ここには当館をご利用いただいている皆様への管理人からの月々の便りを載せています。モラリストとも言われた芹沢氏と対話するような気持ちで、その時々の思いを綴っています。感想など皆様のお便りをお寄せいただければ幸いです。

【 2007年 】

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管理人の創作

 

2007年1月1日 counter:88808

2007年がはじまりました。今朝も、例年どおり、近所の神社に初詣に行き、途中の広場のベンチで空を見上げてきました。早朝まで晴れていた空には、雲が覆いはじめていますが、それでもこの季節としては暖かな空気の中で、親子が凧をとばしたり、犬を遊ばせていたりと正月らしい長閑な風景です。

神社にお詣りした後、不思議なことが起こって、この一年に進むべきみちを教わったような気がしていました。昨年までの落ち込んだ世界、変わらぬ空、変わらぬひとのこころ、しかし、確かに感じる温かな気配――

今年は「はじまりの年」となるのではないでしょうか。

今年、世界はまだまだ困難なことが続いていくのではないかと思います。その難しい時代のなかで、ゆるぎない強い精神と、こころの琴線にふれるような細やかなやさしさを持って、この豊かな大自然と共に過ごしていこうと考えています。

春はまだ遠いけれど、桜の老木がすでに新芽を咲かせるエネルギーを地に放っているように、溢れる力をこの世界に放っていこうと思います。晩年の芹沢氏のように、もう迷いのない光となって、ただこの世界、生きとし生けるすべてのもののために。

皆様もどうぞ幸せに生きてください。今ここに、生かされているよろこびと感謝の中で。

今年もどうぞよろしくお願いいたします。

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2007年2月1日 counter:89762

暖冬です。東京都では11日まで雪が降らないと、遅い初雪の記録になると言います。今日も暖かで、15℃はあるのではないでしょうか。身体が弱い者にとって、暖かいのは助かりますが、喜べない現象であるのは周知の事実です。

昨年も年末に東京ビッグサイトでエコプロダクツという環境博がありました。毎年、その仕事に関わっていますが、その場所だけ環境に対する意識が高くなっても、それが現実の社会に生かしきれていないのが現状です。

一人でも多くの方が来場して、環境について考える機会になってくれればと思うのですが、実は自分でも会場には足を運んだことが無く、今年こそは参加したいと思っているのですが、皆さんもいかがですか(開催は12月です)。

会場に行くと、様々な企業が思いもかけない取り組みをしていることに驚きます。これらの企業の取り組みが、より多くの企業・分野に広がれば、国民の意識も少しずつ変わっていくのではないでしょうか。

エコプロダクツで検索できますので、ぜひホームページをご覧になって、出展企業を調べてみてください。僕が気になったキーワードは「やまね」と「3R」と「グリーン購入」です。日常ではあまり馴染みのない単語ですが、分かる方はいらっしゃいますか?

暖冬もひとつの気づきの機会ととらえて、この地球を美しい星のまま子孫に残していくためにも、環境についてご家族で考えてみるのもよくありませんか。

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2007年3月1日 counter:90531

昨日は、世界株安という経済界のビッグニュースがありましたが、過熱気味の世界市場にいいクールダウンになったようです。原因は中国市場のようですが、一国の経済が世界中に影響を与える、それが中国であったことに世界が驚いているのではないでしょうか。

株とは逆に支持率が下がりっぱなしの安倍首相。短命と悟ったのか、焦るように日本版NSCを来年にも実現させたいと言います。戦争に備える暇があるなら、温暖化問題、高齢化問題にもっと真剣に取り組んで頂けたら――タカ派の安倍氏には無理な願いでしょうか。

大自然の冬――。

もう何年前になるか、岩手の山で熊に遭遇したことがあります。小熊で、猿のように機敏に逃げていきましたが、その直後に鶴が群れで飛翔する場面に出くわして、何とありがたい山であろうと感動したものでした。

北国の方はご存じかも知れませんが、鶴というのは、飛んでいる最中には女性のお喋りのような声で鳴きます。樹氷が宝石のようにきらめく山頂で、幻のように女の声がすると思って背後をふり返ると、鶴がVの字に飛んでいたのです。

素心蝋梅(ソシンロウバイ)という花をご存じでしょうか。梅の名を持ちますが梅の仲間ではありません。梅よりも一足早い正月頃に咲いて、薄いレモン色の花弁とその芳香が魅力で、冬になると必ず楽しみにして後楽園に出掛けます。

我が家は新興住宅地だと思っていましたが、もう築17年になって、整備された木々も若木の時期を過ぎ、この冬はメジロが飛んでくるようになりました。メジロは梅のような香りの好い木に止まるのかと思っていたら、わが家の下の椿に止まっていたのです。

近所では3本だけある梅の木に行ってみると、そのそばにもメジロが2羽飛んでいました。鶯色の羽に目の周りを白く縁取った愛らしい姿に惹かれていると、高い所から澄んだ鳴き声を聞かせる鳥があって、時を忘れるようなひとときを持ちました。

厳しい冬があって、春を待つ楽しみが一層募るのに、もし冬が無くなったら――。

今年、東京にはまだ雪が降りません。

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2007年4月1日 counter:91471

能登半島で大きな地震が起きました。地震規模から考えると、被害は奇跡的に少なかったとのこと。守られたことにただ感謝ですが、被災された方々は今、大きな心労を抱えての毎日であろうと思います。一日も早い復興を願わずにおれません。

記録的な暖冬、地震、空と大地の異変が続いていますが、若い人たちに助け合うこころを育てていく良い機会かもしれません。復興を支援したり、助け合うことの大切さを学んでもらう中で、殺伐とした社会にこころを凍らせている子ども達の暖炉となるように導けたら。

この春、また友に新しいいのちが誕生しました。この1年で4人目の赤ちゃんです。親となる友は車イスで、仲間のために、障害者のために動き回ってくれるボランティア仲間です。この赤ちゃん達に素敵な地球を残していきたい。そしてやさしい想いを残していきたい。

その為にも、我欲無く、ただこの世の幸せを祈りながら瞑想し、教えを説いた仏陀のようにこころを落ち着けて、移ろう日々を過ごしていきたい。若い人たちに、大切なことを伝え、共に学びながら。

今日は仲間の結婚式です。子どもが好きで、保育園や小学校で働いていますが、障害者のボランティアをやり、共に社会に奉仕する仲間です。何でも自分たちでできる子たちなので、何もしない幹事ですが、やさしい二人に好い一日になるように見守りたいと思います。

何が起ころうとも、人々の日々の営みは続いていくのだから、どんな境遇の中でも、荒んだこころではなく、強くやさしい想いで歩きたい――そう思ってくれる仲間がもっと増えるように。

新宿御苑の桜 桜の季節になりました。荒川の土手を白やピンクの桜たちが見事に飾っています。

桜が被災した方々のこころを少しでも慰めてくれれば――

そう願いながら、その鮮やかな花を眺めています。

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2007年5月1日 counter:92224

昨日(4月30日)、東京では今年初の夏日を記録しました。暑い日があると思えば、底冷えのする雨がある。数日で冬と夏を行ったり来たりするような4月の天候は、この世界に何かが起こっていると思わせるようなおかしなものでした。

気象の異常は今に始まったことではありません。ここ数年、ずっと続いているのですから。けれどいつもより重苦しく感じるこの空気は、大自然が何かを伝えているように感じて仕方がありません。

天候が崩れているこの時期、ひとのこころもおなじように崩れはじめてはいないでしょうか。相次ぐ銃撃事件、そして連日のように報道される火災のニュース。政治の世界では、必要なはずもない集団的自衛権が議論され、ため息の出るような毎日です。

今の日本は確実に誤った方向に歩き出してはいませんか。時代に流されている時、ひとはその流れが何処に向かっているかわからないものです。辿り着いてから慌てないように、少し違った視点からこの国を見る目を養うべき時かもしれません。

同様に自分のこころについても、大自然の中で静かな時を持って、じっくりと眺める習慣を持つべきではないでしょうか。芹沢氏にとっての森次郎ような存在の声に耳を傾けて、感情に流されず、自分本来の仕事を思い出すように。

そんな風に立ち止まって、自分や世間を眺めることができていれば、おそれるものなど何もないのです。正しい目を持ち、正しい行いをするひとに、大自然の摂理は必ず味方するものですから。

ストレスを抱えて生きていらっしゃる方は、尖ったこころをしていないか、争ってはいないか、不安を抱えてはいないか――そんな不要なものを手放して、こころのメンテナンスをしっかり行ってみてください。

翌日の朝、笑顔で「おはよう」と言えたら、それでもう貴方も、貴方のまわりの世界も幸福に変わっているのです。大自然はそんな貴方のもとに沢山の明るいニュースを運んできてくれるでしょう。そのうち疲れたら、また立ち止まってみればいいのですから。

「私は家庭の中で、職場で、学校で、社会の中で幸福です。ありがとう」

いつもそう感じていられれば、どんなに素敵なことでしょう。また、そう言えるひとでありたいと思いませんか。他人を疑うこころ、敵視するこころからは、そんな想いも言葉も出てくることはありません。大切なのは自分がいかに生きるかですね。

亀戸天神の藤 そして貴方のまわりにもそんな想いを広げてください。誰もが幸福にすごせるように――

「争いはいらない。だから自衛も不安もいらない。

真の平和は争いのないこころに訪れるのだから」

――藤の花のやさしい香りに乗せて。

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2007年6月1日 counter:93289

昨夜、東京では雹が降りました。激しい雨に落雷、川崎では1時間に90ミリの猛烈な雨が。「いのち」を粗末にするな、という大自然の怒りの声に聞こえたのは僕だけでしょうか。

人間は進化しているのではなかったでしょうか。野蛮な武士の時代は終わり、武力ではなく知性によって、どんな困難をも乗り越えようと努力してきたのではなかったか。「いのち」で償うことが美徳だった時代は、武士の世と共に終わったはずです。

どうか「いのち」を大切にしてください。戦乱の世ではなく、この平和な時代の日本に生まれることのできた幸福をしっかりと感じて、この大自然――生きとし生けるすべてのものたち――と共に、この世での限りある「いのち」を精一杯謳歌してください。

昨日、いつもの病院で診察を受けていました。痰が詰まって息が出来なかった話をすると、医師は「大袈裟だと笑われてもいいから、少しでもおかしいと思ったら病院に来てくれ」と懇願するように言いました。「いのち」に取り返しはつかないからと。

医師のありがたい言葉に感謝しながら、「当然です。僕はまだ死ねません」とこころで答えていました。闘病中には死ぬほど辛いことも何度かありました。けれど今、生かされていることに感謝しています。まだまだやらなければならないことがあるから。

僕と同じ病気で、何人もの仲間が若くして天に帰っていきました。ボランティアで知り合った友は、30才の誕生日のすぐ後、呆気なく院内感染で逝ってしまった。恋もしたかっただろう、夢もあっただろう、まだまだ生きたかっただろうに――。

僕が生きているうちは絶対にこの国に戦争は起こさせない。そして、僕の死後もその遺志を継いでくれる子ども達を育てていかなければなりません。だからまだ天には帰れないのです。生きたくても生きられなかった仲間たちの分まで、この世界の行く末を見届けたいから。

風の広場 子ども達に教えたい。

――自ら「いのち」を断つこと。

――ひとの「いのち」を傷つけること。

この二つだけは絶対にしてはいけないと。

過ちはやり直せる。つらい時はいつか終わる。けれど「いのち」だけは取り戻せないから。

この世界でやるべきことをなさずに天に帰ってはいけない。大自然に帰って後悔しないよう、どうか「いのち」を大切にしてください。

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2007年7月1日 counter:94212

先月、鎌倉の友人宅に遊びに行きました。日曜で呆れるほどの人混みでしたが、鎌倉駅の改札の前にツバメが巣を作っていて、翌週に遊びに行った千葉の小駅にも、やはりツバメの巣があって――初夏らしい景色にこころが和みました。

どちらも知らない土地でしたが、初めての場所というのは、不思議にこころを若くするような気がします。新しい事に挑戦している時のような、まだ見ぬ未来を夢に見ているような、そんなちょっとワクワクした気持ちと言えばわかってもらえるでしょうか。

お金も体力もないから、そんなに屡々知らない土地に出掛けるわけにもいかないのですが、いつも新鮮な気持ちでいられるように、新しい事にはできるだけ挑んでいたいと思っています。そんなチャレンジ精神で、最近始めたことがあります。

以前、この欄にも書きましたが、ボランティアの仲間が東京都のITサポーターというパソコンボランティアの役職に就いていて、今年から僕もその仲間に加わりました。最近、江戸川区のボランティア依頼が少なくなって、区から都へと活動の場を広げたわけです。

サポートには依頼者のお宅に伺う訪問サポートと、東京都の障害者の本拠地である新宿の障害者センターでのサポートがあります。依頼に対する采配をふるうのは事務局で、こちらは手を挙げて依頼を待つというシステムです。

1月末にサポーターになりましたが、先月やっと初仕事がありました。サポーターになるにも抽選漏れで3年がかりでしたが、なってからも抽選に弱かったようです。こちらも不自由な身体ですから、それくらいのペースが合っているのでしょう。

障害のある方と接してよく思うのは、皆さんが純粋であるということです。そこには取り繕いも見栄もありません。もちろん汚職も不正もありません。生きていくことに一生懸命で、健常者に負けないくらいこの世界を楽しみたいという素直な欲求があるだけのように見えます。

その目標とされる健常者の創る世の中は、驚くようなニュースが毎日のように紙面を飾って――民主主義とは全く異なる方向に進む安倍内閣、汚職や不正が当たり前になってしまった地方自治体の倫理観、大企業の相次ぐ不祥事――どこへ行こうというのでしょうか。

こんな状況を大自然が黙っているとは思えません。実際、今年の日本は空梅雨で、全国で水不足が起こり始めています。この世界に起こる天災はすべて、ただ人間にやさしい想いを思い出してほしいために大自然が起こしているのだろうに。

正しい道も少しずつ「狭き門」になっている気がします。ここを訪れてくださる方々にも聞いてみたいものです。やさしい想いが、周りのひとたちから浮いてしまうように感じることはないか。そうなってはいけないし、そうならないためにもやれることは沢山あるはずですね。

芹沢文学を敬愛する者として、こころを汚さないように気をつけることもそのひとつでしょう。汚れたものに感化されるのではなく、汚れたものを清純に感化していく強い意志で、価値観の狂いはじめたこの厳しい時代を生き抜いてほしいと思います。

最近、こんな状態の社会のために、何か行動を起こしたい考えて、小さな事から始めてみることにしました。これもチャレンジ精神かもしれません。何を始めたかと言うと、毎日3つのゴミを拾ってみることにしたのです。

ゴミを拾おうとすると「こんな汚い物を拾うのか」という思いが湧きました。ですがちょっと立ち止まって考えてみたのです。汚いのはゴミではなく、ゴミを捨てるこころであろうと。拾った手の汚れは洗えば落ちます。こころの汚れはそう簡単には落ちないでのはありませんか。

まわりにゴミが無くなってくると、人間心理としてゴミを捨てづらくなるようです。ただゴミを拾うという行為が、たとえ100人に1人であろうと「捨てられないな」という改心を起こさせてくれるなら、こんなありがたいことはありませんね。

そんな大きな目標は立てなくても、毎日たった3つのごみを拾うだけで、年間に1000以上のゴミが近所から無くなるという、その光景を想像するだけでも清々しい気持ちになりませんか。僕はひとり笑顔になってしまうのですが。

家で仕事をしているために、外で働くひとのようにゴミに接する機会も少ないのですが、さあ今日もゴミを拾いに行きましょう。街からゴミが無くなった数だけ、ひとのこころが清らかになるような夢を見ながら。ツバメは今日も気持ちよく飛んでいるから――

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2007年8月1日 counter:95139

日曜日の参院選の雷雨、そして一昨日も。大自然は何を告げるのでしょうか――

自民大敗にも安倍首相は変わったようには見えません。彼の見る方向にも、大自然の望む道は見えてきません。ですが民主党に託した国民の関心も年金問題が焦点という結果では、この国の政治はなんら変わらないというのは言い過ぎでしょうか――

天も地も大きく動いています。間違えに気づくべきなのは安倍さんだけでなく、一人ひとりがこころの浄化を進め、恒なる平安と大自然への感謝を取り戻した時、この暗雲は去っているのではないでしょうか。

そんな暗い世相に光となるよう、先月の続きですが、ゴミ拾いの話を。

ゴミ拾いですが、始めて1ヶ月半。これが思ったより楽しいです。見えないものを変えるのは難しいし、大変ですが、見えるものを変えるのは簡単でわかりやすく、気持ちいいものですね。もっと早く気づけばよかったと思います。

ゴミは空きカンだったり、タバコの吸い殻だったり、紙切れやビニール袋のこともあります。それを毎日ただ3つ拾う。拾えばそこは「ただの道路」になる。ゴミの落ちていない道路です。そんな地味な行動が、思いのほか清々しいのです。

拾っているのは、ただの道路のゴミではないのかもしれない――

拾い始めてわかったことがもう一つあります。ゴミは拾っても拾っても無くならないということ。もしかしたら、そこで諦めるひともいるかも知れない。けれど僕は諦める気にならないのです。それはゴミを拾った時の清々しい気持ちのせいかもしれません。

団地には、仕事で清掃をしてくれるご婦人方がいますが、その中に、すれちがう際にいつも素敵な笑顔で挨拶してくださる婦人がいます。その方も毎日ゴミを拾われていますが、素敵な笑顔の秘密は、案外そんなところにあったのではないでしょうか。

安倍さんは真面目なひとだから、首相なんかにしがみついていないで、ゴミを拾ってみればいいのになあと思います。ゴミを拾った場所には、もっと大切で、もっと尊い地味な道が見えてくるだろうに。

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2007年9月1日 counter:96150

ペルーで大きな地震が起こりました。日本は政権が混迷、イラクでは自爆テロが激化、中国では溜まった膿が溢れ出て、アメリカでは低所得者層向け住宅ローン焦げ付き問題で経済が破綻――日本で、世界で、地球が大きく動いていますね。

北極海の氷が、すごい勢いで溶けているのをご存じでしょうか。その影響で、世界の気象はこれまで以上に――既に異常であるのに、それ以上に――異常気象を起こしていくと言われています。それなのにまだ世界はその対策にとりかかれていないのが現状です。

日本だけ見ても、春の能登半島沖地震に続いて中越地震、ソニーに続き松下でもリチウム電池に不具合、食料業界では北海道で偽装問題が続き、最高気温は74年ぶりに更新して、熱中症の被害も拡大しました。

この大きな動きの後で、次にはどんな時代が来るのでしょうか。芹沢氏が望んだような未来――皆がやさしい想いを持ち、他を尊重した成熟した時代――は来るのでしょうか。今はまだその芽でさえ感じることができない気がしますが。

ただひとつ確かなことは、世界がこれだけ大きく動いている背景では、大自然の力も働いているということです。大きな変革が起こっている――それをしっかりと感じながら、この動きに乗り遅れないように、こころと行動を整えていきたいと思います。

話は変わりますが、来月、埼玉で芹沢文学愛好会の記念コンサートがあります。我が家でも聴かせて頂きに行く予定です。今回演奏される次女朝子さんの娘、裕子さんの演奏は都響で聴かせて頂いたことがありますが、尚子さんの演奏は初めてで楽しみです。

皆さんもヴァイオリンの調べにこころを洗う秋のひとときを如何ですか。

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2007年10月1日 counter:97079

一昨日は真夏日で汗だくだったのに、今日は長袖でも肌寒いような雨で、このところの気温の変化には驚くばかりですが、まだまだ天気は安定しないだろうなと、降りしきる雨の音を少し憂い顔で聞いています――これからが本格的なのかもしれない――。

安部さんが思いがけない離脱で、新総理もまた思いがけずに福田さんが就き、日本の政情も興味が尽きませんが、今はそれよりもミャンマー問題に注視しています。ミャンマー問題は子供たちに格好の社会科の授業のようですね。

自らの利権を失いたくない軍部、その軍部を外交で利用している中国とロシア、そして世界のリーダーシップを取りたがるアメリカ、人道主義を貫くフランス、常に慎重な日本、こんなにわかりやすい教材は無いという情勢です。

ですが、その中で目を惹くのはやはり国民ですね。自由を求める国民と僧侶たちの叫びが、地上に天にとこだましているのを聞く気がします。軍部にも、中国やロシアにも、この動きは止めることはできないのではないでしょうか。

昨日、今日と軍部がデモを制圧して平和になったと子供だましのような宣伝をしていますが、ミャンマーがこれからどんな未来図を描いていくのか、今という時代を共に生きている私たちもしっかりと見届けなければならないと思います。

それが自由への凱旋図であることを、一人でも犠牲者が少ないことを、祈って――

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2007年11月1日 counter:98023

愛好会の全国大会で、中日のコンサートと講演会に参加させて頂きました。芹沢氏とも縁のあるレオ・シロタの孫弟子にあたるという池内章子女史のピアノ伴奏で、芹沢氏のお孫さんのヴァイオリンの音が自然に胸に染み入ってきました――。

作家の加賀乙彦さんの講演会も実に飄々としたもので、少し惚けた感じの加賀氏の話術に会場も仄々とした雰囲気に包まれていました。加賀氏は最後に質問が無いことが残念だったようですが、声さえ出ればパリでの生活など質問してみたかったところでした。

芹沢文学自体が個人を尊重し、自己主張をせず、相手の言動行動を深く黙考し、自我無く、博愛・奉仕の精神を持つ文学だけに、その会場の様子も仕方のないことかと思えたのですが、参加された皆さんはどう思われたでしょうか。

温暖化による作物への影響、社会事件の続発、世界的経済情勢の不安定と、近年に類のないほどのマイナスの気に覆われた世界に対して、今はその芹沢文学の精神で、すこしでも社会に奉仕していくことが必要な時期ではないかと思います。

芹沢文学精神で世界に奉仕するとは、何か特別なことをするのではなく、自分の仕事、役割を淡々とこなすというだけのことですが、その中には、この荒れた世界を一生懸命に生き抜くということも含まれているかもしれません。

先日、近所に住む血縁のある娘が突然、難病と診断されました。生命には支障はないが、不治の病です。まだ20代。僕も丁度その頃に発病して障害者となっただけに、彼女の今後が昔の自分に重なって見えて、こころを動かされます。

今はまだ青天の霹靂で、これから自分がどうなっていくのか、何もわからずに痛みに耐えているだけかもしれないけれど、この先、少しずつ現実が見えてきて、迷い、悩むような時にはそばにいて、僅かでも彼女の力になりたいと思っています。

いま、僕のこころには微塵も争いがなく、ただ仏陀のように「生きとし生けるもの皆、平安であるように」という祈りがあるばかりです。彼女がこれからの苦しい体験の中で、そんな想いに辿り着いてくれることを願っています。それはとても幸せな境地だから。

災害、病気、事故――長い人生を生きていると、思いもかけないことが起こります。ですが、『巴里に死す』の伸子のように、どんな時にもこころを育てていくことはできるのだと忘れないでいてほしい。それこそが生きていく意味かもしれないから。

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2007年12月1日 counter:98813

激動の2007年も最後の月になりました。こんな世相でも、僕は芹沢氏や教祖様の主人公がこころにあるから楽天家でいられるけれど、世間には疑心暗鬼になったり、不安になったりしている方々も多いのではないでしょうか。

先月も書きましたが、生きていれば様々なことが起こります。だからこそ一日一日を精一杯生ききるつもりで過ごすことが大切なのでしょう。今年最後の挨拶は、皆さんに少しでも明るい未来を思い描いて頂きたいという思いで綴っていきます。

先日、我が家のパソコンにWEBカメラとマイクを付けてテレビ電話が出来るようにしました。繋いだ相手は故郷の両親です。900キロ離れた実家が、すぐそこにあるような感覚で会話ができます。これで遠距離でも電話代を気にせずに話せるようになりました。

宇宙には月探査船「かぐや」が飛び立ち、今までに見られなかった月の裏面をハイビジョン映像で鮮明に見せてくれます。ジャックが夢見た月も、こんなに近くにあるように観察できる日になったのです。

先月末には、皮膚から万能細胞を作ることに成功したという医学的大発見があって、全世界に衝撃を与えましたが、そのニュースに近未来への期待に思いを馳せた患者さんも多かったのではないでしょうか。

どんな暗い世相の中でも、医学も、科学も、テクノロジーも日々進化しています。幸せの定義はひとそれぞれでしょうが、誰もが幸福であるように、光に包まれてあるようにという熱い思いを持った方々が、この世界を平安に導いてくれているのだと感じます。

そこには勿論、目に見えるものだけでなく、目に見えないものたちのサポートもあるのです。この大自然に育まれ、生かされている感謝の中で、それぞれが自分の役を果たしていけば、この世界はもっと輝いた世界になっていくはずです。

こころが荒んだ日には、立ち止まり、そよぐ風に耳を澄ませてみればいいのです。その時、こころに愛が灯っていることに気づけば、不安は何もいらないことが、またこの大自然の他に畏れるものは何もないことがわかりますから。

僕は家族にいつも言うのです。他人はどうでもいい、貴方が何をするかが大切なのだよと。貴方が曇りのない明るい思いを抱いていれば、それが自然と行動へと繋がって、この世界を善い方向に変えていくのだと。

今日もゴミを拾い、与えられた天職を果たし、時にはボランティアをして、仲間たちに笑顔を振りまいていようと思います。力不足でも諦めることなく、光ある道づくりの土ならしのために。ひとは変われる。そして世界も変われる。その希望をずっと胸に抱いて――

仏陀の手の光の中で 今年も温かい思いをありがとうございました。

ご家族の皆様と、仲間たちと、縁ある方々とよい年をお迎えください。

生きとし生けるものみな平安であるように祈って――管理人

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