To Heart 2 Side Story

リオン Release 2.0

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Final Chapter:HMX-12/22a Multi Reviced & ...


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−あなたは、誰?

 真っ白な無意識のプールの中を漂っていたわたしは、不意に知らない意識と出会いました。いつも来てくださる、セリオさんとは違う意識。その意識はわたしの為に泣いてくださいました。最初は悲しさ、いえ、わたしに対して申し訳なさそうな、恥ずかしそうな意識。でも、それはすぐに消え、うれしさと暖かな優しさに変わりました。
 最初一つだったその新しい意識は、もう少しして、別の意識を連れてきてくださいました。その新しい意識は、最初から嬉しさに満ちていました。

 そして、その新しい意識は更に増え続けました。

 わたしにはわかっていました。それはわたしやセリオさんの妹たちだと。


「…ただいま…」

 そして、もう一度、今度は大きな声で。

「ただいま!」

 数年ぶりに現実のボディで意識を取り戻したわたしは、目の前に居る浩之さんやあかりさん、少し離れて立っていた綾香さんやセリオさんにそう言うのが精一杯でした。あとは、あふれ出る想いで、言葉になりませんでした。
 そして、その半年後、わたしは新しい体。正確には元々の小さな体をコアにして、大人の女性の姿で生まれ変わりました。

 あれから7年、わたしが再び眠りに就いてからは6年の歳月が流れました。わたしが眠りについてすぐ後に生まれた直系の妹たちは残念ながらわたしと同じ感情システムは搭載されなかったそうです。でも、いまのわたしにはそれが正しい選択だったと間違いなく言い切れます。あの当時のわたしのアーキテクチャでは、多分、間違いなく、わたしと同じ悲劇が繰り返されたでしょう。
 いま、わたしたち来栖川エレクトロニクス製のメイドロボット....あ、正式な商品カテゴリとしてはホームアシスタント・ロボットと言うんでしたっけ、とにかく、私たちは大きな岐路に立たされています。意識と記憶とパーソナリティを新しいボディ、新しいアーキテクチャのシステムへ移植する。わたしの妹たちが、ボディの耐用年数を過ぎても、アーキテクチャが時代遅れになっても、“生き続ける”ためには必要な関門なのです。
 確かに実験レベルでは義理の妹であるイルファ達のように何体か実現しています。でも、それは本当に限定された条件下でのみしか出来ない、とても実用的とは言えないレベルのモノでしたし、シルファのように当初は障害が発生したケースもありました。
 わたしは、その汎用量産試作実験に自ら志願しました。HMX-12R/22aとして。


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「何か、おかしいと思うところはある?」

 HM開発課々長の来栖川綾香は改装したボディで意識を取り戻したマルチにそう尋ねた。綾香は徹夜でもしたのか髪も服装も乱れているし目に隈まである。学生時代の華やかな印象はどこかに捨ててしまったかのような、典型的な技術系管理職に変わっていた。
 多分、今日はマルチの再起動を確認して自分が納得するまで帰宅しないつもりのようだ。
 綾香は親の七光りを乱用してこのHM開発課に潜り込んだものの、そこからは実力で今の地位を得た。そうまでしてメイドロボットの開発に携わりたかったのだという情熱が認められて、入社当時こそ囁かれていた陰口が姿を消して久しい。

「DIAは今までのあなたの思考を司るアーキテクチャとは全く異質のモノだし。そこに無理矢理あなたの記憶やパーソナリティを突っ込んだようなものだから、どういう負荷がシステムにかかるか、わからない部分が残っているのよ」

 綾香は本当に心配そうに聞いてきた。
 逆にマルチはボロボロの綾香の方が心配だった。

「元々のわたしのアーキテクチャは5世代くらい前のモノですからね。システムエンジニアの綾香さんが心配するのもわかりますが、それを解明するために志願したんですよ、わたしは」

 マルチはそう言いながらクスクスと笑った。

「それに、そう簡単にわかればわたしの志願は必要ないじゃないですか。とりあえず今のところは、違和感はありますが、致命的な不具合はなさそうですよ。記憶容量とCPUをスペックアップしたときのショックに比べたら、何もないのと一緒です。
 しばらく動き回ってから、改めてレポートしますね。
 それよりも綾香さん、とっとと帰って寝てください。昨日も徹夜でしょう? わたしなんかの為にそんな無理をしなくても」

 そう言われて、綾香はふっと表情を崩した。

「マルチはそんなこと気にしなくて良いの。わたしは好きでやってるんだから」

 眠そうな目で微笑みながらそういう綾香だったが、その眼光は昔のままだった。

 つい先日、再起動してから数ヶ月経ち新しいシステムに更新したマルチは、意識を回復した半年後に記憶容量とCPUを最新型のメイドロボットと同じレベルにまでスペックアップした。急に意識の範囲が拡大し、モノを考えることの負荷が軽くなったショックは相当なものだったらしく、マルチは半日近く体を動かすことがが出来なかった。

 マルチが体を動かせなくなったことで、研究所の所員達はパニック状態に陥りかけたが、二度も“死んだ”経験のあるマルチは人間で言うところの強靱な精神力を発揮した。所員達が本人の余裕綽々な「なんとかなりそうです」の言葉で平静を取り戻したくらいだった。

「あの時は、今にも土砂降りになりそうな曇天が急に快晴になったくらいに頭の中が変わっちゃいましたから。それに比べたら、ものの見え方に違和感がありますがたいしたこと無いです。すぐに慣れますよ」

 マルチは綾香を安心させる意味もあってか、満面の笑みを浮かべた。マルチたちメイドロボにとって「慣れる」というのは自己チューニングを行って最適化すると言うことだ。それは実際には人間の「慣れ」と比べるとかなり難しいことでもあった。

 一通りの検査を受けた後、マルチは研究所を辞した。一応、彼女はすでに来栖川エレクトロニクスの“備品”ではなく、マスターを持つメイドロボットなのだ。マスターの名は藤田浩之。もちろん、新人に近い浩之にマルチ一人を引き取る財力は無いので、マルチの再起動に尽力した成果として、永久無償貸与という形だった。

 最初、マルチは新婚家庭の浩之の家に行くことは、あかりに気を遣って断ろうとしたのだが、当のあかりから「一緒に歩いていこう」と口説き落とされたのだった。あかりにとってはマルチは永遠のライヴァルに等しい。でも、それ以上に一人っ子の彼女には本当の妹のような存在だったのだ。


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 守衛所で手続きをして外に出ようとしたマルチを待っていた人影があった。

「姉さん」

 その人影は小さく手を振って、マルチを出迎えた。

「セリオ…」

 かつてのセリオしか知らない者なら、彼女があのセリオだとは気づかないだろう。耳のセンサーが小さくなり片側だけになった以外の姿形はそれほど変わっていないが、如何にも機械仕掛けという雰囲気は全くしなくなっていた。

 マルチが再起動した後、セリオのシステムと改良されたマルチのシステムは完全に統合され、全く同じスペックとなった。マルチもセリオのサテライト・システムを使えるようになり、セリオは制限のあった感情表現のたがが外れた。感情を優先するマルチと機能優先のセリオの統合はリオンで実現されていたが、それは既存の機体にもフィードバックされなければ意味の無いことなのだ。マルチやセリオのような、Xナンバーを持つ機体はその実験体としての役目を持っている。いまのセリオの型式はHMX-13RM。リヴァイスドを示すRの後ろのMはマルチのMだった。
 そのセリオのモデルナンバーも、近々HMX-13RM/22bとなる。

 マルチが大人の姿にスペックアップしてから、セリオは公然とマルチを「姉さん」と呼ぶようになっていた。マルチはマルチでセリオにあからさまに「さん」付けを嫌がられ、いまでは普通の人間の姉妹のように呼び合うようになっていた。システムは同じだが、経験してきたことが違う彼女たちは性格も微妙に似て非なる双子のような関係になっていた。

 この日は、もちろん無事に事が済んだ場合の話だったが、マルチはセリオと一緒にある場所に行く約束をしていた。

「綾香は? 今日は同行するって言ってなかったっけ?」

 セリオの変わった点。これもその一つだ。綾香を「様」付けで呼ばなくなった。これも感情が人間並みになったセリオが綾香に「高校以来の親友なんだから、いい加減『様』はやめてよ」と言われた結果だった。

「綾香さん、徹夜明けだから無理みたい。宜しく伝えてくれって言ってたけど」

「そう。仮眠くらい取ればいいのに、相変わらず無茶してるのね。まぁ、天下のHM開発課の課長だものね」

 セリオはそう言うとマルチと並んで歩き始めた。

「心配?」とマルチ。

「当たり前でしょう? 長年の親友だし、一応主なんだから」

 セリオはそうやり返す。マルチはそんな妹に微笑みを返した。

 二人の目指すところは、かつてマルチが眠っていたあの部屋だった。

 電車とバスを乗り継ぎ、来栖大学の正門を通る。守衛も慣れたもので、二人を止めることはなく笑顔を見せる。二人はそれに応えるようにお辞儀をすると、目的の部屋のある棟へと向かった。

 部屋のドアはマルチを認識すると自動的にロックが外れ、スライド式のドアが開いた。

「あら、マルチにセリオ、早かったわね」

 二人を出迎えたのは、この部屋と長瀬の研究室を管理しているHMX-11RLフィール。最後の“L”はリオンに由来するサフィックス。かつて、起動することなく眠りに就いていた彼女も、リオンによるフィールドテストで完成した新しいハードウェアの環境下で遂に目覚めることが出来たのだ。公式には記録されていないが、かつて藍原瑞穂の魂が乗り移ってマルチと邂逅したことのあるフィールは、「今でも母はわたしの中に居ます」と公言してはばからなかった。
 いま、この部屋には一つだけカプセルが設置されている。その中には彼女たちの妹であるリオンのボディが安置されていた。

 フィールド・テストを終え、本人の意志でHM開発課で働き始めたリオンはマルチが再起動した直後に、突然機能を停止したのだ。

 モデルベースのアーキテクチャの限界に挑戦したリオンは、その限界を超えてしまっていた。幸い、事前に予測された事態だったので、セイフィティ・インタロックがかかり記憶やパーソナリティは壊れることなく保存された。今ではこの部屋に来れば端末越しに会話も出来るが、市販モデルの数倍になる記憶を含めたデータ量が人間型の筐体には収まらなくなってしまったのだ。
 それは彼女自身が藍原瑞穂の墓前で誓った生き方だった。


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 その日、リオンは自分が止まるのを自覚していたらしく、いつも一緒に仕事をしていた本多宏一にまとわりついていた。そして、倒れたときは本多の腕の中だった。

 リオン自身は自分の限界が近いことを周囲の研究者に公言していたので、身体の制御プログラムがフリーズして倒れたときも、一部のプログラムを待避させて最後まで動かした思考プログラム、人で言うところの意識を停止する前に仲間達から「安心して、ゆっくりお休み」と声を掛けられていた。

 そして、最後は本多の腕の中で彼に聞こえるか聞こえないかの声で「好きです」と呟いていた。

 来栖大のシステムにボディを接続し、サブシステム経由で端末越しに頭脳部分のみを再起動したとき、リオンはマルチとセリオに自分が本多を好いていたことを打ち明けていた。
 好きな男の腕の中で眠る。マルチにはリオンの思いが痛いほどわかった。

「別に死んだわけじゃないけど、しばらくは動けないでしょ。だから。想いが通じるなんて高望みはしてないけど。結構幸せだったんだから」

 リオンの顔の表情を再現するアニメーション・グラフィックは頬が真っ赤になっていた。
 マルチはリオンのその言葉に優しい表情で頷いていた。

 マルチがレトロフィットのDIAのテストに志願したのは、自分の大切な妹であるリオンが再び自由に動き回れるようにしたい、との思いもあってのことだった。本来はすぐにリオンの体でテストが行われるはずだったが「もし失敗したら」というリスクと、より古いアーキテクチャから始めるべきだとマルチが主張し自ら志願することで、今に至っていた。
 もっとも、その時にマルチが口走った「わたしは2回死んでますから、もし失敗しても悔いはありません。全然平気です」という言葉は笑えないジョークとして封印されていた。

 DIAベースの電子脳は記憶を連想方式で記録出来る。そのため、モデルベースの記憶よりも遙かに小さなメモリ量で記憶を保持し、更に人間のように忘れることも出来るようになっていた。そのため、ハードウェアはよりパフォーマンスの高い物が要求されるが、記憶に関しては事実上限界が無いに等しかった。また、モデルベース・アーキテクチャのメモリとは異なり、途中に欠損があっても不都合を生じないことから、記憶の一部を抽出して別媒体に待避させ、必要なときに読み戻すという器用なことも可能になっていた。

 マルチでのレトロフィット型DIAの試験の結果が良ければ、このアーキテクチャはリオンにも移植される。そして、耐用年数が近づいて来ている市販のメイドロボット達にもサーヴィスが提供されることになるのだ。


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「マルチ姉さん、お久しぶりです」

 ディスプレイのリオンのアニメーションが笑顔でそう言った。

「リオン、ようやくDIAを搭載したわ。でもね…」

 マルチはディスプレイのアニメーションに向かってそう言った。リオンの表情を伝えるディスプレイの上には目の代わりになるカメラユニットが搭載されていて、普通の姿勢で会話が出来る。

「なにか、問題でも?」

 リオンは心配そうな表情で首を傾げている。

「これといって、はっきりしたものはないんだけど、色々と違和感があるのは事実よ。まだこのさき不都合が出てくる可能性は山ほどあるでしょうし、わたしでバグを潰さないとね。あなたに搭載するのはしばらく先になりそう」

「そんなに焦らなくても。わたしは元々数年はこのままでいる覚悟をして倒れるまで頑張ったんですから、気長に待ちますよ。それはそうと、イルファ達は元気なんですか?」

 リオンのアニメーションはにっこりと笑った。

 イルファがマルチやフィールに会いに来たのはミルファが押しかけてきてから半年ほど後のことだった。色々思うところがあったのだろう、最後まで躊躇していたらしいが、ミルファとシルファに半ば引きずられるようにしてこの場所を訪れていた。シルファはイルファよりももっと早く、リオンたちと訪れている。
 初めてマルチとフィールに会ったイルファはぺたんと座り込み、しばらく無言で微動だにしなかった。ミルファやシルファとは異なり泣きこそしなかったが、帰り際に深々とお辞儀をし、その後は晴れ晴れとした表情で「もっと早く来るんだった。わたしって、救いようのないおバカだわ」と呟いていた。

「イルファは姫百合姉妹とアメリカに旅立ったわ。しばらく日本には戻らないみたい。ミルファは河野さんの家に押しかけ警備ロボとして居座っている。メイドロボじゃなくて防犯ロボとして警備会社に登録されてるのがあの子らしいと言うか、なんと言うか。で、毎朝このみさんとやり合ってるらしいわよ。あの二人、わたしとあかりさんのような関係に成れると良いんだけど」

「あははは。あの二人の性格だとちょっと難しいかも。まぁ、ミルファ次第だとは思いますし、多分姉さんたちとは違った形で落ち着くんじゃないですか? メイドロボじゃなくて、警備ロボというのもこのみさんに気を遣ってのことでしょうし」

 リオンのアニメーションはそう言いながら複雑な表情で笑う。

「シルファは仮配属が終わって正式にあなたの後釜としてHM開発課に所属することになったわ。とは言ってもリオンの居場所が無くなるわけじゃないから、安心して。それと…」

 マルチはそう言って、ふっと視線を落とし、ちょっと考え込む表情を見せて、再び喋り始めた。

「これは、言おうかどうしようか迷ったんだけど....。あなたのボディが再起動したら、本多さんがあなたを引き取りたいって言ってるのよ。彼、あなたが最後に呟いた言葉、しっかり聞こえてたんだって。その想い受け止めたいって。研究所に復職するかどうかは、リオン、あなたが決めなさい。
 わたしから言えるのは、お互い気持ちが通じているのなら、そのまま素直に腕に飛び込むのもありかなって、ことくらいね」

 ディスプレイの中のリオンは真っ赤になって俯いていた。

 そして、1年と数ヶ月後。


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「おっそーい! いったい今までなにしてたのよ。研究所からは定時に出たってシルファから聞いてるわよ」

 午後9時。テレビのリモコンを持った右手を腰に当てて、帰宅した主人に苦言を言うリオンの姿があった。服装はメイドロボのワンピースではなく、普通の部屋着にエプロン姿。どこから見ても普通の専業主婦だ。耳にセンサ・アンテナは無く、髪の毛はマルチが替えたのと同じ緑のメッシュが入った黒髪。
 そして、出迎えられた宏一は両手に余るほどの荷物と花束を抱えていた。
 今日はリオンが宏一と一緒に暮らすようになってから一年目の記念日だった。正式に婚姻出来るわけではないが、仲間内で結婚式のまねごとのような事もしていた。

 リオンは宏一の帰宅が何故遅かったか、すぐに気づいたようで、それまで不機嫌そうだった表情がぱぁっと明るくなった。

「とにかく、突っ立ってないで、はやく入って」

 主人を家の中に追い立てて、ドアを閉じようとした彼女はふと星空を見上げた。その満面の笑みには更になにか満ち足りたものが溢れていた。

「明日も、晴れるといいな」

 HMX-16/22c“リオン”はいま、この世に“生まれた”幸せを噛みしめ、生み出してくれた全ての人に感謝していた。

『To Heart2:リオン』Fin

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『To Heart:6月の花嫁』につづく

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