個人旅行者向け
タイの上手な旅の仕方の基礎知識

タイの実体験をエッセイ風、レポート風にまとめました

《SECOND EFFORTの活動》
お暇でしたらこちらもどうぞ

タイの日本人向け新聞「バンコク週報」に掲載しているエッセイを再構成しています。
店主のテレビ屋時代のエピソードを中心に書き綴っているエッセイです。今だから笑える失敗談や、今では信じられないテレビの制作現場のこと。
番組の立ち上げ秘話やタレントとの交流の話など、実際にあったことを一つづつ記憶を紐解きながら、店主の成長記録のように書いています。
不定期ですが、今も書き足していますから時々覗くようにしていただくと嬉しいです。


こちらは今の仕事のページです

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生活・その他
こんなに違う交通事情 バンコクの歩き方
チャアムの自然は女性の味方! タイは愛煙家地獄
ナメたら怖いバンコク野良犬事情 バンコクの新年は不完全燃焼
タイ人の割り込みに連日イライラ タイのエイズ事情
バンコクの交通〜裏面を知ろう 雨期は強烈なパンチで幕を開けた
タイでもみのさんは熱弁をふるう! NHKワールドは誰のため?!
バンコクの心あたたまる歳末風景 オバチャンの笑い声とともに暮れる1日
一体タイのどこが好きなんだろう 日本とタイの禁煙事情を比べてみました
国王の80歳の誕生日にタイ中が歓喜 閑中閑だらけの年末に気がつきました
グローバル化の波?裸足文化がピンチ! 4年…タイに何が起こったか
こんなに違う交通事情 (2005/2/20)
店主が東京とバンコクを往き来していて一番戸惑うのが車と人との関係です。
日本はどこに行っても「歩行者優先」、だと思います。ところが、ここバンコクではこの関係が逆転します。通行に関しては車の方が優先されるのです。これはタイに限らず、アジア圏では一般的なことのようです。香港やシンガポール、マレーシアなどでもそうでした。

バンコクでは日本ほど信号がありませんから、路地ごとに車が来るのを確認しながら歩かなくてはいけません。まして車の方が優先ですから、前後左右に気を配り、車が来たら自分が止まる。車の動きを見て、ちょっとした合間を縫って歩かなければいけません。運転している人も、歩行者は止まるものと思っていますから、たいした注意も払わずに路地に入ってくるし、大通りへ出てゆきます。

文章にしてみると単にこれだけのことなのですが、実際歩いてみるとなかなか難しいものです。やはり、生活習慣として身についたことというのは頭で理解しても、すぐに行動はできないものです。店主も日本からバンコクに来たばかりのときは何度もヒヤッとすることがあります。日本に帰るとその逆で、路地で信号が青なのに車が来たら思わず止まってしまったりしてしまうんです。運転している人からは変な目で見られます。

タイでもう一つ注意しなければいけないことがあります。ほとんどの通りで、赤信号でも左折車は進行して良いんです。片側3車線以上の広い道路では、T字路の交差点なら一番左側の車線は赤信号でも直進できる、なんていうところもあります。これらは、交通渋滞を少しでも解消しようということから認められていることなのでしょう。日本では絶対考えられないことですね。だからこういうことを知らない、というか慣れていない日本人は本当に危険な目にあっています。
日本人旅行者が車と接触しそうになっている現場も何度も見ています。外務省も海外危険情報でこういったことを教えるべきだと思うのですが…。ここバンコクでは、実際に犯罪に会う人より、交通事故に遭う人の方が多いのではないかと思います。それもこれも、生活習慣の違いから起こっていることなのです。

もう一つ特徴的なこと。
先ほども書いたようにバンコクは日本ほど信号がありませんし、横断歩道というのもすごく少ないんです。だから歩行者はどこでも道を渡る。どんな大通りでも車の流れを見ながら自分が目指す一番近いところで渡ってしまいます。これはニューヨークなどでも同じですね。バンコクには歩道橋がたくさん架かっています。当然ここを使って横断する人も多いのですが、わざわざ遠回りしてまでは使わない。車がビュンビュン来る合間を縫ってスッと渡る。
お巡りさんがいたって平気です。警察官もそれを見ても何もいいません。先ほど書いたように信号があっても決して安全に渡れるわけではないですから、大通りを強引にわたっても危険度では大差ないのかもしれません。このテクニックを身に着けないとバンコクの道は歩けないし、なかなか目的地には着けません。

でも、気をつけなくてはいけないのは、中央分離帯のある道の一部にはワイヤーが張ってあって横断できないようになっています。これが歩道からは見えないんです。バンコクにちょっとなれた感じの日本人が、よくここで立ち往生しています。気をつけてください。
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バンコクの歩き方 (2005/3/10)
店主が知る限りバンコクの歩道というのは世界一歩きにくい道です。
どのくらい歩きにくいかというと…
  1. まず歩道は凸凹、ガタガタだらけ。
  2. おまけに、信号の電気設備(日本よりだいぶデカイ)がドカンと歩道の真ん中に鎮座している。必ずそこは地面が土台のために盛り上がっている。
  3. バスの停留場も屋根つきの椅子つきで、これも歩道の真ん中にある。
  4. 歩道ごとの段差が高い。だいたい25〜30cmくらい。相当蹴上が高いです。
  5. バンコク名物の屋台やコピー商品売りが一応壁沿いではあるが歩道の広さに関係なくズラッと並んでいる。
  6. グループで歩いている人たちは平然と横並びで歩いている。当然しゃべりながらだから歩く早さも、イライラするくらい遅い。
  7. 車優先なので、路地のたびに車の通行を気にしなくてはいけない。
  8. 信号や横断歩道が少ないので、広い道で右側と左側を間違えると、横断がたいへん。
などなど、細かいことも書いていったらこんなもんじゃ済まされない。始めてバンコクに来た人は相当戸惑うと思います。
今回はこんなバンコクの歩道についてのレポートと店主の私的考察。

バンコクの歩道はどんなメインストリートでも凸凹ガタガタです。油断していると足首を捻挫したり、タイルの割れ目に足を突っ込んで転んだり、怪我をすることも多いようです。ただ、それには理由があるそうです。
バンコクというのは、元々湿地帯に作られた町なので、どうしても地盤がゆるい。加えて、、雨季になって雨が降ると一層地面が緩むので、地面がガタガタになってしまうというのです。また、モトサイと呼ばれる、モーターバイクなども歩道を走ったりするから、余計ガタガタが進みます。
こうした理由に対して、信号の電気設備などはしっかりした基礎を作らなければならないため、コンクリートで固めた土台が地面より盛り上がってしまうんです。高層ビルが多いバンコクですが、確かに基礎作りには相当地面を深く掘りこんでいます。

屋根つきのバス停についても、意味があります。バンコクでは相当細い道でも街路樹が植えられています。歩道があるような道にはほぼ間違いなく、車道側に街路樹が植えられています。街路樹は車が突進してきたときに歩道に乗り上げる危険性を下げるのと、いわゆる日除けとしての意味があるのだと思います。実際バンコクの歩道に植えられているのは広葉樹。少しでも陽射しを遮ることを狙っているのでしょう。ところがこの街路樹、日本の銀杏並木のように整然と伸びているものばかりではなく、幹や枝があっちこっちに伸びているので、実は歩くのの邪魔をしているところが多いんですけどね。

話を戻して、バス停付近は当然街路樹を植えるわけには行かない。となると、日除けが必要なわけで、とても立派なバス停ができているんです。BTSという高架鉄道や、地下鉄ができても、まだまだ公共交通としてはバスがメイン。利用者のことを考えて作られた、思いやり満点の設備なんです。
でもバス停や電気設備のあるところは歩道部分が1/3くらいになってしまうので、人とのすれ違いがたいへんです。まして、こんなところに野犬が寝ていたりしたら、歩行者渋滞が起こってしまいます。

歩道の段差は実際歩いていると相当のフラストレーションになります。路地ごとには当然この段差があるし、大きなマンションや車が出入りするところでも必ず段差があるんです。だからちょっと歩くだけで、何度もこの段差を上ったり下りたりしなくてはならないのです。
高さが30cm近くあると、日本で歩いているときのように無意識ではいられません。お年寄りなどヨイショと掛け声をかけるほどの高さです。だから足にも、腰にも結構負担がかかるんです。なるべく、モトサイや、自転車用に造られているスロープを使うようにしています。
この段差の高さにも理由があります。
バンコクでは雨季になると1日1回はスコールが降ります。だいたい1〜2時間くらいですが、その間に降る雨の量が半端ではない。普通の家庭用のシャワー以上の勢い、それこそバケツをひっくり返した様に降ります。となると、道は冠水。車道に降った雨は、歩道側に作った側溝に流れるように作られていますから、当然水はそこに集まります。こうして集まった水が歩道にまで及ばないように、段差が高く作ってあるというわけです。
でも実際は、側溝がごみで詰まっていて、水が流れきれず、歩道を乗り越えてショッピングビルの地下街に流れ込んだり、車道全体にまで水があふれたりしているんですけどね。とにかく、この雨対策のため歩道が高くなっているというわけです。
このほか、歩道と車道との間にガードレールのようなものはありませんから、車が歩道に突っ込んでくるのを防いでいるという意味もあるようです。
一概に歩きにくいと文句ばかりもいってられない理由というのがあるものなんですね。

バンコクの歩き方、前半は環境に関連する歩きにくさについて書きました。後半は人的要因について書いてゆきましょう。
バンコクというか、タイといえば屋台を思い出される方も多いのではないでしょうか。駅の付近はもちろんのこと、オフィスが集まっているところ、ショッピングエリアなど、とにかく人通りの多いところはいたるところに、屋台が出ています。そこでは食事ができるようになっていたり、鳥のから揚げなどの惣菜を売っていたり、果物やお菓子を売っていたり、雑貨を売っていたりします。
特に食堂が邪魔。
日本の屋台のラーメン屋さんのように立ち食いとか屋台の周りに座るというのではなく、小さいながらもちゃんとテーブルといすが用意されています。歩道の幅などお構いなし。歩道のスペースがなくなったら車道を歩けとばかりにテーブルといすを並べています。
続いて惣菜屋の問題点。
こういう屋台はだいたいパラソルの下で売っています。このパラソルはほとんど自分のため。だから、歩道の方にせり出してい来るわけです。そして、このパラソルの背が低い。身長170cm弱の私の目の高さに、傘の骨が出ているんです。これは邪魔を通り越して本当に危険です。地面のガタガタに気をとられていると本当に目に刺さってしまいそうになります。

そんな屋台ばかりか露店が一番ひしめき合っているのが、シーロム通りというショッピングエリア。東南アジア随一といわれるパッポンや日本人通りといわれるタニヤといった歓楽街があります。当然昼も夜も、たいへんな人通り。こんな場所をタイ人が見逃すわけがありません。パッポンという歓楽街の付近では人の入れ違いができないほどのいろいろなものを売っている露店がびっしりと並んでいます。売っているのはコピー品の数々。
大商業地域のシーロム通りですが、もともと歩道はそんなに広くない。なのに、ビル側と車道側の両方に屋台ができています。ビルの営業などお構いなし。かろうじて、入り口にだけは店を出していないというくらい。ショーウィンドウなどまったくお構いなし、逆にその建物を利用して鉄パイプの屋台を組んでいます。ビルのShopは文句をいわないのだろうか、と思うほどです。
こんな風に、ただでさえ歩道を侵食している屋台・露店群ですが、これに拍車をかけているのが、BTSという高架鉄道の駅。
橋脚は中央分離帯に立っているものの、歩道に下りてくる階段。これが、それまでそこに店を出していた人たちを排除してしまったものだから、より密集の度合いを増してしまいました。だから、もう人一人が歩くので精一杯、人とすれ違うのさえたいへんです。
なにしろここはバンコク一の繁華街ですから、観光客の人出もたいへんな数にのぼります。そして、彼らは品物を見たりしながら歩いていますから当然歩みは遅い。いざものを買うような人たちがいたらもうたいへん。観光客は大体数名で歩いていますね。それらの人が店の前で立ち止まり、品定めをし、値切り交渉を始めるわけです。大切な歩行者のためのスペースはほとんど遮断されたようになります。そうでなくても客引きもしつこく擦り寄ってきますから、立ち止まらずをえないことになります。となるともう動けない。
人通りが多くて、動きが遅い、品定めや客引きに気をとられている。そして、金もそこそこ持っている。スリにとって最高の環境が整っているわけです。くれぐれも、このエリアを歩くときには注意してくださいね。

というわけで、店主がランク付けする「あるきづらさN0.1」の栄誉をこのシーロム通りに捧げたいと思います。
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チャアムの自然は女性の味方! (2005/3/30)
バンコク市街地から約200km、車で約2時間半のリゾート地チャアムの郊外に、天然繊維100%のバッグのメーカーがあります。

タイの国内メーカーの多くは家内制手工業のレベルが多く、日本の様な大規模な工場というのは一部に限られています。このメーカーも同様で、スタッフは全部で10名くらい。作業場の中は、働く母の邪魔をしないように子供たちが遊び、犬が寝そべっているという、なんとものどかな雰囲気です。これほどの規模でも、この地域を代表するメーカーとして国道沿いに大きなショールームをもってたくさんの製品を展示してるのですから、ここのスタッフは相当働き者のようです。

原材料はパンソンナライというリュウゼツランの一種で、昔小学校などによく植えられていたキミガヨランにとても似ています。
製造工程はこの葉を竹に挟んで皮と肉を削ぎ落として繊維を取り出します。 次にこの繊維を三つ編みにして幅6mmくらいの平べったいひも状にします。 それを天然染料で煮込んで染色、サメの脂から採ったワックスで表面をコーティングしていきます。
それを一つひとつ熟練の職工がミシンで縫い上げ。 こんな風にオートメーションとは無縁の作業によってバッグができるわけです。

このメーカーのオーナーは女性で、彼女がデザインから販売まで一手に取り仕切っています。彼女のデザインテーマは女性をより美しく演出すること。ていねいに作り上げられた上に、天然染料が作り出す色合いがとてもフェミニンな印象を与えてくれます。
そして、女性ならではの、使う人の身になった細かい心遣いも随所に見られます。その結果としてこのメーカーならではのオリジナリティーを作り出しています。OTOP(タイの一村一品運動)の品評会をはじめ、数々の展示会で優秀賞を得られたのは、そうしたていねいなものづくりの結果でしょう。

今この素材を使ってバッグを作っているのは、タイでも多分このメーカーだけ。最近バンコクのバッグショップやブティックなどからの引き合いが相次いでいるようです。このメーカーでは、バッグのほかに帽子やサンダルなども作っていて、オーナーはトータルファション雑貨のメーカーを目指しているようです。いつかNalakarnのバンブーバッグのように、タイを代表するバッグになってくれるのではないかと期待している店主であります。
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タイは愛煙家地獄…ちょっとビックリの実情 (2005/6/10)
タイは東南アジアの各国ばかりでなく、世界的に見ても嫌煙運動が盛んな国だと感じます。
公共の場での禁煙は当然。レストランでは室内は禁煙、喫煙者は蒸し暑い中屋外のテーブルに着かされます。喫煙者用の席を作っていないところもたくさんあります。そんな時は店の外に出て、吸わなければなりません。今、食事をしながらタバコがすえるというレストランはひじょうに少なくなっていると思います。
というのも、喫煙を規制する法律が厳しく、室内で喫煙することの許可を得るのがたいへんなのだそうです。一応お酒を飲む場所ではタバコを吸うことはできるのですが、喫煙席と禁煙席が分けられるようになってきているようです。

タクシーも当然禁煙です。すべてのタクシーで灰皿が取り去られています。タバコを吸う運転手は客を乗せていない時に、暑い中窓を開け放って吸っていたり、車を止めて車外で吸っていたりしています。

タバコの投げ捨てもダメ!
以前店主の友人がタバコをポイ捨てしたところを警官に現行犯で捕まりました。罰金3000バーツ、約9000円をとられ、始末書まで書かされたといいます。そこはそこタイのことですから、300バーツ位で切り抜ける道はあるのですが…

嫌煙の徹底ぶりはさらにエスカレート。
例えば、衛星放送で流される映画。喫煙シーンにはボカシが入ります。口元にボカシ。奇妙な映像になりますが、お構いナシに入ります。これはちょっと滑稽です。

確か今年の初頭、国際的にタバコの害を規制する国際条約が締結されたと思います。今の日本のタバコのように小さくではなく、大きく有害であることを明記することが義務付けられました。タイでは数年前からパッケージの1/4くらいのスペースに黒地に白抜きで有害表示がされていました。それがこの条約の締結を期に、さらにエスカレート!なんとパッケージの半分に写真が印刷されています。
黒いヤニがべっとりの口の写真。
いかにも不健康そうな女性が喫煙している写真。
すごいのは胸を手術して肺に管が入っているというのもあります。
これらがすべてのタバコの裏表に印刷されています。
ものすごくグロテスク。

とにかくやるなら徹底的に、中途半端はわからないというタイ人らしいといえばそうなのですが…。タバコを吸う場所、タイミングによってはいざこざが起こったり、罰金を取られたりするケースが多いようです。
愛煙家の方、タイでの喫煙には十分ご注意下さい。

※追記:2008年タイではこれ以上に厳しい法律が施行されました。今はカラオケクラブなどでも喫煙が禁止されました。
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ナメたら怖いバンコク野良犬事情 (2005/7/30)
バンコク名物といえば、交通渋滞と野良犬を挙げる人が多いことでしょう。確かに渋滞と野良犬はいたるところで出くわします。バンコク都内では高架鉄道や地下鉄によって渋滞は以前ほどではなくなりました。でもまだ野犬対策は不十分。その多さには驚きます。
1998年にバンコクで開催されたアジア大会では、大会の実行委員会が野良犬対策が最大の問題となっていたといわれています。結局野良犬を一斉に捕獲して地方に持っていったという話が、今もまことしやかに語られています。

ただ、タイの犬たちというのは本当にだらしがない。昼間はグテ〜ッと寝ているばかり。その寝方も緊張感がなく、四肢を投げ出してゴロリと横になっています。日本の犬のように小さな音にもピッと反応するなんていうこともない。まったく平和に、すぐ側を人が通っても、車が通っても、委細かまわずグーグー寝ています。

起きている時だって、その目つきがだらしない。なんとも卑屈な目つきで人を見上げてきます。人がガイヤーン(鳥のもも肉を焼いたもの)など食べているすぐに傍によってきてものほしそうな目をしてこちらを見上げてきます。日本の犬のように尻尾を振りながらピョンピョンと跳ね回るなんてかわいいしぐさはいまだ見たことがありません。だから、尻尾をピンと立てて、軽やかな足取りで歩いているなんていうのはありえないといってよいと思います。旅のガイドブックに書かれているような犬に噛まれたとか狂犬病の危険性など、タイに行くようになってからほぼ17年、ただの一度も経験したことはありません。

ところが、ところが。2005年の2月に思わぬことが起こったのです。
夜の食事を済まして、アパートに帰る途中、あと50m位で店主のアパートに着くというところでした。そこは広い空き地になっていて、十数匹の野良犬がいるのは知っていました。でも、彼らはいつもグテーッと寝ているだけだったのです。それがこの日に限って5〜6匹の犬が店主を取り囲んで、吠え掛かってくるではありませんか!中にはウ〜ッと低い声を出して今にも飛び掛ってきそうな犬もいました。まさに臨戦態勢。
昔、犬の調教師から吠える犬には完全無視すればよいと聞いていましたのでそのようにしたのですが、彼らの反応は変わりません。ちょっとでも動けば噛みつかれかねないような緊迫感がありました。
完全無視なんてとてもできない。もし飛び掛ってきたらどうしようと思いを巡らすこと約2〜3分、いえ実際は30秒くらいだったのでしょう。運よく、後ろから車が来て取り囲んでいた犬たちが散らばってくれたので助かりました。
後にも先にも、バンコクで一番怖い思いをした一瞬でした。やはり油断すること、ナメてかかることは身の危険につながると実感しました。
やはり野犬というのは野生の本能が強いせいか、夜になると元気になるのが多いようです。
皆さんもバンコクに行ったときには、夜の野良犬にはくれぐれも注意してくださいね。
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バンコクの新年は不完全燃焼 (2006/1/10)
昨年の年越し。2004年から2005年はタイ人たちで溢れかえったスポットからはじき出されて、欧米からの観光客や駐在員たちがたむろするバーでアメリカ人女性とキスをしながら新年を迎えました。
そんなことから今年はもっと一般のタイ人たちと新年を祝おうと心に決めておりました。ちょうど正月休みを利用して日本から友人がゴルフ漬けツアーに来ていたこともあって、一緒に大騒ぎしようと思っていたのです。
店主の友人で、ソンクラーンやロイカトンなど、折々にタイのネイティブ経験をさせてくれるPong氏に「新年はどこで迎えるの?」と聞いたところ、「家でビール飲んで、寝ます」とそっけない返事。
去年はコロシアムはものすごい数の人が集まって盛り上がったよ、とそれとなく誘ったところ「うるさいだけだからおもしろくない」と全然誘いに乗ってきません。店主から見るとタイ人の標本のような彼から、イベント好きタイ人とは思えないような発言が続くとは思ってもみませんでした。

タイではいわゆる新年は3回あります。
一つは西暦の新年。もう一つは旧暦の新年、2月ですね。そして仏暦の新年、ソンクラーンです。
Pong氏によれば、この中で西暦の新年というのはまだ歴史が浅く、あまりなじみが薄いのだそうです。ただ大騒ぎができる日。朝まで酒が飲める日くらいの位置づけのようです。

地下鉄やBTSという高架鉄道や地下鉄は終夜営業。チャオプラヤ川では2006年になったと同時に花火が打ち上げられる。ディスコやバーなども朝5時まで営業許可がおりるなど、国をあげてお祭ムードは盛り上げているものの、タイ人のすべてがそれに浸るというのではないようです。
仕事を終えて合流したPong氏の奥さんNimさんもPong氏同様、ソンクラーンやロイカトーンのときのような盛り上がりを見せていません。日本からの友人たちは、ゴルフ疲れを口実にして(?)ホテルに帰ってしまいました。

いまひとつ盛り上がりにかけるPong氏とNimさんを説き伏せて、店主のアパート近くにあるホテルフォーチュンのビアガーデンに出撃することになりました。このホテルはテスコロータスというスーパーマーケットと直結していて、その間にはショッピングモールなどもあり、とても大きなビルです。この駐車場をつぶして、シンハービールというメーカーがクリスマス前からビヤガーデンを開設しています。
バンコクの中心部ではこういったビアガーデンが数え切れないほど作られています。クリスマスイブにはライブコンサートなども開催されて大賑わいを見せました。大晦日も、もちろんこれと同様の大騒ぎが期待できるに違いありません。

夜10時過ぎ、ビアガーデンはすでに大賑わい。すでにヘロヘロになっている若い女性たちも数多く見られます。テーブルなどとても見つけられないほど多勢の客であふれていました。
屋外ですから、どこからでもコンサートなどは見れます。そこで、安いレオビールやチャングビールをよそから買ってきて、塀などに座り込んでタダ見しようという輩も数多くいます。
我々はそこまで下品にはできないので、ともかくビールを買い、人ごみを掻き分けながら屋台の焼き鳥などを買い、座席を確保しました。何とかメインステージも見えるし、まずまずのポジション。辺りを見回すと、大騒ぎしようとワクワクしている50歳を過ぎた日本人のオヤジの姿は見られませんでした。

心を臨戦体制モードに切り替えて、コンサートもそろそろ始まるという矢先、Nimさんが具合が悪いといいだしました。彼女、実は妊娠3ヶ月から4ヶ月。ツワリが始まったようです。となるとPong氏もそわそわ。二人ともビールどころではなくなってしまいました。
情けない目つきになって帰りたいと店主に訴えています。なんとなく機先を制されたような空気になって、仕方なく帰ることになってしまいました。

アパートの部屋に帰って、窓を開けるとコンサートの演奏の音ばかりか歓声など、盛り上がっている様子が聞こえてきます。年明けは観客も声を揃えてカウントダウン。暦が変わったと同時に花火まで打ち上げられました。
そのままコンサートは1時近くまで続き、酔っ払った人たちの大騒ぎは朝まで続く。なんだか実況のないラジオ放送を聞いているような物足りなさを感じつつ、「来年はエンポリウムだ!」と心に決めて店主の1月1日は明けました。

翌朝のゴルフコース。
心なしかスッキリした顔つきの友人と合流して2006年の初ゴルフです。ところが、このコースの従業員たち、ほぼ半分が酔っ払ったまま。中でも、一番ヘロヘロになっている売店のお嬢さんは店主に抱きついてくるなり、「ビールをご馳走して〜!」。顔なじみの客が来るたびにせびっているのでしょう、もう千鳥足どころか立っているのもやっとという状態でした。彼らは昨夜朝まで飲んで、そのまま仕事をしているんだそうです。

今になって思い出してみれば、ビヤガーデンでも集まっているタイ人は若者ばかり。ゴルフ場でも酔っ払ったままなのは若い人たち。ちょっと年がいった人たちは、いつものように平然と仕事をしています。やはりPong氏がいっていた通り、まだなじみの薄い正月ということなのでしょうか。

後で聞いたことですが、年が明けた時には早朝からお寺にお参りしてタンブン(寄進)をし、一年の平穏無事を祈るのだそうです。
日本の初詣と同じなんですね。
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タイ人の割り込みに連日イライラ (2006/1/30)
夕方6時過ぎの東京駅。
中央線のホームでは折り返しの電車に乗る客たちに整列乗車を呼びかけています。乗客が全員降りたら一度ドアを閉め、すぐに再びドアが開いてから新たな客が乗りこむというシステムです。駅員の、ひっきりなしに続く怒鳴るようなアナウンスに従って、乗客たちは整然と並んで、到着した電車から乗客が降りるのを待ってきました。丸の内のビル街が集めた寒風が吹き渡る中。
店主もその列の中にいました。「整列」か…。

店主が知る限りタイ人のいうのは世界で一番整列嫌いの国民です。それも、老若男女問わずというのですから国民性なのでしょう。割り込み、横入りなどは当たりまえ。入られる方がノロマだと位しか考えていない感じです。また、割り込まれたタイ人もそれをとがめるでもなく平然としています。なんというおおらかな国民なのでしょう。
例えばスーパーのレジ。
何人もの人が一列に並んでいても、平然と横から入ってレジに商品を出す奴さえいます。またレジの係員もそれを受け取って会計をする。なんていう国なのでしょう、と思いますよね。

ある時タイ人の友人になんでタイ人は割り込みするんだと聞いたことがあります。
彼によると…
スーパーなどで買い物する人たちは大量に買い込む人が多い。カートに山盛りの買出しをする人も数多くいます。当然会計には時間がかかる。割り込む人が買うのは1品か2品。レジにさほど時間はかからない。だからその人は割り込んで先に会計したんだろう。他の客も、とがめるでもなく見逃しているんだろう。
…ということでした。
タイ人は1つか2つのものを買うのにそんなに待っているのはバカバカしいと考えるのでしょうか。きっと割り込まれた人も、同じようなケースには割り込んだり、横は入りしたりしているのでしょう。

でも、タイ人の割り込みはこんなケースばかりではありません。例えば電車に乗る時。
今いくつかの駅ではホームで待つ乗客はドアの前を空けるよう指導しています。でも、そんなことを守るのは日本人か欧米人だけ。タイ人、韓国人はドアが開くなり、降りてくる人をかきわけてでも乗りこんでいきます。
駅のエスカレーターでも同じ。電車を降りてエスカレーターに乗る時、日本ではどんなに人が多くても、自然と列ができて、順序良く乗り込みます。
当然タイでもなんとなく列はできるのですが、後ろから来た人が列の前にいって、横から入り込んでくる。そればかりか、列を作っている人も一人でも前に出ようと割り込んでくる。

タイ人てそんなにせっかちなのでしょうか。確かにせっかちであることは間違いないと思いますが、それだけではないのです。根底には、タイ人の個人主義があるのだと思います。ちょっと間違った個人主義だとは思いますが、彼らは「自分さえ良ければよい」という考え方を多かれ少なかれ持っています。言い換えれば、「他人より悪いのはいや」ともいえます。そんな国民性が割り込みや横入りという行動を生み出しているのでしょう。

最近、銀行や郵便局などいろいろな場所で整理券の自動発券機が導入されています。タイ人たちの間でも概ね好評のようです。その理由は、「割り込みや横入りがなくなったから」。
な〜んだ、タイ人もけっこうイライラしていたんだ!



タイに住んでいると、いろいろ国民性の違いを実感することがあります。もうあまりイライラすることはなくなりました。でも、旅行者にとっては嫌な思いをすることも多いと思います。そんな時は、いかにもタイ人らしいな、と暖かい心で見てやってください。
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タイのエイズ事情 (2006/2/28)
1990年代、タイ政府は大々的にエイズ撲滅に立ち上がりました。
売春行為を容認している(タイでは売春は禁止です)ゴーゴーバーなどがある歓楽街の店には従業員管理を徹底させる一方、エイズの定期検査を厳密に実行することを義務付けました。これにより従業員は2ヶ月に1回検査を受けなければ働けなくなりました。また、HIV陽性者を働かせることも禁止しました。この通達に反した店は営業禁止にするなど厳しい姿勢をみせ、その徹底ぶりは日本も見習った方がよいというほどのものでした。
あわせて、エイズ撲滅のためのキャンペーンを実行、テレビコマーシャルなども連日流しました。また、エイズ検査を行なう病院の検査体制も整備し、検査結果は即日伝えられるなど利用者(?)にとっても簡便性を高めました。
その結果、それまで見つかっていなかったエイズ患者が急増。一時は、その増加状況からタイ国民の3分の1はエイズ患者だなどという誤った報道が日本で流されたほどでした。本当にそうだたら、タイは滅びてしまいますよね。
それでもWHOの報告では約100万人に及ぶHIV感染者がいるとしています。これも政府の徹底したエイズ政策によって浮き彫りにされた数字といえるでしょう。潜在化するよりはずっと良いと思います。

最近の調査では、タイのHIV感染者の多くはタイ北部と東北部に集中しているといいます。その多くは麻薬常習者、バンコクなど大都市で売春行為によって感染した女性など。地方部では未だに麻薬常習者は多く、注射器によって感染を広げているそうです。
悲惨なのは女性たちです。
バンコクの歓楽街に出稼ぎに行き、仕送りのために自由恋愛をかさねてエイズに感染。挙句、店からは解雇され、故郷の村に帰って来るしかなかったのです。

政府の徹底したキャンペーンの影響は国民の中に別の深刻な影を落としました。政府が行なったキャンペーンがエイズの脅威を強調するあまり、国民の中でエイズ患者に対する誤解と差別が著しくなってしまったのです。それは全国津々浦々に広まりました。
エイズ感染者と分かった段階で即刻解雇される。
買い物にいっても、エイズがうつるからと物を売ってくれない。
バスに乗ろうと思っても乗車を断られる。
親がエイズ患者だと、その子供がたとえエイズに感染していなくても入学を断られる。
道を歩いているだけで人が接触を避ける。
近所に住むことさえ非難される。
など、正しい知識がないためエイズ患者に対する誤解と差別は想像以上に厳しいものとなっていました。
結局生活の糧を得るために再び売春⇒エイズの蔓延という悪循環を生んでしまった村もあるといいます。北部のある村では死亡原因のNo.1はエイズだともいわれています。そんな現状は今も続いているというのも事実のようです。

現在政府では各所にエイズ患者を集めた療養所を開設するなど対応を進めています。運営には非営利団体やYMCAなどがあたり、ボランティアメンバーを中心に感染者のケアを行なっています。日本からも毎年数多くのボランティアたちがこうした活動に参加しているそうです。
またエイズ感染者への誤解と差別を解くキャンペーンなども、頻繁に行うようになっています。撲滅時のキャンーン程ではありませんが、前向きにエイズに立ち向かっているなという風に感じられます。店主の知る限り、性行為をコンドームなしで行なう人というのは、少なくともバンコク周辺ではまずいません。売春行為(自由恋愛?)を余儀なくされている女性たちの方がより徹底されていると思います。

チェンマイでエイズ患者を救済し、誤解と差別をなくすために立ち上がった人がいます。
オーストラリア人で以前タイで出家した経験もあるローリー・マウンドさんという方です。8年ほど前、彼は「サンカメータ(タイ語で思いやりという意味)」という組織をつくりエイズ患者に対する救済活動を始めました。
この組織はタイの僧侶たちに正しいエイズの知識を研修してもらい、彼らが地元に帰って一般の人たちにその知識を広めるという目標を持って設立されました。なんといっても尊敬を集めているタイの僧侶の影響力は大きいですから、彼らの力で一般の人たちの誤解と差別をなくさせるよう活動するのです。今ではラオスやカンボジアなどの僧侶もこの研修に参加するようになり、これまでに5000人近い僧侶が研修を受けてそれぞれの地元で活動の輪を広げているといいます。

一方、タイ人僧侶の中にも積極的にエイズ患者への誤解や差別を解消するために活動している人がいます。
クナタモウ師という僧侶は自ら村の集会などに足を運び、村人たちにエイズ患者に対する差別や偏見を解くよう語り続けています。最初は僧侶が病気に対して活動することに批判もあったようですが、今はそうした声はなくなっているということです。今、「生命のろうそく」というグループを作り、エイズ患者と一般の人が一緒になって生活支援などの活動をしています。こうした地道な活動によってクナタモウ師の周辺の村では、エイズ患者に対する差別や偏見は解消し、共存してゆくようになったといいます。この人の活動についてはNHKの番組にも取り上げられました。
その番組を見たときに一つの言葉に心をひきつけられました。それは、「エイズ患者は社会の差別や偏見で死んでゆく人が多い。僧侶によって肉体的な治療ではなく、精神的な支援をすることが大切だ」というものでした。
実際、差別や偏見によって仕事を奪われ、感染者でもない肉親や幼い子供まで差別されることを嘆き自殺してゆく人も少なくなかったといいます。病気の悲惨さ、今も死と直面しなければならない現実に加えて、村という小さな社会から阻害される精神的な重圧。昔の日本の言葉で表現すれば「村八分」ということでしょうか。これは、社会が小さいだけにどれほどの精神的苦痛と生活苦を生み出すか想像できます。せめて、その精神的な負担を周りから解きほぐしていった、そして今も続けている、彼らタイの僧侶たちの活動に強い感動を覚えました。

日本だったら誰がこの活動をし、これだけの影響力を及ぼせるのでしょう。そう考えた時、社会の底辺を支え、人々の精神的支柱となるような存在があるタイを羨ましく思わずにいられません。
タイでのエイズ撲滅運動はいろいろ社会のひずみも浮き彫りにしてしまいました。悲惨なドラマも数多く生みました。
でも、一度考えてみてください。
日本はまだこのスタートラインにも立っていない状態なのではないでしょうか。
遅れているのはどっち?
私たちは経済的に豊かになる反面、何か大切なもの、心のよりどころを失ってしまったように思えてなりません。
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バンコクの交通〜その裏面を知ろう! (2006/4/10)
《古き良き時代の遺物は要注意!》
バンコクの交通機関というと
タクシー
BTSという高架鉄道
MRTという地下鉄
バス
トゥクトゥクという3輪バクシー
バイクタクシーのモトサイ
小型トラックを近距離ミニバスにしたソンテウなどがあります。

この中で、観光客に一番人気なのはトゥクトゥクでしょうか。車体の背後に着けた細長いリボンをたなびかせた走る姿は、バンコクらしい交通手段として風物詩ともなっていました。昔は、オバチャンが大荷物をコレデモカとばかりにトゥクトゥクに積み込んでいる姿などをよく目にしたものです。
このトゥクトゥク、今から40年近く前に日本で走っていたミゼットの後部を客が座れるように改造したものです(もちろんそんなに古い車がそのまま走っているわけではありませんが…)。トゥクトゥクというのは、この車が走る時の音からとったといわれていますが、日本人の耳にはビビビビというようにしか聞こえません。
今では台数が減少して市内でも場所を選ばないとなかなか見ることはできなくなってしまいました。冷蔵庫(!)など大きな荷物を買う人がいる大型ショッピングコンプレックスか、観光客が多いシーロムというエリア辺り。あとは王宮の周辺にたむろしている程度になったのはちょっと寂しさも感じなくはないのですが…。

彼らにとって一番儲かるのは海外からの観光客が集まるシーロムというエリアでしょう。王宮辺りを回ってもさほど遠くなく、タイの事情を知らない観光客には料金を吹っかけ放題だからです。タクシーメーターなどないので、今も全て交渉で料金が決まります。ただこれがべらぼうに高いことをいってきます。ほんの4〜5km乗るだけなのに、敵の言い値は200バーツ。タクシーなら50バーツ位なのに、店主が頑張って値切っても100バーツがいいところです。
たかが100バーツ(約300円)といわないで下さい。タイの一般的な食事であれば、3食はゆうに食べられる金額なのです。タイで生活する者にしてみると、よほどのことがなければ納得できません。

以前アメリカからの観光客がトゥクトゥクの運転手ともめていたので、ちょっとオセッカイ心で事情を聞いたら、なんと1時間程度走っただけで2000バーツといってきたというのです。乗る前に1200バーツで交渉が成立していたのに(それでも高すぎると店主は思いますが…)、渋滞していたからという理由で2000バーツだと言い出したというのです。怒りまくっているアメリカ人カップルは、見たいところをちゃんと回ってもいないのに、こんな金は払えるかと怒り心頭。トゥクトゥクの運転手は2000バーツ、2000バーツといって騒ぐばかり。結局は店主が中に入って1500バーツで決着しました。タクシーだったら高くても500バーツ以内だったのに、無駄な出費をしたものです。

また、事故が多いのも要注意。なんといっても運転が荒っぽいのです。車体が小さいので、渋滞している時など、抜け道でしょうかドンドン細い路地に入ってい行きます。それも昔懐かしいタイ人運転、エンジンを回すだけまわして爆走します。そのため歩行者を引っ掛けたり、乗っている客が怪我をしたりという話を良く聞きます。
なにせ、360ccくらいのエンジンで走る軽トラックのような車を改造したものですから、シートベルトなどあるわけもなく、また乗客用の後部座席には鉄筋製の余計な飾り付けが付いているので、これに頭をぶつけたりするのです。しっかりと肘掛に縋り付いていなければいけません。
もう一つ店主の知り合いが経験したひどい話をご紹介しましょう。トゥクトゥクがわき道から出るときに歩行者を引っ掛けて怪我をさせてしまいました。たいした怪我ではなさそうだったので知り合いは安心したのですが、トゥクトゥクの運転手が500バーツくれといいだしたのです。怪我した人にそれを渡して円満解決するためだというのです。当然知り合いは拒絶しましたが、運転手が言う論理が理不尽極まりないとは思いませんか。
知り合いがそのトゥクトゥクに乗らなければ、運転手はここに来なかった。ここに来たから事故になった。よって、事故は乗客の知り合いのせいで起こったのだから、その金は知り合いが払うべきだというのです。
タイに多少慣れている知り合いは断固拒絶しました。すると運転手はシブシブ怪我をした人に100バーツを渡して走りだしたとか。その後の運転は、それまで以上に乱暴に爆走したことはいうまでもありません。

こんな風にいろいろトラブルが耐えないトゥクトゥクですから、初めてのタイ旅行で後学のためというのなら良いのでしょうが、あまりお薦めできない交通手段です。安全に、タクシーか鉄道を使って移動するのが無難です。
ただ、タイ人全てがこんな人間ばかりではなく、彼らがボッタクルにはそれなりの事情もあるのです。



《バンコクタクシーを上手に乗ろう!》
タイのタクシーは車体のカラーリングでおよそ3種類に分けられます。
黄色と緑が上下に塗り分けられているもの。
青と赤に塗り分けられているもの。
この2種類でほぼ全体の8割〜9割を占めます。
残りは青や緑、ピンクなどの単色かそれに近いもの。最近はこうしたタクシーが増えています。
これらのタクシーは会社によって色が違うというわけではありません。タイでは基本的に皆個人タクシーです。それぞれの車にはオーナーがいて、その人から車を借りているのです。
このオーナーは何台ものタクシーを持っており、運転手たちにリースしています。オーナーもカラーリングにこだわりを持っているわけではなく、前のオーナーから買い付けたままなので所有している車の色はバラバラです。そういった意味ではタクシーの車体の色はただ目立つためだけについているといってよいでしょう。

ところが、よく見ていると決定的な違いというのが分かってきます。なんだか分かりますか?
正解は、黄色と緑、青と赤の2種類の車はボロいものが多い。
日本人が一台の車を10万km以上乗ったと自慢すると、ほとんどのタイ人はキョトンとします。タイ人にとっては2年程度で10万km走るのは当たり前だからです。タイ人は日本人と違い車は10万km過ぎが本調子になると考えていますから、中古車市場などでは2年乗って9万kmなんているのはざらにでていますし、価格も手ごろになるというので十分流通しています。
タクシーは大体が2世代くらい乗った車を改造して使用していますから、タクシーになった時点ですでに相当の距離を走りこんでいることになります。中でも、黄色と緑、青と赤のタクシーはタクシーになってから10年以上(多分100万km以上)走ったものがほとんど。
トランクが開かない。
社内がベトベトに汚れている。
窓が開かない。
運転席のシートベルトがボロボロ。
マフラーが壊れていてうるさい。
車体にぶつかった後がある。
バンパーがない。
ミラーがない。
乗っているとギシギシ音がする。
といった状況の車は当たり前で、枚挙に暇がありません。
まだこんな車で走っているの?!というほど、日本では絶対走れないような車もありますから注意しましょう。

余談ですが、店主の知る限り日本ほどタクシーがきれいな国はありません。アメリカでも、ヨーロッパでも大体タクシーというのはボロイというのが当たり前と思っておいた方がいいです。中でも、タイのタクシーはボロさに関してはトップランクにあるでしょう。

ところがこの数年単色系のタクシーになって状況が変わってきました。これらの車はきれいなものが多いのです(といってもあくまで比較してのことで、どう考えても50万km位は走っているはずですが…)。それにオートマ車が多いのも他の色分けの車と違うところでしょう。

ならば、旅行者は単色系のタクシーを狙えばよいか…というとそれほど単純ではありません。まず、最初にも書きましたように、まだ台数が少ないのでなかなかめぐり合えません。それと、実はこれが一番大きな問題なのですが、ボッタクリとまではゆかなくてもメーターではなく交渉で走ることを望む車が多いのです。だから近場をこまめに営業するというより、空港との往復やパタヤなどのリゾートなど長距離を走りたがる傾向にあります。
夜に乗るときには、ほとんどの場合盛り場付近にいて交渉になっています。それも2色のタクシーよりもちょっと高い金額を言ってきます。タイに慣れた人は単色系のタクシーは質が悪いのでやめた方がよいという人までいるくらいです。

ただ、彼らがこうした行動をとるには理由があります。
最初の方でも書いたように、彼ら運転手はオーナーから月額いくらで車をリースしています。新しい、きれいな車ほどリース料が高いのです。月によってはメーターで走っていてはリース料が払えないというケースも出てきます。仕方なく(かどうかは分かりませんが…)、少しでもお金を稼がなければならないためこうした行動にでるのです。
こうした傾向は当然のことながら、月末にひどくなってきます。ですから月初は単色系のタクシー、月末は車はボロくても色分け系のタクシーに乗れば、メーターでなく交渉になったとしても安く乗れます。まあこうして書き綴っていても、所詮は100円か150円くらいの違いなのですが…。

※追記:最近は単色のタクシーも増えています。2トーンの車と同じくらいの台数になっていると思われます。やっぱり2色の車はどんどん廃車されているということでしょうか。
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雨期は強烈なパンチで幕を開けた (2006/5/20)
5月13日朝から快晴だったので、昼少し前から洗濯のため近くのコインランドリーへ。タイではほとんどのマンションに洗濯機を並べたコインランドリーコーナーがあります。1回につき20バーツ(約60円)。

ここでちょっとバンコクのマンションについての基礎知識をご紹介しましょう。
バンコクでは、マンションには深夜まで営業しているレストラン、ミニマートというコンビニエンスストアが設備されているのが一般的です。もちろん、警備は24時間体制でしっかりしていて、レセプションもホテルのフロント並みに24時間開いています。また、クリーニング店もほとんどのマンションにあります。シャツ1枚20バーツくらい(約60円)、シーツなど大きいもので50バーツ(約150円)くらいで洗ってくれます。マンションから一歩も出なくても日常生活はできるような設備が整っています。
これよりもうちょっと高級なところになると、スポーツジム、サウナ、プールなどがあるところもあります。これは賃貸契約をしている人なら全て無料で利用できます。また場所によっては、ヘアサロン、クリニック、旅行代理店などが入っているようなマンションもありますから日本の感覚よりはだいぶ豪華な印象を受けます。
もう一つ店主が驚いたのはほとんどのマンションが駐車料金が無料だということ。バンコクの中心部でもほとんどのマンションが駐車料金は無料に設定しているようです。これは来訪者も同じで、仮に駐車料金を取られてもせいぜい5バーツ〜10バーツ(15円〜30円)です。

また基本的な家具や冷蔵庫、テレビなどは全てついていますし、中には電子レンジやオーブンなどを用意しているところもありますから、まさに至れり尽くせりです。テレビはUBCという衛星放送と契約していて、24時間の映画チャンネルが2チャンネル、ESPNなどスポーツチャンネルが2チャンネル、NHKワールド(安い契約のものなのでニュースばかりやっていますが…)なども見ることができるので割りと快適に過ごせます。もちろん高級なところはUBCの契約も高額なランクのコースを選んでいますから、NHKの大河ドラマや朝の連続小説、大相撲なども見ることができます。

店主が住んでいるのは、いわゆるマンションというより、ホテルタイプの長期間宿泊可能な施設というところでしょうか。それでも、レストランやミニマートは朝5時まで営業していますし、ルームサービスもOK。警備もレセプションも24時間体制で、クリーニング店、スポーツジム(設備は粗末ですが…)、サウナ(一度も利用したことはありませんが…)などがあります。MRTという地下鉄の駅も近く(タイ人歩きで10分弱)、スーパーが付属しているショッピングモールも歩いて5分弱と理想的です。不満を言えば、インターネットの接続料が高いことと、UBCが一番安いコースしか見られないこと、それとコインランドリーがマンション内にないことでしょうか。

さて本題に戻って、洗濯を終えて部屋に戻り、ベランダにある小さな物干しスペースに干し終わってビールを飲んでいると、空模様が怪しくなってきました。風も強くなって、見る見るうちに空は真っ暗になってきます。部屋の中は電燈を点けなければいられないほどになりました。こんなことはこの時期としては珍しい。多分例年より1ヶ月ほど早いのではないでしょうか。そう、雨期の頃の雲行きになってきたのです。

これはヤバい。雨がきます。あわてて洗濯物を部屋の中に入れて干しなおした13:15頃。いきなり雨がきました。雨といっても半端な降り方ではありません。日本でいえば大型台風が来た時のような大粒の雨。いえもっとすごいかもしれません。洗車機が噴出すあの水の量をイメージしていただいた方がよいでしょう。
それに風も横殴りの強風です。1mほどのベランダを飛び越えた雨粒が容赦なくガラス戸をたたきます。振り出して15秒ほどで、もうガラス戸はほとんど全面雨に洗われた状態です。
上空では雷が鳴り始めました。日本のようにピカッ、数秒してゴロゴロなんていう生易しいものではありません。ピカッと光ると同時にドガンッ!!!!と落ちます。アパートの電源もそれにあわせて瞬間停電。数秒後に電源は立ち上がるものの、またすぐピカッ、ドガンッ!!!!
バケツをひっくり返したような雨という表現がありますが、バンコクの雷雨はどのくらいデカイバケツの水をぶちまけたのかと思うほど。雷雲の中では、いたるところで雷が作り出されているのが分かります。不気味な光が重なった途端、雲の中を光線が横に走り、同時にビシーッという音が響きます。
これの繰り返しが約20分続いたころ、雷が遠のく感じがし、雨の粒も見る見る小さくなりました。そして、30分ほどした頃、雨は完全にやみ上空は青空に変わりました。なんとも人騒がせな大雨でした。

雨がやんで数分してロビーに下りてみると、ちょうどお掃除のお姉さんが全身ぐしょ濡れになって帰ってきました。「お昼を食べに行ったら雨に降られちゃった、アッハッハ。大通りはすごいよ、(片側4車線道路の半分)2車線が川になっている。私の目の前で車が3台事故を起こしたのよ、アッハッハ。」
店主「その事故、どこで見てたの」
おねえさん「バス停で雨宿りしてたら目の前で車止まれなくて、ドン、ドン、ドンてぶつかったのよ。ディスコに雷が落ちたのも見たわ。」
店主「何でTESCO(巨大スーパーマーケット)で雨宿りしなかったの」
おねえさん「あの雨じゃスーパーに行くまでにびしょ濡れになっちゃうじゃない!」
店主「じゃあ今のおねえさんは」
おねえさん「結局びしょ濡れだ、アッハッハ。」
店主はこんなタイ人が大好きです。

これから本格的な雨期に入ります。こんなエピソードが何回聞けるでしょうか。笑って済ませられれば良いのですが…。
皆さんも、もしタイ旅行を計画されていらっしゃったら、11月までは十分気をつけてくださいね。

追伸:ちなみにこのお掃除のおねえさん1時間後にはしっかりお掃除していました。もちろんぬれた制服のままで…。
「着替えなんて持ってきてないからねアッハッハ。」
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タイでもみのさんは熱弁をふるう! (2006/8/20)
今回からはタイのテレビ事情についてご紹介してまいります。タイには現在6つのテレビ局があり、ほとんど全ての局が24時間放送を実施しています。
タイのテレビを見ていて最も特徴的なことは、毎日朝6時と夕方6時に全局が一斉に国歌とともに愛国意識を高揚するような映像が流れること。映像は各局で制作しているようですが、毎日2回、きちんとこの番組(?)が放送されます。
日本ではNHKが多分朝5時に日の丸のはためく映像が放送されますが、君が代まではあったでしょうか。
一方視聴者たちは、これに対してはほとんど無関心で、国王の映像が流れてもほとんど見向きもしません。もっとも、朝6時と夕方6時といえば家事などで忙しいとき。そんな余裕などないのでしょう。

番組編成は、まああまり日本と変わりません。
朝はニュースショーです。
ニュースショーとはいえ、メインキャスターとアシスタント風の女性が新聞をネタにベラベラコメントをまくし立てるだけというのがほとんどです。このキャスターたちのしゃべるタイ語は、日常しゃべっている発音と異なり、一音一音を正しく発音するので、店主ごときのタイ語の理解度では違和感ばかりが先にたって、ほとんど何を言っているのかわかりません。
ただ、これら同じような番組が並ぶ中で、店主が今注目している人がいます。チャンネル3の朝に放送されるニュースショーのキャスターがそれ。日本でいうとみのもんたさんのようなキャラクターのようで、感情を表面に出しながらしゃべり続けるのです。けっして容姿が似ているというわけではないのですが、見ていてなぜかみのもんたさんとシンクロしてしまうんですね。しゃべっている内容はあまりの早口のためしっかりとは分からないのですが、表情だけでなく、机をたたいて怒りを表すなど、言葉が分からなくてもそこそこ楽しめます。

中でも印象に残っているのは、ワールドカップサッカーの初戦で日本代表がオーストラリアに負けた翌日の放送です。
もう顔を紅潮させ、机をバンバンたたきながら、日本の戦い方のふがいなさと敗戦の悔しさを主張していました。そして、「我々タイ人にとって、真のアジア代表は韓国でも、サウジアラビアでも、イランでもない!日本なんだ!!だから昨日の戦いぶりは許せない!!!」多分このようなコメントを力説していました。
2戦目のクロアチア戦に引き分けた翌日の放送では、半分立ち上がりながら「日本は勝つ気持ちがあるのか!!」とほぼ絶叫状態。目には涙も浮かんでいたようです。「シュートを打たないサッカーなんてサッカーじゃない!!!」と不甲斐ない日本の戦いぶりを端的に切り捨てていました。

このキャスター、どうやらチャネル3専属というわけではなく、夜になると別の局の報道番組に司会者として出演して、今度は不似合いなほど冷静な表情でゲストとのトークを仕切っていました。
どこの国にも優れたタレントというものはいるものだと良い勉強をさせてもらいました。
店主はこの人を勝手に「タイみのさん」と命名して、時間があるごとに彼の番組を見ています。もっとタイ語が理解できたら、もっとおもしろいのだろうなと思いながら…。
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NHKワールドは誰のため?! (2006/8/30)
タイはUBCという衛星放送があります。
ホテルにはほとんど全てこれに加入しており、バンコクではアパートなどでも半分以上は加入しています。日本の衛星放送同様、いろいろとコースに分かれていて、金額によって見ることのできる局の数が異なります。
一般的にはタイの地上波テレビ6局はもちろん、映画専門チャンネンルが2局、スポーツ専門チャンネル、音楽専門チャンネル、ドキュメンタリーチャンネル、CNNなどのニュースチャンネル、NHKワールドをはじめアジア各国の放送局などおよそ16局ほどの番組を見ることができます。これが、一番高い契約クラスだと40局近く観ることができます。

普段はスポーツ専門チャンネルを中心に観ているのですが、これはサッカー好きでゴルフ好きの店主には、嬉しい内容です。サッカーはスペインリーグ、イタリアセリエA、イングランドプレミアリーグなどの注目カードをライブで放映してくれます。日本選手が所属しているチームの対戦などあると、仕事そっちのけで応援しています。
ゴルフは全米のトーナメントをほとんど毎週初日の1番ホールからじっくり見られるのも魅力です。まあ、どちらもタイ語や英語がさほど分からなくても楽しめるのが一番なのですが(^^ゞ。

それから映画専門チャンネル。
これが結構内容が充実しているのです。もちろん最新作が放送されることはないのですが、過去の名作やヒット作をリピート放送してくれるのは嬉しいです。日本のテレビ局が放送するより早く見る事ができます。最近では、メルギブソンがオスカーに輝いた「ブレーブハート」、「JFK」、「ラストサムライ」、「逃亡者」などじっくり観てしまいました。
それからいわゆるB級やC級といわれる映画のなかで、楽しいものにであった時などは、ちょっと得した気持ちにもなります。ただ、当然のことながら字幕はタイ語ですから、台詞などは不明なところも多いのがちょっと悔しいのですが、その分映像に集中できることを発見しました。
この映画専門チャンネルでちょっと特徴的なことがあります。それはホラー系の映画が多いのです。これはビデオショップなどにもいえることなのですが、タイ人はホラー系の映画が好きなようなのです。
あるとき、タイ人になぜホラー映画がすきなのか聞いてみたことがあります。彼の答えは、ドラマやサスペンスは台詞が多く、字幕を読むのが面倒くさい。そこへゆくと、ホラー映画は台詞が少なく、どきどきしながら観られるから好きなのだ。なんともタイ人らしい答えが返ってきました(笑)。

今日本のNHKで、海外でもNHKの番組が見られますという告知を頻繁に流していますが、これが実はとても複雑。というのも、NHKは海外ではNHKワールドとして放送しているのですが、これには「NHKワールド」と「NHKワールドプレミアム」の2種類があるのです。
NHKワールドプレミアムの方は大河ドラマや朝の連続小説などNHKの人気番組はほとんど全部見ることができるのですが、これはUBCの契約コースの中でも高い方のクラスでないと観ることができません。一番高い40局近く見ることのできるコースだと、毎月2,400バーツ、約7,500円かかります。安い方のコースではこのプレミアムは観ることができません。
一般的なアパートや日本人向ではないマンションで契約しているのはこの一番安い方のコースですから、人気番組やドラマなどは一切観ることができない「NHKワールド」なのです。 そして、こうしたアパートなどではUBCと個人契約することはできないことが多いのです。つまり、実際には多くの海外生活をしている日本人は、駐在員など高級マンションに住んでいる人意外、NHKの人気番組などを観ることはできないのが実情です。

「NHKワールド」で放送している番組の編成はほとんどニュース専門チャンネルのようなもの。
NHK総合の定時ニュースのあとにはBSニュース、そのあとには英語放送のニュース。そしてその次にはNHKの各地方局の制作した、レベルが高いとはいいにくいような番組(時間によってはこのナレーションを英語にしていたりしています)。海外安全情報という番組があってから、また定時ニュース…と続きます。夜になったらもう完全に英語ニュースの専門チャンネルと化しています。

NHKにしてみれば日本の出来事や文化を海外に広く伝える活動という風に考えているのでしょうが、そういう考え方ってどうなのでしょうか。確かに建前としてはそうなのでしょうが、だとしてもこれほどまでに英語放送が多い必要があるのでしょうか。現実には、視聴者は圧倒的に日本人が多いはずです。この人たちに対するサービスというのはどのように位置づけられているのでしょうか。本当に疑問が残ります。

このNHKの姿勢で、憤慨をおさえられないことを聞きました。
あるとき、UBCの営業担当者に「NHKワールドプレミアム」が観られるコースはなぜ高いのかを聞いてみたのです。すると彼の回答は「NHKワールドプレミアム」の視聴料がそのほとんどを占めている。つまり、「NHKワールドプレミアム」の視聴料が高いのだというのです。

「海外でも日本の番組を観ることができるのです!」というコメントには、実は「高い金を払えば…」という注釈をつけるべきだというのが、タイに生活する日本人の仲間との一致した意見でした。
NHKさん海外に住む日本人のことも考えた編成をぜひお願いします。
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バンコクの心あたたまる歳末風景 (2006/12/30)
いよいよ年末も押し詰まってきました。
一般にバンコクでは、一部の商業エリアを除いてクリスマスムードの高まりというのは日本ほどではありません。飲食業をしている人以外は取り立ててクリスマスのパーティーもしないようですし、家族や友達へのプレゼントなどということも少ないようです。多分、ボーナスという習慣を持った会社が少ないせいでしょう。歳末商戦などという言葉も無縁のようです。
ただ、お祭好き、イベント好きのタイ人にとってはイルミネーションがともり、音楽が流れるとちょっとうきうきしてしまうということでしょうか。クリスマスと暦上の新年は一緒に祝いますから、12月5日の国王の誕生日からの一か月間繁華街は華やかさを増します。

デパートやホテルなどの飾りつけは目を見張るほど豪華です。大きいレストランやディスコなどではクリスマスも新年のイベントも盛大すぎるくらい盛大に行い、びっくりするほど多勢のタイ人たちで盛り上がるのです。これにはタイに慣れた店主もちょっとタジタジとしてしまいます。
例年、イルミネーションがきれいなのはエンポリアムという高級デパート。12月の声を待つように、巨大なクリスマスツリーが飾られ、電飾がデパートのエントランスを囲むように輝きます。今年オープンしたビッグスケールの高級デパートのサイアムパラゴンも、ひけを取らない美しいイルミネーションです。このデパートのスケールは1フロアを歩くだけで疲れてしまうほどの広さで、天井も高く、全フロアが吹き抜けの開放感とあいまって明るい空気を作り出しています。また、フォーシーズンズホテルのクリスマスツリー。毎年王族の方を招いて点灯セレモニーを行います。

店主のアパートでも、このエリアでは評判のイルミネーションが点されます。今年は12月17日、本来はセキュリティーのスタッフが、路地の植木から入り口の高い木にまで電飾を飾るのです。最初の点灯の時には近所の子供たちが集まって大騒ぎになります。
アパート内に入ってもクリスマスの装飾がされています。ロビーにはクリスマスツリーが飾られ、レセプションのカウンターには賑やかな銀色の飾り付けが施されています。また、エレベーターホール(というほど広いものではありませんが)には造花の植物が飾られ、リースをイメージした大きなアーチが作られています。そして、毎年ガラス面にサンタクロースの絵が描かれます。
これは、白い粉をガラス面に拭きつけ、そこにサンタさんの絵の型(そんなものがるのですね)をガラスに触れないように持ちながら、その切れ込みにそって指で描いたものです。いつも、お掃除の女性たちがキャッキャいいながら、何度もやり直して完成させます。2つ描かれているのですが、私のほうが上手く描けたとか、でき上がっても大騒ぎしています。
今年のできは…ちょっとよくないようです。あまりにも何度も描き直したので、サンタさんの顔がしっかり見えません。これもクリスマスを過ぎる頃になると、行き交う人の袖が触れたり、アパートの住民がいたずらしたりで、だいたい年末にはボロボロになってしまうのですが…。

バンコクの歳末の風物詩は、BTSという高架鉄道の社内で「聖しこの夜」を歌う、小学生から中学生くらいのボランティアの歌声です。多分キリスト教系の協会に所属しているのでしょう。数名の男女の子供たちと、大人のギターを持ったリーダーが電車に乗り込み、静かにクリスマスの歌を数曲歌うのです。そして、曲が終わるたびに恵まれない子供たちへの募金を呼びかけます。
普段は携帯電話の着信音や、話し声でざわざわしている車内なのですが、このときは普段とちょっと違った、静寂な空気が流れています。車内に子供たちの声が優しく響きます。携帯電話が鳴っても、あわてて切って子供たちの歌声に耳を傾けている人を多く見ます。そして、電車を降りるときに10バーツ、20バーツと募金をしてゆきます。

それから、年末になると特に目立つのが、地下鉄やBTSの駅の出口に集まっている、大きなバッグを肩にかけた中学生たちの姿です。彼等はぬいぐるみやちょっとした小物などを売って学校の修復の資金を作ったり、恵まれない子供たちへの寄付をしたりしています。日本でいえば共同募金の風景が似ているといえば似ています。
でも、「共同募金にご協力お願いしま〜す!」というように連呼するのではなく(そういう募金もあるのですが…)、乗降客一人ひとりにそれぞれが歩み寄り、声をかけ、趣旨を伝え、バッグの中の商品を買ってくれるように頼むのです。「タイ語が分からないよ」というと一生懸命英語で説明をしてくれます。熱意はあるけれどもけっして押し付けではなく、礼儀をしっかりと守った対応は好感が持てます。そして何より、乗降客が来るのを待っている時、彼等同士が話をしているその表情の晴れやかさに心があたたまります。

タイでは欧米と同様に、メリークリスマス&ハッピーニューイヤーとひっくるめで祝います。ですから、年が明けてもクリスマスの飾りつけはそのまま。HAPPY NEW YEARの飾りがわびしくなってきた1月半ば過ぎにようやく取り外されることが多いです。タニヤという日本人通りともいわれる所に並ぶカラオケクラブでも、くたびれ果てたHAPPY NEW YEARの飾りがだらしなくついているなんていう光景を見ることは珍しくありません。

これからタイへ旅行するという方。今からでも、パラゴンやエンポリアムのイルミネーションは十分楽しめます。バンコクのこれでもか!というデコレーションのパワーを実感してみてはいかがでしょうか。
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オバチャンの笑い声とともに暮れる1日 (2007/1/30)
まだあたりは漆黒の闇。小鳥のさえずりも聞こえないというのに、いつものようにバシャッ、バシャッという水をかける音。この音とともに店主の住む町の朝が明けます。
この音は、隣のアパートに住むオバチャンの誰かが水を浴びる音なのでしょうか、それとも仕事場を掃除しているのでしょうか。それは分かりませんがいつもほとんど決まった時間。この水の音が止む頃、NHKワールドで「おはよう日本 7時台」がスタートするのです。
タイと日本は2時間の時差がありますから、バンコクは午前五時です。こんなに朝早くから起きて、仕事の準備をする。本当にタイの女性は働き者だと感心してしまいます。ちなみに、店主の住むアパートの近くのお店はほとんど朝8時には開いています。

実は、この音が店主にとっていつものお休みコールなのです。
なぜこんな時間まで起きているのかというと、それはひとえにタイの通信事情の悪さにあります。タイはまだまだ通信事情が悪く、特に朝9時ごろからと午後3時ごろからの、アクセスが集中する時間帯のインターネットへのつながりの悪さは最悪です。何度ブラウザーを立ち上げても「サーバーが見つかりません」の表示。メールさえタイムアウトを繰り返すほどです。
特に店主の住むアパートはADSLが入っていて、それでも通信速度は公称516kbps。ただこれも実際にそれだけのスピードが確保されているとは考えられません。これでも、店主が引っ越してきて以来何度も文句をいい続けたので、ようやくLANが組まれるようになったのです。
とはいえ、百人近い契約者が一度にアクセスすればもう容量オーバー、すぐに「サーバーが見つかりません」が表示されてしまう体たらくです。
よくアパートのレセプションの女性に、「日本で30分でできる仕事が、タイでは3時間かかるよ」というのですが、実際これが冗談ではありません。ですから、どうしてもインターネットの接続はアクセスが落ち着いた昼頃かタイ中が寝静まった頃にやらざるを得ないのです。特にページの更新などしている時には夜中2時過ぎでないと安心して作業ができません。ネットショップを運営しているからといって、そんなに毎日作業しているというわけではないのですが(それだけ売れていないということ?…(^^ゞ)、なんとなくこうした時間の過ごし方が身についてしまったのです。

そんなこんなで、水浴びの音で朝の到来を知ると、そろそろ寝るモードに入ってゆくのです。まず、世界中から夜中に送られてきた迷惑メール数十通を目を通すこともなく完全削除。ネットショップを運営しているのでメールアドレスをオープンにしているとはいうものの、店主のところに来る迷惑メールの量は大量です。日本の出会い系はもちろんのこと、アメリカの銀行や株投資、レプリカウォッチ、精力増強薬など。その他にも、韓国、中国、ヨーロッパからのものもあります。一度もアクセスしたこともないところからこれだけ大量のメールが来るというのは気持ちの悪いものです。
何より、仕事やプライベートの必要なメールと迷惑メールを判別するのがたいへんです。朝まで仕事をしていた鈍った頭ですから、必要なメールを誤って捨てないようにするのに気を使います。そんな作業をしていると、当店からお送りしているメールもこんな風に迷惑と思われているのかなとか、見られることもなく打ち捨てられているのだろうかなどと考えてしまいます。

隣のアパートでは朝餉の支度が始まります。オバチャンたちが大声で話す声、明るくけたたましい笑い声が響きます。まだ6時前ですから、あたりはまだ暗いというのにこの元気。どこの国でもオバチャンというのは朝から元気がよいようです。
特にタイ人はよくしゃべり、よく笑う。すごいものだと思いつつ、ベランダの引き戸の開き具合を狭くし、カーテンを閉めます。
これはオバチャンたちの声がうるさいからではなく、朝と夕方に蚊がたくさん出るからです。タイの蚊はほとんど音もなく飛んできて、一瞬だけ止まってチッと刺して飛んで行きます。日本のようにじっくり血を吸うという感じではありません。また寝ている時にプ〜ンという音で目を覚まされるということもありません。
電気蚊取やスプレーの殺虫剤もあるのですが、あまり効かないようです。店主のすぐ前に液体電気蚊取をつけているのですが、いつでも蚊に刺されていますから。

こうして、一晩中相手をしてくれたビールを飲み干し、朝用の冷えたものに入れ替えて、NHKのニュースを子守唄代わりに、店主一日が終わるのです。
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一体タイのどこが好きなんだろう (2007/8/30)
店主が始めてタイを訪れたのは平成元年のことでした。テレビ番組の取材で、バンコクをはじめ国内各所をロケーションして回りました。においのする食べ物が苦手な店主は、その時にはまるで食べられるものがなく、もうこんなところへは二度と来るものかと思ったものです。
それから2〜3年経った頃、知り合いからタイでゴルフをしようと誘われたのです。はっきりいって、そのときもしぶしぶ同行したというのが本当でした。ところが、このゴルフツアーがタイにはまる原因だったのです。
それからというもの年間3〜4回、1回につき9日間ほど滞在するようになったのです。そのうちタイ人の友達や仲間もでき、あちこちへ旅するようになりました。
もちろんゴルフがメインでしたが、それでもパタヤやプーケットを手始めに、チェンマイやアユタヤなど有名都市から、東北部の貧しい町まで足を延ばしたこともありました。その行く先々でたくさんの人たちに接しました。そしてそれらの人たちがいずれも人なつっこく、暖かい空気でもてなしてくれたことを今も覚えています。

その頃の店主は、おおよその日本人が抱くように貧しい国というイメージを持っていました。今とは比較にならないほど道路事情は悪く、生活も厳しく、でも働くのは女性ばかりで、男たちはいつもグータラしている。
でもそこに住む人たちはアッケラカンとして、その貧しささえも楽しんでいるように見えたのです。タイ人の生活観とも人生観とも言われる「サバーイ」(楽して)と「サヌーク」(楽しく)という姿勢そのままの生活でした。それはどこか店主が子供の頃の空気に似ているものを感じられたのです。
そんなところが、当初に感じたイメージから思ったよりスムーズに対応できるようになった理由なのかもしれません。そして、管理社会が進み始めた日本に対して感じていた窮屈な思いを、タイに行って発散していた面もあるかもしれません。

こうしてタイの魅力に引き寄せられるにしたがって、自然と伝統文化というものにも興味を持つようになっていったというわけです。
タイと日本とは歴史的にも文化的にも共通するところがたくさんあります。王室(皇室)があり、長く独立を保っていること。信仰の強さに差こそあれ、仏教が生活に根付いているところも同じです。伝統的にも絹織物や竹を使った文化が生きているところも共通しているところです。互いに手先が器用で、それらを作る技術力が高く、驚くほど細密な物を作れるところも似ています。
繊細な削りの技術と編み込みが作り出す竹製品の数々。
先染めという技術を使った絹織物、マットミーシルクと大島紬。
透かし彫りによる木工工芸品などに共通するルーツのようなものを感じました。

ところが、10年近く前のエスニックブームではこうした伝統がもつ高い技術によって作られたものではなく、安価で粗雑なものばかりが出回るようになってしまいました。「タイや東南アジアの製品は安かろう悪かろう」という風評が定着してしまいました。既にタイフリークとなっていた店主には耐えられない状況でした。
まあそんなわけで本当のタイの伝統と文化が息づく良品のみを扱うショップを立ち上げることになったわけです。良いものを見分ける目を持つ目の肥えた人たちにも十分ご満足いただける商品をご紹介してゆくこと。高品質のマテリアルをベースに、日本人にも受け入れられる製品を作り出してゆくことを目指して、テレビの世界を早期退職後、こうした会社を立ち上げたわけです。

タイは昭和40年頃の日本に似ていると店主は感じています。それはまだ日本が世界第2位の豊かな国になる基礎を作り上げた頃の社会状況や生活環境とシンクロしている部分が多く感じられるからです。
この頃、店主は小学生から中学生位。最も楽しかった時代でした。
今のようなコンプライアンスであるとか、コーポレートガバナンスなどということばが跋扈する日本に比べて、まだおおらかな空気があふれるタイにある種の郷愁を感じているのかもしれません。

最初、人なつっこくアッケラカンと生活していると好感を持ったタイ人たちの嫌な面、たとえば個人主義というより自分勝手に近い性格、日本人と見れば金々という処世術、ずるがしこさなども分かってきました。
それでも尚、タイの魅力からさよならできないのはやっぱり彼等の「サバーイ」(楽して)と「サヌーク」(楽しく)という人生観、生活観が店主に合っているということなのだろうと思っています。
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日本とタイの禁煙事情を比べてみました (2007/11/30)
世界的な禁煙運動の流れを受けて、タイでも分煙をはじめ喫煙については厳しい規制がされています。実際タイは禁煙について世界の先進国です。
オフィスや公共の場での喫煙は当然禁止。タクシーももう数年前から禁煙です。
レストランももうほとんどのところが禁煙になっています。
極々一部に喫煙席を設けているところがあるようですが、この喫煙席を作るための許可を取るのがたいへんだそうです。だから、レストランでは喫煙者のためには屋外にテーブルや灰皿をを出しているところが増えています。タイでは屋外での喫煙は大体どこでも認められています。ただし、吸殻のポイ捨ては禁じられています…本当は…。
今も喫煙はOKというのはカラオケクラブなどお酒を飲むことのできるお店くらいになっているのではないでしょうか。

タバコの害を伝えるための規制も半端ではありません。例えば、販売店がタバコのパッケージを目に付くところに出してはいけないというルールがあります。コンビニはもちろん、普通の店でも一切タバコは陳列していません。タバコを買う人が来たら、テーブルの下などから出してくれるわけです。どうやらこれは未成年者が喫煙習慣を持たないようにするのが目的だとか。
タバコのパッケージだって日本のように文字だけで注意を喚起するような生易しいものではありません。タバコのパッケージの半分は喫煙によって病気になった人の写真が印刷されています。昨年あたりまでは5種類くらいでしたが、最近はもっとエスカレート。手術によって喉に穴が開いている部分の写真や、肺ガンの肺の写真などの実写写真が印刷されているのです。
はっきりいって、本当に気持ち悪いものです。ただ、こうした規制によって喫煙者が減っているかというとそうでもないようで、新たな規制が考えられているというような噂を聞いたことがあります。

昨年オープンしたスワナプーム国際空港も、以前のドンムアン空港に比べると喫煙室は激減している感があります。6つのコンコースごとに1ヶ所くらいしかないのではないでしょうか。なにせ世界一の広さを持つ空港ですから喫煙者にはとても厳しい環境です。
ただ、その分空港ビルから一歩外に出るとそこには灰皿やゴミ箱が設置されています。加えて、それらのゴミを収集するお掃除のスタッフがひっきりなしに作業していますから、その周辺もとてもきれいです。それに喫煙場所が各出口にあるのでポイ捨てもなく、空港の外の通路はきれいになっています。これなら外国から訪れた観光客もよい印象を受けるはずです。

ところで、同じ空港を比較した時、成田空港は喫煙者にとって不親切ですね。
ターミナルに作られている喫煙室はスワナプームと同様ですが、外に出ても喫煙スペースが決められています。出口はたくさんあって、ゴミ箱も随所に設置されているのに、灰皿はありません。必然的に出口の付近は投げ捨てられたタバコの吸殻が目立ちます。
もちろん、灰皿がないところでポイ捨てするのは喫煙者のマナーが悪いというのはもっともなことです。でも、外に出たのなら、もっと灰皿があっても良いのではないか、と店主は思うわけです。
最近はいくつもの地方自治体が路上禁煙を条例化していますが、そこまで徹底するのならそれはそれで良いと思います。でも、スワナプームと成田空港。比べてみてどちらが心遣いがあると思われるでしょうか。それは、喫煙者に対してのみのことと感じられるかもしれませんが…。

もう少し屁理屈を並べさせてください。
タイでは、タバコは買う場所や店によって、また買う数によっても価格が違います。盛り場のタバコスタンドだと85バーツのタバコが、スーパーで買えば65バーツ。それを1カートン買うと630バーツという具合です。
それから、空港内の免税店で買うのと、市内のスーパーマーケットで買うのとほとんど価格が変わりません。どうやら、タバコ税というのはほとんどないらしいのです。それでも灰皿の設置など喫煙者に対する心遣い、もっと大げさにいえば喫煙者にも人権を認めている。
それに対して、日本では高額の税金が課せられています。いってみれば、喫煙者は非喫煙者に比べて余分に税金を払っているわけです。タバコ税は国の税収のうちでも重要な収入源となっていることはご存知でしょう。そのせいだとはいいませんが、タバコのパッケージもタイのように気味悪いものにはできないのではないか、とかんぐってしまうわけです。自動販売機があちこちに設置され、コンビニなどでも堂々とパッケージが陳列されている。タクシーの禁煙化も最近始まったばかりのようです。
こうしてみると、日本の喫煙規制に中途半端な印象を受けるのは店主だけではないはずです。日本では本当に喫煙者がいなくなっては困るのではないか。だったら、高額納税者(?)の喫煙者に対して、もう少し権利を主張できる環境になってもよいのではないかと思ってしまうわけです。もちろん、こうした主張をするにあたっては、喫煙のマナーを喫煙者自身がしっかりと守るということが大前提なのですが…。

余談ですが、タイではタバコの投げ捨ては罰金が科せられます。
ほとんど有名無実のルールですが、運悪く警察官に見つかると罰金(本当にそうかどうかは疑わしいのですが…)を徴収されますので注意が必要です。


※追記:2008年タイではこれ以上に厳しい法律が施行されました。今はカラオケクラブなどでも喫煙が禁止されました。
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国王の80歳の誕生日にタイ中が歓喜 (2007/12/20)
12月5日、タイのプミポン国王がめでたく80歳の誕生日を迎えられました。
店主の記憶が正しければ、現在世界最高齢の国王であり、その在位期間も日本の昭和天皇のそれにもう少しで並びます。
昭和天皇がどちらかといえば学術肌でいらしたのに対し、プミポン国王は文化面に優れた才能を発揮されているという印象があります。サックス、クラリネットの奏者として世界的に知られているばかりでなく、作曲も手がけられ、数々の楽曲を発表していらっしゃいます。

以前から何度も国王や王室を祝賀する際に、国民たちが黄色いポロシャツを着用するということをご紹介してきました。今も毎週月曜日には黄色いポロシャツを着た人たちで街があふれかえります。国を挙げて黄色いポロシャツを着ているのです。普段の月曜日ではほぼ半数、何かの記念日ともなれば7割以上の人々が黄色いシャツを着るのですから、タイに慣れていない人にとってはちょっと驚きでしょう。
では、なぜ月曜日に黄色のシャツを着るのでしょうか。
理由はプミポン国王のお誕生日、1927年12月8日が月曜日だからです。
信仰心の厚いタイでは、もうそれはびっくりするほどの信仰にかかわることがあります。曜日と色の関係もその一つ。
日曜日は太陽を象徴する赤で、月曜日は月を象徴する白または黄色と決まっています。
そればかりか、曜日によって仏陀のポーズも決まっています。私たちに理解できないのは水曜日だけ、昼間か夜かで色も仏陀のポーズも違うということ。これらを常識としてタイ人たちは受け止めているのです。

国王がその80回目の誕生日を迎える前、脳虚血性発作のため入院されました。幸い症状は軽かったようで(あくまで公的発表ですが…)11月7日に退院されました。その際に、一般国民にとっては、ちょっと大げさですが、衝撃的なムーブメントにつながることがありました。
退院の際、国王はピンクのシャツにピンクのジャケットを着用されていたのです(その際の写真はこちらでご覧になれます)。
その発端は、高名な占星術師が、ピンクは国王の長寿のためになると占ったことによるということです。この占いに従って、シリトン王女(国王の二女で国王に次いで大人気の方です)が毎週火曜日には必ずピンクの衣装をお召しになったとか。ちなみにピンクは火曜日の色です。そして、シリトン王女が国王の健康と長寿を願って、退院の際に国王にピンクのものをお召しになるように進言されたといいます。
国王陛下がピンクのものをお召しになり、その理由がシリトン王女の進言だということが瞬く間に知れ渡りました。これに加えて、スラユット首相も国民に推奨したものですからもうたいへんです。我先にとピンクのポロシャツが飛ぶように売れ、そして国を挙げてピンクのものを着るようになったのです。
商業省では国王の80歳の誕生日を祝う純正ロゴ入りのポロシャツについては、予約販売のみとすることにするなど大騒ぎ。一般の商店や露天などでは当然売価は高騰。もちろん純正のロゴ入りのものではありません。それでも、どんどん売れてゆくのです。価格はそれに連れて上がる一方。とうとう商業省は、売る場合の最高額を決めて、それ以上で販売すると処罰すると発表するほどまで加熱しています。

そんな大きなムーブメントの波が押し寄せる中、プミポン国王は80歳のお誕生日を迎えられました。
王宮周辺は陛下のお姿を一目見ようと早朝から数万のタイ国民が黄色やピンクのポロシャツを着て集まりました。そして、ほとんどの人が涙を流しながら、歓喜の表情でお誕生日を祝いました。テレビも全局同一の番組で陛下のお言葉を全国に放送しました。老若男女の区別なく、タイ人たちは「国王は私たちの父」とか「タイとタイ人を最も愛しているのは国王陛下」といいます。なぜこれほど国王を敬愛するようになったのでしょう。

プミポン国王は1946年、当時留学していたスイスで即位され、1950年に戴冠されました。タイに帰って最初に行ったのが、地方の視察だったそうです。留学生活が長かった国王はタイとタイ国民の生活を知ることが第一と考えられたためといわれています。それは4年をかけて行われたそうです。
このことはちょうど、日本の戦後まもなく、昭和天皇が地方巡幸を行われたことに似ています。このとき天皇陛下は疲弊している国の現状を理解し、活力を与えることを願われたのでしょう。
こうした地方視察の際、北部タイの山岳民族の荒れ果てた貧困生活の様子もご覧になりました。アヘン栽培、不法な森林伐採などをしなくては生活を支えられない人々の生活に直接ふれられました。そこで、後にロイヤルプロジェクトといわれる王室による社会貢献事業を数々立ち上げ、貧しい地方に住む人たちに対して救いの手を差しのべたのです。

プミポン国王が即位してから今まで、タイには数々の国を揺るがす事件が起こっています。国王はその度に時の政権に対して重要な助言を行い、国民に平静を訴えました。
タイも、日本同様、立憲君主国です。ですが、政治や社会に対する影響力については、比較にならないほど直接的な実績をあげられています。
昨年のクーデターの際、「何かが起こったら国王陛下が助けてくださる」といっていた近所のオバチャンの言葉はタイ国民全ての気持ちです。
昨年の在位60年のとき、病気が癒えて退院されるとき、そしてお誕生日を迎えられたとき。そうした国王陛下の節目ごとに、それを涙を流して祝賀するタイ国民の姿を見て、それ程信じられるものをもつ彼等になぜか素直に頭が下がる思いがした店主でした。
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閑中閑だらけの年末に気がつきました (2007/12/30)
いよいよ年末。タイには今年もまた数万人もの日本人が訪れるそうです。タイを旅行する人の数はクーデターや総選挙などがあっても天井知らずで延びているとか。店主の知り合いの旅行代理店のスタッフはこの時期多忙を極めるようです。

それにつけてもどうにかなりませんかね、バーツ高。おかげで、タイの品物を日本で販売するという業務は今まで以上に火の車。値段を下げたくても下げられない。まあ、輸入業者としては為替レートに振り回されるというのは致し方ないこと…、とは言うもののもうどうしようもありません。これなら何もしないほうがよいと観念し、グテ〜っとした毎日を送っています。

そんな店主の唯一の日課は近所の雀への餌やり。毎日明け方と夕方の2回、コーンフレークをつぶしてベランダのエアコンの室外機の上に出してやるのです。多い時には30羽くらいが群がり、賑やかに囀りあっています。コーンフレークより良いものがあるのではないかと鳥用の餌をおいたこともあるのですが、どうも不人気でした。彼等はコーンフレークの方がお気に入りのようです。
彼等の食餌行動を見ていて一つ気がついたことがあります。それは朝と夕方で食べる量に違いがあること。朝が圧倒的に多いのです。集まってくる数も多いようです。こんな風に、朝夕集まってくる雀たちに心を和ませてもらっています。

怠惰な生活を送っている私が、一日で最も長時間付き合っているのがNHKワールド。NHKといっても日本の総合テレビでやっているもの全てがみれるわけではありません。教育テレビの番組やBSの番組、地方局の製作したものなども放送されます。それを日本にいたときとは比較にならないほどじっくりと見ています。
そうするとどうしてもテレビ屋だった昔の血が騒いで、番組の内容が気になってしまいます。ニュースの内容が変だとブツブツいい、「風林火山」の演出の齟齬が気になったり、「ちりとてちん」のストーリー展開の稚拙さに苛立ったり。演出や演技の一つひとつに1人でぶつぶつ文句を言っている自分に気がつきます。でも毎回しっかりと見ているのですが(笑)。

そこで最近気がついたこと。
恥ずかしながら私ひどく涙もろくなっているのです。テレビ屋時代では思いもよらなかったことです。「ちりとてちん」のしょーもない演出に文句をいいながら、目には涙がたまっているのに気がつきました。う〜んこれはどうしたことかと思ってしまったのです。
そればかりではありません。ドキュメンタリーをみていても、わけのわからない視聴者参加風の番組を視ていても、トーク番組を観ていても、気付けばウルウルしてしまっているのです。歳のせいなのか、制作現場から離れて、心身ともに一般の視聴者のレベルになったということなのか…。

結局、でもテレビってそういうものなのだと考えることで心を納得させることにしたのですが、そうするとテレビの魔術のようなものを感じられるようになるのですね。それに気づいてからというもの、和久井映見さんと武内陶子アナウンサーはやっぱりいいなーとつぶやきながらテレビにかじりついています。
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グローバル化の波?裸足文化がピンチ! (2008/1/30)
数ヶ月前のことになりますが、MRTという地下鉄に乗っていたときに店主の前に座った女性にどうしても目がいってしかたがありませんでした。
別に不遜な思いをもったわけではありません。気になったのは彼女の足だったのです。明らかに外反母趾だったのです。日本であればさほど珍しくはないのですが、タイではそれまで多分見たことはありませんした。ミュールを履いていたその足の親指はきつい角度で内側に曲がっていたのです。

外反母趾というのは主にハイヒールの靴を履く女性にできやすいといわれています。ということは、この女性はこれまで長いことハイヒールの生活をしてきたのかもしれません。
ハイヒールを履く機会が多いといえばカラオケクラブのホステスがすぐに頭に浮かびました。でも、水商売やホステスのようには見えませんでした。まあ、ホステスたちもハイヒールを履いているのはお店にいるときだけですから外反母趾ができるとはちょっと考えにくいです。それに、どちらかといえば知的な美しい人だったので、きっと若い頃からしっかりとした仕事についているのだと思われました。
その後、女性たちの足元を注意していると、靴を履いている人がとても増えてきたように感じられます。

タイは昔の日本のように裸足の文化が根付いています。家に入るときには、日本のように玄関はありませんが、必ず靴を脱ぎます。部屋の中にいるときは当然裸足です。それどころか、家の周りを裸足で歩いている人を見ることも珍しいことではありません。子供たちは、路地で遊ぶ時にはサンダルを脱いで裸足になって遊びます。もう今の日本では忘れ去られた生活習慣がいまも息づいているのです。
老若男女問わず、一般の人たちが好むのは今も草履タイプのサンダルです。ビーチサンダルのようなものです。これはただ単に、価格が安いというだけでなく、彼らの習慣に合っているから今も好まれているのだと思います。
ところが、最近デパートやファッションビル、スーパーマーケットや市場に至るまで靴屋が目立つようになっています。特に女性たちの足元のファッションの移り変わりはここ数年目を見張るものがあります。女性たちがファッショナブルになり、つっかけサンダルがミュールになり、高いヒールで細身の靴に変わってゆく。そのことが今までの生活の習慣が失われてゆく現実を、その女性につきつけられたような気がしたのです。ちょっと寂しい気持ちで見てしまっていたのです。

極端な見方かもしれませんが、こうしたファッションの変化の波はグローバル化の兆候のように思えるのです。女性たちの足音、あのミュールのピッタンピッタンという音が、変化の足音のように思えてなりません。本当にいいのだろうか???
裸足文化を失ってしまった私たちがそんなことを思う権利はないのかもしれません。でも、管理社会と化してしまった日本の変化の道のりが、いまのタイにも用意されているのだとしたら…。生活に根付いた伝統文化の灯が一つ、またひとつと消えていってしまったら…。そんなことまで思い浮かんでしまうのです。

この女性を見かけて以来、ちょっと外出する時どうしても女性たちの足元が気になって、思わず視線が下がります。
よしよし、子供たちはまだ裸足で遊んでいるな。
まだ中学生はビーチサンダルで歩いているな。
大学生は靴とサンダルタイプの靴と半々か。
やっぱり若い女性はカラフルなサンダルになってしまっているな。
そんな風なことを気にしながら、買い物に行きます。そこで、スーパーのレジ係の女性たちの半数くらいが、仕事をしている時に靴を脱いでいるのを見てちょっとホッとします。
外反母趾防止サンダルみたいなものが人気にならないことをそっと祈っている店主なのです。
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4年…タイに何が起こったか (2008/2/10)
タイに生活のベースを移してほぼ4年。楽天市場に開店してからほぼ3年半になります。その間、タイではいろいろなことが起こりました。
開店してすぐ、2004年12月にインドネシア沖で大地震が発生。
津波が、タイを代表するリゾート地プーケットを襲い、多くの犠牲者を出しました。年末の観光シーズンということもあり、悲惨で、多大な被害及ぼす天災でした。でも、プーケットは多くの被害地の中でもいち早く復旧を遂げ、成熟してきているタイの経済力を世界にアッピールしました。

2006年9月にはクーデターによって政権が転覆しました。
地方の人々の救済を旗印に人気を集めたタークシン首相が失脚。事実上の国外追放となっています。
津波のときに即刻プーケットに行き、被災者たちを激励するなど、日本の政治家とは違う精力的な動きを見せた首相の失脚は衝撃的でした。反面、バンコクに生活する人たちが平穏にしていたのは印象的でした。あらためて、タイ国民の国王に対する信頼感の強さを実感しました。

ただ、軍部による暫定政権の無策によってバーツが急騰したのには参りました。クーデター前から徐々に上がり傾向にはあったのですが、タークシン政権の政策によりその動きは抑制されていました。ところが、暫定政権はこれに対する政策は何もなく、まさにうなぎのぼりでレートは上昇しました。ほぼ半年で30%の上昇ですから、想像を絶します。
私たち輸入業者は商品の価格だけでなく、輸送費、関税などを含めると、ただ単に商品価格が30%上昇したというだけではない大打撃を受けました。このバーツ高によって、当店は閉店に追いやられたわけです。

その他、爆弾テロの事件などもありました。
こうしたタイの社会、政治の大きなムーブメントについて、ニュースでは知らせることのない、庶民のレベルでご報告してまいりました。

ただ、最終回で店主が注目したいのは、こうしたことを振り返ることではありません。タイの生活と文化にこだわってきた店主としてはもっともっと気になることがあるのです。もちろんそれはタイ人たちの日常です。
明らかに人々の生活は変化しています。それはまず女性から起こっています。例えば、前回ご紹介した様に裸足の文化が薄れつつあること。それ以外にも、ファッションの世界でも着実に、そして大きく動きが見えているのです。

以前はスーパーや市場などで3枚200バーツ(約700円)というブラジャーをしていたのが、今やトリンプやワコールといったブランドのものが飛ぶように売れているそうです(友人女性談)。
ノーメイクが当たり前だったのに、今は自然由来の素材を使った化粧品が人気。
ネイルアートのブームは瞬く間に広がってゆきました。
黒髪は染められ、付け毛がきらきら光っていたりする。
この他にも些細なことまで取り上げてゆくと、着実に文化や社会の変動に繋がっていつことが実感できます。

私たち日本人も高度経済成長期やバブルを経て、日本の伝統的な生活様式を捨て、どんどん西欧化してゆきました。この過程で、長い間培ってきた伝統文化の流れがどんどん細くなってしまいました。そして、今や過度なほど管理されたギスギスした社会になってしまっています。
店主がタイの伝統文化にこだわり、良品のみをご紹介することを目指したのは、タイが日本のようになって欲しくないという、個人的な反省の念からです。
日本が太平洋戦争後復活してこれたのは、世界的な社会の動きなど、とてもラッキーな状況だったと思うのです。
例えば、今の日本の経済を支える自動車や電気産業。世界的にみても、これらの産業の発展は1960年代に入ってから目を見張るほどの成長を見せたはずです。日本はそうした世界的な潮流に乗って、その卓越した技術力で世界一のポジションに登りつめました。

では、タイはどうでしょうか。
以前、今のタイは日本の昭和40年ごろと同じ空気だということをご紹介しました。この時代は、日本が優秀な自動車やテレビなどの家電製品で世界に打って出た頃です。今のタイにこうしたものがあるか…。
日本同様目立った資源はなく、加工業で生きていかなければならないタイには、昔の日本のような世界的なムーブメントに乗ってゆく環境はあるのでしょうか。ベトナム戦争が終わった後から、欧米の大企業は東南アジアの拠点をシンガポールからタイにベースを移しました。でも、あくまでそれは部品製造などの下請け業がメインです。日本が世界で2番目に豊かになったような社会的、経済的環境は今のタイにはないのです。でも、豊かさを標榜する空気はどんどん流入してくる。

極論かも知れませんが、日本は伝統文化を捨て去ることで豊かさを手にしました。タイにその道があるのか。

何も得るものがなく、伝統的な文化のみが失われてゆく。「サバイ」「サヌーク」をベースにした、おおらかで和やかな生活が失われて、管理社会、コンプライアンスやコーポレートガバナンスなんていうことばが闊歩する社会。そんな風な国になって欲しくなくて、本当の本物を丁寧に作り上げることができる環境を少しでも長く続けて欲しいという思いから、この店を立ち上げました。
数年前、エスニックブームが日本に巻き起こり、多くのタイや東南アジアの製品が日本に出回りました。ただ、残念ながらそれは本当の伝統を受け継いだものではない粗悪なものが多かった。よって、タイ製品に付けられたレッテルは「安かろう悪かろう」です。

タイには、当店でご紹介している以上に、もっともっと素晴らしいものがあります。店主は力及ばず楽天市場での事業は閉店しますが、まだタイの伝統と文化にはこだわってゆくつもりです。細々とですが、続けてまいります。
それが、大好きだった日本が歩いたのと同じ道を辿ることがないようにするためだと思うからです。

店主が好きな言葉に「何をしたかではなく、何のためにしたか」というのがあります。偉大な映画監督黒澤明が亡くなる前に作っていた「雨あがる」という作品の脚本の中にあることばです。
この言葉を糧にまだしばらくタイにかかわってゆくつもりです。
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