第七章 開かれた世界から
第4節 "Using ......"や"Referring to ......"

   Fowlerは、「ある種の分詞や形容詞が前置詞や副詞の特性を身につけ、もはや身を寄せるべき名詞という支柱を必要としなくなるという事態をもたらすある変化が継続的に進行中である」(Fowler, A Dictionary of Modern English Usage, "UNATTACHED PARTICIPLES"の項)と述べ、「もはや身を寄せるべき名詞という支柱を必要としない」分詞句の例として、"Considering the circumstances you were justified, or Roughly speaking they are identical."(ibid)(カンマがないのは原文通り。下線は引用者)を挙げている。これに続けて「難しいのはこうした発展はいつ完了するのかを知ることである。」(ibid) と述べた後、「"Referring to your letter, you do not state ....."〈貴方の手紙について言えば、貴方は…とは述べていない〉と書いてもいいのか。それとも、"I find you do not state ......"〈私の見るところ、貴方は…とは述べていない〉とせねばならないのか。つまり、"referring"は未だ発展途上なのか。」(ibid)という問いを投げかけている。

   分詞句"referring to ……"を含む文例を、私の用例集には直ちに確認できるものとしては九例(すべてカンマを伴う例)見出せるものの、分詞句"referring to ……"が純乎たる副詞要素として機能している(つまり、"referring to"が「もはや身を寄せるべき名詞という支柱を必要としない」前置詞句あるいは副詞要素の一部に転化していると見なせる)ような文例は一例も見当たらない。「”referring”はいまだ非分詞化して[unparticipled]いない。 」(Fowler, The King's English, "PARTICIPLES"の項)というFowlerの判断は現在も未だ妥当であろう。

   Fowlerは更に「疑いもなく(前置詞や副詞要素の一部に)転化している分詞[undoubtedly converted participles]」を含む文例の一つとして次のものを挙げている。

(7−9)
They are illiterate (using the word in its widest sense).
〈彼らは無学である(この言葉をその最も広い意味で用いればであるが)。〉
(Fowler, A Dictionary of Modern English Usage, "UNATTACHED PARTICIPLES"の項)
(下線は引用者)[7−32]
   この分詞句"using ......"については、例えば、"Considering the circumstances, you may go. / Seeing that it was involuntary, he can hardly be blamed."(Fowler, The King's English, "PARTICIPLES"の項)について、「考慮する[consider]のは"you"ではなく"I"であり、目をとめる[see]のは"he"ではなく"we"であり、…」(ibid)と言えるのと同じように、「使う[use]のは"they"ではなく"we"である」と言えよう[7−33]。分詞句"using ......"を含む文例を、私の用例集には直ちに確認できるものとして十六例(内カンマを伴うものは十四例)見出せるものの、分詞句"using ......"が純乎たる副詞要素として機能しているような文例は一例も見当たらない。分詞句"using ......"は、分詞句"referring to ......"と同様、「身を寄せるべき名詞という支柱を必要としなくなる」段階には未だ至っていないと、即ち、その暗黙の主辞に対する並置分詞句であると判断すべきであろう。

   PEUには分詞句の暗黙の主辞が母節の主辞と一致していないがために、誤った用法であるとされる例として以下の一例が挙げられていた。

*Looking out of the window of our hotel room, there were lots of mountains. (これでは山々が窓から外を眺めているようだ)(PEU, 455)(下線と斜体は引用者)[7−34]
   《*ホテルの部屋の窓から見た山々の連なりがあった。》
   (記号「*」については[1−24], 第一章第5節参照)
   Fowlerは「前置詞、接続詞、あるいは副詞的句の構成要素[members of adverbial phrases]へと変化した分詞」(Fowler, The King's English, "PARTICIPLES"の項)の例として"Looking at it in a shortened perspective of time, those years of transition have the quality of a single consecutive occurrence. --H. G. WELLS. "(ibid)(下線は引用者)を挙げ、「見つめる[look]のは"years"ではなく"philosophic historians"である」(ibid)と説明している。

   その暗黙の主辞を母節内に見出せないという共通点を持つような分詞句"looking ......"が、PEUでは不適切な用法であると見なされる一方、Fowlerには「副詞的句の構成要素へと変化した分詞」と見なされている。

   その暗黙の主辞を母節内に見出せない分詞句"looking ......"の例を挙げてみる。

(7−10)
"At the time the whole stickball thing seemed like a grand prank, without political overtones," said Bryce Muir, a classmate. "Looking back, it was an inspired scheme with definite political implications."
〈「当時はスティックボールのようなことのすべてが規模の大きな悪ふざけのようなもので、政治的意味合いなどないような感じがした。」と同級生の一人ブライス・ミュアは語った。「今考えてみると、あれは明確な政治的意味合いを持つ、見事な企画だった。」〉
(注)a classmate : ジョージが在籍していたマサチューセッツ州アンドーヴァーにある名門寄宿制高校フィリップス・アカデミー[Phillips Academy in Andover, Mass.]の同窓生。
(注)共和党の大統領候補GEORGE W. BUSHの高校時代を取材した調査記事。
(Earning A's in People Skills at Andover By NICHOLAS D. KRISTOF, The New York Times ON THE WEB, June 10, 2000)

(7−11)
Looking beyond the second round, parliamentary elections in June present an opportunity to salvage more than national honour.
〈第二回投票の先を見据えた場合、六月に行われる議会選挙は単に国民の名誉を救うにとどまらない機会となる。〉
(注)the second round : 5月5日に行われる仏大統領選挙第二回投票。
(注)見出しにある"Le Pen"は" Jean-Marie Le Pen"。
(National dishonour--France must reject the politics of Le Pen, Guardian Unlimited, Tuesday April 23, 2002)[7−35]

   文頭に位置する分詞句"looking ......"については、「結びつきのない節[unattached clauses]の許容性は、個々の聞き手あるいは読み手が暗黙の主辞[implied subject]をどの程度容易に知覚できるかに応じて、おそらく様々である。」(CGEL, 15.59, Note[b]) という判断が当てはまるように思われる[7−36]。このような分詞句は「身を寄せるべき名詞という支柱を必要としなくなるという事態をもたらす変化」が完了しているわけではないために、時には副詞要素として、時には母節内にあるその暗黙の主辞に対する並置分詞句として機能することになる。CGELにも文頭に位置する分詞句"looking ......"を含む文例を見出せる。

(7−12)
Looking at it objectively, he is definitely at fault.
〈それを客観的に見ると、彼はまさしく間違っている。〉
(CGEL, 15.19)(下線は引用者)
   (7−12)は「観点従接詞[Viewpoint subjuncts]」の例として挙げられている[7−37]。「観点従接詞[Viewpoint subjuncts]は概ね、'if we consider what we are saying from an [adjective] point of view' あるいは 'if we consider what we are saying from the point of view of [noun phrase]'と言い換え可能である。」(CGEL, 8.89)と説明される。この説明に倣えば、"Looking at it objectively"は、概ね"if we consider what we are saying from an objective point of view"〈今述べていることを客観的観点から検討すれば〉(あるいは"if we look at it from an objective point of view")、とでも言い換え可能であるということになろう[7−38]

   "Looking at it objectively"の場合と同じように、その暗黙の主辞を母節内には見出せないが、文法的に許容される分詞句として"Roughly speaking"がある[7−39]

(7−13)
Roughly speaking, all men are liars.〈大雑把な言い方をすれば、人は皆嘘つきだ。〉
(Fowler, The King's English, "PARTICIPLES"の項)(下線は引用者)
   文例(7−12)と(7−13)の相違らしき点は、(7−12) 中の"Looking at it objectively"とは異なり、(7−13)中の"Roughly speaking"は、母節"all men are liars"に示されている判断の妥当性を支える役割を果たしているように見えることである。ただ、(7−12) 中の"Looking at it objectively"は"he is definitely at fault"という判断の妥当性を支えているようには見えないと述べるにせよ、より適切な言い方をすれば、"he is definitely at fault"に示されている諸観念の「融和可能性」についての判断は、この発話に関わる情報が十分に提示されていないがゆえに、保留せざるを得ないということになる(「融和不可能」、「判断〔命題〕」などについては第一章第5節及び[1−31]参照)。ここで、話者によって示されている判断の妥当性とは、その判断は妥当であると受け手が判断し得るということ、言い換えると、その判断を共有し得ると受け手が判断し得るということである。受け手が、「すべての人」と「嘘つき」という観念は「融和不可能」であると判断する場合、"all men are liars"に示されている判断に受け手は妥当性を見出しえないであろう。この判断に妥当性が確保されるには、つまり、この判断を受け手が共有し得るには、発話がいかなる条件の下で実現されているのかが分詞句"Roughly speaking"によって明確にされる必要がある[7−40]。例えば、イチローの現在の打率は3割7部5厘であるという現実の下での発話「イチローの現在の打率は4割である」に示されている判断に妥当性が確保されるには、この発話がいかなる条件のもとで実現されているのかが、「『分』の桁を四捨五入すれば」といった風に明示される必要があるのと同じである。結果的に、分詞句"Roughly speaking"は「直接的条件[DIRECT CONDITION]」を表わすif 節([7−38]参照)に匹敵する役割を果たしているように見える。しかしながら、これまで見てきたように、分詞句はそのような役割を果たしているように見えることが通例であるわけではない。例えば、以下に挙げる (7−14)中の文頭の分詞句にそのような役割を見出すことは難しい。

(7−14)
Speaking with reporters aboard Air Force Two while traveling from Washington to Rhode Island, Gore said both Democrats and Republicans needed to clean up campaign financing.
〈ワシントンからロードアイランドに向かう途次、エアー・フォース・ツーの機内で記者団と懇談したゴアは、民主、共和両陣営は選挙運動資金調達に関して不明瞭な点を無くすことが必要であると述べた。〉
(Crunch time for candidates as Super Tuesday looms, CNN.com, March 6, 2000, Web posted at: 5:40 a.m. EST (1040 GMT))

   (7−14)中の文頭の分詞句は、母節に示されている判断の妥当性を支える役割を果たしているわけではなく、その暗黙の主辞"Gore"に対する並置分詞句であり、"Gore"ついて語り得る(と話者によって判断されている)ことがらの一端を展開する役割を果たしている。

   とは言え、分詞句の中には、母節に示されている判断の妥当性を支える役割を果たしているように見えるものもある。以下の(7−15)は「文尾」に位置する《分詞構文》の文例として挙げられている(カンマを《分詞構文》の要件とは見なさないという姿勢、つまり、「主格補語」と《分詞構文》の区別を明白に記述することができないという姿勢を示すのは、『講座第五巻』の筆者ばかりではないのである(本章第1節及び[7−3]参照))。

(7−15)
My problems are insignificant compared with the difficulties he faces.
(彼が直面している難問に比べれば、私の問題はささいなことです)
(江川泰一郎『改訂三版 英文法解説』、236)(斜体と下線は引用者)[7−41]
   (7−15)中の"My problems are insignificant"に示されている判断が「私の抱えている問題はささいなものである」ということを含意しているわけではないのは、"Mary is older than Jane (is)." (CGEL, 15.64)が「メアリは老いている」ことを含意しているわけではないのと同様である。 「メアリもジェインも赤ちゃんであるかもしれない[both Mary and Jane may be babies.]」(ibid)のと同様、「彼の抱えている問題も私が抱えている問題も深刻なものであるかもしれない」のである。「重大性」あるいは「年齢」をめぐる比較が行われているのであり、「絶対的評価」が下されているわけではない。「比較基準」(ここでは「重大性」や「年齢」)に関するCGELの記述を援用すれば、「比較基準[standard of comparison]に含まれているのは、絶対的評価とは関わりのない尺度である」(ibid)。

   (7−15)から分詞句"compared with ......"を削除した場合、"My problems are insignificant."に示されている判断の妥当性は多分に揺らぐことになり、結果的に、分詞句"compared with ......"は、分詞句を除いた部分に示されている判断の妥当性を支える役割を果たしている。分詞句"compared with ......"の暗黙の主辞は"My problems"であると見なされたがゆえに(7−15)は《分詞構文》の例として挙げられているのであろうが、この分詞句の暗黙の主辞は"My problems"ではない。この分詞句には"My problems"について語り得ることがらが展開されているわけではないのである。(7−15)中の分詞句"compared with ......"は"My problems"に対する並置分詞句ではなく(7−15)における主辞補辞でもなく(もちろん《分詞構文》でもない)、もはや「身を寄せるべき名詞という支柱を必要とはしない」分詞句、副詞要素に転化している分詞句であると判断する他はない。"Mary is older than Jane (is)."の場合、"older than Jane (is)"全体が主辞補辞である(CGEL, 15.75参照)という判断に倣えば、(7−15)では"insignificant compared with ......"全体が主辞補辞であると判断し得る。"insignificant"単独では話者の意図が実現されず、これに"compared with …..."が伴って初めて話者の意図が実現されるという点で言えば、"compared with ......"は、名詞修飾における「制限的名詞修飾要素」の役割に似ている(第一章第3節参照)[7−42]

   次の(7−16)の場合も、分詞句"compared with …..."は、それ以外の部分に示されている判断の妥当性を支えている。

(7−16)
The integrity of markets is a mind-numbing abstraction compared with the plight of loyal workers who lost retirement savings while company officials cashed in $1.1 billion in stock.
〈市場の廉潔というのは、重役陣が株式を11億ドルの現金に換える一方で退職基金を失った忠実な社員たちの苦境と比較すると、わけの分からない抽象概念である。 〉
(注)company officials : エンロン社[The Enron Corporation]の経営陣。手持ちの自社株を売り抜けて大金を確保した。
(Editorial: Cleaning Up After the Debacle, The New York Times ON THE WEB, January 20, 2002)

   「市場の廉潔というのは、忠実な社員たちの苦境(の現実性/という具体的事実)と比較すると、抽象概念である」という話者の判断は、受け手にとって共有し得る類の判断ではあっても、"compared with …..."の欠けた「市場の廉潔というのは抽象概念である」という判断は、受け手の視点からは誇張へと傾きすぎていると感じられ、受け手にとって容易には共有し得ない類の判断である。"If they're Irish, I'm the Pope."(CGEL, 15.37)から"If they're Irish"が欠けた場合、"I'm the Pope."は受け手にとって共有し得ない判断であるのと同じである。

   "compared with/to ......"を"than ......"の代用と見なし得ることがある[7−43]

(7−17)
Kazuhiro Sasaki's first major league season showed the Seattle Mariners closer how much better American baseball is compared to the Japanese game.
〈佐々木主浩の大リーグ一年目のシーズンは、シアトル・マリナーズのこの抑え投手に、アメリカの野球が日本の野球と比べてどんなに素晴らしいかを教えることになった。〉
(Sasaki named AL rookie of the year By Gary Graves, USA TODAY, USA Today.com, 11/06/00- Updated 11:46 PM ET)

   (7−17)中の分詞句"compared to ......"は、たとえ欠けていても、この分詞句に概ね相当する内容を類推によって補うことができると受け手が感じるとしたら、この発話に関わる様々な非言語的脈絡が受け手に共有されているからであろうし、それ以上に、"better"が比較対象の存在することを示しているからである。ただしそのような場合に、"than Japanese baseball"というような補い方のできる受け手はこの発話の受け手のごく一部であろう。また、この"compared to ......"は"how much better American baseball is"に示されている判断の妥当性を支えてはいないと感じるどころか、"how much better American baseball is compared to ......"という判断そのものに妥当性を見出し得ず、従ってこうした判断を共有し難いと感じる受け手がいるとしても、驚くべきことではない。妥当性に関わる判断は、個々の世界認識の在り方に応じて、驚くべきほどの多様性を示すこともしばしばだからだ。「人は皆嘘つきだ」あるいは「市場の廉潔というのは抽象概念である」という発話に示されている判断を容易に共有し得ると言い立てる受け手がいても、驚くべきこととは私は思わないであろう。

   "compared with/to ......"はカンマを伴うことももちろんあるし、文頭に位置することもある。

(7−18)
Starbucks, the leader in the market, increased its net profits in the second fiscal quarter of 2001 by 38% to $32m, compared to the same period in 2000.
〈この市場の最大手企業であるスターバックス社は、2001年の第2会計四半期の純利益を2000年同期比で38%増の3200万ドルに増大させた。〉
(Cappuccino crisis From The Economist Global Agenda, Economist.com, May 17th 2001)

   (7−18)中の"compared to ......"のように、そこに示されている判断の妥当性を支える役割を果たす"compared to ......"もあるし、次の(7−19)中の"compared with ......"のように、削除されても、残る部分に示されている判断の妥当性は一向に揺るがないと見なし得る場合もある。

(7−19)
Compared with the nine students majoring in Arabic last year in colleges, his institute graduated 409.
九名の学生が昨年(アメリカの)大学でアラビア語を専攻したことと比べ、彼の学校は(アラビア語専攻の学生)四百九名を送り出した。〉
(注)his : 国防のための言語教育学校校長であるレイ・クリフォード[Ray Clifford, provost of the Defense Language Training Institute]。同校は国防・国務両省[The Defense and State Departments]によって運営されている。
(Washington Cites Shortage of Linguists for Key Security Jobs By DIANA JEAN SCHEMO, The New York Times ON THE WEB, April 16, 2001)

   分詞句の中には"compared with/to ......"のように、その役割も出現する位置も、カンマの有無という点ではその出現形も多様であり、副詞要素に転化していると見なせるような分詞句もあるということである。分詞句"compared with/to ......"の場合、「前置詞や副詞の特性を身に付け、もはや身を寄せるべき名詞という支柱を必要としなくなるという事態をもたらす変化」がほぼ完了していると見なすことができる。「ほぼ」という一言を加えて断定を保留せねばならないのは、比較の対象が提示されていることを見て取れば済む"compared with/to ......"に加えて、話者は暗黙の主辞を明白に意識していることを見て取れる――受け手の視点からは、その暗黙の主辞を明白に指摘し得る、即ち、身を寄せるべき名詞という支柱を明らかに必要とする――"compared with/to ......"にもまた出会うからである。

(7−20)
The August filing, when compared with other Disney reports during the past year, shows the Orlando attraction's slump started in the first three months of 2001 -- earlier than initially thought.
〈八月(に公表された第3四半期)の決算報告を過去一年間のディズニー社の他の報告書と比較して明らかになるのは、オーランドの観光地の不振は2001年の最初の三ヶ月(これは当初考えられていたより早い時期である)に始まっていたということである。〉
(注) Disney World社の場合、四月から六月までが会計年度上の第3四半期に当る。
(注) フロリダ州オーランドにあるディズニー・ワールドについての記事。
(Magic eludes Disney World By Robert Johnson, Sentinel Staff Writer, Orlando Sentinel.com, August 29, 2001)

   また、"based on ...."は、「前置詞や副詞の特性を身に付け、もはや身を寄せるべき名詞という支柱を必要としなくなるという事態をもたらす変化」が未だ進行中であると見なせるような分詞句の一つである。

(7−21)
I will say that I'd vote for Pujols over Ichiro if they played in the same league, based purely on the merits of Pujols' season, not to mention the fact that he's so young.
〈もしプジョールズとイチローが同一リーグでプレーしているのなら、私はプジョールズに(新人王の)一票を投じるだろうと言っておく。プジョールズが大変若いという事実は言うに及ばず、彼の今シーズンの成績だけを基にした判断である。 〉
(注)Pujols : セントルイス・カージナルズの新人アルバート・プジョールズ(21歳)[Albert Pujols]。この記事の時点の成績、打率3割3分1厘、30本塁打、98打点。
(注)筆者はUSATODAY紙の野球記者。
(Rating the rookies By Nate Davis, USATODAY.com, USA Today.com, 08/29/2001 - Updated 05:13 PM ET) ("based on ......."の文例については、更に、第五章第2節の文例(5−1)及び[5−3]参照)

(7−22)
"Now people are able to make choices of where to live based on their preferences."
〈「今は、各自の好みに基づいてどこで暮らすかを選択できます。」〉
(注)人口統計学者マーサ・ファーンズワース・リッチー(国勢調査局前局長)[demographer Martha Farnsworth Riche, former Census Bureau director]の発言。
(The cost of moving up By Haya El Nasser and Paul Overberg, USA TODAY, USA Today.com, 08/06/2001 - Updated 03:07 AM ET)

   (7−21)中の"based purely on ......"については、その暗黙の主辞を母節全体"I'd vote for Pujols over Ichiro if they played in the same league"に見出すことも可能であるかもしれないが、(7−22)中のカンマを伴わない"based on ......"は、副詞要素に転化した分詞句と見なすのが妥当であろう[7−44]

   以上、「文法家の規則よりは、本物で容認できる語法の実例をとれ」[7−45]という忠告に従ってみた。

  

(第七章 第4節 了)


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© Nojima Akira