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みかきもりの気ままに小倉百人一首

2016/4/11 薔薇の本数と百人一首

トロントたきのおと会ホームページに百人一首ならぬ「百ト一首」を徹底解説しており大変興味を引きました。
「百ト一首」は百人一首100首と新勅撰集101為家「たちのこす」の1首をあわせた101首で成り立っており、
百人秀歌101首のように実は百人一首も101首だったという仮説を立てて、その論証を行っております。
さらには「百ト一首かるた」の遊び方も提唱しております。
それをきっかけとして、101という数字にどのような意味があるのかを検索して調べているうちに、中国の
バレンタインデーでは薔薇を贈る本数にも意味があるのを知りました。
その薔薇の本数の意味をざっと見ていると、百人一首とつながっている感じを受けました。
薔薇の本数とその意味がどのようにして対応づけられたのかは定かではありませんが、何らかの中国の
古籍が背景にあって、それを定家も知っていたように思います。

百人一首No. 作者 薔薇の本数の意味
新华网(2012/2/13 慧聪网)
日本語訳 コメント
1天智天皇秋の田のかりほの庵のとまをあらみ
わがころもでは露にぬれつつ
1本)我的心中只有你 ONLY YOU!私の心の中はあなただけです ONLY YOU!
2持統天皇春過ぎて夏来にけらし白妙の
衣ほすてふ天の香具山
2本)这世界只有我俩!この世界は私たち2人だけです [みかきもり]
持統天皇は天武天皇といっしょに夢見た世界を天武天皇が崩御した後も一つ一つ形にしてきました。
天武天皇が亡くなった時の持統天皇の「やすみしし」の歌では「荒妙の衣の袖は干る時もなし」と歌われました。
「春過ぎて」の歌では「白妙の衣干したり」と歌われ、時間の流れを感じます。
藤原京遷都という大きな事業を成し遂げた後のある時に、持統天皇は天武天皇を想って感慨深く「春過ぎて」の歌を詠んだと感じられます。
【参考】みかきもりの気ままに小倉百人一首 「春過ぎて」
3柿本人麿あしびきの山鳥の尾のしだり尾の
ながながし夜をひとりかも寝む
3本)我爱你 I LOVE YOU!私はあなたを愛します I LOVE YOU! [みかきもり]
後鳥羽院は九十歳となった俊成(法名:釈阿)の祝賀の歌会を催し、柿本人麿「あしびきの」を本歌取りした「さくら咲く」の歌を詠みました。
この「あしびきの」の歌が百人一首に選ばれているところに、定家の俊成や後鳥羽院への想いが感じられます。
【参考】みかきもりの気ままに小倉百人一首 歌の聖「あしびきの」
4山部赤人田子の浦にうち出でて見れば白妙の
富士の高嶺に雪は降りつつ
4本)至死不渝!死ぬまで変わりません [みかきもり]
「田子の浦に」は、富士山を詠んだ歌です。
竹取物語は、帝がその山の頂でかぐや姫の手紙や不死の薬を燃やし、その煙がいまだ雲の中に立ち上っていると、その愛の永遠を示唆して終わっています。
【参考】みかきもりの気ままに小倉百人一首 「なげけとて」
5猿丸大夫奥山に紅葉踏み分け鳴く鹿の
声聞く時ぞ秋は悲しき
5本)由衷欣赏!心から楽しんでいます [みかきもり]
「奥山に」の歌は猿丸大夫が宇都宮明神(二荒山神社)になったいわれが連想され、二荒山神社の社家が宇都宮氏です。
嵯峨野の別荘のために定家に色紙和歌を依頼した宇都宮頼綱(蓮生)は初代藤原宗円から数えて5代目で、歌番号5とつながります。
色紙和歌を依頼した宇都宮頼綱に対する定家の感謝も感じられます。
【参考】みかきもりの気ままに小倉百人一首 六歌仙と猿丸大夫
6中納言家持かささぎの渡せる橋に置く霜の
白きを見れば夜ぞ更けにける
6本)互敬 互爱 互谅!互いに敬い 互いに愛し 互いに許す
7阿倍仲麻呂天の原ふりさけ見れば春日なる
三笠の山に出でし月かも
7本)我偷偷地爱著你!私はひそかにあなたを愛しています [みかきもり]
藤原清河ら遣唐使一行は阿倍仲麻呂を伴い帰国の途につきます。
唐が鑑真の出国を禁じたため、大使藤原清河は鑑真一行の乗船を拒否しますが、副使の大伴古麻呂が独断?で鑑真を自身の船にひそかに乗せます。
暴風により藤原清河と阿倍仲麻呂の乗る第一船は唐南方の驩州(ベトナム)に漂着しますが、 大伴古麻呂と鑑真、普照の乗る第二船はもちこたえます。
そして鑑真を乗せた第二船は薩摩の秋妻屋浦(坊津)に着きます。
唐に出国を禁じられた鑑真の日本への想いと日本の鑑真への想いが感じられます。
【参考】みかきもりの気ままに小倉百人一首 3人の遣唐使
8喜撰法師わが庵は都のたつみしかぞ住む
世をうぢ山と人はいふなり
8本)感谢你的关怀扶持及鼓励!あなたのお気遣い、援助、激励に感謝します
9小野小町花の色は移りにけりないたづらに
わが身世にふるながめせし間に
9本)长久 ALWAYS!いつまでも ALWAYS! [みかきもり]
中国語で九(jiǔ)は久(jiǔ)と同じ音で「九」は「久」に通じるとともに最大の奇数(吉数)の文字で幸運の数字です。
また9という数字は、平方数「9 = 32」であり、1から2までの立方数の和(= 2番目の三角数の平方)「9 = 13 + 23 = (1 + 2)2」で、数字の美しさが感じられます。
小野小町の美しさと吉子の名前に掛けて百人一首の9番に小野小町を据えたように感じられます。
【参考】みかきもりの気ままに小倉百人一首 美しい数字「小野小町」
10蝉丸これやこの行くも帰るも別れては
知るも知らぬも逢坂の関
10本)十全十美 无懈可击!完璧です、非の打ちどころがありません [みかきもり]
百人一首100首の中で唯一濁音のない歌が、「これやこの」の歌です。
「行く・帰る」「知る・知らぬ」「別れ・逢う」の対語がリズミカルに並んで、逢坂の関を人が行き交う様子が感じられ、 琵琶の名手の歌らしい美しい調べの歌です。
【参考】みかきもりの気ままに小倉百人一首 美しい調べ「これやこの」
11参議篁わたの原八十島かけて漕ぎ出でぬと
人には告げよ海人の釣舟
11本)最爱 只在乎你一人!あなた一人だけを気にかけて最も愛します
12僧正遍昭天つ風雲の通ひ路吹きとぢよ
をとめの姿しばしとどめむ
12本)对你的爱与日俱增!あなたへの愛が日を増して強くなります
13陽成院筑波嶺の峰より落つるみなの川
恋ぞつもりて淵となりぬる
13本)友谊长存!友情よ永遠にあれ!
14河原左大臣陸奥のしのぶもぢずり誰ゆゑに
乱れそめにしわれならなくに
14本)骄傲!誇りです
15光孝天皇君がため春の野に出でて若菜つむ
わが衣手に雪は降りつつ
15本)对你感到歉意I'M SORRY!あなたにすまないと感じています I'M SORRY! [みかきもり]
光孝天皇は、陽成天皇を退位させ自分を天皇にした藤原基経に大政を委任し、自らの皇子を臣籍に下ろしています。
陽成院や臣籍に下ろした自らの皇子に対してすまないと感じる光孝天皇の気持ちが伝わってきます。
【参考】みかきもりの気ままに小倉百人一首 8人の天皇
16中納言行平立ち別れいなばの山の峰に生ふる
まつとし聞かば今帰り来む
16本)多变不安的爱情!変化が多くて落ち着かない愛情
17在原業平朝臣ちはやぶる神代も聞かず龍田川
からくれなゐに水くくるとは
17本)绝望无可挽回的爱!取り戻すことのできない愛に絶望する [みかきもり]
在原業平と藤原高子は藤原高子の入内前に恋愛関係があったといわれます。
「ちはやぶる」は、業平が清和天皇の女御となった藤原高子(二条后)に求められて詠んだ歌です。
【参考】みかきもりの気ままに小倉百人一首 「ちはやぶる」
【参考】みかきもりの気ままに小倉百人一首 「ちはやぶる」Part2
18藤原敏行朝臣住の江の岸に寄る波よるさへや
夢の通ひ路人目よくらむ
18本)真诚与坦白!真心と告白
19伊勢難波潟短き蘆のふしの間も
逢はでこのよを過ぐしてよとや
19本)忍耐与期待!忍耐と期待
20元良親王わびぬれば今はた同じ難波なる
みをつくしても逢はむとぞ思ふ
20本)我仅一颗赤诚的心!私は赤誠の心一つだけです
21素性法師今来むといひしばかりに長月の
有明の月を待ち出でつるかな
21本)真诚的爱!真心の愛
22文屋康秀吹くからに秋の草木のしをるれば
むべ山風をあらしといふらむ
22本)祝你好运!あなたの好運を祈ります
25三条右大臣名にし負はば逢坂山のさねかづら
人に知られでくるよしもがな
25本)祝你幸福!あなたの幸福を祈ります
30壬生忠岑有明のつれなく見えし別れより
暁ばかり憂きものはなし
30本)信是有缘!これがご縁であると信じます [みかきもり]
源氏物語第2帖「帚木」(光源氏17歳)では、光源氏と空蝉の出逢いと別れが描かれ、そこに有明の月が描写されています。
源氏物語第16帖「関屋」(光源氏29歳)では、常陸介(元伊予介)が任期を終えて妻空蝉と共に戻って逢坂の関を越える日と、光源氏が石山寺へ参詣する日が偶然にも重なり、 再会を知って光源氏と空蝉は直接逢えないながらも昔を思い出します。
【参考】みかきもりの気ままに小倉百人一首 暁風残月「有明の」
36清原深養父夏の夜はまだ宵ながら明けぬるを
雲のいづくに月宿るらむ
36本)浪漫!ロマンです [みかきもり]
36は6x6です。中国語で六(líu)は急流を意味する溜(líu)と同じ音です。
浪漫の浪は「あちこちぶらつく」、漫は「あふれ出る、とらわれない、気ままな」という意です。
「夏の夜は」は、急流のように時が過ぎていく夏の短い夜は月が気ままにさすらって雲のどこかに宿をとっているのだろうなあと詠んだ歌に感じられます。
40平兼盛忍ぶれど色に出でにけり我が恋は
物や思ふと人の問ふまで
40本)誓死不渝的爱情!変わらぬ愛情を命をかけて誓います
50藤原義孝君がため惜しからざりし命さへ
長くもがなと思ひけるかな
50本)邂逅不期而遇!偶然の巡り逢い
66大僧正行尊もろともにあはれと思へ山桜
花よりほかに知る人もなし
66本)细水常流細い水でも留まることなく常に先へ向かって流れています [みかきもり]
中国語で六(líu)と流(liú)は似た音です。
「もろともに」は、行尊が熊野から葛城・大峰を経て吉野に至る入山で、大峰にて思いがけず山桜の花の咲いているのを見て詠んだ歌です。
盛りを過ぎても嵐に身をまかせ風に吹き折れてもこうして蕾をつけて花を咲かせている山桜に、一人で修業をしている行尊が共感したものです。
そこには細水常流の心があります。
88皇嘉門院別当難波江の蘆のかりねのひとよゆゑ
みをつくしてや恋ひわたるべき
88本)用心弥补(足りないところは)補うように努力します
99後鳥羽院人もをし人もうらめしあぢきなく
世を思ふゆゑに物思ふ身は
99本)天长地久 FOREVER!永久に変わらない FOREVER! [みかきもり]
百人一首の 96入道前太政大臣「花さそふ」、97藤原定家「来ぬ人を」、98藤原家隆「風そよぐ」、99後鳥羽院「人もをし」、100順徳院「ももしきや」に対し、 百人秀歌では 99藤原家隆「風そよぐ」、100藤原定家「来ぬ人を」、101入道前太政大臣「花さそふ」の順序となっており、後鳥羽院、順徳院の歌はありません。

秀歌を多く詠んで定家と並び称された藤原家隆、歌壇の第一人者の藤原定家、定家の義弟で朝廷の実権を握った入道前太政大臣(西園寺公経)が 百人秀歌で99、100、101となっているのは、家隆の歌の素晴らしさ、定家の自負、公経への敬意を感じます。

一方で百人一首で順序が96、97、98と逆になっているのは99後鳥羽院との距離感を感じます。
96入道前太政大臣(西園寺公経)は99後鳥羽院と敵対した鎌倉幕府と親しくしたことで昇進しました。
98家隆は99後鳥羽院が隠岐へ流された後も和歌の交流を行っています。
99後鳥羽院は和歌で定家の父俊成に師事し97定家を理解した存在で歌人としても大変才能を持っており、99後鳥羽院の子の100順徳院は和歌で97定家に師事して定家にとって愛弟子です。
しかし97定家は、99後鳥羽院の起こした承久の乱には距離を置き、96公経の姉を妻として為家をもうけています。 また為家は96公経の猶子となっています。97定家は99後鳥羽院と96公経との間で微妙な立場です。
百人一首の歌番号に後鳥羽院の存在感が感じられます。
【参考】みかきもりの気ままに小倉百人一首 8人の天皇

百人一首の 93鎌倉右大臣(源実朝)「世の中は」、96入道前太政大臣「花さそふ」、97藤原定家「来ぬ人を」、98藤原家隆「風そよぐ」は定家が単独で選んだ新勅撰集からのものです。
為家の勅撰集初出の歌はこの新勅撰集の101番です。
百人秀歌の歌番号87俊成・100定家から、俊成・定家の和歌が後鳥羽院・順徳院の時代の中で花開いて完結したことを感じます。
新勅撰集の歌番号101為家から、為家に新たな1歩を踏み出して新たな御子左家の時代を築き上げていってほしいという定家の願いを感じます。 為家は定家が亡くなった仁治2年(1241年)に定家を越える権大納言にまで昇っています。
100順徳院ももしきや古き軒端のしのぶにも
なほあまりある昔なりけり
100本)百分之百的爱 100% LOVE!100%の愛 100% LOVE
96,
百人秀歌101
入道前太政大臣花さそふ嵐の庭の雪ならで
ふりゆくものはわが身なりけり
101本)最……最爱!最も……最も愛します
新勅撰集101藤原為家たちのこす梢も見えず山桜
はなのあたりにかかる白雲
108本)求 婚!プロポーズします
144本)爱你生生世世現世来世何度生まれ変わってもあなたを愛す
365本)天天想你毎日あなたを想っています
999本)天长地久永久に変わらない
1001本)直到永远永遠にずっと続く

■参考文献
・デイリーコンサイス中日・日中辞典(第3版) 杉本 達夫、牧田 英二、古屋 昭弘  (三省堂)
・百人一首 全訳注              有吉 保              (講談社学術文庫)
・全訳古語辞典(第二版)           宮腰 賢、桜井 満          (旺文社)

■参考URL
・トロントたきのおと会北京メディアウオッチ@東京[ブログ]藤田康介公式ウェブサイト「細水長流」Wikipedia 帚木 (源氏物語)Wikipedia 空蝉 (源氏物語)Wikipedia 関屋 (源氏物語)源氏物語の世界 再編集版Wikipedia 藤原家隆 (従二位)Wikipedia 藤原定家Wikipedia 西園寺公経Wikipedia 藤原為家千人万首 藤原家隆千人万首 藤原定家千人万首 西園寺公経千人万首 藤原為家国際日本文化研究センター和歌データベース 新勅撰集

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