2010年1月1日 counter:117938
ミレニアムからもう10年も経つのですね。2010年。今年はどんな年になるのか――
きょう届いた年賀状の中に、滅多に会えない友からの1枚がありました。彼女と知り合ったのは15年前。奈良の天河でのことでした。それから何度、行動を共にしたか、会える回数は少なくとも、魂の深いところで繋がっているような友です。
年賀状には、異国の子どもたちと笑顔で写っている写真、マウイの二重の虹、自然農(肥料も農薬も使わない農法)で採れた農作物の写真と、南アフリカで植林や菜園作りを行ったり、マウイでイルカと泳いだり、ごみを拾ったりと元気な様子が綴られていました。
彼女の生き様は、僕も元気だったら、行ったかもしれない生き方のような気がします。現に中国で植林をする団体に興味を持って、体は出せないが、頭で力になりたいと申し出たこともあるくらいで、こころは時に世界を飛んでいますから。
芹沢氏も、若き日にヨーロッパで過ごし、世界を相手にするような偉大な作家になりました。僕はこころを世界に飛ばすだけですが、今の若い世代のひとたちには、積極的に海外に目を向けて、大きな夢をつかんでほしいものです。
一昨年、昨年で始まった変革を受け、今年は育てていく年になるのではないかと思います。荒れた世相の中でも、確かなものをこころに持って、大自然と調和しながら、明るく生きていくことで、道は拓けていくのではないでしょうか。
厳しさはまだ続きそうですが、「あの頃が節目だった」とふり返るような時代に生きていることを実感しながら、我が家は感謝と微笑みで生きていきたいと思います。
3年連続で青空に浮かぶ正月の凧を掲載できる喜びの新年に――
今年もよろしくお願い致します。(管理人)
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2010年2月1日 counter:118576
寒波が来たり、春の陽気だったり、脱いだり着たりと忙しいこの頃ですが、僕の周りでは、日々がつつがなく過ぎているような気がします。先月は10年という単位を考えましたが、今月は100年という単位で未来を考えるとどうかというテーマで書いてみたいと思います。
手塚治虫のマンガだったでしょうか、未来都市を描いて、大気汚染で地上に住めなくて、皆が地下で生活しているという場面がありました。子ども心にそんなのは絶対嫌だと思った憶えがあります。日頃から野山を駆け回って、自然を愛していたからでしょう。
1900年、鉄道や自動車はありましたが、まだ人々は徒歩でどこへでも移動した時代です。驚くのは日本人の平均寿命で、約40歳でした。僕の年令でもう人生は終わっていたのです。人々は生まれた場所で、そのまま死を迎えているような時代でした。
2000年、人々は飛行機で自由に世界を行き来し、宇宙にさえ住居をつくろうとしています。インターネットにより、世界中の情報がリアルタイムで共有できる時代です。ただし環境破壊は進み、異常気象が世界を襲っています。日本人の寿命は約80歳に伸びました。
2100年、日本は、世界はどうなっているでしょうか。戦争、紛争は未だに世界から無くなる気配はなく、環境破壊は待ったなしの状態まで来ていると言います。多くの種類の動物が絶滅し、地形にも変化が起こっているかも知れません。
しかし、逆に希望的な未来を描くなら、世界からは争いが無くなり、人類最大の課題である貧困が消滅し、自然と共生し、誰もが生活のためではなく、目的を持って生きる時代になっているかも知れません。寿命は120歳でしょうか。
そうなるためには、現在のままでは間違いなく無理でしょう。汚職や不正が当たり前に横行する世界に、幸せな未来など見えてくるはずもありません。我を無くし、他のために生きられる人材を育成していかなければ……先は遠いですね。
先は遠いですが、そう考えられる仲間が1人でも増えることを祈っています。奉仕的精神の中にしか、明るい未来はないのではないでしょうか。それは難しいことではありません。誰もが少し自分に厳しくなって、他人に優しくなるだけで、世界はどんなに変わるか。
陰陽にはバランスがあるでしょうから、そのような精神を持った仲間が世界の2割、いや1割でも占めるようになれば、この地球はどれだけ変化するか。理想的な100年後を迎えるためにも、まずは10年後をその足がかりとして迎えたいものです。
2020年、各国の紛争は縮小し、多くの国で兵器が処分され、鉄鋼製品に再資源化された。富める国からの食糧供給、産業支援によって、貧しい国の貧困は解消された。世界は新たな時代を迎えつつある。そうここに書きたいものです。それまで生かされてあればですが。
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2010年3月1日 counter:119201
冬季オリンピックが終わり、さあ春だと気分も軽やかにいきたいところですが、先月と同様に寒暖の差が激しくて、そのうえ大きな地震が続いていて、天も地もまだまだ動いているのだなと感じています。今夜は満月ですね。
家人が入院していて、なかなか落ち着かない中でこれを書いています。いつもは看病される方ですが、逆の立場になって、良い経験ができたように思います。そんな呑気なことを言っていられるのも、家人の病状が安定して、退院も近いからですが。
以前、この欄でも書いた気がしますが、病院というのはこの世とあの世の中間にある、天国の入口のような不思議な空間だと思っていて、家人はそこで天と医師とに治療を受けて、この世に戻していただいたのだろうと考えるのです。
僕も何度かそんな経験をして、医師は今でも「生きているのがおかしなひとだから」と奇妙な顔で僕を見ます。そんな時、すぐそばで誰かが笑っているような、そんな気配を感じるのですが、やはり病院はこの世でない空間だからでしょうか。
チリの病院では、今、大勢のひとが天国の入口に立って、見えないものに、いのちを預け、その治療を受けていることしょう。一人でも多くのいのちが、まだこの世で果たすべき役割のために、帰ってこられるよう祈っています。
それにしてもチリでの被害は、ハイチほどは酷くならないと言います。地震の規模はチリの方が大きくても、元々地震の多い国であるために、防災意識が徹底しているからだそうです。備えあれば憂いなし。皆さんは充分に備えておられますでしょうか。
天国の入口に立つようなことがなければ、それが一番ですから。
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2010年4月1日 counter:119870
荒川の土手の千本桜が満開に咲いています。まだ寒い日が多くて、花見客も少ないようで、人混みに煩わされることもなく、ゆっくりとした歩調で、退院してきた家人のリハビリのように、その桜の木の下を歩いています。
点々とタンポポが黄色に彩る土手には、痩せた雀たちが、やっと春になったと土中のエサを啄んでいて、その光景がいちばん春らしいかもしれないと思いながら、辿り着いた中川の土手には菜の花が満開に咲いて、ああ自然には適わないと改めて気づきます。
混沌とした時代には、自分のやるべきことを、ただ淡々とやり続けることがいちばんだよと、教えられたように思ったからですが、最近は不景気の影響か仕事もなくて、もう一つの仕事の障害者ボランティアに精を出しています。
政治も経済も、どうも先の見えない不確定な要素の多い状態が続いています。中途半端になった後期高齢者医療制度や高速道路問題、普天間基地の移転問題など、それによって、何か地に足の着かない思いをしている方々も多いのではないでしょうか。
今年の天候は荒れるような気がしています。天地が荒れるのは自然の浄化です。世の中を見れば、確かにまだまだ浄化が必要なのでしょう。菜の花やタンポポと同様に「自分の仕事をしていますよ」と胸を張って言えるよう、今日も一日を過ごしたいと思います。
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2010年5月1日 counter:120474
芹沢氏の誕生月は藤の花の季節です。近所の藤棚は、今年は花のつきがよく、そばによるだけであの好い香りが漂ってきます。この藤とももう何年の付き合いになるか――そんなことを考えていると、生きていることがまた不思議に思えたりしますが。
先日訪ねてきた知人の子どもが知能の病気の疑いがあると、少し心配そうに告げました。家人は「身体が元気なだけでも」と身体の弱い彼女らしい言い分でしたが、親としては心配の絶えない日々ではないでしょうか。
先天性疾患を抱えて生まれてくる子を見るたびに、その子の業を思ったり、苦労の多いかも知れない人生に生まれる覚悟を思ったりしてしまいます。自分が先天性疾患で苦労をしてきたから、愚かに自分に結びつけてしまうのでしょう。
これは夢の話ですが、天国にいて、天使が僕を地上に連れて行き、誰か女性のお腹の中に入れました。不思議なことにお腹の中にいて、周りの景色が見えましたが、母親の目を通して見ているのでしょうか。どこか暑い国の洋風な家のようでした。
それからすぐに天国に戻されて「今見た家に生まれるか、それとも現世に戻るか」と天使に問われて、現世に戻ることを選んだのですが、無邪気な笑顔でひとり遊ぶその子を見ていて、その夢を思い出していたのです。
知人の家は裕福ですが、その子がその家を選んだのも、縁があったからでしょうが、金銭的に苦労がないから、家族が自分のことで苦労があっても、堪えてくれるだろうと思ったのだろうかと考えてみたり――実に愚かなことですが。
子育てについては、相談できる良い友人ができたからと、こちらの心配を思ってか、そう言い足しましたが、「君はどんな人生を生きるつもりなの」と、その小さないのちに問いかけながら、幸せに成長してほしいと、ただそれだけを願っています。
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2010年6月1日 counter:121139
アジサイが2、3日であっという間に大きくなって、梅雨の訪れを待つようですが、このところ急に寒くなったりして、天候の乱れはまだ続いているようです。都会人は余り気づかなくとも、田舎で農業を営む方々には気になる天気ではないでしょうか。
宮崎では口蹄疫問題で多くの牛や豚が殺処分される大変な事態になっていますが、世界を見ればメキシコでかつてない量の原油が流出して、海洋生物にはどれほどの影響があるか。こういった生態系の問題というのは、今気づかなくとも後々響いてくるのではないか――
普天間問題で鳩山総理を叩くことだけに執心している政治家とマスコミに踊らされて、日本のひとたちは、世界的な生態系の問題に意識が向いてなさすぎるのではないか――そう天の芹沢氏に問うてみたい気がします。
他にもアイスランドの火山噴火など自然災害だけでなく、北朝鮮問題、イスラエルの問題と世界情勢も緊迫してきているようです。尤も北朝鮮などは、代表が交代する時期のイベントのようでもありますが、ただ一歩間違えば戦争にならないとも言えず――
来月に出産を控えている友が新居を買って、身重の彼女と忙しいご主人の代わりに家具の購入を手伝ったり、パソコンのセッティングを手伝ったりしながら子育論を交わしていますが、この子が大人になる頃にはどんな世界になっているでしょうか。
今の10、20代の若者はどうも頼りなく見えて、まだ天にいる魂に「君たちに期待しているよ」なんて言うと「貴方たち世代が不甲斐ないからだ」と怒られそうです。確かにそんな子供たちを作ったのは、40、50代世代の社会に違いありませんね。
若いひとたちが夢を持てない時代だと言います。「好きなことを仕事にするといいよ」と昔の芹沢氏のように言うと「そうできるのは一握りの人間だけですよ」と諦めた答が返ってきます。そう答えられたら、先人たちはどう言うでしょうね。
「いつでも胸のうちの愛の火を消さないことだよ。どんな仕事に就いても、どうしたら皆が幸せになれるか、どうしたらこの世界が良くなっていくか、そう考えながらやっていけば、どんな仕事であれ、必ず上手くやっていけるからね」
僕はきっとまだ見ぬ子どもにそう話しかけるでしょう。子育ての難しいこの時代に、真に頼りになる子ども達を育てるにはどうすればいいか――それは今の世界情勢のように難しい問題でしょうが、楽しみな作業でもあるように思えます。
最後になりましたが、沼津の記念館で芹沢氏の写真展が8月末まで開催されています。また沼津では、昨年で一旦終了した愛読者による読書会が、新たなテーマで再開されたようです。お近くの方は一度参加されてみては如何でしょうか。
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2010年7月1日 counter:121702
サッカーのワールドカップが日本中を熱狂の渦に巻き込みましたが、日本が負けて、この後の試合を見るひとも少なくなるのでしょうね。選手たちは今夜帰国するようで、熱狂は試合から選手たちの歓迎へとシフトするのでしょう。
僕はサッカーより野球の方が好きで、試合を見るのもワールドカップくらいという関心の薄いファンなのですが、最初の試合を見て、ある選手に目を奪われました。試合が始まるまでは、サッカーファン以外には馴染みの薄かった本田という選手です。
2試合目になると、彼はもう日本中の期待を背負っていました。ここまでカリスマ性を持った選手は、今までの日本代表にはいなかったように思います。卓越したプレーと説得力のある発言が、人々を魅了したのでしょう。
こういう選手を見ていると、不可視の世界と、この現象の世界の関係が透けて見えるようで、楽しくなるのですが、その関係はあまり楽しくないことでも透けて見えるようで――そう言えばおわかりの方も多いでしょうが、大相撲のことです。
皇太子の娘、愛子さんが琴光喜を応援していることをご存じの方も多いと思います。彼女は今回の事件をどう思っているでしょうね。小学校2年生と言えば、もうそういう分別がつく年頃だと思いますが、残念に思っているのではないでしょうか。
どれほど多くの子どもたちが今回の事件に失望し、影響を受けているか。子どもというのは素直だから、本田選手のようにプラスとなる力を与えるものからも、相撲問題のようにマイナスとなる力を与えるものからも簡単に影響を受けるのですから。
本田選手と琴光喜の違いは、自分の役目を知っているか否かということでしょう。琴光喜が悪いということではなく、プロスポーツ選手という職業が果たすべき役割を教えてくれるひとがなかった。勿論それも自己責任ではありますが。
世界はもう何年も前から、膿を出す体質に変わっています。大自然の理に適わないものは表に晒され、変化を余儀なくされている時代です。相撲界には膿がたくさんありそうです。もし事業仕分けにでもかけられれば「廃止」「縮小」の対象に違いありません。
そんな相撲界でも、真面目にやっている力士もいる。どの世界でもそうですが、そのどちらに行くかは自分次第。こころを強く持って、自分の役目がわかる大人になってほしい――今回の件で失望している大勢の愛子さんに伝えたい言葉です。
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2010年8月1日 counter:122264
猛暑があるかと思えば、南米のように寒波が襲っている地域もある。自然の声を聴いているひとたちにはわかっていたことでしょうが、世界中の気候が荒れています。堪えることで、強く優しいこころが育っていけばいいなあと感じる季節です。
先月、友に初めての子供が産まれましたが、子育て論を聞いて、気になることがありました。夫の希望で空手かボクシングをやらせたいと言うのです。理由は殴られる痛みを知って、他人を傷つけない子になって欲しいからという思いでした。
友はピアニストで、何か音楽をやらせるのだろうと思っていたので、その言葉に驚きました。今の社会を見ていれば、子供たちが簡単にひとを傷つけてしまうニュースが溢れて、彼女の夫がそう考えるのも無理はないと思えますが――
武道というのは、まだ未成熟な人類の負の遺産ではないだろうか。暴力はいかなる形でも、ひとの役に立つことはないのではないか。普段からそう考えていたので、二人の考えに疑問を持ったのですが、それは口にしませんでした。
やさしいこころを持った友の子であれば、子は親を見て育つのだから、武道をさせなくても、日々の生活の中で、親が痛みを教えることでも十分ではないだろうか。家に帰るバスの中で、ずっと考えていたのですが、ふと思い付きました。
どんな考えの親に生まれるか、どう育てられるかも含めて、その子の経験していくすべてが、その子の持っている業なのであろう、と。そしてどう育てられても、最終的には自分の才能を発揮して生きていくのでしょう。芹沢氏や自分がそうであったように。
その道が幸いな道であれ――親でもない僕にできることは、そう祈ることだけでした。
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2010年9月1日 counter:122805
世界経済の停滞。パキスタンの洪水。ロシアの森林火災。何について書こうと考えていて、頭に浮かぶことに、一つも明るい話題がないことにおかしくなりました。自分の身体の調子が悪いから、そんなことしか思い浮かばないのだろうかと思ったのです。
体調が悪いというのが、医師にも判断できない体調の悪さで、これも気候変動の影響だろうか、いやそろそろお呼びがかかるのだろうなどと天を仰いでいますが、呑気な性格で、やはり自分のことよりも、この世界のことを考えるのです。
ここ数年、価値観の変化が求められる時代だと言い続けてきましたが、それを喚起するものが、経済だけの頃はまだ良かったですね。自然災害のスピード・規模は想像以上に凄まじいようです。2000万人が被災する洪水など想像もできないですから。
ただ天災など遭わなくとも、価値観を変える機会はいくらでもあるようで、僕とは逆に体調が良くなって、1年半休んでいた仕事を今日から再開した家人は、早速壁にぶつかって、自分を変える必要に迫られているようなのです。
話を聞いてみると、休みのことで雇い主ともめたそうで、二人の会話を聞いて、それは貴方の交渉術が間違っていると教えたのです。彼女は自分の立場を有利にするために、雇い主に曖昧な伝え方をしていたのでした。
「いいかい。交渉事というのは、まず自分の確固たる意見を、具体的に相手に伝えなければダメだよ。良く見せようとしたり、取り繕う必要はない。そんなことをしたら等身大でない貴方が相手に伝わって、後で苦労するだけからね」
教えたのはそれだけのことですが、彼女は「アナタは普通じゃないから」と反発するのです。そう言われれば、僕は普通じゃないかも知れない。そう気づきました。僕の周りでは揉め事がすぐに解決してしまうからです。
先日も少々タチの悪いひとが、凄い剣幕で怒鳴り込んできましたが、10分ほど話していると、相手の方が頭を下げていました。こちらは当たり前のことを当たり前に伝えただけですが、相手は自分の方が筋が通っていないと思ってくれたようです。
自分は随分浮世離れしてしまったのでしょうか。正なるこころで話をすれば、相手の立場も欲するところもわかって、揉め事が揉め事になる前に収まるというだけのことですが、それが普通でないと言われる世の中なのかも知れません。
正と正ならぶつかることはない。正と邪なら、ぶつかれば邪が折れる。それだけのことです。自分に邪なところがなければ、揉め事は起こらないのでしょう。正を貫かず、邪に身を投げる世の中だから、天災はいつまでも続くのかもしれません。
今月もまだ猛暑が続きます。猛暑の後に来るのはどのような季節でしょうか。こんな時期は動くよりも、じっくり正しいこころを養う方がいいのかもしれません。また芹沢作品を読み返してみたいと思います。皆様もお身体ご自愛ください。
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2010年10月1日 counter:123358
尖閣諸島問題。今はこれを置いては語ることもないほど、マスコミでは連日この問題を取り上げています。この問題に関しては、日本政府が苦しんでいる印象がありますが、実は中国当局の方が頭の痛い問題ではないでしょうか。
この月報でも、ここ数年ほどで何度か中国問題について取り上げ、この国の行く末をずっと注視していますが、今回の件も、過去の流れに沿っていることは間違いないようです。民主化を望む国民、共産主義を維持したい政府、相反する二つの流れ――。
中国政府の日本に対する強硬姿勢の後ろには、自国の国民への恐れが透けて見えます。政府の目の先にあるのは土地ではなく、国民なのでしょう。このまま行けば、旧ソ連のように崩壊してしまう末路が見えているのかもしれません。
日本の巡洋艦に体当たりした中国漁船の船長は英雄として迎えられましたが、長い歴史で見ると、実は民主化の英雄だったということもあり得ない話ではないですね。この問題を機に、再び中国が世界から孤立して、政府が倒れるということもあるかもしれないからです。
それはまだ飛躍した話だとしても、現在の中国国民が不幸であることは間違いありません。インターネットに検閲が入り、正しい情報も知ることが出来ない国。少数民族の不満を軍事力で抑え込む国。豊富な資源で隣国を脅かす大きくなりすぎた大国。
今回の件で、中国政府の対応、中国国民の反日感情に反発を持つ日本人も多いでしょう。ひとは攻撃を受ければ、自衛として相手を攻撃しようとする本能が働くものですから。ですが考えてみてください。争いはどちらかが矛を収めなければ止みませんね。
中国には遠からず変革の時期が訪れると思えます。お隣の北朝鮮と共に。それは領土問題など比べようもなく大きな歴史の1ページになることでしょう。日本人には長い目で見て、隣国中国国民の幸福な未来を願ってほしいと思います。
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2010年11月1日 counter:123883
いきなり寒波が来て、この時期としては記録的な寒さとのことですが、温暖化を感じ始めた頃から、この温暖化はただ気温上昇を招くのではなく、寒さも激しくするという声を聞いているようで、やはりそうだろうなという思いです。
奄美大島が大変な水害にあったのも、原因を求めればこの気象の変化によるのでしょうが、その気象の変化の原因は人心にあるわけで、ひとのこころがそう簡単に変わらないように、この気象ともしばらく付き合っていかなければならないのでしょう。
今朝のNHK「あさイチ」を見た方はご存じでしょうが、「ほめる」ということが、ひとにやる気を起こさせ、意外な力を発揮させるという特集でした。そんなことは当たり前で、当たり前なことがわからなくなっているのが現代だから、番組になるのでしょう。
ひと昔前の知恵のある大人たちは、ほめること、叱ること、その両方をうまく使って、子供をしつけていたのではないでしょうか。ほめること、叱ることの大切さ、、認めること、謝ることの大切さ。それは大人でも子供でも同じですね。
家庭には、喜怒哀楽があって、豊かな感性が育ちます。家庭内に会話があり、笑い声、叱る声の絶えない家にどんな子供が育つか。また会話のない家にどんな子供が育つか。自分の家庭を顧みれば、おそらくどなたでもわかることでしょう。
言葉は大切だ――
芹沢文学の原点とも言える考えですが、僕自身、日々の生活の中で、いつも感じ、振り返る言葉でもあります。愚痴や不平、不満ではなく、ほめること、愛すること、そんなやさしい思いを伝えるために、言葉は使いたいものです。
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2010年12月1日 counter:124413
今年もやっと終わりです。やっと――と言いたくなるほど世界情勢は緊迫した感があります。各国が自国の安定を図るために四苦八苦している中、アジアに何か大きな力が働いているのを感じるような気がします。
平和な生活に前触れもなく落とされた砲弾の前には、尖閣や北方領土の問題などお遊びのように他愛ないことに感じると言うのは言い過ぎでしょうか。亡くなった命の重さを考えれば、決して言い過ぎではないと思いますが。
戦争だけはいけない。何をやるのも許されているこの世界ですが、ひとの命を奪うのだけはいけないと切に思います。軍備を誇示することが戦争の抑止になると考える世界のリーダーもまだ子どものようなものでしょう。暴力を止められるのは理知のみではないでしょうか。
この世に生まれ来るひとに唯一共通のものがあります。それは生きるということ。生まれる環境、生きる目的、思想、その過程はひとの数だけありますが、誰もに同じように与えられる条件、それが生きるということです。生きる機会だけは奪われるべきものではない。
芹沢氏の弟子である梶川敦子さんの『生かされてあるいのち』を読みました。軽井沢の山荘で一度だけ、芹沢氏の娘さん、お孫さんと4人でお話できた日が夢のように思い出されます。本当に素敵な方で、この本にあるような苦労をされていたことは感じられませんでした。
物語の後半半分は、戦前から戦後までの苦しい時代を綴ったものです。主人公のアカネの生き方は決して誉められるようなものではないけれど、生きるのだというバイタリティにはただ頭が下がります。このバイタリティがあの素敵な人柄を創られたのでしょう。
作者は「人間に生まれさせてもらってよかった」と作品を締めています。その苦難の一生の本当の苦しみを知るのは当人だけでしょうが、その方が最後に「生まれてよかっった」と思えるような人生を送ったこと。それは素敵なことに違いありません。
戦時とそう変わらなくなりつつあるこの激動の時代に、苦しい人生を送られているひとも多いことでしょう。ですが最後まで生き抜いて、梶川さんのように「生まれてよかった」と言える人生を過ごしてほしい。
それが2010年最後の祈りです。
今年も当館に訪れていただき、ありがとうございました――管理人