ここには当館をご利用いただいている皆様への管理人からの月々の便りを載せています。モラリストとも言われた芹沢氏と対話するような気持ちで、その時々の思いを綴っています。感想など皆様のお便りをお寄せいただければ幸いです。

【 2006年 】

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管理人の創作

 

2006年1月1日 counter:76548

あけましておめでとうございます。

晴れた日が続いた東京は、なぜか正月は曇天の幕開けです。それでも早朝には晴れ間ものぞいて、新年を祝っているように見えました。

近くの神社に初詣に行こうと外に出ると、マンションの出口に野良ネコが5匹も6匹も並んで小さくなっているのです。風のない場所なのでしょうか。ここに住んで15年以上になりますが初めて見る光景でした。

ネコたちに見送られて、大きな広場を抜けて神社へ。お参りを済ませて広場に戻ると、何組かの家族連れが犬を遊ばせていたり、スポーツを楽しんでいたり――。

「天につながっているのかな」

連れの女性が尋ねても、黙っていると、1羽のカラスが目の前の木に飛んできました。

「あっカラス」 眺めていると、カラスは「カア、カア」と二声鳴いて、飛び立っていったのです。

一声目は彼女に「そうだよ」と答えてくれたのでしょう。二声目はおそらく僕に――。

今年は節目の年になる気がしています。ここ数年の負に偏った世相がどうなっていくのか。厳しい時代の中で、こころに変わらないものを意識しながら、「芹沢光治良文学館」(新潮社)を読み返して、過ごしていこうと思っています。

皆さんにとっても、確かな羽ばたきの年となるよう、祈っております。本年も、どうぞよろしくお願いいたします。

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2006年2月1日 counter:77698

イランの核開発、シャロン首相後のイスラエル、パレスチナでハマスが躍進、このところの中東情勢は目が離せない展開になってきていますが、全てが平和のための方向に向かっていることを信じて、大自然への便りを綴りたいと思います。

昨年末からの耐震強度の偽装問題に続いて、政界を揺るがしているライブドア事件、そして東証の停止。中東に負けず、国内のニュースにも事欠かない年の初めですが、そのどちらも「お金のため」に引き起こされた事件であることを考えるべきかもしれません。

不正をして金を儲けても幸せになどなれるはずはないが、それと同様のことが、今流行の個人投資家にも言えないでしょうか。働かずに、ただパソコンの画面を眺めて儲けたお金で、本当に幸せになれるのだろうか――と疑うのです。

株をやるのがおかしいと言うわけではなく、ただ、投資は信頼する企業を応援するくらいの軽い気持ちで行って、本業はもっと真に実りある、天にもひとにも喜んでもらえるような仕事ができればいいのにと思いませんか。

あるいは、株で儲けたなら、それを自分のためにだけ使うのではなく、困っているひとたちのためや、社会が好い方向に向かうために使えたなら、それは素敵なことだと思うのですが。

世界中を寒波が襲って、日本でも雪害で天に帰られた方が100人を超えました。

「驚くほどお客さんが亡くなるの。もう慣れっこになっちゃって」

ある福祉事業に携わっている友が言いました。この冬は、雪害でという数字には表れない、多くの高齢者の方々が、天に召されているのかもしれません。

雪害対策だけをみても、雪の溶けやすい家屋や、積雪に影響を受けない道路の開発など、考えるべきことはいくらでもあります。それを待っているお年寄りたちがたくさん居るのです。そうやって自然とひとが共存していく努力と、現在の社会情勢を見比べてみれば、私たちの今がよく見えるのではないでしょうか。

ソシンロウバイの蕾 昨年は正月には咲いて、よい香りを楽しませてくれたロウバイが、この寒さで、1月末になってまだかわいい蕾のままでした。

「どんなに寒くても、私たちがいつか花をつけるように、あなたたち人間も厳しい時を乗り越えて、立派な花を咲かせてください」

この美しい星に住む私たちが、何を大切に生きていくべきか、この寒波は教えてくれているように感じます。

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2006年3月1日 counter:78793

フィリピン・レイテ島で、町を丸ごと飲み込むような、想像もできない地滑りが起こりました。地中に埋まった多くの魂が、安らかに天に戻られるように――フィリピンも、いや世界中が、こころを建て替えて立ち直らなければ、私たちの未来はどうなっていくのか――。

その立ち直るべき世界は今、「表現の自由」の問題で、大きく揺れています。

アメリカの公聴会に招集されたのは、グーグル、ヤフーなど大手インターネット企業でした。招集された4社は、中国政府の方針に従って、検索エンジンに規制をかけたり、顧客の情報を提出したりしました。公聴会では「恥を知らないのか」「アメリカ最大の醜態」と厳しい言葉が飛び交いました。

地滑りが起きたフィリピンでも、アロヨ大統領が非常事態宣言を出すと共に、テレビ局への強制捜査と、軍の派遣という言論の弾圧を行いました。それに対し、フィリピンの記者団体は「報道の自由が危機にさらされている」と警鐘を鳴らしました。

イスラム教の預言者ムハンマドを風刺する漫画がデンマークの新聞に掲載され、その後、欧州各国に転載されて、「宗教の冒涜」対「表現の自由」の争いになった問題は、先の2つの問題ほど単純ではないようです。

国連のアナン事務総長は、「表現の自由」を深い信念を侮辱する口実とするな、との声明を出しましたが、当然ではないでしょうか。平和は理解と容認から生まれるのではないですか。批判は正しく行使されなければ、爆弾と同じです。憎しみは憎しみしか生まないのですから。

これらの問題に、世界がどう善処していくのか――天はしっかりと見守っているはずです。全ての憎悪を捨てて、胸に愛を抱かない限り、この世界の将来はないのですから、イスラムもキリスト教も、それ以外のひとたちも、自らの胸を確認すべき時なのではないでしょうか。

福寿草 宗教を異なるひと同士でも、手を握り合えば、そこに温かな血がかよっていることに気づくはずです。おなじ血の通う者同士が、こころを狭くして、いがみ合うこと、それは哀しいことではありませんか。

私の胸に憎しみはありません――そう誰もが言える日を、皆さんと待ち望んでいきたいと思います。

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2006年4月1日 counter:79800

桜が満開です。今年は梅が遅くて、桜も遅れるのかと思っていたら、例年より早い開花で、自然界とはおもしろいものだと、改めて感心しました。そんな新鮮な発見への感謝を、長閑な創作に込めてお贈りします。

春は落ち着かない季節なのか、試験前の友人も、勉強が手に着かないようで、頭の体操というわけでもないが、幸之助はひとつ質問をしてみることにした。

「諸行無常って、どういうことかわかる?」

「この世にあるすべての物は絶え間なく移り変わっていて、常住するものの全くないということかな?」

「確かにその通りだけど、その事が意味する深いところを知っているかな。それはただ単に、ひとや生物、植物などの万物が生まれ、育ち、死んで、また生まれ変わる、というだけでなく、もっと深い意味を持っていると思うのだけれど」

「さあ……なんですか」

「うん。万物は移り変わる――つまり、ひとは変わる、ということではないかな。みんな案外、その事を忘れて生きているような気がするんだ。あのひとはこうだ、彼女はそういうひとだ、という具合にね。でも、ひとは変われるし、実際、常に変わっていくんだよね。自分を根底から変えるような新しい発見をくり返して」

「……」

「前に見えない大きな存在に出会った話をしただろう。その時、4つの宝物をもらったけれど、そのひとつが『物事を決めつけるな』ということだった。それが凄い真理であることは、時間が経つにつれて、深いところで明らかになっていくようでね」

「……」

「ひとが変わるのだと知ったら、この世に憎しみや争いは無くなるのではないかな。すべての争いは、決めつけることから起こっているからね。『そうではないかもしれない』――ただそう思うだけで、怒るひとは待つことができるだろう。僕はね、どれだけ自由なこころでいられるか――その事が、いま最も関心のあることなんだ」

「禅問答みたいですね」

「うん。でも、僕には日常だ」

「おじさんはいつも『誰々が幸せでいてくれればいい』と言うけど、その事と『自由なこころ』は、何か結びつくところがありますか?」

「これはまた、禅問答のような難しいことを聞くね」と幸之助は笑った。

「いや、何となく聞いてみたくなって」

彼も親和して笑ったが、すぐに返事を待つ目になった。彼には意識せずとも、何でも素直に話せる気がする。

「自分が幸せであるように、誰もが幸せであるようにと願うから、それにはこうすればいいと、天が宝物をくれたのではないかと思うんだ。だから、その宝物はきっと、幸せになりたいと願う全てのひとへのプレゼントになるはずだ。君にもきっとね」

彼は「うーん」と唸って空を見上げた。水色の空に、薄いピンクの花びらが溶け込んでいる。

「物事を決めつけない――ですか。現実に当てはめると、どうなるのかなあ。でも、可能性を信じるってことですよね。わかるような気もするけど……」

その時、風が吹いて、桜の花びらが二人の目の前を優雅に舞った。

幸之助は思った。今、眼前に現れた花びらのように、この真理が、彼のこころに、爽やかな風と共に滑り込んでくれればいいと――

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2006年5月1日 counter:80976

やわらかい光が輝く好い季節になりました。毎年、芹沢氏の誕生日前に咲きだす藤の花の仄かな香りが、こころを洗うような爽やかな風を運んでくれます。この半年ばかり、慌ただしく過ごしていましたが、やっと落ちついてきて、当館の作品欄を更新しています。

当館も、開館して9年目に入りましたが、掲載している作品数もなんとか400を超えました。愛好会の会報で、読んでいなかった未読作を読んだり、随筆を読み返したりして、書評欄を更新するのは、受けるものも多く、実に楽しい作業です。

前にも書きましたが、愛好会の会報は、芹沢文学の読者には興味深いことが多く、皆さんにも入会して楽しんでほしいと思いますが、沼津の文学館を訪れることと共に、その二つは、いつでも勧めたいものです。春の沼津はいいですよ。

この3、4月に、初めての方にお贈りした本が4冊。贈った方は、皆さんそれぞれに何かを得られているようで、好い縁を結べたことを、大自然に感謝して、喜んでいます。芹沢文学を愛する人の輪が広がって、その方たちの愛の輪がまた広がっていく――。

本との出会いもそうですが、この館で出会った友人達を、初夏の空に想います。不精者で、便りを怠っている友が何人もありますが、芹沢文学を愛する方たちだから、たよりはなくとも、こころでつながったように安心していられますが、言い訳でしょうか。

どうぞ新しく更新中の作品欄、随筆を中心にご覧になってください。昔読んだ随筆や、まだ読んでいない随筆で、読みたいと思うものにぶつかるかもしれません。作品検索も文字化けを無くして、使いやすくしました。

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2006年6月1日 counter:82345

ひとの一生とは何であろうか――。

ジャワ島で起こった大地震で、また多くのいのちが天に帰っていきます。死は悲しいことではない、ですが、その生がまだ、これからの可能性を秘めた若い命であるときに、この命題を考えずにはいられないのです。

芹沢氏の随筆に、セーヌの流れを見て、自分の人生も、この流れのように流れ去ってしまうのに、果てのない創作などをしていていいのか、という疑問が翳った日のことが書かれている箇所があります。

それを読んで、初めて知り合った車いすの友が、出会って間もない頃、「自分の存在意義は何だろうか。仕事もせずに、ただボランティアをしているだけで、社会のために、なんの役にも立っていないのではないだろうか」と切ない心情を吐露したことを思い出しました。

ボランティアで小学校に体験学習に赴き、自ら所属するパソコンボランティア団体の会計に携わり、裕福な父の庇護の下で一人暮らしをして、仲間たちに居場所を提供しているような、誰にでも信頼され、愛される活動家です。

それを聞いた時、彼女のそんなため息がおかしくて、「あなたは居るだけで充分、まわりの人たちのためになっているじゃないですか。あなたが活動しているということが、それだけで、皆を励ましているんじゃないですか」と微笑みながら答えたのを覚えています。

ひとは誰も一度は、自分の存在について、あるいは仕事について、そんな風に疑ってみるのではないでしょうか。そして、その真摯な疑問に対して、いつか天からの啓示があり、「いや自分はこれでいいのだ」という確信を得て、その道に精進できるのでしょう。

僕は生来のんきな性格なのか、そんな疑問を持たずに生きているような気がします。「何のために生きているか」と問われると、おそらく「君の穏やかな笑顔のために」と答えるでしょう。関わるひとたちが、いつも笑顔でいられるように、自分にできることをしているだけだから。

彼女の車いすを押して、大好きな公園で、共に鮮やかな緑に目を奪われたり、仲間たちの様々な人生の節目に手を貸したり、落ち込んでいる友の愚痴話に耳を貸すだけだったり――そんな毎日が、仕事の合間にあって、ただ皆が笑顔でいられるように、願っているだけで。

ですが、それらの穏やかな日常も、いのちあってこそ、平和あってこそなのです。

災害がなぜ起こるのか、突き詰めて考えるうちに、僕たちのように大病を持つものが大切にしているいのちの尊厳が、少しずつ忘れられ、薄れているように思えてなりません。いのちを大事にしてください――どこからか聞こえてくる、その言葉が胸を熱くします。

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2006年7月1日 counter:83296

荒川の土手を歩いていて、ふと目に留まった桜の葉が、掌大の大きさもあって、いつの間にこんなに大きくなったのだろうと驚きました。家の下の木だから、毎年見ているはずですが、去年まで気がつきませんでした。

思い出してみれば、この木が植えられて、もう十数年になります。よく見れば、幹も随分立派になって、狭い土手に短い間隔で植えられているために、また十年後には、どんな姿になっているのか――

木々は毎年、成長しているのに、自分はどうであろうか、考えると情けないことばかりです。自己に厳しくできているか、他人にやさしくできているか、ひとに迷惑をかけていないか、よい種を蒔けているか、そんな当たり前のことも、まだまだ頼りなくて。

暗い世相の中で、自らの内面を光のように輝かせて周囲を照らし、限りあるいのちを大切にして、一日を生涯と生きることができているか――ただ自己に問うだけでなく、家族からも、仲間からも、そう思われるような毎日にしていきたい――

――この夏に向けて。

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2006年8月1日 counter:84212

記録的な豪雨となった長い梅雨も、東北を除く広い地域で、30日にやっと明けたようです。連日のニュースでは、生まれてはじめて体験したほどの被害だという声も多く聞かれました。視点を変えれば、生涯経験したこともないような気象の起こる「時代」ということでしょう。

視点を変えると言えば、常々入院した際には、自分を空から見下ろす習慣をつけています。「200×年、○医大の病室に、ひとりの男が入院している。仕事も中途で投げ出してきたようだが、彼のいない社会も、それなりにうまく回っているようだ」

当事者ではない目で眺めると、気楽になって、その目が近くで働いている友人に向いたり、よく行く庭園の風景を見下ろしていたり、もっと遠くまで飛んでいって、故郷の山々と、そこで暮らす人々を映し出したりするのです。

そうなると、身体はただの器になって、病室で苦労したり、痛みを感じたりはしていますが、こころはそこに無くて、自由に空を駆けている状態になります。そうしている間に、苦しい時は必ず終わりが来て、再びこの社会に復活しているようです。

大雨からの復興は大変なことですが、そのように見方を変えることで、苦しい今に埋没することなく、未来への広い視野で、希望を持って復興に臨むこともできるんだよと、被災している子供たちに教えられないでしょうか。

希望を失わない限り、必ず光は差し込むのだから――と。

それと同じような気持で見ている遠い国があります。イスラエルでは、戦争が始まりました。レバノンで、ガザで、冷たい目をした兵士たちが、爆撃機から戦車から砲弾を撃ち続けます。アメリカはイスラエル側に寄り、イランはレバノンを支援します。

中東の子供たちよ、希望を失わないでほしい。希望の見返りこそが平和なのだから。

どこかの国では、近隣国がロケット実験をしただけで、敵地を反撃するために武装しようと、愚かな論理を平気で口にする政治家がいます。そしてまた、それを支援する国民がいます。「なぜ戦争は起こるのですか?」と、その政治家や国民に問いかけたい。

本当に恐いのは戦争ではなく、兵士の一人ひとりが、また、それを支援する一部の国民が、他を思うというやさしいこころを失っていることではないですか。武器を持つくらいなら、砲弾に倒れる方を選ぶ――日本は第2次世界大戦で、それを学んだはずではなかったでしょうか。

視点を変える――すなわち、物事には2つの側面があることを意識して、その両方の視点から、この世界を冷静に見ていきたいものです。私たちが平和になる努力は、正しく見る目と正しく判断するこころで、如何様にもできるのですから。

――ヒロシマ、ナガサキの日を前に。

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2006年9月1日 counter:85081

体力を奪うような夏の暑さが影をひそめ、同じ暑さでも、「残暑」という言葉が似合う季節になりました。秋は実りを刈る季節。皆さんはどんな実りを蓄えられておられるでしょうか。僕はマンションの階段を使って「体力」を体内に蓄え中です。

関東では昨日、震度4の地震がありました。少しは体力もつけておかないと、頭脳労働者は身体が鈍ってしかたありません。ところで、今回は二酸化炭素について、気になるニュースがあったので、触れてみたいと思います。

液体二酸化炭素というのをご存じでしょうか。二酸化炭素は、ある条件で液体になるので、温暖化防止のために、海に二酸化炭素を捨てようという研究があるようです。実現するには相当の時間が必要でしょうが、果たしてそれが良い解決法なのかわかりません。

GEN(緑の地球ネットワーク)という団体があります。中国の大同という田舎で、植林活動を行っているNPO法人です。以前一度だけ、何か協力したいとホームページの相談に乗ったのですが、それ以来、会報で素朴な活動を伝えてくれます。

世界中の1人ひとりが、大地に1本の木を植えるだけで、海に二酸化炭素を捨てる必要はなくなるでしょう。ですが、それは実際はあり得ないことです。だからこそ、GENの存在意義は地味な活動とは対照的に、とても重要なのではないでしょうか。

このところ、交通事故のニュースが多く目につきます。それに呼応するように、自動ブレーキなど事故の起こらない自動車の開発も進んでいます。近い将来には、インフラ整備によって道路と歩道は分離され、交通事故のない社会が訪れるでしょう。

木を植えることも、科学で交通事故を無くすことも、人間の幸福に資する大事な活動です。私たちが今やるべきことは、他の国を恐れることでも、軍備を蓄えることでもないはずです。皆が助け合い、知恵を出し合って、この世の天国を造り上げていきたいものです。

いつ何が起こっても、悔いのない生き方を今していくこと。干渉するのではなく、自分たちにできることで、この地を幸福にしていく手伝いをすること。そんな優しい地味な行いが、世界に良い影響を与えていくことに繋がるのではないしょうか。

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2006年10月1日 counter:86027

長かった小泉政権が終わり、若い安倍氏が果たしてどのような政治を行ってみせるのか。小泉元首相の人気が高かっただけに、安倍首相には厳しい船出となりそうです。それも官房長官時代からの頼りない姿を見る限り、仕方のないことかもしれません。

小泉さんの功罪を語ることはできませんが、少なくとも自民党の古い体質を壊したように、安倍さんも、小泉さんが出せなかった残りの膿を出すくらいの気概で政治に向かえば、国民だけでなく、天も安心して見ていられるのではないしょうか。

また私たちも頑張らねばなりません。安倍さんがどんな政治をしようと、私たち一人ひとりが今の時代に必要なもの――疑いや尖ったこころではなく、優しい慈悲のこころ――に目覚めなければ、この世界は変わっていきませんね。

このところの若者の事件、事故によって、大人たちはやっとそれに気づき始めているのではないでしょうか。今まで育児に関わらなかった夫たちが、本や教室で子供との接し方を学ぼうとしているそうですから。

自分はどうやって親と接してきたか、自分にとって大切なことは何か、なぜそれが大切か。それについてじっくり話し合うだけでも、子供たちのこころに、大きな芯を与えることになるのではないでしょうか。世のお父さんたち、子供と話をしていますか。

野の花 『神の慈愛』の河石のようにならないために、言葉を大切にして、子供たちを育てていってください。

そして私たち大人は、子供たちの手本となる生き方――当たり前のことを当たり前にできる――をしていきましょう。

幸福な、光ある世界を創っていくために。

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2006年11月1日 counter:87005

良いニュースが何もない、今日この頃ですが――

先月もまた、当たり前のことが当たり前になされていない事件が教育現場で起こりました。大人たちはいつからモラルを無くしはじめたのでしょう。教育現場の長が、ルールを守らないことを身をもって子供たちに示す――そんな社会に。

教育現場を非難するつもりは全くありません。日本の教育制度は、もうずっと以前から迷いの中にあることは周知の事実ですから。ただ疑問に思うのです。週休二日制の導入、ゆとり教育、その行き着く先が高校の予備校化なのでしょうか。

被害者であるかもしれない教育現場の先生方にも、芹沢文学を読んでほしいものです。

最近、また創作に熱中しています。いつまで経っても、納得するものが書けないのですが、なにかこの世界に光を差し込めるような、そんなものを書きたいと続けています。

息抜きに土手に出て、荒川の波頭に光のダンスを見ながら、高い空にこころを飛ばして。

早いもので、もう来月は師走。今年より来年、来年より再来年がより良い年となっていくように、地道に、一歩ずつ頑張っていきましょう。

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2006年12月1日 counter:87906

2006年もあと1ヶ月。今年は天災よりも人災が目立った年ではなかったでしょうか。最後の1ヶ月がどうなるかわかりませんが、大きな災害もなく無事に過ぎ越してくれればと思います。

今年になって、人心の荒廃は、もう底辺ではないかと思えるほど進み、大人たちのこころの曇りが、そのまま子供たちの事件へと直結してしまうような1年でした。その中でも「いじめ」の問題に関しては、こころを痛めた子供たちも多かったのではないでしょうか。

この数年間、日本ではあらゆる不正が表に出た年ではなかったかと思います。裏金問題、耐震強度の偽造、談合、リコール――それらはまるで、正しくないものをすべて出し切って、社会を浄化しようとする準備のようにも見えます。

その準備はまだまだ続くでしょう。私たちが幸せになるために、自分たち自身をもっと磨いていかなければならないのだと思います。ですが、その準備もそろそろ次の段階へ移る時ではないですか。

来年、私たちはもう浮上するしかないのではないでしょうか。これ以上ないところまで墜ちたのですから。一歩ずつの地味な歩みでも、この美しい大自然のなかで、生かされていることを実感し、起こることを全て真摯に受け止めて、限りある生命を謳歌してほしい――

私事ですが、もうすぐ33回目のオペを迎えます。痛いことやつらいことは数え切れないほどありましたが、まだ生かされています。今つらい思いをしている貴方も、そうではないですかと問いかけたいものです。

どんなに辛い時でも、それを他人のせいにせず、すべて自分のこととして受け入れて頑張る僕や君を見守っていてくれる存在がいるから――もう少しこの世界を楽しんでいきましょう。

誰かひとりでいい。誰かひとりが喜んでくれるような仕事がしたい、といつも思っています。一昨日も切羽詰まった声で「助けてください」と電話してきた初めてのお客さんがありました。厳しい要望を引き受けましたが、喜んでもらえたでしょうか。

広場の紅葉 いまのいじめの問題で、子供たちがやさしい気持ちを持つようになればいいですね。その子たちが社会に出て、自分に合った仕事に就き、それに尽くすことで、喜んでくれるひとがいることを知ってくれればいいなと思います。

そうして毎日の生活が豊かになり、みんなのこころも豊かになる。僕たちの世界はそうやって造られていくのですから。

子供たちへ――君がその幸せな一員になる日を楽しみに待っています。

今年もここに訪れてくださり、ありがとうございました。
来年も芹沢文学と共に皆さんに素敵な年になるように祈って――管理人

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