個人旅行者向け
タイの上手な旅の仕方の基礎知識

タイの実体験をエッセイ風、レポート風にまとめました



《SECOND EFFORTの活動》
お暇でしたらこちらもどうぞ

タイの日本人向け新聞「バンコク週報」に掲載しているエッセイを再構成しています。
店主のテレビ屋時代のエピソードを中心に書き綴っているエッセイです。今だから笑える失敗談や、今では信じられないテレビの制作現場のこと。
番組の立ち上げ秘話やタレントとの交流の話など、実際にあったことを一つづつ記憶を紐解きながら、店主の成長記録のように書いています。
不定期ですが、今も書き足していますから時々覗くようにしていただくと嬉しいです。


こちらは今の仕事のページです

会社案内ビデオや商品紹介ビデオ、社員の研修や教育のためのビデオを制作します。
映像プロモーションは企業のコンプライアンスの醸成に大きな効果をもたらします。
30年以上テレビの番組制作に携わってきた店主にお手伝いさせてください。長年培ったその経験を活かして、きっとご満足いただけるような作品をつくります。
その他、サークルの発表会や結婚披露パーティーの記録ビデオまで何でも承ります。
お気軽にお問合せ下さい。
詳しくは上の画像をクリック!

当HPはリンクフリーです。
ただしご連絡だけはくださいね。
タイに関心のある方どんどん情報交換して、タイフリークの輪を広げましょう!

旅の記憶
Air Asiaの徹底節約に拍手!そしてペナンへ 2005年正月ペナンの現状報告
気がつけば…シエムリアップで忘れ物 ハノイでバイクに踏まれた!
新空港大きくはなったけれど 航空会社〜安全確保は良いけれど
どうなってるの?!航空料金 スワンナプーム到着〜やっぱりタイが好き
久々のランカウイで想い出ひたり 再入国でびっくり騒動の顛末
ビザ取得ツアーは疲労困憊 バーツ高・ツアーにも影響は危機的状況
Air Asiaの徹底節約に拍手!そしてペナンへ    (2004/7/10)
マレーシアのペナン(タイヤマレーシアではピナンといった方が伝わります)に行ってきました。タイでは、日本人は30日間はビザがなくても滞在して良いのですが、それを越えると不法滞在になってしまうのです。何日間でも外国に行けばまた30日の滞在が可能になるので、多くのビザ無し滞在の日本人は「ちょっと出国」という方法をとっています。

今回の出国ではこちらで今話題のAir Asiaという超超超超超…激安の航空会社に乗るのも目的のひとつでした。
ペナン――東南アジアに開かれたあのリゾートの島への直行便があることが分かりました。料金は聞いてびっくり。土曜日出発の月曜日帰りで何とナント往復2,000バーツ。およそ5,600円!です。曜日によってはもっと安くなります。マレーシア航空などを使うと6,000〜7,000バーツが普通ですから激安ぶりが分かるでしょう。日本のお誕生日フライトより安い!なんといっても海外旅行ですからね。

激安の秘密は徹底した無駄排除。バンコクでは地上係員の制服はポロシャツでしたが、ペナンではなんと私服。ノーネクタイ可。
機材はB737のみ。搭乗券なんか席の指定もしていない。レシートみたいな紙に必要事項が印字されているだけ。ペナンではこれさえも、手書きです。搭乗券というより切符感覚です。飛行機の定員分(多分154人)だけ人を乗せるということで、座席は全て自由席。客室乗務員がカウンターでカチャカチャ乗っている人数と発券数を確認するだけ。昔、ルーマニアのブカレストからロンドンへ行く便がそうだったなと、懐かしく思ったりして…。でも、さすがに立ち席は認めていないようです。
座席は黒の合成皮革張り(汚れない=掃除の手間が省ける!)で、ヘッドレストの紙はないし、クッション、毛布など当然ない。まして機内誌なんてあるわけない。目的地到着前にゴミを集めるから機内も汚れないんです。日本の長距離バスや列車のほうがもっと優雅な旅ができるかもしれない、という状態です。
人件費も節約。客室乗務員は4人で、バンコクでは一応ユニフォームを着ています。ペナンではこの乗務員の一人が搭乗受付をしていました。残りは多分機内清掃、といってもシートベルトを座席に置くだけですが…(理由は後で)。
当然機内食などナシ。ソフトドリンクだって有料です。つまらない重量で燃料を使わないということでしょうか。
目的地に到着したら、すぐに客を乗せて出発。とんぼ返りというのはこのことでしょうね。ペナンに到着してから何と30分で離陸というスケジュール。駐機料も節約しているのでしょうか。
でも、操縦士はタイやマレーシアの空軍上がりの人だから腕はOK、安全は確保されています(同社の宣伝文句より)。
旅なれた人には、こうして超格安で移動できるというのはとても嬉しいことかもしれません。少なくとも私にとっては、こうしたバス感覚で使える航空会社は歓迎です。

先にも書いたとおり、この会社のCEOのポリシーはどんな人にも飛行機を使った旅行をしてほしいということだそうです。
確かに、飛行機のルールを知らない人が多かった。着陸するときにテーブルは出しっぱなし。着陸の瞬間まで入国カードを書いているのです。もちろん注意はされていますけどね。
もっとすごいのは、携帯電話の電源を切れといわれているのに、電源を切るのはいわれたときだけ。乗務員がいなくなるとすぐに電源を入れる。もっとひどいのは聞いた振りだけ。だから着陸したとたんにあっちこっちで携帯電話が鳴りはじめるんです。それで平然と話してます、機内で。乗務員ももう注意もしません。日本では信じられないでしょ。

元々不思議に思っていたことがあります。
飛行機のチケットってなんで航空会社で買うのが一番高いのでしょう。格安チケットを販売しているのはなぜ旅行代理店なのでしょう。普通余分な会社が入ればその経費やらマージンが必要なわけで、当然航空会社が販売するより高くなって当たり前なわけです。
Air Asiaはこんな疑問を持つことが正しいことであるといっています。この会社のチケットは旅行代理店では購入できないんです。基本的にインターネット経由でダイレクトに予約します。代理店に支払うマージンも排除しているんですね。だからこんなに安くなるというわけです。
今までの慣習をすべて排除して経費を節減する。こうした企業の姿勢を明確に消費者に提示しているし、我々使う側もそのメリットを享受できる。その好例だと思いました。航空会社もこれから変革を迫られるのではないでしょうか。
そうしてやって来た、ペナンですが…。
印象は薄いですねー。一言でいってごった煮の島???。自己主張がないというか。町を歩くとアルファベットと漢字の看板。アルファベットを読むと英語とは限らず、マレーシア語(マレー語?)。マレーシアの言葉ってアルファベット表記なんです。歩いている人も明らかに中国系だったり、インド系だったり。それが訳のわからないマレー語でやり取りしている。食堂はタイと同様にアジア的なのに、バーへ行くと妙にアメリカナイズされている。私が滞在していたGeorge Townでは日本語の看板は少なかったですね。日本車の浸透もこれからという感じでした。でもPROTONというマレーシア製と思われる車は、数十年前の三菱の車に似ていました。後で聞いたら、三菱自動車の支援を受けて製造されたそうです。
女性も固太りの人が多いきがしました。ホテルのレセプションやコーヒーハウスの女性たちも概ね太め。子供のころからカレーを食べて育ったからでしょうか。それと、イスラム教国特有のスカーフを被った女性の服装というのは、我ら日本人には重暗く感じられるます。タイの女性たちのスリムな体型と、ぎりぎりまで露出している女性たちを見慣れてしまった身には余計そう感じられるのかもしれません。だからなんとなく島全体の印象も暗い感じがしました。
物価もアジア圏としては相当高い。バンコク市内と同じか、それよりちょっと高いくらい。観光地だからでしょうか。缶ビールはコンビニで買っても160円位。バンコクなら100円もしないのに。まあ嗜好品が高いのはしょうがない。
食事にしても60〜100円位です。味は主にカレー味。ヒーヒーいうくらい辛いのもあれば、見た目ほどでもないのもあります。写真のオクラは全然か辛くなかったです。
もうひとつの特徴は道が分かりにくい。くねくね曲がっていいて、一方通行が多いんです。空港からホテルまででも、運転手が道を間違えてるんじゃないかと思うくらい、同じ様なところをぐるぐる走ってました。翌日歩いてみたらすぐ近くだったのに――これも一方通行だからでしょうか。
唯一良かったのは気候。全体にカラッとして夜になると涼しく、ちょうどタイの乾期のような快適さを味わいました。逆に帰ってきてからのジトッとしたクソ暑さのバンコクの厳しさが身にしみます。
全体として、印象が薄く、もう一度行きたいという場所にはならなかったです。残念ながら…。


〈後記〉この時店主が行ったのはGeorge Townというビジネス街。リゾートエリアはバトゥ・フェリンギという地域でした。情報不足まま旅をしていたのです。この後、Air Asiaでペナンへ、というのが定番になっています。(2005/1/10)
メニューへ▲
2005年正月ペナンの現状報告    (2005/1/10)
年が明けた1月3日から数日ペナンに行って来ました。バンコクには観光できていることになっているので、30日間以上滞在できません。そのため、いつもペナンに一時出国しているのです。

ペナンもアンダマン海の巨大地震による大津波の被害を受けました。日本の外務省では、NHKワールドの海外安全情報という番組を通じて、東南アジア・南アジアの被災地域には行かないよう「要望」を出しています。私も行くのを止めようと思い、キャンセルのため宿泊予定のホテルに電話してみました。
というのも、私が泊まる予定だったバトゥフェリンギというリゾート地は、海に面してホテルが建っており(近い所だとビーチから15mくらいでホテルのレストランがあります)、きっと大きな被害を受けているに違いないと思ったからです。

予想を裏切ってホテルからの返事は「キャンセルの必要はない。ホテルに被害はなく、平常営業している。」とのこと。半信半疑ながら出国はしなくてはならず、ホテルの係員の言葉を信じてペナンに向かいました。行きの飛行機は思ったとおりガラガラ。搭乗率30%くらいでしょうか。明らかに観光客と見えるのは私のほかには10名足らずでした。
ペナン上空を旋回している間、飛行機の中から見えるペナンの風景は以前来たときとまったく変わらない風景に見えました。でも、フェリンギのエリアはスマトラ島方面に向いているので、空港エリアとは環境が違います。油断大敵…。

空港に着いても数ヶ月前の様子と格別変わったところはありません。入国管理官に聞いても、空港からのタクシーの運転手に聞いても大丈夫といっています。プーケットのイメージを持っていった私としては拍子抜けでした。確かに空港からホテルまでの道すがら、被害らしい被害は一向に見当たらない。プーケットでは海岸から800m位まで波が押し寄せたというのにどうしたことでしょう。

ホテルに着いてビーチに面したコーヒーショップにも行ったのですが、一切被害の様子はありませんでした。ここで日光浴をしている、もう1ヶ月近く滞在していそうな人たちの様子を見ても、そんな修羅場を見たようには思えません。
ボーイに聞いたところ、
「津波は確かに来た。波というより、海に壁ができたようだった。でも、このエリアはスマトラ島の先端が壁になっているので大きな被害にはならなかった。
でも、このビーチの北東側2km位にある、現地の人たちが楽しむビーチでは多くの死者(68人)が出た。でも、観光客にはほとんど死者は出ていない。」
…とのことでした。
その後、散歩しながら周りの様子を見たのですが、大通り沿いのトタン作りのバラックのような建物でさえ、しっかり建っています。海から100mも離れていないところです。そのあたりは海は近いけれども、崖のように切り立った場所の上に建っているので被害は少なかったのかと思われました。唯一、崖っぷちに建っているアパートの1階中ほどに、海水が来たであろうと思われる線が入っていただけでした。

こうして歩いてみて思ったこと。
ご批判をいただくことを恐れずにいえば、まだ日本には正しい情報が入っていないということ。正しい情報を流すことの必要性を痛感しました。これは、店主が元々テレビの世界に生きていたからかもしれませんが…。

先にも書きましたが、外務省は安全が確認されるまで被災地域には行かないよう「要望」を出しています。ニュースではペナンも大きな被害にあったと報じられました。実際68名もの死者が出たのですからこれは正しい報道です。でも、その後ペナンの復興の実際は知らされない。日本の人たちは今でもプーケットやインドネシア、スリランカと同等の状態に置かれていると思われているのではないでしょうか。
危険なところは危険の状況を。復興しているところはその様子を、正しく知らせるべきではないでしょうか。悲惨な大津波の映像を探し出してきては、放送しているのが正しい報道の姿ではないと思うのです。

私が見た範囲では、もうペナンは安全が確認されている地域だと思えます。現地に住む日本人たちのHPでも、被害は少なく安全だといっています。ホテルの従業員からは、ペナンは大丈夫だからぜひ来てくださいと、日本中に知らせて欲しいといわれました。
ペナンは東南アジアで最初にヨーロッパの勢力によって開発されたリゾート地といわれています。今でも観光客による収入は大きな財源です。こうした観光地にとって観光客の誘致は生命線ですし、そうして集まったお金は当然復興にも大きな力となります。私が行ったときの宿泊率は、キャンセルが相次いだため、20%を切りそうだとのことでした。
まさに生命線を切られかねない状況です。

正しく「今」を伝える情報を伝えない各メディアに苛立ちを感じます。もう一度報道のとるべきスタンスを見直して欲しいと実感しました。今この状況を見ていると、報道が人や町を生かしもし、殺しもするということ。そして今、日本のメディアはペナンを殺す立場に立っているといわざるを得ないということ。そんなことを痛感させられました。
テレビさん。もう観光客から新たな津波の悲惨な映像を買うのはやめましょう。そしてそうした映像を流すのはやめましょう。それより、必死に働いている人、復興している町をみせてください。一般の人たちが何をしたら良いのかを教えてください。

ちなみに今ペナンが求めているのは災害救援のボランティアではありません。観光客です。
これからどこか海外へ…とお考えの方。ペナンを候補に加えてはいかがですか。ゴチャゴチャしていなくて、リラックスするには静かなリゾートです。
メニューへ▲
気がつけば…シエムリアップで忘れ物 (2005/11/30)
カンボジア・シェムリアップという町をご存知ですか?
アンコールワット、アンコールトムなど遺跡の町。そう、クメール文化の伝統を色濃く残す町です。そしてバンコク・ドンムアン国際空港からバンコク航空のエアバス機で約40分。タイとの国境に近い町でもあります。
この町に11月15〜16日、1泊2日で行ってきました。

バンコク航空のサービスにまずはビックリ!。飛行時間約40分というのに、なんと機内食のサービスがあるんです。軽食程度のランチボックスですが、ビールも飲めれば、ワインもOK。コーヒー、紅茶ももちろんサービスされます。
これで寝るまもなく、ちょっと慌ただしくシェムリアップ空港に到着。日本ではもう見ることができなくなったような小さなローカル空港の趣です。飛行機に乗せられてきた100人ちょっとの人が入るともう満員。これでも国際空港です。

ここからがたいへんでした。
まずビザの取得。乗客全員規定の書類に記入して列を作ります。これがなかなか進まない。でもここを通らないわけには行かないから、おとなしく列に並んでいるしかありません。
ビザ申請料20米ドルをまず払います。店主は米ドルを持っていませんでしたから、タイバーツで払うしかありません。担当官にタイバーツOK?と聞くと、にこやかにシュア!との返事。ホッと安堵した瞬間、その担当官表情も変えずに「1,000バーツ」。

ちょっと待て!
この前日のレートでいえば、20米ドルは800バーツ弱のはずだぞ!この点を聞き質すと、担当官は冷静に「US Doller 20、Thai Baht 1000」。要は、ドルとバーツの換算ではなく、バーツなら1000バーツだというのです。シェムリアップ空港では入国審査が終わるまでは両替できるところはないし、まあ規則なら仕方がない。1000バーツを支払いました。200バーツ以上損した!ア〜ァ、バンコクでドルに換金しておけばよかったな。

ビザの発給が終わり、入国管理も簡単に終了。空港の外に出て、空港タクシーを捜しました。いわゆるエアポートリムジンですね。
せこいながらも看板が出ているのですぐに見けられました。担当のお兄ちゃんにホテルの名前を告げると、パウチっこしたカードを差し出してきました。何々…、タクシー5米ドル、バイク1米ドル…。
バイクってどれ?
お兄ちゃんがにこやかに指差すほうを見ると、日本でいう原チャリ。
運転手のおじさんが、これもにこやかに手招きしています。いくらなんでも、原チャリのケツに乗って市内まで行くのはな〜と思ってタクシーを選び、「タイバーツで」といいました。するとにこやか兄ちゃん笑顔を崩すこともなく「250Baht」。
おいおい、この町は米ドルとタイバーツの換算はどうなっているの?英語にタイ語を交えて「200バーツでいいだろ」と交渉に入りましたが、都合の悪いことはにこやかに笑って相手にしてくれない。隣ではタクシーの運転手が、これもにこやかに「250Baht」。
やっぱり、バンコクでドルに換金しておけばよかった!!
もうかれこれ800円も損した!!!!!!
日本ではたかが800円くらいと思われるかもしれませんが、タイならビールつきの日本食。カンボジアでは1週間くらい食事ができるはずの金額です<`〜´>プンプン。

市内は、車は原則右側通行らしい。
なぜこう回りくどい言い方をしているかというと、通行している車やバイクは追い越しや追い抜きを頻繁にするので、右の車線を走ったり、左の車線を走ったりを繰り返すので初めのうちはどちら側通行か良く理解できないのです。
こんな風に書くと、一昔前のタイのように掟無用の暴走!と思われるでしょうが、この町では飛ばしている車で60km/hがせいぜい。店主が乗ったエアポートリムジンはなんと、30km/hそこそこでゆったりと走っているではありませんか!タイの暴走タクシーに慣れた店主にはとても我慢できないスピードで、でも運転手はにこやかに英語でいろいろ話しかけながらホテルに向かいました。

なぜカンボジアのシェムリアップなどに行く気になったか。それは、店主が密かにというか、勝手に尊敬している森本さんという方に合いたいと思ったからです。
森本さんは元京染め師。
20年以上も前に東南アジアに入り、この地域伝統の絹織物を復活させている人です。そして、今きっと最も東南アジアの絹織物に詳しい人といえると思います。
森本さんによれば、絹織物はそもそもカンボジアを中心とした地域で4000年以上前から作られていたといいます。それがベトナムを経て中国に渡り、養蚕の技術が確立され、白い繭を作るようになった。そしてシルクロードを経てヨーロッパに渡り、日本にも伝わってきました。
以前のメルマガでもご紹介しましたが、東南アジアで採取される繭は黄色というか黄金色をしています。当然それから取れる絹糸も黄金色。これを一度脱色してから、自然に自生する植物などの天然染料を使っていろいろな色に染め上げるわけです。中国ではこれを改良(改悪?)してはじめから白い絹を作るようにしたわけです。一手間省いたわけですね。

この地域の絹織物は先染めという技法で作られます。もう、何度もご紹介していますね。
脱色した絹糸を張り、出来上がる柄に合わせて、繊維一本々々をバナナの葉の紐できつく縛ってゆきます。細かい柄ならばその数だけシッカリと縛ります。これを染めると縛ったところが染色されないまま残ります。これを使う色の分だけ繰り返し、それから織り始めてゆくのです。完成までショールのサイズで2ヶ月3ヶ月かかる根気の要る作業です。
森本さんは、太平洋戦争、カンボジアの内戦などにより消え去ってしまった伝統の絹織物を現地の人たちと一緒に復活させ、ついで蚕の餌となる桑の木を育成し、いまでは森林開発にまで活動の輪を広げてしていらっしゃいます。それは単にカンボジアの絹織物の復活にとどまらず、それから得られる収入でそこに住む人々の生活を保障するという域にまで達しています。今はクメール織物技術研究所(IKTT)というNGOを主宰しておられます。

店主がシェムリアップに着いた日。それは折悪しくカンボジアのお祭りにあたりました。プノンペンでは数百というチームが参加するボートレースが開催されます。シェムリアップでも市内を流れる川でボートレースが行なわれるということでした。
ちょっとやな予感…。
お祭りということは、お休み。
ということはIKTTもお休みということ???

とにかく、町の外れにある工房兼Shopに行ってみました。案の定、お休みで作業場には誰もいません。でもShopは営業しているようなので作品を見ることはできました。どの作品も完全ハンドメイドならではの味わいを持っています。色もややぼやけた感じはするものの、それこそが天然染料によって作られたものが持つ味わいを主張していました。

店番の女の子に「森本さんは?」と聞くと「いない」。
「お休み?」「違う。##%&%”*+&#%」「????」
そこに、ちょうど日本からカンボジアに仕事で駐在している方がいらして、森本さんと連絡を取ってここで待ち合わせているということを聞きました。
Oh! LUCKY!!
この方は、日本で染物教室を開いている奥様のために、ここで採れたシルクを買って帰るのだそうです。
待つことしばし、真っ黒に日焼けした森本さんがやってきました。 「普段は森に行ったままで、こっちにはあまり顔を出さないんですよ〜」とにこやかに言いながら私たちに接してくれました。1時間ほどの間に、いろいろな話を伺いましたが、その中で印象的なことばをいくつかご紹介しましょう。
  • 「機械でひいた糸は太さが均一だから織るのも早い。手で引いたものは織るのに3倍の時間がかかるんです。」
  • 「ベトナムや中国の糸を使えば作業は簡単で早いです。でも、ウチの子達は今の手間のかかる方法しか知らないんですよ(笑)。」
  • 「糸を染める時にはボーッ賭している時間が大切。この時間が、いい色を出してくれるんです。」
  • 「安易な道に進もうとするのを止めるのが私の役目です。」
  • 「スタッフは子連れで来てもOK。作業効率は下がるけど、グループに『和み』ができる。だからいいものができるんです。良い品物を作るには『心』が大切だと分かりました。」
その他タイのマットミーシルクとカンボジアの絹織物についてなど、いろいろな話を伺いました。中でもう一つ印象に残っていることば。
「中国の絹で作った絨毯は、土足で踏みつけたら50年と持たない。でもここの絹で織った絨毯は100年十分に持つんです。」品質に強い自信を持った一言でした。

帰りのシェムリアップ空港。
空港利用料は米ドルだけだというのですったもんだした挙句、ようやく待合室にたどりつきカンボジアのビールを飲みながら充実感に浸っていました。そのとき、人のよさそうなインド人がやって来て話しかけてきました。
「君は遺跡を見たかい?」
「?!」
そうだ!
世界遺産にもなっているアンコールワット、アンコールトムの入り口すら見ていなかった!!
まあそれでも最大の目標は達成できたし、そこで話していただいたことに十二分に満足していたのでさほど残念とも思わず、帰りのプロペラ機に搭乗、バンコクに帰ってきました。
でもまた行かなくちゃな〜、米ドルを持って…。
メニューへ▲
ハノイでバイクに踏まれた! (2005/12/20)
先週ベトナムのハノイに行ってきました。
ベトナムといえば若い女性たちが着ているアオザイ。男性の目で見ると最も魅力的な民族衣装です。あの全身から発射される「やさしい光線」を再び浴びることができると大きな期待に胸を膨れませての旅でした。

バンコクから約1時間40分ハノイ・ノイバイ国際空港に着きました。まあなんともだだっ広い空港で、というより周囲に何にもないといったほうが良いでしょうか。ジャンボの滑走路なんか5本でも6本でも作れそうな、どこかの国でB滑走路が作れないともめているのが滑稽に見えるほどのドイナカ空港の趣です。
空港ビルだって質素そのもの。どうだとばかり免税品店が並ぶバンコク空港とは比較にならない簡素さ。観光客の姿だって、今乗ってきた飛行機が連れてきた人たちだけですからあっという間に入国審査も終わり、いざハノイ市内へ。
今回は前回のシェムリアップ旅行と異なり、アメリカドルをシッカリ持ってきました。大枚50ドル!空港タクシーにゆとりの表情で10ドル払いホテルを目指しました。

市内に向かう道すがら、以前ホーチミン市(旧サイゴン)で見たのと違うぞ。オイ、どうしたんだ?モトサイ(日本でいう原チャリ)が多いのは同じ。でも空気が暗い。
なぜ???
分かった!アオザイだ!!
そう、道行く人たちは皆防寒服。オヤジなんかは毛皮の帽子まで被っているやつもいる。ちょっと待って、そんなに寒くはないでしょう。

空港から外に出たとき、バンコクほど暑くはないものの、半袖シャツにコットンのジャケット一枚で十分すごしやすい気温でした。期待のアオザイはどこへ行ったの?ホーチミンではいっぱいいたのに、ハノイはナシ?
まあ、まだ空港をでて10分足らず。日本でいえばで言えば成田からまだ四街道辺りになるのだから、ハノイ市内に入れば大丈夫だろう。
ところが、千葉を過ぎ、船橋を過ぎ、江戸川(紅河というハノイを象徴する川)を渡っても、一向にアオザイの女性は見かけられません。
GRUGGGGGGGGGG…
そうこうしているうちに、空港から約45分。ハノイ市内のホテルに着いてしまいました。ホテルはハノイ市の中心近く。なのにアオザイナシ。モトサイや自転車に背筋を伸ばして乗っているアオザイ姿の女性はどこへ行ってしまったのでしょう。

これは市内で探索するしかない!チェックインしてからすぐ、市内散策に向かいました。しかしどこを見ても、どこへ行ってもいないものはいない。みんなキルティング、それもピンク。マフラーに毛糸の帽子まで被っている人もいる。
あまりにアオザイ女性を探してキョロキョロしながら歩いていたら、肩にドシンとなにかがぶつかった。
ふと振り向くと軍服に身を固めた兵隊。肩には22口径くらいの自動小銃をかけている。ヤバッ!と思った瞬間、その兵隊さんちょっと微笑んでくれました。アーよかった。
と思った瞬間、今度はムギュと足に違和感。なんと左から来た女性が運転するモトサイが私の足を踏んづけて行ったのです。おまけに弁慶の泣き所にはバイクのステップをぶつけて!「痛てーッ!」と感じる前にその女性、あきらかに「どこに目をつけて歩いてんだよ!バカ!!」という目線を投げつけて走り去って行ってしまいました。
さっきぶつかった兵隊さん心配そうに店主を見て、「ARE YOU OK(大丈夫)?」と親切に聞いてくれました。「YES, NO PROBLEM(はい、問題ありません)」といって歩きだしたものの、向う脛の痛みが増してきた。あ〜、せめてアオザイを着ていてくれたらな。
やっぱりピンクのキルティングを着ていた女性でした。

すごすごホテルに向かって歩いていてフト感じました。
寒ッ。
そう、今日本は冬。ハノイも太陽が西に傾くとどんどん気温が下がってきます。考えてみれば、ハノイはバンコクより緯度にしてもずいぶん北にある町です。とてもじゃないけど、半袖にコットンのジャケットなんかではいられない。あわててホテルに戻り、部屋のエアコンを暖房をフルパワーに切り替えて、ちょっと酸っぱい感じがするベトナムビールを啜りつつNHKワールドを見て、一人寝した店主でした。
あ〜アオザイ…zzzzzz



ハノイのホテルの部屋の窓から夕方の人通りをただぼんやりと眺めていました。
おびただしい数の車とバイク。タイのように「俺はバンバン行くからね」「私が先よ!」という運転ではないものの、車やバイクがひっきりなしにクラクションを鳴らして行き交っています。
実際ハノイの運転手たちはひっきりなしにクラクションを鳴らします。大げさでなく、1分間に1回以上は鳴らすでしょう。車やバイクを追い抜くとき。車が割り込んできたとき。前の車が遅いとき(これは前の車が車線を空けるまで鳴らし続ける)。
横の路地から車が顔を出したとき。人がちょっと歩道から足を踏み出したとき。店主の感覚からすれば、そんなに鳴らさなくたって大丈夫だよといいたくなるほど頻繁にビービー鳴らします。タイ人はこんなにクラクションは鳴らさないな…。

そう。
ハノイに来てからずっと感じていたタイ人との違い。なぜか分からないけれど、同じ東南アジア圏に住む人とは思えないような違和感。例えていえば、空気の重さのようなものを感じ続けていました。
町並みはそんなに違うわけではない。歩道には屋台が出て、小さい、日本でお風呂で座るような、そんな椅子を並べて人々は食事をしている。
西洋風のデザインの建物が目に付くけど、これはフランスの植民地だったせいだろう。数少ない信号が青に変わると繰り広げられるバイクと車のスタートダッシュは同じ。道行く人の顔立ちはタイ人に比べて中国人に近いかな。まあ北に行けばすぐ中国なんだからこれも不思議じゃない。
今のハノイは寒いから、人々が厚手のキルティングのジャンパーなど着込んでいるせいかな?確かに着ているものはあまりカラフルじゃないな。社会主義の国だからかな?町全体も高層ビルのようなものはほとんどないし、町全体に華やかさというのがない。バンコクのようなギラギラ感というのがない。
なるほど。違和感の原因はこれだ。

でも、それはなぜ???
店主久々によーく考えてみました。
そこで思い当たったこと。
ベトナムの人たちにとって20世紀は戦い続けた歴史しか残っていないのではないか。フランスの植民地下で繰り広げられた太平洋戦争。その後のフランスからの独立戦争。南北分断後のベトナム戦争。これが終結してからまだ30年ちょっと。
ベトナム戦争で空襲を避けるためには当然高層ビルなんて建てられなかっただろうし、ぎらぎらのネオンサインどもってのほか。その後も、世界の最貧国ランクの上位を独占する状態だったからそんなところまで手が回るわけがない。ウ〜ん、ちょっと納得。

ハノイの市内に軍事歴史博物館というのがあります。ここを見てまわると、ベトナム人たちの戦いの歴史がうかがえます。特にベトナム戦争に関する展示では撃墜したファントムの残骸などがドカーンと置いてあったり、爆弾が展示してあったり、ホーチミンルートの地下壕での生活ぶりを見せるジオラマがあったりします。
いずれの戦争でも、ベトナム人たちは辛抱強く、そして意志を曲げることなくゲリラ戦を戦い続けたことが分かります。特に地下壕での生活ぶりはタイ人ならずとも、日本人だって何年も続けられるものではないだろうと思います。アリの巣のように地下を掘り、集団生活をおくっていた様子は言葉には表せないほど厳しいものだったに違いありません。ベトナム人たちはそれを耐え抜いて勝利を勝ちとった。
30年以上もゲリラ戦を戦い抜く忍耐強さ、それこそがベトナム人の基本的な資質なのではないか。
だから、タイ人のような鷹揚さというか、チャランポラン感というのはベトナム人からは感じられない。サバーイ&サヌーク(楽して楽しく)というような人生観とは無縁な表情が、道行く人たちから感じられるんだ。ビルやネオンサインやライトアップなどといったものより、人の気質といったものが、タイとの違いを主張していたのでしょう。
首都の国際空港というにはガラーンとして、あまりにも殺風景な出発ロビーでフライトを待つ間一人納得した店主でした。


【余談】

ハノイ国際空港の出発ロビーの2Fにレストランがあり、ラーメンののぼりが立っています。行ってみると、なぜか日本料理が並んでいる。そば、うどん、ラーメン、カツ丼にうな重などもありました。
なぜなんだろう???
いくら今注目のベトナムとはいえ、それほど日本人が多いようには感じられなかったのですが…。
そういえば、十数年前。
モスクワのシェレメチェボ空港にもラーメンとうどんとそばを売っていたな、なんて思い出してしまいました。
メニューへ▲
新空港大きくはなったけれど (2006/10/30)
9月28日。バンコクの新空港がオープンしました。今までの空港はドンムアン、新空港はスワンナプームと呼ばれています。東南アジア最大を誇る規模を持った空港で、まさにアジア・アフリカへのハブ空港として今まで以上に大きな役割が期待されています。アクセスも都心までタクシーで約30分。国際空港としてはとても便利なところにあります。
今回はこのスワンナプームの新空港についてご紹介します。
ただ、店主も今回の帰国の時に1度利用しただけなので、まだ詳しいお話はできませんが…。

実際行ってみたスワンナプーム新空港の第一印象は明るく、広い。ロビーの広さも今までのドンムアンとは比較にならないほどで、航空会社のカウンターを探すのがたいへんなほどです。
特に、多分4階にある出発ロビーは天井が高く、外光がタップリと入るため明るく、開放感が感じられます。チェックインの後、出国管理を経てゲートに至る道もゆったり。今までのドンムアン空港のように、観光客の有り金を全て搾り取るぞ!というように免税品店がびっしり並んでいるというような感じがしないのは、やはりスペースのせいでしょうか。まあ日が経つにしたがって、ショップは増えてくるのでしょうけれど。

出発ゲートは2フロアー下がったところ(2階?)にあり、ここも全体的にゆったりとしています。1階からずっと吹き抜けになっているので以前のドンムアン空港のような窮屈な感じは全くありません。ドンムアンは、拡張されたところを除くと、とても天井が低かったですから。全体的には、フランスのシャルルドゴール空港にちょっとイメージが近いでしょうか。あくまで店主が今まで知っている中ではという条件付ですが、とても洗練されたイメージの空港です。

ただ、使い勝手ということになるとこれはまた別の話。
一言でいって人間味がない感じがします。特に、出国管理を終えてゲートに行くまでも、広いために歩く距離が長い。そして、ゲートに行くにはそれぞれのゲート用のエスカレーターに乗らなければならず、これを間違えるとたいへん。すぐ下のフロアーからの移動は難しいので、もう一度上の階に階段で上がらなくてはいけません。

3階(?)部分のスペースの活用法も再考する必要があるかもしれません。いくつかのショップが開かれているのですが、なんともスカスカの感じがします。何のためにこのフロアーがあるのか理解に苦しむほどの状態です。まあここもまもなくレストランやらショップが並ぶとは思うのですが…。そして、喫煙者にとって一番厳しいのは、喫煙室が極端に少ないこと。コンコースによって2階だったり3階だったりするようです。それも各コンコースに1カ所で、それもフロアーの端の方にしかありません。この点には不満が出てくることも考えられます。
よく言えば明るく開放的で洗練されている。悪く言えばスカスカで、タイらしいゴチャゴチャ感を失ってしまっている。そんな感じでしょうか。

実際ドンムアン空港はいかにもタイらしい雰囲気を持っていました。出発ロビーの両側にはレストランが並んでいたし、出国審査を出た後には、限られたスペースにびっしりと並んだ免税品店やブランドのショップ。通路の間に強引なまでに作ったような店もありました。それも同じような商品を売っている店がこれでもかというほど並んでいたものです。先にも書きましたが、観光客の有り金を全て搾り取るぞ!というような意気込みが感じられました。

何より店主がタイらしい空港と思っていたのが、滑走路を区切るように作られたゴルフ場(!)。ご存知でしたか。
ドンムアン空港は本来タイ空軍の敷地に作られていたため、タイ空軍が経営するゴルフ場(18ホール)があったのです。ジャンボなど大型飛行機が使用する滑走路と短距離用の小型飛行機が離着陸する滑走路が平行してあったのですが、この二つの滑走路の間にゴルフ場がありました。もちろん一般人もプレー可能です。店主も一度だけプレーしたことがあるのですが、ほんの百メートル位先をジェット機が離着陸するのですから、そのエンジン音がメチャクチャうるさい。
そればかりか、このコースでは18ホールの間に飛行機の通る誘導路を歩いて横切るところがあるのです。こんなことって日本では考えられないですよね。初めてタイを訪れたときにタイらしいなと実感したものです。ゴルフ場は今も営業していますが、飛行機の姿が見えないのはなんだか味気ない感じがするのではないかと思っています。
今はまだ以前のドンムアン空港とのギャップに苦しんでいるような店主ですが、スワンナプームもせめて空港ビル内だけでもタイらしさを主張して欲しいものだと思っています。まあ、そんなに遠い未来のようには思えないのですが。

※追記:2008年現在上記のようなスカスカ感はなくなり、免税品店やレストランが立ち並んでいます。ただ、ドンムアンよりはスペースをとってあるようで、ゆったりした印象になっています。
メニューへ▲
航空会社〜安全確保は良いけれど (2006/11/10)
今年8月、イギリスで飛行機を狙ったテロが摘発されました。それ以来、各国の空港では手荷物検査などが強化されてきたのはご存知の方も多いでしょう。
このテロ騒ぎに、一早く反応を示したのはアメリカの航空会社でした。ユナイテッド航空、ノースウェスト航空、アメリカン航空などですね。これらアメリカの航空会社は機内に持ち込むことができるものを徹底的に制限するようになりました。
ここからは、バンコクから帰ってくる際に店主が体験した笑い話のようなエピソードです。今回はユナイテッド航空を利用したのですが、この規制がものすごいのです。
スワンナプーム新空港に着いて、ユナイテッド航空のカウンターに行こうとしたところ、その入り口で係員からライターを持っているかと聞かれました。持っていると答えると、それは機内には持ち込めない。ここで捨ててゆかなければいけないといってビニール袋を差し出すのです。そこにはすでに数個のライターが入っていました。
このとき店主が持っていたのはいわゆる100円ライターではないので捨てるわけには行かないと答えました。しかし、係員は規則なので機内持ち込みは絶対にできないとの返答(タイ人は規則というものをとても上手に使います)。それでも食い下がって(この間10分以上)、入り口の係員も3人に増えて、ようやくカウンターの判断に任せるというところまでこぎつけました。
そしてカウンターで。やはりライターは持ち込み禁止の一点張りです。店主は機内預けにするような大きな荷物は持っていなかったのですが、仕方なくバッグを機内預けにしてその中に入れるのではどうかと提案しました。この提案に、上司の許可を得た結果、ライターの中のガスを全部抜くことを条件にようやく許可がおりました。ここまで、空港に到着してから約30分。疲れました。

ところが、これ以上の馬鹿げた規制があったのです。
店主は普段、飛行機の出発待ちの間に飲むために缶ビールを買って行くのですが、なんとこれが引っかかってしまったのです。
ライターを取り上げられてタバコも吸えない状態になったので、仕方なくまっすぐゲートに行きました。そこでビールを飲みながら出発まで時間をつぶそうと考えたのです。そのゲートに入る手前で持ち込み手荷物の検査がありました。それは手荷物として持っているバッグの中身を全て確認するという厳しいものでした。そこで、ビールはこの先には一切持ち込めないというのです。
仕方なく、その検査台の横で持っていたビールを飲みながら検査員といろいろ話をしながら彼等の作業振りを見ていました。すると、なんとビールどころか、水もだめ。店主もビールを開け、係員の目の前で飲んで見せて安全性を主張してもダメ。液体を機内に持ち込むこと自体がダメだというのです。どうしても飲みたいのなら、検査台の脇で飲み干してからでないと通さないという厳しさです。そればかりか化粧品、歯磨きなども全部取り上げられます。
ためしに「私がこのビールを飲みきらなかったら飛行機は出発を遅らせるの?」ときいたところ、「30分までは待ちます」との答え。 そこまでする必要があるのかなと思い、隣で水を一生懸命飲んでいるアメリカ人女性にアメリカ人はこれをどう思っているのか聞いてみました。
さすがのアメリカ人も「私は顔につける乳液まで取られたのよ。安全を確保するためなら協力するのは当たり前だけど、これはやりすぎよ。」と苦笑いしながらいっていました。

ユナイテッド航空の係員は「安全を確保するのが航空会社の最大のサービスです」と胸を張るのですが…。もちろん安全性を優先するのは当然です。でも、利用者の利便性や快適性というのももう少し考えても良いのではないかと感じた次第です。まあ、何事にも徹底するアメリカ人のやりそうなことではありますが(苦笑)。

※追記:今やこの規制は当たり前のことになってしまいました。でも利便性や快適性を犠牲にし、燃料サーチャージなどというわけの分からない値上げをし、機内のサービスも低下の一途。そんな航空会社って、本当にどうなのでしょうね。
メニューへ▲
どうなってるの?!航空料金 (2006/11/20)
前回、前々回とスワンナプームの新空港や、アメリカの航空会社の安全対策についてご紹介しました。
これに引き続き、今回海外旅行の価格について、店主の素朴な疑問を書き綴ってまいります。なんだか理屈っぽい話になりそうなのですが、よろしかったらお付き合い下さい。

これから年末年始に向けて海外旅行を考えている方も多いと思います。店主が疑問に思っているは、年末年始やなどゴールデンウィークといった繁忙期の航空券やパッケージツアーの料金はなぜ価格が高いのかということです。
一般的に考えて、たくさんお客が乗ることが想定できる年末年始やGWは航空券は安くていいはずです。 それなのに、実際私たちが買う、いわゆる格安チケットやパッケージツアーは連休のない時期や梅雨時の方が航空券代は安く設定されています。その差が3倍くらい違うことも珍しくありません。普通はたくさん買えば価格は安くなり、少ししか買わないと高くなるはずなのに…。
満員の機内では狭い座席に押し込まれている状態、それに対して空いているときは、アームレストを跳ね上げて横になることもできる。どちらが快適な旅行か、いうまでもありません。快適に旅ができる空いている時の方が料金が安い。これって考えてみたら変な話です。
くどくなりますが、これを身近なところで鉄道に置き換えてみましょう。朝夕のラッシュ時には料金が高く、日中の空いている時には料金が安いということと同じことですよね。もしJRがこんなことをしたら大問題になることでしょう。
もっといえば、季節や時期によって価格が違うというのは変な話だと思うのです。鉄道やバスで季節によってとか、上記のように時間によって料金が変わるなんていうことをしているところはないと思います。なぜ、海外旅行についてはこんなことがまかり通っているのでしょう。
確かに、航空券にも1年を通じて変わらない「正規料金」というのはあります。でも、こんな価格で乗っているのは、ファーストクラスとかビジネスクラスに乗る人たちだけでしょう。世の中でエコノミークラスのチケットを正規料金で買っている人っているのでしょうか???
現実的に見て、正規料金て何なのか?という疑問さえわいてきます。実際私たちが海外旅行をするときには、多くは旅行代理店経由でチケットを購入したり、パッケージツアーに申し込むケースがほとんどのはずです。最近は航空会社自体が「早割り」とか「前割り」というような名称で格安チケットを販売する始末です。これを見れば、正規料金なんて有名無実の存在といっても過言ではないでしょう。

タイと日本を行ったりきたりすることが多い店主にしてみれば、今のようなわけの分からない料金体系をやめて、私たちにも理解できる料金設定に改善してほしいところです。そのために実体のない正規料金の設定を、実態に即した価格に改訂する必要があるでしょう。休眠期の価格が多少高くなっても、繁忙期の値段をグッと下げて1年を通して変わらない価格にするなど、私たちに分かりやすくするような努力が必要だと思うのですがいかがでしょうか。

価格といえば、最近の航空券の価格でおかしいと感じたことはありませんか。例えば、バンコク往復49,000円!などという旅行代理店の広告やパンフレットをよく見ます。ところが、実際に払う金額は6万円以上にもなることがあるのです。その理由は「成田とバンコクの空港利用料」「燃油特別付加運賃」と「航空保険追加料金」が追加されるからです。設定が高い航空会社だと、これだけで15,000円以上とられる場合があります。これも変だと思いませんか。
なんだか騙されたような気にもなります。空港利用料は致し方ないとしても、「燃油特別付加運賃」と「航空保険追加料金」はどうしても納得いきません。「燃油特別付加運賃」は原油価格が高騰しているため。「航空保険追加料金」はテロの危険があるために保険料が上がったためだというのですが、だったら航空券代というのはなんなんでしょう。
これらは、本来価格の中で処理すべきものではないでしょうか。
例えば、今円とバーツの為替が円安になっています。仮に当店が商品価格は据え置きで、「円安為替差額」というような請求をしたらどうなるでしょうか。こういった変動的な一時出費が会社を運営するのに影響がでるほどならば商品価格を値上げするべきでしょう。余談ですが、当店では今のところ利益率を下げてでも値上げを避けています。
何より、航空券価格は49,000円と謳っていながら、実際は6万円以上かかるというのは詐欺的だと思えてならないのです。よく見ると、広告やパンフレットには見えないような小さい文字でこうした費用がつかされることは書かれています。でも、どうも納得いかないのは店主だけでしょうか。

なんとも、海外旅行の費用というのは理解に苦しむことばかりです。皆さんはどう思われますか?
メニューへ▲
スワンナプーム到着〜やっぱりタイが好き (2006/12/20)
久々にバンコクにやってきています。
大きくなったスワンナプーム新空港はやっぱりその広さをもてあましている感じ。今までのドンムアン空港はターミナル1とターミナル2とに分かれていて、それなりに歩く距離も少なくてすんだのですが、今の空港はそうは行きません。
今回店主が乗った飛行機が運が悪かったというわけでもないと思うのですが、飛行機が着いたのはほぼ南のはずれのゲート。そこから延々歩いて入国管理を受けます。
窓口は以前のドンムアン空港以上に数も多く、スペースを有効利用していて、その通過にはさして時間はかかりませんでした。でもここは多分空港全体から見れば、南側の1/3も来ていなかったと思います。

入国管理を経てさて荷物を受け取ろうとしたところ、店主が入国管理を経て出た所から最も近い荷物引取り口は20番。ところが、荷物が出てくるのはなんと10番だというのです。入国する観光客の間をすり抜けながら目的の10番ベルトまで行くのが一苦労。ベルト番号4番ごとくらいでブロックに仕切られていて、そのスペースが結構広いのです。今まで歩いてきた距離と同じくらい移動しなければなりませんでした。多分これで空港のほぼ半分程度でしょう。

荷物を受け取るベルトも設計が悪いといわざるを得ません。
下から上がってくるベルトコンベアから、受け取るために周回するベルトに移動するところに段差があり、ガタンガタンとぶつかります。また、下から上がってくるベルトのスピードが速いために、その衝撃は相当な勢いになります。小さくてクッションが少ないバッグだとガラス製品などちょっと心配なくらいの勢いです。

そこから出口へ出るとまたたいへんです。税関を形式的に通って先の出口には出迎えの旅行代理店の人間がひしめき合っているのです。出迎えの客がどこの出口からでてくるか分からないし、その距離も長いので殺気だったような視線で到着する客を見つめます。きっと、彼等出迎えのスタッフが各出口に張り付いていることも人があふれている原因になっているのでしょう。
今年の年末年始はタイへの観光客が過去最高になるとか言われています。この時期にバンコク旅行を計画している方、出迎えの現地スタッフと会うのはきっと難しいと思いますから、心しておいてください。

つまらないところで時間を取られたくない店主は即刻4階の出発ゲートに上がって、客を乗せてきたタクシーを捕まえることにしました。日本だったら出発ゲートに来たタクシーが客を乗せるのはダメ!といわれることが多いと思うのですが、そこはバンコクです。店主が4階に上がり、外に出た時はしっかり数名のタクシーの運転手が客引きをしていました。今までも何度も書いてきましたが、タイではルールは決める側にとってのみあるようで、その規制を受ける側には関係のないことなんですね。

2ヶ月ぶりに来たバンコク。通りを走るモトサイやトゥクトゥクのエンジン音も懐かしく感じられます。アパートの女性スタッフの微笑みも今までどおりの天国の微笑み。そして行きつけの日本レストランの店員たちも「いつ帰ってきたの!」と今にも抱きつかれそうな勢いの歓待。それでいて、部屋代のレイトチャージはしっかり取るし、帰国の際に頼まれたお土産はしっかり催促されたのですが…。
そんな一つひとつのことが、日本に帰ったときよりも帰ってきたぞーッ!と声をあげたくなるほどの気持ちの高ぶりを感じました。やっぱりバンコクが好きだと実感せざるを得ない店主でした。
メニューへ▲
久々のランカウイで想い出ひたり (2007/3/20)
先日、久々にマレーシアのランカウイ島へ行ってきました。
ビザなしでバンコクに滞在している店主は、30日ごとに一度タイを出国しないと、不法滞在になってしまうためです。
今までは、同じマレーシアのペナン島に行くことが多かったのですが、それはあの格安航空券で知られるエアーアジア航空が毎日就航していたからでした。
元々、ランカウイにはいってみたいと思っていて、マレーシア航空などを使えば行くことはできたのですが、料金が高いため敬遠していたのです。それが、エアーアジアが2月からバンコク⇔ランカウイ便を、隔日ですが就航させたので、ようやく実現することができるようになったのです。
ランカウイ島は、多分12〜3年前にフリーポート(自由貿易港)として開港した島です。タイとの国境に近く、比較的新しいリゾートとして今注目されているのでご存知の方も多いと思います。

店主は既に1度、多分12年ほど前、テレビのディレクターをしていた頃に、この島を訪れたことがあります。それはこの島がフリーポートになったばかりで、日本ではほとんど名前さえ知る人もいないというときでした。
取材に来た理由は、その頃担当していたレギュラー番組の1コーナーを制作するためでした。釣具やゴルフ道具で有名なDAIWAというメーカーとのタイアップで、その頃若い人にも人気が出始めていた釣りとゴルフのレッスンするコーナーを作るために、この島に来る企画を立てたのです。新しいリゾートのPRになるということで、マレーシア政府観光局や、マレーシア航空などとのタイアップも思いのほかスムーズに進んだためこの企画が実現したのです。
店主が初めて来たときのランカウイは、シンガポールや香港など他のフリーポートの派手やかな雰囲気とは異なり、マレーシアの外れの田舎の島というイメージの方が強かったことを覚えています。空港もとても小さくて、今のデパートのようにショップが並んでいるなどということもありませんでした。もちろん外国からのテレビ局の取材など受けたこともなかったようです。店主たちが撮影機材など持ち込んだときには税関のスタッフがびっくりしていました。

その時は、この島の実質滞在期間が7日間。この小さい島に1週間もいたのですから、ほとんど島の隅から隅まで見て回りました。とてものどかな雰囲気に包まれていて、空港からホテルへ移動する途中の水田には水牛が数頭のんびりしていました。
また島の西北部のあたりには、それまでの主産業だったのでしょう、ゴム園が広がっていました。いくつものホテル資本が本格的に開発に乗り出したという時期でしたから、シェラトンホテル以外には数えるほどしかホテルはなかったはずです。
何しろ驚いたのは物の安さでした。この島の中心街(といってもひとつしかなかったのですが)のスーパーでは輸入ビール(アサヒやハイネッケン)がなんと100円以下だったと思います。フリーポートだから税金がかからず、こうした嗜好品が安いのは当たり前とはいえ、香港やシンガポールと比べても数段安かったのです。暑い土地でビールが安く飲めるというのはこんなに嬉しいことはありません。スタッフ分も含め、大量に買い込んでホテルの冷蔵庫に詰め込んだものでした。
ゴルフ場は今は3つあるようですが、その頃はダタイベイという湾の近くの低い山に沿って作られたところがひとつだけだったと思います。今にしてみればシンプルな木造のクラブハウスで、コースの方は手作り感にあふれ、とても趣のあるコースでした。
ただ、フェアウェイをちょっと外れると、そこはもうほとんどジャングル!どんな危険な動物(例えば毒蛇とか…)がでてきてもおかしくないようなところで、そこにボールが入ったらもうを捜す気にはなれませんでした。低いながらも山に沿って作られていますからアップダウンも適度にあり、あるホールに行くとアンダマン海が見下ろせるとても素晴らしい景観のホールもいくつかありました。
ここで、空を飛ぶ鳥として最大といわれるホーンビルという鳥を見たことも思い出しました。50m位上空を優雅に飛んでいたのですが、その羽ばたく羽根の音が地上の店主たちにも十分聞こえるほどでした。後で聞いた話ですが、この島はホーンビルをはじめ、鷲など野生の鳥の宝庫だそうです。
加えて、貴重な蝶の数々も数多く生息していて、こうしたものを観察するマニアには昔から有名なところだったそうです。今は、だいぶ開発されているので、こうした動物たちがどうなったかちょっと心配にもなりました。

そういえば、このときのレポーターとして参加してくれたのは、この年の末に伊集院光君と結婚した篠岡美佳(当時の芸名はMika)さんでした。過酷なスケジュールの中いつも明るくスタッフを和ましてくれ、あるときは紅一点としてスタッフのケアもしてくれました。島に1ヶ所あるワニ園では、ワニに餌を手渡しするというちょっと危険なことまで要求したのですが、キャーキャーいいながらもしっかりやってくれたことも思い出されました。

今回のランカウイ行きは、一時出国ということで、短期間の超節約旅行。加えて、安くてランクがそこそこのホテルという条件のみで予約したところ、なんとそれが空港から歩いて200mというところだったため、これといった観光にも出る気にならず、その分こんな想い出に浸ることになったというわけです。
東洋の真珠と呼ばれるペナンに比べると空港も明るく、タイに近いせいでしょうか、住んでいる人たちもタイ人のようなあっけらかんとした雰囲気を持っているように感じました。
ひょっとしたら、この先東洋のダイヤモンドかルビーといわれるような島になるのではないでしょうか。

ところが、この想い出に浸りつつ、よい気持ちで戻ったバンコクで、思わぬトラブルが待ち受けていたのです。
その続きは次回にとっておくことにしましょう。
メニューへ▲
再入国でびっくり騒動の顛末 (2007/3/30)
前号でご紹介したように、30日間の滞在期限が切れるためマレーシアのリゾート、ランカウイ島へ行きました。優雅とはけっしていえませんでしたが、まあそれなりにゆったりとした時間を過ごし、バンコクに戻ってきた時、事件が起こりました。

エアーアジアの窮屈なシートから開放されて、入国管理の窓口にパスポートを提出、いつものように店主なりの天国の微笑でスタンプを押されるのを待っていました。
ところが!
最初優しい表情で接してくれていた女性の係官の表情が曇ったのです。彼女は何度かパスポートのページをめくってはなぜか数を数えている様子です。そして、「あなたはここでは入国管理ができません。私についてきて。」と店主を入国カウンター手前の事務所に連れてゆくではありませんか。
入国管理の事務所ではこれも優しい表情の女性係官が、店主のパスポートのページをめくっては指を折り数を数えています。そして電卓まで持ち出し、何かをメモしています。数分後、出てきた彼女から発せられた驚きのことば。
「あなたは今回2日しか滞在できません。明日出国してください。」

思わぬことできょとんとする店主に、彼女は事務所入り口のパテーションに張られたA4の紙を指差しました。そこには、「6ヶ月で90日までの滞在を上限とする」という英文が書かれていました。これ以上滞在するためにはビザが必要ということになったというのです。
後で聞いたのですが、これは90日ルールと通称され、昨年10月に決められたものだそうです。旅行代理店などにも一切事前連絡がなく、一部の日本人向の新聞に掲載されただけということでした。
そんなことを知らない店主は、12月にバンコクに来て以来一時出国を繰り返しながら、もう88日滞在しているというのです。だから、残り日数は2日。つまり翌日出国しなくてはならないというわけです。
そんなことをいわれても、バンコクに到着したのは夜の6時半、もう、7時をとうに過ぎています。これから明日の航空券など予約できるわけがないではないですか!

タイでは滞在期限を過ぎて出国すると超過滞在金を払うことになっています。最初の1日は無料。その後は確か1日に560バーツづつ支払いが義務付けられ、最大で23,000バーツまで支払えば出国できます。出国管理の際には全く問題にもされず、お金を支払いさえすれば出国させてもらえるのですが、この後ビザを取得する時などに拒否される可能性がでてくるということです。
ただし、滞在期限を越えて滞在しているわけですから、この間にもし警察にチェックされたらそれこそ不法滞在。収監されて、数ヶ月の取調べの後に裁判などという大事件に発展する可能性もあるわけです。

店主は優しく対応してくれた女性係官にどうしたらよいだろうと聞いてみました。彼女は「明日、とにかく出入国管理局へ行きなさい。そこで1週間の滞在延長を申請しなさい。それ以上滞在を希望するなら、一度出国してビザを取得してください。」と教えてくれました。彼女の笑顔に多少ホッとしたものの、一大事には違いありません。
翌日、サトン通りにある入国管理局に行き、滞在延長の手続きをしました。延長期間は1週間限り、手数料1,900バーツです。申請は大体1時間ほどで終わりました。

事前にタイ人のスタッフに電話で聞いたのですが、彼等の言うことはまちまちで、1日500バーツ払えば何日でも大丈夫というものもありました。そのことを窓口の係官に聞くと、「ダメ!1週間だけ!」と冷たい返事。
とにかく1週間の滞在延長許可のスタンプをパスポートに押してもらい、これからどうするか考えることにしました。
1週間あれば帰国する飛行機の予約はできます。
でも今動いている仕事のタイミングからすると、ひじょうに中途半端なところで帰国することになってしまうのです。加えて、店主が次回入国できるのは6月。それ以前にタイに入国するためには日本のタイ大使館で観光ビザを取得しなくてはなりません。ところが、これがとても面倒で、発給される保証はないという話しを聞いたこともあります。

そこで、以前インターネットや日本人向の情報誌などで見た「ビザ取得ツアー」というのを思い出しました。もちろん個人で行っても可能なのですが、いろいろと面倒なことも多いということで、こうしたツアーが催行されているのです。ということで、店主はこのツアーで60日間の観光ビザを取得するため、ラオスに行くことにしたのです。
このラオス行きのツアーについては次回ご紹介することに致します。
メニューへ▲
ビザ取得ツアーは疲労困憊 (2007/4/10、20、30)
マレーシアのランカウイ島へ一時出国して戻ってみると、滞在期限が2日しかないことが発覚。これはタイの入国管理局が昨年10月から施行したルールによるものでした。そこで慌てて1週間の滞在延長を申請、許可されたもののさてどうしよう…、というところまで前回書きました。

長くタイに滞在していて相当のお金を使っているにもかかわらず、この上まだ1週間で1,900バーツも取るのかとやりきれない思いを胸に帰宅して、早速日本語情報誌を捲りました。以前見た覚えのあるビザ取得ツアーの広告を探すためです。
「バンコク週報」という、こちらでは長い歴史を持つ週刊の情報誌に1件広告が載っていました。Jack Golfという、本来はゴルフツアーのコーディネートをしている代理店が、ラオスのサワナケットというところで観光ビザを取得するバスツアーを催行していということでした。

さて、Jack Golfという代理店の場所を調べて、ちょっと気持ちが曇りました。それというのも、この所在地がスクンビットプラザというビルの中だというからです。スクンビットプラザはこちらでは韓国レストランがたくさん営業している、いわばリトルコーリアともいえるようなビルなのです。ここで営業しているということは、韓国人経営の会社という可能性が高いということになります。
これは多勢の韓国人とバスに押し込まれての旅かと思いちょっと暗くなってしまったのです。とはいえ、ビザを取得しないわけには行きません。予約のためにJack Golfに行くと、そこそこ流暢な日本語で事務的に話すジャックさんはやはり韓国人でした。ツアー代金5,600バーツ(約2万円)で、2泊3日(1泊はバスの中)全6食付でビザ取得手数料も込みです。ビザの取得には1,000バーツがかかりますから、実際は4600バーツということになります。聞けば店主が行く日には15名程度が予約しており、日本人が半分位いるということでした。

3月14日、バンブーバッグのナラカンで仕事の話をして、夜9時。集合場所のスクンビットプラザに着くと、いかにも手持ち無沙汰にしている数名の日本人の姿がありました。彼等は案の定店主と同様、ビザの取得のために参加したメンバーでした。最終的に、日本人男性8名、アメリカ人1名、イギリス人1名、ドイツ人1名(店主以上に無類のビール好き)、オーストラリア人1名、フィリピン人女性2人(内1人はレディーボーイ)、ミャンマー人らしい男性2名という構成で旅の始まりです。全体的に年齢は高めの印象です。
最近日本でも格安なバスツアーが人気を集めているようですが、タイではバスによる路線網が発達しており、田舎に帰る人たちはほとんどがバスを利用しています。日本の新幹線のように早い鉄道がないタイでは、バスの方が早くて便利なのです。バンコクにはこうした地方を結ぶバスの行く先によって北部・東北部行き、東行き、南行きとターミナルがあります。
店主たちが乗ったバスが出発したのは夜9時半過ぎ。ガイド役のタイ人の青年が、あまりうまいとはいえない英語でこれからの行程を説明。なんだか子供の頃の修学旅行のような雰囲気の中で旅が始まりました。
ラオスのサワナケットへ行くにはタイ側の国境の町ムクダハンまで行き、そこで国境を越えるだけのバスに乗り換えて、国境を越えて入国管理が済んだらソンテウという軽自動車の乗合バスでタイの領事館に行くという、書いているだけで恐ろしく面倒jな行程です。
バスはいわゆるハイデッカーで、シートの間隔もゆったりしてフルリクライニングもするので、まずまずの乗り心地です。タイではバス路線の充実に伴い、主な幹線道路は整備されています。店主が初めて来た頃のような、道路がいたるところで陥没しているというようなところはまずありません。

このように書くと、とても快適なバスの旅…というように感じられますが、これから約10時間揺られ続けなければなりません。まして、まだ出会ったばかりの人たちばかり。車内では出発してからすぐにビデオが上映されたものの、タイ人の大好きなホラー映画。ボリュームは押さえてはいるものの、寝ようと思っても寝られるものではありません。
店主は二人掛けのシートを1人で独占して、こんなこともあろうかと持ってきたビールを飲みながら漆黒のイサーン(タイ東北部)へと入っていったのでした。



60日間の滞在が可能なツーリストビザを取得するため、店主たち16名を乗せたバスは夜通しタイの東北部に向かって走りました。目指すのはムクダハンという国境の町です。
深夜0時近くにはビデオの上映も終わり、また町の明かりもほとんどなくなって、まさに漆黒となった道をバスは快調に走ります。車内はまだ誰も眠ったわけではないのでしょうが、まだ出会ったばかりで会話を交わすこともなかったため、とても静かでした。

店主は以前にこの道を走ったことがあります。マットミーシルクを作っているところを見たくてウボンラチャタニという町まで車で行ったからです。
この道は最近注目を集めている、インドシナ回廊といわれる幹線道路で、ラオスを経由してベトナムのダナンまで通じる道です。これによりインドシナ半島の各地からの物流屋経済は飛躍的に発展すると期待されています。
今まではバンコクを船で出発してダナンまで6日以上かかっていたのが、トラックによる陸送が可能になり、約60時間、およそ2日とちょっとで届けることが可能になったのです。
実際、トラックや東北部各地へ向かうバスの交通量はそこそこ多くて、というのも、トラックは朝一番で国境を越えようとするため、そしてバスも各都市に朝につくようにするためです。

バスは、時折思い出したように緩やかなカーブがあるほかはほとんどまっすぐな道をムクダハン間に向かいました。ビザが発給されなかったらどうしようか等と考えながら少しうとうとしていると、広い平原のかなたから真っ赤なまだ元気のない太陽がポコンと顔を出して朝を迎えました。そして6時半ごろ、ガイドのタイ人青年の小学校の先生のような朝の挨拶で私たちはムクダハンという街についたことを理解しました。
朝食はムクダハンのホテルのレストランでのビュッフェが用意されていました。ところがバスから降りてみると、思っていた以上に疲労していることに気がつきました。足元が心なしかフラフラしているのです。
レストランに入って、田舎の町にしてはそこそこ充実したブッフェの内容を見ても食欲が湧きません。とにかく、ジュースを口に運ぶと、これがゴクゴクと気持ちよく体内に入ってゆきます。一晩中バスのエアコンの中にいたので体が乾ききっていたためでしょう。結局、このほかにはコーヒーを2杯飲んで朝食の代わりにしました。

国境は市内から10分ほど走ったメコン川を挟んでいます。見るからにできたばっかりという出入国審査の建物がド〜ダ〜とばかりに建っています。ここにはタイ・ラオス友好橋という橋が日本からの資金で建設されています。全長1.6kmの美しい橋で、2006年12月20日に開通しました。
ここで今までのバスから、ムクダハンと対岸のサワナケットを結ぶ乗り合いバスに乗り換えます。ガイド役の若い青年はかいがいしく走り回り、我々の出国審査、荷物チェックなどの面倒を見てくれてスムーズに出国することができました。

ところが、この川を渡るだけのバスがなかなか来ないのです。ボーっとはるかに見える橋を見ていても仕方ありません。食事の時から同行者たちと少しづつ会話をするようになったとはいうもののまだほんの挨拶程度のことです。待てど暮らせど来ないバスにちょっとイライラを募らせていると、タイ人たちのオジチャンやオバチャンたちが大挙して国境にやってきました。彼等はドヤドヤと出国審査のカウンターを勝手に通り過ぎ、店主たちよりも先にバスで国境を越えて行きます。
この日はどうやらもうひとつの代理店が催行しているビザの取得ツアーがあるようで、その人たちが合流して、また別のタイ人のオジチャンとオバチャンたちの乗ったバスに乗ってようやく国境を越えました。メコン川は想像以上に広い川で、もうこの辺りでは5ヶ月近く雨が降っていないはずなのに豊富な水量でゆったりと流れていました。

川を渡るとサワナケットというラオス側の国境の町です。
緑の要素が強いカーキ色の制服を着た入国係官が私たちを「またビザ取得ツアーの連中か」という目で迎えます。ガイドの青年は私たちからパスポートを預かり、まとめて入国審査の処理をしてもらっているようでした。



タイのムクダハンという町とラオスのサワナケットとの間に横たわるメコン川が両国の国境です。ここには日本の経済協力で作られたタイ・ラオス第二友好橋がかかっていて、インドシナ東西経済回廊の象徴的な役割を果たしています。ベイブリッジを思わせるような1.6kmの美しい橋をゆっくり渡ったラオスの入国処理で店主たちはひとつのトラブルに見舞われました。

サワナケットでの入国審査の時間が他の同様ツアーの人たちと違い、やけに長くかかっているのです。ツアーガイドのタイ人青年は重そうなリュックを背に、あちらのオフィスこちらのゲートと走り回っています。どうやら誰かの入国書類に不備があったようなのですがはっきりした説明もなく、店主たちはただ待たされるばかり。1時間ほど待たされて、橋はやっぱり正面から見るものではないと実感しきった頃、ようやくガイドの青年が参加者たちを集めました。
オーバーステイしていたアメリカ人のパスポートに不備があったというのです。なので彼はそのアメリカ人ともう一度ムクダハンに戻る。そこで書類を作ってもらってくるので、店主たちはタイの領事館で各自ビザの申請書類を作成、申請をしてくれというのです。私たちを案内するソンテウという軽自動車のバスの運転手が良く分かっているから大丈夫というのですが、当然店主たちは不安に駆られます。
とにかくソンテウ2台に分乗してタイの領事館に向かいました。
サワナケットはラオス第二の都市だと聞いていたのですが、国境から伸びたきれいな道路の両側には小さな民家が並ぶばかりで「都市」というイメージは全くありません。ゆったりとした田舎町という雰囲気です。サワナケットとは「天国に一番近い町」という意味らしいのですが、この意味をどのように解釈したらよいか…。

すし詰め状態で連れて行かれたタイの領事館は瀟洒な民家を改造したようなセンスの良い二階建ての建物でした。本当なら、申請書類などもガイドの青年がもらって配布してくれるのでしょうが、ソンテウの運転手は書類をもらってきて記入したら私のところに来てくださいというだけ。仕方なく各自申請窓口に行き申請書をもらってきましたがここでまた事件。
入国審査の時に預けておいたパスポートと写真を各参加者に渡される段になって、店主のパスポートがないのです!このときばかりはちょっと慌てました。
結局、ツアーに参加していた人が間違えて店主のパスポートをもっていってしまっていたことが判明。事なきを得たのですが、海外でのトラブルには相当慣れていて、いくつもの難関を回避して来た店主も、きっとこのときには顔色が変わっていたと思います。

チンタラしたタイ領事館スタッフの作業にイライラしつつも、一応無事申請が終了。店主たちはソンテウの運転手に促されて昼食のレストランに向かうことになりましたが、まだ例のアメリカ人はやってきません。心に安堵と、ちょっとだけの心配をかかえながらソンテウに押し込まれレストランに向かいました。

案内されたレストランはラオラオダーというところ。メコン川に面したオープンテラスというべきなのでしょう、そんなところに席が設えてあり、さっき渡ったタイ・ラオス友好橋も美しく見ることができます。店主たちの座った席の下ではメコン川で遊ぶ子供たちの姿も見える、とてものどかなレストランでした。
ただ、どうやらサワナケットには外国人が満足できるようなレストランはここしかないらしく、この日の夜、そして翌日の昼とここで食事をとることになるのです。それそれ違う内容の料理が出て、味もまあまあとはいうものの、これにはちょっと辟易してしまいました。
店主たちが、ようやくラオス産の「ラオビール」の力をかりて数名の同年齢の人たちと和みはじめたころ、ようやく例のアメリカ人がやってきました。聞けば、オーバーステイで店主たちとは別の窓口で出国処理をした際、押されるべきスタンプが押されていなかったとのことでした。
一応、一同ホッとして食事も終わり、コテージ風のホテルに入りました。これからはフリータイムです。
バンコクを出発する際、ナラカンのスタッフからラオスはものが安いからいろいろ買って来たらいいですよといわれたこともあり、1人で町を歩いたのですが、これが何もない。デパートどころかスーパーらしきものすらない。高い建物も一切ありません。これから発展が期待されているとはいうものの、タイとラオスの格差を実感しつつ、ラオビールを飲むしか時間をつぶす術もなく、時間は亀の歩みのようにゆっくりゆっくりと流れて行きました。

翌日も朝食後、出発まで何もすることがなくホテルの周囲をぶらぶらして時間をつぶし、ソンテウに乗せられてラオラオダーで洋風の食事をして、全員無事ビザが発給されたことを確認。そこから再び11時間近くバスに揺られながらバンコクについたのでした。ただ、来るときよりは参加者の方々とも懇意になっていたこともあり、お互いの経験など話しながらだったので、多少疲れは少なかったように思います。

今になって思うと、サワナケットのホテルの朝食で出たフランスパンの素朴なサンドイッチとタイのロイエという町の近くのレストランで食べたコームーヤーンという豚の喉の近くの肉を焼いたものが美味しかったことが良い記憶となって残っています。
メニューへ▲
バーツ高・ツアーにも影響は危機的状況 (2007/6/30)
1ヵ月半ほど日本で生活し、その堅苦しい空気から逃げ出すように、またバンコクにやってきました。
もう見慣れたスワンナプーム空港は、いつもと変わらぬ無愛想で、冷たい空気が漂っていましたが、そこに働くタイ人たちは相変わらず、大量の金を落としてゆくであろう客たちには、あの天国の微笑を投げかけてくれていました。
運悪く進行の遅い入国管理の列に並んでしまった店主は、隣の列に移ろうかと考えたり、それまで6時間近く乗っていたノースウェスト航空のサービスの悪さや、隣に座ったアメリカ人カップルの行儀の悪さなどを忘れようと努力し、あの「3月の悪夢」も思い起こしながら、その列の進むのを待っていました。そんな時、店主の後ろに並んでいる若い日本人女性たちの会話がふと耳に入ったのです。

彼女たちはどうやら初めてのタイ旅行のようで、パッケージツアーならではのジッパーつきのビニール袋から旅程表を取り出して、楽しくなるはずの今回の旅について話しているようでした。ちょっと聞き耳を立てたところ、どうやら彼女たちの話題はホテルの名前が変な名前だということで進行しているようです。
トンタラホテル。
日本人には滑稽に思えるその名前を何度も笑いながら復唱していました。
そういえば…
昨年末にバンコクにやってきた店主の友人たちのグループもこのホテルに泊まりました。そして、日本の出国管理でも前に並んだ、地方から来たのでしょう、ちょっとお年を召したグループの人たちもこのホテルの名前を口にしていました。どうやら、いまグループツアーではこのホテルが人気のようです。

トンタラホテルというのはチャオプラヤ川に面して建つ新しいホテルです。こう書くと、あの世界一のオリエンタルホテルやシャングリラなど名だたる有名ホテルと並んでいるように感じます。名前だって、正しくはトンタラリバービューホテルというくらいですからきっと良いホテルに違いない。そう思うのは当然でしょう。
ところが、このホテルは、オリエンタルやシャングリラとはサトーン通りという、名古屋の100m通りのような広い道を挟んで逆側。加えて、高架鉄道のシーロム線の終点、スパンタークシン(タークシン橋)駅からタクシーでなければ行けないほど遠いところにあります。はっきりいってたいへん不便な場所です。ちなみにオリエンタルホテルやシャングリラは徒歩5分以内です。
それに、サトーン通りの南側というのは、店主の知る限りでは、最近再開発された地域です。最近ミレニアムヒルトンやモンティエンリバーサイドなど5つ星クラスのホテルが建ち始め、また対岸にはリバーサイドレストランなどタイ人にとっての人気スポットは並んでいるものの、始めてバンコクに来たとか、あまり旅慣れていない人にはあまり安心して歩けるエリアではありません。ここに泊まった友人たちも市の中心部・はシーロムというエリアからでさえ遠いこと、周辺の空気があまり安心できそうでないことを悔やんでいました。もちろん建物自体は新しく、アメニティーやサービスなども問題ないとはいっていましたが、タイに何度も来ている人たちの感想でさえこういう印象を持った場所にあります。

ではなぜこうした場所のホテルをパッケージツアーで用意するのでしょうか。
その理由は空港を出て、両替して分かりました。以前タイのバーツ高について触れました。
それが2月。
今6月になってもこの勢いは止まるところを知りません。遂にバンコク市内では1バーツ3.7円以上というところもあります。つい先だってバンコクに来た友達は日本でバーツに両替したら4円位だったといいます。
遂に旅行会社にもバーツ高の波が押し寄せたということかと思い至ったのです。今までの料金ではホテルのランクを下げざるを得なくなったということでしょう。
そういえば、空港で待っている旅行会社の出迎えの車にも変化がでているように感じます。
昨年初頭までは狭いドンムアン空港に大型のバスがドンドンドンと並んでいました。乗る客はたいして多いようにも見えないのに大型バスでした。ところが、最近ではミニバス、日本でいうとワンボックスのワゴンをよく目にします。これも経費を削減しているということなのかもしれません。

こうした状況を見て心配になるのは、観光客の安全です。実際、引ったくりや傷害の被害は確実に増えているといわれています。
そして、人気の海外旅行スポットといわれ、年間130万人以上の日本人が訪れるということに陰りがでることです。
日本と比べてタイは物価が安い。これは今も変わりません。でも、通貨の変動は、着実にそうした概念を少しづつ神話化させているように思われてなりません。

少し高額でも安全な場所に泊まる。
そのために自分自身でリサーチをする。
これは楽しい旅の原点だと思います。パッケージツアーでもホテルリクエストはできるはずです。旅の安全はやはり自分が確保しなくてはならないと思います。パッケージツアーだから安心という考えは捨てて、よりバンコクを楽しむために行動が楽で安全なホテルを利用するべきだと思います。
これからタイに旅行を計画している方、ご注意下さい。
有限会社 SECOND EFFORT
〒092-0824 東京都八王子市長房町450-53
TEL:042-661-8788
Mail:info@2eft.com
ページトップへ▲