ここには当館をご利用いただいている皆様への管理人からの月々の便りを載せています。モラリストとも言われた芹沢氏と対話するような気持ちで、その時々の思いを綴っています。感想など皆様のお便りをお寄せいただければ幸いです。
【 2005年 】 |
2005年1月1日 counter:62713 2005年は真っ白な雪で明けました。自分のこころがこの雪のように真っ白であればいいと思わせてくれる雪です。阪神大震災の300倍のエネルギーという、想像だにできない巨大なスマトラ島沖地震で閉じた昨年。多くの犠牲者たちが安らかに天に帰られることを祈ります。大自然が教えてくれたものは何だったのか。そして、今年はどんな年になるのでしょうか。 日本は、イラクは、スーダンは、アフガニスタンは、そして世界はどうなっていくのでしょうか。この世界の全てのひとが、「祭壇に捧げ物をする前に、自分に恨みを抱いている仲間と和解しなさい」と言ったイエス・キリストのように、「喧嘩や訴訟があれば、つまらないから止めろ」と言った宮沢賢治のように、すべての暴力を放棄したマハトマ・ガンジーのようにならなければ、この争いの連鎖が収束しないことだけは確かなようです。 芹沢氏の愛読者ならわかっていることですが、自然災害も同じです。この大自然に偶然に起こっていることなど何もない、すべては原因があって結果があるのですから、自分の幸せ、家族の幸せ、仲間の幸せを望むならば、この世界すべてのひとたちの幸せを望まなければ、それはいつまで経っても手に入らない、絵に描いた餅のようなものではないでしょうか。 この嵐のような時代に、自分にできることを見失わないよう、天につながるあらゆる感覚を研ぎ澄ませ、しっかり前を見据えて歩かなければならない――近所の神社で初詣を済ませて振り返ると、どこからか声がしました。 今年は頑張る年ですよ――見上げた冬の青天にはただ太陽が燦々と輝いているだけでした。 皆さんの今年はどんな年になるのでしょう。 本年もどうぞよろしくお願いいたします。 2005年2月1日 counter:63982 2005年の最初の月は、冬らしい寒さが戻ってきました。それでも自然には暖冬の影響が残っていて、好きな場所のひとつである小石川後楽園では、梅が早く咲きすぎて、2月中旬の梅まつりに、見頃を過ぎているのではという心配があるようです。 その先月、未だ芹沢文学に触れたことが無いという4人の方に、文庫本をお贈りしました。どのような感想を持たれるか楽しみです。僕が最初に触れたときのようなプレゼントを貰って頂ければいいのですが。 最近になって、時々創作をしています。創作ができるのは、比較的仕事の空いている夏が多かったのですが、今はなぜか仕事が少なくて、書いています。以前は、誰にという宛もなく書いていましたが、今は特定の友に読んでもらおうと書くことが多くなりました。 たった一人のための創作。自分にできる自分らしい励まし方かもしれません。今日もまた、先日退院してきたばかりの患者会の友に書いているところです。皆さんもきっと、それぞれの人生で、自分らしい方法で、芹沢文学の種を蒔いていらっしゃることでしょう。 2005年3月1日 counter:64992 もうすぐうちの最寄り駅にエレベータが設置されるようです。マンションの入口にスロープが設置されたのは一昨年だったでしょうか。街は着実にバリアフリー化が進み、障害者や今後増える高齢者たちの住みやすい街ができていくのは、見ていても嬉しいものです。 ボランティアの仲間が、新しく始まった東京都のITサポーターというものになりました。口などでしかパソコンを操作できない障害者の方のパソコン支援をする資格です。江戸川区以外にも活動の幅を広げるために、僕も参加しようかと考えています。 世間では連日メディアの争いが流れ続けていますが、代わりに新潟やインドネシア、イランなどの復興情報を、もっと流せばいいのになあと思います。本来のニュースでないニュースを見るくらいなら、その方が随分いい刺激を提供してくれるように思うのですが。 どこかの首相が、自国の自衛隊のために、他国の国民の7割が反対している追加派兵を求めたというニュースもあれば、新潟県の災害本部のホームページでは、毎日のボランティア人数が発表されて、こころある人たちの宝石のようなニュースにこころ温まるのですから。 そんな感謝にこころが弾むような、素敵なニュースに耳を傾けていたいと思います。そして、いつでもそんなニュースを提供できる側でありたいとも思います。こころを曇らせない、そんな生き方こそが、芹沢氏の描いた天へ通じる道だと思えます。 新潟でボランティアされる皆さん、いつもごくろうさまです。そして、ありがとうございます。 2005年4月1日 counter:66256 東京も昨日桜が開花しました。 先日、ニュースを見ていると、定年退職者にNPOを立ち上げる方たちが多いという特集をやっていました。高齢化社会で、お年寄りの世話をする方が増えて喜ばしいのですが、その方たちの目的は「やがて自分にも来る老いを考える」というところにもあるようです。 企業の中で利益を追う人生を送ってきたので、これからはひととのコミュニケーションの中でやさしさ、思いやり、温かさ、そういったものを与え、また感じることのできる仕事がしたいと、ある方はインタビューで答えていました。 老いと死は必ずやってくる。諸行無常の理を知れば、ひとは再び生まれくることもなく、それを正しく見ることのできない者は、再び輪廻の輪に飲み込まれる――かの師は説きました。 スマトラ島沖で、半年とおかずに2回目の大地震。今なおニアス島では、瓦礫の下で助けを待っている人たちがいます。一刻も早く、一人でも多くの方が、痛みと恐怖から解放されることを祈っています。 日本でも空白域と言われている福岡で地震が起こりました。老いを考える前に、死が間近に迫っている時代かもしれません。それは恐れることではないけれど、この大地の声に耳を傾け、いま自分たちに求められているものを、再確認するべき時が来ているようです。 「もういつ自分の身に起こってもおかしくないですよね。何人か集まると、必ず地震の話から始まるんですよ」 取引先の友人が言いました。その通りだと思います。大地の声、天の声を聴いている人であれば、皆そう感じているのではないでしょうか。 一日一生――芹沢氏の生き様である悔いのない毎日を送りたいと思います。災害に遭っても、強い気持ちで人々を助けていくこころの準備をして。 災害の中で、家や道は崩れても、桜は何事も無かったかのようにまた咲くでしょう。その時、どれだけ平安なこころで、桜と対峙できるでしょうか。そのための準備にも、一つひとつこころを整理しているところです。 2005年5月1日 counter:67451 先月は元気な中高年について書きましたが、今こころを配るべきなのは、わずかな人数で高齢化社会を支えていかなければならない子どもたちかもしれません。 いまの厳しい社会の様相は、少なからず子どもたちの成長にも影を落としているはずです。子どもたちは小さな胸の中に、多くの疑問や不安を抱えていることでしょう。だからこそ、周りにいる大人たちが、この大自然の声を聞き、子どもたちの疑問に答え、迷いを払えるようにやさしく導いていかなければならない時代ではないでしょうか。 この大きな山を越えるにはまだもう少し時間がかかるのかもしれません。ただ、どんな環境の中でも、大切なものを見失わずにさえいれば、道は必ず開けていくと思います。憎しみではなく思いやり、怒りではなくやさしさ、争いではなく調和、そんな簡単なものを、いつもこころに刻んでいるだけで。 今度は何をやろう。大変な時代だからこそ、できることも沢山あるでしょう。苦しいときにこそチャンスがある、そんな希望の火を子どもたちの胸に灯していければいいですね。 厳しい世相の中で、今年もいつものように藤の花が咲いて、芹沢氏の生誕記念日がやって来ます。 「頑張っていますよ」 そう、人々が幸せに生きるのをたのしむために創られたこの世界から、芹沢氏に挨拶して。 2005年6月1日 counter:68801 ニートという言葉が当たり前に使われるようになっていますが、皆さんはご存じでしょうか。簡単に言うと、引きこもりを含め、働いていない若者という事のようですが、2002年の統計で85万人もいたそうです。今年の求人はバブル期と同水準の高い需要があるそうで、ニートの子どもたちにも、是非この機会に仕事に就けるようなバックアップがほしいものです。 フリーターという言葉が当たり前になった90年代は、フリーター問題が盛んに論議されましたが、いまやニートの登場によって、フリーターの地位も向上したようです。「働かないよりはマシ」と言われれば当然そうでしょう。芹沢氏は『神の慈愛』の中で若者の自殺を嘆いていますが、今の若者の状況はその頃の比ではないように感じます。 僕の周りにはニートはいないけれど、フリーターは2人います。その一人は引きこもり癖のある女の子で、仲間からは「時間や約束を守れない」「言った事を実行しない」と非難の的ですが、本人は人一倍努力型思考の持ち主なので、いつも忍耐強くそっと手を差し述べると、いつの間にか立ち直ってくれます。 まず話を聞くこと、聞いて当人の意思を尊重すること、その上で幾つかの道を示してみせること、そして最後に自分で決めさせること――そういう手順を何度でも我慢強く踏める家族や担当者が多くいてくれれば、ニートの数も減っていくのではないでしょうか。 先日、12時間に及ぶ大きなオペを受けた友は、仲間たちが待っていてくれるから、痛みに耐えて頑張れる、早く職場に戻りたいと言ってオペに臨みました。そんな大事に思える仲間をニートの若者にも持ってほしいし、家にいては味わえない体験をしてほしいと思います。 2005年7月1日 counter:69967 高齢者と若者の話題を続けていますが、今月も高齢者についてです。 先日発表された数字に大変驚きました。日本国民の20人に1人が障害者だというのです。皆さんもそうでしょうが、子供の頃、自分の周りに障害者などほとんど見当たらなかったのではないでしょうか。 僕は今でこそ自分も障害者で、ボランティア団体にも所属していますから、障害者は日常的に目にしていますが、ボランティアなどに関わらない人たちの周りには、未だに障害者など数えるほどだと思っていました。いつの間にそんなに増えていたのだろうというのが実感です。 高齢で障害を持つことは大変なことではないでしょうか。自分が高齢になった時を考えてもそう感じます。そうならないためにも、若いうちからの健康管理をするよう、障害者の僕が言うのも何ですが、気功や散歩など、身体を動かす習慣を皆さんにもお勧めします。 しかし、そうは言っても既に障害者はそれだけの数がいるわけで、以前にも取り上げましたが、定年者が高齢者介護をする時代です。 現在、身近な友人の7人がヘルパーなど高齢者、障害者介護に関わる仕事に就いており、他にも3人が福祉系の仕事をしています。僕も福祉産業には関わっていて、仲間内では半数近くが福祉に縁があるわけです。 このように人と人とが触れ合う社会になってきたことは、至る所で争いの絶えない今の時代に、人々に「やさしさ」という大事なものを、思い出させることにもつながっているのではないでしょうか。また、そうならなければならないとも思います。 2005年8月1日 counter:71259 テロが続いて世界中が戦争前夜のような警戒態勢の中、東京でも久しぶりに大きな地震が起こりました。首都圏では、綿密なデータによる近い将来の大地震が予測できているのか、当たり前のように関東大震災級の直下型大地震を想定した防災活動が行われています。 この世界に起こることに一つも無駄なことはない――芹沢氏が天から聴いた言葉を受け、今月はそんな緊迫した時勢に関係のない、気楽なお金の話題で、暑い日々にも一息ついて頂ければと思います。 僕は身体が弱いために、年間を通して常時働けるということはなく、同じ歳の健康な人なら600万とか800万とかは稼いでいらっしゃるでしょうが、年収は300万程度です。そのうちの半分、150万をネズミ小屋の2DKに払っていますから、東京の家賃が高いのは仕方がないとしても、よく生きていけているなあと思うことがあります。 それでも不思議なことに、お金に困ったことはありません。借金もなく、食べるのに困らず、着るのに困らず、泊まりに来る友の世話をし、旅行にも出かけます。このHPで、芹沢文学を読んだことのない方に、文庫本を無償で贈呈できる余裕?もあります。 『神の慈愛』の作中、戦時中に井出国子が芹沢氏の次女に向かい「これから、お金がなくて困るような時勢があるかも知れんが、そんな時でも、心配せんようにな。神さんが一生守ってお金ではあんたに苦労させんからな」と言う部分があります。 いつの頃からか、お金の心配をしているひとを見ると「天に恥ずかしくない生き方をすれば、お金に困ることは絶対にないから」と言っている、おかしな自分がいました。先の言葉を天の言葉として、自分のものにしてしまったようです。 天の望む生き方をしていれば、お金に困ることはない――それからは、収入の定まらないこの身体で、もう十何年もお金の心配をしたことがありません。とてもありがたいことだと思います。ですが本当は、お金だけでなく、生活の全てを安心して暮らせるのではないでしょうか。 まだまだ磨き甲斐のあるこのこころを、誰にでもそう言えるように磨いていきたいものです。 2005年9月1日 counter:72461 秋を感じるのは、風の温度の違いでしょうか。 このところ、空の事故が続いて、何か意味があるだろうかと、その風に耳を澄ませますが、空はよく晴れて、所々を黄色く染めはじめた緑も爽やかで、ああ世界は平和だったと、感謝の祈りを天に捧げるのでした。 そんな平和な日本は、11日に選挙を迎えます。ひとりの人間(首相)の意志で、国を動かす議会が解散するということに今更ながら驚きますが、もしかすると僕たち一人ひとりにも、この世界を動かす程の力があるのかも知れない、そんなことも思い出させてくれます。 この国が、この地球が、住みよい、幸福な世界になるように、そんな方向に向かえる力を、自分の中に作っていきたいものです。この文学館を訪れてくださる皆さんのこころが、つねに平安であるように祈る日々です。 8月には久しぶりの帰省をして、これで今年3回目の旅行です。その3回がすべて天につながるような旅で、芹沢氏の住む世界を身近に感じて過ごしていますが、懐かしい多くの人たちにも再会して、ありがたく、大きな人生の転機を感じます。 今は地球も動き、天も動いて、自分の人生も動いている時期なのでしょう。今後、皆さんの周りにも、大きな変化があるかもしれません。その時を無事に乗り越えて、より平和な世の中が実現している夢を見ながら、今日も歩いていきましょう。 先月の愛好会の会報に『あの日この日』という作品が入っていました。以前、『愛情』という短編集で、この作品を読んだことがありますが、久しぶりに読んでみて、面白い発見があったので、読後感を書いています。よろしければ、こちらもお読みください。 2005年10月1日 counter:73653 昨夜、東京直下型地震の特番が民放で放送されていました。地震2週間前、1週間前、3日前、直前と雲で見分ける方法を興味深く見ていました。以前からよく空を見上げますが、番組を見た多くの方も、今日から空を見上げることが多くなるのではないでしょうか。 地震は来るのでしょうか。明日? それとも来年? 空を見上げ、芹沢氏に聞いてみたい。いつ来てもおかしくない程に、政府は用意していますが、民間にはまだそこまでの緊急意識は浸透していません。ガラスなど壊れやすい物を無くす備えだけはしておくように、友人には話しますが。 震災前は、備えをすれば良しとして、実際に震災が起こると、その後のこころの持ちようが大切になります。先月も触れた『あの日この日』でも、戦時の人々が心を無くした様子が描かれていましたが、今回のハリケーンの被災地でも、同様のことが起こっているようですから。 ひとは危機に陥ると、二種類の人間――自分たちだけを守ろうと餓鬼のようになるひとと、他人に感謝し、助け合おうとするひと――に分かれるようです。 そんな時、普段は善良なひとでも、餓鬼と化したひとたちに接して、こころを曇らせることがあるかもしれません。だからこそ、自分もこころに気をつけて、逆にそんな哀れなひとたちに、光を与えるくらいの気持ち、行動でいたいと思います。 誰もがやさしい思いやりのこころを見失わなければ、大自然がこの地に地震を起こすこともないだろうに――空を見上げに出たベランダで、風がそんなふうに通り過ぎていきます。 宇宙飛行士の野口さんのインタビューをご覧になったでしょうか。宇宙から地球を見た時、そこには確信として「生命」が感じられたと、彼は力強く言いました。 地震だけではありません。気象の異常による地形の変化、温暖化による極点の氷の融解――私たちの知らないところで、世界は少しずつ形を変え、未来へと向かっていきます。それでも確かに、私たちの生命はそこに在るのです。 生も死も ただこの日 一日 よろこびて 生きるのみ――八七歳の芹沢氏が残した言葉に頷いて、今日も明るい一日が始まります。 2005年11月1日 counter:74742 先月8日、心配している大地震がパキスタンで起こってしまいました。長年のインドとの争いの地に起こった天災は、その地の人たちに何をもたらすのでしょう。これから来る寒い季節のまえに、一日も早い支援を祈るばかりです。 いま日本に大地震が起これば、芹沢文学が求めたような日常の幸福も、震災で一瞬にして壊れてしまうでしょう。家族を失い、家を失い、施設や青空の下という非日常の中での生活を余儀なくされるでしょう。たとえ因果応報で、その原因が自分たちの中に見いだせるとしても、あまりに辛い試練です。 東京はまだ平和ですが、同じ立場になった気持ちで、みんなで支援を考えてはどうでしょう。国という壁があっても、宇宙から見た時、世界はひとつのはずです。日本人の半分が支援を考えただけでも、パキスタンは復興することができるのではないでしょうか。 それを非現実的だと諦めるのではなく、本気でそう考えるひとがひとりでも増えてくれれば、この世界は必ずもっと幸福になるはずです。 芹沢文学の愛読者は、そんな辛い時こそ闘病中や戦時中の作品を思い出して勇気を出すでしょうが、パキスタンの人たちには、芹沢文学のような光となる標があるかわかりません。「神はないのか、ひとに情けはないのか――」と挫けたこころの被災者たちに、希望となる光を与えられるような作品が書けたらと、仕事の合間に黙々と創作を試みる日々です。 今は『望郷』という作品を書いて、また司法試験生の友に読んでもらおうと考えているところです。 2005年12月1日 counter:75601 冬晴れの好い天気が続いています。色づいた木々を眺めながら、今年1年を振り返ると、大地震、ハリケーンとやはりこの二つの天災が思い出されます。 26日中国、27日イランで相継いで地震。パキスタンには雪が降り始めて、地震の2次災害が心配されています。日本でも、強度偽装の問題が連日テレビを賑わわせて、今年の月報もどうやら地震の話で締めくくることになりそうで、重くならないように物語にしてお贈りします。 僕には子供はないけれど、子供の出てくる夢を見ました。師走を迎えて、子供たちと暖炉を囲んでいるのです。 「平和であること、自由であること、つまり幸福を享受できている日本に住む私たちが、幸福でない国に向けてできることは何だろうね」 「ぼくのお年玉のいくらかを、パキスタンの子供たちのために使ってもいいよ」 「私はいっぱいお洋服を持っているから、それを貰ってくれる子がいるなら、あげてもいいわ」 いつの間に、こんな素直な返事を聞かせてくれる子供たちに育ったのだろうと喜びながら、僕も答えているのです。 「ありがとう。君たちが彼らのように困った時には、きっと誰かが救いの手を差しのべてくれるだろう。お父さんも君たちと一緒に彼らに必要なものを送ろう。世界はそうやって助け合って成り立っているのだから」 「みんなが幸せになれるといいね」 「なれるさ。それにはまず、君たちがいつも幸せであることだ。試験で悪い点を取ったからって暗くなることはない。次は良い点を取ろうという気持ちになれれば、目標ができて明るくなれるだろう。友だちとケンカをしたからって落ち込むことはない。意地を張らないで、君から謝れば仲直りできるんだ。そうやって君たちはいつだって、自分の努力で幸せでいることができる。君たちがいつも幸せだと、周りの友だちも、君たちのように幸せでいたいと思うだろう。そして君たちを見習うようになるだろう。そうしたら、それがどんどん広がっていくんじゃないかい」 「ほんとうだ。じゃあ、そのまま幸せなひとがふえたら、いつか世界中が幸せになるね」 「そうわかったら、今夜も幸せな気持ちでやすめるね。そしてまた明日、気持ちよくおはようの挨拶をしよう」 「おやすみなさい」「おやすみ」 そう笑いあって、小さな二人の肩を抱いているのです。窓の外ではひとりの天使が、地上に光の球を放ち、その熱い光の玉が、氷でできた戦車や爆弾をみるみる溶かしていくのです。すると夜は一瞬に朝になり、争いのない緑豊かな未来の世界が、大自然の日の光を浴びて現れたのです。 そんな壮大な夢を見た話で、今年最後の挨拶に代えさせて頂きたいと思います。 先月、またひとり車イスの女性が「助けられるばかりでなく、何ができるかわからないけど、誰かの力になりたくて」とボランティアの仲間に加わりました。「何ができなきゃいけないということはない。あなたのその気持ちが大切だから」と、彼女を温かく会に受け入れた女性もまた車イスに乗っています。 一緒に楽しんで、この世界にボランティアしていきましょう。私たちの思いが、全ての冷たい氷を溶かすようになるまで―― 今年もありがとうございました。いつも幸せでいてください――管理人 |
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