ここには当館をご利用いただいている皆様への管理人からの月々の便りを載せています。モラリストとも言われた芹沢氏と対話するような気持ちで、その時々の思いを綴っています。感想など皆様のお便りをお寄せいただければ幸いです。

【 1999年 】

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管理人の創作

 

1999年1月1日 counter:1705

新年あけましておめでとうございます。この寒空の下でも、朝には鳥達が大合唱を聴かせてくれます。雲一つない青空の下で真っ白な日の光を浴びた荒川の土手を、いつもと変わらず散歩をする人たちが横切っていきます。本年もどうぞよろしくお願いいたします。

年賀状の1999年という文字が目に飛び込んできます。1000年期の最後の年。来年は2000年で世紀末。再来年が2001年で21世紀。自分がそんな時代に生まれ合わせている不思議と幸運に感謝しながら、だからといって変わったことをするのでもなく、ただ淡々と日々を喜んで暮らしていこうと思います。皆さんはどうですか。

正月になると多くの日本人は初詣に出かけます。行き先は神社ですが、神社と一口に言っても、そこに祀られている神は、伊弉諾尊、伊弉冉尊、天照大神、素戔嗚尊、月読尊など八百万の神々です。では、八百万の神と宇宙を創造した唯一の神とはどういう違いがあるのでしょうか。その事を芹沢氏も疑問に思い、親様に問いかけていますが、それに対する親様の答えが『神の計画』に書かれています。
「太古、親神が信頼する魂を地上に送って親神のこころを伝えさせたが、それがいわゆる八百万の神々と呼ばれた。やがて3千年ばかり前になって、手助けの魂を地上に送ることを止めて、最も信頼する魂に天の将軍という名を与え、親神が降りることが出来るような器(社)を導き育てさせた。器が完成したとき、親神がその者に降りて人類の助けにかかった。」

親様は親神の元には十柱の神が在ると言っています。それらの神々が3千年より昔、この地上に降りて天照大神と呼ばれたり、アポロンと呼ばれたりしたのでしょうか。

ここで芹沢氏の信仰について考えてみたいと思います。芹沢氏の信仰は大自然の神に対するものでした。『神の微笑』でジャックの説いたこの宇宙を動かす唯一の神です。氏は幼い頃、天理教に帰依した両親に捨てられ、貧困の中に神と決別し、ただの人間として気楽な生活を送ったが、フランスで結核にかかったことから、また神につかまったのでした。作家としての氏は、神の代弁者であるという立場で創作し、60年の作家(信仰)生活を生き抜いて、満足な最後を迎えるだけでしたが、神は褒美を用意していました。神が現実の世界に現れて、氏の眼前にすばらしい世界を展開して見せたのです。『神の微笑』以降の作品は、氏と神との共著と言っても差し支えないでしょう。

その芹沢氏の信仰の根底にあるものは、やはり天理教です。物心ついたときから、優しい祖母に「神が見ているで」と教えられ、家はまた教会として田舎の素朴な信仰を幼い氏の目に映したのでした。病があれば、自分のどんな心の持ち方が間違っていたかと自己の内面を追求する天理教式発想は、釈迦の説く因果応報と根を同じにする一つの真理でした。進学の問題で神を捨てた氏でしたが、そうして植え付けられた信仰はそう簡単に拭えませんでした。

再び、神と出会い、作家になった氏は、糟のように残る天理教と真っ向から対峙すべく『教祖様』を書き上げます。教祖中山みきに降りた神が、イエスの説いた唯一の神と同じだと信じられたときの氏の心境がどのようなものであったか――。この作品を読んで、中山みきの生涯に感動を覚えない読者はないと思います。自分の心の高慢、欲を払うために、家屋敷を取り壊し、家財全てを貧者に施して無一物になって、貧しい者の心を我がものにし、病む者を癒し、心の建て直しを説いて、神の望む陽気暮しの世の中にするためだけに生きたみきの生涯は、人間の生き方の原点を考え直させる力を持っています。

芹沢氏は『人間の運命』などの作品で、2代目教祖井出クニを意に介さないような描写を多く書いているので、氏の信仰観を誤解している方もあるかもしれないが、自伝『男の生涯』では、その井出クニの助けっぱなしで、何の見返りも求めず、ただ神の話を取り次ぐだけの信仰態度に敬服し、欧州生活での心の支えにしようと本音を覗かせていて、この頃からすでに親様に対する敬意を抱いていたこがわかります。しかし、芹沢氏は天理教に帰依しませんでした。そしてジャックや仲間達が示してくれた崇高なキリスト教にも。ただの個人として神と向き合ったのです。この事は宗教を越えた時代を迎え始めた現代の手本になる生き方だったのではないでしょうか。

生涯無宗教で生きた芹沢氏が憂えた宗教の堕落は、今更説くまでもないでしょう。地位、権力を持った上層部が心を腐らせ、信者を誤った方向に導く図式は、太古より繰り返されてきたのです。だからといって宗教全体を否定する必要はありません。なぜなら、末端の信者には真の信仰を守る人が多くいるのも事実だからです。ここで大事なのは、何教であろうと、信者は己と神との関係において信仰を磨き、属する宗教を誤らせない努力が必要なのでしょう。こんなことは氏の読者には言うまでもないことでした。

家庭や職場がこの世の天国のように皆が幸福で笑いさざめく愛と慈しみの世界。太陽が輝き、緑が風にそよぎ、動物も植物も大自然の営みの中に感謝の歌声を謳歌する世界。そんな世界をこの世に建築することこそ、全ての宗教の目的であり、芹沢氏が生涯をかけた信仰ではなかったでしょうか。

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1999年2月1日 counter:1895

東京は21日間雨が降らないという記録を作るほど乾燥した毎日でしたが、お陰でインフルエンザが流行っているようです。こころ健やかに風邪を寄せ付けない明るさで過ごされてください。と言う僕はもうやられてしまったのですが……。

このところ芹沢氏の作品ばかり読んでいて、そろそろ他の作品にも戻ってみようかと本屋に通い始めました。どうせなら大作を読もうと、犬飼道子さんの『旧約聖書物語』と中村元氏の『ゴータマ・ブッダ』を買いました。どちらも芹沢氏が作品で書いているように凄い厚さの大作です。現在、『旧約-』の方を読み終えたところですが、この時代の話が空想の世界ではなく現実のものだと強く感じることができ、神への想いを新たにしました。旧約の書を読むのは初めてではないのですが、犬飼さんの文章はさすがです。これから中村氏の方にかかるのですが、こちらは旧約の更に倍はある厚さの大作で、なかなかワクワクするものがあります。どんな世界に連れていってくれるのでしょう。

飛鳥大仏 日本には数多くのブッダ像つまり仏像があります。それらの仏像は威厳に満ちていたり、慈愛が溢れていたり、様々ですが、きっとこころ惹かれる仏像というものが皆さんにもおありではないでしょうか。僕の自宅のTVの上には中宮寺の如意輪観音像の写真が飾ってありますが、僕はこの女性のような優しさをたたえた柔らかい像が好きです。

衆生を救うためにこころを砕いているという悟りを開く前の若き日のブッダをあらわしたこの像は、厩戸皇子(聖徳太子)の母穴穂部間人を模したとも言われています。僕はこの像にブッダというより母の愛を感じるのです。その中宮寺のわずか数十m横には法隆寺夢殿が建っています。その本尊である救世観音像は長い間秘仏とされてきた不思議な像です。聖徳太子の等身仏と言われるこの像と対峙したとき、好き嫌いを越えた衝撃に魂が震えるのを感じます。これと同じ衝撃を僕は飛鳥寺で感じたことがありました。飛鳥寺の本尊は釈迦如来座像(飛鳥大仏)です。この二つの像には共通点があります。飛鳥時代の代表的な仏師鞍作止利一派の作品で、アルカイックスマイルと呼ばれる特徴的な笑みを浮かべている表情を持っていることです。僕はこの像の前に座すとき、安らぎに包まれて歓びに満たされるのです。理由はわからないのですが。

寒い冬は、葉を落として黙している公園の木々や冬眠している虫たちを真似して、あまり働かないでゆっくり休みましょう。そして暖かい春が訪れたら、時代時代の想いが込められた仏像たちにめぐり会いに行く旅というのはいかがですか。仏像と無言の対話をする10分20分の時間が、こころの内に新しい何かを与えてくれるかもしれません。

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1999年3月1日 counter:2050

家から出たときの空気に、はっと春の気配を感じるようになりました。お天気の方は、このところ晴れたり曇ったり。まるで僕のこころのようだと苦笑いします。最近、ブッダの生涯について読んでいる影響で、清らかな思い、清らかなことば、清らかな行い、清らかな生活ということが、新しい芽として、自分の中に何かを育てようとしています。

「はじめにことばありき」

僕にはこころの師である芹沢氏の他に、常につきあいのある人生の師が1人あります。先日、その尊敬する師から、僕にとっては「死んでしまえ」と言われるに等しい心ないことばを受けました。後になって、気づいたのです。ことばは、人間が互いに助け合い、慈しみ合う、愛を語るために神から与えられたものであり、愛のあることばを使えば、その人間たちは幸福で、そこにはこの世の天国のような光景が生まれるが、怒りや不平不満、愚痴などの愛のないことばは、使った方も言われた方も気分を害し、傷ついて地獄のような光景になってしまう。僕が受けた罵りのことばは、師自身をも苦しめたのではないか、そう思ったとき、師に大変申し訳ないことをしたとこころで謝罪したのでした。

心ないことばは決して使うべきではありません。ことばを話すのに、いちいち気を使えないと言う人もいますが、自分が普通に使ったことばが、人を傷つけることもあるのですから、人のこころを思いやったことばを使うためにする努力は、決して無駄なことではないでしょう。

愛のあることばをつかう。それは実に簡単なことです。そんな簡単なことで、この世は天国になる。ただ、それを知らない人が多い。「あなたは地獄にいたいですか? 天国にいたいですか?」 そんな簡単なことを、周りにいる縁ある人たちに伝えていければと思っています。

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1999年4月1日 counter:2236

冬の名残のように、東京では冷たい雨が続いて、なかなか春物への切り替えられません。桜も咲ききれない――。最近は、ブッダと共に生活している毎日ですが、取引先に奈良から上京したばかりの青年が入ってきて友達になったので、これからは度々奈良へ遊びに行けそうです。じっくり腰を落ち着けて、奈良の寺を回りたいなあと思っていたので、ブッダからの贈り物だと感謝しています。

諏訪大社前宮の鳥居 僕は芹沢氏よりも身体が弱くて、ふだんはあまり働かない方なのですが、この3月は決算期ということもあって、実によく働きました。ただ、働くだけではまいってしまいますので、ポップジャムをNHKホールに見に行ったり、友人と諏訪大社にドライブに出かけたり、身体をリフレッシュさせる方も怠りません。あと、毎日の気功も。

気功といっても、あまりちゃんと知っている方はいらっしゃらないと思いますが、基本は「ゆるみ」です。身体を細胞からゆるめていく。それは身体にとって、とても大切なことです。健康というのは、こころと身体の健全なバランスで成り立っています。芹沢氏の読者の方々は、こころの健康は問題ないと思いますが、身体の健康が整っていない方が多いのではないでしょうか。こころと身体は密接に関係し合っていて、こころのバランスが崩れると、身体が病気になるし、体が調子が悪いと、こころが沈みますよね。やる気が出なかったり。

仕事や家事や子育てで、身体が疲れたなあと感じたら、思いっきり身体中の力を抜いてみてください。リラックスさせるのです。常に力の入っていない身体を保てるようになれば、肩こりなんてなくなるし、身体がずっと楽になりますよ。ストレスや忙しさで細胞が緊張すると、そこから病気が起こります。いつでも身体をゆるめる。背伸びや、軽い体操も効果的です。

芹沢氏は90を過ぎても、散歩や青竹踏みを欠かさなかったようですし、こころばかりでなく身体も大事にしましょうね。と偉そうなことを言える身体ではないのですが。

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1999年5月1日 counter:2496

みどりの日に、東京の空にみどりならぬ七色の虹が架かりました。虹はやさしいなあと感じました。墨絵のようなモノトーンの男性的な空に、やさしい色彩の女性的な虹。暗い雲の隙間から覗く太陽は、晴れた日にはお目にかかれない矢のような白光を放っています。その光を受けて、新緑のみどりも眩いほどに鮮やかです。

先月の月報に気功の事を書きましたが、心と身体の関係について、取引先で面白いことがありました。以前の月報でも、ストレスで胃を痛めて登場した女の子ですが、最近ずっと忙しい日々が続いて、精神的にかなりむしゃくしゃしている状態になっていました。「A社め、A社め」と独り言を言うくらいで、僕はちょっとまずいなと思って「笑顔が幸福を呼ぶよ」といった内容のメールをあげたのですが、時すでに遅く、翌日は風邪で寝込んでしまいました。この娘は体育会系の健康少女なのですが、正に心と体が一体である見本のようで、笑ってしまいました。本人には申し訳ないですが。「病は気から」は本当のようです。

ですが、忙しいとどうしてもしかめっ面になるし、身体に力が入りますよね。だからこそ、仕事や家事で辛いとき、ちょっとベランダや外に出て、ふっと肩の力を抜き、身体を弛め(リラックスさせ)て、背伸びでもしてみませんか。そこで笑顔が出れば、なおOKです。ストレスや疲労で凝り固まった身体を弛めてやる。何事も停滞は良くないようです。

カレンダー通りの方は、今日からゴールデンウイークですね。僕は岐阜と富山の山に行って、都会で知らず知らずの内に溜まった疲れを、大自然に放ってリフレッシュしてこようと思っています。いつもと変わらぬ生活の皆さんも、新生活で慌ただしかった皆さんも、良い休暇をお過ごしください。ちなみに4日は芹沢氏の誕生日です。僕はこの祝日を芹沢氏にちなんで「水の日」と勝手に名前を付けて読んでいます。

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1999年7月21日 counter:2986

永らく留守にしてしまいました。申し訳ありません。実は、芹沢氏の誕生日である5月4日に、何年も前から抱えていた病気が悪化して入院しました。このところの月報で健康のことを扱っていながら情けない限りです。帰国してから十年以上もストイックに療養に徹した芹沢氏に「身体を大事にしなくては」と叱られたような気分です。僕の病気も芹沢氏と同様、死を目前にしたような大病であり、その死と向きあうとき、この文学館のことなど思うと――諸行無常――世の中に永遠に続くものはないとわかっていても、寂しい想いになりました。限りある生命を精一杯生きようとまた新たなスタートです。

僕が療養している間にも、季節は春から梅雨へ、そして夏へと移り変わってきました。病院生活は季節感がありません。病室は空調で一定の温度に保たれ、同じ生活リズム、同じ服装の医師と看護婦と患者、ロビーで手術を待つ家族、人は変わっても繰り返される光景です。決して明るくはなれない場所。若い外科医が術後のガーゼを取り替えながら「こんな所は早く出た方が良い」とやさしく言います。

入院中、素敵な看護婦さんに会いました。彼女は僕の担当で、最初に調査書のようなものを作るために、長い時間話をしました。ベッドに横になったままの僕の目線にあった、彼女の細い足のストッキングは伝線していて、白い制服も所々汚れてよれよれです。僕は長い入院経験で、看護婦という仕事がいかにハードか熟知していたので、彼女も頑張っている人だなあとすぐにわかりました。芹沢氏で想い出すのは、あの高原療養所の四斗樽看護婦さんでしょうか。僕の担当の彼女は、細身の可愛い女性でしたが、若い人の多い看護婦の中では、9年目のベテランということでした。

近所の向日葵 どんな仕事もそうですが、年を経て経験を積めば、知識や技能は向上しますが、一生懸命な頃の初心を忘れるものです。ですが、彼女には全くそれが感じられません。一生懸命で、知識も豊富で、実に細かいところにまで気がつきます。そのうえ無理がなく、自然体です。彼女のように素敵な人にお世話をしてもらえたせいで、辛い入院生活も本当に楽に過ごすことができました。ありがとう。

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1999年8月1日 counter:3042

梅雨も明けて、しばらく顔を隠していた太陽も、毎日のように元気な姿を覗かせていますね。僕の住んでいる隣を流れている荒川は、光ファイバーで監視し、水量を調節しているという日本一ハイテクな河川らしいのですが、いつかそのハイテクが川をもっときれいにしてくれるのではないかと夢見ています。

我家から見た荒川 このところの夏の日差しは、病み上がりの僕には強すぎるので、日中はクーラーの効いた部屋で読書(昼寝?)をする毎日です。皆さん、読書の方法はいろいろあると思いますが、僕は今の自分の境遇と正反対の物語を読んで、全く違う世界を楽しむという方法をとっています。で、今、読んでいるのが、『トム・ソーヤの冒険』です。なかなか夏らしいでしょう。

その穏やかな夏休みに、若い友人のB君が居候におしかけました。そのB君は、北関東の田舎で勉強しているのですが、大学時代から5年間付き合って、結婚まで考えていた彼女と別れたばかりで、その傷心を癒しにうちを訪れたのです。来たときの彼は、思うままにならない自分の心に苦しんでいました。恋愛って不思議です。凄く恋してるとき、失恋したとき、どちらも心が自分の心でないように勝手に走ってしまう。自分の心なのに、自分でコントロールできない。

彼は5日間泊まって、それでも帰りには元気に帰っていきました。何人かの友人たちの笑顔を心に刻んで。苦しいときに頼れる人がいるっていいですよね。1人ではどうにもならない心の痛みが、人の力を借りることで和らいだり消えたりする。僕も今回の入院中には、多くの友の手を借りました。彼は家に帰ってまた1人になると、彼女を想って苦しむかもしれない。けれどきっと前のようには苦しまないでしょう。僕がそうだったように。

さて、本格的に暑くなってきました。猛暑は体力を奪うようですから、皆さんお身体にはお気をつけてお過ごしください。クーラーの利いた部屋で、芹沢氏の中では数少ない恋愛作品『春箋』でも読むというのはどうですか。

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1999年9月1日 counter:3228

まだまだ暑さが続きますね。お盆を田舎で過ごされた方も多いのでしょうか。僕はあまりの暑さにくじけて帰らなかったのですが、季節としては一番好きだった田舎の夏は、その風景、匂い、温度を容易に心に描くことができます。

僕の実家は九州の福岡にあります。高美台と言って、その名の通り、美しい高台に立つ団地です。今では1万軒を越すのではないかという大団地ですが、我家がそこに住み始めた20数年前はまだ新興住宅地で、畑か山かだったのを切り開いて、何もない所に300軒の平屋の家が立ち並んだのでした。周りにあるのは、蜜柑畑と田圃ばかりで、裏に美しい稜線の立花山、表は3キロも行けば白い砂浜の玄界灘という風光明媚な土地でした。

<ここでインターネット豆講座です>

このホームページでは、写真の上にカーソルを重ねると写真の説明が出ます。去年の8月の月報の写真が田舎ですので、試してみてください。あと、この月報には所々リンクが貼ってありますが、その中にはこの月報からしか行けない隠しページがいくつかあります。多分ほとんどの人は気がついてないだろうという控えめなページです。良かったら探してみてください。
(サンプルです:『街の灯』このタイトルをクリックしみてください)

この場所の歴史は古いようで、団地内にある大神神社には、古墳が2つ残されています。この大神神社は、奈良にある大神(おおみわ)神社の分霊を祀った神社ですが、地元では、おおがみ神社と呼びます。なぜ、この福岡の土地で大神神社なんでしょう。勿論、古墳の方が先にあったわけですが、蜜柑畑の中に祀られた神社で、田舎の農夫たちが素朴な信仰をする姿、それより昔に、古墳の主である豪族たちが暮らしていた様子などを想像するだけで、小学生の僕は神秘的な気持になったものでした。

芹沢氏は、小さい頃にあの優しいお祖母ちゃんから、よくご先祖の話を聞かされたようですね。それが『歴史物語』という氏唯一の風刺小説に再現されています。皆さんはご自分の故郷の歴史などに興味をお持ちになることはありませんか。

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1999年10月1日 counter:3406

駅前公園の主クロガネモチ 今年は夏に雨が少なくて、それが秋になって雨ばかりになって、季節の移り変わりというのを非常に顕著に感じます。わが公園の主のクロガネモチも雨が降るとやはり元気になります。

最近、療養のために仕事を減らしている関係もあって、芹沢氏の作品に親しむ時間が増えています。その間、芹沢光治良文学愛好会の代表である鈴木春雄氏から、愛好会の資料をご提供頂いて、その中にごく初期の作品『聖処女像』がありました。僕は先月の『街の灯』とはまた違った意味で、こういう短編が大好きです。どことなくユーモラスで、それでいて真面目に考えさせられる問題も多く含んでいる。こんな作品を読んでいると、僕もつい作家をきどって、短編を書いてみたくもなるのですが。

その愛好会の資料の中に、リレー随筆と言って、会員の方々が芹沢氏の作品に即して、自らの生活や人生の問題を綴った随筆をリレーのように一人ひとりバトンタッチしながら書いていくものがありました。これこそ、エンターテインメントではなく、文学としての作品を書き続けた芹沢氏に相応しい読者のあり方だと感心しました。これは想像ですが、愛好会では自由な発言をできる雰囲気があり、皆それぞれが個人を尊重していて、それでいて根底には、芹沢文学という共通の愛情で結ばれているという様子が伺われました。この文学館にも、一般の読者の方から感想文、随筆など是非寄稿願いたいのですが、誰か書いてくださーい。パソコンがもっと普及して、ネット上の芹沢ファンが増えるのを待つしかないのかな。

また、その資料によって、新潮社の『芹沢光治良文学館』シリーズが愛好会の皆さんの努力によって実現されたことを知りました。本ペ-ジはこの作品によって運営を始めたと言っても過言ではなく、1ファンとして心よりお礼申し上げます。愛好会の皆様、本当にありがとうございました。これからも芹沢氏の作品を自らの人生に生かしながら、光溢れる大自然の中を歩いていきましょう。

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1999年11月1日 counter:3590

もう11月になってしまいました。暑い夏が長くて、そのせいで秋が短くなって、このまますぐに冬になってしまうのでしょうか。去年の今頃は荒川の土手で、夕日に黄金に映えるすすきを眺めていたが、今年は土手の整備で雑草が全て抜かれて、盛られた土の固まりの向こうに、荒川が黒いうねりをゆっくりと滑らせています。

最近、病気療養で仕事を減らしているために、ぽっかりと時間が空いて、しかし療養であるから、旅行や遊びに行くこともできずに、それならと創作を始めました。処女作は『一条の光』というタイトルで400字詰め原稿用紙で160枚程度のものを2週間くらいで書きました。僕は読書家ではないので、芹沢氏の影響100%の作品ですが、読んでくれた友人たちは皆おもしろいと評してくれます。それはプログラマーが書いたものにしては面白いという程度のニュアンスなのでしょうが、中には英文学者や国文学者もいて、それこそ面白い批評も聞かせてくれます。僕は小さい頃から数学系の頭脳で、作文などで誉められたことは一度もない、それこそ5段階評価で1か2をもらう子供でしたが、その僕の文章が面白いと言われるのは、ひとえに芹沢氏の凄さだと思いました。誰にでもわかる言葉で創作する氏のスタイルは、国語力のない僕の作品をも読みやすいものに変えてくれたのでしょう。

芹沢氏の読者には、今も作家を目指す人は多いのでしょうか。日に3~5枚の原稿を書けなければ、作家になることは諦めた方が良いと言っていた芹沢氏。僕はまだそんな準備もないのですが、しばらくは創作三昧の日々を楽しみたいと思います。

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1999年12月1日 counter:3788

1000年代が終わろうとしています。千年――星の歴史から見れば、一瞬のまばたきのような時間も、その星の上で生きるアリのように小さな人間にとっては、非常に長い歴史の一幕でしたね。それは大きく見れば、階級の社会から平等の社会への移行ではなかったでしょうか。太陽がその光を等しく誰にも降り注ぐように、この世界も身分差別のない世の中になりました。次の千年――人類は何を手にするでしょう。貧困のない世界、戦争のない世界、それとも、自然のない世界、資源のない世界? 暗黒の宇宙に、ただひとつ真っ青な大気圏に守られたオアシス――地球――の未来は一人ひとりの手に委ねられるのですね。

最近の嬉しいニュースでは、電気エネルギーを利用した自動車開発があります。来年には、日本でも全く排気ガスを出さない車が道路を走っているかもしれません。また、その電気エネルギーの技術は、車だけに限らず色々な分野に利用されていくようです。クリーンエネルギーの開発――人間の知恵がこんな方向へと利用されることこそ喜びではないでしょうか。

哀しいニュースでは、人心の荒廃があげられるかもしれません。安易に宗教団体に依存するこころ弱き人、迷い多き人たちが増えているのではないでしょうか。物質が豊かになって、こころを貧しくすることもできなくなったのでしょうか。そんな時代だからこそ、謙譲のこころを持って、他を尊敬し、感謝する芹沢文学を、私たち一人ひとりが引き継いでいくべき時が来ているように思います。私たちの周りにいる弱き者たちを愛し、守ることも、私たちの使命ではないでしょうか。

芹沢文学というこころの絆で結ばれた多くの仲間たちに、感謝と愛を送ります。今年もありがとうございました。来年も皆さんにすばらしき年であるように。

皆様の健康と幸福をお祈りして――管理人

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