To Heart 2 Side Story

リオン Release 2.0

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Chapter 8:HMX-17c Silfa


     ◇     ◇     ◇     ◇     ◇


−このあたりよね。

 リオンはサテライト・サービスの住宅区画図と珊瑚から聞いたアバウトな住所を元に、河野貴明の家を探していた。今日は先日のメイドロボ用のワンピースではなく、普通のOL風のスーツ姿だ。

 目的の一つはあっさり珊瑚にばれてしまっていた。
 リオンは長瀬との会話の最中に「じゃぁ、いまのシルファに会ったらわたしはどういう状態になるんだろう」という考えがわき上がってきていて、それを確かめたくなったのだ。自分でも無謀だと思っている。なので、万が一に備えて、普段は接続を切っているサテライト・リンクをアクティブにして、機能停止した時は自動的に発信されるレスキュー・シグナルを元に回収して貰うように出がけに胡桃に頼んでいた。
 珊瑚に相談した日、姫百合邸で−ミルファの予測どおり、イルファは不在だった−そのことを相談したミルファは「あたしも一緒に付いていった方が、良いんじゃないかな?」と言ってくれたが、自分に与えられた試練でもあるので、それはやんわり断っていた。
 リオンが考えている荒療治にはミルファは居ない方がよかった。

−でも、バレバレよ、ミルファ。言うんじゃなかったなぁ。嬉しいのは嬉しいんだけど、せめてセーラー服はやめて欲しかったかも。

 実はミルファは、50メートル程後ろを尾行してついてきていた。本人は気づかれていないつもりのようだが、あのピンクのセーラー服は結構目立つ。人間なら視野の端なので認識が甘くなり、気づかなかったかもしれないが、リオンの目はかなり高度な周辺補正が掛かっているので、視野全域が均等に認識できるのだ。
 リオンはミルファに相談したことを後悔しながらも、いざというときは彼女が近くに居るという事にどことなく安心感を覚えていた。ミルファは普段はきゃぴきゃぴしていて落ち着きが無いが、いざというときは意外と頼りになるのだ。
 もっとも、ミルファはミルファなりに考えて制服を着ていた。なにより、貴明とはクラスメイトだし、貴明の家の向かいに住んでる柚原このみや、割と近所に住んでいる草壁優季とも顔なじみなので誤魔化しが効きやすいと判断したのだ。

 リオンは門戸をゆっくりと開いて玄関に向かった。そして、おもむろに呼び鈴を押し、顔の正面を見せないように横を向いた。本当は規則違反なのだが、メイドロボということを多少でも誤魔化すために、ドア側に向けた耳のセンサーカバーも外す。

「ろちらさまれすかぁ」

 玄関越しに聞こえてきたのは、ミルファから聞いていた、呂律がおかしい口調。しかも、メイドロボにあるまじき投げやりな雰囲気だ。普段は貴明の顔見知りしか訪ねてこないので、油断しているのだろう。
 ドアのレンズ越しにこちらを伺う気配があり、「ぴっ」という短い悲鳴と共に、ドアの向こうの人影が硬直したのがわかった。
 そして、ドタバタ駆け戻る足音のあと、インターホン越しに『ご、ご主人様は留守れす。時間を変えてくるのれす』という声が聞こえた。

−あ、まずったかな。

 リオンは自分の正統派のアプローチがシルファには逆効果だということをその場で結論づけた。貴明が帰って来てからでは意味がない。どうしようかと一瞬悩んだリオンは、センサーカバーを元に戻すと思い切った行動に出た。
 その行動を河野家の門戸と塀の影で伺っていたミルファは、人間なら腰が抜けそうなほどに驚いた。

「こーの、ひっきー、とっとと開けなさい! さもないと、お姉ちゃん呼ぶわよ」

 リオンはミルファの声でそう叫んでドアを軽く蹴飛ばしたのだ。
 家の中で「ぴーっ」というシルファの悲鳴が聞こえると、ドタバタと玄関に駆け寄り声がして、がちゃっとドアが開く。
 その間、リオンはミルファが居るあたりに向かって舌をペロリと出して小首をかしげた。ミルファは自分は後をつけてきたことがバレてたことを悟ったと同時に、それが自分への謝罪のポーズだと理解した。
 リオンが結構お茶目で自分に似た猪突猛進な性格だということに、ミルファはすぐに気づいていた。だが、元々持ってるスキルが遙かに優れている上にそのスキルに裏打ちされた的確な判断が出来るため、ミルファのように失敗しないのだ。
 姉としての、それとメイドロボとしてのスキルは、イルファとほぼ互角かそれ以上だが、なにより裏表のない親しみやすい性格なのがミルファがあっさり懐いた原因でもあった。

 ミルファはバレていたことを悔やむ前に、笑いを堪える方に取り組まなければならなかった。それと同時に、断片的な情報しか知らないミルファとシルファの関係から、ここまで完璧に自分をシミュレートしたリオンの性能に素直に驚いていた。

「ミルミルーっ、そんなおろしには...の」

『らないんらから』、は出てこなかった。リオンはドアが開いた瞬間に、がしっとドアを掴み、シルファに向かってにっこりと微笑んだ。リオンはHMX-17系のプロトタイプでもあり、アクチュエータに余裕があるため、パワーは彼女たちの3割り増し。シルファ一人では太刀打ちできない。

「失格。こんな単純な手に引っかかるなんて、わたしの義理の妹とは思えないくらいだわね」

 リオンはドアをがしっと掴んだまま微動だにしない。

「ら、られれすか....」

 シルファは必死にドアを閉めようと悪戦苦闘している。

「まったく、基本はわたしと全く同じアタマを使ってるんだから、もう少しマシだと思ってたんだけど。ホントにわからないの? それと、そんなに力任せにドアを引っ張ったら壊れるわよ」

 リオンはそう言いながら、ドアを掴んでいたシルファの手を、彼女が一瞬ひるんだ隙にひょいと除ける。

「リ...」

 シルファはそっぽを向きながら、ぼそっと一言。

「リ?」

「りんりん....」

「どこかの動物園のパンダみたいな呼び方しないでくれるかな。リオン、よ、リ・オ・ン。まったく、自分の身体のオリジナル、義理の姉の事くらい、ちゃんと覚えておきなさい。良いわね?」

 リオンはそう言うと、ミルファが隠れている方に向き直った。

「ミルファー、ありがとう。杞憂だったわ」

 リオンがそう言うと、門戸の影からミルファがすっと立ち上がった。

「み、ミルミル」

 シルファは最も見られたくない相手にバッチリ目撃されたことがショックだったのか、へなへなと座り込んでしまった。

「お姉ちゃん、さすが」

 ミルファは開口一番そう言った。

「うまいもんでしょ。イルファがお向いの柚原さんとも懇意なのはあなたの話で知ってたから、あの子が来たら、鍵を借りに行くくらい察しがつくしね。シルファがあなたに対してどういう反応をするのかも大体予測がついていたし。
 伊達にイルファより半年も先にロールアウトされてないわよ」

 と、言いながらリオンはウインクする。

「あー、でも、それ以前にこの子、イルファお姉ちゃんにはアタマが上がらないから、春香さんから鍵を借りなくても開けたと思うけど」

 ミルファはそう応じながら二人に近寄ってきた。

「あら、そうなんだ。高飛車らしいのに、意外と根性無しなのね」

 リオンはそう良いながらへたり込んでいるシルファを見下ろす。
 このあたりがモデルベース・アーキテクチャ主体のリオンの優位点だった。一度記録した情報は完璧にシミュレートできる。DIA主体型のミルファ達も出来ないことはなかったが、より人間に近いため自分の物にするにはもっと時間が掛かるし精度も劣る。

「あ、そうそう。その気になれば河野さんの声だって出せるわよ」と、『河野さん』以降は貴明の声でリオンはそう言った。

 ミルファとシルファの表情が凍り付いた。ミルファは最初からはっきり貴明ラヴラヴ宣言をしていたし、シルファも実は貴明に好意を持っているのは周囲にバレバレだった。

「リオンお姉ちゃん、ごめん、それだけはやめて」

 すぐ側まで来ていたミルファが引きつった表情でリオンの肩に手を置くと、そう言った。リオンはそれに応えて自分の声で「ごめん、ごめん。ちょっとやり過ぎたわね」と素直に謝った。

「で、その義理のお姉様がなんの御用なのれすか....」

 座り込んだままのシルファがぶすっとした表情でそう言った。

「うん、やっぱり平気だ。智子さんの推測は正しかったんだ」

 リオンにこやかに言う言葉に二人はわけがわからないという表情で首をかしげた。そして、リオンが「実はね」と言いかけたが、それはミルファが遮った。

「とにかく、こんなところで立ち話していたら目立つし、近所迷惑だから。ダーリンの留守宅に上がり込むのは気が引けるんだけど、中に入れて貰いましょうよ、お姉ちゃん。話はそれから」

 ミルファはそう言い、勝手知ったる河野邸の玄関に先に入ると、シルファの襟首をむんずと掴んで「こーら、ひっきー。とっとと立ちなさい」と言いながら引きずり上げた。多分、放って置いたらリオンがそうしていただろう。
 それは、もし初対面の義理の姉にそれをやられたらさすがに可哀想だという、ミルファなりの実の妹を気遣っての行動だった。

 リオンとイルファの違い。イルファは外堀を埋めて逃げ場を無くしてからネチネチと説教責めにする。それが彼女が「黒い」と言われる所以なのだが、それに対してリオンは怒る時は襟首をむんずと掴んで引きずり上げ、目線を合わせて一喝するというような雰囲気がある。とにかく、からっとしていて、ネチネチと引きずらない性格だった。

 河野邸の居間に入った3人のメイドロボ。ミルファとリオンはL字型のソファの長手方向に腰掛け、一応家人であるシルファは、リオンとの間にミルファを挟むように短い方にすわった。
 リオンは座り方からHMX-17シリーズとは違った。彼女は腰を下ろすなり、シルファの方に向かって少し身を乗り出すようにして話し始めた。それはシルファにもリオンが自分を尊重しているという意思となって伝わっていた。だが素直になれないシルファはツンと顎を上げてそっぽを向き、視線だけリオンに向けている。

「ミルファにはわたしが研究所のメンテナンス・ラボでシルファの死体を見た時に気絶しかけた話はしたかしら?」

 ミルファは「死体」という言葉に過剰反応したのか、その質問にブンブンと首を振る。そして、それまでそっぽを向いていたシルファがリオンに顔を向けると憤慨したような口調で「シルファは死んらりしてません」と言った。

「『死んだり』って、ひっきー。あたしたちは機械なのよ、元より生きてないじゃない」

 今度はミルファは頭が痛いというジェスチャでそう切り返した。

「表現が比喩的だったわね。ごめんなさい。ちゃんと順を追って話すわね」

 リオンは、来栖大から研究所に戻って、最初にシルファの素体を見た時のことをかなり細かく説明した。
 そして、その話を聞いた保科智子の見解が「死体を見た時の大多数の人間の反応に似ている」という物だったという事も付け加えた。

「でも、あたしたちにとって、素体からシステム・パージをすると言うことは、人間が魂を失うのと同じだから、お姉ちゃんが言う『死体』という比喩はあながち間違ってないと思うけど」

 ミルファはリオンの説明を素直に理解したようだった。

「そうね。記憶の全てと、パージ直前の正確なスナップショットが保てなかったら、死んだ事になるわね。おまけに…」

 リオンはそこでちょっと躊躇した。だが、それは一瞬で、すぐに続けた。

「あとから胡桃さんに聞いて、びっくりしたんだけど、今のシルファの髪ってわたしのなのよね」

 ミルファの「へっ?」という言葉とシルファの「ぴっ!」という感嘆音が重なった。

「正確に言うと、シルファの頭部はわたしがロールアウトされた時に使っていた髪の毛の予備パーツをそのまま使ってるらしいの。わたしが実際に使っていた物はさすがにシルファがいやがるだろうから、素材リサイクルにまわしたらしいけど」

 リオンはうなだれながらそう言った。

「じゃ、お姉ちゃんて、最初は金髪三つ編みお下げのこんな顔だったの?」

 ミルファが素っ頓狂な声で言った。右手はしっかりシルファを指さしている。

「あ、三つ編みじゃなくてポニーテールだったけどね。今と違って、あなたたちみたいに耳の前の髪も長かったし。いまのこの髪の毛はHM-12用を手直ししたものなの。マルチ姉さんと同じにしたくて、替えて貰ったの」

 リオンはそう説明した。

「それじゃあ」

 ミルファはそこまで言いかけてリオンが何を言いたいのか気づいたようだった。突然口調が変わる。

「うわっ、それはっ、か、かなりきついかも。多分、あたしも持たない。あ、想像したら気持ち悪くなってきた。ん、あれっ?」

 ミルファの顔は人間の血の気が引いた表情をうまくシミュレートしていた。だが、それより目の前の事態の方が気になったようだ。シルファもミルファと同様にリオンが言いたいことに気づいたようだが、微動だにしない。

「お姉ちゃん、刺激強すぎ。この子、逝っちゃったみたい」

 ミルファはそう言いながら、真っ青な顔でソファからよろよろと立ち上がり、ブレーカーが落ちたシルファの横に膝立で座ると、「おーい、ひっきー、起きろー」と頬をペチペチと軽く叩き始めた。だが、「リブートするまで待つしかないね」と言ってすぐにやめた。

「ちょっと刺激が強すぎたわね。ごめんね、シルファ」とリオン。

「でも、お姉ちゃん、なんでそんな話を」

 ミルファは立て膝のままリオンに向き直るとそう言った。

「半分はわたしの心のためよ。モデルベース・アーキテクチャのわたしの人格形成のソフトウェアの反応が正しい物なのか、確かめる必要があったの。あなたたちの反応を見て確信したわ。わたしの反応はマトモだったってこと。あと半分は…」

 リオンはシルファに向かって優しい笑顔を向けるとこう言った。

「シルファが、昔のわたしと同じ子が苦労しているって。なんとなく、他人のような気がしなくて。力になれないかなぁって思ったの。そんな状態にまで戻しても、この子を動かそうと努力していた人たちが居たってこと、知ってもらいたくて」

「やさしいなぁ、お姉ちゃんは」とミルファ。

「確かに、この子が悪い訳じゃないんだけどね。でも、いろんなことが重なって、すっかり捻くれちゃって。前の素体の頃は素直で良い子だったんだけど」

 ミルファはそう言いながら、動かないシルファをきゅっと抱きしめた。

「お姉ちゃん、この子のおかげで嫌な思いしたんでしょ? あたしのわがままも少しあるんだろうけど、この子がマトモに起動しなかったおかげで、お姉ちゃんのテスト・スケジュールがぐちゃぐちゃになったって、さんちゃんから聞いてる」

 ミルファは沈痛な面持ちでリオンにそう言ったが、当のリオンはにっこりと笑ってこう言った。

「うーん、確かに最初はね。イルファやミルファに怒鳴り散らしたくらいだし。でもいま考えるとお父さまの研究室の掃除は結構面白かったし、なにより来栖大では憧れのマルチ姉さんやフィール姉さんにも会えたし、後悔はしてないわよ。回り道したおかげで可愛い妹に懐いてもらえたし」

「ホントに?」

「わたし、嘘は苦手なんだけど」

 リオンはミルファに真顔でそう言った。

「わたしの心が一山越えて更に強くなれることが出来たのは、ミルファとシルファのおかげだと思ってる。これは本当よ。あなたたちの義理の妹になるわたしの量産型にもその成果は反映させることが出来る。シルファは自分が味噌っ滓で要らない子だと思い込んでるみたいだけど、間接的にでもちゃんと役に立っているじゃないの。もっと自信を持って良いのに。
 でも、多分、不安なんだろうね、自分だけが違うと思って。みんなそれぞれ違うのに。それと、珊瑚さんは簡単に考えていたようだけど、違う素体にシステムを移動するというのは、メイドロボのパーソナリティにとってはかなりリスクが高いことのようね。わたしは最初からこの身体だから、そのあたりがちょっとわからないのよ」

 リオンがそう言っている最中にミルファは立ち上がって元の場所に戻って来た。

「お姉ちゃん、やっぱり凄い。言われてみると、そうなんだよ。あたしもこの身体になってから随分苦労した。さんちゃんや長瀬のおじさんには言えなかったんだ。悲しませるから」

 ミルファはそう言いながら座り直す。

「ミルファ、それは間違いよ。問題があったらちゃんと報告する。わたしと違って正式な実験体ではないあなたにも、その報告義務はあると思うの。たとえ、開発者の人が一時的にがっかりしても、それは後々みんなの幸せに繋がるんだから」

 リオンがそう言うと、ミルファは素直に頷いた。

「多分、イルファお姉ちゃんもそれをやらなかったんだと思う。我慢しちゃうんだよ、イルファお姉ちゃんて。さんちゃんに迷惑がかかると思って。わたしも、同じシステムを搭載する実の妹だから、考えかた似てるのよね。つい最近まではそう思ってた。でも違うんだよね。困ってることは素直に報告しないと。だからこの子に要らない苦労をさせてしまった。姉としては失格だよね」

 そして、ミルファはシルファに向き直るとこういった。

「ひっきー....ううん、シルファ、いい加減に顔を上げなさい。狸寝入りでしょ。30秒で再起動しているはずだよ。さっき抱きしめた時、再起動音聞こえたし」

 ミルファがそう言うと、それまで硬直していたシルファのボディが一瞬弛緩し、それまで止まったように見開いたままだった目が瞬きした。

「別にシルファは苦労なんて…」

 シルファはそっぽを向いて、ぶすっとした口調でそう言う。

「してるでしょ。あたしも素直になるから、あんたもいい加減思ってること全部ぶちまけちゃいなさいよ」

 ミルファがそう言っても、シルファは姿勢を変えなかった。

「あんたねー、そういうのをひねくれてるって言うのよ。メイドロボとしての家事能力はあたしより遙かに上のくせに」

 ミルファは再びすっと立ち上がってシルファに近寄ると、あたまを掴んでぐいっとリオンの方に向けようとした。

「ミルミル、痛い」

「シルファ、あなたマルチ姉さんの事、知ってる?」

 リオンがそう言うと、シルファはミルファの手を押しのけてまたそっぽを向いてしまった。

「知ってるれす。失恋して壊れちゃったぽんこつめいろろぼです。シルファよりもぽんこつれ....」

 ぴしゃん!

 リオンはそのシルファのふてくされた言い方と内容に、さすがにむっとなって怒ろうとしたが、予想もしなかった音が響き、一瞬固まった。リオンが怒るより早く、シルファは平手打ちされて、仰け反っていた。
 平手打ちを放ったのはミルファだった。

「なんてこと言うのよ、このドアホウ!」

 それまで、なんだかんだ言いながら、表情は穏和だったミルファは鬼のような形相で妹を睨んでいた。

「たしかにマルチ姉様はあたしたちより3世代も旧型のメイドロボよ。でも、だから、もの凄く苦労して。マルチ姉様が失恋して、心が壊れかけたから。マルチ姉様が自分の意志であたしたちの踏み台になってくださったから、今の、強い心を持った、人間と見分けが付かないほどのあたしたちが居るのよ。それを!」

 ミルファは呆然としているシルファの胸ぐらをぐいっと掴んで引きずり上げた。

「謝りなさい。今すぐ、マルチ姉様に謝りなさい」

 ミルファの表情は、今度は氷のように冷たくなっている。

「ぴ、そ、そんなの無理....」

 シルファはミルファのあまりの激高に顔面蒼白でブルブル震えている。シルファはマルチが何処にいるかなんかは知らない。なので、至極マトモな反応なのだが、ミルファはおさまらない。
 ミルファはそんな妹にはお構いなしに、セーラー服の上着のポケットから携帯電話を取り出すと、どこかに電話をし始めた。相手はすぐに出たようだ。
 シルファはミルファに持ち上げられ、つま先立ちのまま身動きできずに呆然としている。

「あ、あたし、はるみ!」

『ミルファ』ではなく『はるみ』と名乗ったことから、相手が学校関係者なのはわかった。学校なら丁度昼休みに入った時間帯だ。電話の向こうで誰かがわめいているのもわかる。

「え? 今日はサボり! そんなことはどうでも良いじゃない、あたしはメイドロボだから、ギリギリ進級出来てダーリンと一緒に居れればあとはどうでもいーの。
 あ、そうじゃなくて、ダーリン、ちょっとこれからウチのバカ妹借りるから」

 相手は貴明だった。電話の向こうで貴明がわけがわからず慌てているようだったが、ミルファはお構いなしに電話を切って、シルファを今度は床にねじ伏せた。

「お姉ちゃん、いまから来栖大に行こう。このオバカ、マルチ姉様に向かって土下座させる。手配、お願いできるかな?」

 リオンはあまりにもの急展開に、ちょっと気圧されたが、丁度良い機会かもしれないと思い直して、頷いた。

「わかった。とりあえず車を呼びましょう。道すがら手配はするわ」

 リオンは頭痛がするというように頭を支える仕草をしながらそう言った。

「さすが。こういう時に体内に通信端末があるお姉ちゃんは便利よね。ボディはほとんど同じだけど、あたしはサテライト使えないから。
 それより、お姉ちゃんも同じ事考えてない? 丁度良い機会だって」

 ミルファは、今度は床に押さえつけられてもがいている妹には目もくれずににっこりと笑ってそう言う。そして、暴れ続ける妹に一瞥もしないで「大人しくしないと、左耳に指突っ込むわよ」と言った。来栖川製のメイドロボは左耳の中に電源の強制切断スイッチがある。右耳だと正常なシャットダウン・シーケンスが動く。
 さすがにその一言で、シルファは観念したのか暴れるのをやめた。強制的に電源を切られると、その日の記憶が飛んでしまい、後が大変な事になるのだ。

 リオンは苦笑するしかなかった。


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