リオン Release 2.0
Chapter 7:HMX-12 Multi, Again
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
「あれ? なんで智子やリオンも居るの? ミルファと珊瑚ちゃんだけだと思ってたのに」
フィールとマルチを保管している部屋でセリオと共に一行を待っていた綾香は、智子とリオンの顔を見るなりそう言った。
ドアが空いた時、綾香はクリップボードを持ってフィールのカプセルを覗き込んでなにやらメモを取っていた。
セリオは監視システムの操作卓に座って、何かを操作している。
「あー、たまたま来栖川エレの研究所に偶然居合わせてな、一緒に行かへんかって、誘われたんや。まぁ、わたしかてたまにはマルチに会いたいし」
智子が笑顔でそう言うと「わたしは、寺女からの帰りに珊瑚さんに拉致されて、更に研究所でミルファに拉致されました」とリオンが続けた。
ミルファは「拉致」という言葉を聞いて、以前も貴明に似たような紹介をされたのを思い出し、リオンはそういう表現が好きなのかな、と一瞬思ったが口には出さなかった。そして、事情を知った綾香はクスッと笑った。
「ああ、長瀬さんに会いに行くの今日だったんだ。それと、リオンの制服、懐かしいなぁ。ウチの高校でテスト中なの?」
綾香はそう言いながら、監視システムの操作卓のセリオの横に座った。
「あ、はい。でも、今日が最終日です。これはその、あまりにもの急展開で、綾香さんに連絡を取ったり手続き申請の事務処理をしたりで着替えているひまがなくて、そのまま。
でも綾香さんって、カリスマ的な人気だったんですね。わたしは3年に編入されたんですが、当時の綾香さんをご存じの方から色々聞かれましたし、ご武勇伝もいくつか」
リオンはさいしょ俯いてごにょごにょと言い訳していたが、途中から綾香をからかうような口調になった。
「う、誰かな、そんなこと吹き込んだのは....。わたしが三年の時の一年よね。あの子かなぁ。セリオ、あとで田沢さんに聞いておいてくれる?」
そういいながら綾香はマルチのカプセルに視線を向けた。
セリオは黙って頷いた。
「でも、ほんとに、マルチって人を集めるわね。この前の定期チェックの時も、姉さんとあかりが寄ってきたのよ」
「へえ。芹香さんや神岸さん、元気なん?」と智子。
「ええ。姉さん、今日はもう本邸へ帰ったけどね。あかりは浩之とデートよ」
綾香は背を向けて、なにやら端末をいじりながらそう言った。
「デートって、あの二人、婚約者同士だからって下宿でなかば同棲してるって聞いてたけど? なにをいまさら」
智子は半ばあきれ顔でそう言った。
「わたしもそう思うけどね。でも、学内じゃあまりにも自然体なので二人がそう言う関係になってるって見えないのよね」
綾香はそう言いながら智子の方に向き直ると、両手の手のひらを上に向けて肩を竦める。
「それじゃ、藤田君はともかく、神岸さん、モテるんとちゃうの?」と智子。
「それがねぇ、あかりったら、『婚約者が居るので』って、バリア張っちゃって、男を寄せ付けないようにしてるのよ」
「あれまぁ。でも、まぁ、高校時代にも色々あったさかいなぁ。レミイが日本に戻ってきたんかて、藤田君が原因なんやろ?」
智子は頭が痛いというジェスチャを見せた。
二人の掛け合い漫才にリオンはくすくす笑う。
そして今日のメインの来訪者であるミルファは初めて訪れる部屋に半分恐る恐るという表情で、珊瑚は興味津々という雰囲気で眼を輝かせていた。
二人はマルチのカプセルよりも壁側の通路で部屋を見回していた。
「珊瑚さん、その手前の私と同じ髪の色のかたがマルチ姉さんです」とリオンが言った。
珊瑚が先に立ち、ミルファが従う形で二人はマルチのカプセルに近寄った。
「ほんま、めっちゃ幸せそうな寝顔やー」
珊瑚がぽつりと言った。そして、ミルファは泣きそうな表情を堪えながら、口を押さえてペタンと座り込んでしまった。肩が震えている。リオンはミルファが泣いていることに気づいた。
「ミルファ、どうしたの」
リオンはそう言った。
「本当に、本当に満ち足りた笑顔。マルチお義姉さまは、本当に幸せだったんですね。ご本人にお会いして、なんか滅茶苦茶感激してしまって。
マルチお義姉様の苦労があって、いまのわたしたちがいる。わたしたちにとっても、掛け替えのないお姉さまです」
ミルファは震える言葉でそう応えた。悲しみの顔ではない。マルチと対面して本当に感激したという、くしゃくしゃの笑顔。すると、一行が部屋に入ってから椅子に座った状態で無言で成り行きを見守っていたセリオがいきなり立ち上がり、ミルファに近づいてきて、おもむろに彼女を抱きしめた。
「セリオ…義姉様」
セリオはミルファの頭を撫でた。
「ありがとう、ミルファ。それだけで充分です」
セリオの瞳には大粒の涙が溜まっていた。
そんな二人をリオンも目尻に涙を浮かべて嬉しそうな笑顔で見ていた。
「マルチも、きっと嬉しいよね。妹たちが慕って会いに来てくれるんだもの。待ってて、わたしたちがきっと起こしてあげるから。フィールもね」
そんな様子を見ながら、綾香がそう言った。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
「恐怖、ですか?」
リオンは長瀬の言葉に、茶筒を持ったまま小首を傾げて、逆にそう質問した。
ミルファ達と別れたリオンと長瀬は大学内の長瀬の研究室に来ていた。リオンにとっても勝手知ったる部屋だが、入るなり開口一番「明日から一週間ほど、ここに通っても良いですか?」と言って、長瀬を睨み付けた。リオンのおかげで綺麗に片づいていた研究室が、たった一ヶ月の寺女でのフィールド・テストの間に元の魔窟に戻りかけていたのだ。
長瀬は苦笑すると、「考えておくよ」と言って、かろうじて使えるソファにリオンを座らせた。最初は素直に座ったリオンだったが、すぐに「お茶でも淹れますね」と言って、用意を始めていた。
西園寺女学院の制服はさすがに目立つので、もしもの時にと長瀬に頼んで研究室のロッカーに置いてもらってあった研究所の事務員の制服に着替えている。
長瀬はそのまま、リオンと智子から聞いた話を元に、リオンの異常反応の話を始めていた。
「あくまで保科さんの意見だがな。彼女は弁護士志望なので、心理学も学んでるんだ。リオンの反応を、まぁ、伝えられる範囲で出来るだけ正確に伝えた結果、帰ってきた答えが大多数の人間が見せる『死体に対する恐怖』の反応なんだよ」
「人間の方が死体を目の当たりにした時に起こす反応が、わたしが一時的にシステムパージされたシルファの素体を見たときに起こした反応、と似ているんですね」
リオンは急須にお茶っ葉を入れながら、半信半疑というような微妙な表情でそう言った。
長瀬は黙って頷いた。
「わたし自身は、経験が無いので自己分析が出来ませんが、恐らくそうなんだと思います。神楽坂さんがわたしの背中をさすったのが、吐き気を催した人間に対する処置ですし、記憶内にある資料映像でも似たシチュエーションのものがあります。あの時はブレーカーが落ちかけて意識が飛びそうになりましたし、実際には人間の方でも気絶したりするそうですね」
リオンは急須にお湯を入れて蒸らしながらそう答える。
「フィールやマルチは死んでいるわけじゃない。ただ眠っているだけだ。だから君は彼女たちには恐怖を感じなかったんだよ」と長瀬。
「ええ、あの部屋にはフィール姉さんとマルチ姉さんが確かにいらっしゃいます。言葉では具体的には言い表せないんですが、わたし、最初にあの部屋に入ったとき、確かに感じたんです。受け入れて貰えた、というか、とても不思議な感覚でした」
リオンは湯飲みにお茶を注ぎながらそう言った。
「それに、シルファの頭部は初期のリオンの物と同じだ。自分の死体を見ているようなもんだろう。それも拍車を掛けたんじゃないかな」
「どうでしょう。自分の事なので客観的な評価ができませんから、わたしにはなんとも言えませんし」
リオンはそう言いながら、お盆を捜している。
「ミルファはどうだったんだろうな」と、長瀬。そして、リオンはお茶を注いだ湯飲みをお盆に載せて、長瀬の所に戻ってきた。
「さぁ、そればっかりはミルファ本人じゃないとわかりませんが…、多分あの娘なら大丈夫だと思います」
リオンは長瀬の前に湯飲みを置きながらそう言った。
「問題はイルファだな。保科さんが言うように、無意識にでもいままでの自分のアイデンティティが否定されることと葛藤しているのなら、ちょっとやっかいかもしれないな」
そう言うと、長瀬はずずっとリオンの淹れたお茶を啜った。
「ああ、やっぱりリオンが淹れるお茶は美味いな」
リオンはお盆を胸に抱きながらにっこりと笑う。
「きっと、大丈夫ですよ。イルファ一人なら多分、時間がかかるでしょうけど、彼女には同形式のミルファという妹が居ますから」
そう言うリオン本人は、いまの会話で一つ試したいことと一つ気がかりなことが出来ていた。
その気がかりは口をついて出てしまった。
「むしろ、いまはシルファの方が心配です」
リオンはふっと窓の外に視線を移した。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
「あれー、どないしたん?」
翌日、珊瑚やミルファたちが通う学園の校門で待ち伏せしていたリオンを見つけた珊瑚は、開口一番そう叫んだ。彼女の後ろでは瑠璃が訝しげな目で見ている。その更に後ろにはミルファがついてきていた。
珍しいことにリオンはイルファやシルファが普段着ているのと同じメイドロボ用のワンピースを着ていた。襟元のリボンの部分だけがイルファ達と違ってブローチ止めのスカーフタイになっている。メイドロボがそこそこ普及している町中では却ってこの服装の方が目立たないのだ。
「お姉ちゃんがここに来るなんて珍しい、って言うか初めてじゃない? それと、その服装も初めて見た」とミルファ。
「ちょっと、珊瑚さんにご相談したいことがありまして。よろしいで....あ、瑠璃さんは、えーっと」
リオンは引きつった笑顔でそう言った。瑠璃はフンと鼻を鳴らしてそっぽを向いただけだった。これポーズは拒否ではないとリオンはミルファから聞いていたので、内心ほっとしていた。
「なんかな。ここで待ち伏せって事は、家じゃアカンの?」
珊瑚はそう言いながら首をかしげる。
「ええ、ミルファに聞かれるのは全然オーケィなんですが、イルファに知られるのはちょっと」
リオンは苦笑いをしながらそう言う。
「わかった。瑠璃ちゃん、みっちゃんと一緒に先に帰っといて。みっちゃん、いっちゃんにはてきとーに誤魔化しといてな」
ミルファは「了解」と言って、手をすっと頭にかざして敬礼してからこう続けた。
「でも、最近はひっきーの監視でダーリンの家の近所をウロウロしているから、お姉ちゃん、多分家には居ないとは思うけどね〜」
リオンはその情報でちょっと考え込んでから、「それじゃあ、それほど長い話でもありませんし、道すがらご相談させてもらえますか?」と言った。
「りっちゃんがそれで良いんなら、ウチはかまへんけど」
珊瑚はそう言いながら先頭に立って歩き始めた。
「で、なんなん? 話って。しっちゃんの事かな?」と珊瑚はくるりと振り向いて、にぱーっと笑いながらそう言う。
リオンは「流石だ」と思った。ぽや〜っとした雰囲気が持ち味の珊瑚だが、やはり天才的なエンジニアなのだ。洞察力は普通の人間とは比べものにならないくらいに鋭い。リオンは素直に頷いた。
「相当苦労していると伺っています」とリオン。
「うん、最初に今の身体になったとき、動けなかった話は聞いとると思うけど、それが原因でまわりにエライ迷惑かけたこと、かなりトラウマになってるようなんや。そんなん気にしてもしゃーないんやけどなぁ」
珊瑚は顔を伏せ気味にそう言った。こういう時の珊瑚はかなり真剣な表情をしている。だが、そんな時でも顔を上げるといつもの笑顔なのだ。
「ひっきー、さんちゃんみたいに割り切れるほど強くないよ」
ミルファが二人の会話の間に割って入った。
「あたしって、どっちかと言うと突っ走って失敗したら後から考える方だけど、あの子は石橋叩いて叩いて渡る方だから。でも、ちょっと叩きすぎだと思うけどね。最近は叩きすぎて渡るはずの橋を壊しちゃってるでしょ」
ミルファは腕を上げて頭の後ろにまわし、掴んでいる鞄を頭の後ろでブラブラさせながらそう言う。ミルファ達が通う学園の指定鞄は女子の制服のデザインが若干変わった時にオーソドックスな手提げの学生鞄からランドセルのように背負う事も出来るタイプに変わったのだが、似た体格の人間の少女より微妙に身体が固いミルファは、胸を大きくした影響もあってか、ギリギリのところで背負えないのだ。
「どっちかと言うと? やて? そのものズバリの猪突猛進やん」
一番後ろを歩いていたはずの瑠璃がたたたっと走って先頭に回りこみ、ミルファに突っ込みを入れる。
「あー、瑠璃ちゃん、ひどーい」
言い切ったあと、先頭に立って逃げる瑠璃をミルファが鞄をブンブン振り回しながら追いかける。
「仲、良いんですね」
リオンはにこっと笑ってそう言う。
「うん。以前は瑠璃ちゃんも殻の中に閉じこもっとったけど、いっちゃんやみっちゃんが来てから随分変わったよ。あいかわらずウチにべったりなのは直ってへんけど。しっちゃんもああなってくれるとええんやけど」
珊瑚は微妙な表情でそう言う。
「シルファの件ですが、わたしにもやらせてみてくれませんか?」とリオン。
「ほえ? なんでまた?」
珊瑚はびっくりしてリオンの顔をまじまじと見つめた。
「イルファが色々フォローをしているのは聞いていますが、なんだかじれったくて。なにより、あの子はわたしですし」
じゃれ合う二人を余所に、リオンは真顔でそう言う。
「あー、そういやりっちゃんって最初はしっちゃんと同じ頭やったっけ。まぁ、えーんとちゃう? そやけど、りっちゃん、別の目的もあるんとちゃう?」
珊瑚はそう言いながらリオンの顔を覗き込むとにぱっと笑う。
「あ、バレました? 実はシルファには一度もちゃんと会ってませんので、智子さんの分析結果を確認してみたいというのもあります。それで、あの子のお母さんである珊瑚さんに許可をいただこうと」
リオンは苦笑しながら頬をポリポリと掻いた。
「ウチもあの時、研究所で騒動を目の当たりにしたさかいなぁ。正直言うと、しっちゃんの生みの親としての興味もあるし。うん、ええよ。思った通りにやってみ。りっちゃんのやることなら、しっちゃんにはマイナスにはならないと思うし。そやけど、結果はちゃんと教えてな」
珊瑚はそう言った。
「それと、もう一つ」とリオン。
珊瑚は「なんや?」という表情で首をかしげる。
「ところで、河野さんのお宅って、どこなんでしょうか?」
珊瑚はリオンのその言葉に仰け反って爆笑した。
「りっちゃんて、変なところで抜けてるなぁ」
「まったくですね。恐れ入ります」
リオンはばつの悪そうな誤魔化し笑いを浮かべながらそう言った。
「ところで、あの二人、何処行ったん?」
珊瑚がそう言い、二人は顔を見合わせた。
気がつくと、追いかけっこをしていた筈のミルファと瑠璃の姿は何処にもなかったのだ。
「置いていかれちゃったようですね」
リオンはそう言いながら二人が先に行ってしまったと思われる、姫百合家が入居するマンションの方を見つめた。
その数日後の朝が昼に替わる頃、休暇を取ったリオンは河野邸の門の前に立っていた。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
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