ここには当館をご利用いただいている皆様への管理人からの月々の便りを載せています。モラリストとも言われた芹沢氏と対話するような気持ちで、その時々の思いを綴っています。感想など皆様のお便りをお寄せいただければ幸いです。

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管理人の創作

 

2003年1月1日 counter:24532

あけましておめでとうございます。

元旦から友と人生について語らいうという新年の迎え方でした。「一年の計は元旦にあり」と申しますから、本年はどんなことになるのでしょうか。仕事について、恋愛について、人生について語らうのはいつものことなので、今年もいつもどおりの年なのかもしれません。いつもどおりの暮らしの中で、一歩一歩喜びを分かち合いながら進んでいければ、いつ天に帰ろうとも後悔のない生き方になるのでしょうか。

初詣に出た空は一片の雲もなくて、空となにかを語らったけれど、今思うとそれが祈りだったのかもしれません。青く澄んだ空に、なにを祈ったのか、ことばにはできないけれど、やさしい思いだったことは覚えています。

今年も芹沢文学に教えられ、たのしみながら、皆様と共に歩んでいきたいと思います。

本年もよろしくお願いいたします。

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2003年2月1日 counter:25683

東京の冬は晴れた日が多く、暖房の部屋の空気と入れ換えるたびに、外の澄んだ空気を呼吸して生き返るけれど、この青空が続く「とつくに」では、争いに泣く母たちの顔が絶えることはありません。

澄んだ青空 タイとカンボジアの国交が断絶するという悲しいニュースが流れるTVに、北朝鮮の金主席とアメリカのブッシュ大統領、イラクのフセイン大統領の顔が重なります。イスラエルではシャロン首相の続投が決まり、近隣各国は戦争の激化を嘆いています。

芹沢氏が晩年に親神から見せてもらったという世界の明るい未来絵図を、僕も本当に見たいと思います。この星が悲しみで満たされる前に。

氏は作品を書き続けることで「文化の火を消さない」ように戦争を乗り切ったけれど、いまその何倍も危険な情勢を僕たちはどうやって乗り切っていけばいいのでしょう。

この青空にまっすぐに真向かって、ただやさしい祈りを送ります。

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2003年3月1日 counter:27024

お庭の老紅梅は、今年も花をつけただろうか――芹沢氏を慕う読者の方は、おそらくそんな風に思い出すであろう季節になりました。梅が好きだとおっしゃった萩の友は、きょうも窯の煙をくもらせながら作品づくりに精を出されているでしょうか。四国の友は、自分の書く新聞記事に顔を曇らせていないでしょうか。

当館もこの9日で開館5周年を迎えます。ここから結ばれた多くのご縁に感謝し、こころよりお礼申し上げます。そしてこれからも生き続ける芹沢文学の交流所、また休憩所として、わずかでも皆様のお役に立てれば幸いです。

この2月、友がひとり結婚しました。自ら障害を抱えながら、おなじ苦労を背負うひとの助けになればとボランティアをする友です。彼は車いすを西に東にと走らせて、驚くような行動力で仲間たちを引っ張っていきます。その彼が、仲間の温かい喜びに包まれて式を挙げました。その感動も冷めないうちに、またボランティアの友が結婚するというNEWSが入りました。彼女は自分に厳しく、ひとにはいつも笑顔で、笑っていない顔を思い出せないような明るい子です。自転車を走らせてどこにでもやってきて、その笑顔とやさしさをふり蒔いていきます。

ボランティアの動機には、自分の居場所を見つけるためとか、先の彼のように自分が通った道だからなど、色々ありますが、彼女はただ苦しんでいるひとが笑顔になれるようにと頑張っているようです。僕はそんな彼女が大好きで、バレンタインの夜に喜びの詩をプレゼントしました。

彼女はいつもの笑顔を涙でクシャクシャにして、「こころがいっぱいで、言葉にならないよ」と自転車を走らせて家へと帰っていきました。詩は僕からのプレゼントというよりも、ふと貰った天からのプレゼントだから、天に感謝したのです。そして彼女の背中を見送りながら、この素敵な仲間たちのいるこの星を守りたい、この平和を守りたいと思ったのです。

かつて『一つの世界-サムライの末裔-』の作者にノーベル賞を贈ろうと考えたヨーロッパの友たちは、いま何を考えるのでしょう。勇気ある人たちは「人間の盾」となってイラクの病院や福祉施設に立てこもりました。そのひとりの日本人女性は「私が死んでも次の世代に命は生きる。人間の力を信じたい」と外務官員の退国勧告を拒否しました。けれど彼女を死なせてはいけないのです。そうです。いのちはたったひとつでも犠牲にすべきものではない尊いものではないですか。私たちは争うために生まれてきたのではない――

アメリカの子供は言いました。

「僕たちがやらなきゃいけないんだ」

だれがそんな間違った解決方法を教えてしまったのでしょう。

「僕たちは野蛮人じゃないよ。知恵はその為に授けられているんだ。誰かを殺すくらいなら、よろこんで自分が死んでいこう。飢えた虎を生かすために自分の身を捧げた釈迦(前身)のように。人の罪の救済のために十字架にかかったイエスのように」

彼の肩を抱いてそう話しかけてやりたくなります。

この平和な日本に住む私たちにできることは、そう多くありません。私たち個人に必要なのは、政治的かけひきではなく、ガンジーのように「争わないことこそ我々の戦争だ」という意識、ひとりひとりが「絶対に戦争はいらない」という強い意志を持つことではないでしょうか。そして子供たちに伝えてほしいのです。太郎と光子の見た地獄を2度と繰り返してはならない。たったひとつのいのちがいかに尊いかを――

War is over. If you want it――

きょうも快晴の青空から芹沢氏の声が聴こえてくる気がします。私たちは実は戦争を止めるということではなく、もっと大変なことを求められているのかもしれません。

こんなことを書いていると、きっとあの子は笑うだろうな。

「私にはやることがいっぱい。そんなことをしてるヒマはないもの」と。

そして僕も笑顔で答えるでしょう。

「ほんとうだね。さあ、愛するいのちたちのために働こう」

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2003年4月1日 counter:28488

芹沢文学と出会って10年経ってしまった――この春をいろんな想いで迎える方がいらっしゃるでしょうが、僕はそんな風に桜の木々の道を歩いています。まだ10年か、との声も聞こえてきそうですが、10年ひと昔、僕にとってはやはり長い日々でした。

この春、またひとりボランティアの友が、仕事を辞めて大学院へと進みました。進学には障害があって、その悩みを相談されましたが、ただ彼女の応援をしているうちに障害も消えて、晴れて立派な院生となったのです。進学先は日本でもトップクラスの福祉系大学で、2年間また学識を身につけて、この世界に戻ってきます。

彼女と接していて、改めてボランティアということに考えが及びました。ボランティアの動機については先月も書きましたが、ボランティア自体について考えたのです。

ボランティアを始める前は、ボランティアとは「善意の集まり」のようなイメージで、やってはみたいが、この地に災害でも起こらない限り、やる機会はないだろうと思っていました。ところが、何かに突き動かされるように始めてみると、世の中には困っているひとがいくらでもいて、ただそれに目を向けていなかっただけだということに気がつきました。

僕の入った団体は「善意の集まり」というよりも、ただそれに気づいたふつうの人たちの集まりで、彼女のように一度福祉系の大学を出ていながら、なお学識を深めようと、もっとレベルの高い大学院に進むような人には、福祉は天職のようなものですが、簡単に言えば、世を裨益する人物になって困っている人の役に立とうとした芹沢氏と同じなのでした。

ふつうの人たちが集まって、何げなくやっているボランティアは居心地が良いものです。それでいて、文学よりも直接に相手の反応が返ってくるわけですから、やり甲斐もあります。ひとと接することが好きなひとはどんどんやってみればいいと思います。これからの少子高齢化社会において、ボランティアは社会的に大きな位置を占めてくることは間違いないことですから。

それから最後に若い人たちへ。自分の好きな道に進んでください。好きな道に進めば、それだけできっと誰かの役に立って、貴方も周りの人たちもしあわせになれるから。

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2003年5月1日 counter:

スズランスイセン 藤の花が咲きました。親しい人にはよく話すのですが、毎年芹沢氏の誕生日の頃に咲くこの花が、一番好きな花です。公園にはどこにでも藤棚がある、そんな気取らない様子と鮮やかな紫も好きな理由です。春から初夏の一時期だけ、その微かな香りのしたで過ごすひとときを楽しんでいます。

先日、愛好会のリレー随筆を書いたお陰で、このHPをご覧になっていない方からお便りがいただけて、新しい出会いに感謝したのですが、それが素朴な手製の絵はがきで、描かれた花がやはり好きな紫の花で、こころが温かくなりました。

1日の東京は快晴で、すこし離れた友の住む町に散歩に行きました。友の案内で大学構内を歩いて、森のような場所に出ました。ここは以前結核療養所だったと言います。僕は芹沢氏の闘病生活の話をしました。こんな場所で、芹沢氏の話をすることの不思議さを感じながら、そこから離れてそのまま散歩を続けました。のどかなたんぼ道には、家の近くにもある白く小さな花が咲いていました。

「勝手にヒガシオオジマスズランって呼んでるんだ。可愛いだろう」

スズランによく似ていますが、スズランよりひとまわり小さなその花を手に乗せて見せる僕に、彼女は笑顔で頷いていました。そこからしばらく歩くと森のような茂みがあります。そこで彼女が「これ本物じゃない?」と呼び止めました。そこには本物のスズランが咲いていました。「あっスゴイ!」

よく見ると、辺り一面に鈴なりの花が咲き誇っています。

「野生のスズランを見るのは初めてかもしれない。うれしいな」

藤の花をデジカメで撮りに来たのに、嬉しくなってスズランだけを1枚収めて帰りました。友の部屋に戻って、パソコンを借りてメールを見ると、親しい方から冗談のようなメールが届いていました。

「今日はメーデーの祭日ですが、○○様は街頭でのスズラン売りを見ておられるでしょう? 幸福を運ぶ花として、親しい人にプレゼントする習慣があるのです。管理人様にも、私の心のスズランを送ります!!」

ありがとうございます。幸福のスズラン、たしかに受け取りました――。

芹沢氏と友からの思わぬプレゼントで、幸せに胸を満たされた5月の始まりでした。

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2003年6月1日 counter:32166

今年の5月はすっきり晴れた日の少ない5月でした。その曇天の多い日々の中でも、木々は生長していきます。野原を埋めていたシロツメクサは少なくなり、いまはアジサイたちが花弁を広げて、梅雨の到来を知らせてくれます。

インターネットの生活が定着して、親しい人たちとのやりとりがほとんどメールで済むようになり、手紙を書かなくなりましたが、先月は遠方の友や初めての方からのお便り、このHPでもお世話になっている沼津の愛読者の方とのやりとりもあって、手紙を多く書きました。すこし離れた栃木や長野の友にも手紙を書いて、それが絶好のタイミングだったりして、手紙もいいものだなと改めて感じています。皆さんも宜しければお便りお寄せください。

6月の虹 月の変わった今日、東京では虹が出ました。二重の明るい虹でした。なぜか虹は「出ているよ。見においで」と声をかけてくれます。そんなときは素直に感謝の気持ちになります。その後、買い物をしているスーパーで、子供たちが「虹すごかったな」「うん、きれいだった!」と叫びながら通り過ぎていきました。虹は素直なこころに話しかけるのかもしれません。

きょうも一日ありがとう。さあ、明日はボランティアの日だ。

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2003年7月1日 counter:33703

梅雨の雨は緑を鮮やかにしてくれるけれど、同時にこころの中を洗おうとするのか、もの思う気持ちを連れてきます。クチナシの甘い香り漂う芝生に転がって、家族のような友と梅雨の晴れ間の夕陽を見ながら、永遠のような時間に感謝を抱いていても――

芹沢氏が生きておられたら聞いてみたいと思うことのひとつに「無私」ということがあります。芹沢氏が晩年よく使われたこの「無私」ということばが、実はずっとよくわかりませんでした。「そんなこともわからないの」と笑われるでしょうか。

最初は「私利私欲がない」と考えたものです。ですが最近は「壁がない」ということかなと思っています。壁がないとは、誰に対しても偏見やこだわりがないということです。芹沢氏が敬った大自然には壁がありません。例えば、この太陽は誰にでも降り注ぎます。空を舞う風は誰にでもそよぎます。緑の木々や鮮やかな草花は誰の目をもたのしませてくれます。

先の話に戻って、自分のこころの中に雨を流すように洗ってみると、誰かに対する偏見が見えてきます。少しずつ無私になれてきたかなと思っていても、ふと気がつくと「あのひとはこうだから」といつの間にか作ってしまった壁が見つかります。「なぜ彼女に接するときは幸せな気分になれて、あの子といるときは明るくなれないんだろう」自分に問いかけていくと「あの子は悲観的だから」と答える自分。本当にそうなのかな? 自分のことさえわからないのに、他人を決めつけられるのかな? どこからか聞こえる声に耳を澄ませます。

ひとの好き嫌いが無くなり、それぞれの個性だと捉えることができるようになったとき、すべての人に同じように笑顔で接することができるでしょうか。相手からも同じ笑顔が見せてもらえるのでしょうか。それも一朝一夕に叶うものではなく、芹沢氏がそうしたように、日々の努力の上につくられ、また維持していくべきものなのでしょう。

世界が大きく動いているとき、この社会の為にできることはまだまだある。いろんなことで、いろんな方法で。そう考えながら、毎日を暮らすことは、すこしは無私に近づく道なのかもしれません。

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2003年8月1日 counter:35234

まだ梅雨が明けません。このまま夏を迎えずに秋を迎えるのだろうか、そんな不思議な夏になりました。夏のイメージと言って、地方や個人でひとそれぞれでしょうが、僕が夏を感じるのは蝉の声を聞いたとき、夏の終わりを感じるのは8月15日を超えたときで、昨日初めて蝉の声を聞いたから、今年の夏はたったの15日間ということでしょうか。

どうしてお盆で夏の終わりを感じるかと言うと、少年時代の思い出に原因があるようです。

「お盆を過ぎたらクラゲが出るから海ではもう泳げない」

そう言われて育ったから、海で泳げない=夏の終わり、という図式がいつの間にか頭に出来てしまったのでしょう。芹沢氏と違って泳ぎの苦手な僕は、そう何度も足を運ばなかったけれど、やはり南国育ちらしく海が好きでしたから。

夏と言うと、暑くて仕事もはかどらないイメージがありますが、今年の冬は梅雨寒が続いて涼しかった為に、皆さんよく働かれたのではないでしょうか。去年の日記を読み返すと、暑くて大変だという記述がそこここにあって、やはり夏は暑いものだよなあと思い出したりしますが。これから少しは暑くなるのかな。そんな爽やかな夏らしい話題を1編――

彼女は何十キロも離れた田舎から、片道2時間を掛けてボランティアにやってきます。まだボランティアが定着していない日本では、その交通費でさえ自費です。

「アルバイトしていた頃、レジはいくつもあるのに、なぜか私の所だけ人が並ぶの」

控えめで、会合に手作りのケーキを差し入れで作ってきても、恥ずかしくて最後まで出さないような娘なのに、170センチ近い細身の身体を小さくしていても、ひとを引きつける何かを持っているのかもしれません。

そんな彼女の特技は「四つ葉のクローバー」探し。僕がひとつも見つけられないうちに3つも4つも探してみせます。先日もうちに遊びに来て、彼女が帰った後のテーブルにそっと四つ葉のクローバーが置いてありました。

いつも目立たないようにそっと周りのひとを幸せにしている君――そんな君自身が幸せになる日がはやく訪れるように――

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2003年9月1日 counter:36609

夜空を彩る花火、蝉を追う子供たち、盆踊り、浴衣姿、向日葵――短かった今年の夏は、それでも賑やかに過ぎていきました。遅すぎた夏を待ちわびたかのように、蝉たちは鳴き続けていますが、夜には秋虫たちも鳴きはじめました。これからは収穫の秋。涼しい夏の間に実ったものを、じっくりと身につけていく時期です。

自然が好きで、この夏も何度も公園に足を運びました。田舎であれば、住んでいる所がそのまま大自然ですが、都会では公園に足を運ばれる方が多いでしょう。その公園で車いすの友が気になることを言いました。「舗装されてない道路はキライ」

そういう目で昔からある旧い公園を見ると、特に江戸時代から続く庭園と呼ばれているものなど、当然のごとく舗装された道はなく砂利道です。円月橋あり、飛び石あり、石段あり、山道あり――これでは車いすには辛いでしょう。「しょうがないよ、車いすだもの。諦めなさい」とは言えません。

車いすだって庭園を楽しみたい。芹沢氏が自然と文明の叡智ある共存を考えたように、こういう所にこそ文明の力を発揮してほしいものだ、などと彼女は怒りながらもなぜか笑顔です。そう言えばNHKで特集していた環境問題を考えるアジアの子供たちのキラキラした顔は頼もしかった。きっと世界は素敵な方向に向かっていく――そう思わせてくれる笑顔でした。

話は変わって、「最近、世の中が騒がしい」と思っていらっしゃる方も多いと思います。天災や今までになかったような事件など、ため息の出る日も少なくありません。そんな時にふと、芹沢氏の書いたおやさまを思いました。極貧の中で地道に生きることの大切さを説いたおやさま。こんな時代にこそ、浮き足立つことなく、地味に自分の仕事をこなしていこう。子供たちの素直な思いに負けないように。

桜の木に蝉 ミーンミンミンミンミーン――

地道に働いて、こころに実りある秋にしたい。

今日は防災の日。身体の不自由な仲間のためにもできることはまだまだありそうです。蝉の鳴く桜の木を通って、荒川の土手に出たら、広い青空に挨拶して、今できることを考えています。

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2003年10月1日 counter:38253

火星と中秋の名月のランデブーがあったこの秋。秋分の日を前にした21日、東京にはいきなり本格的な秋が訪れた感じでした。その一昨日は真夏日だったというのに、前日の気温から10℃以上も気温が下がって、皆さん慌てて押入の奥から長袖を引っ張り出したのではないでしょうか。

先日、仕事の合間にいつものように散歩をしていると、野良ネコがくつろぐベンチの横に真っ赤な曼珠沙華が咲いていました。ちょうどお彼岸の頃に咲くのでヒガンバナとも呼ばれるこの花は、どこから種が運ばれてくるのか、思いもよらぬ場所にポツンと咲いていることがよくあります。去年は荒川の土手に咲いていて、もしやと思ってその場所に行ってみると、やはりありました。まだ10センチほどの茎が地中からいくつも顔を出しています。

去年の咲いた花が、種を落として、その種が土中に潜り、1年間ずっと待っていたのでしょうか。そう考えると不思議な感じがします。誰が手をかけるわけでもなく、こんな美しい花が自然の営みを繰り返していく。

「この花は1日で10センチも伸びて、すぐに花が咲くのよ」と自分の庭に曼珠沙華がある友人が言いました。

椿の実 そうそう。今は我が家の植え込みの椿が種を落としています。この種、栗よりもひとまわり小さいくらいで、ひとつの赤い実にいくつもの種が入っています。その実が生ったと思ったら、いつの間にか実が割れて種を落とし始めています。

いつも行く風の広場のカリンは、春に実をつけてからまだ生長しています。気の早い木や花もあれば、のんびり屋の木もある。それでもみんな自分の持ち分をわきまえて、ちゃんと咲く時に咲き、生る時に生る――

「戦争なんかしてないで、自分の仕事をしようよ」

木々たちはそんな風に笑っているようにも見えます。「国同士でも、会社の中でも、家庭の中でも、友人同士でも戦争をしている。人間は愚かだね」と木々に言われないように、今日も笑顔で働こうと思うのです。自分の役目が果たして。大自然よ、やさしい想いをありがとう。

外は秋晴れの青く澄んだ空です。その先には無限と思える宇宙が広がっていますが、その手前には芹沢氏やジャックの住む大気圏があるのでしょうか。

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2003年11月1日 counter:40045

緑の中にハッと息をのむような赤が浮かんで時間が止まる――そんな季節になりました。先日身体のことで悩んでいる時に、ここで何度か取り上げているアランの『幸福論』を読んで助けられたので、今月はアラン風に書いてみたいと思います。

最近気づいたことがあって、それは「ひとの価値は、外見とは全く関係ないのではないか」ということです。生きているうちには、様々なひとと出会い、その相手と様々な経験をしますね。その経験が、ひとを外見で判断させるような頭の働きを作っているのではないかと思い始めたのです。

わかりやすく言うと、あるひとと出会って「このひとは眉間にいつも皺を寄せて、目に落ち着きがない」と思ったとします。次にはきっとこう思っているはずです。「このひとは気むずかしくて神経質だ」と。あるいは経験が多ければ、顔色や些細な動作で、それ以上の観察をするかもしれません。

ですが、その次にはこう思っていたのです。「神経質で気難しいひとは近寄りがたいな」と。そうなってしまうと、その考えは経験が創り上げた愚かな幻影に惑わされているだけではないでしょうか。よく考えてみれば、いま目の前に対峙しているひとと、過去のひとは違うのです。ひとにはひとの数だけ個性があるのですから。

僕はどれだけ外見で相手を判断して損をしているでしょう。実は外見は「狭き門」なのかもしれません。本当に大切な宝物はいつも狭き門に隠されています。その狭き門をくぐって、相手のこころの中の真実の宝石を見つけることができたなら、この世はもっともっと楽しいものになるのではないでしょうか。

ひとの区別を捨てなさい――『人間の幸福』の中で天の将軍が主人公を叱る場面を覚えていますか。主人公は理由がわからず不満を覚えていますが、天の将軍が言いたかったのはこういうことではなかったでしょうか。

偏見という曇った鏡を自分のこころから降ろすことができたなら、昨日までの相手が、今日は別のひとに見えてくるかもしれません。新たな発見は新たな喜びに通じます。その喜びは生きていく活力になってくれるでしょう。偏見のないこころ、すべてを等しく見ることのできる目はアランの「笑顔」のように誰をも幸福にしてくれるキーワードのような気がします。

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2003年12月1日 counter:41665

桜が、黄色と緑に見事に描き分けた葉っぱを一つずつ落として、木枯らしが火照った頬を気持ちよく冷ましてくれる夜に、星空を見上げていると、その昔、どこかで聞いたクリスマスの話を思い出しました。月と火星の接近や、ハーモニック・コンコーダンス、そしてつい先日は、南極で皆既日食のあった今年、そんな星空の似合う話を一年を締めに皆様へ贈ります。

「遠い遠い西の国に、大きなモミの木が、城壁のように周りを囲んだ町がありました。

そのモミの木が雪で白く飾られたクリスマスの夜、森々とした静寂の中に、ポッカリと暖かい灯がともるように、町の集会所から賑やかな声が聞こえています。どうやら町中の子供たちが集まっているようです――

「わたしはつねに謙虚でありたいわ」

「ぼくは関わる全てのひとを師と仰ぎ学びたい」

「皆に公平でいたい」

「愛を表現する機会を逃さないようにしたい」

窓から覗くと、子供たちが赤い服のサンタクロースを囲んでいます。この町のサンタクロースは、まだ子供たちが起きている時間にやってきて、全員にプレゼントを渡した後、子供たちと楽しい話をしていく習慣なのでした。

今はサンタクロースから子供たちに「どんな人になりたいかな?」と質問が出たようです。

サンタクロースは言いました。

「大きい子たちは、さすがにしっかりした事を言うね。じゃあ君はどうかな?」

サンタに促された年長の子たちよりも少し年下の女の子は、人差し指を顎に当ててしばらく考えた後、

「いつも愛を持ってたいわ」

とうれしそうに答えました。それを合図のように同じくらいの歳の子たちが答えます。

「素直でいたい」

「だれかの支えになりたい」

「どこまでもどこまでもやさしくしたい」

「ぼくは誠実でいたい」

「正直でいたいわ」

「鳥のように自由でいたい」

「どんな困難にもくじけない強いこころを持ちたい」

皆が言い終わったと思われたところで、サンタクロースは聞きました。

「そうか、よくわかった。もう言ってない子はいないかな?」

子供たちは自分の周りを見回して、一番年下の子がまだ言えずにモジモジしているのを見つけました。

「ほら、君も言いなよ。どんなことでもいいんだよ」

となりの男の子がその子の肩に手を置いて励ましました。子供たちは皆その子に注目しています。男の子は頬を赤くしながら言いました。

「ぼく――愛のある世界にいたい」

クリスマスナイト サンタクロースは、その二人の子供の頭に両手を乗せて言いました。

「そうだね。私も同じだよ。この町には、君たちのこころの中のように、やさしい愛がいっぱいあるね。だから毎年来ることができるんだよ。近頃ほかの町では、私が来てくれないと言っているが、やさしさを忘れた、愛の足りない町へは、私は行けないんだよ。残念なことだ。私は皆の町に行ってあげたいのに」

「どうすれば愛が沢山持てるようになるの?」

「簡単なことだ。強く念じればいいんだよ。君のように『愛のある世界にいたい』ってね」

「それだけ?」

「ああ。それだけだ」

その町を外から見ると、大きなモミの木に守られるように広がった白い大地の上に、点々と明るく光る家々が並んでいるのでした。そして町の中心の集会所は、そのどこよりも白く明るく光っているのでした。空は透き通るように宇宙を映して、星が降るように輝いています――」

今年も一年やさしい想いをありがとうございました――管理人

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