『カンマを伴う分詞句について』(野島明 著)
第一章 「カンマを伴う分詞句」をめぐる一般的形勢、及び基礎的作業

第3節 カンマの有無を契機とする「制限的修飾」と「非制限的修飾」


〔注1-18〕

   「限定的修飾」と「非限定的修飾[叙述]」の区別、あるいは歴史ある表現を用いれば、「外延の制限」と「内包的要素の叙述[表出]」の区別である(残念なことに、学校英文法の世界では用語は統一されておらず、各用語は適切に定義されていない)。前者は「制限的修飾要素」によって、後者は「非制限的修飾要素」によって実現される。

   「制限的修飾」と「非制限的修飾」に関する記述をいくつか紹介しておく(以下には、名詞修飾一般についての記述もある一方、記述対象を関係詞節などに限っているものもあることに注意)。

制限的修飾要素[restrictive modifiers]はある語句の意味を制限し[limits]たり限定し[defines]たりする。それなしには、文は異なる意味を帯びたり、理解しがたくなるであろう。それは文にとって不可欠なので、カンマによって区切られない。……制限的修飾要素と非制限的修飾要素[nonrestrictive modifiers]を区別する際、書き手[writer]は、修飾を受ける語句の特質とその語句が出現する文脈を慎重に検討せねばならない。その語句がそれ自身で十分に制限されており、従って別のものと混同されることがない場合、その語句に後続する修飾要素は非制限的である。しかし、その語句が漠然としていたり、修飾要素なしでは曖昧である場合、(その語句に後続する)修飾要素は制限的である。(P.G. Perrin/Jimmie W. Corder『スコットフォースマン 現代英語ハンドブック 第五版』、11.3…見出し番号)(以後『現代英語ハンドブック』と略記)
   ここでは後置修飾要素(主として関係詞節や分詞句)についてのみ語られ、前置修飾要素は記述対象に含まれていない。

   以下のCGELの記述では、前置修飾要素も念頭に置かれている。

修飾は制限的[restrictive]であったり、非制限的[nonrestrictive]であったりする。修飾が制限的であるのは、主要語[head]の指示内容[reference]が、与えられている修飾によってのみある集合[class]中の一成員であると特定される[identified]のが可能な場合である。…制限[restrictiveness]とは主要語の指示内容の広がりを画定すること[limitation]である。

   また、ある名詞句の指示対象[referent]が、唯一的な[unique]ものと見なされたり、ある集合[class]中の、(例えば、先行する文脈中で)既に別個に特定されている[identified]一成員であると見なされることがある。そのような主要語[head]に付される修飾はいずれも、特定化[identification]には不可欠[essential]ではない付加的情報[additional information]であり、我々はそれを非制限的と呼ぶ。(CGEL, 17.3)(太字体部は原文では大文字。下線は引用者)

   そこここで(取り分け、関係詞節による修飾の在り方が吟味される場合)、「付加的」とか、時には「余分な」と評されることのある「非制限的名詞修飾要素」について貴重な記述を思わぬところで見ることができる(「非制限的名詞修飾要素」について語られる場合、その記述対象は関係詞節だけではないことに改めて注意喚起しておく)。
形容詞が名詞の指示する対象の幅を狭め,限定・制限するのが制限用法である。また制限用法ではある対象を形容詞と名詞の2つで表わしている。……形容詞が名詞の指示する対象を限定・制限するのではなく、単にその対象のもつ属性を記述するのが非制限用法である。したがって形容詞と名詞で表わしている対象は名詞だけが表わしているものと同一である。このような表現は文学作品でよく見られる。
las mansas ovejas  おとなしい羊
(羊にはおとなしい動物だという連想があるのでmanso「おとなしい」という形容詞をつけても羊を下位区分したことにはならない)」(山田善郎(監修)『中級スペイン文法』p.62)
(下線は引用者)(形容詞の「限定用法」と「非限定[叙述]用法」については第一章第3節末の【付記】参照)
   『中級スペイン文法』は形容詞の非制限用法について上記のような貴重な記述を残しながら、こうした記述の骨子は関係詞節の解説に反映されることなく、関係詞節については英語の学習用文法書の記述に倣ったかのような月並みな記述を残すのみである。
先行詞の名詞(句)が表わす意味の範囲を関係節で制限する用法を制限用法、先行詞の表わす対象のみについてさらに関係節で追加説明する用法を非制限用法と呼ぶ。非制限用法は、文語ではコンマで、口語ではポーズ(休止)で特徴づけられ、文脈によって軽い理由や譲歩を含意することが多い。(ibid, p.256) (下線は引用者)
   『中級スペイン文法』が残している「形容詞と名詞で表わしている対象は名詞だけが表わしているものと同一」という記述は、非制限的修飾要素についてCGELが残している「特定化[identification]には不可欠[essential]ではない付加的情報」という記述にほぼ対応する。"Come and meet my beautiful wife."(CGEL, 17.03)は、「(一夫一婦制社会の)男性が発話した場合には」(ibid)という条件付で、前置修飾語"beautiful"は非制限的であると理解される例である。前置修飾語"beautiful"を削除しても"my wife"は特定されるし、文は成立し文構造に変化も生じない。ただし、文の意味は変わらない、とまでは言明し得ない。"beautiful"を削除したら、"Come and meet my beautiful wife."から《滲み出てくる》とでも言うしかない諸々の情報が失われてしまう。

   こうした点は関係詞節による修飾の場合についても当てはまる。非制限的関係詞節は「除去されても、文の意味は大して変わらないであろう」(『現代英語ハンドブック』11.3)とか、「取り除かれれば情報は幾分か失われるけれども、各々の文の中心的意味は変わらないであろう」(ibid)とか、あるいは「関係節をそっくり省ぶいてしまっても文意にさしたる影響はない」(林語堂『開明英文法』、9.61、原文のまま)とか、はたまた「非限定的節は、主節[main predication]の実際の内容[truth]を変化させることなく取り除くことが常に可能であり、限定的節の場合は断じて可能ではないのである。」(H. W. Fowler and F. G. Fowler, The King's English , p.85)、あるいはまた、「非制限的(すなわち、緩やかな)節[non-restrictive (or loose) clause]は、その節が結び付けられている語の正確な意味を損なうことなく除外されよう。」(Otto Jespersen, Essentials of English Grammar, 34-1-1…見出し番号)などと語られるであろう。

   しかし、"The people of India, who have lived in poverty for centuries, desperately need financial and technical assistance." (『現代英語ハンドブック』11.3)という発話と、"The people of India desperately need financial and technical assistance."(あるいは"The people of India, who have been forced to live in poverty for centuries, desperately need financial and technical assistance.")という発話を比較考量した上で、「大して変わらない」「文の中心的意味は変わらない」「文意にさしたる影響はない」と判断するとしたら、言葉は無力であり、言葉など取るに足らぬものだと宣告することに等しい。"The people of Palestine, who have lived in misery for decades, desperately need international assistance."という発話と"The people of Palestine desperately need international assistance."(あるいは"The people of Palestine, who have been forced to live in misery for decades, desperately need international assistance")という発話はそれぞれその意味内容を異にするということこそが言葉の存在理由である。ただ、非制限的関係詞節については、「文の容認可能性[acceptability]に影響を及ぼすことなしに、それを除去可能である」(CGEL, 10.16)(この引用については第七章第2節参照)とは語り得るであろう。

   制限的修飾と非制限的修飾の違いは別の観点から語られねばならない。例えば次のようにである。

@The initial targets for the offensive are the city of Makeni, which is the RUF headquarters, and the diamond-rich regions of Kono and Koidu which generate tens of millions of dollars for the rebels.
〈最初に攻勢の対象となるのは、RUFの本拠であるマケニという都市、及び、反乱勢力に莫大な資金をもたらす、コノとコイドゥのダイヤモンド豊かな地域である。〉(私訳)(太字体と下線は引用者))
(注) the RUF : the Revolutionary United Front「革命的統一戦線」(シエラレオネの反政府組織)
(Britain takes war to Sierra Leone rebels, Chris McGreal in Freetown, Richard Norton-Taylor and Ewen MacAskill, Guardian Unlimited, Saturday May 13, 2000)
   固有名詞の使用には多少の約束事が伴う。"Yamada Taro likes coffee black too."という発話は、"Yamada Taro"が誰のことなのか受け手には全く分からない場合、ちょっとした規則違反を冒していることになる。"Yamada Taro, my old friend, likes coffee black too."あるいは"Yamada Taro likes coffee black too. He is my old friend."という形になってようやくこの発話はその生命を得ることになる。つまり、話者の独り言であることを脱する。次のような事情があるからである。
固有名詞が対話者に《何かのことを思わせる》と考えられ、それゆえ対話者がその名の持ち主について何らかの知識をもつとみなされるのでなければ、固有名詞を使用するのは変則だということである。(『言語理論小事典』p.395)(同書の索引によれば「対話者」とは"interlocuteur"、即ち、「聞き手・受け手」である。)
   文例@中の"the city of Makeni"あるいは"Makeni"という固有名詞に心当たりがある人の数はそう多くはないはずである。従って、ここで話者がこの固有名詞を使用するに当っては、"which is the RUF headquarters"という非制限的関係詞節を添付することを求められている。受け手の方が固有名詞[Makeni]について何らの知識をも持ち合わせていない(と見なされる)場合、話者はその固有名詞を提示すると同時にその属性の一端をも提示し、そうすることで、受け手がその固有名詞に関して何らかの情報を話者と共有するように仕組む必要があるのである。文例@は固有名詞の使用原則の「例外規則」の実践的適用例とでも言える。非制限的関係詞節の添付が半ば義務的となるような場合もあるということだ。固有名詞の使用原則を全面的に無視すると次のような発話(ただし、"Makeni"のところで「間」が置かれるはずだ。文例@参照)が出来上がる。

   "The initial targets for the offensive are Makeni and Kono and Koidu."

   現地の軍司令官から揮下の部隊(これらの固有名詞に関する知識を当然のことながら持ち合わせている)への指令としてはこれで十分であろう。

   文例@についてはもう一点指摘できる。ある固有名詞が受け手にとっては心当たりがあるものではない場合、その固有名詞に後続する関係詞節にカンマが欠けていたとしても、そこに固有名詞があるということと同様、カンマの欠如もまた所与の条件であって、欠如は必ずしも話者独自の判断によって充たされるべき空白ではない可能性がある。受け手は、"the diamond-rich regions of Kono and Koidu"中の"Kono and Koidu"は固有名詞であろうと判断しつつも、カンマを伴わない関係詞節"which generate …."が展開されているという事実をそのまま受け入れることしか出来そうもない。こうした点については更に[1−21][1−22]参照。

   更にJespersenから非制限的前置修飾要素に関する記述を引用する。

   "my dear little Ann !"中にあるような「非制限的付加詞[non-restrictive adjuncts]」についてJespersenは次のように述べている。

ここでの付加詞は、私が話題にしているのが何人かのアンの内のいずれ[which]であるかを示すためではなく、彼女の特徴を述べるためにのみ用いられており、こうした付加詞は装飾的[ornamental]付加詞(「装飾的形容語[epitheta ornantia]」)と、あるいは別の観点からは挿入句的付加詞[parenthetical adjuncts]と称されよう。(The Philosophy of Grammar, p.112)(下線は引用者)
   続いてCurmeの記述を見る。Curmeは形容詞を「叙述的[descriptive]なものと制限的[limiting]なもの」(Parts of Speech, 8)の二種に分類し、極めて繊細な記述を展開している(Curmeの語感の繊細さは大部の書の随所に窺い取れ、その著作の価値を高めている主たる要素の一つである)。「叙述的」は「非制限的」に相当すると予感されるが故に、Curmeの区分はありふれたものに見えるが、「叙述的」と「制限的」に関するCurmeの理解は一味違う。
   まず
叙述的形容詞[descriptive adjective]は、話題とされている生物[living being]や無生物[lifeless thing]の種類[kind]ないし状態[condition]ないし様子[state]を表す。(ibid)(下線は引用者)
   "a good boy, a right dog, a tall tree; a sick boy, a lame dog"(ibid)などがその例である。つまり、"a good boy"は、"boy"について、その「種類(部類)」を表わすことも、その「状態」を表わすこともあるということになる(「種類を表わす」のは一般的には制限的修飾の働きであるとされている)。

   更に、「形容詞的機能を発揮している分詞[participles of verbs]はすべて叙述的形容詞である。なぜならそうした分詞は能動的ないし受動的状態を示すからである。」(ibid)という記述に続いて、"running water, a dying soldier, a broken chair"という例が挙げられている。以上のような、名詞句を前置修飾する形容詞をCurmeは「付着的形容詞[adherent adjective]」(ibid)と呼んでいる。

   また、" a laugh musical but malicious"(形容詞に強勢が置かれる)も叙述的形容詞の例であり、こうした後置修飾形容詞をCurmeは「並置形容詞[appositive adjective]」(ibid)(「並置[apposition]」という用語については[1−1]参照)と呼ぶ。もちろん、述辞の位置にも叙述的形容詞は用いられる。"The tree is tall."のように。これは「述辞形容詞[predicate adjective]」(ibid)と呼ばれる。こうした「述辞形容詞」は「主辞に後続するだけでなく、主辞に先行することも非常によくある。」(Syntax, 6-B-a)として次のような例が挙げられ、「感情[feeling]を力強く表現する場合には非常にありふれている」(ibid)と解説される。

A sad experience! / Good work!/ Poor fellow! (ibid)
   こうした「情感的」用法は、名詞を前置修飾する形容詞が「制限的」に働くのではなく「叙述的」に働く場合の例として類書でも取り上げられている(以下のJespersenとCGELの記述参照)。

   もう一種類の形容詞、「制限的形容詞[limiting adjective]は、種類や状態の観念を表すことなしに、名詞によって表された観念の充当性[application]を、その部類[class]の内の1ないし2以上の個体へと、あるいは、全体の内の一部ないしそれ以上の部分へと制限する、即ち、人間や事物を指定する。」(Parts of Speech, 8)と説明され、"this boy, this book, these boys, these books, my house, each house, many books; this part of the city, his share of the expense"(ibid)などが例として挙げられている。

   ここで決定詞[determiner]と呼称される種類の形容詞が選択されているのは、「制限的形容詞」についての上記のような理解の直接的結果である(一般的には、集合の一部や集合中の特定の個体を指定することに加え、「種類」(集合の一部である)を表わすのもまた、制限的修飾の働きとされるのである)。

   また、「叙述」と「制限」の別は前置詞句による名詞修飾の場合にも適用される(Syntax, 10-IV-1)。「叙述的形容詞[descriptive adjective]の意味力[force]を有する」前置詞句の例としては、'a girl with black hair ' ( = a black-haired girl)が、「制限的形容詞[limiting adjective]の意味力を有する」前置詞句の例としては、'the book on the table.'が挙げられている("force"については[6−37]参照)。もしCurmeのこうした記述に素直に頷きかねる点があるように感じるとしたら、その原因の大部分は恐らく、すべての例が脈絡とは無関係に挙げられているということだ。"a tall tree"が「種類」を表わすのでも「状態」を表わすのでもなく、「その部類[class]の内の1の個体へと制限する、即ち、事物を指定する」と解し得る脈絡は確実に存在する。

   例えば、"young Burns"とは誰(どのBurns)を指すのか。この世には数多くの"Burns"が存在する。とすれば、"young Burns"は数多くの"Burns"の内の一部を、「若い」という属性を有する部類の"Burns"を指示するのか。以下は、Jespersenの見解である。

young Burnsはold Burnsとは別の人物を意味するか、あるいはもし仮にその時の話者(そして聞き手)の念頭にはその名前の人物が一人しかないとしたら、その言葉(young Burns)は、その人物はまだ若いという事実を強調しつつその人物に言及しているのである(その場合、その言葉は制限的付加詞[restrictive adjuncts]の範囲外となる)。(The Philosophy of Grammar, pp.108--109)(下線は引用者)
   "a tall tree"についても、もし仮にその時の話者(そして聞き手)の念頭にはそのような樹木が一本しかないととしたら、"a tall tree"はある特定の高い樹木に言及している、と言える。

   全体としては大変優れたものと評価し得るCurmeの記述にも足りない点は確かにある。ただし、通常、こうしたことを指して欠点とは言わない。

   制限的修飾と非制限的修飾の区別、及び前置修飾要素の「情感的」用法について、Jespersenの記述を見ておく。

制限的付加詞[restrictive adjunct]はそれが付加される一次語[its primary]にとって必要な限定[determination]を与える。制限的付加詞は、その名詞がそれと同じ名称をもつ他の事物や存在から区別されるようにするためにその名詞を特定する[specifies]。例えば、"a red rose"は"a white rose"とは区別される。

非制限的付加詞[non-restrictive adjunct]の付加はそうした目的には役立たない。非制限的付加詞は制限的付加詞より情感豊か[more emotional]である一方、制限的付加詞は全く知的[purely intellectual]である。(Essentials of English Grammar, 9-2-2)

   そして、次のような非制限的付加詞の例が挙げられている。
No, my poor little girl !
Beautiful Evelyn Hope is dead !(ibid)
   こうした形容詞はいずれも「非制限的」な名詞修飾要素である。

   以下、前置修飾要素の「情感的」用法に関連する既述をCGELから。

非制限的前置修飾要素[nonrestrictive premodifier]は、以下に見るような、情感的色合い[emotive coloring]を伴う形容詞に限られる。

Old Mrs Fletcher, dear little Eric, poor Charles, beautiful Spain, historic York, sunny July (CGEL , 5.64)

人称代名詞に先行、もしくは後続する非制限的[nonrestrictive]修飾要素と限定詞が数種類ある。これらは大部分が一人称もしくは二人称の代名詞に伴い、情感的[emotive]もしくは修辞的趣き[rhetorical flavour]を伴う傾向がある。(CGEL , 6.20)

   形容詞の例としては、"Silly me! Good old you! Poor us! (informal)"(CGEL , 6.20)、関係詞節の例としては"we who have pledged allegiance to the flag …..(formal)、you, to whom I owe all my happiness, ……….(formal)"(ibid)(下線は引用者)が挙げられている。

   既に引用したJespersenの記述(「ここでの付加詞は、私が話題にしているのが何人かのアンの内の誰のこと[which]であるかを示すためではなく、彼女の特徴を述べるためにだけ用いられており、…」(The Philosophy of Grammar, p.112))に呼応する記述をCGELに見出すことができる。

("a silly fool"中の非制限的"silly"のように)ある語句を前置修飾要素として用いるという選択は、その語句が当然のものと受け止められ、特別な特定化要素[specific identifier]と解釈されないようにという願望が反映されていることが多い。(CGEL, 17.06)(下線は引用者)
   こうして非制限的修飾要素の働きについてはあれこれ語られるが、直感的印象が語られるにとどまり、合理的了解にまでは至っていない。

   CGELから更に非制限的前置修飾要素の例を挙げる。

   「通俗的話体[popular narrative style]では、以下のような事例に前置修飾形容詞の非制限的用法がある。」(CGEL, 17.03)として、

"Reporters hounded an embarrassed Ben Miles over his TV gaffe last week and in reply to one question the unhappy Miles made things still worse by ....."(ibid)
   という例が挙げられている。また、「分裂文[Cleft sentences]」中に見られる非制限的前置修飾要素の例として、"It was a very troubled wife that greeted Harry on his return that night." (CGEL, 18.26)(下線は引用者)が挙げられている。"very troubled"が欠けても"a wife"が特定されるだけの情報がここではすでに与えられている(ただし、「一夫一婦制の社会においては」という非言語的脈絡が必要ではあるが)。

   名詞修飾のこのような在り方は、受け手によって時には感知しがたいこともあるかもしれない。留意すべきは、前置非制限的名詞修飾を含む非制限的名詞修飾という修飾の在り方は関係詞節に特有のものではないし、カンマを伴う後置といった形態的特徴を常に備えているわけではないということである。

   Zandvoortは制限的関係詞節について、「先行詞の指示内容[reference]を一あるいは二以上の特定の人や事物に制限する節、それゆえ、制限的節[RESTRICTIVE clause]と呼ばれる節」(Zandvoort, A HANDBOOK, 462)(下線は引用者)と述べる一方で、こうした節には該当するようには思えない制限的節の例を挙げることになる。二種類の関係詞節について語った箇所中の(注)では既に

(注6)これら二種類の節は「限定的[defining]」と「非限定的[non-defining]」としても知られている。いずれの範疇にも当てはまりにくい節については、更に、そうした節におけるthatの使用については、619以降を参照。(ibid, 462)
   と述べており、指定された箇所には「次のような文は、既述の定義とは少々折り合いがつきにくいように思われる。」(ibid, 620)として次のような例と解説を残している。
In the September sunshine that cut half across the narrow street, vehicles choked the thoroughfare.
Mr. Britling ran through a little list of stay-at-homes that began with a Duke.(太字体と下線は引用者)

(これらの文例中の)先行詞は、…「制限」を要求しているわけではない。名詞修飾的節の働きはむしろ叙述的である。しかし、それらの節は、その先行詞と密接に結びつけられているという点では「制限的である」ことが明白な例と一致している。…明白に「制限的な」例と同じように、上記の名詞修飾的節はすべて先行詞にとって不可欠である。(ibid, 620)

   Kruisinga & Eradesは「制限的関係詞節」について次のように述べる。
名詞修飾的節[Attributive clauses]は主節中の名詞あるいは代名詞に対する付加詞[adjunct]として働く。名詞修飾的節は、主節中の先行詞と同一の名辞を有する他の諸表象[other ideas]と先行詞とを識別する特性を表現することによって、その先行詞を限定する[define]。結果として、名詞修飾的節と修飾対象の名詞との関係は、a pretty girl, a dirty face, a large incomeのような語群における名詞修飾的付加詞[attributive adjuncts]と名詞との関係と同じである。(KRUISINGA & ERADES, An English Grammar, 127-1)
   八例挙げられているが二例だけ引用する。
A Any man that knows three words of Greek could settle the point.
B … like puppets that have flagged for a moment in their dance (I.21). (ibid)(文例番号と下線は引用者)〈踊っている最中に一瞬ぐたりとなった人形のように…〉
   こうした例について、「名詞修飾的節が言及している対象[ideas]はある集合[a class]に属していると見なされるということが、学生には直ちには明白ではないかもしれない。」(ibid)と述べ、「話者の考え」として次のような解説を付している。
   まず文例Aについて。
二種類の人間がいる。いかに初歩的なものであれギリシャ語の知識のある人間と、ギリシャ語の知識のない人間である。私は前者のことを言っている。(ibid)
   文例Bについて。
人形芝居では、人形は動いているか静止しているかであろう。絞首台でぶら下がっている死体はその若い兵士に後者の部類の人形を想起させた。(ibid)
   ところで文例Bは、"Slowly the hours crept on and the young Soldier continued his watch, sometimes leaning against a gibbet, sometimes revisiting the white stone, or again wearily resuming his pacing to and fro ; and the five dead men with their drooping heads and arms watched him like puppets that have flagged for a moment in their dance." (ibid, Text I, p.284)という文の一部である。

   Kruisinga & Eradesのこうした記述は、「制限的修飾に関わる一般的了解」の反映であるとしか思えない。例えば次のような了解である。

修飾が制限的であるのは、主要語[head]の指示内容[reference]が、与えられている修飾によってのみある集合[class]中の一成員であると特定される[identified]のが可能な場合である。…制限[restrictiveness]とは主要語の指示内容の広がりを画定すること[limitation]である。(CGEL, 17.3)(太字部は原文では大文字。下線は引用者)
   制限的修飾要素によってある集合中の一部(の要素)が排除され、結果的に、その集合中の特定の一部(の要素)が選択されることになるといった了解をおそらく共有しているKruisinga & Eradesが繰り広げる上記の如き解説に倣えば、「霧というのは日常生活の中で体験している普通の霧と、私たちが特殊な心理状態にある場合に感知する類の非日常的な霧(の二種類)がある。」といった記述も成立しかねない。
   次例のような場合である。
The yellow fog that rubs its back upon the window-panes
The yellow smoke that rubs its muzzle on the window-panes
(T. S. Eliot, The Love Song of J. Alfred Prufrock)
窓ガラスで背中をこする黄いろい霧は
窓ガラスで鼻づらをこする黄いろい煙は
(西脇順三郎、上田保訳)
   先行詞の「指示内容の広がりを画定する」(CGEL, 17.3)ようには思えない制限的関係詞節をCGELは次のように整理している。
制限的と非制限的の区別は有用である。しかし、そうした区別は同種の二つの範疇間の二分法であるというよりむしろ勾配[gradient]であると見なす心構えをもつべきであろう。こうした取り組み方が必要であることを明らかに示す関係詞構造の一種が以下の入れ子式関係詞構造[TELESCOPED relative construction]の例によって示されよう。

All this I gave up for the mother who needed me. [1] 〈こうしたことのすべてを私は私を必要としている母のために断念した。〉

[1]の場合、motherは、personのような総称的名詞をその主要語とし、後置修飾要素としての関係詞節に伴われた名詞句と並置的関係にあると見なされよう。

All this I gave up for a person who needed me, ie my mother. [1a] 〈こうしたことのすべてを私は私を必要としている人、即ち私の母のために断念した。〉

(CGEL, 17.21 Telescoped relative clauses[入れ子式関係詞構造])(太字体と下線は引用者。「勾配」については[6-6]の末尾の部分参照)

   このような解説の疑わしさを次の例で考えてみる。
CGeorge Harrison, the youthful guitarist who sparked the Beatles' early career with deft rockabilly licks and later added a deep spirituality and Eastern influence to the era's best-known rock band, died Thursday in Los Angeles after a long battle with cancer. (太字体と下線は引用者)
〈ジョージ・ハリソン、ビートルズの初期の活動を巧みなロカビリーのフレーズで輝かせ、後にはあの時代に最もよく知られていたこのロックバンドに深い精神性と東洋の影響を加えたこの若々しいギタリストは木曜日、ガンとの長い戦いの後、ロサンジェルスで亡くなった。 〉(私訳)
(Harrison, quiet force of Beatles, dies at 58, Roger Catlin, Special To The Sun, SunSpot.net[The Baltimore Sun], December 1, 2001)
   "George Harrison, the youthful guitarist"〈ジョージ・ハリソン、あの若々しいギタリスト〉だけですでに、"the youthful guitarist"の指示内容は(私を含む多数の人々にとっておそらく)明白である("a youthful guitarist"ではないことに注意)。既に挙げたZandvoortの表現を借りれば、「先行詞"the youthful guitarist"は『制限』を要求しているわけではない。名詞修飾的節"who sparked………"の働きはむしろ叙述的である。」ということになる。つまり、「限定的節[defining clause]は先行詞の充当性[application]を画定し[limit]、そのような限定的節によって私たちは、先行詞が当てはまる[applicable]部類全体[the whole class]の中から、意図されている特定の個体(単数あるいは複数)を選び出すことが可能になる。」(H. W. Fowler and F. G. Fowler, The King's English, p.89)といった働きをする「制限的節」がここでは求められているとは判断し難い。

   CGELの解説の疑わしさは、CGELの解説を文例Cに当てはめてみると浮かび上がってくる。次のようになる。「Cの場合、youthful guitaristは、personのような総称的名詞をその主要語とし、後置修飾要素としての関係詞節に伴われた名詞句と並置的関係にあると見なされよう。 "George Harrison, a person who sparked the Beatles' early career with deft rockabilly licks and later added a deep spirituality and Eastern influence to the era's best-known rock band, the youthful guitarist, died Thursday in Los Angeles after a long battle with cancer."」

   こうした制限的関係詞節については、実際には、"my dear little Ann !中にあるような非制限的付加詞」についてJespersenが述べていることが当てはまるように思える。

ここでの付加詞は、私が話題にしているのが何人かのアンの内のいずれ[which]であるかを示すためではなく、彼女の特徴を述べるためにのみ用いられており、……。(The Philosophy of Grammar, p.112)(下線は引用者)
   先行詞を「制限」しているようには見えない制限的関係詞節に関するCGELのこうした解説は、Kruisinga & Eradesの場合と同様、「制限的修飾」を「制限[restrictiveness]」や「画定[limitation]」と直結させていることに起因している。制限的関係詞節〔カンマを伴わない関係詞節〕には必ず「制限」が伴うわけではない。制限的修飾要素によって名詞句〔先行詞〕の指示内容の広がりを画定するというよりむしろ、名詞句に更に制限的修飾要素を加えて初めて、話者が表現したいと考えている対象に照応する名詞句(「名詞句+制限的修飾要素」)が実現されるような場合、「制限[restrictiveness]」や「画定[limitation]」を感じさせないような「制限的関係詞節」が出現することがある。ある集合中から、関係詞節に示されている「特性」を持たない要素を排除して(「限定の働きは、先行詞にそもそも含まれていると見なされるような人あるいは事物の(関係詞節の中で示唆される)除外によって行われる。」(Fowler, The King's English, p.84))、結果的に、当該集合中からそうした「特性」を有する要素を選択してようやく、その名詞句の指示内容にたどり着くといった手続きを無用とするような「名詞句+制限的修飾要素」が存在するのである。

   「選択」や「排除」を語る一方で、Fowlerは次のようにも述べている。

限定的節[defining clause]によって与えられる情報は先行詞ととともに一挙に受け取らねばならず、さもなくば双方ともに無益である。(Fowler, The King's English, p.87)
   以下の例が示す通りである。
The yellow fog that rubs its back upon the window-panes
The yellow smoke that rubs its muzzle on the window-panes
窓ガラスで背中をこする黄いろい霧は
窓ガラスで鼻づらをこする黄いろい煙は (ibid)
   ちなみに、文例Cは、「限定的節[defining clause]は(それ自身の先行詞を限定するが)評言[comment]には『役立つ[contribute]』ことはないかもしれないということにはならない。それどころか、限定的節を含むような形態[a form]の中に筆者の評言を投入することは、筆者にとってしばしば思いのままなのである。」(Fowler, ibid, p.87)として挙げられている例
(1)Lewis, a man to whom hard work never came amiss, sifted the question thoroughly.(ibid)
   にほぼ相当する。「限定的節を含むような形態」とは"a man to whom hard work never came amiss"の部分である。この「名詞句+制限的関係詞節」全体が「評言」を加える働きをしているということだ。ところで「評言」を加えるのは「非制限的関係詞節」の役割である(ibid, p.85)。
以下の二文を比較することから、こうしたものが非限定的節の起源であるように思われさえするかもしれない。(2)は(1)の縮約形である。(ibid, p.87)
   という記述中にある「以下の二文」の内の一文は上記の文例(1)であり、残る一文は、
(2)Lewis, to whom hard work never came amiss, sifted the question . . ." (ibid, p.88)
である。

   関係詞節の制限用法と非制限用法に関する記述例を挙げておく。以下の記述は、上記の『中級スペイン文法』とその記述内容をほぼ共有している。言ってみれば紋切り型の記述であり、制限用法と非制限用法に関わる慣習的了解の存在をうかがわせてくれる。紋切り型は、日常の生活の中では無難であることに通じ、無用な誤解の回避に役立つことがしばしばあるのかもしれないが。
   まずZandvoortより。

先行詞の指示内容[reference]を一あるいは二以上の特定の人や事物に制限する節、それゆえ、制限的節[RESTRICTIVE clause]と呼ばれる節(Zandvoort, A HANDBOOK , 462)

先行詞の指示内容を制限するのでなく、先行詞に関連のある情報をさらに与える節…こうした節は連続的節[continuative clause]ないしは敷衍的節[amplifying clause] と呼ばれる。(ibid)

   日本の学習用文法書から比較的詳しい記述を紹介する。
関係代名詞以下の節が、1個の形容詞節として先行詞を修飾し、その意味を制限する用法を限定(制限)的用法という。(木村明『英文法精解』, p.127)(下線は引用者)

関係代名詞以下の節が、先行詞を修飾してその意味を制限するのでなく、先行詞に、単に余分の説明を加えるだけの用法がある。これを関係代名詞の継続的用法といい、この用法の関係代名詞の前には(,)を置くのが普通である。(ibid, p.128)(下線は引用者)

   FowlerはThe King's Englishの中で、「限定的関係詞節[defining relative clause]」と「非限定的関係詞節[non-defining relative clause]」について縷縷と語っている。これだけ語るにはよほどのものが不可欠である。よほどのものとは、英語の文法について語ろうとする人たちの多くが望んでも得るべくもないような豊かさの謂である。
限定的関係詞節の機能は先行詞の充当性[application]を画定する[limit]ことである。それ〔充当性の画定〕が既に十分である[precise]場合、限定的節は必要とされない。」(The King's English, p.84)(下線は引用者)

限定的節[defining clause]の除去は先行詞の意味を台無しにするという事実は、限定的節と非限定的節[non-defining clause]を区別するための確かな検証手段となる。非限定的節は、主節[main predication]の実際の内容[truth]を変化させることなく取り除くことが常に可能であり、限定的節の場合は断じて可能ではないのである。非限定的節は独立した評言、叙述、説明を与え、先行詞の画定[limitation]は決して行わない。挿入語句[parenthesis]として、あるいは別の文として常に書き換え可能である。そしてこのことは、こうした節が主節の要点にとっていかに不可欠であるとしても、この通りなのである。(ibid, p.85)(下線は引用者)

   非限定的[non-defining]関係詞節は「余分で[extra]、不可欠ではない[non-essential]情報、独立した註釈[comment]を与える。」(ibid, p.251)

   あるいはまた、別の筆者による次のような記述。

[27](Everything comes to the man who waits. 待てば海路の日よりあり)では,関係詞節"who waits"は制限的または限定的(Defining)である。それは"What man?"という疑問に答える。」(R.A.クロース、齊藤俊雄訳『クロース 現代英語文法』p.32)(下線は引用者)

[28](Nothing could annoy my Uncle Tom, who was the most patient man alive. どんなことでもトム叔父さんを怒らせることはできなかった、というのは叔父さんはこの上もなく忍耐強い人だったから)では、関係詞節"who was the most patient man alive"は非制限的である。"Which Uncle Tom?" という疑問に答えるのではなく、彼について余分の情報を提供する。」(ibid)(下線は引用者)

   主として関係詞節による名詞修飾に関するあれこれの記述を経巡って、「制限的修飾」と「非制限修飾」の区別がこれで分かったという気分になるのは難しいはずである。制限というのは個体や部分の制限・限定・特定であるといった記述には重大な何かが欠けているように感じるし、非制限修飾は付随的なことを付加するのであると言われても十分得心することは困難である。ただ、様々な記述を引用する過程で、「制限的修飾」と「非制限修飾」に関する私の見解はある程度披瀝してきたし、少なくとも「制限的修飾」と「非制限修飾」に関わる慣習的了解に対する私の疑念は提示し得たはずである。

   非制限的名詞修飾要素については更に[1−43]参照、「制限的修飾」と「非制限的修飾」については更に[1−22]、特に[1−23]参照。本稿では名詞修飾要素に関わる「制限的修飾」と「非制限的修飾」を記述対象として取り上げている。ちなみに、「制限的副詞的要素」と「非制限的副詞的要素」の区別は次のように語られることもある。

制限的副詞的要素は母型節内の状況を副詞的要素によって記述される環境[circumstances]へと制限するということである。その一方、非制限的副詞的要素は別個の断言[assertion]を形成し、付加的情報を与える。(CGEL,15.23)
   形容詞の「制限的用法」と「非制限的用法」については、さらに第一章第3節の【付記】参照。

(〔注1-18〕 了)


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