芹沢氏の生涯を簡単に年代順で追っています。作品とも相互リンクしていますので参考にしてください。

西暦 和暦 月日 年齢 記事
1946年 昭和21 1月 50歳 上京し広尾の茶室に仮宿。3月、世田谷区三宿の借家に移転。
5月、父常晴75歳で他界。この3年前より書き始められた『懺悔紀』が9月に発刊されて追悼作となった。『戦災者』などの連作で戦後の姿を描いている。
1947年 昭和22   51歳 『故国』『哀愁記』
1948年 昭和23 9月 52歳 義父藍川清成が他界。喘息にかかる。『閉された扉』『死者との対話』など意欲作を発表。
1949年 昭和24   53歳 『乳房』『星空』
1950年 昭和25   54歳 『教祖様』の執筆を開始。『春の谷間』『死の影を見つめて-広島の記』
1951年 昭和26 5月 55歳 ローザンヌの世界ペンクラブ大会に出席。レーザンを再訪し、デュマレ博士に再会。7月からはフランスに滞在。9月、ローマ法王ピオ12世に謁見。『再びブルジョアの日に』『新しいパリ』
1952年 昭和27   56歳 『一つの世界―サムライの末裔―』
1953年 昭和28 9月 57歳 初のフランス語訳『巴里に死す』をロベール・ラフォン社より刊行。この後『一つの世界―サムライの末裔―』 『アイダ夫人』(巴里夫人)など次々と仏訳化。
1954年 昭和29   58歳 国語審議会委員、日本文芸家協会理事渉外委員長を努める。3女がフランスに留学。『怒りに胸はふるえて』
1955年 昭和30   59歳 『麓の景色』『愛と死の蔭に』
1956年 昭和31   60歳 『パリ留学生』『高原の出来事』
1957年 昭和32 6月 61歳 9月に開催される世界ペンの東京大会のために中野の焼け跡に自宅を新築。スウェーデンアカデミーよりノーベル文学賞候補に挙げられる。4女がフランスの友に連れられて留学。
1958年 昭和33   62歳 『マリア観音』
1959年 昭和34 1月 63歳 フランス友好国際大賞受賞(『友好国際賞と娘』)。7月、フランクフルトでの世界ペン大会に出席。
12月、8年間書き続けた『教祖様』を刊行。『坂の上の家』
1960年 昭和35   64歳 『フランスの友へ』を書いてサハラでの核実験を非難したために勲章を受け損なう。『告別』
1961年 昭和36 3月 65歳 アジア・アフリカ作家会議に中国の巴金、老舎が来日。11月、巴金に捧げた『愛と知と悲しみと』を刊行。『きいろい地球』
1962年 昭和37 6月 66歳 ソビエト・ロシア作家同盟から招待され訪ソ。7月、『人間の運命』第1巻『父と子』を刊行。
1963年 昭和38 3月 67歳 我入道に風に鳴る碑が建立される。
1964年 昭和39 9月 68歳 『人間の運命』第6巻『結婚』にて第一部完了。
1965年 昭和40 5月 69歳 『人間の運命』(1部6巻)が芸術選奨文部大臣賞受賞。10月、日本ペンクラブ会長に就任。
1966年 昭和41   70歳 『人間の運命』の合間を縫って、随筆集『こころの窓』を発表。
1967年 昭和42   71歳 『人間の運命』第2部が完了。随筆集『人生について・結婚について』を発表。
1968年 昭和43 4月 72歳 多年ユネスコ運動に尽力した功績により、勲三等瑞宝賞を授与される。11月、『人間の運命』最終巻『再会』を刊行。
1969年 昭和44 2月 73歳 スウェーデンアカデミーよりノーベル文学賞推薦委員に選ばれる。6月、芸術院賞受賞。『われに背くとも』
1970年 昭和45 5月 74歳 我入道に芹沢文学館が開設される。4/18に中山みきが枕元に立つ。12月、日本芸術院会員に選出。
1971年 昭和46   75歳 この頃の発表は随筆ばかりで、小説の創作がめっきり少なくなる。
1972年 昭和47 1月 76歳 長女万里子他界。5月、日本文化研究国際会議の出席要請のためにフランス、ソ連、韓国を訪問。『遠ざかった明日』
1973年 昭和48   77歳 発表はすべて随筆(未確認)。
1974年 昭和49 9月 78歳 日仏文化交流の功労者としてコマンドール章を贈られる。『人間の運命』の序章『海に鳴る碑』刊行。これで『人間の運命』が完結した。
1975年 昭和50   79歳 『レマン湖のほとり』
1976年 昭和51   80歳 『狭き門より』
1977年 昭和52   81歳 発表はすべて随筆(未確認)。
1978年 昭和53   82歳 『死の扉の前で』
1979年 昭和54   83歳 発表はすべて随筆(未確認)。
1980年 昭和55 2月 84歳 沼津市名誉市民章を贈られる。
1981年 昭和56   85歳 『愛の影は長く』
1982年 昭和57 2月 86歳 妻金江79歳で他界。半身を無くしたように創作も休止。8月、我入道浜に新文学碑が建立される。『こころの波』刊行。
1983年 昭和58   87歳 『晩年の朝夕』を最後に随筆もやむ(未確認)。
1984年 昭和59   88歳 創作無し(未確認)。
1985年 昭和60   89歳 『わが青春』で随筆を再開。
1986年 昭和61 7月 90歳 『愛の影は長く』以来5年3ヶ月ぶりの新作『神の微笑』を刊行。以後毎年1冊の書き下ろし小説を発表。
1993年 平成5 3月23日 96歳 老衰により他界。旅立つ直前まで普段通り原稿を書いていた。4月6日、青山斎場にて無宗教によるお別れの会。7月、最後の作品となる『天の調べ』刊行。
1995年 平成7 10月   新潮社より代表作と現在入手が困難な作品を集めた『芹沢光治良文学館①命ある日』を刊行。この作品集には『天の調べ』に続く執筆途中の遺稿が掲載された。以後隔月で全12巻を発行。

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