ここには当館をご利用いただいている皆様への管理人からの月々の便りを載せています。モラリストとも言われた芹沢氏と対話するような気持ちで、その時々の思いを綴っています。感想など皆様のお便りをお寄せいただければ幸いです。
【 2001年 】 *** |
2001年1月1日 counter:8106 あけましておめでとうございます。いよいよ新世紀の幕開けですね。皆さんはどんな朝を迎えられたでしょうか。荒川の土手から見える初日の出は、澄みきった青い空のなかに眩い光の矢を放って輝いていました。 今年もどうぞよろしくお願いいたします。 2001年2月1日 counter:8522 東京は27日に降った久しぶりの大雪も、やっとその白い忘れ物を消しつつあります。太陽は燦々と輝き、青空は雲もなく広がり、柔らかそうな枯れ芝のじゅうたんに立つ木々の枝々に、エネルギーを感じ始める季節です。昨年の暮れに月報をお届けできなかったので、今回は特別版で天の夢の作品含めちょっと長めにお送りします。
不思議な夢でした。病院のベッドで寝ている僕のまえに、見知らぬ老婆と老人がいます。 老婆「播州の朝日神社と言って、元は……」 老人「わしは鍛冶屋で……」 親しくしている知人が聞きます。「どうでしょうか?」 老婆「やらせてみればいい。だめなら天に帰るだけや」 生死の境をさまよった末に、僕は意識を取り戻しました。だが、目のまえの景色は今までのようではありません。やがてすべてが自分の思ったとおりに動いていることに気づきます。お医者さんも看護婦さんも患者さんも。 「幻覚? 幻聴?……」 夢の中で見た別のワンシーンを思い出しました。天に昇った僕が現象の世界へ追い返されるのです。天の住人は言います。「(辛いぞ)本当に戻るのか?」 迷いながらも「お願いします」と答えます。天人「聞きたいことはあるか?」 僕「天での記憶は消されるのですか?」 天人「消えない。おまえは今までとは違う状態で生きるのだ」 僕「それは……?」 そうして現象の世界に戻ったのです。 「これは、そのせいかもしれない」と考えました。皆が僕の悪口を言っていると思うと、本当に皆が悪口を言います。隣の患者さんに不安を抱くと、その方の容態が急変します。それは幻覚でも何でもなくて現実なのです。眠れない日が続き、精神的に追いつめられます。もうだめかもしれないというところまで来て、「愛のある世界にいたい」と心に涙を流しました。すると世界が一変したのです。皆が「おめでとう」と声をかけます。気が違ったのではなかった。ではいったい? そうするうちに、なにか計り知れない大きなものが見せてくれたのだとわかりました。 その日から、不思議な修行が始まりました。その計り知れないものは言葉を持たないようで、代わりに看護婦さんや患者さんに言わせます。天や地を動かすこともあります。その他、あらゆるものを使って、問答を繰り返すのです。それが昼夜の別なく続きます。「そんなこともわからないか」と蔑まれたかと思うと、愚かな自分に頭を抱えた僕に、「愚かではない」と温かい言葉もくれます。しかし、修行は厳しく、とりあえず退院しなければ、まいってしまうと考えました。 修行を続けながらも、必死の努力で退院して、心に少し余裕ができると、神シリーズを読み始めました。今まで気づかなかったことが感じられるかも知れないと考えたからです。読む間にも、その計り知れないものは、大事なところで教えてくれます。読み進うちに、計り知れないものと、芹沢氏の言う大自然が同じものであることがわかりました。 生涯をかけて追い求めた芹沢氏に、大自然が話しかけるのはわかる。でも、なぜ僕のような者に……? そんな疑問も、計り知れないものに修行によって「まだ疑うのか」と正されました。人は皆、どんな人であれ、大自然(計り知れないもの)と共にある――もう疑いようのない事実になったのです。
自分よりも自分を知っていて、天地をも動かす計り知れないものが、常に自分と共にあって、自分を見ている。見守られている。頭ではわかったつもりだったことが、まるでわかっていなかったのです。それがわかると、変わった気がするという曖昧なものでなく、本当に世界が変わったのですから。僕は芹沢氏と正反対の意味で、それを知らされたのだと思っています。おまえ、このままじゃだめだよ、と―― 「紅梅の咲きそめし日に――」 もうすぐ梅の季節ですね。芹沢氏の庭では鶯が鳴くそうですが、もう随分鴬の声を聴いていません。21世紀、世界の各地で国を越えてつながっていこうという動きが出ています。芹沢氏はどんな風に、この現象の世界を見つめているでしょうか。 遅ればせながら、梶川敦子さんの『芹沢光治良の世界』を読みました。芹沢氏と長い年月を共に歩まれた女史の言葉は、非常に面白くありがたいです。皆さんもぜひどうぞ。 2001年4月1日 counter:9328 今年もまた桜の季節がやってきました。東京は29日に満開を迎えたのに、昨日は雪の舞う天気。満開後に雪が降るのは26年ぶりだとか。雪の翌日は晴れるの言葉どおり、今日は快晴です。パリでルイ・ジュウベから発音が似ているからと「スリジエ(桜)」と呼ばれていた芹沢氏ですが、ご自身の文学では、あまり桜について触れていません。
今朝の朝日新聞に「人の役に立っているか」と問い続けて働いてきた仕立屋さんが、64歳で今満開を迎えているという投書が載っていました。 世を裨益する人間になろうと困難な苦学をして農商務省に勤め、結局は文学者としてその目的を貫徹した芹沢氏を思いました。自分もそうありたい――と思う今日この頃です。 2001年5月14日 counter:9872 今年も芹沢氏の誕生日の季節を迎えました。生誕105年目にあたります。当日の東京は朝から曇り空で、「東中野の空だけでも晴れてくれないだろうか」と思っていると、昼前にはすっかり晴れあがり、気持ちの良い一日となりました。 誕生日と言えば、一昨日はフローレンス・ナイチンゲールの誕生日でした。1980年5月12日、彼女は貴族の家に生まれ、何不自由のない暮らしの子供時代を過ごします。しかし、大きくなるにつれ強くなる、人の役に立ちたいという思いを抑えきれず、神にも励まされて、家族の反対を押し切り、当時卑しい仕事とされた看護婦になりました。そして導かれるように重要な職を与えられ、看護婦の地位を現在のように高め、「看護婦の母」と呼ばれるまでになったのです。 こう書けば簡単ですが、貴族の娘が、当時まだ不潔な病院へと自ら身を落とすように入り、病院、看護婦を改革していく――どんなに大変なことだったでしょう。ナイチンゲールを一言でたとえると、「意志の強さ」という言葉が思い浮かびます。 芹沢氏はフランスから帰国する際、10年間規則正しい生活を守るように言われましたが、それを守りとおすのがどれほど大変なことか! もう何回もその文章に触れているのに、最近になってやっとその大変さに気づいて、自分を律する糧にしたいと(すでにしているのですが)慌てているていたらくです。 意志の強さ――毎日の努力の積み重ね――とこころに言い聞かせる毎日です。 2001年6月21日 counter:10452 梅雨のまっただ中。それにしては雨が少ないかな、と感じる東京です。そこで、梅雨らしくない呑気な作品をひとつ。 梅雨のまっただ中だというのに、晴れ間ものぞく大病院の窓から見えるのは、車いすを押す青い制服のヘルパー、白衣の天使の看護婦、連れ立って歩く女医たち、パジャマ姿の患者、見舞客―― 父は窓を離れて、再びパイプ椅子に腰を下ろした。 「大家の息子がバイクで交通事故を起こしてなあ。トラックと正面衝突で、なかなか受け入れてくれる病院が無かったが、最後に福大病院がOKしてくれて、奇跡的に助かったよ」 父の話はそれで終わったが、しばらくしてまたポツリと漏らした。 「ウソか本当か知らんが、幽体離脱をしたと言うんだよ。自分の身体を真上から見ていたって」 父はそれきり黙ったから、その話を本当だと思っているかどうかわからなかった。僕は本当だろうと直感的に思った。 翌日、お隣の見舞いに来ていた奥さんが始めた話に耳が傾いた。 「朋子さんのところの純君ね、交通事故にあったんだって――」 また交通事故か…… その午後、見舞いに来た友人が、カバンから一冊の本を取り出した。『クラッシュ』というタイトルの下に、灰色に焼け焦げたヘルメットの写真が表紙を飾っている。 「読む? 読まないなら持って帰るけど」 僕は入院中にあまり本を読まない。考え事に終始するからだ。いつもなら持って帰ってもらうところだが、その時はピンと来るものがあった。 彼が帰るとすぐに読み始めたが、その『クラッシュ』という本は、著者がレースで事故に遭い、臨死体験をする中で、自分の生死をも司る大いなるものの存在を感じるノンフィクションだった。彼の体験はそのまま僕の体験でもあった。偶然はないと誰かが言ったが―― 著者は言う。 「大いなる存在が見せてくれた自分自身のネガティブな感情という殻を壊すことがこれからの人生の課題だ」 「レースでは与えられた条件の中でベストを尽くすことが、その時はダメでも、年間を通じた勝利につながる」 そう言えば、芹沢氏と山本正夫氏の書簡集の中で、印象的な言葉があった。 「こころだけは、いつまでも成長を許されているようで」 僕は窓の外の空を見上げた。雲の狭間に青い空が覗いている。 そうだ、病気だからと何も難しいことを考える必要はない。明るく過ごして、今の状態でできるベストのことを見つけて、僕もその殻を壊していこう―― 2001年7月1日 counter:10529 この梅雨は、西日本に大雨を降らせているようですが、東京は真夏日を越える晴天が続いて、蒸し暑い毎日です。今日も35度まで上がるという快晴の空は、白い雲もわずかで、照りつける日差しに夏の匂いを感じます。故郷の海では、旧友たちが海水浴を楽しんでいるかもしれません。 いつも人生や文学についての話ばかりなので、たまには役に立ちそうな話題を提供したいと思います。ブロードバンドという言葉を最近耳にする機会が増えていらっしゃる方も多いと思いますが、何のことだかご存じでしょうか。簡単に言うと、ADSL、光ファイバー、ケーブル接続などの高速通信の総称です。通信には、アナログ回線(普通の電話ですね)、ISDN、ADSL、光ファイバー、ケーブル接続という5種類があります。 中でも注目株は、ADSLです。なぜかと言えば、光ファイバーやケーブル接続は新たに設置工事が必要なのに対し、ADSLは電話線さえ通っていれば、すぐに開設できる手軽な通信だからです。通信速度は最低でもアナログ回線の10倍。画像の入ったページを開くのにすごく時間がかかったり、ファイルをダウンロードするのに何時間もかかったりといったストレスはありません。しかも値段が安い。例えば、今1ヶ月に10時間で2000円というプロバイダーと契約していたとします。実際10時間使うと、プロバイダーに2000円、電話代に2000円(3分10円として)の合計4000円払うわけです。ところが、例えばNTTのADSLなら常時接続(1ヶ月使い放題)で5800円前後(プロバイダーにより異なる)です。その値段もNTTが独占的に守ってきたものですが、最近では、ヤフーが2280円(電話代、プロバイダー料全部込み)で8月からサービスを開始すると発表して、自由競争が激化しそうなので、こうなるとISDNやアナログを使う人は全くいなくなる日も近い(?)。 最近TVCMでも、パソコンの画面上をTVと変わらないような鮮明な画像が流れていたりしますよね。あれもブロードバンドでなければ実現不可能なわけです。参考になりましたでしょうか。まあ現在、コミコミコースなどで1000円程度で済んでいる方や、動画は見なくても良いという方には関係のない話なんですが。 2001年8月1日 counter:11003 暑中お見舞い申し上げます。 それにしても東京は雨が降りませんでした。25日の雨がなければ、1ヶ月で4ミリという少なさ。雨が上がった後の緑の匂いの新鮮だったこと! その後2日ほど涼しい日が続いて、人も緑も潤いました。 参院選が終わりました。教科諸問題・首相の靖国参拝での中韓との軋轢、沖縄の米軍基地問題・京都議定書での欧米との関係、戦後3番目に低かった投票率――言いたいことは多々ありますが、愛好会の読書会で政治と宗教には触れなかった芹沢氏に習って、ここではあえて触れません。
そこでまったく日常的なお話になるのですが、うちの近所の公園がやっと整備されました。正確に言うと、ほぼ整備されたというところですが、だだっ広い芝生の敷地を遊歩道が囲んでいるだけのかなり大きな公園です。東京では珍しいタイプの公園だと思います。木は遊歩道の周りだけに植えられて、それもまだ若木なので、とにかく見晴らしが良いのです。 遊歩道を一周すれば1キロくらいになるでしょうか。「この木が段々生長するんだなあ」「雀ってこんな格好をしてたっけ」「樽に入った花壇がオシャレだね」「荒川は今日も青く美しい」と、ひとり自然と交わりながら、ご満悦です。 そんなところへ、友人に貸していたアランの『幸福論』が帰ってきました。 「しなやかさはぎこちなさと同じく、あらゆるものに浸透してゆく。そして、うまく統御されているこの肉体のなかには、恐れはもはや存在することができないのだ。――筋肉が体操によって訓練され、しなやかにされているとき、人は自分の欲するままに行動するのである」 うーん、これだ、これだ。というわけで、日常の鬱憤や心配事を吹き飛ばす特効薬である、今が旬のラジオ体操と散歩を日課にして過ごしているこの夏です。 2001年9月1日 counter:11513 残暑お見舞い申し上げます。先月と同じパターンですね。空には秋の高気圧とやらが出張ってきて、夕刻には秋虫が鳴きはじめました。先月久し振りにアランを取り上げましたが、この間、朝日新聞の天声人語にも取り上げられていたので、またまたアランで行こうかと思います。 アランが言ったことの中で特に凄いなあと感心させられるのが、「微笑み」の効用です。僕は身体が弱いので体調の変化に敏感なのですが、どんなに体調が芳しくない時でも、「微笑む」とその体調の悪さを忘れます。「微笑み」と体調不良は同居できないのですね。本当ですよ。皆さんも体調の悪いときに試してみてください。 アランはそれを顔の筋肉の動きや呼吸、血流の働きと絡めて説明していましたが、「微笑む」からには当然こころにゆとりが無ければできません。こころのゆとりが身体をリラックスさせ、血流や呼吸を潤滑にし、ひいては健康にまでつながって行くのでしょう。本当にこころと身体は切り離せないものなのですね。と言うことは「微笑み」とは逆に不機嫌であることは、身体を痛めつけていることになりますよね。気をつけましょう。 夏過ぎ去りて茜の秋を迎えます。日差しはやわらぎ、空は高く、吹く風は爽やかに、つまらぬ思いを流してくれるでしょう。皆さんはいかがお過ごしでしょうか。 秋はまた実りの季節。微笑んで元気になったからと言って、食べ過ぎてお腹をこわさないようにしてくださいね。 2001年9月15日 counter:11731 痛ましい出来事が起こりました。犠牲となったすべての兄弟たちが安らかに天に帰られることを心より祈ります。 小泉総理は、ブッシュ米大統領がテロリストに対して報復措置をとると表明したことを支持しました。石原都知事は、報復は当然とし、「アメリカ人の気質を考えたら殴られたら殴り返すでしょう」と発言しました。田中長野県知事は「私たちはこれまで中近東やアジア、アフリカなどに同じような悲惨さを与えてきたのではなかったかということを冷静に考えねばならない」「その考えに立てば『報復』などという言葉で対処しよう、ということにはならないと思う」と語りました。 パキスタンでは、目をつり上げた子ども達が拳を振り上げて、アメリカのテロ被害を喜びました。アメリカでは、大統領の「テロリスト達は我々の怒りを思い知るだろう」という演説にレスキュー隊員が「USA!]と連呼して応えていました。被害のあった現場では、アメリカ国家が歌われる片隅で、ジョン・レノンの「Give Peace A Chance」が歌われていました。 イエスは「罪を犯した兄弟を7回まで許せばいいですか」と聞いてきたペテロに対し、「7の70倍まで許せ」と言いました。「神はあなたが兄弟を心より許さないなら、それと同じ事をあなたに与えるだろう」とも。「目には目を」と教えられているイスラム寺院で「平和は守られなければならない」と1人のイスラム教徒が言いました。 「どんな理由があっても、戦争はしてはならない……」 芹沢氏は常にその作品においてそう呼びかけてきました。僕は芹沢氏の愛読者として、天に祈ります。この事件の解決方法が戦争によらないことを。尊いいのちが1人でも犠牲にならないことを。 2001年10月1日 counter:11977 世界は重大なことを考えるべき時を迎えました。 アメリカは部分的な軍事施設の攻撃準備を終えたと言います。 アフガニスタンでは旧アメリカ大使館が焼き討ちに合いました。 国境にあふれる難民はどんな思いを抱いているでしょう。 インターネットでは世界中の人たちが武力による報復への反対署名を行っています。 アメリカのメディアは、なぜ自国がイスラムから嫌われるのかを考え始めました。 世界の片隅である東京で「Give Peace A Chance」が平和の行進と共に流れました。 オノ・ヨーコさんは「Imagine」の一節をNYタイムズの一面広告に出しました。 ――Imagine all the people living life in peace―― 報復は必要ですか? ガンジーは暴力に屈服しましたか? 憎しみ合いは、どこまで行けば終わりが来ますか? テロを根絶やしにすれば、本当に平和が来ますか? 不安を抱えているだけで、幸福はつかめますか? 本当に怖いものは、私たちのこころの中に在るのではないですか? 痛みを抱えて、許すことは本当に難しいことです。 けれど天からの声は聞こえてきます。 イエスは言いました。「7の70倍まで許せ」と。 2001年11月1日 counter:12686 月日が経つのは早いもので、いつの間にかもう11月です。 最近、旧い友が訪ねてくれたり、ひさしぶりに連絡が取れたり、うれしいお便りを頂いたりと、こころ温まる出来事が多いです。これから寒くなってくる季節の侘びしさに堪えられるようにと、天のプレゼントでしょうか。
以前はよく書いていたのですが、『氣』の不思議について、ひさしぶりに書いてみたいと思います。気功などと言うと、経験したことのない方は大抵苦笑いで応えますが、氣は紛れもなく存在するものです。例えば、霊は見える人も有れば見えない人もいるという曖昧なものですが、氣は鍛錬こそ積めば、年数の差こそあれ、必ず感じることのできる確実なものです。自分で作った氣の玉を感じながら、氣とは何だろうと思います。 芹沢氏は実証主義者でした。実証主義とは、どんなものでもまず受け入れて、そして検証し、答を出すというものです。僕は氣の不思議を思うとき、芹沢氏の実証精神を思い出します。そして、自分のこころに問うのです。 ――僕はあらゆる物事をまず受け入れているだろうか。 ――偏見や無知で決めつけて、最初から壁を作っていないか。 広く自由なこころで相手をまず受け入れること。それが芹沢氏のやさしさでした。芹沢氏の柔軟な思考と好奇心は、だれにとっても重要な財産となるのではないでしょうか。 最近掲示板でまた、愛読者の方々にはお馴染みの山本正夫氏の『読者はわが子』の名前が出ていたので、山本氏が芹沢氏によく使われた言葉をお借りして―― 「先生、不思議は神ですね」 この世はまだまだ人間の知らない不思議でいっぱいです。僕は何度も生死をかけた手術を乗り越えて身体はボロボロですが、これからどんどん元気になるかもしれない、ならないかもしれない。けれど未だ出会っていない不思議の数々を考えると、いくらでも可能性があるのだと気づいて、生きる力が湧いてきます。 2001年12月1日 counter:13426 先月、月日が経つのは早いなどと書いたので、あっという間に師走です。 目のまえを舞い落ちる黄金色のLeafがひとひらずつ少なくなるたびに、枝の向こうに広がる宇宙の面積が大きくなります。芹沢氏のように、この青空に吸い込まれそうになって、石にへばりつくことは無いのだから、まだまだこの世でやることがあるのだなあと、肩の力を抜いて大きく息を吐きました。 大変な、本当に大きな変革のあった21世紀最初の1年でした。問題は解決したわけではないけれど、あの大国も新しい思考を持ち始めてくれた気がします。その勇気に感謝したい気持ちでいっぱいです。これが世界を良い方向に変えていくきっかけになってくれれば、一番喜んでくれるのは、尊いいのちたちではないでしょうか。「違いますか――」 今年も当館を訪れてくださった皆様、お世話になった方々に感謝をこめて年納めの短編を。 最近、一日一日、自分が新しくなっていく気がしています。 僕は暖かな日の降りそそぐ庭にいました。いつかどこかで見たことのある庭でした。気がつくと、隣の長椅子に老人が横になって休んでいました。 老人は言います。 「どんなに怒っても、どんなに悲しんでも、すべて大自然の懐だからなあ」 「本当にそうですね。ようやく自分がどこにいるのか、わかりかけてきました。はじめは大自然の圧倒的な大きさが怖かったけれど……みんな大自然のなかで生かされて、つながっているんですね」 「そうだ。だからこそ、自然も他人も、自分のように大事にしなければいけないよ。人を傷つけるのは、自分を傷つけるのと同じことだからなあ」 老人は生意気な僕の言葉をたしなめもせずに、光に溶けるような笑顔で微笑みかけました。僕はそっと「ありがとうございます」と老人に届かないくらいの声で呟いたのです。
老人の友だちの太陽が、少し肌寒いくらいの透明な空気に光の子供たちを放って、「よかったな」と僕を照らします。 やがて光の子供たちは小さな粒子となって、四方八方に飛び交いながら、僕も老人も庭の木々も包み込んで―― (どこかでやわらかな音楽が聴こえて――) 皆様、今年も一年ありがとうございました。すばらしい毎日をお過ごしください。皆様の健康とご多幸をこの大自然の空にお祈り申し上げます。 この世界(大自然)に愛と感謝をこめて――管理人 |
---|