ここには当館をご利用いただいている皆様への管理人からの月々の便りを載せています。モラリストとも言われた芹沢氏と対話するような気持ちで、その時々の思いを綴っています。感想など皆様のお便りをお寄せいただければ幸いです。

【 2013年 】

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管理人の創作

 

2013年1月1日 counter:162011

あけましておめでとうございます。

そうは言っても、今年はエコプロダクツの仕事が復活して、去年の暮れから大晦日も正月もなく働き詰めで、全く年明けという気分はありません。友人が「食べきれないから」と数の子を持ってきてくれましたが、それが少しだけ正月という風情を演出してくれているようです。

年末には慌ただしく安倍内閣が発足して、「本当に良かったの?」とこの政党を選んだ方の誰にでも聞いてみたいくらいですが、おそらく景気対策ができそうだからと言われるのでしょう。他に看過できない公約があったとしても。

ところで恒例のエコプロダクツですが、時代は確実に進んでいるようで、今年も面白い製品や研究がいろいろと展示されていたようです。その中でこれはすごいと思ったのが仙台大学や三菱電機グループの研究成果です。

その製品は芝生や道路を踏むだけで発電するというもので、これが日本中の道路や敷地に敷き詰められれば、今問題の原子力などに頼る必要もなく、電力不足など全くなくなるのではと期待する声もありました。

それが現実になるのか、それとも他の手段で原発問題が解決されるのかはわかりませんが、『神の微笑』の中でジャックが言ったテクノロジーは、今も進化し続けて、この星の未来を明るく照らしてくれているようです。

最後になりましたが、今年は『人間の運命』が今月より復刊されます。芹沢文学にとっても、新しい進展が待っているのかもしれません。この文学の深い知性で、世界を正しく見ることのできるひとたちが増えてくれることを願っています。

近所の野良猫 本年もどうぞよろしくお願いいたします。

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2013年2月1日 counter:186042

先月の東京の雪は凄かったですね。街があっという間に銀世界に変わり、わが家の前にも15センチほどの雪が積もっていました。その雪もなかなか溶けなくて、全て溶けたのはほんの数日前のことで、その間ずっと冷蔵庫の中にいるような寒さでした。

そんなことを言うと、もっと寒い地方の方々には笑われそうですが、その寒い地方のひとつである原発の被災地の方々の話に、最近接する機会があって、その中の多くの方が子供たちの成長について憂慮しておられる現状を見て、考えたことがあります。

憂慮の中身は、健康の心配、育てる環境の不備、将来の差別の問題等、親であれば当然抱えるであろう様々な悩みでしたが、子育てで大切なのは、その子が成長した時に、それらの問題に立ち向かえるような大きな人間に、いかに育てるかということではにないでしょうか。

ではどうすれば大きな人間に育てることができるか。そう自分が親になったつもりで考えた場合、思い浮かぶのは「何事にも興味を持たせること」ではないかと思いました。どんな環境であれ、身の回りには様々なものがあり、それら全てに興味を持たせるのです。

ひとの器の大きさというのは、どれだけ多くの物事に興味を持てるかどうかに比例していると思います。興味が多ければ多いほど視野は広がり、問題への対応力は強まる。逆に無関心になればなるほど視野は狭くなり、問題解決への力も弱くなる。

自分がつまらないと思う日常の些細な出来事でも、子供と一緒になって興味を持ち、学んでいく。そうやって見識を広げることがこころを広げることに繋がり、その子の成長の助けになると共に、自分自身の成長にも繋がっていくのではないでしょうか。

被災地でがんばっているお父さん、お母さんにエールを送ります。そしてまた安倍政権も、安全を確認しながら再稼働を進めていくなどという愚かな考えを捨てて、二度とこんな現状を生み出さないよう、原発全廃への道を早く決断してほしいものです。

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2013年3月1日 counter:206075

先月までは寒い日が続いていましたが、最近になってようやく春のような日差しの日も出てきて、明けない冬はないなあと改めて思うようなこの頃ですが、日本の経済にも雇用の増加や景気判断の上方修正など明るい兆しがあって、こちらも春の訪れとなるのでしょうか。

それにはまず世界情勢の安定が必要でしょうが、イタリア経済への懸念が再燃したり、中国の大気汚染問題の深刻化があったりと、世界はまだまだ脆弱な状態で、日本経済も楽観的に見るのは早計のようで、もうひと頑張りしようというところなのでしょう。

話は変わって、今年になって刊行され始めた『完全版 人間の運命』ですが、巻末に詳しい注釈が付いて大変ありがたいのですが、その中に天理教用語が多くて、ここから目を通した方は、宗教の本かと勘違いしないだろうか、とふと思いました。

愛読者は、芹沢氏が天理教の家に生まれたが、自身は天理教に帰依することなく無宗教人として生涯を全うしたことをよく知っていますが、初めて読む読者はそれを知らないから、宗教に拒否反応を持つひとなど、読むのを躊躇われるのは残念なことです。

ここにそれを書いたからと言って、どれだけ効果があるかはわかりませんが、芹沢氏の著作は宗教に関係なく、ひととしての生き方全般に示唆を与えてくれる素晴らしい作品ですので、無宗教の方も、またどんな宗教を信仰されている方も安心して手にとってほしいものです。

つい昨日のニュースで、学校教育現現場では「道徳」の時間を大切にするために「教科」にするべきではないかと議論されていることを知りましたが、その際には推薦図書を策定して、それに含めて欲しいくらいの作品が『人間の運命』です。

若い世代による事件の多い昨今、そういう若者たちを創り出してしまった社会や大人たち、また子どもたち自身に、ひととしての生き方を改めて見直してもらうためにも、この作品が広く世に読まれることを願っています。

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2013年4月1日 counter:228840

今年の桜は早く咲いて、今はもう街の石畳が桜の絨毯になっています。桜のエネルギーは凄くて、もう随分前のことですが、頭の頭頂という部位から桜のエネルギーがもの凄い勢いで入ってきて、両手の先から抜けていくという体験をしたことがあります。

千本桜 それも気功をやっていた頃の話で、最近では身体が鈍っているためか、同じ体験を再現できないのが残念です。芹沢氏同様に実証精神を身に付けたいと思っているので、自分でいつでもできるようになって、ひとにも体験させてあげたいのですが。

春にこころが踊るように感じるのは、桜も含め、そんな大自然のエネルギーが大地や木々から吹き出しているからですが、その恩恵に感謝しながら、大自然のエネルギーを充分に受け取って、日々を明るく元気に過ごしていきたいものです。

『完全版 人間の運命』の第1巻で、主人公の常蔵が、目に見えないものを信じて人助けの道に入る場面があります。今でこそ桜のエネルギーなどと書いても、それほど奇異に思われることはありませんが、あの時代には大変なことだっただろうと思います。

目に見えないものを信ずるのに、人生を賭けるほどの覚悟をして人助けの道に入った常蔵の生き方に、多くの読者が尊敬の念を抱いたのではないでしょうか。常蔵の生き方には、宗教を超えた、ひととしての生き方の見本となるような輝きを感じます。

その常蔵は神があると思って生きるか、ないと思って生きるかならば、あると思っていきたいと考えますが、現代ならば、神などと大げさに言わなくとも、見えないものがあると思って生きるだけで、この大変な時代にどれだけ救われることがあるか。

先日、3人の子の母である友人が、卒園する上の2人の子にFacebookで「よくがんばった」とエールを送っていました。そのうちのひとりは発達障害で、大変な思いの中での子育てですが、そう言える彼女にこそ「よくがんばった」と言葉をかけたいと思いました。

窓の外にはまだたくさんの花びらを付けた桜が日を受けて輝いています。今日も一日、常蔵や彼女のように光あるこころで過ごしたいと思います。大変な時代に少しでも光を当て、良い方向に進んでいくように祈りながら──。

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2013年5月1日 counter:242804

暖かかったり、寒かったり、不安定な天気が続いていますが、先月はイラン、中国と大きな地震が続いて、また日本でも三宅島で心配な地震があったりと、世界中で地震活動が活発化しているようで、なんとなく落ち着かない春を迎えています。

そんな中でも草花は変わりなく四季の移ろいを告げていて、わが家でも先日、亀戸天神の藤まつりに出掛けましたが、今年は桜も藤も開花が早く、時期を逃さなくて良かったと満開の藤の花の香りを楽しみながら思ったものでした。

藤とアオサギ 写真では見えにくいかもしれませんが、右下の方に写っているのはアオサギです。体長1mほどもあるアオサギが池の畔に飛んできていました。アオサギも藤の香を楽しむのだろうかと微笑ましく、地震のことも一時忘れられましたが──

鳥と言えば、中国では鳥インフルエンザが広がって、日本に上陸するのも時間の問題だと言われています。そんなことも落ち着かない原因の一つなのかもしれません。不安はいらないが、呑気にもなりきれない、まあ仕方ないかと思いながら日々を過ごしています。

最後になりましたが、沼津市では「芹沢光治良と沼津」という市制施行九十周年記念事業が始まるようです。その一環として芹沢記念館では企画展「人間の運命展」がはじまっています。当館にも情報を掲載しましたので、よろしければご覧ください。

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2013年6月1日 counter:259715

いつもより早い梅雨入りをした東京は、雲に覆われているものの、雨のない穏やかな天候で、梅雨という実感もなく、これでは紫陽花もまだ咲けないだろうと、近所を散歩しながら、青々とした紫陽花の葉に目をやっています。

このところ、この天候のように、どうもやる気が起きなくて、連休に帰省する予定があったので、それを契機に元気を出そうと考えていましたが、親が体調を崩し、今回は中止してくれとのことで、元気を出す機会もないままに今になっています。

仕事も少ないので、毎日遊んでいるようで、隣に住む新婚の友人が「もっと老後を考えたらどうですか」と心配してくれますが、「真面目に生きていれば、お金に困ることはないから」と、いつもの信念を繰り返すだけなので、呆れられています。

弱った身体で、大した仕事もできなくて、収入は友人の4分の1ほどなのに、13万の家賃を20年以上払い続けて、お金に困ったこともない。貯金も何もないその日暮らしですが、借金もしたことが無くて、よく生活できているねと皆から不思議がれられていますが──

皆は目に見えない存在を知らないから、先のことを心配して貯金に精を出すけれど、僕は見えない存在が常に見守っていることを知っているから、その日暮らしでも何も心配してないんだよと言っても、わかってもらえないのが残念です。

ただ家人だけは、自分に実感はなくとも、僕を通して見えない存在を感じられるようで、文句も言わずについてきてくれるので感謝しています。家人のように、皆も僕を通して目に見えないものを感じてくれたら、もっと楽に生きられるだろうに──

そんなつまらないことを考えるのも、この曇り空で元気が出ないからかもしれません。帰省の代わりに旅行に行く計画でも立てて、友人から心配されないくらいの元気を出さないとなと考えているところです。

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2013年7月1日 counter:277149

アラブの春と言われたのは2年前だったでしょうか。当時、この欄でも取り上げたはずですが、そのエジプトでまたデモが起こっています。やっと独裁政権から解放された国民を待っていたのは新たな独裁者か、これも産みの苦しみだろうかと、その行方を見守っています。

デモの勢いは拡大しているようで、政府が強硬な手段に出ないように祈ります。過去の革命に血は付きものでしたが、いのちが犠牲にされることのない革命を望みます。寿命を全うして天に帰る、そのために与えられた大切ないのちですから。

革命でいのちを費やすのではなく、革命の後にこそ輝かせるいのちであってほしい。大切ないのちだから──そんなことを考えながら天を仰ぎ見たのは、こころの窓に映るひとりの恩人の姿があったからです。

このホームページの初期の協力者で、いのちの恩人でもある「Cさん」が天に帰られました。Cさんにお会いしたことは一度しかなくて、それも運命的な出会いでしたが、この世を去られる前に、お礼を言う機会を与えて頂けたのだろうかと、天の計らいに頭を垂れています。

Cさんと知り合ったのは、ここを立ち上げた頃だから、もう15年前ということになります。15年前から知り合っていたのに、お会いできたのは昨年、ちょうど一年前の今頃で、沼津での渡部先生の講演会でのことでした。そのことは、講演会に参加してという雑感に書きましたが──

初めてお会いするCさんは、ひと回り以上年上だと思いますが、とても溌剌として、こちらは見た目こそ年相応ですが、中身はまったくのお爺ちゃんで、とてもかなわないと羨望するようなお元気な紳士だっただけに、全く実感がなくて──

ひとまわり以上年上と書きましたが、僕はCさんの年齢さえ憶えていないほど、Cさんの何も知らないのです。ただ何も知らなくとも、Cさんはホームページの恩人であり、いのちの恩人である、それだけが大切な事実で、この胸に刻まれていますが──

ひとの縁というのは本当に不思議です。メール1本の出会いが、いのちの恩人と思えるほどの関係になるのですから。Cさんはただ「若造が芹沢文学に取り組もうとしているから応援してやろう」と考えただけでしょうが、そのことが、いのちを救ってくれたのです。

持病持ちで何の役にも立たないただの怠け者が、芹沢文学に惹かれて、得意なパソコンでホームページを作ったというだけで、自分の知らないところで何かが動いて、こんなありがたい縁が結ばれる。ただもう申し訳ないと思うばかりです。

芹沢氏にも百武閣下という不思議な縁で結ばれた兄貴がいましたが、縁の濃さは違っても、Cさんは僕にとっての百武閣下だったかもしれません。素敵な兄貴だったCさん。今頃は天で、芹沢氏と積もる思い出話に花を咲かせておられるでしょうか。

ああ、愚弟は何のお礼も返せませんでしたが、兄貴が応援してくれたこのホームページを、残りどれくらいあるかわからないいのちをかけて続けることで、ほんのわずかでも、その恩に報いたいと思うばかりです。兄貴、本当にありがとうございました──

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2013年8月1日 counter:294080

今年も豪雨の季節になって、各地で被害が出ていますが、豪雨への備えというような対策もニュースやインターネットで度々紹介されていますので、そういうものを活用して自分や家族の身を守って頂きたいと思います。

以前にこの欄でも紹介した沼津市の「芹沢光治良と沼津」と題した文学祭ですが、その後も活発にイベントが開催されていて、当館でも普段にない更新頻度で情報を掲載させて頂いておりますが、ご覧頂いておりますでしょうか。

どの会も盛況なようで、芹沢文学を世に知らしめたい管理人にとっては嬉しい限りで、今回の開催は沼津市という一地域に限定されていますが、『人間の運命』の復刊と併せ、この動きが少しずつでも全国に広がるといいなあと願っております。

芹沢文学というのは「狭き門」であるというのは持論ですが、その門も狭すぎては、これだけの名著が社会に貢献できないことになりますので、、大衆作家のように何百万部とは売れなくても、じわじわと世の末端にまで浸透していってほしいものです。

沼津市では、今年は芹沢光治良イヤーとでも言いたい年になっていますが、後年になって「あれは沼津市ではなく、世界の芹沢光治良イヤーのはじまりだった」とならないだろうかと、大きな夢を見ているところです。

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2013年9月1日 counter:316471

朝晩に秋の気配がし始めたと思っていたのに、再び猛暑日の復活で、暑い秋のはじまりになっています。今日上陸予定だった台風は温帯低気圧に代わり、一安心かと思ったら、大雨の恐れがあるようで、相変わらず天候は厳しさをもって何かを伝えているようです。

最近、暑さのせいなのか、それとも身体だけでなく頭まで老けてきたのか、物忘れがひどくなって、40代にして人生の晩年を感じる情けなさですが、つまらない夏の思い出を思い出したので、呆けた序でに書いてみたいと思います。

16歳の夏の話ですが、周りの仲間が硬派というのか、彼女がいる者がひとりもおらず、海辺の町に育ったにも関わらず、水着の女の子たちと輪になってビーチボールで遊ぶというような眩しい場面が一切無い青春時代でした。

他の季節は、男だけで遊んでいても楽しいのですが、夏というのは何かキラキラと輝きたい衝動もあって、女の子が一緒にいれば、その思いが満たされるような気がして、仲間には内緒で同じ高校に通う女の子に告白しました。

人生で初めての告白ですが、10キロほど離れた彼女の町まで原チャリを飛ばし、家のすぐそばの公衆電話からドキドキしながら電話をかけました。返事はイエスで、彼女は家庭教師が来ている最中でしたが、走って迎えに来てくれました。

そのまま誘われた彼女の家には両親は不在で、1階のキッチンで家庭教師が参考書片手にテーブルに着いていました。彼女は家庭教師に「少し待っててください」と告げて、僕を自分の部屋に連れて行きました。

彼女の部屋は、女の子らしい可愛い部屋というよりは、よく片付いたシンプルな部屋でしたが、仲間だけでなく僕も硬派だったので、会話らしい会話もできずに5分ほどで彼女に見送られながら家を後にしました。

帰り道、高揚した気分でバイクを軽快に走らせながら考えていたのは、これで僕にも青春がやって来るということでした。来週はデートに誘おう。その次は仲間と彼女の友達も呼んで海に行こう。輪になってビーチボールだ!

「この世の春」というのは、こんな気分を言うのだろう。そう思うほど僕は浮かれていました。そんな浮かれた調子のままで一週間が過ぎ、誘ったデートの電話。彼女から帰ってきたのは意外な言葉でした。「自信が無い」

僕はイケメンではありませんが、背が高くてユーモアがあったので、高校ではファンクラブのようなものがあるほど人気者でした。それに対して地味で普通の子だった彼女は、告白された時は嬉しかったけれど、冷静になると気後れしたようでした。

今現在のように図々しい自分ならば、何とでも言って彼女を励まして納得させたのでしょうが、なにしろ硬派で純情な少年は「わかた」とだけ言って電話を切りました。この世の春の次に来るはずの夏は泡と消え、早くも秋の夕焼けがこころを赤く染めました。

夏空 その後、彼女とは会話することもなく高校生活を終えました。看護学校に行くという噂を聞きましたが、今はどうしているだろうか──。芹沢氏なら、このエッセイに「青春はなかった」と付けるのかもしれないと苦笑しながら、過ぎ去った思い出の夏空を見上げています。

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2013年10月1日 counter:332441

台風の季節ですが、今の日本社会は台風の目の中心でしょうか。そんな例えがふと浮かびました。台風とは関係ないのですが、芹沢文学を読んで、多くのひとが関心を持つと思われる「信仰」について、最近感じたことがあったので書いてみたいと思います。

友人が、松任谷由実さんの「やさしさに包まれたなら」を聴いていた高校生の息子に、「子供の頃、神様いた?」と聞くと、「勿論いたよ。今もいるけどね」と答えたそうです。彼は成績表に「君から教えられることが多い。ありがとう」と教師に書かれるような優等生です。

友人夫婦は無宗教で、当然息子も無宗教です。けれど彼の中には神がいる。それはとても素敵なことだと思います。芹沢氏は祖母から神がいると聞かされて育ちましたが、それは祖母が語った神で、本物の神でなかったから、芹沢氏は大変な苦労をしました。

天理教を捨てた芹沢氏が信仰を持ったのは、おそらく渡欧してからではなかったでしょうか。フランス人が信仰と共に生きる姿に尊敬、あるいは共感を覚え、次第に神というものを自分の中に育てていかれたように思います。

その芹沢氏の信仰に、神が応えたのは、芹沢氏がもう80歳を過ぎて、長かった生に別れを告げようと準備をしている時でした。神を持つということと、神を知るということには天と地ほどの差があります。それは生まれ変わったような喜びだったと思います。

世の中全てのひとが、神を知れば、芹沢氏のように、この世は天国になりますが、その神を知るのが大変です。なにしろ自力ではどうにもならない問題ですから。その神を知るための足がかりが、信仰であり、宗教であるかもしれません。

ただし、宗教をされる方は気をつけた方が良いです。信仰は神に向いているので、道を誤ることはないが、宗教は知らないうちに信仰を離れていることがあるので。そんなことはシリアやエジプトを見れば明らかなことですが。

芹沢氏は以前、「神など無い方が、清々しく生きられる」という趣旨のことを書かれましたが、神が無くて清々しいのは幸せな時だけです。不幸な時、ひとは神を求めずにはいられなくなるのはないでしょうか。

信仰を持たないひとの多い日本ですが、信仰を持って生きるのが幸せか、信仰無く生きるのが幸せか──僕には答えが出ていますが、まだ若い友人の息子が、それを体現してくれるのを楽しみに見守っているところです。

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2013年11月1日 counter:347517

15年程前ですが、何かに誘われるように奈良の地を巡ったことがありました。最初に訪ねた興福寺の金堂に薬師如来があって、病が癒されるようにという思いから、窓口で売られていた薬師香を求めたのを憶えています。

あの頃はずっと迷いの中にあって、出口の見つからない霧の中をさまよう登山者のように、晴れないこころを抱えたまま、ただ時間という波に流されていたようでした。誰を恨むわけでもなく、そんな時期が10年も続きましたが。

こんな病を持って生まれなければ、元は冒険家のような性格なので、波乱に富んだ人生を面白おかしく送っただろうにと思いますが、顧みれば病のお陰で出会ったものも多く、どちらの人生が良かったか、今では迷うくらいで──

「今、幸せですか」と問われれば、迷わず「幸せですねえ」と応えられますが、それは自分を守ってくれる大きな存在に気づいたからで、誰でも、その存在に気づけば幸せになれますが、そこに至る道が狭くて──

こんなことを書くのも、先月の月報で信仰について書いたからですが、信仰とは、その狭き道で迷ったり悩んだりすることだろうかと思ったのです。そしてその狭き道の先で、大きな存在に出会った時、ひとは迷いから解放されて、信仰と自分がひとつになる──

そんな目覚めたひとたちが、これから次々に現れるのかもしれません。その準備のように、社会では何年もかけて大掃除が行われ、あらゆる分野で膿が出されているようにも思えますから。

わが街のケヤキも色づきはじめました。自然は美しい。人間ももっと美しいこころになって、自然に近づいていけるのではないでしょうか。窓から見える気持ちのよい秋空の下、薬師香を焚きながら、そんな思いに耽っているところです。

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2013年12月1日 counter:359082

先月、フィリピンを襲った台風は凄まじいものでした。被災者が900万人を超えているといいますから、東日本大震災の被災者が40万人だったことを考えても、その被害の規模は想像を絶します。

被災後、各国から救援の手がさしのべられましたが、日本の対応も早く、そこに「困ったものを助けるのは当然」という日本人の良さが反映されているようで、嬉しく思いました。東日本の震災では、日本も多くの国に助けられたのですから。

個人的な考えですが、助け合うこころには、天の意思がいちばんよく現れているように思います。天の本質というのでしょうか。助けた側には思いやりのこころが溢れ、助けられた側には感謝の思いがこころを満たす。その両方に天の本質が現れている──

助け合うこころは、例えば、反日感情やヘイトスピーチなど、国と国との溝を埋める一番の特効薬になり得るかもしれません。度重なる天災が、強い意志を育て、助け合うこころを奮起させてくれるなら、その大きな代償も少しは報われるのではないか──

生きとし生ける者みな幸福であれ──この欄でもよく使う仏陀のことばですが、このことばも天の意思を代弁したものに違いありません。苦しみの蔓延する世界で、自らのこころを如何に幸福に保つかを生涯をかけて説いた仏陀の祈り。

空からの富士山 生きとし生ける者みな幸福であれ──おそらく今、見えざる世界の皆が、そう大合唱して、この地上にエールを送っているのかもしれません。互いに助け合うこころで、今という時代を乗り越えていきましょう。

今年も一年間ありがとうございました。皆様のこころの平安を祈って──管理人

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