ここには当館をご利用いただいている皆様への管理人からの月々の便りを載せています。モラリストとも言われた芹沢氏と対話するような気持ちで、その時々の思いを綴っています。感想など皆様のお便りをお寄せいただければ幸いです。

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管理人の創作

 

1998年3月9日 counter:0

芹沢光治良氏のインターネット上での初めてのホームページである『芹沢光治良文学館』を今日ここに開設できたことを大変嬉しく思います。

僕(当文学館管理人)は決して文学青年ではありませんでした。その僕に文学の楽しさを教えてくれた人、それが芹沢氏です。僕は『神の微笑』からの氏のファンで、その後神のシリーズを読み、確か『大自然の夢』からリアルタイムで読めるようになると喜んだ矢先、悲しい一枚のはがきを頂戴しました。その頃には、氏の存在は僕の中で非常に大きなものになって、何をするにも魂に訴えかけるようでしたから、その手紙を持ってガクガクと胸が震えるような感じを受けました。死は生の延長であろうと、氏からそう教えられていても、僕はやっと来た春がまた冬に逆戻りしたように狼狽しました。そんな意気地のない僕でしたが、それからも氏の本を読み続けました。『人間の運命』『教祖様』は既に読んでいましたが、その他のものはなかなか書店にはなく、図書館を何件も回って、あるだけ借りて読みました。その後、新潮社より『芹沢光治良文学館』(全12巻)が隔月で発売されることになり、旧作も次々と読むことができ、非常にありがたく思ったものです。そして全部読み終えた頃には、氏は生きて僕の胸の内に在り、よき相談相手になってくれています。

ここを訪れられる皆様は、きっと私よりもずっと長い氏の愛読者であることと思います。氏を慕うという意味では、言わば魂の兄姉でしょう。その兄姉の皆様と何か一言でも氏のことで話題がもてたらとの想いでこのホームページはスタートしました。

内容はまだかなり未完成です。書評(と呼べるものでもありませんが)も読んでいてもまだ書いてないものが沢山あります。私は本業がフリープログラマーで、そちらの合間を縫っての制作となりますので、なかなか完成は遠いかもしれませんが、少しずつ作らせていただきます。どうぞ長い目でご覧ください。

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1998年4月1日 counter:83

文学館を開設してまだ1ヶ月も経ちませんが、早くもリアクションをいただき、本当にありがたく思います。内容は未だ不備な点が多くお恥ずかしいですが、ここを訪れられる方々が芹沢氏の読者ですから、氏の本でも読み返しながら、のんびり見てくださる方々ばかりだと安心しています。

新宿御苑の桜 春になりました。桜が1年で1度、素晴らしいエネルギーを放つ季節です。皆さんもお近くの桜の木にもたれて、春のエネルギーをもらってみませんか。きっと元気が出ると思います。僕はマンション暮らしで、氏のご自宅のように可愛がった木々もありませんが、それでも近隣の荒川の土手を飾る木々や公園に咲く花々が心を慰めてくれます。氏の庭では今、どんな花がその花弁を広げているのでしょうか……。

僕はふと思うことがあります。すべての人々がこの春の陽気のように穏やかな心でいつも過ごしていたら……と。ちょっとしたことに腹を立てたり、幸せな生活の中に、無理に不平不満を探すような生き方をしていたり、そんな愚かな自分をこの春の青空に飛ばして笑ってしまう。『教祖様』の主人公である親様がおっしゃった「神が見ている、気をしずめ」という言葉をよく思い出すのですが。ジョン・レノンも歌っていますね。「むずかしいことじゃない」と。

春の便りを桜の花びらに乗せて……。

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1998年5月1日 counter:283

近所の藤 近頃、新緑が目を見張るほど鮮やかで驚きますが、4月中旬の陽気は凄かったですね。僕の好きな藤やツツジもいつもより早く咲いたようでした。僕は南国の生まれなので暑いのは好きですが、やはり季節に合った気候というのが望ましいと思います。エルニーニョの影響だとか、地球温暖化の兆しだとか言われますが、環境問題も他人事ではない時代なのではないでしょうか。買い物には袋を持参する、ゴミを出さない、車は控えるなど、個人で出来ることは多いと思います。

こころの広場への書き込みで『死者との対話』が話題に上っていましたので、それについて少し触れたいと思います。この作品には「または唖の娘」という副題が付いていますが、内容的にはこちらが本題と言えます。唖の娘を切り捨てるような難解な西田哲学と、唖の娘である民衆にもわかるように説くベルグソンの哲学を例にとって、自分が文学者として採るべき姿勢が後者であることを表明していますが、作中にも第2次大戦が唖の娘として扱われた軍と民衆が引き起こした悲劇であることをもって、全ての知識人に対して同じ過ちを犯さないように呼びかけています。

芹沢文学の一番の特徴が正にこのわかりやすさであることは皆さんご存じのことでしょうが、実際、物を書くときに、誰にもわかる言葉で文学を表現するというのは非常に困難な作業です。それを敢えてやったベルグソンや芹沢氏と西田氏の違いは「愛」ではないでしょうか。突き詰めれば、芹沢氏が本作で求めたのは、知識人達の民衆に対する愛だということになるのではないでしょうか。そう考えると、事は知識人だけにとどまらず、全ての人達に言えることだと思われます。どんな職業においても何をするにも、愛を根底に持って望めば、悲劇は避けて通れるのではないか――――。

それを皆さんが実証してくださることを僕は願うのですが、いかがですか。

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1998年6月1日 counter:507

梅雨空をぼんやりと見上げていると、芹沢氏が「僕はこの湿った重たい空気が苦手だったんだよ」と声をかけました。「僕はこういうのもスキですよ」と笑いかけましたが。緑が深みを増し、空はグレイに被われていても、頭上の木々の枝では小鳥達が元気に囀ります。

本ページの読者の方が、ある会において芹沢文学愛好会の方々に本ページを紹介したくださったところ、こういう形で若い人達に芹沢文学が広がるといいね、という意見が出たそうです。それを聞いてますますやる気になってしまった今日この頃ですが、急に走っても疲れるだけなので、やはり地道に行こうと思います。

ところで皆さんは身体を動かしていますか。女性の方は家事で結構身体も使うのかも知れませんが、男性の方は家と会社の往復に歩くくらいなのではないでしょうか。僕が最近発見したのは、身体の調子が悪いときに横になってばかりいると余計疲れるという法則です。そういう時こそ、外を歩いたり軽い運動をしたりした方が回復が早いのです。僕は散歩や柔軟体操をよくやります。芹沢氏の愛読書でもあったアランは『幸福論』の中で、背伸びと笑顔が健康と幸福の秘訣だと言っています。僕は気功をやっているので、それが事実であることがよくわかります。会社で疲れた時は、ロビーや表に出て背伸びと脱力を数回繰り返すだけでもかなり身体の状態を改善してくれますので、ぜひいかがでしょうか。

先日、初めて作品の提供を頂きました。『告別』という作品で、表紙にはシスレーの「サン=マルタン運河の眺望」が使われています。この作品は内容そのものよりも、作者にとって初の出版する宛のない書き下ろしであることに意義があるようです。芹沢氏はこの小説を書いたお陰で「人間の運命」を執筆する気になったとあとがきに付してありました。
 このご縁に感謝して、ご提供ありがとうございました。

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1998年7月1日 counter:692

幸福とは何でしょうか。

以下は『男の生涯』からの抜粋です。
「実に、伊藤公の国葬の日、この若い教師が感激的な言葉をのこさなかったら、僕の運命はちがったものになったろう。そう思うと恐ろしい気がする。」
「神戸へ行って最後の別れをしたいと思ったが、それも、小作争議の対策委員会のために不可能になった。ああ、その時神戸へ行けたら、二人の運命は今日とは違ったものになったかも知れないのに」
「震災がなかったら、それが実現したろうに! そしたら、僕の運命も変化していたろうに!」
「とまれ、その時、あのきりぎりすのような顔をした局長が、悪意から転任させなかったら、僕は毎朝乗馬をするほど役所の仕事に熱心であったから、そのまま役人生活を続けていたに違いない。」

この芹沢氏のように、人生には転機となるような節目が何度かあります。あの時その事がなければ……というような経験です。ですが人生の転機とまでは行かなくても、気をつけていると平凡な日常生活の中でも色々な些細な出来事が偶然の綴れ織りを成しているのに気づくことがあります。運命とも呼ばれるその偶然の綴れ織りは、実は人生の全ての場面で働いていて、ただ人はそれに気づかずに生きているから、気づいたときにはその神の采配に驚き、畏れるのではないでしょうか。信仰とは、その偶然の綴れ織りを良いことも悪いことも全て神の恵みとして謙虚に感謝して受け入れる、そんな姿勢ではないでしょうか。

そんな事を考えたのも『きいろい地球』を読んだことに起因します。芹沢氏はこの作品の中で、犯罪もない天国のようなスイスの人々と、長い放浪の末、先祖の土地に帰って、荒らされた砂漠に緑を植えようと奮闘するイスラエルの人々のどちらが幸せであろうかと問います。

偶然の綴れ織りに気づくのには、変化のないスイスよりも日々進歩するイスラエルの方に気づきが多いのではないでしょうか。気づきとは喜びであり神に近づくことであり、幸福の一つの要因でしょう。また、スイスの大自然で育まれるのは、神の懐に暮らすようなものであり、やはりそれも幸福の一つの要因でしょう。皆さんはどちらの幸福に惹かれますか。

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1998年8月1日 counter:856

梅雨はもう明けたのでしょうか。

芹沢氏はその作品で何度も故郷沼津の自然の美しさを語られていますが、僕にも我入道に負けないと思っている故郷があります。

高見池と立花山。真ん中は公園 後ろに美しい稜線の立花山、前には3キロも行けば玄界灘と白い砂浜の松林、水と緑に囲まれたすばらしい場所です。

その景色も少しずつ移り変わっていますが……

自然は何ものにも変えがたいですね。この豊かな自然をいつまでも守っていきたいものです。

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1998年9月1日 counter:1033

いつも空を見ています。

僕はよく太陽に挨拶をします。芹沢氏の影響が大きいかもしれません。太陽はいくつかの表情を持っています。白い顔だったり、赤い顔だったり、橙色の顔だったりします。近頃僕は黄金色の太陽をよく見かけます。それは秋の訪れを知らせるような薄い雲とからんで、仏教の天寿国を思わせるような黄金の絵巻物のようです。

夏休みの最後、日本は水害に襲われました。新幹線の窓から見る郡山の町は水没し、川はどの川も満々と水をたたえ、自然の猛威はこれだけ進化した文明でも何の太刀打ちもできません。体育館では何千という人々が不安な夜を過ごしました。僕に出来ることは、ただ台風に東に逸れてくれと祈るばかりです。

夏の青空に浮かぶ入道雲はやさしく、黄金の太陽は慈愛に満ちて僕たちを見守ってくれます。その同じ大自然が時には厳しく地上を浄めようとする。大自然は何を語りかけているのでしょうか。僕はそのどちらも大自然の愛だと信じるのですが。

大自然を見つめると「この世は天国だ」と言った芹沢氏の言葉がそのまま胸に通ります。その天国に何故災害は起きるのでしょうか。僕は芹沢氏のように大病を患い、大きな事に気づきました。災害とは地球が病むのではないでしょうか。地球を病ますものはそこに住む人間たちではないでしょうか。大自然に感謝する気持ちを忘れ、物質主義にひた走ってきた今、人間は気づくべき事があるのではないでしょうか。

聖書の時代、人々が畏れ敬った大自然の偉大さに――

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1998年10月1日 counter:1220

月が輝く宵、いつも行く定食屋の帰り道でも秋の虫たちが合唱して、長袖を出す季節になりました。東京はここのところ雨が続いて、太陽を心待ちにしています。

この秋、司法試験を目指す若い友が、勉強に専念するために東京を引き上げて田舎に戻ります。あまり苦労なく育ったのか坊ちゃん気質で、よく食事に連れていったりしては、生きるのに何が大切か論じ合ったものでした。先日もマンガを読む彼に「田舎に帰ったら、もうマンガもやめなきゃね」と言うと「息抜きは必要だって言ったじゃないですか」と反論するので「自分を甘やかせて良い時期と、厳しくした方が良い時期があるだろう。もうその時期じゃないかい」と言うと「うーん」と唸るようにして考えていましたが、その後「止めましたよ」と笑顔で言ってきました。あの素直さにはかないません。

僕の周りには若い友が他にも多くいて、例えば、芹沢氏の母校でもあり日本の最高学府である東大を出ていながら、正職に就くのを好まず、その日暮らしの生活に追われている子、神主の資格を持ちながら田舎で父親がまだ現役だからとフリーターで自由な生活を続ける子、楽しい死を研究する会に所属する大学生など、個性的で面白い仲間達です。ただ僕も含め彼らに共通しているのは、今という時を生きるのに精一杯で、広い視野に立って自分を見つめ直すということができていないようです。彼らといると「何かしてあげられないか」と愚かに心を使うことが多くなってしまいます。みなそれぞれに必要なことを経験して成長していくのでしょうに。

彼らが早く自分の幸せを築いて、周りの幸せを願うような余裕を持ってくれることを祈り、そうなっていくように力になれればと、やはり今日も愚かに心を労するのは、芹沢氏のように理想的な個人主義が確立していないからでしょうね。

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1998年11月1日 counter:1392

我家から見た江戸川の夕日 朝晩は冷え込んできましたが、昼間は快晴が続いて気持ちの良い今日この頃です。家の前の荒川の土手で寝転がって読書をしているとき、船のエンジン音に目を上げると、ススキが僕の背よりも高く茂って、いつも見える川の景色をすっかりふさいでいました。それから最近は夕日がすばらしく美しくて目を見張るほどです。仕事に疲れている方がいらっしゃったら、ぜひ夕方は窓の外に目をやってください。心が洗われます。

若い仲間たちの話題の続編ですが、取引先にこの春から入社した沖縄の女の子がいます。慣れない仕事や環境で胃を痛めて、ときどき胃を押さえて机の上に顔を伏せているが、その社の人に話してみても「自分で何とかするしかない」と新入社員としては当然のことように言われるだけです。本人に「わからないことを自分の中に溜め込まないで流してしまえば楽になる。気を楽にすれば胃痛も去るから」と話したが、相手はわかった表情ではありません。

こういうことは年を経て自分で様々な経験をする中で会得していく人生の極意のようなものでしょうか。目あれど見ずとイエスは言ったが、見ようとする姿勢を持つことが、悩みや苦しみを解決させてくれる近道のように思います。もし、彼女が「それならどうすれば、気持ちのきりかえができるだろう」と疑問を持ち、先輩に聞くなり、自己に問いかけるなりして本気で探っていけば、その迷宮からの脱出も可能なのではないでしょうか。

相変わらず個人主義が確立しない僕ですが、自分が大病を患っていることもあるので、人の体の痛みに敏感なところがあるのかもしれません。彼女が経験や慣れを待つのではなく、早く自らの知恵で自分の体を胃痛から解放してあげられるように、力になるべきだと自然と考えてしまいます。人生はあらゆることが学びで、胃痛によって彼女が気を楽にする方法を学び、痛みを知る経験によって彼女の中に他人への思いやりや優しさが生まれるとすれば、胃痛も捨てたものではないのでしょうが。

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1998年12月1日 counter:1561

寒くなってきましたね。うちでもやっと暖房を使い始めました。最近、友人が2人、1人は大学生の女の子で、もう1人は31歳の男性ですが、『神の微笑』を読み始めました。男性の方は、とても素直な感想を聞かせてくれて、あらためて自分が初めてこの本に出会った頃の心の動きを思い出しましたが、その『神の微笑』に関連して、外の寒さに負けないような心温まる(かどうか)短いメルヘンをひとつ。

昔、取引先に一人の女性アルバイトがいました。いつも茶や白や紺の地味で清楚な服装で、前髪をアーチ状にカールしているのが印象的な華奢な女性でした。無口で仕事上必要な会話しかしないが、その喋り方もゆっくりと消え入るようにか細い声でした。僕は自然の中で土にまみれて逞しく粗野に育ったためか、彼女のように清純でガラスのようにもろそうな女性に無条件で憧れを持つようです。憧れであるから、他の女性にするように話しかけることもできずに、ただ見守るだけでしたが、2年か3年共に働くうちには、何度か思い切って声をかけたことがあります。その何度目かの時、僕は『神の微笑』を彼女に勧めてお貸ししました。なぜお貸ししたかもう覚えてないが、彼女はフランスに留学したことがあり、芹沢氏とフランスの共通点でお貸ししたのではなかったでしょうか。それに、彼女は職場でも慎ましくいつも独りで、他のアルバイト達の輪に加わるようなこともないが、いつも何を考え、どんなことが喜びなのかを聞きたくて、そのきっかけにと渡したのかもしれません。本を勧めるとは思想を押しつけるようで普段は好まないのですが。

彼女は本を返すときに1冊の文庫本を一緒に差し出しました。ディケンズの『クリスマス・カロル』です。僕には本を交換するというような習慣がなかったから驚いたけれど、ドキドキしながらお礼も忘れて受け取った気がします。帰りの電車で読むのが惜しくて、家に着いてから一気に読みました。この本はタイトルからわかるようにキリスト教に関わりのある心温まる物語ですが、『神の微笑』の方には絵葉書が挟んであって、お礼と共に「たいへん興味深く読ませて頂きました」と短い感想が書かれていました。僕はその「興味深く」という言葉のニュアンスに考え込んでしまったのです。

「彼女はクリスチャンだったろうか。『神の微笑』に天理教祖が登場するから信仰的に受けつけなくて、拒否する代わりに『クリスマス・カロル』を渡したのではないだろうか」「内容的に大自然や神という観念が出てきて『神の微笑』に共通する所が多いから、僕の好みだろうと選んでくれたのだ」「『クリスマス・カロル』の主人公は傲慢で嫌なやつだが、僕が一方的に本を貸したことを暗に責めたのではないだろうか」「いや、単に彼女自身が一番愛読している作品を貸してくれただけだ」

彼女は普段から心を覗かせない人だったから、どう考えても答えは出なかったが、そんな疑問は直接彼女に聞けなくて、彼女の真似をして絵葉書にこの本に受けた感動を書くことで、信仰に関係なく人生の書として勧めたのであることを匂わせたのですが。それ以来、僕は声をかけづらくなって、話をする機会もないままにやがて彼女は取引先を辞めてしまいました。

今になって思うと、清潔な彼女らしくなくボロボロの本であったが、それだけに何回も読まれた愛読書だったと気づくべきだった。その大事な本を僕の好意に応えるために貸してくれた優しさにただ感謝すべきだった。と恥ずかしく思い出すのです。仏語の翻訳の仕事がしたいと言っていたが、希望の仕事に就いて幸せに暮らしているだろうか。

仄かな憧れ 「Besancon」というフランスの教会の絵葉書は今もリビングに飾ってあって、この季節になるとその絵葉書からクリスマス・カロルが聴こえてくるのです。裏返すと、セピア色に褪せた彼女の文字が、今も僕の心を温かくするのを彼女は知っているでしょうか――ちょうど『クリスマス・カロル』の感動がいつまでも色褪せないように。

「これから増々寒くなってまいりますので
お身体には呉々もお気をつけて…」

『神の微笑』が同様な温かさを彼女の心にはこんでくれているように、彼女が幸せであるようにと冬の透き通った青空に想いをとばして――

開館1年目の今年、ご覧いただいた皆様、お便りをいただき、ご協力いただいた皆様、どうもありがとうございました。心よりお礼申し上げます。
来年も皆様に幸せな年でありますように。

Merry Christmes & Happy New Year ――

短いメルヘンを感謝と愛にかえて――管理人

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