたが、長女の幼い記憶にも、親と離れて育てられた記憶が悲しく残るのではないかと憂えている。
一枚のハガキに載った記念 1936/3 若草 1940/11/20 『沈黙の薔薇』萬里閣
 作者が妻の立場になって、一枚の年賀状から、フランスでボングラン夫人の両親、アベール夫妻と過ごした想い出を回想する。
 当時のフランスには持参金という制度があって、女はこれが無いと結婚できなかった。だが、持参金がある為に、女の老後が幸福で、男の老後が不幸であるというのもおかしなものだ。
部落はずれ※ 1936/3 新潮
崖にかかった女 1936/4 文芸 1940/5/21 『愛すべき娘たち』鱒書房
 登美は結婚して着物と食物の話で一生を終えるのが嫌で、志を持って託児所の先生になったが、貧困と汚辱の暮らしの中で、心は疲れ果ててしまう。
 貧乏人はどうすれば幸せになれるのだという悲鳴が聞こえてくるようだが、貧困のない現代で、登美の気持ちに心を合わせるのは難しい。現代には意地の悪い春子はいても、長屋にお菓子を落として貧乏な子供達が蝟集するのを楽しむ令嬢はいない。内容は『春箋』の影響が色濃い。
選挙雑感 1936/4? 1941/12/11 『随筆 収穫』東峰書房 『芹沢光治良文学館11』新潮社
 作者は義父が選挙に立候補したことで、その裏側を知りたいという欲求が出て、名古屋に行ってしまう。その為に、演説を頼まれて、身体に無理をしてしまうが、そのお陰で、健康を計ることができたというのは、果たして強がりではないだろうか。
大鷲 1936/5 改造 1939/9/25 『眠られぬ夜』実業之日本社
 中京の毛織会社社長藤田は、その地区の政権党支部長から代議士としての出馬を要請される。出馬を巡って繰り広げられる人間模様を、娘の登和子は穢らわしいものを見るようで落ち着けない。
 この作品は、タイトルからすると主人公は藤田だが、夫人の秋子でも、娘の登和子でも主人公にして物語が書けそうである。実際、作者も本作を元に長編を書きたいという希望を持ったようだ。短編にこれだけの人を書き分けるのは、この作者ならではという感がする。
梅の花枝 1936/6 新評論 1937/9/20 『盛果』竹村書房
 娘を伴って妻の実家に帰省する際の電車の中で見た光景を描いた随筆に近い作品。宮様かと疑うほどの大袈裟な送迎で乗り込んできた夫妻は、新任の県知事であった。見送りの者より渡された梅の花を網棚に忘れていくことから、そんな知事に執政を任せる県民は不幸では無かろうかと憂う風刺小説である。
櫻の散る頃※ 1936/6 東陽
父の胸像 1936/7 日刊文章 1940/10/20 『若き女の告白』河出書房
 3人男の子がある家で、長男は父の希望通りの官庁勤め、次男は教師にはなったが小説を書いている、三男に至っては彫刻を志し、自分の意に添わないままに脳溢血で急死する。その父の胸像を造るように三男に依頼が来るが――。
 三男が胸像を造れなくて焦慮する終わり方が、どうも中途半端に思えるのだが。
石をもて誰をうつべき※ 1936/7 文芸春秋
コクトオと一晩 1936/7 文芸 1941/12/11 『随筆 収穫』東峰書房 『芹沢光治良文学館11』新潮社
 作者はコクトオが急遽来日して、慌ただしく迎える役を仰せつかる。嵐のように訪れて、嵐のように騒々しく歓待されたコクトオと別れて、歓待役の林芙美子と新聞記者の3人で料亭で一息をつく。パリの横光の噂などしながら――。
 いつもより社交的でシニカルな作者は、以前のデコブラの来日記と比べて、コクトオの来日記を楽しみにしているという辺りに若さを見るが。
大佐と少佐 1936/9 新潮 1937/9/20 『盛果』竹村書房 『芹沢光治良文学館9』新潮社
 汽車で偶然隣り合った軍人に仄かな愛情を抱いた女性の秘めた心理を描いた作品。『春箋』の後に書かれたからであろう、短い物語の中に見事に清々しい女性心理が描かれている。
 戦地の夫と内地の妻の間の仄かな愛情に、戦争中だからこそ汚してしまいたくないこころを持とうとする婦人は、見知らぬ土地の駅の手洗いに夢をかける。読者は、この婦人を不実であるととるか、魅力的に感じるかに大きく別れるのではないか。
習俗記 1936/10 改造 1940/10/20 『若き女の告白』河出書房
 高校の同級吉田が「母を殺した」と言って飛び込んできた。吉田の両親は天理教に生涯を捧げた家であったが、母が病に倒れても病院に診せもせず、身内の信者に地獄の苦痛のような「お授け」をされながら死んでいったのだ。
『秘蹟』のきっかけとなった天理教を批判する小説とは本作のことだろう。作者と同じ立場の吉田に自分を重ねたが、教団を批判しても、信者を庇う様子に作者のこころを探るべきである。
秋箋 1936/10/8 都新聞 1937/6/20 『秋箋』竹村書房 『芹沢光治良文学館8』新潮社
 1937/4/11まで183回連載。『春箋』の最後に予告されたとおりに始まった、結婚した美枝と秋見のその後だが、美枝がただの女であったために秋見の理想が崩れて、そこに理想のような女性が現れたことから、二人の間に溝が深まっていく。
 春箋にも増して様々な登場人物があるが、女達のタイプは感情的な者と知的な者の二つに大きく別れている。春箋と変わらず作者には珍しい純粋なラブストーリーだが、物語が事件的であるのは新聞小説だからだろうか。
黒痣※ 1936/12 文芸
故郷の海邊で 1936 1937/9/20 『盛果』竹村書房
 外交官の杉田は、父の葬儀から抜け出すように近くのホテルに来た。幼い頃から宮様の付き人が泊まると噂だった憧れのホテルは、畳も黄ばんで侘びしい民宿のようだ。風呂に入って、背中を流しましょうと入ってきた三助は、昔の自分をいじめたガキ大将であった。
 実母の葬儀に出た際に浮かんだ物語だろうか。作者の作品にはたまにこうした巡り合わせの不思議を扱ったものがあるが、主人公に気安く声をかけさせないところが、この作者らしさかも知れない。内容から本作は『黒痣』の改題かも知れない(未確認)。
人間の裸体 1936? 1941/12/11 『随筆 収穫』東峰書房 『芹沢光治良文学館11』新潮社
 幼い頃の見た婦達の醜い裸の記憶から、渡欧して完全なる美しい彫像を見るまでの作者と裸体の歴史を描いている。
 芹沢氏は女性よりも男性の裸体を好んだようで、自分が女性だったらダビテ像に恋をしただろうと書いている。
青春はなかった 1936? 1941/12/11 『随筆 収穫』東峰書房 『芹沢光治良文学館11』新潮社
 同窓会で、仲間が青春を取り戻したいと嘆くのを聞いて、自分には青春そのものが無かったと振り返る。
 闘病前に訪れたスイスで、欧州中の若者達が登山を楽しむ姿を見て、それこそが青春だろうと思ったようだが、現代の若者は如何様にも青春を楽しめる時代で、そのように自然と触れ合い、仲間と交流するという青春はあまり興味がないようだ。
春宵独語 1936? 1941/12/11 『随筆 収穫』東峰書房 『芹沢光治良文学館11』新潮社
 日本でマリ・ベルの映画が上映されることになって、作者の記憶がフランスに戻り、マリ・ベルと老批評家の映画芸術論対決が思い出された。
 渡欧時、フランスではマリ・ベルとマドレヌ・ルノーという二人の女優が国立劇場で若者の人気を二分していた。芹沢氏もその魅力に捕まった一人だが、久しぶりに彼女に会えるというので、青春が蘇ったようだ。
鈴の音 1937/1 新潮 1937/9/20 『盛果』竹村書房 『芹沢光治良文学館9』新潮社
 『人間の運命』に登場する田部氏の別荘で実際に働いていた昔気質の老人をモデルに描いた、江戸時代の怪談物のような余韻を残す作品。この頃作者は短編を多く書いているが、それぞれ異なったスタイルを試して楽しんでいるようだ。
 主人公の老人は、植木ばかりを相手にして、人間と関わっていることを忘れている。そういう意味では、面倒を見るのが嫌だからとあっさり解雇する雇用者の主人と大した変わりはないようだ。
スイスの雪 1937/1 ホーム・ライフ 1943/4/30 『文芸手帖』同文社 『芹沢光治良文学館11』新潮社
 帰国した横光利一にスイスの話を持ちかけられて、作者の胸に遠い波音が響くようにスイスの町並みが蘇る。
 コー、グリヨン、モントルー、レマン湖にオートサボアの山々――スイスでは結核の治療に雪のある地域を選ぶが、日本ではその逆だとして、再考を求めている。
青空日誌 1937/1/1 新女苑 1939/1/13 『青空日誌』春陽堂
 新女苑に14回連載。毛利万里子は父の遺骨を持って母とフランスから帰国する。港に迎えた親戚たちの後ろには、ドイツにいるはずの関口博士が居て、万里子は母と関口の関係を疑い始める。そこへ巴里の友人アンナが来日して、大きな野心を持ち込むが。
 物語は万里子と中国人アンナを柱に、日中の関係改善を希望して描いていることは明白である。女性誌であるから、年頃の娘の恋愛小説として書き始めたが、執筆中に日支事変が起きて、その動揺がストーリーにも影響を与えたのではないだろうか。作者の意志を万里子よりもアンナに語らせているのは、民族の壁を壊すことを意識したのかも知れない。
皮膚 1937/2 中央公論 1940/10/20 『若き女の告白』河出書房
『習俗記』の続編。吉田の弟五郎は天理教から心身共に離れる決心をして上京したが、思わぬ事故から病に落ち、望まぬ故郷に帰ることになる。迎えに行った吉田が見たものは、再び信仰に戻った五郎の姿だった。
 この頃の作者は本気に天理教と対決していたようである。この内容では、教団での実父母の肩身は確かに狭かっただろう。その作者がいつの頃から教団と争わず、自分は信仰しないまでも、認める気になったのか、そのこころの変遷が気になるところだ。
少女レビューと女性 1937/3 文学界 1941/12/11 『随筆 収穫』東峰書房 『芹沢光治良文学館11』新潮社
 女性が宝塚に夢中になる理由を分析しているが、当時は皆着物で出掛けて、拙い演技に溜息し、知的な娘はおらず、これが趣味な娘と結婚するのだけはご免だと辛辣だ。
 私の友人にも宝塚ファンがいるが、時代が流れても女性しか見ないところは変わっていないようだ。ただ、芹沢氏が願っている男女共に楽しめる娯楽が増えたので、その絶対数はかなり減っているようだが。
試験雑感 1937/3? 1941/12/11 『随筆 収穫』東峰書房 『芹沢光治良文学館11』新潮社
 この当時、試験にも家柄、つまりコネが通用していたらしい。大企業や中央官庁には、そのコネがないと入れなかったと言うが、その不平等が解消されたのはつい先日のように思える。しかし、今なおそのコネがまかり通る所もあるようだが。
愛情の蔭に※ 1937/4 文学界
愛情の蔭 1937/5 都新聞 1939/5/19 『愛情の蔭』改造社
『秋箋』の続編。秋見夫妻の長男正一は、父の日記から自分の出生の秘密を知り、家を出てしまう。友人清木の紹介で帝大助手の久保次郎に住み込みで雇われる。二人が兄弟であることは、次郎だけが知り、婚約者の成瀬蓉芙に正一を託して出征するが、正一は蓉芙に惹かれていき――。
 前作で書き残した「親としての女」を書こうとしたのだろうか、バルザック的手法はそのままだが、主人公の比重は、息子達の世代にシフトしている。前二作よりも展開が落ちついて、人物の精神を崇高に描いているために、読み応えがある。正一が助かり、次郎の笑顔で物語が終わるのも、3つの長編小説を書き続けた作者らしい幕の引き方だろう。
天蓋のもと 1937/6 改造 1940/11/20 『沈黙の薔薇』萬里閣
 夫の残した会社をきりもりする常子には、支配人林田と主任の野村の派閥争いが唯一の気がかりだった。そんなとき野村派の息子の一郎と林田が衝突して、林田が事故死する。
 本作の登場人物は、昔気質の林田、経営者然とした常子、単純な一郎、一途なつる子とわかりやすいのだが、野村だけが先鋭的な主任から古風な支配人と変貌する様が面白い。極端に言うと、ひとは善と悪を内包しているということを教えてくれる。
官吏と芸術 1937/6? 1941/12/11 『随筆 収穫』東峰書房 『芹沢光治良文学館11』新潮社
 能商務省に勤めた経験から、このテーマを書けと話が来て、自負心の強い官吏と文学への無知について辛辣に書いている。
 まだ戦争が影を落とす前であろう。芹沢氏には理想も夢もあっただろうが、それが全て戦争により無くなったり、実現されたりした。そんな感慨だけが起こるのだが。
クウルベの伝記 1937/7 婦人之友
 この作品は小説ではなく「子供のための新偉人伝7」となっているから、伝記シリーズのひとつなのだろう。色々な作家が書いたのだろうか。タイトルにあるとおり画家クウルベの伝記ではあるが、クウルベのひととなりを語る言葉に、作者の若き日の人間性が実によく現れている。
新しい秩序 1937/7? 1941/12/11 『随筆 収穫』東峰書房 『芹沢光治良文学館11』新潮社
 戦地で人間が動物と化し、平然と殺戮が行われる現状を見たが、それをそのまま伝えられないために、平和を愛する知識人が、この間違った方向から抜け出すために立ち上がるべきだと、強い調子で訴えている。
この秋の記録 1937/11 文学界 1939/7/11 『愛と死の書』小山書店 『芹沢光治良文学館1』新潮社
 実子のように可愛がってくれた小父が癌を宣告される。小父は死を前にして、愛人のあったことを打ち明ける。
 実母の死を契機に愛と死について作品を書こうとしたが、なかなか書けないで悩んでいる時に小父の死に会い、その衝動を書いた。小父の愛人として登場する女が、主人公に独白する部分を書いて、前者の作が書けると思い、そこで筆を止めたので、本作は尻切れトンボで終わっている。
 実母と父よりも愛情を感じていた小父のふたりの親しい者の死に直面して、作者は自らの闘病を振り返り、生と死についてふたたびこころに問いかけたのではないだろうか。本作から『或る女の位置』『愛と死の書』への流れは、自分自身へ出したその回答でもあるだろう。
或る女の位置 1937/11? 1939/7/11 『愛と死の書』小山書店 『芹沢光治良文学館1』新潮社
 小父の愛人は、小父に会わせて欲しいと妻に手紙を送るが黙殺される。愛人は、その悔しさから小父を心に生かすまでの変遷を綴り続けた。
 『この秋の記録』の後、『愛と死の書』に取りかかったが、女主人公を一人称で書くことに苦慮した。本作はその練習としてデッサン的役割で書かれた。『この秋の記録』で登場した小父の愛人の手紙と独白で構成されている。そのスタイルを読めば、本作が愛と死の書へと流れていく経緯がよくわかる。
愛と死の書 1937/12 『菊の花章』改造 1939/7/11 『愛と死の書』小山書店 『芹沢光治良文学館1』新潮社
 『菊の花章』、1938/6『霊あらば』中央公論、1938/6『孤雁』改造の3つに第4章を加えて単行本化。外国で胸を患って帰国した妻が、夫、母と次々に親しい人を亡くしていく。舞台は戦時中の日本と中国で、作者はこの作品のために従軍記者として中国に渡っている。この作品を書くために2つの作品を書いていることでもわかる通り、作者にとってはかなりの思い入れで書かれた作品であるが、この死を見つめた女の作品の感想をうまく書くことができない。
 あるいは『愛と死の蔭に』への序章として意義を見つけられるかもしれない。
文学者の対外問題 1937? 1941/12/11 『随筆 収穫』東峰書房 『芹沢光治良文学館11』新潮社
 コクトオの歓迎を批判されたことで、外人崇拝と外人蔑視について反論?を展開している。最後には国内の文学者が冷遇されている悲憤に変わるのだが。
シャルドンヌによせて 1937? 1941/12/11 『随筆 収穫』東峰書房 『芹沢光治良文学館11』新潮社
 作者は気分がくさくさした時はジャック・シャルドンヌの「クレール」を読んだとある。だが、今ではシャルドンヌを手に入れるのは難しい。
 作家が文体を作る苦労を書いているが、『ブルジョア』『黒』でフランス式文体に成功し、『信者』でつまずいて、『時を歩む子等』でフランス風のリズムを無くすことに成功して、その直後に書いた『昼寝している夫』でそれを確かなものにしたと、初期の文体作りについて述べている。
ルポルタージュについて 1937? 1941/12/11 『随筆 収穫』東峰書房 『芹沢光治良文学館11』新潮社
 作家と記者の各ルポの違いについて、作家が書くものは自己に何かを残すようなものでなあるべきだと論じている。
 ここでもジードの「コンゴ紀行」が、その代表として挙げられている。
捨て犬 1937? 1941/12/11 『随筆 収穫』東峰書房 『芹沢光治良文学館11』新潮社
 犬も猫も切なくなるから飼うのが嫌だという作者の家に、一匹の茶色いポインターが紛れ込んで居着いてしまう。子供たちは「オチャ」と名付けて大騒ぎだが――。
 その後1週間で姿を消すこの犬の名前は『乳房』に登場する。
産まれた土地 1938/1 『田園と都会』米穀日本 1947/2/15 『産まれた土地』一聯社
 12月まで連載。農家に産まれた子供等が農業を嫌って次々に家を出る。弟のためにと東京での厳しい生活を耐える主人公の娘は、故郷を嫌うのではなかったが――。
 農村の過疎化が続いている一方、土にまみれて暮らす生活に憧れる都会人も増えている。コンクリートに囲まれた都会では息もできないと空を見上げる日が多いからであろうか。
小説月報 1938/2 文学界 1943/4/30 『文芸手帖』同文社 『芹沢光治良文学館11』新潮社
 義母を亡くした直後の評論で、日本人が死に対して淡泊で潔いことに驚き、その死生観が作家達にも影を落としていないかと疑問を持つ。
 時期も時期であるからか、若さ故という以上に各作家への評が辛辣である気がする。晩年の穏やかな芹沢氏しか知らない読者は驚くかも知れない。
競馬官の頃 1938/3 文藝春秋 1943/4/30 『文芸手帖』同文社 『芹沢光治良文学館11』新潮社
 大正11年に帝大から12、3人の仲間と農商務省に就職し、数年後、最初に競馬官に任官した際の経験談。
 真面目な芹沢氏が競馬に惹かれたことが面白いが、馬との触れ合いの中で何かを感じたのだろうか。
花開く 1938/4/1 週刊朝日 1940/5/21 『愛すべき娘たち』鱒書房
 鶴吉は毎朝通勤のバスの中で会う百合子に、偶然街で会ってプロポーズする。百合子も彼が好きだったが、そんな恋愛を真面目に思えず、見合いして結婚する。そう幸福でもない結婚生活で、子供も出来、引っ越した郊外には彼が住んでいた。
 花開くというのは、女の狂い咲きの花だと最後にあるが、その愚かさもなぜか微笑ましい。この短編には登場人物が2人あれば足りそうだが、最初に出てくるのは女ではなく髭の小父さんである。この小父さんの存在が、鶴吉を身近に感じさせる。
母は死に給わず 1938/4 新女苑 1939/10 『祈りのこころ』金星堂
 書かれた時期からわかるように、母とは義母をモデルにしている。その為、内容的に『愛と死の書』に通じる所も多い。その母に娘を置いて、母を語らせ、義母を惜しんでいるようでもあるが、最後には娘のロマンスで終わっている。若い女性を勇気づけたのだろうか。
村はづれ※ 新潮
 『榎の蔭の女』デッサン。
榎の蔭の女 1938/6 オール読物 1939/9/25 『眠られぬ夜』実業之日本社 『芹沢光治良文学館9』新潮社
 沼津の貧しい漁村で生まれた哀れな女を書いた作品。金も学もない女が体を使い、男を幸福にして戦場に送り出すことで、戦争に参加するような気概を描いている。
 作者の家にもあったという榎は、幼い日の思い出の象徴のようである。
支那の旅 1938/7? 1941/12/11 『随筆 収穫』東峰書房 『芹沢光治良文学館11』新潮社
 『随筆 収穫』では本作以後に「愛する社会」と章題が付いている。
 中国の旅から帰り、現地で感じた感動を日本に帰って伝えることの難しさを嘆いている。それに対して深く思索することも大事だが、感動はその瞬間に伝えるのが、やはりベストなのかも知れない。
日本人の監獄 1938/7? 1941/12/11 『随筆 収穫』東峰書房 『芹沢光治良文学館11』新潮社
 北京に移住した2万人の日本人の内、半分ほどが監獄に入れたいような人々だと現地の監督官は言うが、その意見が少しも建設的でないことを嘆いて、もっと移住民を保護する施策を求めている。
 批判ではなく、相手を理解する愛情と前向きな態度がよく現れている。
支那の子供 1938/7? 1941/12/11 『随筆 収穫』東峰書房 『芹沢光治良文学館11』新潮社
 言葉のわからない筆者は、子供の表情を見ることで、現地人の日本に対する心情を知ろうと努めた。占領されて満足している地方の子供、冷たく黙する北京の子供を比較するように取り上げて、誤った方向に向かおうとする日本の民衆に呼びかけたのだろうか。
支那から帰って 1938/7? 1941/12/11 『随筆 収穫』東峰書房 『芹沢光治良文学館11』新潮社
 中国の土地が豊饒で、農村での兵士が羨ましがっていること、インテリが農村出の兵士よりも強く勇敢であること、兵士が皆活字に飢えていることなどを伝えているが、軍の規制により、肝心の戦争の実情について書けない不満も漏らしている。
幸福の鏡 1938/9/14 中外商業新報 1939/9/17 『幸福の鏡』東亜公論社 『芹沢光治良文学館7』新潮社
 1939/4/19まで連載。「若い娘達は何を考えるか」という副題が付いている通り、卒業を控えた3人の女子大生の思想、生活を描いている。作者はこの3人にはモデルはなく、自分の理想の女性を形にしたと言っていて、実際直子と春子は理想通りの女性であるが、主人公的なトミ子は作者の意を越えて自由に動いたようである。そこが面白いが。
 作品中、作家と登場人物の運命との関係について触れた、とても興味深い記述がある。神とは何であるかわからないという方はこの部分をじっくり胸に広げて考えてみると面白いだろう。
霧の路※ 読売新聞
 『都会の人』デッサン。
都会の人 1938/10 文芸 1939/9/25 『眠られぬ夜』実業之日本社 『芹沢光治良文学館9』新潮社
 軽井沢の別荘地を舞台に、人が何かにつけ心を失いやすいということを純粋な田舎の少年の目を通して警告している。この時期の短編は、先にそのデッサンとなる小品を書いてまで書き上げているだけあって、短い文章の中ですべての登場人物を生き生きと表現している。
 作者は都会育ちの娘を持っていたが、さてどんな立場でこれを描いたのだろう――
小さい運命
(運命)
1938/10 『運命』文学界 1939/9/25 『眠られぬ夜』実業之日本社 『芹沢光治良文学館9』新潮社
 杉信介は自分がなるべきであった漁師を回避して作家になった原因を、幼い日の子守女の息子から聞かされる。恨むべき子守女の立場が、感謝の対称に一転する最後の結末が微笑ましい。『運命』として発表時は3編だったが『眠られる夜』で『小さい運命』となり、その2以降が省略された。だがその2以降には作者の幼い日の心理描写があり、ぜひ読んでおきたい作品である。
 この作者が生まれた明治後期の漁村の描写が、『男の生涯』また『人間の運命』へと続いていくきっかけであるようだ。そういった意味で意義深い作品である。
女の海 1938/10 オール読物 1939/10 『祈りのこころ』金星堂
 けい子は4ヶ月息子を連れて実家に帰っているうちに夫から離縁された。夫の好みな女になろうと、夫の両親が眉をひそめても無視してきたが、その事が原因であった。けい子は息子を再婚した夫に渡し、北京へ旅立つ。
 4ヶ月夫をほったらかした妻を悪妻と見るか、家に逆らえない夫を愚夫と見るか、または、そんな男と見抜けなかった女を笑ってしまうか。しかし、大切なのは、けい子の「海」を頼りに生きていこうとする決意だろう。この短編はドイツ語訳もされているようだ。
日本の種子 1938/12 週刊朝日 1940/11/20 『沈黙の薔薇』萬里閣
 シナで負傷して傷痍軍人となった中川は、兄弟と呼び合った戦友の妹に「妹が不具でなければ嫁に貰ってもらうのだが」との彼の遺言を実行するかのように会いに行く。
 中川の班長が百姓で、中国の百姓に稲の刈り方を教える場面があるが、日本の良い所を植えるのだという呼びかけが、戦争への抵抗であったのだろう。
飛行機から 1938? 1941/12/11 『随筆 収穫』東峰書房 『芹沢光治良文学館11』新潮社
 留学時、4ヶ月掛けて日本に飛んできた飛行機を歓声で迎えたが、それが4日で飛ぶようになった技術の進歩を、複雑な気持ちで迎えている。
 芹沢氏はこの当時、年に春と秋の2回も京都や奈良に旅したらしい。
小説のモラル 1938? 1941/12/11 『随筆 収穫』東峰書房 『芹沢光治良文学館11』新潮社
 文芸時評。小説とは私小説ではなく、作者の成長に値するようなものでなければならない――という持論が展開されている。
 芹沢氏は後に小説を志す人たちへという随筆を書いているが、その最初のようなものか。
浅間山に向って 1938? 1941/12/11 『随筆 収穫』東峰書房 『芹沢光治良文学館11』新潮社
 沓掛という風情のある名称が無くなっていくのを惜しみながら、軽井沢の自然のすばらしさを誉む文章が、いつの間にか自己の健康論になっている。健康であると小説など書けないで、運動で自己表現したくなると言うが、最後には、そうやって疲れて創作に障るのが勿体ないと作者らしい言葉になっている。
白い子犬と首飾り 1939/1/13 『青空日誌』春陽堂
 闘病中にアルプスの吹雪の山で白い子犬に巡り会った夢を見て、当時を思い出している随筆。首飾りは夢の中で犬がくわえてきたのだが、それも亡くなった療友マリアンヌが犬を飼っていて、その犬がしていた首飾りだったらしい。この死者が見せたような夢は、この世の不思議を教えてくれる物語の一つである。
草笛 1939/1 新潮 1939/9/25 『眠られぬ夜』実業之日本社 『芹沢光治良文学館9』新潮社
 占領下の中国に渡って心を亡くした日本人と、そんな中でも純粋な心を失っていない中国の子ども達を描いた作品。
 作者が戦時中の支那(中国)に訪れた時に見聞した様子から創作したものだが、帰国後挨拶に行った軍部の長官に「実際に見聞きしたことを書けば命はない」と脅されて、軍人の行動には触れていない。逆に軍に協力的にさえ見える文章のなかに、平和への想いを乗せているようだ。ただ、あまりに観察者に徹した内容が、当地での悲しみを覗かせているようにも思える。
南寺 1939/3 中央公論 1939/9/25 『眠られぬ夜』実業之日本社 『芹沢光治良文学館9』新潮社
 小説家の春田は、無気力で見る所がないと言われる支那の中に、法隆寺にも劣らない建築物を発見して感動する。そして、子ども達の輝きに、その寺に劣らない理知を見つけ、この国の将来を楽しむ。
 『草笛』のクールさから、より希望的な明るさを持った作品になっている。2ヶ月の間に、自分を取り戻したのだろうか。
春霞 1939/5 オール読物 1940/5/21 『愛すべき娘たち』鱒書房
 大学時代に知り合った賢次としづ子は、卒業と同時に結婚を考えたが、しづ子が気紛れにした見合いで相手を見そめた為に、2人の仲はあっさりと破局を迎えた。
生きる日の限り 1939/5 婦人公論 1939/10 『祈りのこころ』金星堂
 軍事保護院の求めで傷病兵のために書いた作品。小学校教諭の大木玉雄は、応召を前にして同僚の夏目冬子に愛を打ち明けていく。しかし戦地で盲目となって帰国した大木は、苦悩の果てに冬子への想いを捨てて――。
 盲目になった男が、生まれ変わるように苦悩して、人生への新たな希望を見つけていくのだが、作者はそれが物語でなく、傷病兵のこころを動かす真実になってほしいと願ったのではないだろうか。本編はその1とその2に別れて、その2では大木の親戚の娘を主人公にしている。これは後に少女小説を書く走りになっているかもしれない。
眠られぬ夜 1939/6 文芸 1939/9/25 『眠られぬ夜』実業之日本社 『芹沢光治良文学館9』新潮社
 支那の戦地で、文学的な嗜好を持つ青年が、粗野な戦友たちに混じり合おうと努力しながらの戦争体験を日記に綴る。そこにあるのは、後年誰もが考えた戦争という行為に対する思想や批判ではなく、肉親への愛情、友情、社会的責任感、目の当たりにする戦争そのものだけである。
 登場人物達は、生命の危険に晒されたとき、神というか、それぞれの形で信仰を持つのだが、例えば大病を患ったことのある者なら誰しもが経験する感情であろう。
若葉 1939/6 新女苑 1939/10 『祈りのこころ』金星堂
 女学校四年生のくめ子の叔父玉雄は、戦争で失明したが、その運命を受け入れて、戦後の日本の建設に尽くしたいと考えている。くめ子の両親は玉雄に冷たかったが、くめ子は叔父の力になりたいと考えて――。
幼い希望 1939/9 週刊朝日 1939/10 『祈りのこころ』金星堂
 田舎で共に過ごした鶴次郎とうめは、共に勉学を好み、出世を夢見たが、女の意気が生かされる時代ではなかった。
 作品のテーマとしては『榎の蔭の女』に近い。まだ男女が差別されていた時代、女性の社会進出の難しさを描いているが、主人公に幼なじみを救わせようとする終わり方に、作者の若さを感じて微笑ましい。
『眠られぬ夜』のあとがきに「出世譜」のデッサンに「小さい希望」を書いたとあるが、内容から考えて本作の誤りではないかと思われる。
出世譜 1939/9 改造 1939/9/25 『眠られぬ夜』実業之日本社
 明治時代の貧しい漁村に育った少年と少女が、それぞれ出世するのだと大志を抱いて、不幸な境遇にも屈せずに成長していく。
 出世とは何か、幸福とは何か、人生とは何かを少女が悟るとき、この物語は終わりを迎えるのだろう。
競馬官の頃 1939/9/25 『眠られぬ夜』実業之日本社
 浜口は同僚の先陣を切って競馬官に任命されたが、正義心が強いことを上司に嫌われて、左遷される羽目になる。
 タイトルが「僕が競馬官の頃」とも読めるように、この話は作者の経歴とほぼ同じである。官吏というものがどういう職業であるか、その正義心から書いたのであろう。挿話として出てくる遠距離恋愛の苦悩も作者自身のものと思われる。随筆集『文芸手帖』の中に、同タイトルの随筆がある。
樹蔭 1939/10 オール読物 1940/5/21 『愛すべき娘たち』鱒書房
 八重子は和歌の会で知り合った学者の鶴田と3年も恋愛していた。そこに叔母が縁談の話を持ち込んで、鶴田を知る母は相手の気持ちを聞くように心配したが、その心配通り、鶴田には他に親の決めた人があって――。
 八重子に落ち度はない。強いてあげるとすれば、男運がなかったというだけか。ただこのまま和歌を樹蔭として精進する精神があれば、彼女はきっと幸せになれるだろう。
美しき秩序 1939/10/12 婦人公論 1941/4/5 『美しき秩序』萬里閣
 貧しい大学生の松田は青木家に世話になりながら、長女の淑子に思いを寄せるが、仲を取り持ってくれそうな母は急死し、淑子は同じ研究室の神山と婚約してしまう。そして松田の家には、ひょんなことから同郷のつる子が同居するが、研究室の勝又教授の娘磯子は松田に思いを寄せていた。
 あとがきで作者が愛と真実について書いたと言うとおり、作者の全てをぶつけたような登場人物たちである。松田の貧しさ故に抱える苦悩は作者自身の辿ったものであり、若き哲学者の茂の考え方にも作者の理想がそのまま反映されているようだ。愚かなつる子を一番愛して描いていることや、磯子を理想の女性的に描いていることなど、初期の作者自身を一番さらけ出して感じさせる作品である。
祈りのこころ※ 1939/10/20 春陽堂 1939/10 『祈りのこころ』金星堂
驟雨※ 1939/10 『祈りのこころ』金星堂
パリに来た課長※ 1939/10 『祈りのこころ』金星堂
春風秋風※ 1939/10 『祈りのこころ』金星堂
銀線※ 1939/10 『祈りのこころ』金星堂
創作ノート 1939? 1941/12/11 『随筆 収穫』東峰書房 『芹沢光治良文学館11』新潮社
 一生に一度は作者が生まれかわるような作品を書かなければと、作者の創作論の集大成のような言葉が、短い随筆の中で並んでいる。
 そういう作品であると自負する『愛と死の書』の直後に書かれた随筆らしい。文末に今書いているとある長編2作とは『美しき秩序』『命ある日』であろう。
職場にある教え子 1939? 1941/12/11 『随筆 収穫』東峰書房 『芹沢光治良文学館11』新潮社
 一高に入る前、4ヶ月間小学4年生の代用教員をしたが、戦地からその頃の教え子が便りをくれるようになった。作者は教員時代を振り返り、出生する教え子の心理に思いを馳せるが――。
 教え子に恥ずかしくない作品(『眠られぬ夜』)を書いたが、検閲を恐れた編集者に散々に削られた。内容からして、タイトルは「職場」ではなく「戦場」ではないだろうか。

タイトルバックが金・銀のものは当館推薦作品です。ぜひ一度お読みになってみてください。
初出順ですが、初出が不明なものは初刊本の日付を参考にしています。
各空欄はデータ不明です。タイトルの後に※のついたものは資料無しです。作品をお持ちの方からの貸出・提供をお待ちしています。
初出の『 』内は初出時のタイトルです。(タイトルと違う場合のみ)

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