ここには当館をご利用いただいている皆様への管理人からの月々の便りを載せています。モラリストとも言われた芹沢氏と対話するような気持ちで、その時々の思いを綴っています。感想など皆様のお便りをお寄せいただければ幸いです。

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管理人の創作

 

2012年1月1日 counter:131866

元旦の夜です。大晦日から年明けにかけて、震度4~3の地震が新潟と福島であって、今日の昼過ぎには関東から東北の広い範囲で震度4を記録する大きな地震がありました。わが家でも揺れの大きさに急いで玄関を開けに走りましたが。

ここ数年は快晴のことが多かった空も、今日はどんよりと冬らしく曇って、天が何を暗示するのかわかるような、そんな気持ちでバスの車窓から枯れ草の土手を眺めていました。今年はよい年にしよう。そうどこからも聞こえる声にも、厳しい一年が待っているのでしょうか。

生きとし生ける者みな幸いであれ。幸いであれと仏陀の言葉を考えています。幸いとは自らが自らのこころの中に生むことができるもの。どんな状況であっても。辛い現実に萎れているひとたちに一番伝えたい言葉です。

今年の年賀には「迎春」の文字を選びました。苦しい時、ひとは春を待つのではないでしょうか。春を迎えたい。ただそんな想いで選んだのです。被災地の春はいつになるか。日本の春はいつになるかわからないけれど、早く来てほしい。そう願って。

少し視野を広げれば、そこかしこに幸せの芽は落ちているものですから、その芽を感謝して頂きながら、春を待っていたいと思います。皆さんが幸いであることを、そして強くいられることを祈っています。本年もどうぞよろしくお願い致します。

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2012年2月1日 counter:132338

大雪が日本海側の各地を被って、大変なことになっていますね。青森の酸ヶ湯という場所は初めて見る名前ですが、4mもの積雪があったという報道で、その読み方と共に一躍有名な市町村になったようです。

東京はそれほどではないにしても、弱った身体にはかなり厳しい寒さで、久しぶりに積もった雪が日陰にはまだ残って、出掛けると冷蔵庫の中に入ったようで、これは堪えられないと家でおとなしく仕事をしている日々が続いています。

この寒さで思い出したのですが、上京してすぐの頃に記録的な大雪があって、東京はこんなに雪が積もるのだと驚いたことがあります。当時は隙間風の入る木造アパートに住んでいて、かなり寒かったはずですが、若かったからか、気にもなりませんでした。

そのボロアパートは池袋駅から徒歩2分という凄い場所にありましたが、目の前が銭湯で、仕事から帰るとまず身体を温めて、帰りに買った弁当を、ストーブもない一間の部屋で炬燵に潜り込んで食べるような日々でした。

それも夢を見ていたから平気だったのでしょう。こころが熱かったから、寒さを感じなかったのかもしれません。音楽制作スクールに通うのに、時には池袋から青山の街へ、冷たい風をきってバイクを飛ばした日もあったのですから。

夢を持つのは良いですね。あの若き日の夢は破れましたが、今も違う夢を抱えて熱いこころでいます。今の夢は、あの頃よりもっともっと大きな夢ですが、それは一世代では果たせないような夢で、この先ずっと持ち続けられそうです。

兄と慕ってくれる小学校教員の友人から、2人目の子を授かったと報告がありました。40年後には人口が4000万人も減って、4割が高齢者という超高齢化社会が訪れるという発表があったばかりですが、その頃40歳になるその子はどんなふうに生きているでしょうか。

明るい未来を予測するニュースの少ないこの頃ですから、音楽でも科学でも医学でも何でも良いから、それを吹き飛ばすような、この世界が幸せな方向に変わるような大きな夢を持って生きていってほしいと思います。

今日はいく分暖かいので、梅の香りでも嗅ぎに散歩に出たいなあと考えているところです。家籠もりばかりでなく、小さな楽しみですが、透き通った青空の下で爽やかな日差しに包まれるのも、大きな夢を見るための大切な活力源ですから。

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2012年3月1日 counter:132902

このところ地震が続いていますが、今朝も起きてすぐに地震がありました。茨城で震度5弱。東京では、昨日降った雪もすっかり溶けてしまいましたが、雪が溶ける季節には地盤も弛むのかと妙なことを考えてしまいました。

地震はさておき、芹沢氏の久しぶりの出版となる『巴里に死す』が勉誠出版というところから出ました。まだ未入手ですが、芹沢氏の本と言うと中古ばかりを手にしていたものですから、新刊に触れるのは楽しみでもあり、明るい気持ちにもなります。

この『巴里に死す』は以前文庫でも発行されていた人気作でしたが、芹沢文学を知り、夢中になっていた頃に、ある音楽家の方から「『巴里に死す』が読みたいが、手に入らなくて……」と相談を受けたことを思い出しました。

当時はインターネットもまだ普及初期の段階で、ネット上で古本を探すのも難しく、見つけてさしあげることができませんでした。あれから十数年の時が流れて復刊されるとは想像もしていませんでしたが、これから多くのひとの手に渡ってくれればと思います。

ところでパソコンの世界では、facebookというコミュニケーションツールが世界中を席巻しています。個人情報保護とは逆の流れを行く実名登録のこのサイトがどのくらい日本で普及するのか、あるいは拒否されるのか、楽しみにその行方を眺めています。

当館では個人情報保護法は愚法だという立場から、開設当初から実名の掲示板と匿名の掲示板をそれぞれ設けてきました。最近では実名の投稿はほとんどない状態でしたが、このfacebookの登場により、あるいは時代が変わってくるということもあるのでしょうか。

ひとを疑うところから始めても、世の中は決して良い方向には向かいません。自分に起きることはすべて自らに起因して起きているという自己責任の思想を持つことができれば、不要な垣根を作ることも、何を恐れることもないと気づくのですが。

芹沢氏が今の時代に生きていたら、facebookをどんなふうに活用するだろうと想像しました。情報の発信方法はよりシンプルになり、言葉を伝える場は世界中へと大きく広がり、読者との距離もより縮まったのではないか――。

facebookに限らず、インターネットの世界はまだまだ未知数で過渡期ですが、新しいツールがひとの意識の向上に寄与し、複雑に歪められたこの世の仕組みを単純に戻し、ひととひとのこころの垣根を取り払ってくれることを願っています。

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2012年4月1日 counter:133947

春の嵐というのでしょうか。一昨日から強風が吹き続けています。消費税問題で揺れる政界も同じように荒れ模様ですが、超高齢化社会を前にして、消費増税は必要ではないでしょうか。時期尚早という意見もわかりますが、物価の下がっている今がチャンスに思えます。

反対派が問題にするのは低所得者層への負担増だと思いますが、消費税と同時に低所得者層への所得減税などができれば問題ないような気もします。ただその場合、すでに所得税が非課税というような高齢者はどうするかが問題かもしれません。

昨日TVで見たのですが、韓国では医療や福祉、行政などのサービスが受けられる車両のついた電車が走っているそうです。果たしてそれが効率的にどうなのかは疑問ですが、お国柄というのか、日本人には無い発想だろうなと思いました。

突飛な発想と思えることも、国が違えば当たり前になるのだから、突飛なというのは勝手な思いこみなのかもしれません。何が言いたいかというと、弱者への負担増がない消費増税を、突飛な発想で考えてくれる政治家はいないだろうかということなのですが。

政治の話はそれくらいにして、話を春の嵐に戻しますが、このところの天候というのは、頻繁に起こる地震も含めて、どうもこころ穏やかでいられません。天は何を告げているのか、じっと耳を澄ませているのですが――

空からはやさしい声が聞こえるようで、昨日開花宣言の出た桜を見上げながら、ふぅーっと大きく息を吐いて、静かに頷いているところです。

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2012年5月1日 counter:135040

薄紫の美しい藤棚の下で、芹沢氏を偲びながら物思う5月です。この春は驚くほど交通事故が多いが、それも未来ある若い世代を多く巻き込んだ事故で、運転者の不注意だけが原因とは言えない何かを多くのひとが感じているようです。

こんなふうに不安定な気の流れの時には、自分の行動に、いつも以上に気をつけて過ごすしかありません。事故に巻き込まれるのは避けようがないが、事故を起こす方にはまわらないように注意していたいものです。

その不安定な流れにやられたのかどうかはわかりませんが、このところ体調を崩していて、初めは眼に症状が出たのですが、そのために通院が続いて疲れてしまい、今ではどこが悪いのかわからないほどあちこちにガタが来ています。

ただ当人も家人もそんな状態には慣れっこになっていて、当人は身体の具合より、あちこちの藤棚の咲き具合の方が気がかりで、家人は、僕が働けないで収入が減るのではないかと、そちらの懐具合の方が心配という呑気さですが、それでいいのでしょう。

今の社会もそうですが、辛い時、大変な時こそ呑気でいる、陽気でいるというのが大切なことかもしれません。皆さんも、皆さんの周りの方々が陽気になれるように、暗い世相が少しでも明るくなるように、陽の気を振りまいてお過ごしください。

今月は「包容力」について書くつもりでした。芹沢文学の魅力のひとつに包容力ということがあって、常々その包容力を身につけたいと思っているのですが、それをこのままの流れで書くとおかしなことになりそうなので、また次の機会に――。

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2012年6月1日 counter:136487

昨年から、突然天候が崩れるということが頻繁に起こるようになりました。先月、世の中の気の流れが不安定だと書きましたが、天候も同様に不安定なようです。全ては繋がっているから当然なことかもしれません。

竜巻で家が土台ごと吹き飛ぶなどということは、外国では起こっても、日本では聞いたこともありませんでしたが、今はそういう時代だと認識する必要があるのでしょう。不慮の事故に遭うことがないよう、天を眺めて行動したいものです。

「不安定な天気にご注意ください」と繰り返すニュースと共に気になるのがシリア情勢です。大量虐殺が激しさを増しているようで、現地の映像が流れると溜息が出ます。なぜロシア一国の利益のために、国連が介入できないのかと考えるともどかしい限りです。

平和であっても、天災や事故で人生には辛いことはいくらでも起こるのだから、せめてひとがひとを傷つけるようなことだけは無くせないでしょうか。ひとは、文明はまだそんなに未熟なのでしょうか。いつも考えることですが。

なにが出来るわけでもありませんが、シリアの人々にこれ以上犠牲者が増えないように祈るばかりです。折角この世に生まれてきたのだから、そんなつまらないことで命を落とすのではなく、もっともっと生きて学んでから天に還ってほしいと思います。

先月は金環日食に日本中が沸きました。天体に異常がある時、世の中が乱れるというのは昔から言い伝えられていることです。それがどんな意味があるのか、天の働きは知りませんが、そういう時代なのだと知っていれば、逆に落ち着くこともできるかもしれません。

金環日食 右を見ても左を見ても決して生きやすい時代ではないけれど、日々起こることを淡々と受け止めながら、一歩でも二歩でも前に進んでいたいと思います。

そういう思いでいれば、見えざるものもいつでも力を貸してくれるようですから。

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2012年7月1日 counter:138571

先月、久しぶりに沼津を訪ねました。記念館主催の講演会に参加するためですが、日帰りは体力的に無理なので、前日に沼津入りして記念館も訪ねました。「作家への道展」は、5月末終了だったはずですが、まだやっていて、芹沢氏のメガネなど拝見して楽しんできました。

初めて我入道を訪ねたのはもう10年以上前になります。当館に掲載する写真を集めるためでしたが、松林の中に建つ記念館を見つけた時、緊張と、喜びと、温かさと、そういった様々な想いが湧いてきたことを思い出します。

我入道の浜に出ると、いつも牛臥山に登ってみたいと思うのですが、山は鬱蒼としていて、山道らしきものは見当たりません。翌日講演会で知りましたが、昔は山道があって、芹沢氏もそこを登っていたのだろうということでした。

講演者の渡部先生が「道を整備して山頂に見晴台を造ってほしい」をおっしゃっていましたが、あの山で松葉を掻いたり、松露を採ったりしていた少年時代の芹沢氏に近づくためにも、ぜひその案に賛成の挙手をしたいと思います。

その牛臥山の対面にある孤絶の石碑は松林に囲まれていますが、松ぼっくりが沢山実っていて、それを見ると、こころが故郷の海岸に飛びました。こう言っては失礼ですが、我入道とは比べものにならないくらい白く美しい砂浜の海岸です。

特に松の樹齢は古く、中学校などは松林の中に建っていましたが、敷地の裏には10センチ以上もある巨大な松ぼっくりが落ちていることもありました。海岸も起伏に富んで、砂浜の崖を滑り降りて海に入った少年の日が懐かしく思い出されます。

そう言えば、昨年故郷に帰った際、喜寿を迎える母が「ここまで来たら、今度は85歳を次の目標にしている。それも他人に迷惑をかけて生きても意味がないから、動ける身体で、誰かの役に立ちながら85歳を迎えたい」と話していました。

講演会でも先生が「健康な身体で100歳まで生きたい」と同様なことを発言しておられましたが、神シリーズの登場人物である親様は、人間の寿命は120歳と言っているのだから、芹沢氏のように「離欲」の妙薬を服用して、ひとはもっと長生きできるのかもしれません。

病弱で長生きは望めないと言っていた母ですが、幼い頃に母親を亡くし、戦時中は満州に渡るなど苦労して育ちましたから、苦労の多い半生を生きた分、思いがけず喜寿まで生かして頂いてるのではないかと思います。欲のないひとですから。

我入道海岸の松ぼっくり 今、辛いことがあるひとも、ここで頑張って100歳まで生きていけば、生きていて良かったと思える日々を過ごせるのではないでしょうか。

そしてそれが誰かの役に立つような生き方であれば、こんな素晴らしいことはないと思うのですが、如何でしょうか。

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2012年8月1日 counter:140088

毎日暑い日が続いています。ニュースを見ていると、今日は熱中症で何百人が病院に搬送された、一週間で何千人が搬送されたと連日の報道で、毎年そんなに多くのひとが熱中症になっていただろうかと不思議な気持ちでアナウンスを聞いています。

今の病弱さからは考えられませんが、少年時代は野生児で、熱中症など、軟弱な子がなるものだと思っていましたが、高校時代に一度だけ、朝食を食べずに海岸に出て、日光浴をしてから学校に行くと、気持ちが悪くなったことがあります。

今考えるとあれは熱中症だったのだと思いますが、冷えた廊下で横になって、すぐに元気を回復したから、やはり野生児だったのでしょう。それからは夏には朝食を必ずとってから遊ぶという知恵を身につけましたが、それも生活の知恵には違いありません。

熱中症で搬送されるひとの大半は老人だと言いますが、生活の知恵はあるはずの老人が、なぜ簡単に熱中症にかかるのか不思議です。空腹にせず、水分も取って尚、倒れるのでしょうか。もしそうだとすると、如何に現代人の身体が鈍っているかということになりますね。

芹沢氏は90歳を超えても、自宅での青竹踏みなど運動を欠かさなかったようです。この欄を見てくださっている方で、ご自身が高齢の方や、周りに高齢者がおられる方は、もう少し身体を鍛えるように勧められた方が良いかもしれません。

それは老人だけではなく、子どもたちもそうですね。遊ぶ場所がないのかもしれませんが、街で子供を見かけることが本当に少ない気がします。たまに見かけても、マンションのロビーでポータブルゲームに興じていて、ひ弱そうなことこの上なしです。

これではすぐに倒れてしまうだろうな、と都会の子どもが可哀想になります。子どもを逞しく育てるための方策を、親だけでなく、大人たちがもっと考えるべきではないでしょうか。今の役に立たない政府にも、そういうことで頑張ってもらいたいと思いますが。

サバイバルの様相を呈してきた現代ですから、身体を鍛えておくに越したことはないと思いませんか。ちょうどオリンピックで、皆さん競技をご覧になっているでしょうが、アスリートとまではいかなくても、自分や家族を守れるくらいの身体にはなっていたいですね。

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2012年9月1日 counter:140894

暑い夏もそろそろ終わりが見え始めるでしょうか。東京は熱帯夜が何日も続いていましたが、一昨日はエアコンをつけることなく休むことができました。雨が少ないのも気になるところで、そろそろ降らないかなあと入道雲の気持ちよい空を見上げています。

今朝、facebookを見ていたら、友人が面白いことを書いていました。仕事中に長男が「無限なものどうしって、大小関係あるの​?」と聞いてきて、友人は「あるよ!でも、​無限によっては『同じ』大きさの無限もあるよ!」と答えて、その夜は算数教室になったそうです。

彼は電機メーカーで研究職をしています。最初に知り合ったのは奥様の方で、僕の理想の女性でしたが、話をしてみると、ご主人とは誕生日も近く、数学が得意なところや考え方、性格にも似ていると思うところが多く、勝手に親近感を抱いていました。

お子さんが二人できて、家が川崎から鎌倉に移られて、お会いする機会も少なくなりましたが、最近ではブログやfacebookで近況を覗かせてくれるので、お子さんの成長と、彼の面白い話が両方楽しめて、テクノロジーの進化をありがたく思っています。

その彼のブログですが、大半は家族で趣味にしている将棋のことなのですが、時々、物理や数学、アートの話が出てきて、その話の奥が深くて、エセ数学好きの知識では太刀打ちできない高度な内容で、読んでいるだけで楽しいのです。

また親子の会話が、先に書いたようにあまりにも知的で驚かされるのですが、例えば次男が明るい絵と暗い絵という2つの相反するテーマで同じモチーフを描いているのですが、単純に明るくする、暗くするというのではなく、暗い絵の中心に明るい色を持ってきたり。

この発想の根拠には何があるのだろうと考えたり、なぜそんな疑問が起こったのだろうかと想像して、親になったような気分でいるのです。この子たちはいったいどんな科学者、芸術家になるんだろうと、勝手にワクワクしながら。

消費税をめぐる政局の混迷、また二つの領土問題で国の内外が騒がしくなっているような時にでも、こんな一服の清涼剤に癒されています。芹沢氏の「こころの窓」に出てくる「生きた石ころや盆栽のたのしみ」かもしれません。

ちなみに先の長男の質問に対して、友人は続けて「『カントール 濃度』でググってみて」と答えています。カントールというのは無限の大きさの研究を始めた先駆者のようです。興味のある方はgoogleで検索してみてください。

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2012年10月1日 counter:141396

暑い夏が終わり、あっという間に秋に変わった、そんな東京ですが、昨夜は台風が上陸し、これもまたあっという間に日本を通過し、去ってくれたようで助かりました。速度の遅い台風は、前回のように被害も大きくなりますから。

そんな気候になぞらえるわけではありませんが、中国の反日感情も、あっという間にどこかに流れ去ってくれればいいなあと、ふと思いました。政治利用された反日感情とはいえ、実際に中国人一人ひとりの胸に根付いた感情は、そう簡単には消えそうにありません。

恨みや憎しみという感情は、実は自分を傷つけるだけなのですが、そんな感情を持つように教育されている国民が解放されるのはいつになるのでしょうか。一党独裁国家の歪みが限界に近づいているようで、隣国の友として注目するのですが。

中国国民が不幸なのは明らかですが、日本もそう違いはありません。次期総理になるかもしれない政治家が「国を守る」そんな愚かなスローガンを声高に叫んでも、誰も異を唱えない未熟な国、それが今の日本です。

中国人の観光客が、日本への旅行をキャンセルすることは愛国精神だと答えていました。先頃行われた自民党の総裁選では、どの候補もこぞって愛国精神を訴えていました。どちらも愚かなことです。この世界に必要なのは、愛国精神ではなく、人類愛ではありませんか。

本当に守るべきものは、国でも領土でも愛国精神でもなく、自分の胸の奥深くにある素朴で温かなこころですが、多くのひとはそれを知りません。今回の愚かな対立の陰で、そのことに気づいてくれる人々が多く現れることを願っています。

大地震、大型台風、豪雨と、日本が近年見舞われている大災害、そして二つの領土問題とそれに付随する経済問題。天災と人災。それらは一見無関係のように思えますが、広い視点で見ると、ひとつの流れのようにも思えます。

日本人は今、こころを鍛えられているのではないでしょうか。戦後の経済成長で、リーダーとしてアジアの国々を牽引してきた日本が、今後、こころのリーダーとしてアジアを牽引していく。そんな未来図があるのかもしれません。夢のような話ですが。

台風一過の快晴 今日の空は、台風一過の快晴の青空です。いつでもこの空のように晴れたこころでいたいと思います。
 アジアの人々のこころが、平和で、幸せであるように。またシリアの内戦が早く解決するように祈って──

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2012年11月1日 counter:143487

ここ数日で急に冷え込んで来た感がありますが、紅葉も美しくて、気持ちの好い季節です。10月20日、美智子皇后と同じ誕生日の母から電話で「今年は私の体調が良くないから、帰省しなくていいよ」と弱気なことを言いました──。

身体が弱く、早死にするものと誰もが思っていた母ですが、皇后と同じ78歳を迎えました。家出を繰り返すほど仲の悪かった父は「おまえが長生きするとはアテが外れた」と憎まれ口をきいたそうですが、もうケンカする元気もないのか、仲良くやっているようです。

幼い頃に母親を亡くし、後妻には虐げられ、戦時中は満州に送られたり、苦労したようですが、父と結婚した後、宗教に頼って、生涯それを貫き通しています。長生きは全て信仰のお陰と言いますが、その信仰を持てなかった者にはわかりません。

母を想っていると「人生の秋」という芹沢氏の随筆のタイトルが思い浮かびました。母は幸せだっただろうか。そんなことを考えて、紅葉を眺めていたからかもしれません。遠く離れて、何もできない親不孝な息子であることを申し訳なく思います。

母の話が長くなりましたが、書きたいのはそのことではなく、ノーベル賞受賞で一躍脚光を浴びたiPS細胞のことでした。母の長生きは信仰のお陰かもしれませんが、僕が今生きているのは医学のお陰です。その医学にまた新たな光が輝き始めたようです。

もう何年前になるか、山中教授によりiPS細胞が初めて世間に出た際、車いすの友がそれは嬉しそうに「僕は待ちますよ」と言ったものでした。それはもちろんiPS細胞が損傷した脊髄を復活させてくれる日が来ることを待つ、という意味です。

しかし、その後、何年経ってもiPS細胞のニュースが大きく扱われることはありませんでした。研究費が足りないのか、目覚ましい進展というものもなかったのかもしれません。それがこの度のノーベル賞受賞で、政府の支援も決定し、研究が加速するかもしれない──

山中教授はこれからだと言います。まだまだ時間がかかるでしょう。友がその足で幼い息子と大好きなサッカーができる日を、僕が見ることはないかもしれません。けれど確かにこの世の天国は近づいたと思える今回のニュースでした。

その日が友には待ち遠しいでしょうが、可愛い奥さんと息子がそばにいるから、苦労の多い生活も、幸せの中で待つことができるでしょう。一日でも早くその日が訪れることを友のため、そして多くの同じような境遇の方々のために祈っています。

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2012年12月1日 counter:147821

「守っていただいているなあ」

「生かされているなあ」

「ありがたいなあ」

家人とともに毎日のようにそう気づかされる日々の中で、今年も師走を迎えました。自己を振り返れば、至らないことばかりですが、それでもありがたいことに天の恵みを十分受け取ることができて、幸福な人生を送れています。

去年、年末に恒例だった大きな仕事を受注しなくなって、残念に思っていましたが、今年はまた受注が復活して、もう来ないと思ったのにと家人に言うと、「去年は私が入院してたから、受注してもできなかったんじゃない」と言われ、それはそうだと気づきました。

天の行うことに無駄なことはありませんが、つい先日、難しい手術を受けた友の場合もそうだったのでしょうか。僕と同じ重い病を抱えていますが、いつも明るくて、青年団でもみんなを元気にする陽気な娘です。

その友が、医師もダメかもしれないというほど難しい手術を受けることになり、心配しましたが、手術の前日に芹沢氏から「大丈夫だ」というメッセージがあり、そのとおり見事に成功して、今はICUで頑張っています。それも友の心がけをよしとして、天が助けてくれたのでしょうか。

こころがけひとつで、この世は天国になるのだけれど、それを知らないひとがほとんどで──芹沢氏も天国でさぞ残念に思っているのではないでしょうか。こころはこの世を天国にも地獄にもする。簡単なことですが、一度胸に納めて考えてほしいものです。

ひとは生を重ねる中で様々な業を積むから、人生にはいろんな事情が起きますが、事情は事情として淡々と受けとめた上で、幸福に生きられる術を天が用意してくれている。そのことに気づけば、人生は180度変わるのですから。

絵画館前の銀杏並木 愛好会の方より、勉誠出版から『人間の運命』完全版が刊行されるニュースを頂きました。年末のこの時期に最高のクリスマスプレゼントです。良い書物との出会いがまた人生を豊かにしてくれる。この本が多くの方々への素敵なプレゼントとなることを願っています。

今年もありがとうございました。皆様の幸せをお祈りしています──管理人

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