始めに
意識の
存在 について、再考すべき時代になっています。
意識と
身体 の存在関係を問う「
心身問題*」の復活「
心脳問題*」です。
そもそも、身体や身体が対象にする
物質 存在は
場 の
相互作用 によって
実現 しています。
作用は変化と保存です。
このように、「物質存在は作用と表現の
二元 からなる」とするのが私の
解釈 です。
実態は意識が認識できない次元を異にする
不可知な存在です。
意識の内に閉じ込められた不可知論ではなく、認識の限界を認める不可知論です。
物質がどのような存在なのか、科学者を含め誰も知らないのですから。
世界は意識が受容する表現にとどまらず、互いの存在すべてからなる全体を表現しています。
存在の表現は相互作用に
媒介 され、
受容 されて次々伝わっています。
その一部分が脳の神経信号処理で意識としての表現になります。
意識は世界の存在表現の一部分を受容し、意識する世界を表現しています。
意識は身体経験の感覚と感情を受容し、身体経験に被せて世界を表現しています。
意識は意識された対象、意識できる対象しか意識できません。
人の意識は「粒子であり、波動でもある物質」、「離れていながら、もつれ合った粒子」等の表現を受容できません。
意識は自らが受容している表現世界を否定できません。
表現世界の存在否定は意識の自己否定になってしまいます。
このような私の存在解釈をここに展開します。
別に、ブログ風「どんさいの『
独白 』」があります。
* は外部リンクを示します。
信頼できるリンクをお互い張り合って、インターネット本来の姿を取り戻したいのです。
「ハイパー・テキスト・マークアップ・ランゲージ (html)」の「ハイパー」はリンクで実行されます。
始めたばかりですが、
年齢的に完成の目途も立ちません。
ですので、作業中ではありますが公開します。
出来ていないリンクもあります。
その際はブラウザーの「戻る(←)」で戻ってください。
index.
2024.08.23