Traditional Japanese Fly Tenkara 1
amago mark
これらの毛鉤は、各地へ釣行した際に入手したり、または
複製、再現したその土地土地の特徴のあるテンカラ毛鉤です。


Kurobe headstream area Nakashinano Norikura area Nakashinano Matsumoto area Nakashinano Shiojiri area Kaga area Hida Takayama area Hida Shokawa area Hida Shokawa area Hida Shokawa area Hakusan Shiramine area Okumino Itoshiro area Mino Gujyo area Kurobe headstream area Nakashinano Norikura area Nakashinano Matsumoto area / Shiojiri area Minamishinano Iida area Kaga area Hida Takayama area Hida Shokawa area Hakusan Shiramine area Okumino Itoshiro area Mino Gujyo area Urakiso Kashimo area Okumikawa area
Image Map of Tenkara Kebari 1


kurobe 1 kurobe 2 kurobe 3 kurobe 4 kurobe 4
Buck to Top

Kurobe headstream area
富山県と長野県の境、3千メートル級の山々が連なる北アルプス、黒部源流の職漁師の毛鉤。 左三点は遠山林平氏と職漁を行い、黒部五郎小屋、三俣山荘の小屋番となり、40年間黒部源流のイワナを釣り続けた鬼窪善一郎氏の毛鉤。 鉤は海津14号で、みの毛はチャボの毛、早期には黒、盛期は茶、秋には白黒が使われました。 胴は黒の絹糸の3回巻き、夏の一時期にクジャクが巻かれました。 環(アイ)は三味線糸が使われています。 竿は3-3.6m、仕掛は馬素で、それが入手困難になってからは竿より50cm短くしたナイロンテグスの3号が使われました。 右は同時代の職漁師遠山品右衛門の三男富士弥氏と共に漁を行い、黒四ダムの工事により釣場を失うまで約10年間黒部でイワナを釣り続けた最後の職漁師曽根原文平氏のしっぽ(テール)のある毛鉤。 みの毛はチャボの赤茶色の毛で、胴は太めの黒の絹糸で3回巻き、環はつけられていません。 竿は3.9m、仕掛は馬素で、竿より少し長め、ハリスは2号を30cmで、バカを40-50cmにして使われました。 毛鉤は私が複製したものです。

参考資料: 志村俊司編 (1989).『イワナⅡ: 黒部最後の職漁者』曽根原文平述, 白日社. 志村俊司編 (1990).『イワナⅢ: 続源流の職漁者』鬼窪善一郎・平野與作述, 白日社.


Kurobe Dairanokoya Kebari 1 Kurobe Dairanokoya Kebari 2

Kurobe headstream area
江戸時代、加賀藩によって管理され入山できなかった黒部奥山。 明治維新の1870年にその管理(奥山廻り役)が廃止され、翌年には信濃国平村(大町)の職漁師遠山品右衛門が「平ノ小屋」を建て、イワナ釣りや猟を始めました。 1917年からは富山芦峅寺の志鷹弥三太郎氏が小屋を管理、職漁を行いました。 1948年には芦峅寺の佐伯覚英氏が小屋の経営を始め、 弥三太郎氏からイワナ釣りの極意を学ぼうとしましたが、毛鉤の作り方しか教えてもらえなかったそうです。 1956年に黒四ダムの工事が着工され、元の「平ノ小屋」は湖に沈みました。 新しい「平ノ小屋」は1963年に100m高い位置に建てられ、その後覚秀氏、現在覚憲氏が小屋を受け継がれています。 黒部で親子三代にわたり使われてきた富山芦峅の伝承毛鉤で、佐伯覚憲氏の毛鉤を私が複製したものです。 胴はクジャクと一緒に紫色の絹糸が巻き込まれ、みの毛は茶や黒のニワトリで、ハエやコガネムシを模したようです。

参考資料: 五十嶋一晃 (2011).「芦峅ガイドの系譜」,『研究紀要』11, 立山カルデラ砂防博物館. 今西資博 (1992).『平の小屋物語』法研. 甲山五一 (1991).『黒部の弥三太郎』アテネ書房.


Norikura Kebari Norikura Kebari
Buck to Top

Nakashinano Norikura area
職漁師の奥原由利太郎氏を父に持ち、 昭和40年(1965)頃から61年(1986)頃まで乗鞍の渓を釣って、奈川温泉の富貴の湯にイワナをおさめた奥原真喜男氏の毛鉤。 昭和50年(1975)に松本市内に釣具店を開き、父に習った毛鉤を店名から「三平毛針」と名づけて販売されてきました。 鉤は伊勢尼6号、胴は黒の木綿糸、みの毛はチャボの黒毛で巻かれ、約60cmの1号のハリスが取り付けられています。 環 (アイ) 付のものは頼まれてフライフィッシング用に作られた毛鉤とのことです。 乗鞍の渓で活躍した職漁師は他に真喜男氏の父の奥原由利太郎氏に毛鉤の巻き方を習った野邑光雄氏など数多い。 毛鉤は奥原真喜男氏の奥様からいただいたものです。

参考資料: 戸門秀雄 (2013).『職漁師伝』農山漁村文化協会.


Matsumoto Kebari 4 Matsumoto Kebari 1 Matsumoto Kebari 2 Matsumoto Kebari 3 Matsumoto Kebari 3
Buck to Top

Nakashinano Matsumoto area
釣友から送ってもらった写真の中に、 「二段みの毛の毛鉤」 が釣具店のステッカーやショップカードと一緒に写っているのを見つけました。 ショップカードから長野県の松本で購入されたと分かりましたので、まずはいろいろお聞きしようと思い釣具店に連絡をさせていただきましたら、 この毛鉤は下記の塩尻や飯田の毛鉤と同じで、松本周辺でも古くから使われてきたパターンであり、 木曽川上流部や奈良井川の他、梓川や犀川の本流や支流、白馬方面など広いエリアで盛んに使われてきたことが分かりました。 (「二段みの毛の毛鉤」 が使われてきた川の地図) 毛鉤は1950年代に釣具店主の祖父が巻かれていたもので、今は播州の鈎屋さんに制作を依頼されているそうです。 鉤は袖型の10号で、2号ほどのハリスが30cmつけられています。 左は銅線が巻かれた毛鉤で、黒毛のほかに茶毛があります。


Shiojiri Kebari 1 Shiojiri Kebari 2 Shiojiri Kebari 3 Shiojiri Kebari 4 Shiojiri Kebari 4
Buck to Top

Nakashinano Shiojiri area
長野県塩尻の釣具店で購入した地元の方が巻かれた毛鉤。 みの毛が二段に巻かれた「スギッパマキ (杉っ葉巻き)」と呼ばれる伝承毛鉤で、木曽川上流部や奈良井川などで使われているとのことでした。 他にキジの青黒い頸毛が二段に巻かれた毛鉤やみの毛が一段の毛鉤も購入しました。 また、売り物では無い、みの毛にカラスの羽を使った毛鉤もいただきました。 鉤は西洋式のフックサイズで#11-12ぐらいが使われています。 左の二本は OWNER 桑原テンカラ OH ストレート 4号が使われています。


Iida Kebari 1 Iida Kebari 2 Iida Kebari 7 Iida Kebari 4 Iida Kebari 4
Buck to Top

Minamishinano Iida area
長野県飯田の釣具店で販売されていた毛鉤。 上記の塩尻の毛鉤と同様、みの毛が二段に巻かれた西洋式毛鉤のレネゲイドを思わせるようなパターンです。 左二つの毛鉤にはパッケージの中に「山女魚、イワナ針 銀鱗クリスタル付」と印が押されています。 鉤は袖型の9号で、ハリスは1.5号が使われています。 右二つの毛鉤は「播州の中山光男商店のマークと No.10 RAINBOW ヤマメ・イワナ」と印字されたラベルが貼られています。 二段のみの毛は盛岡毛鉤が良く知られています。 また飛騨荘川で入手した毛鉤の中にも同じパターンのものがありましたが、その他の地方では珍しいことから、どちらの毛鉤も飯田の釣具店の依頼により播州の中山光男商店で巻かれたものと思われます。 飯田は、中山道の塩尻宿から分岐して三河足助を経由し岡崎に至る 内陸と太平洋を結ぶかつての塩の道「三州街道」(R153)の途上に位置し、 飯田と塩尻の距離はおよそ80kmで、木曽川や奈良井川上流部にもそれほど遠くないことから、塩尻の毛鉤と同じ起源を持っているのではないかと推測しています。

付記: 蚊鉤にも 「金玉二段巻 山女毛鈎」 という毛鉤がありますが、上記の松本・塩尻・飯田の毛鉤、飛騨荘川の毛鉤、そして盛岡の毛鉤との関連は判りません。


Kaga-kebari 4 Kaga-kebari 1 Kaga-kebari 3 Kaga-kebari 5
Kaga-kebari 11 Kaga-kebari 12 Kaga-kebari 13
Kaga-kebari 14 Kaga-kebari 14
Buck to Top

Kaga area
加賀毛針の起源は江戸時代までさかのぼります。 当時、加賀藩では武士の特権として川釣り(アユ釣り)を奨励し、各自が釣果だけでなく、毛針づくりやその美しさも競いあいました。 明治 (1868-1912) に入って誰もが釣りを楽しめるようになり専業の毛針商店も現れました。 明治23年 (1890) の内国勧業博覧会に出品され、その美しさから高い評価を受け、加賀毛針の名声が全国に伝わりました。 鮎毛針は長さ1cmにも満たない小さいハリに漆塗や金箔の伝統工芸の技術が使われています。 写真はその伝統的な技術で巻かれた加賀毛針の老舗 目細八郎兵衛商店の現代のイワナ、ヤマメ用毛針です。 上段は沈めて釣る毛針、下段は水面に浮くように巻かれた毛針です。

参考資料: 石川新情報書府 (参照 2008-1-19). 加賀毛針 目細八郎兵衛商店 (参照 2017-7-26).


Takayama 1 Takayama 4 Takayama 3 Takayama 2 Takayama 2
Buck to Top

Hida Takayama area
宮川水系で使われた毛鉤。 左の毛鉤は、みの毛を黒のニワトリの羽、胴を黒の毛糸で太く巻かれています。 その他は「逆さ毛鉤」で、みの毛の裏側を前方に向けて巻かれています。 みの毛はキジの胸毛、胴はクジャクと絹糸、鉤は丹吉鈎の鯇釣8号とよく似ていて、 黒っぽい赤色の穴糸の環(アイ)が付けられています。


Shokawa 1 Shokawa 2 Shokawa 3
Buck to Top

Hida Shokawa area
これらの毛鉤は、みの毛はニワトリの羽、胴はクジャクまたは赤の絹糸で巻かれています。 左右の鉤は渓流の餌釣用で白または黒の穴糸で環(アイ)が作られています。



Shokawa 4 Shokawa 5 Shokawa 6 Shokawa 7

Hida Shokawa area
これらの毛鉤はすべて、みの毛はキジの胸毛、胴はゼンマイの綿毛とクジャクで巻かれています。




Hakusan Kebari
Buck to Top

Hakusan Shiramine area
江戸時代から一之瀬(現 市ノ瀬)には平泉寺支配下の宿などがあり、湯治場として白山登拝者に利用されていました。 明治から大正時代には白山温泉と呼ばれるようになり、宿泊する湯治客や登山客のために旅館にイワナをおろす多くの川漁師が生まれ、昭和63年(1988)まで職漁が行われました。 現在、白山白峰地区(牛首川水系)で使われた伝統的な毛鉤を作れる人はほとんど無く、その継承のため漁協の鶴野俊哉理事らによって実際に使用しながら改良を重ねて「白山テンカラ毛ばり」が作られました。 1尺五寸(約45cm)2号のテグスつき毛鉤で、水面から10㎝ほど沈めて使われます。 水中での動きを良くするため、油分が少なく柔らかいハシボソガラスの頭の短い羽毛(綿羽の部分が白いのが特徴)を使い、通常の毛鉤よりも小さめの鉤(伊勢尼6号)が使われています。 また現代風のアレンジでダークオリーブの小さなビーズヘッドがつけられています。

付記: 白山山地における伝承毛鉤の起源や関連性などについての所見「白山山地伝承毛鉤の謎」

参考資料: 上馬康生 (2002).「市ノ瀬周辺の自然」,『白山の自然誌』22, 石川県白山自然保護センター. 橘礼吉 (2005).「手取川源流域におけるマス・イワナ漁について: 奥山人の渓流資源の利用例 その1」,『石川県白山自然保護センター研究報告』32, 石川県白山自然保護センター. 橘礼吉 (2006).「手取川源流域におけるマス・イワナ漁について: 奥山人の渓流資源の利用例 その2」,『石川県白山自然保護センター研究報告』33, 石川県白山自然保護センター. 石川県白山白峰漁業協同組合 プレスリリース (参照 2019-7-15).


Itoshiro 1 Itoshiro 2
Buck to Top

Okumino Itoshiro area
九頭竜川上流の石徹白川で使われた伝承毛鉤。 左の毛鉤は胴をクジャク、みの毛を白の綿羽(ウエッブ)で巻かれています。 綿羽(ウエッブ)は腰が無く水を含みやすいので特にドライフライには使われない素材であり、これは非常に珍しい毛鉤です。 右の毛鉤は鉤を鮎掛鉤のキツネ型7号、環(アイ)を投網糸、胴を黒木綿糸で一重巻き、みの毛を雄チャボ(白笹種)の頸羽で羽弁の裏を環(アイ)側に逆立て胴から腰にかけて厚めに巻かれています。 西洋式のドライフライ フィッシングのように毛鉤を水面に浮かせて操作を加えない釣り方で、昭和10年代 (1935) に職漁師の久保田友芳氏によって行われました。 沈める毛鉤と浮かす毛鉤、いずれも暗い胴に白いみの毛が使われているところが共通していますが、 同じ地域で全く異なる用途の二つの毛鉤が存在したことは驚きです。 これらの毛鉤は私が複製、再現したものです。

参考資料: 鈴野藤夫 (1993).『山漁: 渓流魚と人の自然誌』農山漁村文化協会. 韮塚順一 (1998). 「日本式毛針釣りの世界」 ,『フライフィシング入門』地球丸.


Gujo 2 Gujo 3 Gujo 1 Gujo 4 Gujo 4
Buck to Top

Mino Gujo area
郡上八幡に伝承されてきた逆さ毛鉤が現代的なセンスで美しくアレンジされています。 渓流の餌釣の鉤(現在では販売されていない、がまかつの改良チップ7号金鉤が使われているようです。)に黄色のモノフィラメントラインで環(アイ)をつけ、みの毛はニワトリの羽、胴は絹糸で巻かれています。 右は、私が巻いたゼンマイ胴の伝承毛鉤です。


Ura-Kiso Kashimo
Buck to Top

Urakiso Kashimo area
阿寺山地の岐阜県側の裏木曽、古くから檜の産地として知られた加子母村(2005年の市町村合併により現在は中津川市加子母となっている。)の毛鉤。 毛鉤に銅線を巻く手法の前日光 足尾の毛鉤と同じように、 加子母村では毛鉤を「テンカラ」「雉鉤」と呼び、みの毛に雌キジの頸羽、胴はゼンマイでクジャク(ピーコックアイ)を絡めた会符の針金が巻かれています。 毛鉤は私が再現したものです。

参考資料: 鈴野藤夫 (1993).『山漁: 渓流魚と人の自然誌』農山漁村文化協会.


Okumikawa kebari 1 Okumikawa kebari 2 Okumikawa kebari 3 Okumikawa kebari 4 Okumikawa kebari 4
Buck to Top

Okumikawa area
奥三河高原は、木曽山脈(中央アルプス)の西南に位置し、長野県に隣接するアマゴの毛鉤釣りが盛んな地域で、寒狭川や矢作川流域では「テンカラ」、大入川流域では「カバリ」と呼ばれ、空鉤と呼ばれる掛鉤仕掛が伝承されてきました。 鈴野藤夫氏の「山漁」によると、設楽町田口の職漁師 伊藤英二氏の仕掛は、竿3.9m、白馬素2m、中糸とハリス1.5号、全長4.2mで、先端にアユ掛鉤狐型8号の空鉤、10-15cm上にハリスつき毛鉤を枝鉤として結ばれていて、毛鉤はマス7号、胴はクジャクの尾羽、みの毛は雌キジの頸羽の逆さ毛鉤、空鉤はチモトから胴に黒の木綿糸が巻かれ、 盛期(5月以後)は空鉤をつけない仕掛が使われました。古くは先端と枝鉤の二か所ともに毛鉤が使われていたとのことです。 左は、その記述を参考に私が再現した毛鉤です。 中央二つは、山本素石氏編集の「てんからFishing」の毛鉤の系譜で紹介されている矢作川上流足助の毛鉤で、右は、足助の竿師 鈴木武夫氏のヒヨドリの手羽をみの毛にした毛鉤を参考に私が巻いたものです。

参考資料: 鈴野藤夫 (1993).『山漁: 渓流魚と人の自然誌』農山漁村文化協会. 山本素石編 (1989).『てんから Fishing: 毛鉤つりのすべて』池田書店.


Traditional Tenkara Kebari Pictures
Click on the images.
Kurobe headstream area Hida Takayama area Mino Gujo area

これらの伝承毛鉤は、インクと透明水彩絵の具によって描いた一点しかない原画です。 伝承毛鉤もしくはこれらの絵に興味をお持ちでしたら、ぜひ STUDIO TROUT & SEASONS をご覧ください。


My Best Streams
Flies
Equipment


amago Profile Link Home
Back to Main Home Page Profile Links
Home


Paper Trout
Paper Craft of Japanese Trout and the World Trout



Pencil
「渓魚と山里の四季」の絵をご希望でしたら、こちらをご覧ください。




© 1997 Yoshikazu Fujioka