Traditional Japanese Fly Tenkara 3
amago mark
これらの毛鉤は、各地へ釣行した際に入手したり、または
複製、再現したその土地土地の特徴のあるテンカラ毛鉤です。


Okushinano Uonogawa upper area Okushinano Akiyamago area Okushinano Zakogawa area Joshu Tsumagoi area Higashishinano Yodagawa area Higashishinano Ueda area Nishijoshu Okutano area Mutsu Morioka area Mutsu Morioka area Zaou Togatta area Asahi mountain range Arakawa area Oze area Nikko area Maenikko Ashio area Okushinano Akiyamago area Joshu Tsumagoi area Higashishinano Ueda area Nishijoshu Okutano area Koshu Kuromori area Okutama Taba area
Image Map of Tenkara Kebari 3


Morioka-kebari for Tenkara 1 Morioka-kebari for Tenkara 2 Morioka-kebari for Tenkara 3 Morioka-kebari for Tenkara 4-1 Morioka-kebari for Tenkara 4-2
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Mutsu Morioka area
これらは石澤弘氏によって伝統的な技術で巻かれた現代のテンカラ用の盛岡毛鉤です。 従来の伝統的な盛岡毛鉤にはなかった羽(ウイング)がつけられているのが特徴です。 鉤は6-7号のマス鉤が使われ、モノフィラメントラインの環(アイ)がつけられています。 石澤弘氏は「海の庄内竿 (山形)、川の盛岡竿」と呼ばれる東北が生んだ二大伝統竿の一つである盛岡竿や盛岡毛鉤の継承者であり、それらの継承に努力されていますが、伝統に新たな工夫や改良を加えることにも積極的な方と思えます。


Togatta-kebari Skin of stalk Togatta-kebari In the middle of tying Togatta-kebari Upside Togatta-kebari side Togatta-kebari side
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Zaou Togatta area
南蔵王温泉郷のマタギが伝えた「遠刈田毛針」。 キジや山鳥の尾羽をむしり取った時についてくるストークの皮を翅として使い、12号のセイゴ鉤に山吹色の絹糸で3重に連ねてとめてあります。 フライフィシングのフラッタリング カディスの釣りに似た釣り方をするとのことです。 遠刈田のクロカワ虫(ニッポンヒゲナガカワトビケラ)の多い澄川という環境と職漁師の知恵が生んだ他に類を見ない毛鉤です。 今ではこの毛鉤を作れる人も少なくなったと言われています。 写真は「風雲西洋毛鉤釣師帳」の詳細な紹介を参考にして私が巻いたものです。

参考資料: 風雲西洋毛鉤釣師帳 (参照 2006-9-27). 佳生のいつかきた道ぶらり日記 豊かな蔵王の山々の恵みにふれる旅. 宮城テレビ放送 (参照 2006-9-27).


Arakawa Kebari with a shot sinker Arakawa Kebari
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Asahi mountain range Arakawa area
朝日連峰は山形と新潟の県境にある雄大な山容や急峻な渓谷を擁する山岳地帯です。 荒川はその主峰である大朝日岳 (1,870m) を源流とし、南西に流れて小国盆地で流れを西に変え、いくつもの支流を合わせ新潟県の胎内市で日本海に注ぎます。 1960年代半ばまで、樋倉の佐藤兼次氏、徳網の斉藤運吉氏が職漁に従事していましたが、佐藤氏の毛鉤釣りは祖父の代から伝承された釣法でした。 鉤はキツネ型12号とのことですがあまりにも大きいので秋田キツネの12号ではないかと思われます。胴は雄ヤマドリの尾羽の羽弁をクジャクと絹糸で巻き、尾羽の羽弁をまとめて翅状に結わえられています。 毛鉤の腰に散弾錘を噛みつけたものと無いものがあり、ミャク釣のように沈めて中、底層を、一方では表層を釣る毛鉤として使い分けられました。 竿は3.6m、仕掛は馬素3m、ハリスは1.5 - 2号を1.5m。 奥三面の小池善一氏の毛鉤と近似し、両者の間に何らかの脈絡をうかがわせるとあります。 地形的、地理的にも納得ができる考察であると思えます。 毛鉤は私が再現したものです。

参考資料: 鈴野藤夫 (1993).『山漁: 渓流魚と人の自然誌』農山漁村文化協会.


Oze Kebari 1 Oze Kebari 2 Oze Kebari 3 Oze Kebari 4 Oze Kebari 4
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Oze area
尾瀬の平野與作氏の毛鉤。 尾瀬は福島県、新潟県、群馬県の三県に跨る盆地状の高原で、阿賀野川水系最大の支流只見川の源流域となっています。 平野與作氏は尾瀬ヶ原の義父の建てた山小屋「燧小屋」で泊り客に出すためにイワナ釣りを行いました。 やがて尾瀬は特別天然記念物に指定され、彼らにはそこでの釣りは許されていましたが、結局遠慮せざるをえなっかたようです。 鉤はキツネ型で、みの毛は白っぽいニワトリの尾毛でグリズリーも使われました。 胴は絹糸でクジャクが巻かれることもあり、アイはつけられていません。 竿は4.5m、ハリスは約30cm。 毛鉤は私が複製したものです。

参考資料: 志村俊司編 (1990).『イワナⅢ: 続源流の職漁者』鬼窪善一郎・平野與作述, 白日社.


Tenkara Nikko 1 Tenkara Nikko 1 Tenkara Nikko 2 Tenkara Nikko 3
Tenkara Nikko 4 Tenkara Nikko 5 Tenkara Nikko 6
Tenkara Nikko 8 Tenkara Nikko 8
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Nikko area
日光鉤(ゴロ蝶鉤)は湯川付近に多いヒゲナガカワトビケラに似せた大きめの鉤です。 明治中期から昭和初期、湯川や丸沼付近で鱒釣りを楽しんだ駐日外交官や東京アングリング倶楽部の紳士たちの誰かが湯川で実績のあるこの鉤 を英国のハーディ社に特別オーダーしたけれど日本のキジが入手できず他の似た鳥の羽を使ったため思わしい釣果が得られなかったそうです。 今でもハーディ社にはこの鉤の記録が残っているとのことです。 みの毛はメスのキジの胸毛、胴はゼンマイの綿毛を使って巻かれています。 目黒廣記氏の「鱒釣り」には、日光毛鉤の1号から8号まで図示されていますが、 図が不鮮明で確かなことは不明です。 特に7号はウイングのあるタイプに見えますが2号との相違点が判りません。

ストックしていた昔の釣り雑誌「Angling」通刊15号 (1986)を見ていたら、多田一也氏の「文献からのゴロ蝶探索」という記事に「ゴロ蝶とは毛翅目のゴマフトビケラらしいとあった。」とあります。 氏が参照された文献を調べると「山峡の釣」(1941)の「虹鱒の自殺」澤冷花氏著に確かに「ゴマフトビケラ」の文字があります。 今まで、ゴロ蝶はヒゲナガカワトビケラと信じてきたけれど、ゴマフトビケラという名称もでてきたことから、それは特定の種を指す呼称で無く、飛翔すると白っぽく見える大型のトビケラ全般の呼称と考えた方が良さそうに思えてきました。

参考資料: 西園寺公一 (1974).『釣り六十年』二見書房. 澤冷花 (1941). 「虹鱒の自殺」 ,『山峡の釣』春陽堂書店. 多田一也 (1986). 「文献からのゴロ蝶探索」 ,『Angling』通刊15号, 廣済堂出版. 目黒廣記 (1979).『鱒釣り 附いわな、やまめ』(名著復刻「日本の釣」集成) アテネ書房. 「日本のフライ・パターン 元祖・ごろ蝶毛針からの発展」 ,『入門日本のフライフィッシング 別冊フィッシング』1981年第22号, 産報出版.


Kingoma 1 Gingoma Gingoma 2 Nikko 9

Nikko area
日光鉤は、ゴロ蝶鉤のほかチャボの頸羽(軍鶏の頸毛と書かれた文献もある。)をみの毛に巻き、胴にカワネズミの毛を撚りつけた金胡麻、銀胡麻と呼ばれる毛鉤があります。 みの毛に使われるチャボ(矮鶏)は1941年に天然記念物に指定され、胴に使われるカワネズミ(九州地方では環境省レッドリストに指定されている。)も捕る人が減ったことなどで、今ではいづれも入手が困難な材料になっています。 左二本の毛鉤は、胴をカワネズミの毛で、みの毛をゴールデン バジャーとシルバー バジャーで、左から三本目の毛鉤は、胴をカワネズミの毛とゼンマイの綿毛を混ぜて、みの毛をグリズリーで代用して巻いたものです。 カワネズミの毛で巻かれた毛鉤は美しくなめらかな毛の間に取り込まれた気泡が光を反射するため水中では銀色に輝いて見え、渓魚はもとより釣人にとっても魅力的です。 また目黒廣記氏の「鱒釣り」には「ゴロ蝶鉤の外、家鶏の心赤先黒の襟毛で巻いた毛鉤で、チョンチョンと水面を叩く、・・・」との行があり、右の毛鉤はそれを再現したものです。

参考資料: 西園寺公一 (1974).『釣り六十年』二見書房. 目黒廣記 (1979).『鱒釣り 附いわな、やまめ』(名著復刻「日本の釣」集成) アテネ書房. 日光鱒釣研究所 (参照 2010-7-22).


Ashio Kebari 1 Ashio Kebari 2
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Maenikko Ashio area
足尾は栃木県の最西端、群馬県との境、千から3千メートル級の山々に囲まれた渡良瀬川上流部に位置します。 足尾と言えば銅山の鉱毒事件が思い浮かぶけれど、足尾に限るとその影響を受けたのは備前楯山麓の渡良瀬川と庚申川(銀山平下流)で、源流の松木川は煙害と大火による前日光連峰の崩落で荒廃したとのことです。 急傾斜の山岳地帯は畑作が中心で牛馬を必要としないところから、馬素を用いない毛鉤釣りが足尾町掛水の八木沢柏一氏によって考案されました。 鉤は袖型の11号、みの毛は名古屋コーチンの頸羽、胴はクジャクまたはゼンマイの2種類で巻かれています。 馬素を用いないので毛鉤自体に重みをつけるため、下巻きから仕上げまで銅線が使われているのが特徴です。 竿は3m、仕掛は全長4.2mで、道糸からハリスまで通しの2号が使われました。 毛鉤は私が再現したものです。

参考資料: 鈴野藤夫 (1993).『山漁: 渓流魚と人の自然誌』農山漁村文化協会.


Uonogawa-kebari Uonogawa-kebari Diagonal side Uonogawa-kebari Upside
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Okushinano Uonogawa upper area
かつて群馬県六合村(現在の吾妻郡中之条町)から一ツ石(1825m)を越えて魚野川上流部でイワナを釣り、草津温泉へ届けた職漁師は数多い。 明治から大正にかけて活躍した父の大塚栄作氏や山崎角蔵氏から毛鉤作りや釣り方を習った当地で最後の職漁師と言われた大塚正美氏の毛鉤。 鉤は環付10号(昭和40年代(1965s)、ハリス付きの鉤から変更)、胴はクジャクの尾羽、みの毛はカケスの雨覆、水平に取りつけられたカケスの雨覆のウイングを持っています。 フライフィッシングでいうスペントパターンの珍しい毛鉤です。 カケスの羽の利用は角蔵氏の直伝で、晴天時の日中に使われました。 夕方にはチャボやニワトリのみの毛にクジャクの胴の毛鉤が使われました。 仕掛は3mの竿に馬素と1号のハリスが使われました。 毛鉤は私が複製したものです。

参考資料: 戸門秀雄 (2005).「奥志賀職漁師伝」,『FRONT』17, リバーフロント整備センター. 戸門秀雄 (2013).『職漁師伝』農山漁村文化協会.


Akiyamago Shigeo Yamada's Kebari 1 Akiyamago Shigeo Yamada's Kebari 3 Akiyamago Shigeo Yamada's Kebari 2
Tenkara Akiyamago 1 Tenkara Akiyamago 2 Tenkara Akiyamago 6
Tenkara Akiyamago 3 Tenkara Akiyamago 3
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Okushinano Akiyamago area
長野と新潟の県境にあり平家の谷と言われる秘境、秋山郷の伝承毛鉤。 非常にシンプルな毛鉤で、黒と黄色の2本の絹糸とチャボの羽とキツネ8-10号の鉤のみで出来ていて接着剤も使われません。 環(アイ)は2本よりの黄色の絹糸に穴を確保するための紙縒りを挟み込んで取り付けます。胴は軸に巻いたみの毛を半分ほどハサミで刈り込んで作ります。 秋山郷最後の職漁師、毛鉤釣り名人の山田重雄氏の毛鉤で、胴はすべて黒、みの毛は黒、白系統、芯黒の茶の3種類を流れの状況により使い分けたそうです。 竿は3mのグラス、仕掛は6本、4本、2本よりの2mの馬素、1mの2号ナイロン糸、1.5mの1号ナイロン糸。 馬素は重みで毛鉤が手前に引っ張られないようにするために短めです。 短めの馬素を使うのは雑魚川の高森氏の仕掛けと基本的に同じです。 下段の左二本は、秋山郷の伝承毛鉤釣りに拘り続けておられる林謙三氏の毛鉤。 右の二本は「風雲西洋毛鉤釣師帳」で紹介されている民宿「雄山荘」のご主人(山田重雄氏のご子息)と地元の元釣具店のご店主によってアレンジされた毛鉤。 下段の鉤は丸せいご7-9号が使われています。毛鉤はすべて私が複製したものです。

参考資料: 上杉大地 (2001).「林謙三の『秋山毛バリ』」,『テンカラ倶楽部』2, 廣済堂出版. 「秋山郷の重男が語る毛バリのはなし」 ,『フィッシング』1978年9月号, 産報出版. 風雲西洋毛鉤釣師帳 (参照 2008-9-27).


Zakogawa Kebari 1 Zakogawa Kebari 2 Zakogawa Kebari 3 Zakogawa Kebari 4 Zakogawa Kebari 4
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Okushinano Zakogawa area
奥信濃の雑魚川は秋山郷最奥の切明で魚野川と合流するまでの流れで、昭和40年代前半(1970-1973)まで木島平村中村の高森貞治郎氏と山ノ内町夜間瀬の木崎宇平氏が釣漁に従事し、清水平の清水小屋を起点にし下流部と上流部および支流の満水川と互いに漁域を分け合っていました。 また、昭和10年代後半(1940-1944)、山田重男氏は高森氏に職漁を勧められ、高森氏が雑魚川、山田氏が魚野川を主に釣ったとのことです。 (「フィッシング 9月号」には高森伝次氏とあるが、漁場の関係から推測すると高森貞治郎氏のことかと思われます。) 右の二つの毛鉤は高森氏のもので、みの毛は地鶏(赤笹種)の頸羽を粗く、胴は各色の木綿糸のみで全体に繊細に仕上げられています。 仕掛は3.6mの竿、竿より短めの2mの6本よりの馬素が使われ、中糸の3号 2号 1号をそれぞれ40cm、0.6号のハリスを20cm。 渕ではハリスを1mにし、板錘を毛鉤から20cmほどの位置につけて沈めて釣ったとのことです。 鉤は昭和10年代(1935-1944)まで秋田袖11-12号が使われ、最終はかなり小型の秋田キツネ7-8号が使われたようです。 鈴野氏は二人が連日漁場を往来したためイワナに「スレ」の現象が生じたからであろうと推測されています。 左の二つは昭和8年(1933)から昭和30年(1955)まで職漁師であった山本勇三氏の毛鉤で、秋田袖11-12号が使われています。 毛鉤は私が複製、再現したものです。

参考資料: 小林和則 (2015). 「長野県 / 信濃川水系魚野川支流・雑魚川 黄金イワナに逢うテンカラの旅」 ,『つり人』2015年3月号, つり人社. 鈴野藤夫 (1993).『山漁: 渓流魚と人の自然誌』農山漁村文化協会. 戸門秀雄 (1990).『渓語り 山語り: 山人たちの生活誌』山と渓谷社. 山本素石編 (1989).『てんから Fishing: 毛鉤つりのすべて』池田書店. 「秋山郷の重男が語る毛バリのはなし」 ,『フィッシング』1978年9月号, 産報出版.


Tsumagoi-kebari 1 Tsumagoi-kebari 2 Tsumagoi-kebari 3 Tsumagoi-kebari 4 Tsumagoi-kebari 4
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Joshu Tsumagoi area
嬬恋の吾妻川を漁場にした職漁師の毛鉤。 左の二つは父深井久吉氏と親子二代の職漁師であった深井清三郎氏の毛鉤。 どちらも川虫による釣りを得意とされましたが、盛期には毛鉤による釣りもされました。 鉤は袖型(後半はキツネ型)8号、胴はクジャクの尾羽または黄色の刺繍糸に銀色のワイヤー(金ダワシ)を粗巻、みの毛は名古屋コーチンの尾羽が使われ、同線を巻いて留められました。 この毛鉤は今でも当地の渓で使われているとのことです。 仕掛は藪に覆われた流れが多いため短めで、竿は3.6-4.5m(2-2.5間)、道糸は1号の通し1.9-2.7m(1尋強)が使われました。 このエリアは草津温泉や川原湯温泉など渓魚の大きな消費地を持ち、数多くの職漁師が活躍しました。 右の二つは倉田忠儀氏の毛鉤。 鉤はキツネ型7号、胴はキジやクジャクの尾羽と一緒に銅線が巻かれています。 毛鉤はすべて私が複製したものです。

参考資料: 戸門秀雄 (2013).『職漁師伝』農山漁村文化協会.


Yodagawa Kebari Yodagawa Kebari
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Higashishinano Yodagawa area
依田川周辺で使われていた毛鉤。 依田川は中山道の和田峠を源にし、和田川、男女倉川、大門川を合わせ上田市で千曲川に合流する大きな流れです。 鉤は平打の角セイゴ、胴は黒のナイロン糸だけで巻かれたものとクジャクの二種類、みの毛はチャボ、ニワトリ、キジ、ヤマドリなどが使われました。 毛鉤は私が複製、再現したものです。

参考資料: 山本素石編 (1989).『てんから Fishing: 毛鉤つりのすべて』池田書店.


Kenbane-kebari 1 Kenbane-kebari 2 Kenbane-kebari 3
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Higashishinano Ueda area (Kenbane Kebari)
「開高健全対話集成3・釣編 釣り人語らず」の中の井伏鱒二氏との対談「浮世問答 釣り談義」は、次のような開口健氏の話で始まっています。 「開口 毛鉤の話から始めますけども、ヤマメを釣るのに朝鮮の高麗キジの剣羽根、一羽で左右二枚しかとれないんですが、その剣羽根をヤマメの毛鉤に使うと、原爆的に釣れるというんですね。 それで釣道具屋が高麗キジの剣羽根を輸入し始めますと、心ある釣師はこのままでは日本のヤマメは絶滅するといって嘆いたといいます。(以下略)」。
剣羽根は希少な毛鉤材料であることから、そのような物語が生まれたものと思われます。 また、キジの剣羽根の毛鉤はテンカラ毛鉤の代表的なパターンとしてよく知られています。 「渓流釣り VOL.5」にある桑原玄辰氏提供のテンカラの伝承毛バリには「比較的近年のもので静岡・愛知に見られる。」とありますが、 いつの頃からどこで使われてきたのか完全には分かりません。 写真上段は東信濃の上田で100年以上の伝統を持つ真田毛針によって作られたテンカラの毛鉤です。 西洋式のサイズでおよそ#10のフックに巻かれています。

参考資料: 開口健 (1982).『釣り人語らず』(開高健全対話集成3・釣編) 潮出版社. 桑原玄辰提供 (1989).「テンカラの伝承毛バリ」,『渓流釣り』5, 朔風社.


Okutano-kebari
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Nishijoshu Okutano (Uenomura) area
三国山の北麓を源に群馬県の南西部の山里を流れる神流川。 江戸の中期(1700s)、鷹の幼鳥を幕府に献納するための鷹の巣守りをしていたと伝えられている彦平氏から四代にわたり浜平温泉の奥多野館を営んできた高橋真一氏の毛鉤。 鉤は環付の7号、鉤軸には下巻きをせず一枚のヤマドリまたはチャボの羽で胴とみの毛を巻き、黒の絹糸でチモトを止められています。 胴のはみ出した毛先はカットされず残されています。 父藤十郎氏のころから、鉤は袖型8号、胴はクジャクまたはヤマドリ、みの毛はチャボの羽の毛鉤が使われてきましたが、後に上記の毛鉤になったようです。 仕掛は3mの竿に馬素と本天蚕糸(後にナイロン0.6-0.8号)のハリスが使われました。 毛鉤は私が複製したものです。

参考資料: 戸門秀雄 (2013).『職漁師伝』農山漁村文化協会.


Kuromori-kebari 1 Kuromori-kebari 3 Kuromori-kebari 2 Kuromori-kebari 4
Kuromori-kebari 8 Kuromori-kebari 7 Kuromori-kebari 6
Kuromori-kebari 5 Kuromori-kebari 5
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Koshu Kuromori area
甲州黒森毛バリは、古くから山梨と長野を結ぶ交通の要衝、武田信玄縁の地で伝承されてきました。 「テンカラ倶楽部vol.3 嗚呼!甲州黒森毛バリ」によれば、その伝承者、藤原五郎名人いわく、竿は前後でなく上下させるキャスティングで、乾燥して真直ぐな長さ2間以上の唐松の枝を使ったそうです。 上段は伝承毛バリ釣りの中心的人物であった登川昌訓名人が巻かれた貴重な毛バリを奥様から頂いたものです。 塩川では黒毛バリ、釜無川では白毛バリ、夕方には茶毛と使分けられていたそうです。 黒森毛バリの特徴は伊勢尼など重くふところの広い鉤に巻かれ、胴が太めで他ではあまり使われない色が使われています。 今では、黒森毛バリの釣りを伝承する方はほとんどおられないとのことでした。 本当に残念に思います。 下段は名人が初心者用として考案されたトリプルフックの毛バリのカラーバリエーションで、さらに参考資料に掲載されている青と黄の胴の市販の毛バリを私が複製したものです。

参考資料: 若林茂 (2002).「嗚呼!甲州黒森毛バリ」,『テンカラ倶楽部』3, 廣済堂出版.


Okutama-kebari 1 Okutama-kebari 2
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Okutama Taba area
奥多摩は東京の奥庭、奥座敷と呼ばれ訪れる人も多く、職漁師や名手も数多く生れました。 丹波では古くから毛鉤釣りのことは「羽根釣り」と呼ばれていたそうです。 左はその伝統を受け継いだ守岡只氏の毛鉤。 鉤は袖型のヒネリ、胴はクジャクの尾羽、みの毛はチャボまたはニワトリが使われ、胴巻きの端に山繭の繊維が巻きつけられています。 古くから引き継がれた丹波の独特な伝統は伸縮自在のハリスで、傷んだチモトを胴巻き端の二つの結びコブを下に引き新たにできるようになっているところです。 左から二番目は丹波の毛鉤を知って取り入れ小菅川で使われた酒井嵓氏の毛鉤。 毛鉤はすべて私が複製したものです。

参考資料: 戸門秀雄 (2013).『職漁師伝』農山漁村文化協会.


Traditional Tenkara Kebari Pictures
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Asahi mountain range Arakawa area Oze area Nikko area

これらの伝承毛鉤は、インクと透明水彩絵の具によって描いた一点しかない原画です。 伝承毛鉤もしくはこれらの絵に興味をお持ちでしたら、ぜひ STUDIO TROUT & SEASONS をご覧ください。


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© 1997 Yoshikazu Fujioka