第七章 開かれた世界から
第6節 何が曖昧なのか

その一 「簡潔さ」と「曖昧さ」

   カンマを伴う分詞句(《分詞構文》もこれに含まれる)は、日常的音声発話において使用されることが少なく[7−56]、文字表現においては多用されている。こうした事情を背景に、《分詞構文》はなぜ文字表現の場合には多用される傾向があるのか、時には話者の視点から、時には受け手の視点から推測が行われている。以下はいずれの視点からの記述であるのか明白ではないが、受け手の視点の様相が色濃い。

非定動詞節[nonfinite clauses]は時制標識[tense markers]と法助動詞[modal auxiliaries]を欠き、主辞と従位接続詞を欠いていることもしばしばであるため、統語的圧縮[syntactic compression]の手段として貴重である。一部の種類の非定動詞節は文字表記の散文[written prose]では特に好まれているが、そこでは書き手[writer]には簡潔さを求めて推敲する余裕があるのである。我々[We]は文脈[sentential context]から時制、相[aspect]、また法[mood]と結びついている意味を復元する[recover]。
(CGEL, 14.8 nonfinite clause[非定動詞節]) (下線は引用者)
(「一部の種類の非定動詞節」には《分詞構文》が含まれると考えていい。「非定動詞節」については[1−1]参照)
   この記述に窺い取れる考え方は、「書き手」は簡潔さを求めて推敲し、その結果として、従位接続詞、主辞、時制標識、法助動詞などの省略とも時には見なし得るような「統語的圧縮」[7−57]が生じ、受け手の側は一連の「解凍」作業を行う(「文脈」をもとにして、論理的関係の標識たり得る従位接続詞を含め「時制、相、法と結びついている意味を復元する」)といったものである。こうした考え方は、《分詞構文》にまつわる「曖昧さ」第二章第2節【付言】及び[2−6], [2−7]参照)及び「曖昧さ」の解消、即ち、解読第二章第2節【付言】、第六章第5節、及び[2−8], [2−9]参照)への言及を含んだ次のような記述につながる。
副詞的分詞節[adverbial participle clauses]と副詞的無動詞節[adverbial verbless clauses]が従位詞によって導かれていない場合、推測可能な意味上の関係[semantic relationship]についてはかなり曖昧である[indeterminacy]ことがある。不定詞節は、数多くの意味上の関係を示すにもかかわらず、こうした点では特別の問題を全くもたらさない。それらの曖昧さ[indeterminacy]ということでは、副詞的分詞節と副詞的無動詞節は、非制限的関係詞節及び等位接続詞andの接続的機能が表す多様な関係に類似している。そうした関係はすべて、脈絡[context]に応じて、より正確な働き[role]を推測することが可能である。(CGEL, 15.60)(下線は引用者)
   「意味上の関係[semantic relationship]」は「論理的関係」と記述されることもあり、こうした「関係」は続く箇所で「明白である」と述べられている。
従位詞を欠いた副詞的分詞節と副詞的無動詞節は補足節[supplementive clauses]である。非制限的関係詞節及びandによる等位関係にある節に似て、これらの節は特定の論理的関係[specific logical relationships]を表示していない。しかし、そうした諸関係は一般的には、脈絡[context]によって明白である。(ibid) (下線は引用者)
(「補足節」については[1−4], [3−3], 本章第1節参照)
   これらも受け手の視点に重きを置いた記述である[7−58]。それでは、関心の大部分が論理的関係の解読に向いている受け手の視点ではなく、その主たる関心の在り処が「副詞的分詞節と副詞的無動詞節」を発話することにある話者の視点からはどのような記述が生まれるのか。話者の視点からの記述([6−3]参照)は豊富であるとは言えず、その上、必ずしも明示的ではなく、そこに「圧縮」や「解凍」への具体的言及を特に見出すこともできない。

   「副詞的分詞節と副詞的無動詞節」(ここでは「カンマを伴う分詞句」及び「カンマを伴う形容詞句」を念頭におく。ただし、CGELの「副詞的分詞節・無動詞節」は「カンマを伴う分詞句・形容詞句」と等価ではない。本章第1節参照)が「非制限的関係詞節が表す多様な関係[2−12], [3−2]及び第六章第5節参照)に類似している」場合について、話者の視点からの其れとはなしの言及は例えば次のようなものとなる(上述のように、明示的であるとは言い難く、「陰画的」とでも評すべき記述である)。

例えば、`Give it to the man who is wearing the bowler hat'と言う代わりに、`Give it to the man wearing the bowler hat'と言える。同様にして、`The bride, who was smiling happily, chatted to the guests.'と言う代わりに、`The bride, smiling happily, chatted to the guests.'と言える。
(Collins COBUILD on CD-ROM, 8.88 non-finite clauses)(下線は引用者)([2−16]参照)
   更に、「副詞的分詞節」が「等位接続詞andの接続的機能が表す多様な関係に類似している」場合について、話者の視点からの其れとはなしの言及は例えば次のようなものとなる。
(6―21)
He holds the rope with one hand and stretches out the other to the boy in the water.
= Holding the rope with one hand, he stretches etc. 〈彼は片手で綱をつかみ、もう一方の手を水中の少年に差し伸べる。〉
(PEG, 276)(下線は引用者)

(6―22)
She raised the trapdoor and pointed to a flight of steps.
= Raising the trapdoor she pointed to a flight of steps.〈彼女は上げ蓋を引き上げ、下へと続く階段を指差した。〉
(PEG, 276)(下線は引用者。分詞句の直後にカンマがないのは原文通り)
(この二文例については第六章第5節、及び[7−49]参照)

文字表現[writing]の場合、受動的意味をもった非定動詞節を導くために過去分詞を用いることがある。 例えば、`She was saddened by their betrayal and resigned'と書く代わりに、`Saddened by their betrayal, she resigned'と書くことも可能である。主節は、過去分詞節の中で言及されている事態の結果を述べていることもあり、そのような事態の後に生じた関連する出来事を述べているに過ぎないこともある。
(Collins COBUILD on CD-ROM, "Past participles")(下線は引用者)

Having + -ed, Having Been + -ed
300.これらの構造は、時には使いにくくみえることがある。しかし、次の対が示すように、必ずしもそうではない。
   [41](a) I have travelled round the world and have made many friends.(私は世界を周遊し、多くの友達を作った)
          (b) Having travelled round the world, I have made ......
   [42](a) You have been invited to the reception formally and you ought to send a formal reply.(あなたは歓迎会に正式に招待されています。そこで正式の返事を送るべきです)
          (b) Having been invited to the reception formally, you ought .......
          (R.A.クロース、齊藤俊雄訳『クロース 現代英語文法』、300)(下線は引用者)

   CGELの挙げている事例に加え、「副詞的分詞節と副詞的無動詞節」(「カンマを伴う分詞句」と「カンマを伴う形容詞句」を念頭におく)が「独立文が表す多様な関係[7−59]に類似している」場合を挙げることもできる。この場合について、話者の視点からの其とはなしの言及は例えば次のようなものとなる。
文字表現[writing]においては、一つあるいはそれ以上の形容詞を含む句を文に付加することができる。これは一文の中で二つの陳述を述べるもう一つの方法である。
例えば、`We were tired and hungry. We reached the farm'と書く代わりに、`Tired and hungry, we reached the farm'と書くことも可能である。
(Collins COBUILD on CD-ROM, 8.135) (下線は引用者)
([6−3]参照。「二つの陳述」については[6−34]参照)
   目の前の「副詞的分詞節」(「カンマを伴う分詞句」を念頭におく)に「解消されるべき曖昧さ」を見出そうとする受け手の視点からの記述の場合とは異なり、「副詞的分詞節」の発話の過程をごく簡略に述べているだけの話者の視点からの上記のごとき記述は、曖昧さ(付随的に、解読の必要性)は《分詞構文》の特性であるわけではないし、《分詞構文》が特に曖昧であるわけでもなく、受け手による注意深い解読が必要になるほどの曖昧さを話者はそこに残してはいないらしいことを教えてくれる。《分詞構文》は「非制限的関係詞節」――"The bride, who was smiling happily, chatted to the guests."中の", who was smiling happily,"に潜む論理的関係を「幸せな笑みを浮かべながら」と解読することも可能である――と同じ程度に、また、「等位構造を構成する"and"」――"She was saddened by their betrayal and resigned."中の"and"に潜む論理的関係を「(〜)なので」と解読することも可能である――と同じ程度に、更には、「独立文」――"We were tired and hungry." に潜む論理的関係を「疲れて空腹な状態で」と解読することも可能である――と同じ程度に「曖昧である」と言ってもいいし、それらが「明白である」のと同じ程度に「明白である」と言ってもいい。敢えて試みれば解読の成果として明るみに出し得るような論理的関係が潜んでいるのは《分詞構文》の場合だけではないのである(第六章第5節「解読という誘惑」参照)。《分詞構文》の曖昧さは、せいぜい"Out of sight, out of mind."あるいは"No justice, no peace."といった簡潔な表現の二つの部分間の関係に体験できる程度の日常的な曖昧さであり、身構えて解読に臨むには及ばない程度の曖昧さであるとも言える[7−60]。それにもかかわらず日本の学校英文法が《分詞構文》に過剰な曖昧さを結びつけようとしているかに見えるのは、《分詞構文》という了解の中心がおそらく副詞要素を先験的に見出すことにあるからである[7−61]

  

(第七章 第6節 その一 了)


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© Nojima Akira