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科学的認識の進展による

二元論の復活


始めに

意識 に関わる 科学 諸分野は、 脳神経活動の解明技術* によって急速に進展しています。
そんな中、「 意識は幻想でしかない *」と主張する科学者もいます。
しかし一方、量子力学* の解釈では「 人の観測によるる意識の介入で物理量が確定する* 」との主張もあります。
意識についての科学者の評価が真っ向から対立します。
また、「 人工知能に意識が生じるか* 」も問題にされています。
意識の 存在 について、再考すべき時代になっています。
意識と 身体からだ の存在関係を問う「心身問題*」の復活「心脳問題*」です。

そもそも、身体や身体が対象にする 物質 存在は 相互作用 によって 実現 しています。
相互作用は物質を 実態 として実現し、同時に 区別関係 とを 表現 しています。
このように、「物質存在は実態と表現の 二元 からなる」とするのが私の 解釈 です。
実態は意識が認識できない次元を異にする不可知な存在です。
意識の内に閉じ込められた不可知論ではなく、認識の限界を認める不可知論です。
物質がどのような存在なのか、科学者を含め誰も知らないのですから。

世界は意識が受容する表現にとどまらず、互いの存在すべてからなる全体を表現しています。
存在の表現は相互作用に 媒介 され、 受容 されて次々伝わっています。
その一部分が脳の神経信号処理で意識としての表現になります。
意識は世界の存在表現の一部分を受容し、意識する世界を表現しています。
意識は身体経験の感覚と感情を受容し、身体経験に被せて世界を表現しています。
意識は意識された対象、意識できる対象しか意識できません。
人の意識は「粒子であり、波動でもある物質」、「離れていながら、もつれ合った粒子」等の表現を受容できません。
意識は自らが受容している表現世界を否定できません。
表現世界の存在否定は意識の自己否定になってしまいます。

このような私の存在解釈をここに展開します。

続く  ・  索引


冊子版「 世界感から存在・認識・論理の世界観へ* 」もあります。
別に、ブログ風「どんさいの『 独白 』」があります。


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始めたばかりですが、
年齢的に完成の目途も立ちません。
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2023.11.01