ここには当館をご利用いただいている皆様への管理人からの月々の便りを載せています。モラリストとも言われた芹沢氏と対話するような気持ちで、その時々の思いを綴っています。感想など皆様のお便りをお寄せいただければ幸いです。

【 2011年 】

1月

2月

3月

4月

5月

6月

7月

8月

9月

10月

11月

12月

1998年

1999年

2000年

2001年

2002年

2003年

2004年

2005年

2006年

2007年

2008年

2009年

2010年

2011年

2012年

2013年

2014年

管理人の創作

 

2011年1月1日 counter:125007

東京は快晴の正月を迎えました。もうこれで何年連続になるか、元日の朝は青空が当たり前になって、ありがたい一年の始まりですが、日本各地は大荒れのようで、南国の鹿児島でも大晦日に雪が20センチも積もったとか――

わが家は恒例の初詣で、歩いて10分ほどの神社に出かけましたが、いつも通る大きな広場が一部工事中で、そのためか、空に揚がっている凧の姿も見えず、公園もメンテナンスかと、帰りはその短い距離をバスで帰りました。

バスで帰ったのは、身体が弱っているからで、常に弱ってはいるのですが、この冬はいつも以上に調子が悪くて、家人が気づかってのことでした。車窓からの元日の空を見上げながら「今年はいい加減でいこうかな」と、ふとそう思ったのです。

どんなに調子が悪くても、年末恒例の大きな仕事があって、年賀状さえまだ書いておらず、気ばかり焦っていましたが、そう決めて、どっしりと落ち着くことにしました。身体もメンテナンスが必要なのだろう。周りの方々には勘弁してもらって――

ある方に以前「いい加減はいいのよ。いい加減って『良い加減』ってことでしょう。良い感じにバランスを取ろうってことなのよ」と言われたことを想い出しました。元々きっちりとはできない身体です。都合のいい解釈ですが、今年はいい加減で行こう。

そう決めて、仕事の合間、元日の朝に年賀状を書き、また働き、今日(二日)になって、この月報も書いています。暮れに本を贈った初めての方から、月報を読んで考える機会をもらっていると便りを頂いたばかりですが、こんないい加減な年明けで申し訳ないです。

スカイツリー わが家のマンションから見える建設中のスカイツリーも、今年の末には完成するようです。明日をも知れない身ですので、とりあえず完成したスカイツリーを見ることを近場の目標にして、いい加減に日々を暮らしていこうと思います。

今年もよろしくお願い致します。

▲ページTOPに戻る

 

2011年2月1日 counter:125584

寒い日が続いています。霧島の噴火は凄まじい噴煙を上げていますが、同じ宮崎から今後各地に広がりそうな気配の鳥インフルエンザも気になるところです。そして相次ぐ豪雪被害のニュース。この冬の日本は、寒さ以上に厳しい状態が続いていますね。

それも日本だけではなくて、オーストラリアとブラジルでは大雨被害があったり、エジプトでは国を覆すようなデモが起こっていたり、僕はいい加減な病人で、何ができるわけでもないのにTVのニュースに釘付けになっている毎日です。

オーストラリアには、このHPにも時々お便りをくださる方がいて、お住まいの地域は大丈夫だっただろうかと心配したり、エジプトでは30年も一人の人間に独裁されてきた国民の鬱憤が爆発したのだろうか、良い方向に向かえばいいがと願ったり――

ただ混乱期には、こころを無くす者も出てくるから、自分のこころだけに気をつけて、いのちを大事にして進んでいってほしいものです。どんな混乱の中でも冷静さを失わず、正しい道を進めば、自ずと結果はついてくるでしょうから。

正しい道と言えば、タイガーマスク運動は面白い現象でしたね。日本人というのは、本当に不器用な民族だと思ったり、もっと違う方法があるだろうにと思ったりもしますが、その対象が子どもたちであったことが、何かこころを温かくしました。

暗黒の宇宙に浮かぶ地球という舞台で、連綿と受け継がれるいのちのバトン。そのバトンと共に、そんな小さなやさしい想いも受け継がれていってほしい。いつの時代でも、その想いは光となって、正しい道を照らし出してくれるだろうから。

▲ページTOPに戻る

 

2011年3月1日 counter:126121

駅前の桜の気配に少し春が見え始めたと思ったら、昨日は雪でした。東京は先月初めての積雪があって、雪害の地域の方たちには信じられないことでしょうが、真っ白な雪を見られるのはこころ踊るほど嬉しいものでした。

そんな雪を見たこともないであろう北アフリカの地で、今大きく時代が変わろうとしています。気温が40℃もある太陽の国の人々は、どんな想いでこの同じ空を見上げているのでしょう。どんな明日を思い描いて――

単一民族の日本人には想像もつかない、民族や宗派の違いで差別され続けてきたアフリカのひとたち。そんな江戸時代のような差別社会がやっと終わるのかもしれない。いや、終わるべき時代なのですね。天がすべてのひとに与えた自由なのですから。

平成という年号は日本だけでなく、世界の今を表している年号かもしれません。平らに成る。もっともっと平らに成っていってほしい。日本人が今味わっているような平和を、世界中のひとたちが同様に味わえる、そんな時代が早く来てほしいと願います。

日本人も、タイガーマスク運動で見せた子どもたちへの慈愛の眼差しを、今度はアフリカの人たちにも同様に向けられたらいいですね。まだいろいろなことが起きるでしょうが、応援して見守っていきたいです。

今日の東京の空は、どんよりと曇った冬空です。世界では大地震があり、洪水があり、大雪があり、火山の噴火があり、「早く目を覚ませ」と天と地の大合唱が聴こえるようです。デモを起こした人々も、そんな声を聴いたのかもしれませんね。

▲ページTOPに戻る

 

2011年4月1日 counter:126768

今年の元旦、初詣に行く広場の一部が工事中で、例年とは少し違う年明けだったのですが、まさか日本の一部が工事中になろうとは思ってもみませんでした。東日本大震災。先月と今とでは、世界が全く変わったという方も多いのではないでしょうか。

芹沢氏が体験した関東大震災の被害は、これよりもっと凄かったというのだから驚きです。街のあちこちに山積みになった遺体の山ができていたそうですが、情報手段の発達した現在でなくて良かったと思います。そんな映像は誰も見たくないでしょうから。

それでも日本は復興しました。その20年後には世界と戦争ができるほどに。その前例から考えても、今回もきっと人々は立ち直り、復興させていくでしょう。大変な思いをする数年間も、10年後には「あそこでよく頑張った」と思い出になっているはずです。

僕は手術で何度もそんな体験をしています。心臓を止められたこともあります。手術の後はある意味、死ぬより苦しい時期もありますが、その期間もいつしか過ぎていきます。芹沢氏の晩年にも「時を待つ」という印象深い言葉がありましたが。

今回この世での使命を終えて、迎えとられた生命(いのち)が、安らかに天に還られることをこころより祈ります。そして残された方々が、悲しみと苦しみを乗り越えて、一日でも早く再び安らぎの生活の中に戻られることを祈ります。

気持ちで負けないようにしてください。気を強くしっかりと持つことが、新たな一歩を踏み出す唯一の足がかりです。僕は何度も死を見ました。医師から「君が生きていることが奇跡だ」と言われますが、生かされている限り、生きる意味があるのだと思うのです。

こんな時期でも希望に燃える子どもたちが大勢います。彼らに次の時代を手渡すためにも、大人たちがしっかりと今の時代を再構築していきたいものです。日本が生まれ変わることで、世界に良い影響が広がっていくような、そんな新しい時代を。

▲ページTOPに戻る

 

2011年5月1日 counter:127403

月報が遅くなりました。これを書いているのは4日で、芹沢氏の生誕日です。近所の藤の花も2、3日前に満開を迎え、ピークを過ぎたようです。被災地の復興はまだ始まったばかりですが、街も少しずつ落ち着きを取り戻しつつあるように感じます。

この連休は、自粛ムードも消え始めて、各地の行楽地が賑わっているようです。前を向いて歩き出そうとする気持ちは勿論必要で、被災地でも日本中、世界中の支援や応援を受けて、大勢の人たちが立ち上がろうとしていると聞きます。

ただそれに乗り遅れているひとたちがいないだろうかと心配しています。弱者が忘れられるようなことがなければいいが、地域の目は周りの方々お一人お一人に行き届いているだろうか、そんなことを思って北の空を見上げています。

多くのひとが自分だけが、家族だけがという狭い意識から、みんなのために、誰かのためにという広い意識に変わることができたのかもしれないこの震災。失ったものは大きいけれど、それ以上のものを得られればいいと願います。

季節の広場の藤 今日も機械の弁がコツコツと胸の奥で音を立てているから、まだまだできることがあるのだろうと机に向かっています。この弁のようにコツコツと働いて、お金を貯め、東北に贈ろう。そう思いながら働くと、いつもよりも仕事に身が入るようです。

▲ページTOPに戻る

 

2011年6月1日 counter:128148

関東は平年より12日間も早い梅雨入りを迎え、5月ですでに30℃を超える地域もあって、おかしな気象が続きそうです。原発の影響で、中部以北は節電を余儀なくされていますから、体調管理には充分気をつけて過ごして頂きたいです。

友人が放射能を気にして野菜を食べないようにしていて、つい数日前にも子供の被爆制限の7年分を浴びてきたばかりの僕は、気にしすぎではないかと思うのですが、先日はまた3万もする線量計を買ったと見せてくれました。

0.09や0.12といった数値を表示する線量計を見ていて、こんな塵のような数値の放射能を見るだけのために3万円を使うなら、その分を被災地に寄付するという考えは起きなかっただろうかと、彼には申し訳ないが勝手なことを考えていました。

僕が浴びてきた6900という数値は0.1の何万倍になるか、それを過去何十回浴びたか、それから25年経っても、身体には何の影響も出ていないことこそが事実ですが、それを友に伝えても話が通じるかどうか。

普段は気を遣いすぎるくらい他人に気を遣うようなやさしい友ですが、東電に頭に来ていると言って、線量計をバッグにしまいました。それを言うなら、責めるべきは原発を推進した政府であり、それを選んだ国民すべてではないだろうかと思ったのですが。

原発は立ちゆかなくなって世界中から消えるだろうと彼は言います。その意見には賛成ですが、本当に無くなるべき原子力――原爆――の方はまだ世界に溢れています。この変革が、いつの日にかそれをも無くすような動きに変わってくれればと願っています。

▲ページTOPに戻る

 

2011年7月1日 counter:128804

昨夜の首都圏のニュースでご覧になった方もあるかと思いますが、横浜の夕立は凄まじい映像でした。画面が真っ白になるほどの雨は、日本の雨ではなくて、熱帯地方のスコールのようです。いろんなことが起こりますね。

このところ家の窓の外から、日中はいつも風鈴の音が聴こえます。マンションだから、どこの家から聴こえてくるのかもわかりませんが、今日から始まった電力の使用制限に微笑むようにチリンチリンとなる鈴の音に、風流を感じながらこの月報を書いています。

凄い時代に入って、誰もが自分の生き方を決めやすい時期に入ったのではないでしょうか。何も考えずにただ日々に流されて生きてきたようなひとたちが、立ち止まり、考えるきっかけになったのなら、それはとてもありがたいことに違いありません。

ひとは誰もそんな時期を迎えますね。子供を持った時、結婚を決めた時、病に冒された時。それが大震災というきっかけで、一度に大勢の人たちに訪れたのが、今という時代だろうか。そんなことを考えています。

それぞれがどんな生き方を選んでいくのだろう。それにより、この国はどんな国になっていくのだろう。そしてこの地球は。与えられた自由という枠の中で、魅力的だけれど厄介な個性というものを共存させながら生きる我々に、天はどんな未来を用意しているのでしょうか。

3日前、お世話になっている先生夫妻から世界旅行の旅に出るというお便りが届きました。震災で予定が変わっただろうかと案じていたので、良かったと安堵しました。ご無事に、そして存分に今の世界を体験してきて頂きたいと祈っています。

▲ページTOPに戻る

 

2011年8月1日 counter:129338

ここ数日涼しい日が続いていますが、節電、放射能汚染、集中豪雨の三重苦で厳しい夏になっていますね。平和な日常というものが、どこに行けば見つけられるだろうと思うような日々ですが、わが家は申し訳ないくらい平和です。

こんな時節には、不幸を耐えている友人たちの話でも書いて、辛い思いをされている方々を励ましたいと思ったのですが、類は友を呼ぶというのか、まわりを見ても平和そうな仲間たちばかりで困りました。というわけで平和なニュースですが。

親しい友が結婚することになりました。アラフォーだというのに、地に足が着かないというか、少し頼りなくて、どうなることかと思っていましたが、2つ年上のしっかりした姉さん女房をもらうことになって、彼がと言うより僕の方が安心しているような案配です。

この欄に、いつか結婚に関して書いてみたいと思っていたので、この機会に書いてみることにします。友人が結婚するそばから何ですが、「離婚」についてです。なぜそんなに簡単に、と今の時代の夫婦の現状には侘びしい思いをすることが多くありませんか。

結婚というものは、「結婚できる相手」とは労せずしてできますが、「結婚できない相手」とはどんなに頑張ってもできないと思うのです。芹沢氏もそうでしたが、目には見えない「縁」というものが存在するのだろうと実体験で感じています。

そんな貴重な縁を頂いていながら、簡単なことで離婚してしまう現代。若いひとたちは、未熟なために見る目がなかったり、忍耐が足りなかったりするからでしょうが、苦労を重ねたはずの高齢者の離婚も多いのが、どうにも納得できません。

友人の両親が離婚したりすると、勿体ないなあと思います。子どもたちを育て上げ、自分の人生を家族のために捧げてきたから、これからは自分のために生きるのだという奥さんからの離婚が多いようです。言い分はわかる気もしますが、やはり勿体ないですね。

そこまで頑張ったのだから、残りの人生を、結婚の時に「このひと」と決めた相手と全うするまで頑張れたら、天に還った時にどれほど祝福されるでしょうか。それを途中でやめてしまうと、次の生でも同じ苦労を繰り返すだけかもしれない。その事はご存じないだろうか――

若いひとたちは、そんな轍を踏まないように、結婚を決める前に慎重すぎるくらい相手をよく観察して、このひととならどんな困難があっても堪えて、生涯を全うできるという相手を選んで結婚に踏み切ってほしいものです。

またそう決めたからには、例え相手が半身不随になっても支えていくくらいの覚悟を持って、どちらかが天に還るその日まで、変わることのない愛情と努力で連れ添って、天から沢山の祝福を受けてほしいと思います。

結婚は、人生の最後まで同伴してやっと完成する芸術のようなものだ、というのは芹沢氏の結婚観ですが、僕も同感で、友の婚約者にそう話すと、彼女も共感しているようでした。友は頼りないけれど、この相手なら大丈夫かなと思えて、二人を祝福しました。

先日その友に「結婚生活を長持ちさせる秘訣は何ですか?」と聞かれました。「忍耐だよ」と即答しました。「耐えてるんですか」と重ねて聞くので、「当たり前だよ。結婚生活なんて忍耐の連続だよ」と脅すと、「耐えるのかあ」と情けない顔をしていました。

結婚生活に忍耐は当然必要で、楽しいこともあれば、辛いことも多々あるでしょうが、二人で多くのことを学びながら、幸福な家庭を築いてほしいと願っています。そして僕も良い手本にはなれずとも、支え合う夫婦の先輩でありたいと、こころに期しているところです。

▲ページTOPに戻る

 

2011年9月1日 counter:129944

日本では集中豪雨があり、竜巻があり、世界ではアメリカの東海岸を襲ったハリケーンと、相変わらず各地でおかしな気候が続いていますが、今も台風が上陸するというので、テレビに注意報や警報が出ているのを見ながらこれを書いています。

この気候のように大荒れだった政界も、野田新総理が誕生して、党内融和を進める人選での組閣を始めましたが、その先に目指す大連立が実現して、国会が一丸となって復興対策に向かえるのか。それこそが多くの国民が望んでいることではないでしょうか。

中国や韓国等海外からは、極右の新首相だとして警戒されているようですが、今の日本は外交問題に関わっている暇などなくて、一に復興、二に復興、三番目に円高対策などの財政再建という具合ですから、まずその手腕をじっくりと見守っていきたいものです。

今年の夏は、楽しみにしていた花火大会も中止になりました。ですが来年はきっときれいな色とりどりの花を夜空に咲かせてくれるでしょう。一歩ずつ、一歩ずつ立ち直って、新しい日本を創っていかなければなりませんから。

被災した東北の地では、復興は進んでいるでしょうか。失われた町が今一度賑やかな輝きを取り戻すまで、被災しなかった国民一人ひとりが支えていかなくてはなりません。その思いを強くするためにも、年内には被災地を訪れてみたいと思っています。

リビアではついにカダフィ政権が倒れ、アフリカの民主化という革命の波は、この後まだまだ広がっていきそうです。日本もそんな大きな流れに乗って、復興という地道な革命を起こして生まれ変わっていってほしいと願っています。

▲ページTOPに戻る

 

2011年10月1日 counter:130456

今年は残暑も少なく、スムーズに秋に移行しそうです。今冬は冷えるのではないでしょうか。そんな気がします。僕は人生の秋を通り越して、夏から一足飛びに冬に移行したような身体を持っていますが、このところ衰えた身体のことを思う日が多いようです。

「老体に鞭打つ」という言葉を調べていて、正しくは「老骨に鞭打つ」だと知りました。そんな言葉を調べたのも、近頃の自分を顧みてつくづくそう思うからですが、40代で人生の晩年を味わうというのも複雑な気分です。

胸を開くと5歳は老けると医師に言われましたが、その計算ではもう70代の身体で、老骨に鞭打つのも仕方ないかと思いますが、不整脈、関節痛、目眩、耳鳴りと常時付き合っていて、それでも穏やかに過ごせるのだから幸せだと家人に笑っていますが。

仲間の子供が10人になって、その子たちに何かよい芽を残していきたいと、話ができる日を楽しみにしていますが、一番上の子でまだ5歳で、話ができる頃まで、ここにいられるだろうかと、その日を遠く思ったりもします。

人生にやり残したことはありませんが、やり遂げたということも無くて、こんな生涯で良かったのだろうかと心細く思ったり、そんなことを考えるのが人生の晩年ということなのかと思ったり、本当に身も心も老人のようで、天では笑われているでしょう。

ひとの一生なんて儚いものです。その字の通り、まさに人が見る夢のようなもので、いろんなことがあったけれど、過ぎてみれば全て幻のようで、ただ自分はいくらか成長できただろうかとそれだけが気がかりで――

ああ、まだまだ未熟だった。そう気づいて、また今日一日を気負うことなく生きていくのです。生きとし生けるものすべて幸いであるように祈りながら。因果応報という秩序の下で、全ての個性が尊重され、自由に学べるこの世界に感謝しながら。

▲ページTOPに戻る

 

2011年11月1日 counter:130974

秋晴れの気持ちのよい日が続いていますが、世界は至る所で大きな動きが続いています。トルコの大地震、タイの未曾有の洪水、EUの金融問題、アメリカの所得格差デモ――そして日本ではTPP交渉への参加問題。

震災でひと休みしていた感のあるTPP問題ですが、アメリカから圧力をかけられて、日本の参加表明も近いのでしょうか。経済界は参加しないと日本経済は減衰すると言い、逆に農業団体は国が滅ぶと大反発です。議員たちも賛否両論でどう決着を見るのか。

TPP自体は大変難しい問題で、参加、不参加のどちらに決しても、日本にとって大きな影響が出ることは間違いありません。ただ経済の減衰と食の安全を秤にかけるなら、食の安全を取りたいと思うのは個人的な考えですが。

それというのも、今の日本は物質社会の限界に来ていると思えるからです。物質的な豊かさを追求するのはもうやめて、こころの豊かさを追求する時期に来ているのではないでしょうか。それが今回の震災が教えてくれた一番の教訓のような気がします。

それには経済が多少減衰して、溢れていた物々が減り、少しくらい困窮するくらいの状態がいちばん良いのかもしれません。物ではなくこころを求めることで、ひととひととの絆が深まり、いのちの大切さもより実感できる社会に向かっていければ。

今の社会の空気にホッとした気持ちを感じている方も多いのではないでしょうか。走り続けてきた時代が終わり、少しゆっくりとした足取りで進む。それもひとりではなく、周りのひとたちと手を繋いで。そんな時代に入ってきているように思います。

皆さんはいかがですか。まだまだ、もっともっと便利な世の中になってほしいと考えますか。それともこの物質社会はもう限界に来ていて、足ることを知る生活の中で、お互いに助け合う精神を持つ時代に変わるべきだと考えますか。

物というのは、本当に困っているひとのもとに必要なだけあればいいのではないでしょうか。裕福な者がより求め、貧しい者には物がないという社会はもう終わっていい。世界がその事に気づきはじめているのではないでしょうか。

世界中で食べ残しをやめるだけで世界の食糧不足は解決するかもしれません。自分に何ができるか。一人ひとりがそれを考えることが求められているようです。世界を変えるのは国家でも政府でもなくて、私たち一人ひとりの思いに他なりませんから。

▲ページTOPに戻る

 

2011年12月1日 counter:131461

今日の東京は、この冬が始まって一番寒い日で、気温も10℃に届かないようです。公園を歩けば楓の大きな葉が点々と植え込みの緑に乗っかって、見上げた木々に残った僅かな葉もこの冷たい雨が落としていくのでしょう。

例年ならこの時期は、気の早いクリスマスムードで街もどこか浮き足だって、道行くひとの顔にも年末の慌ただしさと新年を迎える喜びとが交差して、なんとも言えない温かい空気が流れているものですが、今年は少し違っているようです。

遠慮がちなクリスマスイルミネーションとボリュームを抑えたクリスマスソング。派手な宣伝をしない街頭の売り子。いつもの師走より少しだけ静かな街で、誰もが「大丈夫ですか?」と声をかけているようなすれ違うひとたち。

以前、違う世界(パラレルワールド)に来たように感じたことがあります。そんな経験は一生に一度のことかと思っていましたが、今は日本全体がパラレルワールドに来たようなものかもしれません。同じ景色、同じ街並、同じ時代、けれど人々の意識だけが違っている世界。

何が変わったのか。それは以前より優しい世界になったに違いありません。そして強い世界に。そうでなければ、あの震災が意味のないものになってしまいますから。一人でも多くのひとに、その事に気づいてほしい願っています。

今、窓の外で、区が流す緊急地震速報が響き渡りました。放送のテストをしているようです。「また大きな地震が来ます。貴方たちが大切なことに気づかなければ」

天はいつでもそう言っているように聞こえます。

この震災で天に還った大勢の魂たちのように、残った私たちもいつか天に還ります。その時に「がんばってきたよ」と笑って彼らに再会できるように、この世界を天上の人々が喜べるような方向に皆で進めていければいいと思います。

来年は多くのひとにとって新しいことへの挑戦の年になるのではないでしょうか。自分に限界を定めず、勇気を持ってチャレンジしていく。それが正しい道であれば、必ずその先は拓けていくはずです。よい年にしましょう。

今年もありがとうございました。皆さんに深い愛と尊敬を贈ります――管理人

▲ページTOPに戻る