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第十一章 日本へ

  さらば父島

 連合国に無条件降伏をして四カ月程経った。島の生活は不自由ながら平穏に過ぎていた。
 十二月も中旬を過ぎると、南の島ながら夜は毛布一枚では寒いと感じるこの頃であるが、何といっても火を炊いて煙を出しても空襲の心配はなく、気儘な生活ができるようになったことは有難い。しかし、船のない日本。本土よりの食糧はおろか、便りひとつ届かない。平穏とはいえこれより何年たてば故郷に、妻子のもとに帰れるのであろうか。妻子に安否すら知らせるすべがない。幸いアメリカ本土へ拉致される噂は立ち消えたものの、米軍より交戦中の空軍捕虜の引渡し要求がきたとか、戦争犯罪者、軍事裁判などの言葉が時折り話題に出るようになった。
 昭和二十年十二月十九日と記憶しているが、二見湾に一隻の赤錆びた船が入港した。千トン内外の船と思われた。大勢の日本人の姿が見えた。病院船らしい。サイパン島より戦病者戦傷者を乗せ、本土へ向かう第一便であると聞かされた。病者とはいえ羨ましいことだと噂した。
 ところが突然、夕刻になって、わが中隊は乗船して本土へ帰るから仕度をしろ、と命令が伝達されて驚き、狂気して喜んだ。病院船に、四、五十名位乗船のゆとりがあるというので、該当数の部隊があれば乗航させるとの事情により、五十数名に減少していたわが中隊が幸運にも乗航の運びとなったようである。
 夢ではないか、天にも昇る想いである。仕度といっても簡単、襦袢袴下の着替各一枚、毛布一枚しか携行は許されない。要注意として右のほか一切携行を許さず、特に日記、メモ等の類は絶対持ち込みを許さず、万一、一人でもこれに反し、発見された時は全員の乗航を中止するとの厳命である。有頂天になっていたが、これにはかなりショックであった。書きためた手記、短歌。たとえ命は果てるとも残したいと思って書きためたのであるが、前記の命令でがっかりした。冒険をして万一発見されたら、自分のみか、中隊全員に迷惑を及ぼすことになる。涙を呑んで約一年数カ月聞書きためたもの一切を、立て寵った洞窟陣地の入口附近に穴を掘り、再び訪れて掘り出せる日を夢想しながら穴深く埋めて本土帰還のため、二見湾に下山、乗船をした。
 父島へ到着するまで、敵潜水艦などを警戒しながら数日、否数十日かけて通った海を、僅か一日半位で日本へ到着。本土が地平線上に見え出した時の私たち兵隊の喜びは、筆舌では表せない。
 入港したのは浦賀港であった。岸壁にたくさんの人たちが出迎えに並んでいるのが目に入った。
 第一番に発声した兵隊達の言葉は何であったろうか。
 「お~い、みんな見てみろ、女がいるぞ。みんな美人ばかりだぞ」
 私も同様に思った。年齢にかかわらず、女性は皆美人に見えた。何しろ一年半ばかり、島では一人の女性もいなかった。生きて帰れると思われなかった命が、無事に本土に帰り着き、親しく日本人の出迎えを受け、再び見ることのないと諦めていた女性に出会うことができたのである。
 浦賀に上陸し、検疫を受け、翌日窓のない有蓋貨物車(ワム) に牛馬のように詰め込まれた。私は鳥取駅をめざしたが、まだ夢の中にいるような気持ちで、現実に生きて帰ったという実感がなかなか湧いてこなかった。

ふるさとへ向ふ列車に身は在りて夢にあらずや夢にあらずや

靖国神社参拝

兄弟の三人はいづこ靖国の大鳥居吾が影の越えゆく

五十年初めて詣づる靖国に兄弟思はぬ日とてなかりし

海の底異国の果てにうかららの見捨てられしを如何に還りし

大鳥居越え宮居へと玉砂利を踏みつつ湧き出る涙何ゆゑ

アッツまたビルマ・ルソンと兄弟(ウカラ)等のみ霊還りて在りや靖国

罪けがれ払ふ拍手ビルマまたアッツの海をめざし消えゆけ

終戦五十年

吾ひとり生きて還りて五十年うから三人に享けし命か

戦ひを経て永らふに侵略の論議またまた誰にへつらふ

五十年経て侵略ぞわびろなど数百万の死者迷ふべし

戦ひを経て永らふる者の声無視されやがて忘らるるべし

アッツ沖・ルソン・ビルマと刻めるに遺骨空しき兄弟(ウカラ)の墓標

海の底地の果て埋もるるはらからの遺骨永却拾ふものなし

父島の上空を飛ぶ

玉砕を日々覚悟せし父島ぞ雲の真下に確(シカ)と浮かべる

扇村・大村なべて爆撃に耐へし記憶の消えぬ父島

対戦車地雷かたへに上陸を待ちし父島機の下近づく

父島に終戦迎へき訪づれむ夢夢のまま五十年経き

台風迫る父島

戦ひの日々呼び戻す父島の気象通報台風迫る

台風の近づく予報父島の洞窟地下に吾が手記埋もる

ドラム缶叩きボーフラ沈めては雨水に命つなぎたりしよ

父島の海上救出ならざれば大統領ブッシュ世に非ざりき

一兵の救出惜しまぬ国と兵百万救へぬ国たたかひき

指二本コンパスにして圏内の父島訪る夢果たされじ

吾のみが知る父島のたたかひを此の鉛筆は書きたくて待つ

戦死せる兄弟(ウカラ)三人を併せても及ばぬ齢(ヨワイ)に妻と生きつぐ

戦ひを経て来し記録読ませたき戦友(トモ)の大方既にむなしき

病床の妻

病床の妻と寵るに子の孫の時に訪れ部屋あたたむる

忘れゐし事も言ひ出る病みながら女心の一途なる顔

償へる借りならねども病む妻の介護に暮るるひたすらの日々

八十を越えて得るもの失(ウ)するもの至りて知れり病む妻の辺に

四世代揃ひたる日よ病床の妻は血色良き顔あぐる