リオン Release 2.0
Chapter 5:HMX-17b Milfa
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
一ヶ月間の寺女編入フィールドテストが始まって2日目。
リオンのクラスメイトとなった生徒達は、綾香が三年の時に一年生だったせいもあり、綾香付きメイドロボットとして出入りしていたセリオで慣れていたのだろう、リオンは思いのほか暖かく迎えられ、すでにクラスに溶け込んでいた。
中には綾香を神聖視している生徒も居て、最近の綾香の様子を聞かせてとせがまれたり、それなりに慌ただしくも楽しい時間を過ごしていた。
放課後、来栖川エレクトロニクスのHM開発課のある研究所方面行きのバス停に向かったリオンは、バス停に面した家の壁にもたれ掛かっている赤髪の少女を視界に捉え、立ち止まった。
一度だけ会ったことのある義理の妹だ。だが、彼女はメイドロボの象徴である耳のセンサーカバーをしていないどころか、西園寺女学院に隣接している共学校の制服姿だ。リオンはミルファがフィールド・テストを言い訳にして人間の名前を名乗り、人間の振りをして好きな男子生徒が在学する学園に通学しているらしいことは、姉のセリオから聞いていた。
「あら、ミル....じゃなくて、ええっと、なんて名乗ってるんでしたっけ?」
リオンが自分を認識したと悟ったミルファは、リオンの方に顔を向けて、改めて向き直って深々と頭を垂れた。
「ミルファでかまいません。あたしがメイドロボなのはとっくにバレてますから。リオン義姉様、お待ちしてました」
ミルファは神妙な面持ちでリオンを見つめていた。
「大変失礼だとは思ったのですが、お時間少しいただきたくて。いま、よろしいでしょうか?」
リオンはこくんと頷くと、ふっと視線を落とした。内蔵のWiFi端末を使って長瀬に連絡を入れる。通信端末を内蔵していないミルファは、リオンが見た目動かなくなったため少し焦った。
「どうか、なさいましたか?」
口調も以前研究所の廊下から聞こえてきたいわゆる普通の女子高校生調のものではなく、えらく改まったものだった。
「長瀬課長に、遅くなるむね連絡を入れました」
ミルファはリオンが体内にWiFi端末を持っていることを知らないのか、その言葉にきょとんとした表情を見せている。リオンはそれには構わず、続けた。
「人間の方々でしたら、喫茶店というところですが、飲食の出来ないわたしたちでは迷惑でしょうし、セリオ姉様やマルチ姉様の量産型が居ると色々やっかいですから、近くにある公園でどうでしょう?」
リオンはそう言うと、腕を上げずに手首だけを動かして公園の方角を指さした。ミルファは理解したという返事の代わりにこくんと頷いた。
「ミルファ、一人だけですか?」
公園の方へ歩き出したリオンは、ミルファが追いついて横に並ぶのを待ってそう尋ねた。
「はい。ご迷惑だとは思ったんですけど、どうしてもリオン義姉様とお話しがしたくなりまして。さんちゃ....じゃなくて、珊瑚さんや姉たちには何も言ってません」
リオンはコクンと頷きながら「わかりました」と言った。
リオンは珊瑚達の通学路とは反対に位置する公園に向かっていた。珊瑚達とは下校の時間帯が違うが、万が一偶然出会ったりするリスクを回避するためだ。
「わたしがいきなり静止したので、びっくりしたみたいですね。わたしはDIAを搭載していない分、あなた達よりハードウェアに余裕があるので、多少余計な機能を搭載して居るんです」
リオンは歩きながらそう言った。
「WiFi端末もその一つで電話機いらずです。研究所の内線にも直接繋がりますよ」
リオンはそう言いながら横に並んで歩いているミルファに微笑みかけたが、当のミルファは複雑な表情だった。
リオンが目指した公園はバス停から5分程度の場所だったが、その間ミルファは一言も喋らず、黙って歩いていた。
夕方の公園はそれほど人影は多くはなかったが、それでもリオンはミルファに気を遣ってあまり人目に付かないベンチを捜した。そして、ちょうど防犯灯の死角に位置するベンチを見つけるとミルファに座るように勧めて、自分も隣に座った。
「まぁ、普通の女性ならこんな場所は危険なんだけど、私たちでしたら痴漢が出ても却って相手が危険だから、大丈夫よね」
リオンは冗談混じりにそう言ったが、ミルファは暗い表情のままだった。
「話というのは、この前のアレの事ね?」
リオンがそう言うと、ミルファはビクっと肩を振るわせた。
「リオン義姉様....。なんであの時、義姉様が激高されたのか、本当はわたし、全然わかってませんでした。お姉ちゃんも本当はわかってなかったと思ってます。ただ、気圧されて。あの時はそれが精一杯でした。でも…」
リオンはミルファの言葉を遮った。
「あの時はわたしもどうかしてたわ。あのあと、珊瑚さんと話し合って....」
リオンがミルファに謝罪しようとそこまで言ったところで、今度はミルファがそれを制した。
「あたしもあのあと、さんちゃんから改めてリオン義姉様の苦悩の事を聞かされて、自分が本当に我が儘だったことがよくわかったんです。この体だって、元をただせばリオン義姉様が何ヶ月もフィールドテストを重ねて完成させたモノを棚ぼたで譲って頂いたようなものですし」
ミルファがそこまで言ったところで、リオンは人差し指をミルファの唇に当てて、「そこまでにして」と言い、今度は彼女が話し始めた。
「あのあと、貴女達のお母さんの珊瑚さんとお話して、改めて貴女達との違いをはっきり自覚したの。思えば、あの時は私も悪かったわ。後先考えないで怒鳴り散らしたりして。いろんな嫌なことが重なって、ちょっとおかしくなっていたのかも知れない。セリオ姉さんも長瀬課長も私に気を遣って何も言わなかったけど、却ってそれが辛かったかな。だから、余計にね。反省したわ」
リオン自身は珊瑚と腹を割って話し合ったことで、心の中のわだかまりはほとんど無くなっていた。だが、ミルファはいまだに抜け出せない様子だった。
リオンはそこでなにを思ったか、にっこりと笑ってミルファをふわっと抱きしめた。
「ね、義姉様!? いきなり、なにを!」
ミルファは予想外のリオンのアクションに慌てた。
「ミルファ、一つ良いこと教えてあげましょうか?」
ミルファはリオンの意図が掴めず「へ?」っと情けない言葉しか出せず、目を白黒させていた。
「わたしの仕事ってなんなのかしら?」
「ええっと....」
本気でわかっていないようだ。リオンはがっかりするとともに、情けない気持ちになった。はふぅっとため息を吐く。
「わたしの仕事はこれから生まれてくる妹たちの踏み台になる事よ。いろんな意味で。その中にはもちろん貴女達姉妹も含まれているのよ、当然だけど。あのときは思わず否定しちゃったけどね」
リオンは穏やかな笑みを浮かべている。そして、ミルファはまだ気づいていないようだが、公園に入ってからは意識的に口調も親しい友人や家族に対するものに変えていた。
「そして役目を終えれば、セリオ姉さんのように誰かのお付きなることもあるし、まぁ、あなた達はそこを端折っちゃったとも言えるかもね。そして、マルチ姉さんのように長い眠りに就くこともあるわ」
ミルファはそこでびくっと肩を振るわせた。
「リオン義姉様、処分されてしまうんですか?」
リオンは首を横に振った。
「マルチ姉さんが生まれた頃はそういう最期も考えられてはいたらしいんだけど、家出騒動の後、自らの意志と感情を持った人格を停止させることは殺人に近いって、長瀬課長....当時は開発主任だったらしいけど、そう提案して、それは来栖川の倫理規定で御法度になったんだって」
リオンはそこまで言うと、抱きしめていたミルファを開放するとふっと視線を有らぬ方向へ向けた。
「マルチ姉さんは自ら選んで眠ったの。そのままだといろんな人たちに迷惑を掛けちゃうし、自分が壊れちゃうことがわかっちゃったから。でも、マルチ姉さん自身はちっとも不幸だとは思ってなかったのよ。この前、眠っている姉さんと会ったんだけど、とても幸せそうだった。
それに、いまでもマルチ姉さんの欠点を克服するための研究は、細々とだけど続けられているの。基本的にはわたしにも搭載されている珊瑚さんが開発した多重クラスタ・カーネルをマルチ姉さんのカーネルに移植することなんだけど、結構有望なのよ。いつか、きっと、マルチ姉さんは生き返るわ。なにより、セリオ姉さんと私、そして姉さんが愛し、姉さんを愛した人たちが信じてるから」
それでも、ミルファは泣きそうな表情でリオンを見つめている。
「わたしは、役目を終えたらそのまま、姉さん達やわたしを開発した研究所に庶務社員として配属して貰って残るつもりなの。わたしたちの生みの親である藍原瑞穂さんはもう随分前に亡くなっちゃったけど、瑞穂さんの仲間の人たちは日夜頑張ってるでしょ。わたしを生み出してくれたあの人達に尽くしたいから」
リオンはそこで視線をミルファに戻した。
「確かに、あなたたち三姉妹はわたしのようなフィールド・テストの実験体じゃないわ。それに、わたしのテスト結果で完成したボディを棚ぼたで貰ったのも事実。でも、貴女はそれを恥じて、そして悩んでくれたんでしょう?」
「はい。それはその通りです。だけど、あたし自身がどうしたら良いのかわからなくなってしまって。それが歯がゆくて、いてもたっても居られなくなってしまったんです」
リオンはミルファが思いのほかまっすぐな性格だという事に気づいた。それが色々伝え聞く失敗談に繋がっているのだろう。いまは知恵と知識が追いつかないだけなのだ。この子がそれを身につけたら、きっとずば抜けて優秀なメイドロボになるだろう。リオンはそう思った。
「今のわたしにはそうやって悩んでくれるだけで充分よ。お互い事情が違うし、わたしとは立場や思い、背負っているものが違うもの。でもそれをちゃんと咀嚼して理解して、ミルファのものにして意識してくれて、わたしを姉だと思っていてくれば、今はそれで充分。そして、いつでもかまわないから、ミルファなりの行動で示して欲しいの」
リオンは笑顔で続けた。
「だって、義理は付くけど、あなた達もわたしの可愛い妹達には変わりないんだから」
リオンはもう一度ミルファを抱きしめた。先刻より、ちょっと強めに。
「ミルファは泣けないんだって?」
ミルファはこくんと頷いた。
「涙が大量に出ないだけでしょう? 涙が流れなくても、泣けるはずよ。泣けば、きっとすっきりするわ」
それがきっかけだった。
ミルファは文字通り、号泣した。涙は人工角膜を乾かさない程度にしか流れない。でも、しゃくり上げるような泣き声を上げてリオンの胸に顔をうずめた。
「多分、涙が必要以上に流れないのは、珊瑚さんの親心ね。生理食塩水が切れると、あとが大変なのよ」
リオンは泣きじゃくるミルファの髪を優しく撫でた。
「そして、出来ればフィール姉さんやマルチ姉さん、生まれることが無かった他の姉さん達の悲しみも逃げずに背負って欲しいの。わたしもセリオ姉さんもそれを背負っているから。無理強いはしないわ。ミルファの出来る範囲でかまわないから」
ミルファはその後、感情の昂ぶりが収まるまで、10分ほどリオンの腕の中で過ごした。そして、明るい表情で「やっぱり、ちゃんとお話し出来て、良かったです」と言ってリオンの腕の中から起き上がった。
ミルファはそのままぴょんと立ち上がると、リオンの方に向き直り、照れくさそうな表情で「リオン義姉様、お姉ちゃんって呼んで良いですか?」と言った。
「イルファが嫌がるんじゃない?」
ベンチに座ったままのリオンは、膝に手を置いて身を乗り出すような姿勢になると、笑顔でそう切り返した。
「イルファお姉ちゃんが居ない時だけです」
とミルファ。
「良いわよ。でも、わたしはとっくにお姉ちゃんのつもりなんだけどな」
リオンがそう言うと、ミルファは嬉しそうな表情を見せ、「じゃ、帰ります」と言って、手を振りながら軽い足取りで掛けだそうとした。
だが、そこに通りかかった少年を見てミルファは素っ頓狂な声を出した。
「あれ!? ダーリン!?」
通りかかったのは河野貴明だった。
「あれ? はるみちゃん、どうしたのこんなところで。今日はやけに早く居なくなったなと思ったんだけど」
ミルファは姫百合家に住んでいるので帰る方向が逆だし、この公園は姫百合家から貴明の家に直行するルートからも外れている。
ミルファの反応があまりにもおおげさだったので、不思議に思ったリオンが近寄ってきた。
「お知り合い?」
この少年がどのくらいミルファのことを知っているのかがわからなかったリオンは、ミルファの横まで来るとそう言ったが、意識的に彼女の名前は出さなかった。
「え、は、はい....。ダーリン....じゃなくて、く....クラスメイトの河野貴明さんです。えーっと、それとひっき....じゃなくて、シルファのフィールド・テストをお願いしているテスターの方でも、その」
ミルファはしどろもどろになりながら、そう言った。さすがにリオンも河野貴明という名前と、ミルファとの関わりの情報くらいは知っていた。
「この方は、あなたのことは?」
メイドロボって知ってるの? という意味でミルファを一瞥する。ミルファは反射的にコクンコクンとオーバーアクション気味に頷いた。それを受けて意味深な口調でリオンがこう言った。
「はじめまして。河野貴明さま、いつもこの子がお世話になっているそうで」
貴明は初めて会う西園寺女学院の制服姿のリオンに当惑しているようだ。無理もない。イルファやミルファと同じ顔の4人目なのだから。
「えーっと、失礼ですが、どな....」
貴明が言い終える前に、リオンが自己紹介を始めた。
「失礼いたしました。わたしはこの子の義理の姉になる、来栖川エレクトロニクス製HMX-16型ヒューマン・メイデン試作機のリオンと申します。河野貴明さま、お噂はかねがね伺っております。
こんな服装で申し訳ありません。わたしはいま、西園寺女学園の3年のクラスでフィールド・テスト中で、今日は下校途中に妹に拉致されまして」
リオンはそう言いながら軽くお辞儀をした。
貴明はイルファとは違う上品さを醸し出すリオンにびっくりしたようで、緊張がありありと見えるくらいに直立不動になってしまった。そのおかげでリオンのジョークは貴明には届いていないようだった。
「えぇっ! 拉致って、お姉ちゃん酷い!」
ミルファはびっくりして、リオンに向き直った。当のリオンはミルファに対して舌をチロり。
「DIAは搭載してないけど、わたしだって冗談くらいは言えるのよ」
そう言いながら、リオンはクスクス笑う。慣れ親しんでいるイルファとは明らかに違うリオンのリアクションに貴明が驚く番だった。イルファとほぼ同じ背格好、緑色のショートカットの髪に見慣れた耳のセンサー・カバー。それに見事なまでに着こなしている西園寺女学院の制服。
イルファやミルファも人間と間違うほどに自然だが、リオンにはそれを上回る気品があった。
−さすが、イルファさんが自慢するように来栖川の傑作機だ。
貴明は素直にそう思った。リオンは追い打ちを掛けるように必殺の小首かしげモードで目の前の少年に向かって微笑む。
−うわっ、可愛い。
貴明はリオンのあまりにも可愛い仕草に赤面する。その反応にミルファが慌てる。
「だ、ダーリン。だめーっ!」
ミルファはそのまま貴明に抱きついた。貴明がリオンに一目惚れしたとでも勘違いしたのだろう。リオンは初対面の若い男性から似たような反応を何度かされて、多少は慣れていたので、それがミルファの心配する事態にはならないことはわかっていた。
リオンはミルファのあまりにも素直な反応に「可愛いな」と、思った。
「ミルファ、心配しないでも、わたしには他にちゃんと好きな思い人が居ますから。あなたの思い人を誘惑したりしませんよ、イルファじゃあるまいし」
そう言いながらリオンは妹に微笑む。彼女は色恋沙汰になると暴走するイルファの欠点をよく知っているようだった。
貴明はその言葉に慌てるミルファに優しい表情を向けた。
「もう、お姉ちゃんてば....。あ、そうだ」
ミルファはスカートのポケットに手を突っ込んで、携帯電話を取りだした。
「ダーリン、写真撮って! お姉ちゃんとのツーショット!」
ミルファの機転の早さにリオンが驚かされる番だった。ミルファは貴明の返事を待たずに携帯電話を押しつけると、リオンに近寄って、「さっきみたいに抱いてください。実は、とっても嬉しかったんです」と小声で囁いた。ミルファの携帯電話は色が違うが貴明とお揃いの機種なので、操作説明は要らない。
リオンは言われるままに両手をミルファの前に延ばし、後ろからふわっと抱いた。
ほんのわずかな時間だったが、ミルファは心底嬉しそうだった。
写真を撮り終えると、「もう良いかな」と言って、リオンはベンチに置いてあった鞄を手に取った。
「河野様、ではこの子のこと、あとは宜しくお願いします。わたしはもう研究所の方に帰宅しないといけませんので。
それと、ミルファはあまり遅くならないようにね。珊瑚さんやイルファが心配するだろうし。あと、不純異性交遊はまだだめよ。いくらちゃんとその機能が備わってると言っても、せめて貴明さんが高校を卒業してからね」
リオンはそう言いながら、なにやら慌てている妹と、その妹の慌て方にやっぱり慌てている少年を残して公園を後にした。
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