ここには当館をご利用いただいている皆様への管理人からの月々の便りを載せています。モラリストとも言われた芹沢氏と対話するような気持ちで、その時々の思いを綴っています。感想など皆様のお便りをお寄せいただければ幸いです。

【 2008年 】

1月

2月

3月

4月

5月

6月

7月

8月

9月

10月

11月

12月

1998年

1999年

2000年

2001年

2002年

2003年

2004年

2005年

2006年

2007年

2008年

2009年

2010年

2011年

2012年

2013年

2014年

管理人の創作

 

2008年1月1日 counter:99472

新しい年、平成20年、雲ひとつない快晴の空には三日月。

穏やかな川面に跳ねる燦めきたち、土手を走る犬、天高く舞う紙飛行機。

爽やかな鳴き声を聞かせてくれる鳥たち、名も知らぬ赤い花、土に張った霜、緑の芝生。

青空に紙飛行機 この星の輝きが失われないように

自らの内なる愛が、遮るものなく溢れているように

清らかな思いを抱くひとたちと手をつないでいこう――

そう思った年のはじめです。

時々「離欲」の薬を服用しながら

生かされている意味をかみしめながら

今年も幸福に生きたいと思います。

本年もよろしくお願い致します。

▲ページTOPに戻る

 

2008年2月1日 counter:100518

寒い日が続いていますが、皆さんお風邪などひかれていませんでしょうか。暖冬の後のこの寒さも、天が何かを教えてくれるように感じます。ところで、一昨日になってまた大きなニュースがありました。食の安全とは何か――

我が家では冷凍食品は使わないし、外国製品を買う割合も抑えていますが、国内の農業は今後もっと見直されていくのではないでしょうか。中国を責めるということでなく、日本の農業のあり方をもっと考えるべき時に来ているように思います。

安いがいいという意識も、もうそろそろ捨てた方がいいのかもしれません。高くても、精魂込めて作られた国産の物を買う、消費者が生産者を育てるという構図が必要になってくるように思います。食は体の資本。それだけかける価値が食にはありますね。

皆さんは、そう考えておられませんか。

~。~*~。~*~。~*~。~*~。~*~。~*~。~*~。~*~。~*~。~*~。~

仕事も一段落して、しばらく休んでいた創作を再開しました。友人たちに読んでもらうだけの趣味のものですが、この3月で本館も開設して10周年を迎えますので、生涯を創作に捧げた芹沢氏のHPの管理人として、下手でも作品を掲載していければと考え始めました。

最近は短編作品ばかりですが、2005年から連作で書いているものがあって、その最新のものを前後編に分けて掲載します。お仕事や家事の息抜きにでもご一読頂ければありがたく存じます。特に若い方に読んで頂ければと願っています。

創作は神の祭壇に昇るような気持ちでなければ書けない――そんな決意はできませんが、正直で地味で自由なこころのある作品を書きたいと思っています。掲載は不定期になりますがご了承ください。ダウンロードはこちらをどうぞ。

▲ページTOPに戻る

 

2008年3月1日 counter:101595

ここにはよく身体が不自由であることは書いていますが、入院生活については書いたことが無かったように思います。病院は下界とは異なる世界だから書くのを躊躇っていましたが、こう何回も入るっていては、特殊でも何でもないから書いておくのもいいかもしれません。

都心にある大学病院にお世話になってもう22年になりますが、その間、数え切れないほど入院し、時には医師や看護師も友人のように親しくなって、病棟が家なのか、自宅が家なのかわからないように思えた時期もありましたが――。

病院生活は規則正しく、早寝早起で、外の世界とは別の時間が流れているようです。室温は一定に保たれるから季節感はなく、ただ窓から差す日の出や日の入の時間の変化で僅かに季節の移ろいを感じられる程度でしょうか。

その僅かな変化である景色の美しいことは特記すべきかも知れません。月が向かいの病棟の上に輝き、都心の街を黄色く染める早朝、そして日が落ちて青から赤へとグラデーションを描く西の空に浮かび上がる高層ビルのシルエット。

下界と違うと言っても、緊迫した精神状態で、景色も違って見えるのでしょうか。そう言えば、生まれ変わるような大手術の後、窓から見えた欅の紅葉は、それまでに見たことのないほど美しく、魂に生への感動をもたらしましたが――

こんな美しい景色の中で、ひとは天に昇り、また地に復活して、それぞれの生を全うしていくのだから、一度入院体験でもしてもらえば、ここが下界ではないという意味もわかってもらえるかもしれません。

「切ってみないとわかんないってよ。一緒に話を聞いた母ちゃんも凍り付いちゃって」

病棟の同僚が言いました。

「昨日の検査で心臓の方も良くないって言われてね。まいったなあ。弟も心臓で死んでるんだよね」と隣床の紳士が呟きます。

「55年間タバコ吸い続けて、悪いところだらけだよ。あっはっは」

そう笑うのは僕の倍くらいの胸板を持った75歳になる元気なお爺さんです。

今朝もまた日が昇り、病棟や街がオレンジに染まりだしました。地平から出たばかりの太陽はひときわ大きくまるく見えます。下界と同じように、天国の入口の一日が始まります。芹沢氏の住む大気圏に還るまで、今日も一日を大切に幸せに生きていきましょう。

▲ページTOPに戻る

 

2008年4月1日 counter:102458

病室に咲いた桜の話題も、先週末をピークに落ち着いたようです。今年はまだ桜にも触れていませんが、今度の同室には秋から入院しているという青年が一緒です。「紅葉も見てないしクリスマスも正月もここですよ」と青年は苦笑しました。

彼は僕が初めて倒れたのと同じ歳です。当時の僕よりずっと落ち着いて見えますが、前触れもなく訪れた突然の病をまだしっかりと把握できていないのではないでしょうか。あの頃の自分がそうだったように――

「とりあえず出来る仕事を見つけなければいけませんね。この機会に勉強します」という彼に、「仕事は生きるのに必要だけど、それとは別に、何かひとつ夢を持つといいんじゃないかな。僕はそれを励みにしているけれど」と答えました。

僕の人生は苦難が多かったけれど、感謝や喜びの方がもっと大きかった。青年の人生にもこれから様々な困難があるだろうけれど、そんな実り多い日々を歩んでくれれば――

数日前のこと。普段は静かな就寝を前にした病棟の廊下に、医師の怒号と看護師の悲鳴のような声が響きわたりました。わが部屋の目の前の風呂で誰かが倒れたのか、時間が勝負の騒ぎは、数分間でまたもとの静かな廊下に戻ったけれど――

昨日のこと。見舞いに来た家族が言いました。「下で先生に呼び止められてね。貴方と同じ病気の男の子が間に合わなかったって。貴方は知ってるんじゃないかって」そう言われても、未知の少年でしたが、冷たく曇った空に思ったのです。

――その子は、生まれてきた目的を果たせたのだろうか。短かった人生をどんなに生きただろうか。

「切ってみないとわからない」と言われた同僚は、患部が丁度良いところで治まっていて、手術時間も短く済みました。階段を7階の屋上まで上がって「体力落ちてるよ」と言いますが、手術前から階段を上れない僕よりずっと元気で、術後2週間で退院していきました。

「悪いところだらけだ」と笑ったお爺さんは、本当に大手術をしたの?と言いたいくらい顔色も良くて、「元気だから出ていけって追い出されんだよ。まいったね」と笑いながら、こちらも術後2週間で退院していきました。

弟のことで手術を心配していた紳士は、何もない日に遊びに来て「まだ呼ばれないんだよ。待つのは嫌だねえ」とこぼしていきました。天国の入口の一日は、今日もそんなふうに過ぎていくのです。

2月に載せた『幸福』の後編を掲載しました。お読み頂ける方は、左の「管理人の創作」からお入りください。

▲ページTOPに戻る

 

2008年5月1日 counter:

近所の藤棚 今年も、芹沢氏の生誕日を告げる藤の花がきれいに咲いています。

この季節は毎日のように、近所の藤棚の下に来て、美しい紫の花びらと、その仄かな香りを楽しみながら、ベンチでひと時を過ごしますが、今日はマグノリアでの講演原稿を持って、それを読み返していました。

昨日ほどは暑くもなく、少し風が強くて、時折日が差す薄曇りの木もれ日の中で、芹沢氏が過ごした日々の軌跡を追うのはたのしいものです。今という時代が、もっと光に満ちたものであれば、尚更なのでしょうが。

ガソリンの値段が今日から上がるというのが、近頃の最大のニュースのようですが、野党がそれを最大の武器にして、与党を追い込もうとしていることが滑稽で、日本の政治の先行きにため息の出る思いです。

それよりもっと気になるのは中国の問題でしょう。中国はこれから、日本の成長期のような産みの苦しみをするでしょうが、国土が広く、人口も多いために、その影響は世界的なものになるのではないか――。

EUが拡大して、新しい世界の形を模索しているときに、中国はチベットの問題で、世界から孤立しているような状態で、この先、どのような道を進んでいくのか――何かと敵視されている日本ですので、良き隣人として見守っていきたいものです。

▲ページTOPに戻る

 

2008年6月1日 counter:104497

梅雨前だというのに、雨の多い日が続いている東京ですが、この1ヶ月は家でも職場でも、この話題に終始したのではないでしょうか。ミャンマーのサイクロン、中国四川省の大地震と、大きな天災が立て続けに起こったのですから。

特にミャンマーに関しては、軍事政権が海外からの全ての支援を拒否した為に、世界中が悲鳴をあげながら見守っていましたが、国連の働きかけで、やっと柔軟な姿勢を見せてくれたことにまず感謝して、後は一刻も早くそれが実現してほしいところです。

中国はそれまで、チベット問題で世界から孤立している状態でしたが、この地震で諸外国の支援を受け入れることで、国民のこころに感謝の気持ちが芽生え、融和へのきっかけを掴めたのではないでしょうか。この災害を無駄にしないためにもそうあってほしいものです。

それにしても、今年に入ってからのこの世界の激動は凄まじいばかりです。アメリカ経済の破綻、穀物の供給不足による食糧問題の深刻化、異常気象による災害・水不足、石油問題――その被害が一部の国ではなく、世界中に及んでいるだけに問題は深刻です。

深刻ではありますが、視点を変えればチャンスでもあるはずですから、今回のミャンマーや中国の支援のように、苦しい時だからこそ世界が手を取り合い、知恵を出し合って、この山を乗り越えていきたいものです。もちろん、日本国内も例外ではありませんね。

自給率の低い日本は、食糧不足の影響を大きく受けていますが、今回の中国やミャンマーの災害で、ますます物資は不足するのではないでしょうか。政府が国内の農業を支援していく環境を整えると共に、個人個人が高い意識でそれを支えていく必要があります。

安全、安心な家庭菜園というものも流行り始めているようですから、『あの日この日』の芹沢氏のように、自宅の庭で、またテラスのプランターで自家栽培というのもよいかもしれません。そういった個人の努力は必ず実りとなるはずです。

個人の消費が減れば、輸入が減り、その分、物資が足りない国々に物が行くのです。貧しい国は、日本とは比べものにならないほどの食糧不足の影響を受けているのですから、富んだ日本の国民一人ひとりが、自我を無くして努力することが求められています。

時代が大きく動いている時には、いつもより冷静にならなければなりません。どのような状況でも、焦ったり右往左往するのではなく、下っ腹に意識を置いて、落ち着いて自分の為すべきことを考えていきたいですね。

▲ページTOPに戻る

 

2008年7月1日 counter:105407

梅雨らしい天気が続いていますが、日本の現状も世界と同様、梅雨のような重たい話題に終始して「先月は何が起こりましたか?」と聞くと、全部を答えられないくらい事件、事故、災害が起こっています。

災害や事故はどうしようもないけれど、事件がこう立て続けに起こるのが、納得できません。みんな、そんなに悩みを抱えているのでしょうか。そんなにもこころが平和でないのしょうか。僕は悩みとは全く無縁で申し訳ないくらいですが。

障害者ボランティアをやっているからなのか、まわりには「生きる」ということに懸命な人たちばかりで、力強い生命(いのち)の輝きを感じても、荒れた世相が身近に感じられないのが、悩みと言えば悩みかもしれません。笑い話のようですが。

この文学館を訪れてくださる方々も同じではないですか。芹沢文学を読み込まれている方々には不幸など縁遠くて、毎日のテレビのニュースを見て、どこの世界の話だろうと、不思議に感じておられる方も多いのではないでしょうか。

貴方は幸せですか――と誰にでも聞いて歩いてみたいものです。言葉を変えれば、不幸はどこにあるのか探してみたいと思うのです。なぜ世間はこんなに荒れているのでしょうか。その答えはどこに行けばわかるのでしょうか。

パートナーにやさしい言葉をかけていますか。子どもたちに笑顔を向けていますか。貴方が子供なら、両親といろいろな話をしていますか。家庭に安らぎがありますか。一人暮らしなら、何でも話せる友を、あるいはこころの頼りとなる書物を持っていますか。

それさえできていれば、事件など無縁で、家庭は太陽のようで、困難はあっても乗り越える知恵も勇気も湧くだろうに、それさえもできていないのでしょうか。全ては他人を思いやること――そんな当たり前のことかから発していますが。

当たり前のことができないひとが増えているのかもしれません。貴方の周りの子どもたちは大丈夫ですか。当たり前のことを教えられない大人たちが増えていませんか。子どもたちには強いやさしさを身につけられるよう導いてあげてください。

日本が平和だったのは2007年までだったね。10年後、そんな会話が聞かれるような国にしないためにも、僕たちの世代が頑張っていきたいですね。この嵐は当分続きそうですから、こころして歩いていきましょう。

神魂神社本殿 地道に、こころ穏やかに生きている仲間たちを描いた連作の2作目を掲載しました。平穏な生活にも様々な困難があって――よろしければお読みください。

前回同様、拙い出来で申し訳ないのですが、皆さんの日々の疲れを癒してくれるような作品であればと願って書いています。

▲ページTOPに戻る

 

2008年8月1日 counter:106235

先日、マグノリアで講演した際、愛好会のAさんが「『こころの窓』がわたしのバイブルです」とおっしゃっていました。『こころの窓』は芹沢氏が『人間の運命』を執筆中に、その他の原稿を一切断ったために、読者に直接に訴えたくなって書いた手紙のような作品です。

その内容が、フランスでの生活を中心に、自分の生きてきた半生から得た人生哲学を大変わかりやすく、話しかけるように書かれていて、その中の「野の花」を評論に書いたことのある僕にとっても、忘れられない大好きな作品となっています。

この本は「芹沢光治良文学館」にも収められていなくて、もう古本でしか手に入らないので、少しでもそのエッセンスを伝えたいと、今月報は『こころの窓』風に書いてみたいと思います。愛好会のAさんに捧げて――

~。~*~。~*~。~*~。~*~。~*~。~*~。~*~。~*~。~*~。~*~。~

僕には年子の兄がいますが、子供時代は会話らしい会話をした覚えがありません。『人間の運命』の一郎と次郎のように、お互いが優等生であれば良かったのですが、兄は優等生でも、僕が劣等生だったから、兄には目障りな存在だったのでしょう。

僕の方でも、勉強ばかりの兄に親しめず、敬遠していました。兄が他県の大学に入って家を出るまでの17年間、兄弟と言っても、他人と変わりなく生きてきたようで、高校時代、喧嘩してメガネを割られたことが唯一の想い出であるような関係でした。

その少年時代ですが、僕は魚が食べられませんでした。肉ばかり食べて、魚がおかずの際にはいつも残したものです。好き嫌いのない兄は、そんな僕の前できれいに魚を食べて、魚を食べられないのは子供だと笑ったものでした。

昨年、実家に帰った際、兄が夕食のおかずを買ってくるように母に頼まれて、一緒について行きました。魚が美味しいと評判の田舎で、兄は僕の見たこともない魚を選びました。愛嬌のある顔ですが、「カワハギだ」と兄は言いました。

家に帰ると、母はそれを刺身にしました。よく脂ののった白身の魚です。僕は大人になって魚が好きになり、喜んで一口食べました。その旨いこと! 今までに食べた魚の中で一番の美味しさでした。

その帰省は、家人の両親と僕の両親が初めて顔合わせをするための帰省で、翌日家人と共に実家を訪れた義母に「カワハギって知ってますか」と尋ねました。「美味しい魚ですよね。ウマヅラって言うんですよね」と義母は母に語りかけました。

それからカワハギ談義になって、田舎のカワハギは30センチもあるが、東京ではその半分ほどだという話や、ウマヅラのような愛嬌のある顔は、実は本来ある皮を剥いでいるからで、カワハギという名前もそこから来ているらしいなどと盛り上がったのでした。

子供時代には食べられなかった魚を、食べられるようになったために、二つの家族が親しくなるきっかけが作れましたが、そう言えば、魚が食べられるようになったのと同様に、あんなに酷かった兄との関係も、いつの間にか良くなっていたようです。

兄は生真面目で、優等生でしたが、生き方が不器用で、短気で、粗野なひとでした。それが20年という歳月で何があったか、不器用なところは変わりませんが、短気で、粗野なところが影を潜めたようです。あるいは僕が少しは真人間になったからかもしれませんが。

近頃では家人と帰省すると、兄は必ず遠くから何時間もかけて車でやって来て、身体の弱い僕たちの運転士を買って出てくれます。「行きたい所はあるか」と気軽に話しかけてくれたり、僕の少年時代について家人に話してくれたりするようで、大変感謝しています。

今はとてもダメだと思うようなことでも、長い歳月の後には、僕の魚のように大丈夫になっていることもあります。絶対に相容れないと思っていた兄と、親しく話すことができるようになったのも時のお陰でしょう。

皆さんにも、今は仲違いしている家族や友人、知人があるかもしれませんが、そんな時は、時を待ってみるのもいいかもしれません。10年、20年と経つうちには、ひとは様々な経験を重ね、今とは違う自分、今とは違うあのひとになっているでしょうから。

▲ページTOPに戻る

 

2008年9月1日 counter:107004

四川でまた大きな地震が起きました。前回同様多くの被災者が出たようです。中国国内ではテロが頻発している現状ですが、被災者のためにも、国民と国家が気持ちを合わせて復旧に取り組んでくれればと願います。

その中国での五輪が終わりました。僕はこんな身体なのでスポーツマンではありませんが、野球が好きです。少年時代に遊びと言えば野球で、ゴムボールを追いかけた記憶が、青春の大部分を占めているからかも知れません。

芹沢氏も相撲の観戦が好きだったと何かで読んだ覚えがあります。芹沢氏の幼少期には、野球など無くて、相撲が子どもたちの唯一のスポーツだったかも知れませんね。相撲にしろ、野球にしろ、一番にかける気迫、一球にかける精進が美しいように思います。

白球を追いかけた子どもたちには、親など関係なくて、子どもたちだけの世界がありました。仲間と相撲で腕を競った芹沢氏の時代もそうだったでしょう。遊びの中で個人を磨き、痛みを知り、仲間の大切さを知った時代、親はただその姿を見守っていました。

この間、ニュースか何かで、最近の家族関係は以前より密接になって、親が子離れできない(子も親離れできない)ために、いつまでも家にいていいよと甘やかし、結婚しないでズルズルと親と同居を続ける子どもが増えているという話を耳にしました。

それは男にも女にも当てはまるようですが、僕の周りでは、それが全て女性であるようです。30歳を超えて結婚していない女性の仲間が6人いますが、そのうち5人が親と同居しています。一方、男の方は4人いて、皆ひとり暮らしなのに結婚できません。

芹沢文学精神では、個人主義により、子の独立心を早々に促すようし向けるのでしょうが、世間ではそれと逆行した動きになっているのですね。家にいることが悪いとは思いませんが、独りで物を考える習慣まで失われているならば困ったものです。

モンスターと呼ばれる親や子が増えています。モンスター(化け物)という言葉自体、イヤな響きで、そう呼ぶ前に、どうすればそんな社会を変えられるかを考えるべきだと思いますが、親が子に、子が親に依存している社会を象徴している言葉かも知れません。

親が子を大切に思い、子が親を慕うのは当たり前の情でしょうが、成人を過ぎたら、ひとは全てを自分の責に負うのだから、親は子に干渉せずにただ見守り、子は親を敬って、自らの道を歩むべきだと思うのですが如何でしょうか。

不正が当たり前のように横行する現代です。ひとが簡単にひとを傷つけてしまう現代です。友は「刺したくなる気持ちはわかる気がしますね」と言いました。自己の思いだけにとらわれ、他人の痛みのわからない時代になったのかもしれません。

ひとには「言葉」があります。なぜ暴力に頼る前に、言葉で解決しようと考えてくれないのか。それは個人だけの問題ではなく、その個人を取りまく全てのひとたちの問題であるはずです。もっと周りに目を向けていくこと――それが求められている時代ではないでしょうか。

今月も小品を掲載しました。結婚どころか、女性に縁のない、ひとりの誠実な男に起こった事件の物語です。よろしければご一読ください。

▲ページTOPに戻る

 

2008年10月1日 counter:107868

うろこ雲がたなびいて、夏の間に伸び放題になった草むらからコオロギの合唱が聞こえると、暑かった夏が終わったことを知らされて、ホッとした気持ちになるものですが、テレビから流れる嫌なニュースも、夏と同様にそろそろ終わってくれたらと思いますね。

中国のメラミン混入騒動には驚かされましたが、多くの赤ん坊たちが苦しんでいる様を見ると、人心が最低なレベルにまで堕ちている象徴のようで、もう後は這い上がるしかありませんねと、誰に向かっても呼びかけたくなるような気がします。

本館を開設した10年前の月報を読むと、自分を磨き、仲間たちの光であろうとした日々が懐かしく思えます。当時は確かに平和でした。10年後、どんな気持ちで今の時代を見ることができるか。自分のやるべき事は変わっていませんが――

芹沢氏の『こころの旅』にも「“十年の余韻”あたためて」というエッセイがあります。戦後十年経って日本の民主主義も落ち着いて、親は次世代を心配しているが、子供はこれから社会をどう良くするか考えているというような内容です。

先日、この秋に初めての子供を出産予定の友人を連れて、すでに3人の子供を産み育てている友人の家へ遊びに行きました。先輩の育児ぶりに何か感じるところもあるだろうと連れて行ったのですが、自分より年下の3児の母に大いに触発されたようです。

ただ、粉ミルク問題もそうですが、「親は無くとも子は育つ」などと呑気なことを言えた時代はとうに過ぎて、あちらこちらに気を配らなければ子供が育たないような世の中ですから、母親たちの今後を思うと「大変だなあ」とため息も出ます。

十年経って、この子供たちが未来に思いを馳せられるような時代になっていればいい――その子供たちに大切なことを伝えていくためにも、芹沢文学の種子を蒔くように、拙い小品を載せました。皆さんも何かお書きになっておられますか。

▲ページTOPに戻る

 

2008年11月1日 counter:108759

沼津の芹沢文学館が沼津市に寄贈されるそうです。どういう形になるのかまだ不明ですが、より多くの方に訪れてもらえる文学館になってほしいものです。当館へはこのところ無料本の依頼が増えていますが、芹沢文学を必要とするひとが増えているのかもしれませんね。

芹沢氏も推薦役を務めたことのあるノーベル賞を日本人が4人も同時に受賞したことなど、今月は書きたいことは多いのですが、世界経済の状況を語らずには一日が始まらないような毎日ですから、素人から見た世界経済について書いてみたいと思います。

アメリカの株式市場を見ていて、寝るのを忘れてしまうような経済オタクの友人が「ロシアはとんでもないことになっているようですよ」「スペインがおかしいですね」と世界の金融の変化を教えてくれますが、彼によると今は生涯に一度経験できるかどうかの経済のようです。

そもそも経済というものは実に不可解で、こんなことを書くと、元経済学者だった芹沢氏には笑われるのかもしれませんが、去年と同じ仕事をしても、今年は円高で、それに対する収入が3分の2というような現象が起こることが、まず理解できません。

3000万円あった株式が1500万円になった。ではその1500万がどこかにあるかというとどこにもない。これもまた不思議です。経済って物々交換とは違う法則でできているんですね。実態経済でない仮想経済、それが株の世界のようです。

減ったお金がどこかで増えているなら納得できますが、減ったお金がどこにもない。数学が得意な僕としてはどうにも納得のいかない答えです。先の友人はそんなものなんですよと言うだけで、僕が分かるようには教えてくれませんでした。

けれどその3000万円は実態経済で汗水たらして稼いだお金だから大変です。仕事も倍は働けないから、収入が3分の2になったひとも大変です。こんなことなら物々交換だった時代の方が良かったということにもなりかねません。

そこで日本政府が採った策は2兆円(1人15000円?)のお小遣いだそうです。仮想経済に消えたお金はその何百倍か知りませんが、果たしてそれで景気が良くなるのか。良くなったら良くなったでまた疑問が湧きそうですが、まあ良くならないでしょうね。

「おもしろいですよ」と友人は言います。世界が混乱していると言っても、戦争や天災ではないから、彼も安心して楽しめるのでしょう。実際、僕や彼の生活には何ら影響が出ていません。お金が無くて食べる物もないといった知人も今のところいません。

街頭インタビューなどを見ていても、外国では悲愴な表情をしているのに比べて、日本人は多少呑気な顔をしているように見えます。バブルを経験しているから、この金融恐慌もいつか何とかなるということを知っているからでしょうか。

ただ日本人には実感が無くとも、実際に世界には困っている弱者が溢れているのではないですか。今まで貧しかった国はより貧しくなって――私たちは大変大きな犠牲の上に、何かを学ばせられているとしたら悲しいことです。

この世界恐慌に早く終止符を打ってほしいものです。アメリカや日本やEUのためではなく、貧しい国々のために。

▲ページTOPに戻る

 

2008年12月1日 counter:109546

寒かった11月も終わり、いよいよ冬本番の師走ですが、今年は世界経済破綻元年と言える年だったかも知れません。先月はまだ実感がないと書いた日本でも、大企業の減益が中小、派遣労働者に及び始め、師走はこの気候同様に寒い世間になりそうです。

職を失ったひとたちがある一方で、福祉職は人手が足りていません。国は2兆円のお小遣いなど出さずに、ケアマネージャーやヘルパーなど福祉職の無料養成所を作ったり、福祉職の税制優遇を設けるなどの施策に使ったらどうでしょうか。

そうすれば失業者の福祉職への転職も容易になり、高齢化社会への対応も進んで、まさに一石二鳥だと思うのですが、そんなことを唱えてくれる賢い政治家は現れないものでしょうか。マンガが愛読書の総理にはそんな発想は出ませんか。

社会が動いている今、困難にぶつかっている方々には大変な時期ではありますが、色々な体験をプラスにとらえる広い目を持って歩いてほしいと願います。不幸な時は、苦しみだけに囚われがちですが、すこし視点を変えるだけで、新たな発見もあるかもしれませんから。

そんな世相の中にあって、夫が残業続きで月収が100万を超えた友人は、少しも嬉しくないと言いました。逆に自分は不幸だと言います。彼女の願いは、お金は少なくていいから、もっと自分や子供たちと一緒に過ごしてほしいと言うのです。

彼女の理想は僕たち夫婦だそうです。裕福で健康な彼女から、お金も健康もない我が家が理想と言われるのは何か不思議な気もしますが、確かに我が家は幸福で、暗い世相とは逆のほのぼのとした明るさがあるようです。

幸福の形はひとそれぞれ。自分の幸福とは何か、それに近づくためにはどうすればいいか、ひとは様々な試練を得ながらその道中を歩いていくのでしょう。その試練の中で諦めない者、明るさを失わない者に、幸福の風は必ず吹いてくる気がします。

個人の幸福から世界の幸福へと目を向けてみると、世界恐慌の慌ただしさの中で、大きな変化が起きてきているのは間違いないようです。インドのテロ、タイの空港閉鎖、来年はもっと騒がしい年になるのではないでしょうか。

アメリカにはオバマ新政権が誕生し、日本では裁判員制度も始まります。どんな事が起きるのであれ、世界に真っ直ぐな目を向けていましょう。どんな社会になっても、流されず、自己を見失わない自分でいること――それ以外にできることはありませんね。

ソメイヨシノの紅葉 今年最後のクリスマスプレゼント?をお届けしたいと思います。

先月まではバルザック風の手法にこだわって書いてきましたが、今回は神シリーズのように「僕」を主人公にした私小説風に書いて、地味ですが、読みやすい作品になっていると思います。

今年も一年ありがとうございました――ソメイヨシノの紅葉にのせて(管理人)

▲ページTOPに戻る