個人旅行者向け
タイの上手な旅の仕方の基礎知識

タイの実体験をエッセイ風、レポート風にまとめました

《SECOND EFFORTの活動》
お暇でしたらこちらもどうぞ

タイの日本人向け新聞「バンコク週報」に掲載しているエッセイを再構成しています。
店主のテレビ屋時代のエピソードを中心に書き綴っているエッセイです。今だから笑える失敗談や、今では信じられないテレビの制作現場のこと。
番組の立ち上げ秘話やタレントとの交流の話など、実際にあったことを一つづつ記憶を紐解きながら、店主の成長記録のように書いています。
不定期ですが、今も書き足していますから時々覗くようにしていただくと嬉しいです。


こちらは今の仕事のページです

会社案内ビデオや商品紹介ビデオ、社員の研修や教育のためのビデオを制作します。
映像プロモーションは企業のコンプライアンスの醸成に大きな効果をもたらします。
30年以上テレビの番組制作に携わってきた店主にお手伝いさせてください。長年培ったその経験を活かして、きっとご満足いただけるような作品をつくります。
その他、サークルの発表会や結婚披露パーティーの記録ビデオまで何でも承ります。
お気軽にお問合せ下さい。
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当HPはリンクフリーです。
ただしご連絡だけはくださいね。
タイに関心のある方どんどん情報交換して、タイフリークの輪を広げましょう!

事件・事故
2004年歳末の大騒動 クーデターの知らせは重い空気の中に届いた
報道されない街から見た戒厳令 爆弾テロもどこ吹く風のタイの新年
爆弾テロは暗い影を落とした…かな? 誰か止めてよバーツ高
地球温暖化?バンコクに忍び寄る危機?! 世界に通用しない日本の当然
2004年歳末の大騒動 (2004/12/30)
アンダマン海の大津波は本当に大きな被害が出て最悪の事態になりました。日本人の被害者も続々確認されています。
津波が起こった日はバンコクのテレビもほぼ一日特別編成で被害の状況を伝えていました。被害を受けた人たちの遺体が続々トラックに載せられているところや、まだ回収されない遺体がシートを被せられただけで放置されている状況がが映し出され、被害の大きさが実感されます。今も海中の遺体の回収に当たっている様子も報道され、いくつもの遺体が引き上げられています。

ボートが陸地のずいぶん内部まで打ち上げられて壊れていました。パトンビーチ、カロンビーチなど有名なビーチは、海に近いところに宿泊施設が建っているのでその被害も深刻です。これから復旧までどれほど時間がかかるか想像できません。
特にプーケット、ピッピ、クラビなどは観光が命の土地ですから、観光客が戻ってくるようになるまでどのようにして生活を維持するのでしょうか。被害の爪あとはこの後も深刻です。また、南部タイはイスラム勢力との対立もあってもともと危険な地域です。これを機に政情不安が高まるのではないかというのも心配されます。
私のいるバンコクは直接津波の影響はありませんでしたが、これから国を挙げて復興に取り掛かることでしょう。当店も売り上げの一部を復興義援金として寄付することにします。微力ですが、タイをベースにするものとして少しでも役に立ちたいと思っております。

なんとも大事故とともに年の瀬を迎えることになってしまいました。ここからは暗い気持ちを抑えていつもの調子に戻りましょう。
バンコクでは大晦日、元旦といっても暦が変わるだけといった感じです。正しくはこちらは仏暦ですから(因みに今年は2547年です)、生活に密着したお正月は4月のソンクラーン(水かけ祭り)です。もちろん年越しイベントやニューイヤーイベントというのはありますが、商業ベースで運営されているようです。バンコクで私が年末年始を実感するのはホテル代が50%以上高くなることぐらいでしょうか。

ここで心温まる現地情報をひとつ。
クリスマスの2〜3日まえから、どこかのボランティアグループがスカイトレインの中で「聖しこの夜」を合唱しているのに出くわすことがあります。12〜5人くらいの少年少女たちが揃いのポロシャツを着て、ギターの伴奏に合わせて英語とタイ語で歌います。けっして上手な歌というわけではないのですが、なぜか胸がジーンときます。
曲が終わると、リーダー風の青年が募金を呼びかけます。乗客たちは回ってきた少年少女たちに手持ちの小銭を寄付します。
日本だったらどうでしょうね。そこそこ混んでいる社内でいきなり歌が響きだすなんて考えられますか?加えてその後に募金なんて…。今年は私もポケットの中のコイン25バーツ位募金しました。
ちょっといい気持ちになりました。
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クーデターの知らせは重い空気の中に届いた (2006/9/20)
9月19日の夜は日本から来た友人の帰国前日で、スクンビット通りの日本料理のレストランで食事をしていました。その日の朝、友人はタイ人のGFと痴話喧嘩をしたそうで、その仲裁役などをしながら不安定な空気の中での食事でした。
夜9時を少し過ぎたころだったでしょうか、店のマネージャーが王宮近くで何か騒動が起こっているらしいと、各テーブルに知らせに来ました。
今考えればこれが店主にとってクーデターの第一報です。ですが、店主を含め他の日本人客も、同行していたタイ人の客も、最初に閃いたのはテロでした。遂に、王宮付近で爆弾騒ぎか…。

仏教国として知られるタイですが、キリスト教徒やイスラム教徒、ヒンズー教徒なども数多くいます。中でもイスラム教徒は南側の国境がマレーシアと接していることもあり、タイ南部を中心にバンコク市内にも相当多くいます。そして、南部のイスラム教徒の中には原理主義の流れをくむ過激派もあり、爆弾テロ騒ぎもけっして珍しいことではありません。現にバンコクでも、確か昨年末でしたか、数箇所で時限爆弾が破裂したという事件が起こりました。幸い、イラクなどのものと違って破壊力は小さく、ケガ人もさほど多くはなかったはずです。
そんな状況に置かれていますから、誰もがイスラム原理主義系の過激グループが遂に王宮近くで行動を起こしたと考えても無理ないことでしょう。だから、各テーブルの客たちの話題はテロに移っているようでした。また、危機管理が行き届いているのでしょうか、早々に帰宅する人たちも出始めました。

ただ、店主たちのテーブルのみ他のテーブルの空気の重さとは違う、鬱々とした空気が漂っていました。店主がテロの話にそれとなく誘導しようとしても、同席の二人の返事はうつろ。大きな社会的事件より、目の前の二人のわだかまりのほうが、その場の空気を支配していました。せっかく店主がイチオシの店で食事しているのに…と思っていたそのときです。
先ほどのマネージャーが、「非常事態宣言が出ました」と各テーブルに知らせて歩いたのです。時間は10時を過ぎていたでしょうか。そして騒動はテロではなくクーデターだというのです。他のテーブルの客たちは一斉に帰りはじめ、相変わらず飲んでいるのは店主たちともう一つの日本人だけのグループだけ。
彼等の話題といえば、大声で上司たちの悪口を言っているばかりでクーデターのことなど一行に意に介していない。そして店主たちのテーブルは今も痴話げんかの重たい空気を引きずったままです。いずれも重い空気の中で飲んでいるものの、その中身が違う。同じといえば、せいぜい自慢できる話ではないというところでしょうか。

店の従業員たちも表情をちょっと暗くして早く帰りたい様子になってきました。店主も、早くこの場を終結したい気持ちで一杯です。そこで、とにかく非常事態宣言が出た以上は、空港閉鎖もあり得るし、翌朝は早くホテルを出て空港に向かったほうが良いとアドバイスして、席を立ちました。
ところが…
店を出ると外は雨。
それも夜中の雨にしては大粒の水滴が落ちてきています。いわゆるやらずの雨というのでしょうか。
こうなるとバンコクは夜でも交通渋滞。そしてタクシー待ちの人たちがあちこちであふれる。するとこの人たちを狙った屋台の食堂や、怪しげな露天のオバチャンが声を張り上げます。
いつもと同じ光景。非常事態宣言はどこに行っちゃったの???という雰囲気。
でも、オバチャンたちが張り上げている声をよく聞くと、観光客たちが通る時には確かにクーデターというタイ語を叫んでいるようです。どうやら、「クーデターだからこの値段で売るのは今日までだよ!」といっているようです。クーデターの発生を知っていて、それを商売の道具にするこの商魂。さすがタイのオバチャン!を再認識しました。
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報道されない街から見た戒厳令 (2006/10/10)
今回は元テレビ屋根性を出した店主が見たクーデター直後のバンコクの表情をレポートします。

9月20日の朝、9時。
前夜から続いていた全テレビ局共通の文字によるクーデターの告知、続いて全権掌握の発表、そして国王の偉業を称えるビデオの繰り返しから解放され、各局がほぼ通常放送に戻りました。NHKワールドのニュースでは、昨夜の緊迫した軍の侵攻の模様が流されています。

でも…ちょっと空気が違う…。街はこんなに緊張感に包まれてはいない。
昨夜、友人と食事の後帰宅する際にタクシーの運転手に聞いてみました。
店「クーデターだってたいへんなことになったね。」
運「タークシンが早くやめなかったからね。それより明日はどうするの?どこも全部休みだよ。ゴルフには行かないの?」と戒厳令下とは思えないような発言。
店「明日ゴルフ場やっているの?戒厳令だよ。」
運「やっているさ、全部休みだもの。」
店主「???」
かみ合わない会話を続けながら、雨で渋滞した道をアパートまで帰る途中に見える日本大使館はまだ明かりが点いている部屋はなし。係官が集まっていなかったのでしょうか…非常事態なのにちょっと心配な対応です。
車を降りるとき、運転手から「明日ゴルフはどうするの?迎えに来るよ。」といわれたのに、「明日はやめておく」と返事をしてアパートに着いたのでした。

アパートに入ると、ロビーには数名の欧米からの間借り人たちが集まりテレビに見入っていました。彼等はタイ語が分からないから、レセプションの女性に通訳してもらうなどして、情報を収集しようと集まったのでしょう。
ところが、その夜のレセプションの担当はフィリピン女性。英語は堪能ですが、タイ語力は店主程度で、当然タイの文字など読めない。もう1人の女性はタイ人で英語がまるでダメ、ということで、間借り人たちはただべチャべチャ話すだけというなんともしょうがない状態でした。結局のところ、この時点ではテレビ局がクーデター軍に占拠されたばかりで、具体的な情報はまだ流されていなかったのですが…。

部屋に入ってNHKワールドを見ると、外務省の海外安全情報はいつもと変わりないVTR番組で、タイのクーデターの情報などは一切なし。これで本当に安全が確保されるのだろうか…。
この頃、Yahoo!などのニュースページにはクーデターの情報が満載。タイのネットでも、多数のページでクーデターの情報が取り上げられていました。テレビは全局同じ番組となり、要人の平静を訴えるメッセージと、文字情報、そして国王を敬愛するビデオが繰り返し流れていました。

そして20日の朝早く、日本に帰国する友人から、空港は何事もなかったようにスムーズに手続きが済んだとの連絡が入りまずは一安心。さて、我が家の周りはどうなっているのだろうと、外へでてみました。
さすが一夜明けて戒厳令下の朝は人通りも少なく、道の角々には兵隊が立ち、街は静寂に包まれていました。―――というようなドキュメンタリー風に書き綴りたいところですが、そんな空気は全くない!街はいつもと同じ雰囲気。まるで拍子抜けです。
外を歩きながら、スクンビットという商業エリアの中心にあるナラカンのショップに電話をしてみました。人手の多いその辺りならちょっと緊張感があるのではないかと期待したのですが、帰ってきたのはまるで平穏で、軍隊の影も見えないという返事。店主のドキュメンタリー心はどんどん萎んでゆきます(トホホ)。

しかしここでめげることなく、表通りに出れば何かあるに違いないと思い立ったのです。ラチャダピセークという大通りには店主のアパートのすぐ側は中国大使館、その他大手の通信会社もあり、TESCO LOTUSという大きなスーパーマーケットそしてそれに続くショッピングモール、ホテルなどが続いています。
店主はここにドキュメンタリーを求めて向かったのです。
ところが…
ここも同じ。
歩道ではオバチャンがいつものように以下やソーセージを焼いているし、モトサイの兄ちゃんたちは客待ちの合間にコーラの王冠でチェッカーなどしています。
店主のドキュメンタリー心はこれで完全にしぼみました。気がつけば、意味もなく行きつけのショッピングモール内にある日本レストランに着いていました。
ビールを頼みながら店のマネージャーに軍隊を見た?と聞くと、「今朝、軍隊の車がたくさん通りました。ここにもさっき兵隊が来ました。鉄砲も持っていました。」というではありませんか。
おおっ!ちょっとだけあった緊迫感!!戒厳令の空気!!!一足違いだったのが惜しい!!
「今日はこのショッピングモールの店は全部夜8時で閉めるように厳しくいわれました。だから今晩の食事は早く来たほうがいいですよ。」
このマネージャー、さすがに兵隊と対応したせいか、表情にもちょっと緊張感が残ります。他の女性店員も兵隊が戦闘服で銃を持ってやってきた、怖かったなどそれぞれ報告してくれました。やはり戒厳令はせめてこのくらいの緊張感がなくてはいけません。
そんな店主の気持ちがちょっとだけ高ぶったところでマネージャーの一言。
「お客さんが少ない火曜日なら良かったのに…。」(*_*)!

久々にドキュメンタリーを求めた店主が思いならず、ちょっと大げさにいえば失意に沈みながらアパートに帰る途中、いつも使っているコインランドリーのオバチャンが陽気に「今度はいつ洗濯に来るの?」と声を掛けてきました。
「多分明日」と店主。
ことのついでと「クーデターが起きているって知ってる?」と聞いてみました。
するとオバチャン「そりゃ知っているわよ。でもタイは国王様がいるから大丈夫。私たちは何も変わらないわよ。」と明るく答えてくれました。

外国の報道がどんなに大きく政変を伝えても、びくともしない国王への尊敬と信頼感。タイの国民の背骨にこの心がある限り、どんな政情不安も彼等には関係ないということを改めて知らされました。そして、それが羨ましいとも思えました。
そういえば15年前の時もそうだったけ。
そんな風に思っている最中、テレビのニュースでは市民や観光客とにこやかに記念撮影をしている兵隊たちの表情が映し出されていました。
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爆弾テロもどこ吹く風のタイの新年 (2007/1/10)
新年を迎えるための空気が街中に行き渡り始めた大晦日の夕方6時ごろ、バンコクの市内各所で爆弾が爆発。死者も出る大事件がありました。
バンコクでは以前にもイスラム過激派による爆弾テロ事件はあったのですが、その破壊力は弱く、死者やけが人が出るほどのものではありませんでした。
しかし、今回の爆弾は破壊力も強く、ましてや盛り場や人が多く集まるエリアで爆発させたのですから大問題です。バンコクの警察も当初はイスラム勢力ではないとの見方で捜査を進めたようです。ところが、9月のクーデターの反対勢力が軍部にもあって、その仕業との見方が固まったというようなことをテレビニュースで解説していました。

今回爆発した6ヶ所(元旦の未明も含めると8ヶ所)は、チットロムという日本でいえば銀座のようなところ、ヴィクトリーモニュメントという盛り場、クロントイという地域の市場など人が多く集まる場所でした。とはいえ、チットロムのゲイソンプラザ周辺以外はそれほど観光客が集まるという場所でもないので、被害はほとんどタイ人に限られたようです。
しかし、市場やショッピングアーケードで爆弾というのは今までにないことで、ちょっとびっくりしました。今のアパートの周辺はこれといった騒動もなく平穏でしたが、レストランやショップはいつもより早く、夜8時ごろには閉店するところが多かったようです。

ただ、なんといっても大晦日の夜です。ホテルや大規模レストランなどは年越しのパーティーを企画していましたから、これを取りやめにするわけにはいきません。爆弾テロの騒動を知ってか知らずか、タイ人をはじめ観光客も多勢集まって新年を祝ったようです。店内に飾り付けられた数百という風船を、0時の時報とともに一斉に破裂させるというのが、タイ式の年越しです。来場客はタバコの火などで破裂させながらニコヤカに新年を祝いました。

例年、バンコクでは新年のカウントダウンが行われたり、新年を迎えたと同時にチャオプラヤ川で花火が打ち上げられるのですが、今年もこの大事件があったにもかかわらず、一部の場所でのカウントダウンを除いてこのイベントは実行されました。チャオプラヤ川をはじめ、この花火を見るための絶好のポイントであるホテルの最上階のラウンジなどは、超満員の盛況だったようです。
爆弾テロの後に花火とは――と、日本人なら考えてしまいますが、事件は事件、祝い事は祝い事と割り切って実行したのでしょう。いかにもタイらしい考え方です。実際花火が打ち上げられた時にはまた爆発か!と期待したのですが、空を彩る花火だったのでちょっと残念な気がしました(不謹慎な!と怒らないでくださいね)。

街では各所で爆竹が鳴らされて、特にチャイナタウンではすごかったようですが、爆弾事件などどこ吹く風の盛り上がりを見せていました。テレビではニュース番組を特別編成して現場中継などを入れながら事件を伝えているのに、このバカ騒ぎ。まあそれも、タイらしいといえばタイらしいといえるのですが…。でも昨年に比べるとちょっと数は少なかったかなとも思います。カウントダウンイベントの中止も多少影響していたのかもしれません。

一夜明けて、元旦のバンコク市内は、9月のクーデターの時とは比較にならないほどの緊張感が漂っていました。大きい通りには自動小銃を持った兵隊の姿がそこかしこに見られましたし、警官の数も多く出動しているようでした。デパートやショッピングアーケードの前の植え込みや、ゴミ箱、バス停の裏なども細かくチェックしていて、まさに厳戒態勢という感じで爆発物を探していました。
店主の住むアパートの近くのオバチャンたちも、以前この近くで爆弾騒ぎがあったせいでしょうか、「爆弾はいつどこで爆発するか分からないから怖い」とクーデター後のアッケラカンとした表情とは比較にならないほど緊張した表情で話していました。
「あんたも(店主のこと)いつまでも外でビールを飲んでないで、今日は家で飲んだほうがいいよ」と真剣な表情で話してくれました。
店主は「そうだね」と答えつつも、年末からバンコクに来ている友人と夜中まで飲んだくれ。タイ人と同様、明るく新年の到来を祝いました。

その後、1月5日店主の住むアパートの近くで爆弾騒ぎがありました。歩いて5分くらいのところに中国大使館があり、その近くのバス停に爆発物と思われる不審物が見つかったのです。爆発処理班まで出て、一時は騒然としました。でも残念ながら、その不審物の中に入っていたのは衣類やら日用品やらで、単なるバスの利用客の忘れ物だったそうです。
今でも爆弾を仕掛けたという脅迫電話がたくさんかかっているようで、この影響はもう少し尾を引きそうです。
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爆弾テロは暗い影を落とした…かな? (2007/1/20)
9月に起きたクーデターは着実に、ちょうどボクシングのボディーブローのように、タイの社会や生活に深い影を落としています。
クーデターが起きた時に、
町の人たちはまるで平然と受け止めていたこと、
クーデターを起こした軍隊と記念写真を撮っている人たちさえいたこと、
それが王様に対する信頼と、尊敬が根底にあること、
などをご報告しました。
ところが、その後今年10月までの暫定政権によって新しい憲法が制定されることになり、タークシン前首相を実質的に国外追放状態にしていることによる軋轢が着実にタイの社会に深い影を落としているようです。
昨年の大晦日から元旦の朝にかけて起こった爆弾テロは、このながれの一環として起こったという見方が強くなっています。タークシン前首相は元警察官僚で、その強い影響力は今も警察全体に浸透しているといわれています。今回の爆弾テロは、なんとタークシン前首相に近い一部の警察官によって行われたというのが新聞などにも報道されています。
店主は、当初清廉潔白のイメージが強いタークシンの政策によって進められた、ビール(酒類)の販売時間制限や、タバコのパッケージに気味の悪い写真をつけること、といったギスギスした規制が緩和されるのではないかとちょっと期待していましたが、まだまだそんな状況にはないようです。それどころか、外国資本の会社への規正法なども強化されるようで、ちょっとやりにくい状況が起こっています。

特に、一般市民に影響を与えた爆弾テロの余波は相当大きなものです。
地下鉄は各入り口に警備員が立ちバッグの中身を全てチェックされます。女性も例外ではありません。外国人に対してはさほど厳しいチェックは行われませんが、タイに来て1ヶ月以上経つ店主はもうすっかり日に焼けているためにタイ人に間違えられたのでしょうか、何度かチェックを受けました(^^ゞ。駅のコンコースにも、最近は少なくなりましたが、自動小銃を持った兵隊が数名警備しています。
また、大きな通りのゴミ箱は全て撤去されました。もちろんショッピングアーケードやスーパーの入り口にもゴミ箱はありません。先日ウィークエンドマーケットに行った際には、そこのゴミ箱も撤去されていました。とにかく人が集まるところには危険の原因となるものは置かないという姿勢でしょう。
見回る警察官も、普段だと不正出店している露天を規制する程度ですが、今は出動している人数も多いようで、トイレの周辺などにも数名が立って出入りする人たちをジロッと見つめていました。その他、大きなビルにはセキュリティーの他に警官が入り口にいるところもあります。最近は行っていないので分からないのですが、きっとパッポン通りなども相当警備が厳しくなっていることでしょう。クーデターの時とは比較にならない密かな緊張感が漂っています。

とはいえ、根が明るいタイ人のことですから、一歩裏通りに入るといつもの通りの和やかな空気があふれています。歩いている人たちはいつもと変わらず、談笑しながらテロテロ歩いていますし、大通りの屋台では鶏肉やソーセージを元気よく売っています。鳥を焼いていたオバチャンは、ゴミ箱がなくなったので、いちいちゴミを家に持っていかなくちゃならないと笑いながらいっていました。子供たちは店主のアパートの前の路地で元気に遊んでいます。夜になれば露天の飲み屋も人が大勢出て、サッカー中継を見ながら一喜一憂しています。
どうやらタイでも(タイだから?)政治と人々の生活はかけ離れたところで動いているようです。

外務省では、NHKを通じて「海外安全情報」を放送しています。また、ホームページも用意されています。これからタイ旅行を計画している方は一度見ておいたほうが良いかもしれません。
でも、実際にその通りにしていたら、何のためにタイに来たか分からないと思いますが…。
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誰か止めてよバーツ高 (2007/2/10)
当店が楽天市場に出店してから、早いもので2年半近くになります。最初、出店前にタイの商品を仕入れたときは1バーツが2.8円くらいでした。この値は数年にわたってほとんど安定していました。
ところが、それが今は1バーツが3.5円以上になっています。それも約半年くらいの間にこれだけ上がっているのです。
ドル円レートはニュースでも毎日知らされているので関心を持っている方も多いと思いますが、ドルに対する円安以上の勢いでバーツ高が続いているのです。
昨年からのレートを比較すると、ドルと円は3%くらいの変動しかないのに、バーツ円レートはなんと25〜30%という考えられない比率で上がっているのです。
店主が始めてバンコクに来た19年前、1バーツは確か4.2円くらいでした。バンコクに住む先輩の話では30年前は6.5円くらいだったそうです。それがどんどんバーツが下がり、アジア通貨危機といわれる頃には1バーツ=2.4円という値をつけたこともあったということを記憶しています。
もちろん為替レートというのは変動するものですから、私たち日本人にとって良かった時代のことだけを思っても意味のないことは承知しています。
でも!しかし!!です。
はっきりいって、当店のように小規模で、なおかつ正規ルートで輸入し販売している業者にとっては死活問題となっています。半年程度で25%もバーツが上がるということは、当店のような輸入販売している業者にとって、同じ商品を販売した時にそれだけ値引きしていることと等しくなります。昨年販売を始めたスカーフ類に完売した商品がたくさん出ているのですが、再入荷できなかった理由はここにあるのです。また、セールといっても20%程度しか値下げきない原因もここにあります。
当然のことながら、関税も現地価格を購入時のレートで円に換算してかけられます。輸送費も、タイ国内の費用は25%以上上がっていることと同じことになります。こうして考えると、当店にとってはもう半額セールどころではない、投売りをしているような厳しい採算状態なのです。

こうしたバーツ円レートに対して危機感をもって対応しなかったタイ政府のかかえる問題の根源は、やはり昨年9月のクーデターということになります。
軍部による暫定政権は、残念ながら経済や社会に対する有効な政策を打ち出すことができていません。また、政権が対応策としているものでさえ、不徹底であったり、逆効果を招いているともいわれています。日本人向の新聞では、軍人に経済政策は無理と明言しているものもあるほどです。
これまで、クーデターを含め、爆弾テロの際にも、一般の人々の生活には影響がないとこのコラムでご紹介してきました。ですが、少しづつ彼等の生活にも影響がでてきているようです。そのためか、一時はクーデターを歓迎していた感もあった、バンコクなど都市部からも批判の声が上がり、1,000人規模でのデモも行われるようになってきています。
中国やインドが世界経済にどんどん進出している中、タイが取り残されるようなことにならないこと。そして、タイの製品の値上げによりお客様が離れていかないことを心のそこから祈っています。
なにより、バーツがせめて3円以下になりますように…。
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地球温暖化?バンコクに忍び寄る危機?! (2007/7/10)
7月にはいっても曇りや雨の降る日が多く、例年の蒸し暑さを考えると、肌寒くさえ感じがある日もあるというバンコクです。その雨さえも、スコールのような猛烈な雷雨は少なく、日本の梅雨のような降り方です。

朝から雨の気配のなかった先日、久々にバンコク周辺に在住の友人たち3人で食事をしようということになりました。1人は、工業製品の生産管理に従事して、約6年間タイに住んでいるという人。もう1人は、バンコクのダウンタウンに住み着いて10年にもなるという画家兼絵本作家という人です。
彼等との会話が進む中でひとつのショッキングな話題になりました。
生産管理士氏はバンコクの郊外で海に近い地域に住んでいるのですが、その家の近くの海面が上昇してきているというのです。画家氏は、それを受けて、何とかという町か村は浸水状態になってきているらしいという情報を聞いたといいます。画家氏によればその町か村は海に面しているのではなく、チャオプラヤ川沿いにあるのだというのです。古くは水上生活者の住んでいたエリアということでしょうか。

今年はチャオプラヤ川上流の北部タイで特別雨が多いという話もあまり聞きませんし、冒頭でも書きましたようにバンコクもいつものような豪雨もありません。川の水位が上がるという条件は考えられません。
店主が「なぜだろう?」と聞くと、2人は口を揃えて海面が上昇たために河口地域の川の水位が上がっているからだといいます。今や海沿いの地域はもちろん、チャオプラヤ川沿い、そしてそこから流れる運河さえ危機的な状況になっているらしい。海面の上昇は結論的には北極や南極の氷が溶けてきていることが原因だと、大学など大方の研究者たちは警鐘を鳴らしているそうです。
それでもタイ人は川が好きだから、こんな状態になっても川の側を離れないんだよな…、というように話がつながりました。

元々バンコクは現王朝が開いた都市で、従来はチャオプラヤ川が海に流れ込むデルタ地帯でした。バンコクのバンは「水辺の集落」という意味があるそうですが、昔はシャム湾に流れ込むチャオプラヤ川の河口部の静かな村だったといいます。
真偽の程は分かりませんが、タイのゴルフ場に池が多いのは、ゴルフ場建設の際にちょっと掘るだけで水が浸み出すため、それを集めたものだという話を聞いたことがあります。土地自体が水分が多い地帯ですから、スコールが降れば水を吸収する余地もなく、とても水はけが悪いことが実感として分かります。実際、タイのゴルフ場の多くは、今の季節は田んぼのようになっているというところも少なくありません。こうして集まった水も全て運河や川に流れ込みますから、季節によれば川の水位が上がるのは当然です。

また、タイ中央部は大平原地帯で海抜も相当低い地域が続きます。生産管理士氏によるとこうした歴史的・地理的な理由から、アユタヤあたりまで北部に行かないと、ちょっとした水位の上昇で水没する危険があるということでした。
バンコクの人口は約800万人といわれています。今のまま温暖化が止まらず、北極や南極の氷が本格的に溶け始めれたらば、この人たちの生活はどうなるのでしょう。

確かに、店主のタイ人の友人は、バンコク周辺は海抜が低いのでいつ水没するかわからないといって、アユタヤの近くの村に家を建てました。とても広い土地に豪華な家を建てたのですが、その家は生産管理士氏や画家氏がいうとおり、ほとんど川に面しています。本人は、川から家までは庭があって30m位あるから大丈夫というのですが、どうなのでしょう?
タイ人は水が好きだという意見はどうやら真髄をついているようです。
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世界に通用しない日本の当然 (2007/9/30)
先週、ミャンマーで日本人ジャーナリストの長井健司さんが治安維持軍隊の発砲により殺害されました。
ミャンマーでは政情が不安定さを増し、民主化を要求する人たち、中でも僧侶が立ち上がったことで、デモが大きな社会的うねりとなりました。そんな社会の変動を記録しようとしていたジャーナリストが犠牲になったというのは、それが日本人だったからというだけでなく、本当に悼ましいことです。
長井さんのご冥福を心よりお祈りします。

タイでも隣国で起こったこの事件について大きな反響がでています。サトン通りにあるミャンマー大使館は、いつもは静かなエリアです。でも、この事件をきっかけに在タイのミャンマー人やタイの僧侶たちが抗議の集会を開いていることがニュースで報道されています。
昨年9月、自国ののクーデターの際にも平静を保っていた僧侶たちが、今回の隣国での事件に対して立ち上がったことはちょっと意外な感じがします。同じ仏教徒として、ミャンマーの軍政に対して許せないという気持ちが高まったということなのでしょうか。

確かに、今回の事件は起こってはならないことだと思うし、正常な判断力を持った人間なら起こすはずのないことだと思います。ただ、長井さんというジャーナリストが撃たれたときの映像など、この事件の報道を見るたびに、店主の胸にはその死を悼む気持ちと同時に、自分も含め日本人が世界の常識と乖離しているのではないかという思いも湧きあがってくるのです。
長井さんが発砲された瞬間の映像を見ると、明らかに彼は逃げ遅れています。周りのデモ隊の人たちが蜘蛛の子を散らすように逃げ出していて、取り残されたようになった彼はいつの間にか治安維持軍と対面する状態になっていました。逃げようとして振り返った時には既に遅く、至近距離で背後から撃たれたのです。
数々の危険地帯を歩き、経験豊かだったはずの長井さんでさえこうした悲劇にあってしまう。それは取材に集中しているジャーナリストという職業意識のなすものなのか。
そうは思えません。
実は、その根本には日本人特有の感覚があり、それが今回の悲劇に繋がったと店主には思えるのです。そう、日本では当たり前のことが、世界では通用しないということが実は多いのです。

身近なところで例を挙げてみましょう。道路を歩いてるとき日本では歩行者優先です。ところが、店主が知る限り、これはほとんど日本だけのルールです。特にアジア圏では車優先というのは当然のことなのです。多分アメリカやヨーロッパでもほとんど変わらないと実感しています。
店主も、しばらく日本にいた後バンコクに来て最初に冷や汗をかくのは、路地に入ってくる車に轢かれそうになるときです。バンコクに来てすぐの頃は、日本にいるときのように車が止まってくれると体が反応してしまい、つい自分が止まることを忘れてしまうのです。日本だったら、100%車が止まってくれるようなケースでも、バンコクでは確実に車はその動きを止めません。そして、轢かれるのは歩行者の方が悪いと考えられます。

今回の事件に即して考えてみましょう。

そこで一つ考えていただきたい。
銃は何のためにあるのでしょうか。

答えは、「撃つため」です。
こんな単純なことを本当に理解している日本人て実は少ないと思います。日本人はあまり銃が生活に密着していないので甘い考えになりがちです。でもそんな考えは世界では通用しないといわざるを得ない現実が、今回私たちに突きつけられたのです。抑止力のためなんていう甘い考えは、銃を持っている人にはありえないと考えるべきでしょう。
日本では軍隊(自衛隊)が銃を携行して町を歩いているというところを見ることはほとんどありません。警察官が映画やテレビドラマのようにドンパチやる現場にも遭遇することもまずありません。
ところが、外国ではセキュリティーの人間が拳銃を持っているのは当然だし、軍人が普段の任務に当たっている時に自動小銃を持っているのも当然です。平穏といわれている国でさえ兵隊が自動小銃を持って町の中を歩いているようなところに頻繁に遭遇します。そして彼等はいつでも発砲できる状態にしているはずです。でなければ銃を持っている意味がないから。
まして今回のように政府が非常事態に直面していればなおさらです。発砲されることはけっしてありえないことではないし、それが日本のニュースなどで伝えられているような非情なことではないということをまず理解するべきでしょう。

長井さんが撃たれたとき、デモに参加していた人たちが治安維持軍が出てきた段階ですぐに逃げ出したのは、軍隊が必ず発砲すると知っていたからでしょう。それも威嚇発射などという段取りは踏まないということも…。
世界の紛争地帯を渡り歩いてきた長井さんなのに、こんな世界の常識を忘れてしまったのでしょうか。
店主はそうは思いません。頭脳でどんなに分かっていても、そうした状況に直面した時、咄嗟に動くことができない日本人の本質のようなものが出てしまったように思えてならないのです。
銃を持っているのは撃つためであるということ。それは殺傷を目的としているということ。そんな世界の「当然」に適応できない日本人の本質が、「まさか撃つわけがない」と思う感覚が、この瞬間にだけ長井さんの動きに影響を及ぼしてしまった。だから一瞬、ほんの数秒逃げるのが遅れて今回の悲劇に見舞われたとしか思えないのです。

何度も書きますが、長井さんは世界の危険地域を渡り歩いてきた、経験豊かなジャーナリストのようです。そういう人でさえ、こんな悲惨な事件に遭遇してしまう。それが日本人の世界的には通用しない「当然」が影響していた現実である。だから、一般人といわれる人たちが海外旅行をするとき、日本の常識や当然と思えることが、実は世界では通用しないということをしっかり理解しなければならないと、今回の事件は教えてくれていると思うのです。

元テレビの世界にいた店主から見れば、ジャーナリストとして社会が大きなうねりを迎えたその現場で死ぬというのは、ある面幸せなことかもしれないと思っています。もし店主がこの立場にあったら無念さを感じることはないのではないかと思います。
彼が結果的に生命を賭して記録した最後の映像を見たい。きっとそこには迫真の映像が映っているはずです。長井健司という人の生命と引換えに記録されたものです。私たち日本人は他国のことと無関心でいることなく、しっかりと私たちを取り巻く現実を見つめなければいけないと思います。
店主は、ジャーナリストの業績というのは、そこで起こっている現実を、遠く離れた人たちに広くそして鋭く突きつけること。そしてそれがムーブメントに発展した時にそのジャーナリストの行動が結実するものだと信じています。
今回の事件をきっかけに、1人の日本人ジャーナリストが私たちにつきつけた現実をもう一度見つめなおすべきではないでしょうか。それはけっしてミャンマーの軍事政府への批判だけに向けられるものではなく、日本と世界の感覚の違いということまで辿るべきだと思えてならないのです。
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