ここには当館をご利用いただいている皆様への管理人からの月々の便りを載せています。モラリストとも言われた芹沢氏と対話するような気持ちで、その時々の思いを綴っています。感想など皆様のお便りをお寄せいただければ幸いです。

【 2004年 】

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管理人の創作

 

2004年1月1日 counter:42907

イランで大きな地震が起きました。

世界各国から救援隊がイランに入国し、生存者の救出やけが人の治療に当たっています。尊い命を救うのに国境はないことを示してくれました。それでも、この地震の被害者は5万人を超えるという報道も出ています。氷点下を下回る夜の寒さのなかで、家を失った人たちに、一つの毛布、一つの温かい食べ物が運ばれるように祈るばかりです。

隣のイラクでは今なお戦争が続いています。

戦争が続いているという表現は正確でないのかも知れません。ですが続いているのです。犠牲になった民間人は3000人を超えると言われています。

近所の神社に初詣に行く道で、椿が真っ白な花を一輪つけていました。周囲が1キロもある大きな広場の真ん中に来たとき、胸に温かい想いが降りてきました。

昨日の紅白歌合戦の大トリで、スマップのメンバーが「みんながすべてのひとにやさしくなれれば、幸せな未来が訪れる」と当たり前だけれど、誰もできていないだろうメッセージを送って「世界に一つだけの花」という歌で、争いではなく認め合うことを歌いあげ、近年見ないような大差で白組を勝利に導きました。それを見ながら、この国の人たちは本当に平和を愛するのだなと思ったのでした。

あたたかな想い――

皆様、本年もよろしくお願いいたします。

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2004年2月1日 counter:44736

『神の微笑』が文庫で発売になりました。絶版になったのを悲しんだのはつい先日のような気がします。いえ、実際に2年しか経っていないのです。そこに天の計らいがあるかどうかは置いておいても、芹沢文学の人気が未だ衰えていないことは確かなようです。

先日、芹沢文学の収集の方が大量に作品を貸し出してくださいました。これで作品一覧の情報が充実できると、現在仕事の合間を縫って張り切って更新しています。『神の微笑』が好評であれば、続けて神シリーズの文庫化がされていくことは間違いないでしょうし、新しい読者の方が多く、このHPを訪れてくださることでしょう。その為にも、内容の充実ができることは嬉しい限りです。

ロウバイ 今月は『神の微笑』発売記念で、大自然について書いてみたいと思います。

大自然というのは、皆さん気がついておられないかもしれませんが、こちらのこころの声を聴いてくれているようです。僕はある時期、落ち込んでいる時に、目の前の鳥に向かい「慰めてくれるのかい」とこころで呟いていたことがあります。

すると、いつの頃からか、大事な場面では、どこからか鳥が現れて、目の前を飛ぶのです。大自然は植物であれ、動物であれ、雲や太陽であれみなつながっていて、すべてがひとつの大きな力で動いています。勿論、人間一人ひとりも大自然の一部で、こころの声もすべて大きな力の中にあるのでしょう。目の前を優雅に飛ぶ鳥たちを見ながら、大自然に静かに感謝するのですが。

この1日も、小石川の梅の枝に、可愛い緑色のメジロが来て止まりました。大自然を感じて生きてさえいれば、大自然はいろいろな形でプレゼントをくれます。

皆さんも梅を見に行かれましたか。今はロウバイが見頃のようです。ロウバイは梅の中でも好い香りを放ってたのしませてくれます。まだの方は、次の休みにでもいかがですか。

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2004年3月1日 counter:46915

3月に入って、いきなり冬が戻ってきたように、昨日17度あった気温が、今日は5度までしか上がらないようです。冷たい雨は雪に変わってしまいました。散歩していても温かい昨日の夜からは想像できない変化です。隣近所でも「こう日替わりの天気では――」という言葉が、季節の挨拶のように前置きされて、「女心と秋の空」ならぬ「女心と春の気温」でしょうか。

先月、旧作を沢山読んでいる話を書きました。この時期仕事に追われている僕は、なかなか読み進むことができないのですが、それでも少しずつ読みながら更新する作業は、とても楽しいものです。こころに残る作品も多くて、昔からの読者の方は、想い出となっている作品もあるかもしれません。作品一覧の書評などご覧になって、気になる作品があれば、それを収めた単行本の写真なども掲載しておりますので、ご覧ください。

今回は、その中の一つ『薔薇は生きてる』について書いてみたいと思います。

この作品は元は『愛すべき哉』というタイトルで戦前の41年に、芹沢氏が初めて書いた長編少女小説でした。それを6年後に単行本化する際に、この物語のモデルであるチフスで天に帰した友人の娘が、当時なお友人の胸に生き続けていたことから『薔薇は生きてる』と改題したのでした。

芹沢氏の少女小説については、読者の方にも好き嫌いがあるかも知れませんが、僕は他の一般の作品と比べても、芹沢氏らしさが損なわれず、かつ女性への愛情(娘への愛情)がそれに加わっていて、好きな作品が多いのです。皆さんはどうでしょうか。

この物語は、女学生(今で言う中学生)の3人の少女が主人公です。父が富士山の観測所で働く哲子は、今で言う中流家庭でしょうか。父が観光汽船の船長で裕福な光子とふたりで、不況で仕事を少なくして、酒乱になってしまった父を持つしづ子が、貧乏で学校に通えないのを助けようとしますが、しづ子が、貧しい故に他人に対して臆病で頑ななために、哲子は力になることを諦めてしまいます。

しかし、こころの優しい光子は、最後まで諦めず、担任の真島先生と共にしづ子を助けようとしているうちに、チフスにかかってこの世を去っていくのでした。その光子の遺志を生かそうとした両親の申し出で、しづ子の父は改心して、新しい仕事にも就き、しづ子を夜間の学校にやります。哲子もしづ子に冷たく当たっていた自分のこころを入れ替えて、光子が得意だったピアノに精進するのです。

この作品には、フランス人の先生や、中国人の孤児も登場します。国を挙げて偏狭な思想に押し込められそうな不幸な時代に、国籍や貧富の差によって、人間の価値がなんら変わるものではないことを、物語にそっと隠して伝えようとする作者らしさが、こころを温かくします。

2004年の梅 この物語のテーマは、こころの優しい者は、死してなお残った者たちの胸に、良い影響を与え続けるということですが、逆に言えば、残された者たちに良い影響を与えられるような生き方を、常日頃から心がけようという呼びかけでもありましょう。

この少女達のような梅のつぼみが、今にも花を咲かせようと大きく膨らんでいます。

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2004年4月1日 counter:48999

開戦から1年、イラクの今――テロ、犯罪と混乱、失われたこころ――は敗戦後の日本でしょうか。しかし、イラクはそれに加え、民族・宗教間の対立など、より複雑な問題を抱えています。日本が立ち直ったように、いつかイラクにも笑顔と愛が戻る日が来るように、大自然に祈る気持ちです。

今月の愛好会の会報に、いよいよ愛好会によるホームページが5月4日の芹沢氏の生誕記念日に開設される知らせが入っていました。大変嬉しいニュースです。芹沢氏のような偉大な作家の専門HPが、今までこの「芹沢光治良文学館」しかなかったことがおかしいのです。芹沢氏が『教祖様』を書く時、聖書にいくつもの聖書があるように、教祖伝にも種類があって良いと言ったように、これからは多くの芹沢文学HPが誕生するといいですね。

今頃愛好会の方々は頑張っていらっしゃるでしょう。本当に楽しみです。最近では各種のメディアに本館のアドレスが使われるようになってしまい、荷の重いことでしたが、この役目も愛好会のHPの誕生で降ろすことができそうです。今後はひっそりと芹沢文学を愛する読者のページとして、続けられればいいなあと思っています。皆様にも気軽に訪れて、ご意見やご感想を頂きたいです。

ところで当館の各作品情報のページですが更新がほぼ完了しました。今回も魅力ある作品を多く拝読しましたが、興味のある書評がありましたら、がんばって古書店巡りなどして探してみてください。

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2004年5月1日 counter:50509

さくらんぼ もうサクランボも色づいてきました。4日は芹沢氏の生誕記念日。この連休、皆さんはどうお過ごしでしょうか。東京では好天が続いて、過ごしやすい毎日です。

今月は入院予定があって、すこしバタバタしています。その入院も大変ではなくて、今回はうれしい入院なので、来月の月報でなんとか好い報告ができるといいなと考えています。

と言う訳で、短い便りになってしまいますが、しばしお待ちください。

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2004年6月1日 counter:52425

愛好会のHPはもうご覧になられましたでしょうか。まだの方は是非ご覧になってください。こちらは入院予定が延びてしまい、今は仕事もできずに呼び出し待ちです。それでは先月短かったお詫びに一編の作品を。

難しい試験を終えた友は、1年間の勉強疲れからか、呆けたようにぼんやりと見ていたTVから目を離しました。

「相性ってあると思いますか」

突然何を聞くのかと思って、幸之助は「うん」としか答えられません。

「それがすごく嫌なんですよ。誰をも同じように接したいんです」

なぜ急にそんな事を言うのか、幸之助は友の気持ちを図りかねて、じっと彼の目を見つめ返しました。

「まえに芹沢さんは太陽のようなひとだと言ってましたよね」

「うん。太陽のような……そう、晩年は光に包まれているようだと言った人もいた」

「僕はまさに太陽のようでありたいんです。誰にも等しく思いやり失わずに接したいんです。だけど、自己という暗雲が邪魔をして、特定の相手――相性の悪い相手――に冷たい態度を取っている時があるじゃないですか。それに気がつくと、自己嫌悪に沈むんですよ」

「好き嫌いは誰にでもあるよ。仕方ないだろう」

「それは傲慢ですよ。みんな等しく同じ人間じゃないですか。なぜ同じ人間に甲乙付けるんですか」

そう言われると、それ以上は何も言えなくなってしまいました。言いたいことはわかるのですが、果たしてそんなことの出来る人間がいるでしょうか。友も相談する相手を間違えたと気づいたのでしょう、そこで口を閉ざしました。何となく気まずい空気の中で、ただTVのアナウンスだけが意味もなく流れ続けています。

「芹沢さんを読めば、何かわかりますかね」

「どうかな」

友は芹沢作品を読んだことがありません。ですが幸之助は勧めませんでした。4年前だったでしょうか、軽井沢で芹沢氏のお孫さんにお会いした際も、臆することもなく「読んだことがない」と答えていました。幸之助がいつも「素晴らしいひとだ」と言っているのはわかっているのですから、本当に読みたいと思えば読むでしょう。

「そうだ、君に希望を与える知らせがあるよ。芹沢さんは周りの人からは太陽のようだと言われたけど、天の住人からは読者を贔屓していると言って怒られてたよ。太陽のような芹沢さんでもそうだもの、まだ30にもならない君がそれをできたら、イエス・キリストの跡を継ぐ聖人になれるね」

最後の部分は冗談にしてしまおうとしたのですが、友は呆れたような顔で、またTVに視線を移してしまいました。幸之助はサービス精神が旺盛なのでしょう。そんな友を見ると、ひとの生き方のような深い問題については、芹沢氏の寡黙を崇拝していても黙っていられません。

「芹沢さんの作品に『稲をつくるの詩』というのがある。その中で芹沢さんは主人公に、人間は生まれながらに光を抱いて生まれる者とそうでない者があるのではないか、と言わせてるんだ。これを読んだ時、そんなことがあるものか、全ては育つ環境で歪められてしまうんだと反発したけど、よく考えるとそんなこともあるかもしれないと思った。仏教思想で言えば、ひとは生きているうちに業をつくる。そして次の生では、その業を背負って生まれるのだから、当然前の生に応じた条件で生まれるはずだからね。そう考えると、芹沢さんが光を抱いていると思ったのは、前世で努力をした魂なのだろう。……どう? 君の今の努力は、きっと今生で結果を出さなくても、来世にはつながっていくんじゃない。そんな風に考えられたら、もう少し肩の力を抜けないかい」

友は真剣な目で聞いていましたが「どうかな」と呟くと、またTVに視線を戻しました。それは端から見ると、幸之助の返事を模倣しただけの冷たい態度に見えますが、人の話をよく聞く彼の性情を知る幸之助は満足でした。案の定、それからしばらくして、何気ない時に友が切り出しました。

「前世とか来世とか、否定はしないけど、自分は知らないことだから、僕は今しかないものとして生きますね。おじさんは来世の為に今を生きてるんですか」

友は親しみを込めて、幸之助をおじさんと呼びます。反感を持つ時は名前で呼ぶのですが。

「来世の為か……そうじゃないな。今日やれることをやっているだけかな。それで結構満足だけど」

「おじさんはボランティアでも患者団体でも信頼されて、好きなことができてるからですよ」

「そうだな」と幸之助は笑いましたが、友がその言葉に、好きな仕事に打ち込めない悲哀を隠しているのはよくわかります。試験に受かりさえすれば、その後の道は開けるのですが、受からないで、家庭教師をして食いつないで何年になるか。今のように突拍子もないことに悩んだりするのも、試験に受からないやるせなさから、一時でもこころを外そうとするのではないでしょうか。本当に進むべき道と決めていても、こころに迷いが生じることもあるのでしょうか。幸之助はただ話を聞いてやることしかできないもどかしさを感じるのでした。

番組が終わると、友は「先生はうまくいってるんですか」と尋ねました。

「彼女かい? 色々あるみたいだけどねぇ、うまくいってるみたいだよ。何をやっていてもいいけど、今幸せでいてくれれば、それが一番だなぁ」

長野で高校教師をやっている友の話題が出たから、もう幸之助が心配するには当たらないでしょう。ですが幸之助はぼんやりと、誰もが好きな仕事に就ける世の中ならば良いが、と考えて、それではあまりに原始的かと自嘲するのでした。

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2004年7月1日 counter:54077

茶香炉 ある団体で功労賞として茶香炉なる物を頂きました。送られてきて受賞を知ったような次第で、辞退もできませんでしたが、感謝して使わせて頂くことにしました。陶器の壺に小さなお皿が乗って、その皿の上に茶葉を置き、下からロウソクの火で炙るようです。今流行りのアロマの代わりに茶の香りを楽しむのでしょう。その和の香りに浸りながら、夏のたよりをお贈りします。

その団体は全国に数百人の会員がいますが、顔合わせは年1回の総会しかありません。運営のほとんどをインターネット上、またはメールや電話で行う訳ですが、時々困難な状況に陥ります。ネット上での運営に関する議論で折り合いが付かず、会の中が小さな内乱状態になってしまうのです。

インターネット社会が成熟していない現代においては、この事例にかかわらず様々な壁が立ちはだかっています。この欄では以前にもメールと手紙の違いについて少しだけ書いたことがありますが、今回は掲示板やチャットといったインターネット全体での姿勢について考えてみました。

ネット社会で混乱を起こすひとは、普段の生活においても他人とコミュニケーションとるのが苦手なひとが多いようです。顔を会わせては言えないことでも、相手が見えないために独り言のように言いたいことを発言してしまう。その言葉を受ける側は、面と向かって言われたことのない様な深い言葉を浴びせられて、対応ができずに落ち込んでしまう。

どちらの場合も、普段から他人とコミュニケーションをとるのが上手なひとは回避できているようです。発言者に立った場合は「こういうことを書くと、あのひとは傷つくだろうな」とか「この言いまわしでは、誤解されるかもしれないな」と相手を目の前に置いて考えることができます。たとえ軋轢が生まれた場合にも、自分の真意を伝えて誤解を解く努力も怠りません。

受け取る側に立った場合も、相手が不用意な発言をしても、その言葉の裏に隠れた真意を掘り出して、より関係を深めようと努力します。そのどちらの努力もできないと言う人は、実はまだインターネット社会に馴染む用意ができていないのかもしれません。

そこまで考えて、インターネットは未来の世界平和に貢献するかも知れないと突飛なことを思いました。ネット上で人間関係を築くためには、必ず忍耐強く和を講じる術を学ばなければならないので、今の子供たちがそれをできる大人に育てば、世界はきっと今より平和になっている気がしたのです。

インターネットの弊害が唱えられている時に、楽観的すぎるでしょうか。

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2004年8月1日 counter:55578

異常気象という言葉が聞かれるようになって久しいですが、東京では1ヶ月近く真夏日が続いて、その間には最高気温も観測史上最高の39.5℃を記録しました。新潟と福井を突然の豪雨が襲い、友人の知人も床上浸水の被害に遭ったようです。もしかすると、ここをご覧の方の中にも被災者がいらっしゃるかも知れません。友人は支援物資を送って仲間を励ましているようですが、こんな時はお互いが助け合い、一日でも早く元の生活が送れるように、自分にもできることがあればやっていきたいと思っています。

東京では隅田川で花火が上がり、街々で夏祭りの音頭が流れています。災害が起こるとも猛暑であろうとも、森羅万象は移ろい、人間の営みは絶えることなく続いていきます。どんな時も挫けることなく、希望を持って生きていきたいものです。一日生涯として、いつ天に帰ろうとも満足できるように生きぬいた芹沢氏に習って。

今宵は満月でしょうか。好い月が出ています。被災地の皆さんも、今日一日の復旧を終えて静かにこの月を見上げていらっしゃるでしょうか。月の光にやさしい想いを乗せて送ります。

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2004年9月1日 counter:56995

『人間の運命』という山に登るのはもう何度目でしょうか。

もう何年も本物の山登りをしていないので、久しぶりに『人間の運命』を読み始めました。この山登りも、本物の山登りのように険しいが、登っていると清々しさに溢れてくる感じがして、楽しいものです。また本物のように1日で終わらずに、何週間も続けて味わえるのが、よりありがたいところでしょうか。

日本はこの夏、オリンピックで湧きましたが、そのオリンピック期間に全ての争いをお休みしてくださいというオリンピック委員会の提案は、アメリカの反対にあい実現しませんでした。イラクのサッカーが勝ち進んで、イラク国民が戦争を忘れた一瞬もあったようですが、五輪期間中も紛争は続いたのでした。

チェチェンの女性たちのことを書こうとして、キーが止まったままでした。この月報が遅れている間に、浅間山が噴火しました。1983年以来の規模と言うから、規模としては大きいのでしょう。噴火が夜だったために花キャベツは見えなかったけれど、闇に光る赤い炎が、なぜか芹沢氏の声を天から届けるように思えたのですが。

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2004年10月1日 counter:58655

先月に続いて『人間の運命』を読んでいます。今月はちょっと変わった一編をお届けしたいと思います。

新聞記者をしている友人が会社を休んでいることは噂に聞いていました。僕はその日、久しぶりに仕事が落ちついて、心配になって訪ねたのです。

「病気という訳じゃないんだよ」

彼は驚くほど痩せて、髭だらけの顔で、悪びれず笑顔を見せました。

「どうしたのいったい?」

「熊野に行っていてね――」彼の話は、半年前に彼が突然、我が家を訪れたことに端を発していました――

その日は、春一番の吹いた午後で、いつもなら目の前の土手に誘うのを、外では風でコンタクトに砂が入って痛いからと、珍しく部屋に上がったからよく覚えています。彼は部屋に上がるなり、お茶を煎れようとする僕を押さえて「神の声を聞く方法はあるかな?」と力無い表情で聞くのです。返事もできないでいると、「生きるって何だろうな――」と続けるのでした。

「――スーダンの大量虐殺を知ってるか? そうだろうな。イラク戦争の陰に隠れて、日本ではまだ騒がれていないから……あの国は今とんでもないことになっているよ。国の大半を占めるアラブ系住民が、アフリカ系住民を意味もなく大量虐殺してるんだ。町は焼き払われ、死体はそこら中に転がって、難民キャンプには、けが人と病人で溢れかえっている。子供達は骨と皮だけになって……でも医者はいないんだ。最悪だ。人間があそこまでケダモノになれるなんて――」

彼には初めての戦地体験だったのです。僕はかける言葉もなく、彼を外に誘いました。そのまま部屋にいるにはあまりにも気詰まりでした。彼はコンタクトを外して、誘いに応じました。突風が桜の木々を揺らす土手のベンチは、目の前に青空が広がって息が吐けました。

「君の会った『何か大きなもの』にはどうやったら会える?」

「そんなこと言われてもなあ……」困った僕の頭に、さっきまで読んでいた『人間の運命』の文章が浮かびました。そこには、本木という男が戸隠で古神道の修行を積んだ末に、神の声と言うか、内在する叡智を聞くようになって、予言めいた発言までする話が載っていました。

「君は以前、古神道に凝っていたじゃない。あの頃の本はもうないの? 昔の修験者のように山に籠もって行を積めば、神とはいかなくても、内在する叡智くらいは聞けるようになるかもしれないね。この青年はこの後熊野に行っているけど、僕も気功の鍛錬に行ったことがあるけれど、そんな事を感じさせる場所だったよ」

友は「熊野か――」と呟くなり黙り込んで、ただ流れる雲を目で追っているようでした。まさか、その後彼が新聞社を休んでまで山に籠もるとは思いもしませんでしたが。

「半年間、粗食と山歩きと瞑想に費やしてね、いよいよ会ったよ。僕はその時、空腹と肉体的な疲労で幻聴が現れたのかと思ったけれど、今になって思えば、はっきり何かの声だった。姿はなかったが、間違いなく声だったんだ」

「そう……でも無茶するなあ。まあ君は健康体だからできることだろうけど、会社はそんなので大丈夫なの?」

「部長が鬱病の病気療養と言うことで長期休暇にしてくれたんだ。体力がまだ戻らないので、もう2、3日したら出社するつもりだ」

それで僕は安心しましたが、本当に修行僧のようなその晴れやかな顔を見ていると、もう何も聞かなくてもいい気がして、「美味いものでも食べに行こうか」と笑顔で促すのでした。

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2004年11月1日 counter:60155

この1日から新札が発行されますが、その事を忘れていた人も多いのではないでしょうか。先月は台風に地震と日本中が被災地のようになって、人々の意識はその方面に向けられ、「日本はどうなるんだろう」という声があちこちで聞かれました。被災者の皆様にはこころよりお見舞い申し上げます。

その台風で部屋に閉じこめられた時間を、『人間の運命』だけで過ごすには余ってしまい、ブッダのものを多く読んでいました。「神シリーズ」でもお馴染みの中村元氏のものやヘッセのものなどです。ブッダを読む時は、こころの平静を求めている時ですが、お陰でこんな時でもこころ静かに過ごせているようです。

芹沢文学を愛する方々は、総じて平和を愛する方々のようですが、平和への近道があるとすれば、自分自身のこころが平静であることのように思います。天災のような防ぎようのない大自然の力の前で、常に平静であることはたやすいことではありませんが、常に平静であるようにこころを律することは、そう難しいことでもないかもしれません。

現代はブッダの時代と同様に、戦争をする者もいる、富を求める者もいる、享楽に耽る者もいる、それに加えて天災まで訪れる、そんな中で、修行僧のようにとまでは言わなくても、ただこころの平静を求め、ボランティアなどで被災者に力を与える――そんなひとの友になりたいものです。そして、そんな友に相応しい自分でいたいものです。

先日、そんな友のひとりに『ブッダのことば』を誕生日プレゼントに贈りました。色々な執着を離れて、こころの平静を求めたいという彼女の気に入ったでしょうか。

自己を見つめるのにとても好いこの秋に、皆さんはどんな本を読んでいらっしゃいますか。もし読む本がないという方は、『人間の運命-夜明け-』をぜひ読んでみてください。第1章の播州の親さんと言われた井出国子の言葉は、苦しい今の時代の人々のこころにも響くものと思うのですが。

そしておそらく芹沢氏が井出国子を自分の中に受け入れ、尊敬したとすれば、この時が境なのではないかと考えています。そうとしか思えない温かく力強いメッセージが、この冒頭の文章に感じられるからです。この出会いは縁でしょうか。業でしょうか。皆さんは素敵な出会いをしていますか。

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2004年12月1日 counter:61512

今年も一年納めの月報になりました。今年も本館へ訪れてくださった方々へ、そして目には見えないけれど、天で働いてくださっている方々への感謝を込めて、平和への思いを綴った作品を贈りたいと思います。

「あの駅にエレベーターが付いたようです。バリアフリーページの更新をお願いできますか」

そう言ってくるボランティアの仲間は、今年30歳、彼女いない歴○○年の福祉専門学校の先生。「今は恋愛よりも、福祉の方が面白くて……」と言うことばの裏に、少しだけ淋しい想いが見えてくる、イケテル先生です。

「他人の誕生日をよく覚えてますね!」と僕に驚いて見せながら、「じゃあプレゼントを一緒に買いに行きましょう」と誘う友は、本当は誰よりも仲間たちのことを大切に思っている車いすのギタリスト。深夜になるまで働いて帰っても、ハンディキャップに甘えずに、妻の下着の洗濯もこなす、努力家の旦那さまです。

「前日やったことがそのまま出たの!」とこの夏におどけて笑った友は、難関と言われている東京都の教員採用試験の合格通知を受け取って、自らの手で奇跡のように道を切り拓いていく逞しいピアニスト。自分のことは二の次で、携帯のメモリー500件に入りきらない友人の為に、いつも駆けまわっているナイチン・ゲールのような献身的な女の子です。

「北海道に行って、仕事決めてきました」と言い出したのは、ほんの3日前まで「自分で自分がわからない」と頭を抱えていたうつ病の友。何週間も家にひき籠もっていたと思ったら、突然そんなことを決めてきて、すぐに旅立つと言うけれど、ただ欲しいというヤカンを買ってあげて送り出すだけしかできません。

「実家のおかんがね、男をつくって家を出たの」と口をとがらせるのは、つい先日まで、実家の嫁姑問題で頭を悩ませていた若い友。「だって嫁姑問題を2世帯にすることで解決したって、この間喜んだばかりなのに」と驚く僕に、「そうなの」と自慢の笑顔を曇らせるけれど、こちらはどうしてやることもできなくて、ただ「お母さんもきっと色々考えてるよ」と励ますだけで。

1円にもならないボランティアに精を出すこの仲間たちは、今日もいろんな事を抱えながら生きています。「ホームページを更新したら、翌日に早速ボラの依頼が来たよ」と喜んで報告する僕も、もうすっかりボランティアに染まって5年目に入ります。イケテル先生の10年以上、おかんに悩む8年目にはまだまだかなわないけれど。

「お金にはならないけど、誰かの為にはなってるね」

いいえ、きっともっと大きな世界の為になってるよ。そして貴方自身の為にも。今年も最後のボランティアイベントがもうすぐだね。いつもごくろうさま。そしてありがとう。いつまでも貴方達の笑顔が見られる世界でありますように。

本年もありがとうございました。皆様へ、そして天への感謝を込めて――管理人

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