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タイの上手な旅の仕方の基礎知識

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恩師との出会いは立ち話から
はじめて挑んだサントリーオープン
運命の出合い…この人が恩師となるとは
恩師がくれた最初のパンチ
あっさりしすぎた採用面接

恩師との出会いは立ち話から
テレビの世界に入って4年。
その内『11PM』での仕事も3年になろうとしていた。
その頃にはある程度の画作りも分かるようになり、ロケ部分のディレクターなども任されるようになっていた。

そんな夏のある日。
局内の廊下でテレハウスという制作会社の鈴木純社長から声をかけられた。
仕事を頼みたいというありがたい話だった。
即座に「やらせてください!」と答えたものの、立ち話もなんだからということで時間と場所を変えてゆっくり内容を聞くことになった。

それは『サントリーオープン・プロアマ』という60分のゴルフの番組で、その全体のディレクターをしてみないかということだった。
一瞬、またゴルフか…と思ったが、若い駆け出しテレビ屋にとっては夢のような話だ。
もちろん、イベントを含めた全体の演出者がいて、鈴木氏もサポートしてくれるのだが、実質的には私がディレクターとして番組を作らせてくれるという。
ただ、何より大切なのは、総合演出の意図するところを撮り漏らさないということだと厳しくいわれた。
その人は日本テレビで一時代を作った人で、サントリーからの信頼が厚く、番組の内容については並外れて厳しい人だということだった。

そんな話を聞かされて、60分番組のディレクターになれると浮かれていた私の頭も少し冷静さを取り戻してきた。

11PMのせいぜいロケ部分を任せてもらえるようになった程度の自分がそんな大役をこなせるだろうか。
制作や技術など、直接番組にかかわるスタッフだけでも約50名もいて、その全てをコントロールすることができるだろうか。
そして、なにより総合演出がだす要求に応えるものが作れるか。
いくつもの不安が頭をもたげてきた。
とはいえ、こんなチャンスをみすみす見逃す手はない。
なるようになれとまずは最初の制作会議に臨むことにした。

こんな風にして、この後20年間付き合うことになるサントリーオープンと、これ以外にも多くの経験をさせていただいたサントリーとの本格的な付き合いが始まった。

そして、何よりその総合演出者が私のテレビ屋として、また演出屋として大きな影響を与えることになるのだった。
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はじめて挑んだサントリーオープン
テレビの世界に飛び込んで4年目。
私がディレクターとして一本立ちした番組は『サントリーオープン・プロアマ』というゴルフ番組だった。

それは日本のゴルフ界でプロアマ競技の草分けとなったものだ。
その模様を、あの頃は60分の番組にして放送していた。
ENGというハンディーの収録カメラ4台を中心として、中継車も含めた取材体制を組んで収録。
中継車は主に16番ショートホールのニアピンコンテストを収録し、ENGがプロゴルファーと芸能人の各ホールでの奮闘ぶりを撮影する。
当然のことながら、プロのスーパープレーよりはアマチュアの珍プレーに主眼を置いていた。

当初、私は4つのコンセプトをたてた。
それらは、会場となっていた習志野CCの、普段中継では見られないホールを視聴者に見せる。
トップシングルの芸能人にはプロに負けない好プレーを、アベレージレベルの芸能人には笑いを生み出す珍プレーを。
また、プロがアマチュアをレッスンする場面を盛り込む。
そして優勝の瞬間は絶対撮るというものだった。
これに、開会式、チャリティーオークション、表彰式などという要素が加わってくる。

そんな私のプランに、フルショットガン方式という18ホール全部からスタートする大会のルールが大きく障害として立ちふさがった。
思ったホールに見せたい人たちがいないのだ。
行き当たりばったりで珍プレーが撮れるわけはない。

そこで、ENGを2台1組として2組に分けた。
そして、時間とプレーの流れを予測して、好プレーや珍プレーが起きやすいホールにENGを向かわせるようにしたのだ。
例えば、6番ホールではジャンボ尾崎組から後の3組まで撮影して、その後14番ホールに移動、というようにホールの特徴を考慮して撮影ホールとチームを決めた。
これはフルショットガン方式を取材する際の雛形として、一部で小俣式といわれたこともあった。
私の数少ない自慢だ。

ところが、三日かかってようやく作り上げたこのシフトが、総合演出からの要求でまた一から作り直さなければならなくなる。
その要求は、芸能人とはいえ真剣にプレーするつもりできている人たちにはとてもいいにくいものだった。
そして何よりゴルフの試合という枠を超えていた。
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運命の出合い…この人が恩師となるとは
私のデビュー作となる『サントリーオープン・プロアマ』は日本で最初にはじまった、プロのトーナメントの前日に行われるプロとアマチュアのチーム戦だ。
芸能人やスポーツ人たちが参加してお祭的要素が強いとはいえ、団体優勝、プロ個人優勝などの表彰もあり競技としての性格は保っている。

私は出場する芸能人たちの好プレー珍プレーを逃さないため、独自の取材シフトを考え出して番組に挑もうとしていた。
これならおもしろいプレーが撮れるはずだ、と確信していた。

そうした準備に自信を持って最終の制作会議に臨んだ。
その席に総合演出としてちょっとオシャレな印象の人がいた。
秋元近史という、テレビ創生期の名番組『シャボン玉ホリデー』を作り上げた人だった。

制作会議とはいえ、実はイベントの進行も含めて秋元氏へのプレゼンテーションのようなものだった。
私は番組の方向性や内容について説明をはじめた。
当初黙って聞いていた秋元氏が、急に口を挟んできた。
「誰の、どのホールのプレーを見せるかは問題じゃないんだ。誰がどんなことをするかが大切なんだよ。」
そういった秋元氏が例に出したのは、細川たかしがバンカーショットをミスして一言、「あ〜、失敗!」といえばおもしろいだろうというものだった。
確かに、その頃細川さんは塩の粒が入った歯磨きのCMで話題になっていた。
その決め台詞が「あ〜、しょっぱい!」というものだった。

私は唸った。
細川たかしさんが果たしてバンカーに入れて、なおかつミスショットをするだろうか。
また失敗した際に必ず「あ〜、失敗!」というように頼めるだろうか。
しかもそこに我々撮影スタッフがいなければいけない。
それは絶望的に低い可能性だった。

私は率直にそのことを秋元氏に質問した。
それに対する秋元氏の答えは簡単だった。
「やらせりゃいいんだよ」。

私は言葉を失った。
そしてどうしたらよいか、思いをめぐらした。
でも即座には答えは出なかった。
プロアマとはいえ、真剣に競技をしていて、ギャラリーもいる。
そんな中でこんなことをしてもよいのか。
その頃は「やらせ演出」などという言葉はなかったが、この要求は演出というにはその枠を超えているように思えた。
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恩師がくれた最初のパンチ
私の本格的なディレクターとしてのデビュー作『サントリーオープン・プロアマ』は、あの『シャボン玉ホリデー』の演出家として知られる秋元近史氏が総合演出として全てを取り仕切っていた。

その秋元氏からプロアマ競技開催まであと2日というところで難問を突きつけられた。
その頃に流行っていた細川たかしさんのCMでの決め言葉「あ〜、しょっぱい!」を、彼がバンカーショットをミスした時に「あ〜、失敗!」といわせろというのだ。
その他にも出場している芸能人にそれぞれ持ち味を生かしたことをやらせろという。

私の頭の中では過剰としか考えられない演出だった。
戸惑った。
すべて演出による演技を出場者に望み、おもしろさだけを追求しなくてはならないのか。
だとしたらスポーツ局が作るゴルフ番組というカテゴリーからはみ出してしまう。
私は芸能人たちの好プレーや珍プレーが起きるはずのホールに確実に網を張っている自信があったがそれではダメだという。

しかし、総合演出という立場以上に秋元近史という人のバリューから、その発言に周りからNOという声は出なかった。
この案はやらなければならなくなった。

本番当日、致し方なく私は別のチームにこれを託した。
それも一番ギャラリーが少ないはずの12番ホールのグリーンサイドで撮影することにした。
競技としてはホールアウトした後、テレビ用にということでネタを披露してもらう事にしたのだ。

後から聞いたところでは、細川さんは「ホールアウトした後ならば」と、シブシブながら了解してくれたという。
ただ、だったらなぜギャラリーの多い18番ホールではないのかともいわれたそうだ。

編集の際にその模様を見て驚いた。
細川さんの演技もさることながら、その場にいた数少ないギャラリーたち、一緒にプレーしている政財界の偉い人たちまで大笑いしている。
これがもし、18番ホールのグリーンサイドであったらどれほどの爆笑が取れたであろうか。

番組は内容的にはそこそこ褒められ、視聴率もよかった。
私のデビュー作は及第点をいただいた。

しかし、秋元氏の発想とこのエピソードは、『サントリーオープン・プロアマ』という番組を担当している間ずっと私の心の中に残り続けた。
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あっさりしすぎた採用面接
『11PM』を担当してまる4年が過ぎようとしていたとき、我々社外スタッフには大きな変動が起ころうとしていた。
日本テレビが常時局内で働くスタッフはどこかの会社に所属する者しか使わないという方針を出したのだ。
私たちはどこかの制作会社に所属するか、追い出されることになる。

そんな時、『サントリーオープン・プロアマ』という番組に私を抜擢してくれた、テレハウスという制作会社の鈴木純氏が助け舟を出してくれた。
彼の会社に所属しないかというのだ。
それまでもこの会社の仕事はいろいろさせてもらっていたし、正直悪い話ではないと思った。
でも、なぜか決断がつかなかった。

そんな折、日本テレビの子会社の日本テレビエンタープライズが『お昼のワイドショー』という番組の制作を請け負うことになり、ディレクターを探しているという噂を耳にした。

『お昼のワイドショー』という番組を担当するのは嫌だった。
だが、日本テレビの子会社に所属するということには強くひかれた。

私は鈴木氏に率直にそのことを話した。
すると、彼はいつもと同様軽い物言いで、その責任者を紹介してくれるという。
そしてすぐさま面接のためのアポイントをとってくれた。

鈴木氏と私は指定された日時に、当時新宿の日本テレビゴルフガーデンがあった敷地内のエンタープライズに面接に行った。

約束の時間から30分ほど遅れて「イヤーごめん、ごめん!」といいながら入ってきたのは『サントリーオープン』の時の、そして、あの『シャボン玉ホリデー』の秋元近史氏だった。

鈴木氏が簡単に私を紹介してくれている間、私の履歴書など全く見向きもせず、ただゴルフがうまいというときと、『サントリーオープン』の話の時にだけ反応してくれた。

鈴木氏の話が終わるのももどかしそうに、「『昼ワイド』をやることになっちゃって参ってんだよ」、といった。
私はすかさず「『昼ワイド』は勘弁してください。
できれば秋元さんの下で働かせてください。」といった。

秋元氏は「そう!いつから来れる?」
志望動機など通り一遍の質問は何もなく、それで採用が決まった。
これから一年ほどの短い間だったが、恩師と呼ばせていただくほど多くのことを学ばせてもらった。
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