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あとがき


   ようやく『吾が従軍記』を発刊する運びに至りました。
 計画を思い立ってから、何年が経過したでしょうか。二冊の軍隊時代の「当用日記」 を発見して読み返しているうち、タイムスリップして兵隊の頃がなつかしく甦り、戦争を知らない子供や、孫達に、出来れば若い世代の人達にも二度と繰り返したくない戦争の悲惨を伝え残したいと思うようになりました。
 現役時代のことは、幸い二年間の日記がありましたが、サイパン島へ出港せよと召集され、横浜港を出発後、サイパン島は玉砕したので、小笠原諸島の父島にとどまり、米軍の硫黄島攻略戦に関連し牽制攻撃を受けましたが、結果的には玉砕を免れ、敗戦となってなんとか生還しましたが、頼る記録が何もありません。
 父島で記録したものはありましたが、命令でやむなく島の土深く埋めて帰りましたので、残る記憶をたどるしかありません。何十年経っても、昨日の出来事のように忘れない記憶もある反面、どうしても思い出せない記憶が、年を過ぎると共に多くなるので忘れないうちにと、書き留めてきました。何年もかかって書いているので、同様の事柄を重ねて書いたり、思い出せない事柄、特に人名など忘れたものが多く、今年こそ、今年こそと思いながら五十年も過ぎました。
 平成十年の夏、家内が脳梗塞で倒れました。二人暮らしですから、介護のために時間が一層足りなくなりました。この儘の状態では、生きているうちに完成は困難と判断し、書き足りない想いを振り切って見切り発車で出版に踏み切りました。
 従軍記といっても、私は衛生兵ですから、華ばなしい戦記などはなく、兵隊の命を助けるための従軍でしたから、読んでも面白いものではなく、どれ程読んで貰えるだろうかと最も気になるところです。
 それでも、私がこの従軍記を書いた目的は、私の人生の最も主要な期間と体験を、子や孫達に伝え残したいと思うことにほかなりません。同様に、戦争を知らない人々に、軍隊とは、戦争とは、どのようなものか、どのように戦ったのか、特に、当時一銭五厘のはがき一枚で召集された下級兵士達は、どのように軍隊生活を過ごし、どのように死と対峠させられたか、その片鱗を理解してほしい念願を果たしたかったからです。
 幸運にも、緒戦を大勝しましたが、それのみで、実力と過信した軍の指導者の一部が、皇軍の名を振りかざし、最後まで「敗戦」を認めず、数百万の兵員を犠牲にしました。私の兄と弟二人、三人共一片の遺骨すら還ってきていません。
 記録したように、米軍の物量はもとより、人命に対しても、一人の命を救出するために敵前ながら、航空機や艦船まで動員して救助したり、最激戦といわれた硫黄島攻略戦でも、戦死者五千五百余名に対し戦傷者として救助された者の数は二・三倍余に当たる一万七千三百名余と発表されています。仮に日米対等に戦っていれば、少なくとも全戦死者の半数以上は、戦傷者として救い得る命であったともいえます。その多くの負傷者達は、救助すれば死なずに済むものを、数時間、否数日間も苦痛に耐えながら無惨なる死を遂げたと想像されます。
 〝日本の軍隊は「皇軍」 である。大和魂があるから、絶対に負けない″ 常にそのように教えられ、日露戦争以来の三八式(明治三十八年の意)歩兵銃と、自殺的敵前突撃戦法のみに頼って近代兵器に立ち向かいました。日本の葉隠れ武士道とは、「死ぬ事と見付けたり」が基本となっているようで、この理念は、「西暦一七一六年(享保元年)九州佐賀藩の武士の道徳として生まれたもの」 と辞書にあり、日本の軍指導者達が、天皇を神に仕立てたように、古来日本武士道精神として守るべき道徳であるかの如く、教え込んできたものと思われます。
 満州で閲兵を受けた山下奉文大将はマレーの虎と称し、シンガポールで、パーシバル将軍と「イエスかノーか」と降伏を迫った話は有名であり、私は昭和六十年頃、養鶏組合の職員と共にシンガポール旅行に参加しました。
 その折、現地で右会見の状況を蝋人形で再現されたものをこの目で見ました。現地での解説によりますと、日本軍の破竹の進撃は確かで、シンガポールの生命である飲料水は、ジョホール水道を経てマレーシアより送られていたのですが、その水道管を日本軍に破壊された。水がなくては、英軍兵士はもとより、住民までもが生命の維持が出来ません。戦わずして降伏したパーシバル将軍は、人命を守るための決断であったと説明されています。
 今は亡き元福田総理大臣が「人命は地球より重し」との名言を残されましたが、日本軍隊の最高指導者達にこの心があったなれば、数百万の戦死者を出さないで、もっと早く戦争を終結し、原爆などを投下されなくて済んだものと私は考えます。
 戦争が風化されつつある現在、軍隊というしがらみのなかで、常に「死」 と隣り合って戦い、日本国のためと信じて、やむなく果てた兵隊達の霊に対し、特に隣接して戦って玉砕した硫黄島の英霊、並びに父島よりわが船舶工兵独立中隊員が、硫黄島に向け、物資輸送中に戦死した戦友に対し、心より慰霊の書として捧げたいと思います。なお、文中に挿入した写真は、在満中、浜田清寿君と二人で撮影したものです。
 発刊に当たり、編集はもとより、出版に至るまで種々ご教示下さったうえ、巻頭に序文まで書いて下さった竹内道夫氏に心より感謝いたします。
末筆となりましたが、出版を引き受けて下さいました富士書店出版企画室に対し深くお礼申し上げます。

二〇〇一年一月十一日

高 木  繁