ここには当館をご利用いただいている皆様への管理人からの月々の便りを載せています。モラリストとも言われた芹沢氏と対話するような気持ちで、その時々の思いを綴っています。感想など皆様のお便りをお寄せいただければ幸いです。

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管理人の創作

 

2002年1月1日 counter:14100

あけましておめでとうございます。

この世の中に、自分が見ている世界で、自分に関係ないものは何ひとつとしてない。そう教えてくれる新年を迎えました。

世界は動いています。ヨーロッパではユーロの流通が始まって、人々の暮らしを変えようとしています。アメリカは、アフガニスタンは、どう変わるのでしょうか。本当にグローバル化の波はインターネットの世界のように加速していくのでしょうか。新しいものを受け入れる勇気、そして変わらぬ地道な生き方こそ……

ここまで書いて気が変わりました。素敵な事があった日には似合いません。世界情勢はその専門の方にお願いしましょう。

雲もなくよく晴れた元日の夜、友と渡る橋の上で、新春の月が公園の向こうに、ひときわ大きく輝いていました。やさしい月――

新春の月 あなたが居てくれるだけで良いのだと、誰にも言いたい今です。悩んでいる人にも、苦しんでいる人にも、悲しんでいる人にも、道を探している人にも、何を言ってあげるわけでも、何かをしてあげるわけでもなく、ただ、

「ここにいてくれて、ありがとう」

と。

皆さんはよく夢をご覧になりますか。初夢というのは、昨日の夜ではなくて、今日一日の夜に見る夢を言うんですよね。縁起が良いと言われる「一富士、二鷹、三なすび」ではないけれど、何かこの1年を象徴するような夢を見たいです。フシギなたのしい夢を。

良い夢をご覧ください。そして、今年もどうぞよろしくお願いいたします。

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2002年2月1日 counter:14940

『神の微笑』が絶版になっている――

10℃を切る寒い日が続いている東京で、仕事帰りの僕の目に、このニュースが飛び込んできました。「どうして?」

あの小説は無くならないものと思い込んでいました。発売された時期を調べてみると、1986年です。もう16年になるのか――絶版になってもおかしくない時が流れていたのですね。この機会に『神の微笑』について、久しぶりに書いてみたいと思います。

『神の微笑』と聞いて、顔を輝かせる方、曇らせる方、芹沢氏の読者に二通りの方々がいらっしゃることは、古くからの芹沢文学の愛読者なら誰でも知っていることです。この小説には、信仰の色が色濃く出ており、宗教を否定し、実証主義の道を歩んできた芹沢氏についてきた読者には、受け入れられない内容でした。

ですが、この作品はそれほど他の作品と違っているでしょうか。作者自身、「呆けたと蔑まれようとも」という覚悟で書いた作品ではありますが、僕には『人間の運命』『愛と死の書』『巴里に死す』等と何ら変わらないメッセージが聞こえてきます。

「地に足をつけて、お互いを思い合い、ただ毎日を一日生涯として、大自然の恵みに感謝して生きるのだよ」

大江健三郎氏は、『人間の幸福』の中で、

「先生のお仕事には、現実とそこを越えたものとの、自由な行き来があり、そこにもっともひきつけられます。また、先生独自の人間生活の細部を外面内面ともにすくいあげる文体に、魅力をいだきつづけています」

と「神シリーズ」について評価しています。

この「現実とそこを越えたものとの、自由な行き来」こそ、顔を輝かせる方々の読みとり方であり、「人間生活の細部を外面内面ともにすくいあげる文体」に惹きつけられているのが、昔からの読者の方々でしょう。ですが、大江氏はそのどちらもをおなじ土俵に上げているのです。

大江氏の手紙にはこうも書かれています。

「この現実世界からの、地つづきのリアリズムを保って、そして超越的なものに向って、ゆきたいからです」

僕はこの大江氏の言葉が好きです。この言葉をどうとらえるかは、また人それぞれでしょう。ですが、ひとつだけ芹沢氏の読者には声をかけたいと思います。

もう一度、『神の微笑』を読み直しませんか。

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2002年3月1日 counter:15847

我が家の椿 東京では春の陽気を感じさせる暖かい日が続いています。日本中を飛び回っている友人によると、今年はどこも暖冬だったという話でした。ご覧いただいている全国の皆さん、どうでしたか。

最近また小説を書いています。2年前に書いた処女作をリメイクしました。僕にとっての『鎮魂歌』であり『懺悔記』でもあるような作品です。

芹沢氏の『鎮魂歌』は、戦争から帰還した男が、亡くした母への想いを兄に独白する物語です。優秀な兄とは違う自分を出したくて、ボクシングで鍛錬した精神を持って戦地へ赴いた男の元に、「ハハシス」の知らせが届きます。帰還した男は、母の遺骨を母の信仰した身延山に納めに行きます。その道中を振り返りながら、ボクシングや戦地で鍛えた精神で、毎日を秩序正しく平凡に生きることこそ自分の信仰であると兄に母に訴えます。

なにも信仰などしなくても良い、地道な秩序ある勤勉な生き方こそ良しとする芹沢文学の本質がそこにあります。芹沢氏の好きな言葉に「早起き、正直、勤労」というのもありましたね。

今日、たくさんの微笑みをいただきました。微笑みはどうしてこの胸をやさしく温かくするのでしょう。皆さんは一度でも微笑みが人を癒す理由を考えたことがおありでしょうか。早起き、正直、勤労――そのどこにも微笑みが隠れている気がします。

すてきな微笑みを与えられる方々と共にこの人生を歩みたい。そう考えながら歩く快晴の空の下で、ひと塊りの雲が『神の微笑』を投げかけてくれました。僕のまわりには今、善意の空気が満ち満ちているのを感じています。だから今日は贈りたい――

貴方に届け、最高の微笑み――

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2002年4月1日 counter:16812

桜がいつもより随分早く咲きました。東京では観測史上最早の満開宣言です。卒業、入学、進学、就職、転勤――桜はそんな出会いと別れを告げる象徴のように、胸を甘酸っぱい気持ちで満たしませんか。遠い思い出へ誘うように――

僕は感傷的な文章を書くのを好みません。いつでも日の当たる高原のような爽やかな作品をお届けしたいと思っています。今月のはどうでしょうか。最近、皆さんの温かい想いに触れてできた作品です。

君は今頃何をしているだろうか――

君と出逢ったのは、世界の一等地には不釣り合いな古ぼけた自社ビルの一室だった。ラフなジーンズ姿で現れた君は、やはりその格好とは不釣り合いな熱い口調で社長に言ったね。

「東京にやり残したことがあるんです」

真っ直ぐで黒目がちな大きな瞳が輝いていた。あの日から同僚になった君は、いつの間にか僕の横を並んで歩いていた。

「私の人生を180度変えた本なの。お願いだから貴方に読んでほしいの」

そう言って君はシャーリー・マクレーンの『アウト・オン・ア・リム』を差し出した。そうだ、あれから僕の人生も180度転がり始めたのかもしれない。君は次から次に僕の前に不思議な世界を開いて見せた。そして言ったのだ。

「芹沢光治良さんの本、すごいよ。貴方なら絶対夢中になるよ」

君の言葉は当たっていた。僕はその日から――

君は何も言わずにいなくなったね。いなくなる前日まで、毎週のように電話をかけてきていたのに。君はまったく僕がいないと生きていけないような顔をして、それなのに突然消えてしまった。僕は君なしでもやっていけるような顔をして、だけど本当は君に支えられていたんだ。君はわかっていたかな。

最後の電話で君に「ありがとう」と言えた。あれは僕の中の森次郎が「この子はもうじき君の前からいなくなるよ」と教えてくれていたのかもしれない。

いつも道を探していた。いつも自分に厳しかった。心配性だった。泣き虫だった。つまずくとすぐに僕を呼んだ。そんな君がもう「助けて」とサインを送らなくなってどのくらいになるのだろう。君がいた頃には何もなかった土手に、今は千本もの桜が植えられて満開だよ。

やり残したことは済んだのかい。すこしは肩の力が抜けたかい。もう自分を責める楔はほどけたかい。いつか君が可愛い女の子でも連れて、この桜の下に現れたらどんなに愉快だろう。僕はその娘を抱き上げて言うのだ。

「もう不安は要らないよ。君は大きなものに包まれているのだから」

幸せであれ――幸せであれ――君の笑顔だけを空に思い浮かべるよ――

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2002年5月1日 counter:17843

ツツジ、藤、チューリップ――鮮やかな花々の季節があっという間に過ぎて、水々しい新緑の輝く毎日です。自然は純粋で美しい。この自然のように自らのこころを純粋に保っていたいと思いながら、この空、この大地に感謝したいと思います。

4日には、芹沢氏の生誕106年を迎えます。この1年、こんな素敵な日を迎えることができるとは思っていませんでした。素敵な――とは、芹沢氏を身近に感じられる1年だったということです。ここで出会った多くの方々、世界中の友人たちへありがとうございます。これからも芹沢氏のように純粋な目を持って、皆さんと共に歩いていきたいと思います。少年のように純粋な目で。

芹沢文学が深く人のこころを捉える理由の一つに、その正確な人間描写があります。ひとは誰も自分のフィルターを通して対象を判断します。ですが芹沢氏は、我を無くして対象をありのままに捉えるために、その表現も対象そのものが出て、その自然な姿が読む者のこころを捉えるのではないでしょうか。

それは言葉を換えれば、芹沢氏が少年のように素直な目で物事を見ていたということになります。その事に気づいた時、ハッと思い当たることがありました。僕はある日、天の使いから「物事を決めつけるな」という教えをいただいて、それ以来それを実行しているけれども、芹沢氏の少年の目は正にその事と同じだと感じたのです。

もし僅かでも他人を批判しようとするこころが芽生えた時、このこころに立ち返ります。今日は曇っていても明日は晴れるかも知れない。この世界と同じように、ひとにはどこまでも可能性があるのだと教えただろう――そう天はささやきます。ひとを判断するのではなく、いかに自分が生きるかにいつもこころを向けている。そんな生き方が芹沢氏に学ぶ生き方でしょう。決めつけないこころ――芹沢氏の純粋な目。

幸いなるこころ清らかな人たち――今日も眩い日の光が降り注ぎますように。

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2002年6月1日 counter:18697

紫陽花が雨粒で花弁を輝かせています。先月末、虹を見ました。それは二重にも三重にも見えました。虹は天が贈ってくれる個人的なしるしです。芹沢氏は友人の川端康成の死について作品を書いていますが、今回は同じモチーフでお送りします。

三重の虹 「人は死んだらどこに行くんでしょうね」

「わからないな。だれにもわからない。さあ、わからないことを考えるより、その時間を今やるべき事に使ったらどうだい」

「僕は知りたいんですよ。わからないからこそ知りたいんです」

このままでは、いくら話しても平行線だろう。そう思った途端、ピカッ!と窓の外に閃光が走った。

ドォーン!

雷鳴が轟いて、続けてスコールのような激しい雨が、隣のマンションの屋根に叩きつけた。

(親父――)

トゥルルルル、トゥルルルル――

「もしもし。うん。うん。しっかりしろ。お母さんを頼むぞ」

電話を切ると、彼が強張った表情で睨んでいる。

「うん。いまだそうだ」

「あっ――」

彼はことばに詰まった。幸之助は穏やかに微笑むと、窓の外に視線を移した。外は薄暗いのだが、右手の空がわずかに明るい。

(ごくろうさまでした。親父、僕は貴方の半分くらい生きられてるかな。もうすこし――)

振り返ると、彼はうつむいてなにかを堪えている。××は黙って立ち上げると、そっとベランダに出た。雨は一瞬で弱まって、西の空には日が輝いている。

(雨が降っているというのに――)

目を転じると、東の空に――

「虹だ!」

幸之助は感嘆の声を挙げた。その声で、彼もベランダへと出てきた。見ると、東の空の暗雲のなかに、虹が三重に架かっている。彼はわけもなくこころが震えた。

「行かなくて良いんですか」

「もう別れは済ませてきた。……それに無理して行って倒れでもしたら、迷惑をかけるだけだからね」

彼は眩しそうに幸之助を見上げた。幸之助はまだ虹を見ている。

「なかなか消えませんね」

「そうだな」

三日後、彼は一通の手紙を持って買い物から戻ってくると、物言いたげな顔で幸之助に渡した。差出人は幸之助の妹だ。幸之助が不器用な手つきで封を開けると、中から便箋と一枚の写真が出てきた。その写真を見た瞬間、幸之助は大きく目を見張った。そして写真を彼に手渡すと、便箋に目を落とした。

「幸之助さん、これ――」

そこにはいまこのテーブルに飾られているのとまったく同じ色の紫陽花に囲まれた父の顔が写っていた。

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2002年7月1日 counter:19521

すこし肌寒いくらいの雨が続きました。地球全体の温暖化でここ数年暑い夏が続いていたので、涼しい夏はホッとするものがあります。ただ、この梅雨空では、皆さんお出かけの足も滞りがちではないでしょうか。

中国の巴金氏に捧げられた作品『愛と知と悲しみと』の中に「感覚的に知ることは、知識よりも強い力になって、時には人間の運命を決定する場合もあるから」という一節があります。この文章を読んでいてハタと思考が止まってしまいました。なにか語りかけられているような気がしたのです。それもとても大切なことをです。

この文章は、隣国であるにも関わらず中国を知らなかった主人公が、渡仏する途上に上海に寄港したが日貨排斥運動のために上陸できなくて、この時に上陸できていたなら中国を感覚的に知ることができたのに、と悔やむ場面で使われています。

僕は自分の生活を振りかえりました。仕事はパソコンと向かう日々で、ボランティアさえパソコンを使います。インターネットでNEWSはすべて手に入るし、外出するのは1日1回の買い物の時だけという日まであります。外出が嫌いなわけではありません。ひとから誘われれば出向くし、用事があれば進んで出かけます。ただ何もないと、疲れやすい身体が勝って、用事を作ってまで出かけるという気にはなりません。

外に出ないかい――

旧中川土手の向日葵 芹沢氏はそんな風に呼びかけてくれたのかもしれません。外に出れば、知らない間に公園に自然の花畑ができていたり、土手に去年は3本しか咲いていなかったひまわりが数十本も群生して壮観な眺めになっていたりします。そんなときに自然が語りかけてくる言葉は、ほかのどんな時間よりも大切な時間だと気づきました。それはインターネットでは得られない貴重な時間です。

芹沢氏の人生は「感覚的に知る」旅の連続だったように思います。我入道から始まって、上京、秋田転勤、渡仏、闘病したスイス、軽井沢への疎開、原爆の落ちた広島、不時着したテルアビブ、ロシア――いつでもその地に根を張る人たちと同化しようと試みた芹沢氏。

もっと「感覚的に知る」外出を増やしていこうと思った梅雨の一日でした。

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2002年8月1日 counter:20267

駅に着くと、深い霧に覆われて、10m先も見えない――

「ここからは夢の世界だよ」

天からそう言われているように感じて。その霧のなかから現れた方は、車を走らせて、懐かしい2度目の山荘へ運んでくれましたが、夢の世界である証拠のように、山荘は晴れて、霧など跡形もないのでした。

今年はまだ都会で蝉の声を聴きませんが、高原にもセミは鳴かないで、ただ鳥の声が、山荘を囲んだ木々のなかに響いています。

「祖父と母と妹と4人で毎日2時間もかけて散策したんです」

その道をゆっくりと歩いていきます。見晴台、塩壺温泉、星野温泉、湯川――道ばたに大きなヤマユリが咲いて、少女の成長を見守ってきた木々は清々しく微笑んでいます。

「よく戻ってきたね」と言うように。

「この木が芹沢さんのナナカマドと有名で」

そうおっしゃる異常に大きなナナカマドは、芹沢氏の執筆机の目の前にありました。

「人間の僕でさえ、写真に見つめられただけで成長しようと思うもの。この机からずっと見つめられていた君が成長するのは当然だよなあ」

そうこころで問いかけても、ナナカマドはただ天に真っ直ぐその幹を伸ばして答えてくれません。

「やはり新参者には答えてくれないかなあ」と話しかけますが、ナナカマドは「おまえが聞く耳を持たないだけだ」と笑っているのでしょう。

「お母様はおやさしい方でしたよ」

調度品もそのままの書斎で『芹沢光治良の世界』の著者は言いました。作品で誤解されがちな金江さんも天で微笑んでいらしたでしょうか。

「秋には紅葉がきれいで」

庭の中心にあるモミジは真っ赤に染まり、ナナカマドも赤い実を付けるのでしょう。モミジに無言で挨拶しましたが、いつか紅葉の頃にまた会えるでしょうか――

夢は過ぎていきました。ヤマユリとナナカマドの思い出を残して。

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2002年9月1日 counter:20971

この5日間、東京は雲もない快晴で、30度を超す残暑も1週間続いていますが、鮮やかだった緑もしなびて、所々に秋の気配を感じさせます。最近夏バテなのか、不自由な身体が色々とサインを出して、力が入らずやる気の出ないことが多いのですが、そんな時にふと『教祖様』の主人公が、老婆になって皆が止めるのも聞かずに畑仕事に喜んで出たという場面を思い出して、外に出たり、創作したりするのです。そうすると不思議に身体は動いて、こころも爽快になるから、じっと休養しているより身体には良いのかもしれません。

このところ思いもかけないことが続いています。そんな時、ちょっと立ち止まり、肩の力を抜いて、これはどういうことだろうと考えるのは、その出来事の幸不幸に関わらず、実りのあるたのしい作業でもあります。僕はひとの生き死にに関わることでもそんな調子で話をするから、友人に「あなたが話すと一大事に聞こえないのよ」と苦笑いされたりします。深刻な話で深刻になるのは当たり前のことですが、深刻な話で明るくなれれば、それに超したことはありませんね。明るくなったときに、コチコチのこころも解れて良い考えも浮かびますから。

そんな衝撃的な場合に泰然自若としていられるのは、やはり何度か死線を超えるような体験があるからでしょう。ですが、それに加えてもうひとつあるような気がします。それが文学ではないでしょうか。

ひとは悲しいかな愚かなもので、自分や身内の者が病を得て初めて身体のありがたさ、自分ではどうしようもない力の存在にこころを馳せます。そこでうろたえないためにも、日頃から実りのある文学にこころを傾けておいてほしいと思います。たとえば芹沢氏の文学は、充分それに答えてくれます。どんな危機的悲劇的状況に陥っても、落ち着いて物事を見極め、天啓を得て、対処できるこころの準備を教えてくれます。そんな読み方こそ本当の読書であり、自分に代わってそんな経験を与えてくれるものこそが本当の文学であると思います。

いまも外は青空が輝いて、本当に笑い出したくなるくらい明るい天気です。

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2002年10月1日 counter:21829

関東には台風が来ています。この雨の中でも、隣の屋根には鳩が呑気に歩いて、ベランダの手すりには雀がとまります。台風と言えば、晩年の作品で軽井沢へ行くのに、大自然にお願いした場面がありましたね。

こんど初めて芹沢文学を読み始めた友が「秋が好き」と言っていたのを思い出して、今回は秋の話題を。

東京では紅葉と言うとケヤキが多いでしょうか。この月報でも2001年の11月の月報で近所の公園の紅葉を載せていますが、主の常緑のクロガネモチの向こうに赤く色づいているのは皆ケヤキの木です。もっと南の公園では小さなモミジの木がケヤキよりも鮮やかに赤く染まりますが、これも散歩の楽しみのひとつです。

軽井沢の芹沢氏の山荘にもモミジがあって、それは見事な紅葉だとうかがいました。芹沢氏は夏が終わると山荘を引き上げたから、そのモミジとはあまり縁がなかったのかもしれませんが。

モミジの他のものと言えば、外苑前のイチョウ並木が好きです。風もない穏やかな日に、絵画館前の一本道を落ち葉を踏みしめて歩いていく――ひとりで、またときには友と。

早く台風が去らないでしょうか。雨上がりには緑の香りが町中に広がって、雨に洗われた木々が歓喜の声を挙げているだろうから。

追伸――はやく松茸も食べたいです。

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2002年11月1日 counter:22651

天高く馬肥ゆる秋――

荒川土手のタンポポ 秋の空というのはどうしてこう味わいがあるのでしょう。落ちかけた日がマリアの手のぬくもりのように暖かい午後、薄くなった緑と枯葉色のまだらな土手の斜面に寝転がると、所々に小さなタンポポが黄色い花をつけていました。深い青をたたえた荒川を背景に子ども達の笑い声が響いて。

読書というのは本当に不思議なものです。同じ本でもその読む時、読む時でまったく想いが違ってきます。退屈な時の読書。いそがしい時の読書。楽しい時の読書。悲しい時の読書。

この秋、はじめて『花束』という作品を読みました。主人公は一途で愚かな若い女ですが、懸命に生きて最後には幸福を手に入れそうです。読み始めた時は何でもなかった物語が、読み終えた後に自分の境遇と重なるように思い出されました。

だれに対しても真摯に「まこと」を持って接しようとどんなに努力しても、ぶつかって転ぶこともある不器用な自分――僕もこの女のように愚かではないか。そう天に語りかけました。

手に持った文学愛好会の会報をひらくと、そこには「すばらしき仲間」と題したリレー随筆が載っていました。空に踊るような文章で、芹沢氏が後ろで微笑んでいます。つづいて「一冊の本」という政治家のインタビューを読みました。そこにもやはり芹沢氏が微笑んでいます。

会報を目の前から外すと、その空に水鳥が現れました。水鳥は二十羽ほどきれいにまるく旋回して、頭上から海の方へと少しずつ移動していくのです。

謙虚になることだ――青空に芹沢氏が笑っていました。

いま新たに『死の扉の前で』を読み始めています。芹沢氏の友情、まこと、愛情――そんなものがこころにどんどんと染み込んでくる作品です。そしてまた新たなものが僕のなかで生まれていきます。

最近、本に対する問い合わせが増えてきたようです。芹沢文学と新しい読者の出会いを喜びながら、ひとつひとつに答えています。先輩の皆様方はどんな読書をされているでしょうか。

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2002年12月1日 counter:23488

今年ももう師走です。

このところ友人たちと紅葉をたのしんでいましたが、イロハモミジも鮮やかな深紅の色を落として、いよいよ寒い冬を迎えるのですね。東京はこのところ雨が多いのですが、紅葉をゆっくりたのしみましょうという日に限って必ず太陽が顔を出してくれて、本当にありがたい毎日を過ごさせていただいています。

もう師走と書きましたが、ふり返るとあまりに色々なことがあって、この1年の身辺の変化に驚きます。あっという間に時が過ぎる年もあれば、何をやって来たのかわからなくなるほど長い1年もある。師走を迎えて、ふと立ち止まった時に、そう思いました。

今年最後の皆様へのおたよりはすこしむずかしい話をします。だれにでもわかることばで書くことを目指していますが、今回はことばは簡単でも内容がむずかしいかもしれません。悟りについてですから。

ひとは自分になにか問題があると考えるとき、その問題を解決しようと懸命になりますが、じつは本当の問題は「問題がある」と考えているこころにあることには気づきません。

それに気づいて「なぜこの事を問題と考えるのか」に思いを至らせることができれば、問題と考えていたことの本当の意味に気づいて、その問題は霧のように消えていきます。それをもっと深く突き詰めていくことができれば「問題だと思うこころが問題だったのだ」というひとつの悟りに至ります。

この悟りを得ることができれば、そのひとにはもう何も問題のない状態が訪れて、こころの平安の意味を知ることになるのでしょう。釈尊の書物に出てくる弟子たちが辿り着いた境地であろうと思います。言い換えれば、釈尊に近づくわけです。

逆にそのことに気づかないと、そのひとはいつまでも同じ問題をこころに迎えるようです。時や状況において一度解決したと思った問題に、また別の形で出会うことになります。問題の本質を知るまでは、いつまでも――

自分のこころに気をつけていたいと思います。ひとのこころは変えられません。自分のこころを変えることのできるのは、自分だけですから。

大自然からいただいたプレゼントが愛する皆様に届きますように。

いつもやさしい想いをありがとうございます――管理人

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